2024/06/27

第11部  石の名は     23

  古代大神官を務めていたグラダ族が絶滅して以降、セルバの”ヴェルデ・シエロ”達は大神官を持たなかった。残った6部族の中から選出された神官達が合議で祭祀を執り行ってきたのだ。
 アスマ神官はサスコシ族の出で、現在のところ神官達の議長的存在だ。ピラミッドの地下にある神殿で若い頃から働いていて、あまり世間のことはご存じでない・・・と言うのが、在野の”ヴェルデ・シエロ”達の認識だ。これは別に軽蔑しているのではなく、俗な問題から遠い人だと言うことだ。前任者の急死でそこそこ歳を取ってから神官になった人よりピュアな心の人とも言えた。
 地下神殿は長い階段を降りて行った先にあった。古代手掘りで造られた岩の神殿だ。迷路の様になっており、一般の”ヴェルデ・シエロ”は祈りの部屋しか入ることを許されない。
 ケツァル少佐が祈りの部屋の大扉の前に行くと、見番の兵士が既に連絡を受けていたのか、「こちらへ」と彼女を別室へ導いた。
 少佐はママコナに仕える侍女達の働く中を通り、曲がりくねった通路を通り、やがて薄暗い照明が灯った小部屋へ案内された。
 アスマ神官に面会するのは初めてだった。一般人は会えない人だ。仮面でも被っているのかと思ったが、普通に素顔を晒していたし、驚いたことに眼鏡をかけていた。
 案内の兵士が彼女を置いて部屋から出て行った。分厚いドアが閉じられた。
 神官は執務机の向こうで立ち上がった。挨拶を交わしてから、彼の方から声をかけて来た。

「仰々しいやり方の様に思えるだろうが、これが私とみんなが会う普通の方法なのでね、面倒臭いだろうが堪えて欲しい。」

 アスマ神官は40歳前後と思われた。眼鏡を取れば、顔色が悪いケサダ教授と言っても良い程度に、フィデル・ケサダに似ていた。勿論、彼等は親戚ではない。
 
「問題の石を見せて頂けるか?」

 少佐はハンカチに包んだまま石を机の上におき、布を開いた。石は透明でキラキラと薄暗い照明の光を反射して光った。

「これは何かとの問合せであったか?」
「スィ。人間の血を吸い、赤くなりました。今は透明に戻っています。」

 するとアスマ神官は尋ねた。

「この石が赤い時に雨は降らなかったか?」

 ケツァル少佐は驚いた。

「降りました。局所的なスコールでしたが・・・」
「この石の仕業だろう。」

 神官は石を己の掌の上に載せた。少佐は「気をつけて」と言いたかったが、彼は承知の上で行っているのだと思い、口を閉じたままだった。神官は石をじっくり眺めた。

「これはカイナの兄弟から聞いたことがある、サンキフエラの心臓だ。」


2024/06/26

第11部  石の名は     22

  テオが電話をかけた時、ケツァル少佐は大統領警護隊本部の司令部にいた。トーコ中佐に面会を申し込んで了承されたのだが、実際は待たされた。客ではなく隊員なので、待合室には通されず、廊下の椅子に座ったままだった。膝の上にハンカチに包まれた石が載っていた。石は布越しで悪さはしないようだ。しかし彼女は素手でそれを掴んだ時の感触を覚えていた。掌がくすぐったいような気がして、皮膚の下を吸引されるような感じがしたのだ。あの時、身の危険を感じて咄嗟に石を投げ出してしまったが、もしあのまま握っていたら、何が起きたのだろうか。
 電話はマナーモードにしてあったが、着信は分かった。見るとテオからだったので、周囲を見回し、誰もいないことを確認して彼女は電話に出た。

「オーラ、静かに願います。」

 小声で話せ、と要求した。テオは状況を想像してくれた。

ーーマレシュ・ケツァルが情報を持っていた。石は瀉血療法を行う道具みたいだ。

 彼の早口の伝言に、彼女は耳を疑った。

「瀉血療法ですか?」
ーースィ。悪い血を石に吸わせて病気を治す、と。彼女はサンキフエラと石を表現した。

 少佐は副司令官室のドアの向こうの気配を感じた。誰かが出てくる。彼女はテオに言った。

「グラシャス、参考になります。」

 そして電話を切った。
 ドアが開いた。中佐の秘書の隊員が彼女の名を呼んだ。少佐は返答して立ち上がった。秘書は彼女を室内に入れず、代わりに命じた。

「地下神殿へ行って下さい。アスマ神官が面会されます。」

 少佐は一瞬息を止めた。神官直々に面会するとは、滅多にないことだ。神官はママコナの代理人だ。その言葉は国政にも影響を及ぼす。
 少佐は敬礼で応え、体の向きを変えた。ちょっとドキドキした。


2024/06/24

第11部  石の名は     21

 「良い石ですか?」

 テオは驚いて、ケサダ教授を振り返った。教授も肩をすくめて見せた。テオは再び質問した。

「人の血を吸う石が、どうして良い石なのですか?」

 するとマレシュ・ケツァルはブツブツと彼女の言語で呟いた。息子が通訳した。

「母は言いました、『膝が痛いので、サンキフエラに悪い血を吸わせたい』と。」

 マレシュは皺だらけの手で、車椅子の上の己の膝をポンポンと叩いて見せた。テオはそれを見て、考えた。

「それは、もしかして、瀉血療法なのかな?」

 瀉血は、澱んだ悪い血液が病気の原因と考えられた時代の治療法だ。患者の体に傷をつけて血液を体外に出す。昔は西洋でも本気で治ると信じられ、19世紀ごろ迄行われていた。しかし、これは科学的根拠がなく、現代医学では否定されている。ジョージ・ワシントンは過度の瀉血で死期を早めたとさえ言われているのだ。

「瀉血療法で血を抜くと言う考え方があったことは、わかりました。しかし、何故石にそんな力があるのでしょう?」

 教授が再び通訳したが、もうマレシュ・ケツァルは喋る気力を失ったのか、ぼんやりとした目になっていた。教授が苦笑して、テオに言い訳した。

「母は、答えるのが面倒になると、いつも内に心を引っ込めてしまうのです。」
「了承しました。」

とテオも苦笑した。きっとマレシュ・ケツァルは実際にサンキフエラと呼ばれる石を見たことがないのだ。そして効能だけを噂で知っていた。だから、石が血を吸う仕組みも理由もわからない。わからないことは答えない。
 テオは教授に感謝の身振りをして見せた。

「グラシャス、教授、少しわかった気がします。 ”名を秘めた女性”もあの石を邪悪な物として認識していないのでしょう。だが使い方を間違えると害になる。だから、貴方のお嬢さんやムリリョ博士に回収するよう声を掛けたのだと思います。」

 教授は頷いた。

「貴方は石を掴んだ時、少し気持ちが良くなった、と感じられた。多分、石は貴方の疲れを取る程度に働いたのでしょう。カサンドラの会社の技師は、もう少し体調の良くない箇所があった。だから石は大いに働き、気持ち良さに技師は石を手放せなくなった。そして石は無制限に彼の血を吸い続けた・・・」
「そうに違いありません。俺はこれからケツァル少佐に連絡を取ってみます。」

 テオは車椅子の女性にも声をかけた。

「グラシャス、マルシオ・ケサダさん。」

 彼女が微笑んだ。

2024/06/23

第11部  石の名は     20

 ケサダ教授は母親の目を見た。 ”心話”だ。 彼は直接件の石を見た訳ではない。同じ”ヴェルデ・シエロ”のケツァル少佐やロホから目撃した情報を”心話”で伝えられたのでもない。彼が知っているのは、”ティエラ”のテオが体験を口で語ったことだけだ。テオがロホから聞いた情報を又聞きしただけだ。耳から得た情報を母親に伝えたのだ。
 マルシオ・ケサダ或いはマレシュ・ケツァルの名を持つ高齢の”ヴェルデ・シエロ”の女性はニコニコしながらテオを見た。そしてテオが理解し得ない言語で何やら言った。ケサダ教授が通訳した。

「母は言いました。『その石を欲しいわ』と。」

 テオは彼を見て、そして車椅子の上の女性に向き直った。

「あの石は何なのでしょうか?」

 ケサダ教授が古いイェンテ・グラダの方言で質問をした。マレシュ・ケツァルは答えた。

「サンキフエラ。」

 数秒間沈黙があった。テオはそれがスペイン語だと気が付くのに数秒要したのだ。ケサダ教授が確認するかの様に復唱して母親の顔を見た。

「サンキフエラ?」
「スィ。」

 頷く母親の目を覗き込んだ教授はちょっと顔を顰めて視線を逸らせた。どうやら単語そのものの嫌なイメージを母親に見せられたようだ。そしてテオに言った。

「お聞きになった通りの意味らしいです。」
「え・・・? すると、あの石は蛭(サンキフエラ)?」

 教授が頷いた。

「蛭の石だそうです。」
「それじゃ、やはりあの石は人の血を吸うのですか?」
「その様です。」
「じゃ、何かの呪いのために・・・?」
「ノ!」

とマレシュが首を振った。

「あれは、良い石です。」


2024/06/22

第11部  石の名は     19

  ケサダ教授とテオはそれぞれの車に乗り込んだ。教授はその日の残りのスケジュールが残っているのか、残っていないのか不明だったが、もう大学に戻る気はないらしかった。グラダ大学は国立大学で、教授もテオも一職員に過ぎないのだが、考古学者達は結構我が物顔に振る舞っている感があり、それはどうやら彼等が”ヴェルデ・シエロ”であり、またその弟子達だからだろう。テオは素直に車を運転してケサダ教授の後ろを付いて行った。
 いつかロホに連れて行ってもらった階段住宅が集まっている斜面地域に入った。グラダ・シティの市街地ではあるが、街路樹や樹木を植えた庭が多くて公園の中に家が建っている様に見える。そこにマスケゴ族が好んで住み着き、彼等の階段式住宅を真似た”ティエラ”の富裕層の家も多く見られる。一番立派な階段式住宅が、セルバ共和国最大手の建設会社ロカ・エテルナ社のオーナー社長アブラーン・シメネス・デ・ムリリョとその家族の自宅で、父親のファルゴ・デ・ムリリョ博士も同居している。アブラーンの末の妹コディアとその夫のフィデル・ケサダ教授は子供達と共にその邸宅の近所に小降りながらも綺麗な階段式住宅を建てて住んでいた。教授が門の前の駐車スペースに車を停めた。コディアの車の横の来客用と思われるスペースにテオも車を停めた。
 車を降りると、教授はテオに手招きして、垣根の隙間の通用口と思しき小さな門から敷地内に入った。正面玄関から入らないのは、正式な来客ではないから、と言う訳ではなく、子供達に見つかるとテオが懐かれて迷惑するだろうと言う、微笑ましい理由だった。テオは教授の娘達に人気があった。

「子供達は上階の部屋にいます。」

と教授が囁いた。

「見つかると煩いので、手早く用件を済ませましょう。」

 芝生の庭の向こう端、涼しい木陰に車椅子を置いて、高齢の女性が午後の風を楽しんでいた。眠っている様に見えたが、2人の男が近づくと、彼女は顔を上げて、黒い目で彼等を見た。息子を認めると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「お帰り、フィデル。」

 そしてテオを見た。

「テオドール・アルスト、お茶でもいかが?」

 教授が年老いた母親に優しく声を掛けた。

「お茶は後で頂きます、お母さん。その前に教えて頂きたいことがあります。」


第11部  石の名は     18

 「もし宜しければ・・・」

とケサダ教授が言った。

「これから、マレシュ・ケツァルにお会いになりませんか?」

え? とテオは耳を疑った。マレシュ・ケツァルは現在マルシオ・ケサダと名乗っている”ヴェルデ・シエロ”の女性で、グラダ族の血を濃く引くブーカ族とのミックスだ。一族の裁定で滅ぼされたイェンテ・グラダと呼ばれた村の最後の生き残りだ。そして、フィデル・ケサダ教授の実の母親だ。彼女の存在はムリリョ博士の判断で一族には秘密にされている。少なくとも、20年近く前迄は存在が確認されたが現在は行方不明、生死不明とされている。しかし彼女は健在だ。息子の家で息子の家族と一緒にひっそりと暮らしているのだ。半分夢の中に生きて、車椅子に座った状態で1日過ごしている。彼女と面会したケツァル少佐によると、彼女が話す言語は古いイェンテ・グラダ村の方言で、若い世代には理解が難しいとのことだった。恐らく彼女と会話が成立するのは、ケサダ一家と、遠い昔マレシュが子守りをしたカタリナ・ステファンだけだろう。テオは一回だけ偶然彼女と出会ったことがあった。グラダ大学医学部病院の庭だ。車椅子に座った彼女が、自分の方からテオに声を掛けて来た。息子の心を読んで息子の周辺にいる人々を記憶していたのだ。テオは彼女と会話をすることが出来なかったが、好印象を抱いてもらった様子だった。

「俺が彼女に会っても良いのですか?」

 テオは慎重に「貴方の母」と言う表現を避けた。世間一般には、ケサダ教授の母親はムリリョ博士の亡くなった妻と言うことになっている。
 教授は頷いて、駐車場を指差した。

「あまり時間は取らせません。恐らくこの時間、彼女は庭にいます。」

 殆ど有無も言わさぬ勢いでケサダ教授はテオを駐車場へ引っ張って行った。歩きながら携帯電話を出してどこかに掛けたが、どうやら相手は妻のコディア・シメネスらしかった。母親が庭にいることを確認したのだ。彼が電話を切ると、テオは歩きながら尋ねた。

「貴方は彼女が、件の石について知っているとお考えですか?」
「知っていると言うより、何に使われた物か見当がつくだろうと思うのです。」

 イェンテ・グラダ村は閉塞的な場所だった。位置的にはオルガ・グランデやラス・ラグナス遺跡から遠いのだが、古代の風習や言い伝えが残っていた可能性はあった。

2024/06/21

第11部  石の名は     17

  テオとケサダ教授は木陰のベンチに腰を下ろした。まだ日は高く、大学は賑やかだった。テオは授業を終えてその日の仕事を終了していた。ケサダ教授はまだ予定があるのかないのか不明だった。
 テオは大統領警護隊文化保護担当部に頼まれて鉱物分析に掛けたことを語った。何の変哲もない水晶だったのだ。そしてその時点で石は綺麗な透明だった。それを己の掌に載せた時の感触、色の変化、そしてケツァル少佐とロホがディエゴ・トーレスを救助した時に目撃した真紅の石の話も語った。
 聴き終わると、ケサダ教授は膝の上に両肘を置き、暫く両手で顎を支えて考え込んでいた。彼はオルガ・グランデの生まれだ。しかし10歳になるかならぬかでムリリョ博士に引き取られ、グラダ・シティで育った。恐らく故郷の伝説や風習は学生になってから学んだ筈だ。

「奇妙ですね・・・」

と教授が囁いた。テオが「え?」と振り返ると、彼もテオを見た。

「その石が本当に呪われた物であったなら、万民に災いを与える物であったなら、”名を秘めた女”は、私の娘やムリリョ博士にではなく、ケツァルかエステベス大佐に危険を伝えた筈です。」

 そう言えば・・・とテオも思い当たった。以前、死者の悪霊が憑依した少年が己の家族を惨殺した事件があった。大統領警護隊遊撃班のカルロ・ステファン大尉がその悪霊を木像に憑依させ、処分を上官に頼もうとグラダ・シティに持ちこもうとしたのだ。しかし、ママコナはそれを嫌った。ケツァル少佐に心の声を送り、汚れを首都に持ち込ませるな、と訴えたのだ。
 もし、今回の石も呪われた物なら、ママコナは未熟な少女や彼女の言葉を聞けないマスケゴ族の大人達にテレパシーを送ったりせずに、大統領警護隊に指図を出しただろう。
 テオは教授に尋ねた。

「もしかすると、俺達は、その石に対して、大きな勘違いをしているのかも知れませんね?」

 教授が頷いた。

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...