2024/06/21

第11部  石の名は     16

  大統領警護隊本部はグラダ・シティの”曙のピラミッド”のすぐそばにある。大統領府の敷地の半分が大統領警護隊の場所で、見た目より地下空間が広く、実際は大統領府より広大だ。ケツァル少佐は取り敢えず、当直の副司令官トーコ中佐に面会を希望する電話をかけて承諾を得たので、アスルをお供に出かけた。ロホは文化・教育省のオフィスに戻って事務所の片付けだ。テオは大学に残った。
 どうにも納得がいかなかった。あの石は鉱物で、生物ではない。それが吸血をするなど、想像もつかない。人の体に傷ひとつ付けずに、どうやって血を吸うのだろう。どんな仕組みになっているのだ。何のためにそんなことをするのだ。
 考えながら研究室を片付け、部屋の外に出た。カフェの方へ歩いて行くと、途中で考古学部のケサダ教授と出会った。簡単な挨拶を交わした後、テオは彼に質問した。

「アンヘレスは、石を見ていないのですよね?」

 ケサダ教授は無表情で彼を見返した。

「石? ああ、カサンドラの部下が砂漠で拾った呪いの石とか言う代物のことですか。」
「スィ。ママコナが彼女に何を伝えたかったのか、わからないのですよね?」

 教授は溜め息をつき、周囲をそっと見回して誰も2人の会話を聞いていないことを確認した。

「現在の”名を秘めた女”はカイナ族の女性で、彼女の心の言葉は生まれたての純血種の赤子にしか聞き取れません。カイナ族なら成長しても彼女と心の会話を続けることが出来ますが、その他の一族の人間には彼女の声は小さくて聞き取れなくなるのです。」

 部族が異なるとそんなものなのか、とテオは驚いた。これはもう少し脳機能の遺伝子を分析した方が良さそうだ。

「するとアンヘレナは彼女が声を掛けて来たことはわかっても、理解出来なかったと言うことですね?」
「純血種のグラダなら聞き取れたでしょうが・・・マスケゴの血では無理です。」

 ケサダ教授は、義父ムリリョ博士も聞き取れなかったことを暗に皮肉った。カサンドラ・シメネスは全然聞こえなかったのだ。テオはムリリョ家の内紛には興味がなかった。

「教授があの場にいらっしゃれば、聞けたのですね?」
「ケツァルがいればね・・・女は敏感ですから。」

 教授はテオの皮肉に切り返した。そして、素直に石のことを何も知らないことをテオに伝えた。

「ところで、その件の石を貴方は見たのですか?」

2024/06/19

第11部  石の名は     15

 「では・・・」

 テオは深呼吸して、謎の石を掴んだ。右手の掌に載せて、暫くじっとしていた。
 最初はひんやりとした鉱物の感触だけだった。やがて体温で石が温まったのか、冷たさを感じなくなり、温かい感じがした。石を眺めていると、なだらかなカット面がキラキラ光って美しい。少し頭がぼーっとしたが、それは一瞬で、すぐ元に戻った。右肩が幾分軽くなった感じだ。

「何も起こらないが・・・」

 しかし、”ヴェルデ・シエロ”達の反応は違った。少佐が囁き掛けて来た。

「石を下に置いてもらえますか?」
「スィ」

 テオは石を机の上に戻した。そして初めてロホとギャラガが険しい目つきで石を見つめていることに気がついた。少佐も表情が固かった。

「どうした?」
「貴方は何も感じませんでしたか?」

 逆に問われて、テオは首を傾げた。

「特に言及しなければならないことはなかった・・・」

 ギャラガが石を指差した。

「よく見ないとわかりませんが、少しピンク色になっています。」
「え?!」

 テオは上から見たり、横から見たり、机の面の高さから見て、本当に微かに石に色がついていることを確認する迄5分ほど要した。

「そう言われれば、色がついている気がする・・・」
「ついています。」

 ギャラガが言い張った。テオは掌を見た。傷も何もない。

「俺の血の色か? 吸われた跡はないが・・・」
「獲物に傷をつけずに血を吸い込むのでしょう。」

とロホが恐ろしいことを口にした。

「こんな石は初めてです。」

 少佐が石を麻袋に入れた。

「本部に持って行きます。私達の知識では手に負えないと判断します。」

第11部  石の名は     14

 「ただの石だ。石英の塊だよ。」

とテオが言った。机の真ん中に紙を敷いて洋梨型のキラキラ光る透明の石が置かれていた。
 故買屋の家で回収されたその石は、ロホが悪霊が憑いた石や彫像などを入れるのに用いる麻袋に入れて、グラダ大学に持ち込んだ。説明を聞いて、テオは彼とケツァル少佐とギャラガ少尉を己の研究室に待たせて、地質学科へ石を持って行った。そこで鉱物分析に掛けてもらったが、何の変哲もない水晶の塊だと言う結果を得ただけだった。地質学科の知人には「友達が買った石が本物の水晶かどうか確認して欲しい」と言い訳したので、知人は正直に結果を教えてくれたのだ。

「普通、水晶をそんな大きさにカットして装飾品にしたりしないと思うけどね。」

と知人は言った。宝石かも知れない石を扱う為に彼は手袋を着用していたので、吸血被害は受けなかった様だ。
 テオが自室に帰ると、大統領警護隊の隊員達はカフェで買ったコーヒーを飲みながら待っていた。テオは袋から石を出して机の上に置いた。

「石に咬まれた訳じゃないだろ?」
「咬みません。」

と少佐がツンツンして言った。

「でも掌から何か吸い上げられる感覚がしたのです。」
「それに、その石は盗まれる前は真紅だったのです。」

とロホ。

「同じ石かい?」
「同じ石です。」

と”ヴェルデ・シエロ”達は言い張った。
 テオは少し考えてから、ナイフを出し、自分の左手の親指の腹を切った。痛かったが、彼は常人より傷の治りが早い。傷口から出た血液を石の上に落としてみた。血液は石の表面をゆるゆると流れて紙の上に落ちた。石は少し汚れたが、染まった感じはしなかった。
 ギャラガが気を利かせて絆創膏をリュックから出して、テオに渡した。テオは指に絆創膏を撒きながら、次の提案をした。

「俺が素手でそれを握ってみよう。何か変化があったら、すぐに俺の手から取り上げてくれ。」

 彼の体を張った実験に、少佐は止めもせず、「グラシャス」と言った。

2024/06/17

第11部  石の名は     13

 故買屋ホアン・ペドロ・モンテと言う男の店舗兼自宅はグラダ・シティの旧市街地にあった。狭い路地に面した店は間口が狭い道具屋で、日用品が所狭しと積み上げてあった。警察が張った規制線の黄色いテープを跨いで、3人の大統領警護隊は中に入った。警察官や付近住民とのゴタゴタが面倒なので、3人とも制服を着用だ。緑色に輝く胸の徽章の威力で、誰も何も言わずに彼等が建物の中に入るのを眺めていた。 
 警察は表に面した店には手を入れていなかった。盗品は店の奥の部屋にあったので、そちらは散らかっていた。ガサ入れの後だ。金目の物は大方警察が没収している。被害者が警察に被害届を出していれば、警察に行って品物を確認出来る。盗まれた物があれば、それは故買屋と被害者の間での交渉次第で戻ってくるし、戻らない場合もある。

「例の石は警察が持って行ったんじゃないですか?」

とギャラガが言外に「無駄じゃないですか」を滲ませながら言った。

「あれは宝石じゃないからな。」

とロホは言った。

「故買屋は救急隊員から安く買い叩いた筈だ。高価な石と一緒に置いたりしないだろう。」

 彼は棚の中や引き出しを検めていた。ギャラガは気が乗らないらしく、ケツァル少佐に囁いた。

「いつかの弾丸みたいに石を呼べないんですか?」

 少佐はチラリと横目で彼を見た。

「石は呼べません。」

とあっさりと答えた。

「そんな芸当が出来ていたら、過去の盗品探しはすごく楽だったでしょうね。」

 ギャラガは首を縮めた。

「申し訳ありません。真面目に探します。」

 ロホが後ろでクックッと笑った。
 2階の故買屋の自宅部分も探したが、石は出て来なかった。いや、見つからなかったのは、紅い石で、透明の水晶の様な、大きさも形も件の石とそっくりな物は見つけたのだ。

「よく似た石ですが、色が違いますね・・・」

と少佐が己の掌に載せて石を眺めた。ロホも眺めた。

「色さえ違わなければそっくりですね。それにこれはそんな邪悪な物を感じません・・・」

と彼が呟いた時、少佐がいきなりその石を床に落とした。まるで女の子が蛙か蜘蛛でも払い落とすような、そんな表情だ。ロホとギャラガは思わず上官の顔を見た。

「どうされました?」
「その石が何か?」

 ケツァル少佐は深呼吸した。そして言った。

「この石、私の血を吸おうとしました・・・」


2024/06/16

第11部  石の名は     12

  セフェリノ・サラテから折り返しかかってきた電話は、ロホをがっかりさせた。オエステ・ブーカ族の祈祷師も長老もラス・ラグナス遺跡や遺跡にまつわる言い伝えは知らないと言う返事だった。ロホは石にまつわる話が何かないかと期待したが、サラテは

「”ティエラ”の祭祀に関心を抱く者はいないでしょう。」

と締め括った。考古学に興味がなければ、そんなものなのだ。大統領警護隊でも一般の隊員は古代の呪いや神様の祟りなど無縁だ。彼等が心配するのは、現代の爆弾やサイバーテロや生物兵器のことで、その対処方法や防止策を学ぶのに忙しい。’人の血を吸ったかも知れない石’のことを追いかける文化保護担当部が「緩い部署」と呼ばれるのも無理はない。
 電話を終えて、ロホはシエスタ終了迄自席で目を閉じて座っていた。石の正体がわからないことより、目の前で石を盗まれたことが悔しかった。
 ケツァル少佐に電話!と隣の遺跡文化財担当課から声がかかった。責任者会合はもう終わったのだろう、少佐が素早く自席の電話に向かった。

「オーラ、ミゲール少佐・・・」

 少佐が電話の相手と少し喋ってから、「グラシャス」と言って通話を終えた。そして部下達を見た。

「警察から連絡がありました。故買屋の家を我々が捜索しても良いそうです。」

 ギャラガが目を開いて、顔を上げた。上官をチラリと見ると、すぐにカウンターの下からプレートを出し、上に置いた。窓口休業だ。大統領警護隊文化保護担当部お得意の臨時休業。隣の遺跡文化財担当課の職員達が苦笑するのを横目で見て、彼は肩をすくめた。
 ロホも机の下からリュックを出した。外で活動する時の必需品だ。隣の課は大統領警護隊が盗掘品の捜索に行くと思っている。実際、遺跡周辺で拾った物は盗掘された物と見なしても構わない。
 少佐も外出の準備を手早く済ませて、3人はオフィスを出た。

2024/06/14

第11部  石の名は     11

  テオ、ガルソン中尉と別れてロホは大統領警護隊文化保護担当部のオフィスに戻った。ケツァル少佐は先に戻っていて、同じフロアの各部署の責任者達と集まって話をしていたが、石に関係することではなさそうだった。大統領警護隊と言えば普通のセルバ市民から畏敬の念で対応されるのだが、この職場、このフロアでは同じ仲間だ。少佐の意見に真っ向から反対する人がいれば、彼女のつまらない冗談に大袈裟に、しかし真剣に笑う人もいる。少佐も同様で、和気藹々とした様子だった。
 ロホは己の机の前に座ると、カウンター前の席にいるギャラガを見た。少尉はカウンターにもたれて昼寝中だった。まだシエスタの時間だから、誰も文句を言わないし、客もいない。
ロホは電話を出して、ガルソン中尉から教えられたセフェリノ・サラテの番号にかけてみた。以前別件でサラテと会った時、彼はガルソンを不祥の甥として話していた。大統領警護隊に入隊して村の子供達の憧れであったのに、不祥事を起こして降格・転属になり、後進の人々を失望させた、と悔やんでいたのだ。ガルソン自身は故郷に未練がなさそうで、夫の不祥事で村に居づらかった妻と子供達をグラダ・シティに呼び寄せて安定した生活に甘んじている。それでもサラテの連絡先を覚えているのは、やはり血縁を大事に思っているのだろう。
 オルガ・グランデもシエスタの時間だったらしく、サラテは少し眠たそうな声で電話に出た。ロホが名乗ると目が覚めたのか、声の調子が変わった。

「ブエノス・タルデス、お元気ですか?」

 セルバの礼儀として当たり障りのない世間話を始め、ロホは辛抱強く付き合った。そして、適当な話の切れ目に要件を出した。

「ところで、セニョール、貴方は北部の砂漠にあったラス・ラグナスの遺跡について何かご存じですか?」
「ラス・ラグナス?」

 サラテはちょっと間を空けてから、「ああ・・・」と言った。

「水源が枯渇して移転した村がありましたね。その近くに遺跡があったと聞きましたが・・・一族とは関係ないでしょう?」

 一般の”ヴェルデ・シエロ”は”ティエラ”の文化に無関心だ。どうして「神」が「人間」のやることに注意を払わねばならないのか、と言うレベルだ。守護しなければならないレベルでなければ、関心がない。ロホは苦笑した。

「一族と関係ありませんが、昔のことを知っている人がいれば教えて頂きたいのです。」
「つまり、長老とか祈祷師を?」
「スィ」

 するとサラテは少し時間が欲しいと言った。この「少し」がどの程度の長さの時間なのかわからないが、ロホは承諾して電話を終えた。


2024/06/10

第11部  石の名は     10

 シエスタの邪魔をして申し訳なかった、とロホは年上の部下に謝罪した。ガルソン中尉はそんな低姿勢の彼にびっくりした様だ。そして工場のポットからコーヒーを汲んで、3人はやっと昼食を始めた。
 テオは世間話がしたくなった。そちらの方がガルソンもロホも気楽だろうし、工場の人々に聞かれても問題なさそうだ。

「パエス少尉とは、あれから連絡を取り合っていますか?」

と尋ねると、ガルソンは首を振った。

「彼と私は特に話すこともないので、あれから接触はありません。しかし妻同士は同じアカチャ族です。夫が転地させられた軍人の妻同士と言う仲間意識もあるのでしょう、頻繁に電話やメールのやり取りをしている様です。だから双方の夫の行動も互いに筒抜けです。」

 彼が苦笑したので、テオとロホも笑った。民間人の妻が夫達の任務内容を把握出来る筈はない。彼女達がわかる範囲の噂話の交換なのだ。パエスの妻は北部国境の町で起きる小さな事件などの話をするのだろうし、海がもたらす食材の話もするのかも知れない。ガルソンの妻は大都会の生活の苦労などを語るだろう。そして互いの子供達の成長の話もするだろう。パエスの子供達は妻の連れ子で”ティエラ”だ。普通の人間だ。しかしガルソンの子供は父親が”シエロ”で、子供達も半分”シエロ”だ。だからガルソンは、”ヴェルデ・シエロ”のことを何も知らない妻に代わって一族のことを子供に教えなければならない。しかし軍人である彼は普段は家に帰れないので、代わりに教えてくれる人を得た。彼が以前勤務していた大統領警護隊太平洋警備室の元指揮官カロリス・キロス中佐だ。キロス中佐はある事件で失態を犯し、さらに体調を崩して、除隊した。そしてグラダ・シティで子供相手の体操教室を開いている。普通の人間の子供を対象としているが、ガルソン中尉の様に普通の人間と結婚して生まれたミックスの子供達の”シエロ”としての教育も引き受けてくれているのだ。 

「中佐は本当に子供の扱いがお上手で、私は安心して子供達を任せています。」

とガルソンが穏やかに言うと、テオとロホもその話に熱心に耳を傾けた。テオは”ティエラ”だ。 ”ヴェルデ・シエロ”のケツァル少佐との間にもし子供が生まれれば、やはりキロス中佐の様な教育をしてくれる人が必要になる。それはロホも同じだった。彼の恋人はケツァル少佐の異母妹で、彼女は白人の血と普通のメスティーソの血も受け継いでいるミックスだ。当然子供もミックスだから、やはり純血種の様な教育は十分ではない。

「キロス中佐にはこれからもお元気で子供達の教育に励んで頂きたいものだ。」

とロホが囁いた。

「私の子供もいつかお世話になるやも知れない。」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...