2024/06/22

第11部  石の名は     19

  ケサダ教授とテオはそれぞれの車に乗り込んだ。教授はその日の残りのスケジュールが残っているのか、残っていないのか不明だったが、もう大学に戻る気はないらしかった。グラダ大学は国立大学で、教授もテオも一職員に過ぎないのだが、考古学者達は結構我が物顔に振る舞っている感があり、それはどうやら彼等が”ヴェルデ・シエロ”であり、またその弟子達だからだろう。テオは素直に車を運転してケサダ教授の後ろを付いて行った。
 いつかロホに連れて行ってもらった階段住宅が集まっている斜面地域に入った。グラダ・シティの市街地ではあるが、街路樹や樹木を植えた庭が多くて公園の中に家が建っている様に見える。そこにマスケゴ族が好んで住み着き、彼等の階段式住宅を真似た”ティエラ”の富裕層の家も多く見られる。一番立派な階段式住宅が、セルバ共和国最大手の建設会社ロカ・エテルナ社のオーナー社長アブラーン・シメネス・デ・ムリリョとその家族の自宅で、父親のファルゴ・デ・ムリリョ博士も同居している。アブラーンの末の妹コディアとその夫のフィデル・ケサダ教授は子供達と共にその邸宅の近所に小降りながらも綺麗な階段式住宅を建てて住んでいた。教授が門の前の駐車スペースに車を停めた。コディアの車の横の来客用と思われるスペースにテオも車を停めた。
 車を降りると、教授はテオに手招きして、垣根の隙間の通用口と思しき小さな門から敷地内に入った。正面玄関から入らないのは、正式な来客ではないから、と言う訳ではなく、子供達に見つかるとテオが懐かれて迷惑するだろうと言う、微笑ましい理由だった。テオは教授の娘達に人気があった。

「子供達は上階の部屋にいます。」

と教授が囁いた。

「見つかると煩いので、手早く用件を済ませましょう。」

 芝生の庭の向こう端、涼しい木陰に車椅子を置いて、高齢の女性が午後の風を楽しんでいた。眠っている様に見えたが、2人の男が近づくと、彼女は顔を上げて、黒い目で彼等を見た。息子を認めると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「お帰り、フィデル。」

 そしてテオを見た。

「テオドール・アルスト、お茶でもいかが?」

 教授が年老いた母親に優しく声を掛けた。

「お茶は後で頂きます、お母さん。その前に教えて頂きたいことがあります。」


第11部  石の名は     18

 「もし宜しければ・・・」

とケサダ教授が言った。

「これから、マレシュ・ケツァルにお会いになりませんか?」

え? とテオは耳を疑った。マレシュ・ケツァルは現在マルシオ・ケサダと名乗っている”ヴェルデ・シエロ”の女性で、グラダ族の血を濃く引くブーカ族とのミックスだ。一族の裁定で滅ぼされたイェンテ・グラダと呼ばれた村の最後の生き残りだ。そして、フィデル・ケサダ教授の実の母親だ。彼女の存在はムリリョ博士の判断で一族には秘密にされている。少なくとも、20年近く前迄は存在が確認されたが現在は行方不明、生死不明とされている。しかし彼女は健在だ。息子の家で息子の家族と一緒にひっそりと暮らしているのだ。半分夢の中に生きて、車椅子に座った状態で1日過ごしている。彼女と面会したケツァル少佐によると、彼女が話す言語は古いイェンテ・グラダ村の方言で、若い世代には理解が難しいとのことだった。恐らく彼女と会話が成立するのは、ケサダ一家と、遠い昔マレシュが子守りをしたカタリナ・ステファンだけだろう。テオは一回だけ偶然彼女と出会ったことがあった。グラダ大学医学部病院の庭だ。車椅子に座った彼女が、自分の方からテオに声を掛けて来た。息子の心を読んで息子の周辺にいる人々を記憶していたのだ。テオは彼女と会話をすることが出来なかったが、好印象を抱いてもらった様子だった。

「俺が彼女に会っても良いのですか?」

 テオは慎重に「貴方の母」と言う表現を避けた。世間一般には、ケサダ教授の母親はムリリョ博士の亡くなった妻と言うことになっている。
 教授は頷いて、駐車場を指差した。

「あまり時間は取らせません。恐らくこの時間、彼女は庭にいます。」

 殆ど有無も言わさぬ勢いでケサダ教授はテオを駐車場へ引っ張って行った。歩きながら携帯電話を出してどこかに掛けたが、どうやら相手は妻のコディア・シメネスらしかった。母親が庭にいることを確認したのだ。彼が電話を切ると、テオは歩きながら尋ねた。

「貴方は彼女が、件の石について知っているとお考えですか?」
「知っていると言うより、何に使われた物か見当がつくだろうと思うのです。」

 イェンテ・グラダ村は閉塞的な場所だった。位置的にはオルガ・グランデやラス・ラグナス遺跡から遠いのだが、古代の風習や言い伝えが残っていた可能性はあった。

2024/06/21

第11部  石の名は     17

  テオとケサダ教授は木陰のベンチに腰を下ろした。まだ日は高く、大学は賑やかだった。テオは授業を終えてその日の仕事を終了していた。ケサダ教授はまだ予定があるのかないのか不明だった。
 テオは大統領警護隊文化保護担当部に頼まれて鉱物分析に掛けたことを語った。何の変哲もない水晶だったのだ。そしてその時点で石は綺麗な透明だった。それを己の掌に載せた時の感触、色の変化、そしてケツァル少佐とロホがディエゴ・トーレスを救助した時に目撃した真紅の石の話も語った。
 聴き終わると、ケサダ教授は膝の上に両肘を置き、暫く両手で顎を支えて考え込んでいた。彼はオルガ・グランデの生まれだ。しかし10歳になるかならぬかでムリリョ博士に引き取られ、グラダ・シティで育った。恐らく故郷の伝説や風習は学生になってから学んだ筈だ。

「奇妙ですね・・・」

と教授が囁いた。テオが「え?」と振り返ると、彼もテオを見た。

「その石が本当に呪われた物であったなら、万民に災いを与える物であったなら、”名を秘めた女”は、私の娘やムリリョ博士にではなく、ケツァルかエステベス大佐に危険を伝えた筈です。」

 そう言えば・・・とテオも思い当たった。以前、死者の悪霊が憑依した少年が己の家族を惨殺した事件があった。大統領警護隊遊撃班のカルロ・ステファン大尉がその悪霊を木像に憑依させ、処分を上官に頼もうとグラダ・シティに持ちこもうとしたのだ。しかし、ママコナはそれを嫌った。ケツァル少佐に心の声を送り、汚れを首都に持ち込ませるな、と訴えたのだ。
 もし、今回の石も呪われた物なら、ママコナは未熟な少女や彼女の言葉を聞けないマスケゴ族の大人達にテレパシーを送ったりせずに、大統領警護隊に指図を出しただろう。
 テオは教授に尋ねた。

「もしかすると、俺達は、その石に対して、大きな勘違いをしているのかも知れませんね?」

 教授が頷いた。

第11部  石の名は     16

  大統領警護隊本部はグラダ・シティの”曙のピラミッド”のすぐそばにある。大統領府の敷地の半分が大統領警護隊の場所で、見た目より地下空間が広く、実際は大統領府より広大だ。ケツァル少佐は取り敢えず、当直の副司令官トーコ中佐に面会を希望する電話をかけて承諾を得たので、アスルをお供に出かけた。ロホは文化・教育省のオフィスに戻って事務所の片付けだ。テオは大学に残った。
 どうにも納得がいかなかった。あの石は鉱物で、生物ではない。それが吸血をするなど、想像もつかない。人の体に傷ひとつ付けずに、どうやって血を吸うのだろう。どんな仕組みになっているのだ。何のためにそんなことをするのだ。
 考えながら研究室を片付け、部屋の外に出た。カフェの方へ歩いて行くと、途中で考古学部のケサダ教授と出会った。簡単な挨拶を交わした後、テオは彼に質問した。

「アンヘレスは、石を見ていないのですよね?」

 ケサダ教授は無表情で彼を見返した。

「石? ああ、カサンドラの部下が砂漠で拾った呪いの石とか言う代物のことですか。」
「スィ。ママコナが彼女に何を伝えたかったのか、わからないのですよね?」

 教授は溜め息をつき、周囲をそっと見回して誰も2人の会話を聞いていないことを確認した。

「現在の”名を秘めた女”はカイナ族の女性で、彼女の心の言葉は生まれたての純血種の赤子にしか聞き取れません。カイナ族なら成長しても彼女と心の会話を続けることが出来ますが、その他の一族の人間には彼女の声は小さくて聞き取れなくなるのです。」

 部族が異なるとそんなものなのか、とテオは驚いた。これはもう少し脳機能の遺伝子を分析した方が良さそうだ。

「するとアンヘレナは彼女が声を掛けて来たことはわかっても、理解出来なかったと言うことですね?」
「純血種のグラダなら聞き取れたでしょうが・・・マスケゴの血では無理です。」

 ケサダ教授は、義父ムリリョ博士も聞き取れなかったことを暗に皮肉った。カサンドラ・シメネスは全然聞こえなかったのだ。テオはムリリョ家の内紛には興味がなかった。

「教授があの場にいらっしゃれば、聞けたのですね?」
「ケツァルがいればね・・・女は敏感ですから。」

 教授はテオの皮肉に切り返した。そして、素直に石のことを何も知らないことをテオに伝えた。

「ところで、その件の石を貴方は見たのですか?」

2024/06/19

第11部  石の名は     15

 「では・・・」

 テオは深呼吸して、謎の石を掴んだ。右手の掌に載せて、暫くじっとしていた。
 最初はひんやりとした鉱物の感触だけだった。やがて体温で石が温まったのか、冷たさを感じなくなり、温かい感じがした。石を眺めていると、なだらかなカット面がキラキラ光って美しい。少し頭がぼーっとしたが、それは一瞬で、すぐ元に戻った。右肩が幾分軽くなった感じだ。

「何も起こらないが・・・」

 しかし、”ヴェルデ・シエロ”達の反応は違った。少佐が囁き掛けて来た。

「石を下に置いてもらえますか?」
「スィ」

 テオは石を机の上に戻した。そして初めてロホとギャラガが険しい目つきで石を見つめていることに気がついた。少佐も表情が固かった。

「どうした?」
「貴方は何も感じませんでしたか?」

 逆に問われて、テオは首を傾げた。

「特に言及しなければならないことはなかった・・・」

 ギャラガが石を指差した。

「よく見ないとわかりませんが、少しピンク色になっています。」
「え?!」

 テオは上から見たり、横から見たり、机の面の高さから見て、本当に微かに石に色がついていることを確認する迄5分ほど要した。

「そう言われれば、色がついている気がする・・・」
「ついています。」

 ギャラガが言い張った。テオは掌を見た。傷も何もない。

「俺の血の色か? 吸われた跡はないが・・・」
「獲物に傷をつけずに血を吸い込むのでしょう。」

とロホが恐ろしいことを口にした。

「こんな石は初めてです。」

 少佐が石を麻袋に入れた。

「本部に持って行きます。私達の知識では手に負えないと判断します。」

第11部  石の名は     14

 「ただの石だ。石英の塊だよ。」

とテオが言った。机の真ん中に紙を敷いて洋梨型のキラキラ光る透明の石が置かれていた。
 故買屋の家で回収されたその石は、ロホが悪霊が憑いた石や彫像などを入れるのに用いる麻袋に入れて、グラダ大学に持ち込んだ。説明を聞いて、テオは彼とケツァル少佐とギャラガ少尉を己の研究室に待たせて、地質学科へ石を持って行った。そこで鉱物分析に掛けてもらったが、何の変哲もない水晶の塊だと言う結果を得ただけだった。地質学科の知人には「友達が買った石が本物の水晶かどうか確認して欲しい」と言い訳したので、知人は正直に結果を教えてくれたのだ。

「普通、水晶をそんな大きさにカットして装飾品にしたりしないと思うけどね。」

と知人は言った。宝石かも知れない石を扱う為に彼は手袋を着用していたので、吸血被害は受けなかった様だ。
 テオが自室に帰ると、大統領警護隊の隊員達はカフェで買ったコーヒーを飲みながら待っていた。テオは袋から石を出して机の上に置いた。

「石に咬まれた訳じゃないだろ?」
「咬みません。」

と少佐がツンツンして言った。

「でも掌から何か吸い上げられる感覚がしたのです。」
「それに、その石は盗まれる前は真紅だったのです。」

とロホ。

「同じ石かい?」
「同じ石です。」

と”ヴェルデ・シエロ”達は言い張った。
 テオは少し考えてから、ナイフを出し、自分の左手の親指の腹を切った。痛かったが、彼は常人より傷の治りが早い。傷口から出た血液を石の上に落としてみた。血液は石の表面をゆるゆると流れて紙の上に落ちた。石は少し汚れたが、染まった感じはしなかった。
 ギャラガが気を利かせて絆創膏をリュックから出して、テオに渡した。テオは指に絆創膏を撒きながら、次の提案をした。

「俺が素手でそれを握ってみよう。何か変化があったら、すぐに俺の手から取り上げてくれ。」

 彼の体を張った実験に、少佐は止めもせず、「グラシャス」と言った。

2024/06/17

第11部  石の名は     13

 故買屋ホアン・ペドロ・モンテと言う男の店舗兼自宅はグラダ・シティの旧市街地にあった。狭い路地に面した店は間口が狭い道具屋で、日用品が所狭しと積み上げてあった。警察が張った規制線の黄色いテープを跨いで、3人の大統領警護隊は中に入った。警察官や付近住民とのゴタゴタが面倒なので、3人とも制服を着用だ。緑色に輝く胸の徽章の威力で、誰も何も言わずに彼等が建物の中に入るのを眺めていた。 
 警察は表に面した店には手を入れていなかった。盗品は店の奥の部屋にあったので、そちらは散らかっていた。ガサ入れの後だ。金目の物は大方警察が没収している。被害者が警察に被害届を出していれば、警察に行って品物を確認出来る。盗まれた物があれば、それは故買屋と被害者の間での交渉次第で戻ってくるし、戻らない場合もある。

「例の石は警察が持って行ったんじゃないですか?」

とギャラガが言外に「無駄じゃないですか」を滲ませながら言った。

「あれは宝石じゃないからな。」

とロホは言った。

「故買屋は救急隊員から安く買い叩いた筈だ。高価な石と一緒に置いたりしないだろう。」

 彼は棚の中や引き出しを検めていた。ギャラガは気が乗らないらしく、ケツァル少佐に囁いた。

「いつかの弾丸みたいに石を呼べないんですか?」

 少佐はチラリと横目で彼を見た。

「石は呼べません。」

とあっさりと答えた。

「そんな芸当が出来ていたら、過去の盗品探しはすごく楽だったでしょうね。」

 ギャラガは首を縮めた。

「申し訳ありません。真面目に探します。」

 ロホが後ろでクックッと笑った。
 2階の故買屋の自宅部分も探したが、石は出て来なかった。いや、見つからなかったのは、紅い石で、透明の水晶の様な、大きさも形も件の石とそっくりな物は見つけたのだ。

「よく似た石ですが、色が違いますね・・・」

と少佐が己の掌に載せて石を眺めた。ロホも眺めた。

「色さえ違わなければそっくりですね。それにこれはそんな邪悪な物を感じません・・・」

と彼が呟いた時、少佐がいきなりその石を床に落とした。まるで女の子が蛙か蜘蛛でも払い落とすような、そんな表情だ。ロホとギャラガは思わず上官の顔を見た。

「どうされました?」
「その石が何か?」

 ケツァル少佐は深呼吸した。そして言った。

「この石、私の血を吸おうとしました・・・」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...