2021/06/25

風の刃 20

  シオドアはそれから1週間大学で真面目に講師業に勤しんだ。オクタカスで採取した人間のサンプルは高温と多湿で駄目になっていたが、植物標本は無事だったのでそれを使って学生達に都市部で見られる同種の物とのDNA比較をやらせた。考古学関係の人々からの接触はなかった。オクタカス遺跡の発掘を行なっていたフランス隊はグラダ大学に出土品を預け、フランスへ一時帰国してしまった。負傷者を出したので、本国の大学やスポンサーに説明しなければならないのだろう。
 リオッタ教授からも連絡がなかった。一度セルバ国立民族博物館の近くで彼を見かけたが、声をかける前に教授は博物館に入ってしまった。
 講義がひと段落ついた日、シオドアは文化・教育省を訪問した。シュライプマイヤーがついて来たが、入り口の女性兵士は拳銃を持っているボディガードの入庁を拒否した。

「1階のカフェで待っていてくれ。役所の中に暴漢がいるとは思えないから。」

 シオドアはボディガードを宥めて、雑居ビルのお役所に入った。提出日が過ぎていたが、首都から出た外出届けを出すと受理された。いかにもセルバ的ルーズさだ、と思ったが黙っていた。必要な用事が5分で終了したので、彼は4階の文化保護担当部へ上がってみた。
 ケツァル少佐の姿は見えなかった。アスルが1人で机に向かい、パソコンのキーを叩いていた。シオドアは大学の職員証を近くの職員に提示し、カウンターの中に入った。深いグリーンのTシャツにジーンズ姿のアスルはシオドアの教え子達と変わらない若さだった。軍服を着ると大人びて見えるのにな、と思った。視線を感じて、アスルが顔を上げた。シオドアは挨拶した。

「コモ エスタ?」

 アスルは返事をしてくれたことがなかった。しかし、この日は違った。

「ビエン。」

と短く答えて、再び仕事に戻った。シオドアは A・マルティネスのプレートが載った机の椅子に座った。ロホの席だ。机の上は書類が山積みだった。首を回して横を見ると、C・ステファンの机も発掘作業が必要な程書類に埋もれていた。こ綺麗に整頓されたM・デネロスの机は小さな花を生けた花瓶が載っていた。デネロスは女性だな、と気がついた。ロホが言っていた大学生の少尉はこの机の主のことに違いない。
 少佐の机も書類が積まれていたが、空きスペースに湯気が立つコーヒーカップが載っていた。少佐はいるのだ。シオドアは思い切ってアスルに声をかけた。

「少佐はすぐ戻るのかな?」

 アスルは答えずに、キーボードを叩きながら首を傾げた。忙しいのか口を利きたくないのか、どっちだろう。その時、奥のエステベス大佐とプレートが掲げられているドアが開いた。書類バサミを抱えたケツァル少佐が出て来た。ドアを淑女らしからず足で閉めると、自分の机の前に腰を下ろし、書類を机の上に投げ出した。フーッと息を吐いて、カップを手に取った。そしてシオドアと目が合った。彼が先に声をかけた。

「コモ エスタ?」
「ビエン。」

 少佐はコーヒーを口に入れた。何用かと訊かない。そのまま書類に目を落とした。シオドアは無視されることに慣れていない。立ち上がって彼女の前に行った。

「挨拶が遅れたけど、面白い旅をプレゼントしてくれて有り難う。遺跡の発掘に立ち会ったのは初めての経験だったし、”サラの審判”もマジ迫力ある体験だった。」

 先に反応したのは、少佐ではなくアスルの方だった。キーボードから顔を上げてシオドアを見た。少し遅れて少佐が呟いた。

「間違っています。”風の刃の審判”です。」
「え? 何?」

 少佐がそれ以上言わないので、アスルが解説した。

「サラは裁判を行う場所だ。貴方が言ったものは、場所ではなく、起きたことだろう?」
「スィ。爆風みたいな現象に出くわした。」
「天井から落とした岩の欠片がどっちへ跳ぶかで、有罪無罪を決めたのだ。昔の人はそれを風が判定すると考えた。だから、”風の刃の審判”と言う。」

 ああ、そうなのか、とシオドアは素直に納得した。アスルにグラシャスと言うと、若い少尉は無言でまた仕事に戻った。
 シオドアは主人がいない机を見た。

「ロホとステファンの2人の中尉はまだ戻らないのかい?」
「後片付けがありますから。」

 やっと少佐が彼を見てくれた。

「何の御用です?」

 シオドアは躊躇った。プライベートな要求を相談に来たのだ。文化保護担当部の横には、文化・教育省の職員達が大勢いて仕事をしている。

「個人的な相談をしたい。力になってくれないか? 図々しいとは思う。だけど、君しかこの国で頼りになってくれそうな人はいないんだ。」
「をい・・・」

 とアスルが手を止めて声をかけて来た。シオドアの図々しさに明らかに気分を害したのだ。椅子から腰を浮かしかけたのは、シオドアをカウンターの外に叩き出そうと思ったからに違いない。しかし、ケツァル少佐が暢んびりと言ったので、腰を下ろした。

「個人的なお話はオフの時間にお聞きします。今夜は空いていますか?」

 またデートだ! シオドアは相談内容は別として、このお誘いに心が弾んだ。

「空いている。何時に何処で?」
「1800にこの下で。」

 彼女は部下に顔を向けた。

「アスル、貴方も空いていますか?」
「スィ。」
「では、私のアパートで一緒に食べましょう。」

 デートだと思っただろ? そうは問屋が卸さないぞ、と言いたげなアスルの目に、シオドアは内心チェっと舌打ちしていた。



2021/06/24

風の刃 19

 火曜日、シオドアはボディガードのシュライプマイヤーとリオッタ教授と共にオクタカスを出発し、来た道を逆に辿ってグラダ・シティに帰った。到着した時は夕方で、大学は既に閉まっていた。彼は教授と別れ、ボディガードを連れてアパートに帰った。もう1人のボディガードは1人でお気楽な週末を過ごしたらしい。シオドアは散らかった室内を見回し、家政婦が来るのは何曜日だったかな?と考えた。結局リビングと己の寝室だけは片付けることにした。
 前日から片付けばかりしているな、と思いつつ、 彼は床に掃除機をかけた。シュライプマイヤーは早めに休ませ、夕食は冷凍食品を温めて済ませた。シャワーを浴びて、寝室に入ると、ベッドに寝転び、直ぐに眠りに落ちた。
 翌朝、シオドアは朝食を取ると直ぐに大学へ出かけた。研究室の遺伝子分析装置の中に入れておいた紙ナプキンの破片を取り出し、分析結果を見た。画面は真っ白だった。装置が壊れたのかと慌てた。スイッチを入れ直してみたり、己の髪の毛を置いてみたりした。装置は正常に動いた。ケツァル少佐が使った紙ナプキンの分析だけが失敗していたのだ。
 それならば、と彼はオクタカスで採取した物を出した。作業員達のタバコの吸い殻や、鼻をかんだ紙屑やらだ。平均的なセルバ人のDNAがわかるだろうと期待したが、これも分析出来なかった。気温と湿度でDNAが破壊されていた。冷蔵庫を使えなかったのが敗因だ。
 セルバ共和国は意地悪だ。
 彼はそう感じて、自嘲した。俺はこの国に何をしに来たのだ? 鉱山労働者のDNAを採取すると言う目的は、母国から出る口実に過ぎない。俺はこの国に住むための手段を探しに来ているのじゃないのか?
 シオドアは電話を出した。迷ってから、エル・ティティ警察署にかけた。聞き覚えのある声が聞こえた。若い巡査だ。シオドアが退院して署長の家に引き取られた時、毎日やって来て、リハビリの散歩に付き合ってくれた。

「ヤァ、ホアン!」

 名前を呼ぶと、向こうは、何方? と尋ねた。

「テオドール・アルストと言います。以前は、ミカエル・アンゲルスと呼ばれていました。」

 全部言う前に、ホアンが叫んだ。

ーーミカエル?! 君か? 元気だったか?
「スィ、元気です。君も元気そうですね。」
ーー署の連中は皆んな元気さ。会計士も元気だよ。
「署長は・・・」
ーー代わるから、待って!

 シオドアは胸がドキドキして倒れそうな気分になった。この国に住む権利を獲得してから電話しようと思っていたが、もう我慢の限界だった。
 電話の向こうから太い声が聞こえてきた。

ーーゴンザレスだ。
「親父さん・・・」

 精一杯勇気を振り絞って声を出した。ゴンザレスが一瞬息を呑んだ気配がした。

ーーミカエル?
「スィ、本当の名前はテオドール・アルストって言います。」
ーーテオドール・アルスト・・・
「テオでいいです。子供の時からそう呼ばれていたみたいだから・・・。」
ーー家族が見つかったのか・・・
「家族なんていませんでした。」

 ゴンザレスが沈黙した。シオドアは本当のことはまだ言えないと気がついた。己は今厄介な立場にいる。エル・ティティの人々を巻き込んではいけない。

「今は詳しいことを言えません。だけど、必ずエル・ティティに帰ります。」
ーー今、何処にいるんだ?
「グラダ・シティです。国籍はUSAです。1年間の契約で、グラダ大学で働いていますが、北米での問題を片付けたら、必ずセルバ共和国に戻って来ます。だから、もう少し待っていて下さい。恩返しさせて下さい。」

 ゴンザレスが深い息を吐き出す音が聞こえた。

ーー俺はお前が元気でいてくれたら良いんだ。
「北米に俺を待っている人なんていなかったんです。俺はエル・ティティが故郷だと思っています。」
ーーテオって言うんだな?
「スィ。テオです。」
ーー待っている。いつでも気軽に帰って来い、テオ。

 通話が切れた。シオドアは携帯電話を抱きしめた。どうすれば、研究所と縁が切れる? どうすればこの国の市民権を取れる? 

風の刃 18

  どんな裁判の仕組みなのか、と興味を抱くリオッタ教授をウザイと感じたのだろう、一緒に乗っていた兵士の1人が説明した。

「洞窟の奥に丸い部屋があって、そこに罪人を立たせる。天井から石を落として、罪人が無事なら無罪、死んだり怪我をしたら有罪。簡単な裁判だ。」
「そんな裁判の方法があるのか? 初耳だ。」

 興奮しかけるリオッタ教授に、兵士が面倒臭そうに言った。

「言い伝えだ。そんなやり方で実際に裁判をした話を聞いたことがない。」
「だが、遺跡があったんだな?」
「裁きの部屋、サラが崩れた状態の遺跡ならいっぱいある。」
「オクタカスは完璧な状態で残っていた稀有な場所だった訳だ!」

 教授がトラックの荷台から名残惜しそうに遠ざかる遺跡を眺めた。
 ベースキャンプに到着すると、先に戻った作業員達が昼からの仕事に出かけようとしていた。昼食を済ませたステファン中尉とロホも再び出ようとしていた。シュライプマイヤーが先手を打って、シオドアより先に2人に声をかけた。

「ハースト博士は午後は出かけずにキャンプに残る。」

 シオドアが文句を言う前に、ロホが片手を挙げて了承を伝えた。ステファン中尉はシオドアを警護するのも仕事だ。彼はボディガードをジロリと見て命令口調で言った。

「ドクトルが勝手に出かけないよう、しっかり見張っててくれ。」
「わかっている。」

 シュライプマイヤーは怒鳴った。シオドアは彼が口の中で「若造めが」と呟くのを聞いた。
 集合棟で食事をしている間、リオッタ教授はタブレットに何かをせっせと書き込んでいた。きっとサラの言い伝えを記録しているのだ。食事を終えると、作業員達のテーブルに行って、遺跡の情報を聞き込み出した。
 シュライプマイヤーが「考古学馬鹿だ」と評した。専門家だから仕方がないさ、とシオドアは軽く受け流した。夕方迄することがなかったので、出土品の荷造りを手伝った。そのうちに撤収作業が終わったらしく、フランス人達が戻って来だした。シオドアはリオッタ教授が彼等にサラの情報を分けるのかと思ったが、意外にもイタリア人はフランス隊には話しかけなかった。自分の発見にしたいのだ、とシオドアは気がついた。現地採用の作業員達から話を聞いて回ったリオッタ教授は、最終のグループが戻って来てベースキャンプがごった返している頃に、やっとシオドア達の元へ戻って来た。

「ちょっと耳寄りな話を聞きました。」

 貴方だから言います、と彼はシオドアに英語で囁いた。

「村から働きに来ている男達の中で年寄りが1人いるんですが、彼はボラーチョ村へ幼い頃に行ったことがあるそうです。」
「実際にあったんですね、その村は。」
「イエス。普通の農村だったそうですが、人付き合いの悪い村だったと。でもその村から何人かは出稼ぎに出ていたそうで、今でも子孫が国内の何処かにいるんじゃないかって。」
「雲を掴むような話です。」
「その出稼ぎに出た人に、話を聞けたら良いんですがね。」


風の刃 17

  岩山から下りると、ステファン中尉が警護隊の小隊長を呼んだ。小隊長はメスティーソだが、先住民の血が優っている顔付きだった。中尉に「古代のサラを知っているな?」と訊かれ、スィと答えた。中尉が岩山を指した。

「あの山の下がサラになっている。」

 小隊長が岩山を見た。そして洞窟の方を覗き込む様に首を伸ばした。

「昨日の事故は、サラでの”審判”でしたか。」

 セルバ人には古代の裁判の話は珍しくないようだ。小隊長に驚いた気配はなかった。視線を中尉とロホに向けた。

「すると、天井が崩落したのでありますね?」
「スィ。古いし、木の根が張っているから岩が脆くなっている。雨季が来たら一気に崩れる恐れがある。」

 シオドアは中尉が天井の補強を小隊に命じるのかと思ったが、そうではなかった。ステファン中尉は、考古学者が近くにいないことをサッと目で確認してから、小隊長に命じた。

「調査隊がベースキャンプから出たら、直ぐに岩山の上を爆破しろ。ダイナマイトの2、3本で足りるだろう。仕掛けたら、山の反対側へ降りろ。こちら側は危険だからな。」

 小隊長が頭の中でシミュレーションを行った様だ。少し間を置いてから、彼は言った。

「内側へ崩れる様に、ダイナマイトを仕掛けます。」
「任せる。行ってよろしい。」

 小隊長は敬礼して、仲間の方へ戻って行った。
 シオドアは遺跡の入り口付近で発掘装備を片付けている調査隊や作業員を見た。

「彼等が苦労して発掘した物を、爆破するのか?」
「この遺跡を爆破するのではありません。さっき見たサラだけを壊すのです。」
「まだ調査していないだろう? あれだって、君達が守る遺跡の筈だ。」

 するとロホがステファン中尉に助け舟を出した。

「崩すのは屋根だけで、壁は残ります。発掘はこれから先数年かかるのですから、崩れた岩石を取り除いて壁を調査すれば良いのです。」
「しかし、屋根だって遺跡だろう?」
「爆破しなくても、雨季が来たら崩れます。数百年使われなかったサラの屋根は脆くなっている上に、真ん中が開いてしまったので、
雨に耐えられません。」
「崩れない可能性もあるだろう? わざわざ急いで壊さなくても・・・」

 ステファン中尉が笑った。

「天井の穴から洞窟内に雨が降り込んだら、何が起きると思います、ドクトル?」
「何が起きるって・・・」

 洞窟内の風景を思い出してみた。コウモリ、コウモリの排泄物、埃、岩石・・・ステファン中尉が吐き捨てる様に答えを言った。

「コウモリの糞の土石流です。」

 洞窟に入っていないシュライプマイヤーが、「ゲッ」と呟いた。ロホが遺跡をライフルの先端でぐるりと指した。

「折角調査隊が掘り出した遺物が、次に戻って来た時にはコウモリの糞で埋もれてしまっているってことになりかねません。」

 彼等は歩き出した。シエスタの為にベースキャンプに帰るトラックが待っていた。フランス人達は片付けの時間が惜しいのか、なかなか乗らないので、運転手が苛立っている。シオドア達もフランス人を待つことになった。ステファン中尉とロホは中尉のジープでさっさとベースキャンプへ昼食を取りに行ってしまった。ジープには中尉のキャンプ道具が積まれているので、2人しか乗れなかった。
 トラックにもたれかかって、シュライプマイヤーが珍しく世間話を仕掛けてきた。

「博士は、さっきのセルバ人達と親しいのですか?」
「親しいと言えるほどじゃない。ロホは、俺が記憶を失って2ヶ月ほどしてから知り合った。だが友達じゃない。ステファンはここへ来て初めて会った。」
「しかし、貴方は彼等の扱いをわかっている様に見えます。」
「わかっているんじゃない、わかろうとしているんだ。彼等の上官のケツァル少佐を含めて、なんだか不思議な印象を与える人々だから。」

 すると、シュライプマイヤーが呟いた。

「私は、彼等のそばにいると落ち着かないんです。」
「どんな風に?」
「私はアフガンで戦闘を体験して来ました。敵を殺したこともあります。嫌な経験ですが、味方と私自身を守るために必要なことでした。」
「うん、わかるよ。」
「戦場ではいつも緊張の連続です。だが、仲間と一緒にいる安心感もありました。しかし、あのセルバ人達は違う。」
「敵か?」

 ボディガードは言葉を探した、困った表情で顔を顰めた。

「敵に対する感覚ではないです。なんと言うか・・・彼等とは通じ合えないものがある様な・・・」
「文化の違いだろう?」
「それなら、こんな不安は感じません。博士、貴方は虎が隣にいたら安心して昼寝が出来ますか?」

 奇妙な質問だ、とシオドアが思った時、リオッタ教授がやって来た。警護の兵士も一緒だ。教授が待たせたことを詫びた。やっと昼食にありつける。彼等はトラックの荷台に乗り込んだ。
 トラックが走り出して間もなく、リオッタ教授が朝のお喋りの続きを始めた。

「消えた村の名前を思い出しました。ボラーチョ村です。」

 シオドアはシュライプマイヤーに単語の意味を教えてやった。

「”酔っ払い村”だってさ。」

 リオッタ教授が頷いた。

「なんでも、村人達は昼間っから酔っ払って寝てばかりいたそうです。で、こっちの村の住民とは農作物の取引程度の付き合いで、外の世界との接触はほとんどなかったそうです。」
「それは、村の名前が”酔っ払い”だから、住民は酔っ払っていたのかい? それとも、住民が酔っ払っていることが多かったから、他の村からそう呼ばれていたのかな?」
「そこまでは、私も聞いていませんがね。だけど、ある日、隣村の人が頼まれていた買い物を運んで行ったら、ボラーチョ村は無人になっていた。次の日に行っても、やっぱり誰もいない。それで軍に通報したそうですが、軍は取り合わなかったと言ってました。」

 リオッタ教授は消えた村に関心を抱いた様子だ。

「ボラーチョ村の人が、あのオクタカス遺跡の伝説とか何か知っていたんじゃないかなぁ。何処かに子孫がいれば、話を聞いてみたいものだ。」

 するとシュライプマイヤーが彼に話しかけた。

「洞窟が古代の裁判所だって話を聞きましたか、教授?」
「え?」

 リオッタ教授がこっちを見たので、シオドアは内心舌打ちした。大統領警護隊も警護小隊も、遺跡に関する情報を持ちながら発掘調査隊には教えていないのだ。教えたくないのだ。天井をこれから爆破するから。
 シュライプマイヤーは流石に爆破計画までは言わなかったが、洞窟に古代の裁判所が設けられていた様だ、と考古学教授に伝えた。リオッタ教授は当然ながら強い興味を示した。

「誰からその話を聞いたんです?」

 シュライプマイヤーは、きっと大統領警護隊が嫌いなのだろう。あっさり情報を流した。

「あの、虎みたいな顔の中尉からです。」

 シオドアは慌ててフォローと言うより弁解した。

「セルバ人なら普通に知っている古代の仕組みの様だよ。」





2021/06/23

風の刃 16

  洞窟を出たシオドア、ロホ、ステファン中尉は、シュライプマイヤーも加えて遺跡の背後に聳え立つ岩山へ登った。ステファン中尉がキャンプしていたメサより高く、車で上がれなかったが、ステファン中尉がまるで土地勘があるかの様に樹木の中に道筋を見つけて登って行くので、その後ろを忠実に辿った。太陽が樹木に隠れている間は暑さをあまり感じなかった。蒸し暑いが、虫は寄ってこなかったし、ヒルや蛇にも襲われなかった。尾根の上に出た時は昼になっていた。
 ロホが最後尾でシュライプマイヤーの背中を押す感じで歩いていた。静かなので、時々ボディガードは後ろを振り返り、先住民の中尉がちゃんとついて来ていることを何度か確認した。
 岩山の上は低木がまばらに生えているだけだった。ステファン中尉が脚を止め、シオドアに手で止まれと合図した。だからシオドアも後ろの2人に止まれと合図を送った。地表が平らになっている場所が目の前にあった。円形だ。そして中央に穴があった。
 ステファン中尉が用心深く足を前へ踏み出した。あの石組の天井の上だ。そっと歩いて行く彼を見て、洞窟の中に入っていないシュライプマイヤーが不思議に思ったのだろう、シオドアに中尉は何をしているのかと尋ねた。

「古代の裁判の仕組みを確認しているんだよ。」

 ステファン中尉が開口部の縁から下を覗き込んだ。セルバ人にあまり良い印象を持っていないシュライプマイヤーが英語で呟いた。

「少なくとも、彼は高所恐怖症ではない訳だ。」

 中尉が戻って来た。シオドアとロホに向かって言った。

「このサラが使われなくなって、誰かが穴を塞いだ筈だ。それが何時頃のことかわからないが、昨日、蓋の部分が落ちた。高度があるから、落ちた時の衝撃で砕けた岩が飛び散り、偶然来合わせた調査隊に被害が出た。」
「偶然の不幸か。」

とシオドアは言ったが、内心は納得出来なかった。岩が落ちただけで、あんな爆風みたいな衝撃波が生じるだろうか。爆弾でも仕掛けられていたのではないか。遺跡を神聖視する過激派が発掘に反対してテロを行ったとか。それとも反政府ゲリラが共和国の威信を貶める為に仕掛けたとか。大統領警護隊なら、それぐらいのことは想像出来るだろうに。
 ロホが崖っぷちに立って遺跡を見下ろした。何か考え込んでいた。シュライプマイヤーは早く下りたいのだろう、山の周辺を見渡した。英語で呟いた。

「こうやって見ると、本当に何もないジャングルだなぁ。イタリア人が言っていた消えた村って言うのは、何処にあったんですかね、博士?」

 ステファン中尉が、そしてロホが、初めて彼をまともに見た。

「消えた村?」

 ステファン中尉がシュライプマイヤーに近づいて来た。英語で彼は話しかけた。

「今、消えた村と言ったか?」

 シュライプマイヤーは、この時改めて2人の大統領警護隊の隊員が英語を解することを知った。聞かれてマズイことを言った訳ではない。だが、彼は不意打ちをくらった気分でちょっと狼狽えた。

「今朝、トラックの上で、イタリア人の学者が村人から聞いた話を喋ったんだ。この近くで40年か50年かそこらへんの昔の話だと・・・村人全員が消えてしまった村があったそうだ。 S Fだろう?」

 シオドアは、また2人の中尉が目と目を合わせるのを目撃した。ふと疑念が湧いた。
 こいつら、目を合わせるだけで会話出来るんじゃないか?

「S Fだな。」

とステファン中尉が言った。ロホも頷いた。

「『Xーファイル』でも見たのでしょう。」

そして大きく腕を振って撤退の合図をした。

「下へ降りましょう。昼食の時間です。」

風の刃 15

  洞窟内は前日同様臭かった。3人はスカーフで顔の下半分を覆っていた。携行ライトで照らされた床はコウモリの糞に混ざってコウモリの死骸が散乱していた。小石も飛び散っている。ステファン中尉が先頭を歩いていたが、やがて足を止めた。

「昨日はここで”あれ”に遭った。」

 シオドアはもっと奥に入った所だと思ったが、振り返ると明るい入り口が案外近くに見えた。前日は初めて入洞したし、考古学者達が先に歩いていた。彼等は壁のレリーフや壁画を探していたので、歩みが遅かったのだ。それを思い出していたら、前の日に疑問に思ったことも思い出した。

「ステファン中尉、君はここで俺の肩を掴んで止めたよね。あれはどうして?」

 ステファン中尉が彼を振り返った。

「洞窟の奥で音がしたからです。」
「音?」
「スィ。物が崩れる音です。」

 どんな?と重ねて尋ねようとしたが、中尉は直ぐに歩き出した。
 足元に落ちている石が大きくなってきた。マーベリック達考古学博士達は、この石にまともにぶつかったのだ。拳大の石に躓きそうになったシオドアは、これが頭に当たっていたらと想像し、ゾッとした。
 頭上でコウモリが騒ぎ出した。昼間だと言うのに飛び回り出したのだ。外へ出て行く群れもいた。ロホが暢んびりと言った。

「コウモリを脅かすなよ、カルロ。」

 カルロ? ああ、C・ステファンのネームプレートのCか、とシオドアはぼんやりと思った。ステファン中尉がチェっと舌打ちするのが聞こえた。彼は歩きながら、負傷した学者達がどの位置にいたか説明した。ライトを持たずに入ったのに、どうして誰がどの位置にいたのかわかるのだろう、とシオドアは不思議で堪らなかった。それに今歩いている時も、ステファン中尉もロホも足元ではなく壁や天井に光を当てていた。
 先頭のマーベリック博士が災難に遭った場所から5分ほど進んで、ステファン中尉が立ち止まった。

「サラだ。」

 シオドアは彼の横に立った。不思議な光景が目の前に遭った。かなり高い天井の真ん中から光が差し込んでいた。一条の光は少し斜めに床に当たり、そこに積もったコウモリの排泄物や死骸や石やゴミを照らしていた。シオドアはライトの光をぼんやりと明るい空間の壁に沿って移動させた。直径50メートル近い完全な円形の空間だ。壁は手掘りではなく、石が綺麗に組まれている。祭壇や棚の類は一切なく、シオドア達が立っている洞窟だけが通路になっている。シオドアは天井を見上げた。高さが30メートルもある。だが天井は天然の岩の様だ。岩を組み合わせている。その中央に、これもほぼ正円の小さな開口部があり、そこから光が差し込んでいるのだ。穴の真下の床に窪みが開いて、その周囲は岩石とコウモリの死骸と土砂と樹木が積み重なって円形の山になっていた。土や植物の状態を見ると、ごく最近落ちたと思われた。

「この部分の天井が落ちて、その衝撃波が昨日の爆風ってことか?」

 シオドアが咄嗟に頭に浮かんだことを口に出すと、ステファン中尉が振り向き彼を見て、それからロホを見た。目と目を合わせる。数秒後、ロホが答えた。

「恐らく、そう言うことでしょう。」

 なんだ、さっきの間は? ロホが空間の中央に開いたクレーター状の窪みのそばへ歩いて行った。静かに歩いたが、埃が舞い上がった。恐らく何十年、何百年とコウモリの棲家となり、排泄物が堆積しているのだ。シオドアが後に続こうとすると、ステファン中尉に留められた。

「埃を吸い込むと、後で碌なことになりません。目にも入ります。」
「わかった。忠告有り難う。ところで、ここはどんな用途があった場所だろう? さっき君は”サラ”と言ったけど?」
「英語で言えば、法廷です。」
「古代の裁判所?」

 ロホがクレーターの周囲をゆっくりと回り始めるのを見ながら、ステファン中尉が解説してくれた。

「罪に問われた人間を、あの天井の開口部の下に立たせます。正確には真下ではなく、今ロホが歩いている様に少し外側になります。開口部の外に神官がいて、穴から物を落とし、下に立たせた人間が無事ならば無罪、怪我をしたり死んだりすれば有罪としたのです。」
「無茶苦茶だなぁ。」

 シオドアは現代人の感覚でそう評した。

「これは、”ヴェルデ・シエロ”の審判なのかい?」

 何気なく、そう言った。セルバ共和国 →  古代人 →  ”翼ある頭”  →  ”空の緑” と言う図式が彼の頭の中に出来上がっていた。ところが、大統領警護隊の2人の中尉が意外な反応をした。ロホが振り向き、シオドアを見てステファン中尉を見た。直ぐに彼等は口々にシオドアの言葉を否定しにかかったのだ。

「違います、ここは”ヴェルデ・ティエラ”の遺跡です。」
「オクタカスは遺跡としては新しいのです。」
「”ヴェルデ・シエロ”は太古に絶滅しました。」
「この遺跡は”ヴェルデ・シエロ”とは無関係です。」
「太古の人々がこんな方法で裁判をする筈がありません。」
「地下を血で汚すなど、もってのほかです!」

 シオドアは2人を見比べた。高い天井から差し込む僅かな光の中で、2人の中尉の目がキラキラと輝いていた。ロホの目は金色に、ステファン中尉の目は緑色に。
 シオドアは両手を上げて、降参、と言った。

「わかった、俺は考古学には全く無知だと認める。北米の俺が育った場所の近くに、中南米の遺跡から出土した物を集めている小さな博物館があるんだ。そこのセルバ共和国のコーナーにある説明板の内容しか、俺には知識がないんだ。」
「その説明に、”ヴェルデ・シエロ”の記述があるのですか?」

とロホが用心深く尋ねた。スィ、とシオドアは答えた。

「現代のセルバ人は”ヴェルデ・ティエラ”族とその血を引く人々で、今も”ヴェルデ・シエロ”と呼ばれる古代の神様を信仰していると書かれていた。その神様は頭に翼がある姿や、半人半獣の姿で壁画や彫刻に残されているって。」

 ステファン中尉が肩をすくめた。ロホが穏やかな口調で言った。

「我が国はカトリックです。古代からの土着信仰が生活の中に残っていることは否定しませんが、発掘調査が行われる遺跡のほぼ99パーセントは現代のセルバ人の祖先のものです。”ヴェルデ・シエロ”の遺跡が出たら、セルバ中の考古学者が殺到しますよ。」

 発掘調査が行われていない遺跡はどうなんだい? とシオドアは心の中で尋ねたが、声には出さなかった。


風の刃 14

 オクタカス遺跡へ向かうトラックは5台、シオドアは先頭車両の荷台にリオッタ教授、シュライプマイヤーと陸軍兵士2名と共に乗った。教授は調査隊撤収の手伝いに行くのだ。兵士の1人はシオドアと顔馴染みになった男だが、この日は大人しかった。ロホが同じトラックの助手席にいて、周辺の景色を眺めていた。

「昨日、 救護の手伝いに来た村の人から、面白い話を聞きましたよ。」

といきなりリオッタ教授が喋り始めた。

「ベースキャンプと遺跡を挟んだ反対側のジャングルの中に、昔小さな村があったそうです。村の名前は・・・ええっと教えてくれたんですが、思い出せないな。兎に角、その村がね、今から50年近く前に、ある日忽然と消えてしまったそうです。」

 シオドアはそんな話を子供の時に聞いた様な気がした。兵士達が興味深そうに見たので、教授は気を良くした。

「47人、年寄りも子供も含めていつの間にかいなくなってしまって・・・」
「どこかに引っ越したんだろ?」

とシュライプマイヤー。教授は手を振って否定した。

「食事の支度や家事を途中で放り出して引っ越しですか? 有り得ない!」
「オエル・ベルディだ!」

 不意にシオドアと顔見知りの兵士が声を上げた。

「昔、ブラジルであった事件でしょ?」

 シオドアも頷いた。

「うん、俺も子供の時に本で読んだ。村人が大勢消えてしまったんだ。」
「S Fですか?」

とシュライプマイヤー。リオッタ教授は首を振った。

「そうじゃない、この遺跡の向こうに実際にあった村だ。」

 そして彼が村の名前を思い出した時、遺跡の入り口に到着した。シオドアは教授が「ボラーチョ」と呟くのを聞いたが、気に留めずにトラックから降りた。
 遺跡の入り口にステファン中尉がジープを駐めて待っていた。メサのキャンプを撤収したらしく、ジープの後部席は荷物でいっぱいだった。発掘調査が中止になったので、彼も帰るのだろう。トラックの助手席から出たロホが彼に近づいて行った。シオドアは2人の大統領警護隊文化保護担当部の中尉が互いに敬礼を交わし合い、それから皆んなに背中を向けるのを見ていた。何か話し合っていたが、そのうちロホが片腕をステファン中尉の背中に回し、自分の体に引き寄せた。内緒話をしているのか、それとも事故に遭って任務遂行が上手く果たせなかった同僚を励ましているのか。

「あの2人は仲が良いのですね。」

とシオドアはそばに来たリオッタ教授に話しかけた。教授が笑った。

「文化保護担当部の将校達は家族みたいに仲良しです。結束が固い。だから1人を怒らせると、全員を敵にする覚悟でいなければいけません。まぁ、一番とっつきやすいのが、マルティネス中尉ですがね。」

 ロホとステファンの両中尉が離れ、今度は並んで調査隊のメンバーの所にやって来た。ロホがマーベリック博士の代理リーダーとなったフランス人学者に言った。

「撤収の作業を始めてもらって結構です。出来れば今日の夕方迄にここを封鎖したい。ステファンと私は事故が起きた洞窟を調べます。ライトを貸してもらえますか。」

 本当はライトなんて必要ないんじゃないか、とシオドアは内心思った。ロホは暗がりで本を読めるし、ステファン中尉も前日はライトなしで洞窟内を歩いていた。
 こいつら、どこか変だ。ケツァル少佐も2人の中尉もアスルも・・・。
 考古学者達が遺跡に入り出したので、シオドアはロホに声をかけた。

「俺は君達と一緒に洞窟に入りたい。出土品の整理なんて、何をして良いかわからないし、昨日何が起きたのか確かめてみたいんだ。」

 ロホがステファンを振り返った。2人が目と目を見合わせた。数秒後にロホはシオドアに向き直り、O Kと言った。

「ライトをもう一つ借りましょう。そちらの人は・・・」

 シュライプマイヤーを見たので、シオドアはボディガードが何か言う前に素早く予防線を張った。

「ケビンは洞窟の入り口で待機だ。また何か起きたら、すぐに小隊長に知らせてくれ。」




第11部  紅い水晶     24

  ケツァル少佐は近づいて来た高齢の考古学者に敬礼した。ムリリョ博士は小さく頷いて彼女の目を見た。少佐はトーレス邸であった出来事を伝えた。博士が小さな声で呟いた。 「石か・・・」 「石の正体をご存知ですか?」  少佐が期待を込めて尋ねると、博士は首を振った。 「ノ。我々の先祖の物...