2021/07/04

異郷の空 1

  大使館では、シオドアがケツァル少佐の部屋を訪ねてから行方不明になり、出頭する迄の約2ヶ月間の行動をしつこく聞かれた。特にケツァル少佐のアパートから姿を消した時の経緯を大使館は知りたがった。彼がアパートの建物から出たところを誰も目撃しておらず、防犯カメラにも写っていなかったからだ。しかしシオドア自身、どんな方法で少佐の部屋から出たのか知らなかったし、時空の狭間に飛ばされていたなどと誰も信じないと分かっていたので、記憶にないとひたすら突っぱねた。
 本国からホープ将軍の部下であるキャサリン・ロバートソン少佐がやって来た。彼女は昔のシオドアを知っている口ぶりだったが、彼は彼女のことを全く思い出せなかった。彼女はブロンドだったが眉が濃いブラウンだったので、髪を染めているのかと余計なことを言って機嫌を損ねた。同じ女性の少佐でもケツァル少佐より10歳以上は上で、体格も大きい。シオドアに白人に対して蔑視するつもりはなかったが、ロバートソン少佐に少しも魅力を感じなかった。

「ケビン・シュライプマイヤーは覚えているわよね?」

ときつい口調で彼女が質問した。シオドアは覚えていると答えた。海兵隊出身のボディガードに恨みはなかったが、散々迷惑をかけてしまったと言う自覚はあった。

「ケビンは今、メンタル・カウンセリングを受けているわ。」
「俺のせいで?」

 ちょっと驚いた。そんなダメージを与えることをしただろうか。ロバートソン少佐はファイルをめくりながら言った。

「貴方が大統領警護隊の女性のアパートから消えた件。ケビンは貴方が建物に入るのを確かに見たと主張している。正面入り口の防犯カメラにも入って行く貴方は映っていました。でも出て行く姿はどこにも映っていない。」
「他に目撃者は?」
「ケビンの相棒のジョン・クルーニー。彼も知っているわね?」
「うん。だけど・・・俺はその日の記憶がないんだ。」

 シオドアは考えるふりをした。

「ケツァル少佐に会って、彼女の車に乗ったのは覚えている。降りたのも覚えている。だけどアパートに入ったかどうか、記憶がない。防犯カメラに出て行く姿が映っていなかったのは、俺だけかい? それともケツァル少佐も映っていなかったのかな?」
「ケツァル少佐は映っていました。部下の男性は映っていなかったわ。でも彼が少佐のアパートを出たと証言した時刻、防犯カメラは故障していたの。」
「それじゃ、俺はアパートに入らなかった。」
「ケビンとジョンが嘘をついていると?」
「俺は記憶がないから、肯定も否定も出来ない。」

 ロバートソン少佐はページをめくった。

「アリアナ・オズボーン博士がグラダ・シティに来た日の出来事。」
「アリアナがここへ来た?」

 シオドアは初耳だと言うふりをした。ケツァル少佐にアリアナが来ていることを教えられた時、少佐がアリアナに渡したサンプル”7438・F・24・セルバ”の資料を処分してくれと頼んだのは彼自身だった。

「いつ?」
「貴方が消えてから4日後。」

 ロバートソン少佐は彼をじっと見つめた。

「この時も、ケビンとジョンは不思議な証言をしているわ。」
「不思議な証言?」
「オズボーン博士はケツァル少佐を役所に訪ねた。その時に貴方の資料をケツァル少佐から渡されたと言っている。」
「どうして俺の資料をケツァル少佐が持っていたんだろう?」

 シオドアはわざととぼけて見せた。ロバートソン少佐はそれに答えずにファイルを読み続けた。

「オズボーン博士はそれをホテルに持ち帰った。その際、ケツァル少佐の命令でデネロスと言う若い女性が彼女の護衛と言う名目でホテルの部屋迄同行した。」
「デネロス?」
 
 シオドアはまたとぼけた。マハルダ・デネロス少尉とは一回しか会っていない。知らないふりをするのは簡単だった。

「その夜に、デネロスはオズボーン博士の隙を見て、貴方の資料を焼いてしまった。」
「ええ!」

 我ながら上手い演技だ、とシオドアは内心己を褒めた。

「俺の大事な資料を焼いてしまっただと!」

 ロバートソン少佐は無視した。ケツァル少佐並にクールだ。

「オズボーン博士はデネロスが書類を焼いた時、火事が発生したと勘違いした。彼女は2人のボディガードを呼び、室内に入れた。その時、ケビンもジョンもデネロスの姿を見ていない。それなのに、デネロスは不意に戸口に姿を現し、廊下へ逃げた。ケビンは追いかけたが、トイレに追い込んだ筈なのに、デネロスの姿は消えていた。それきり、彼はデネロスを見ていない。」

 つまり、最低でも2回、シュライプマイヤーはマハルダ・デネロスの姿を見失ったのだ。消える筈のない場所で。
 シオドアは”赤い森”に捕虜にされたロホを救出に行った時の様子を思い出した。ステファンの陽動作戦でディエゴ・カンパロと手下達がキャンプから走り去った後、ロホのそばに1人だけゲリラが残った。そのそばにケツァル少佐が歩み寄った時、ゲリラは全く気づかなかった。彼女の姿が見えなかったのだ。シオドアには見えていたのだが。
 ”ヴェルデ・シエロ”は消えることが出来るのではなく、他人に己を見えないと思わせることが出来るのだ。

「不思議だなぁ。」

とシオドアは言った。

「人間が消えたり現れたり・・・ケビンはカウンセリングを受けて当然かもな。疲れているんだよ、俺が勝手に家出したりしたから。」
「どうして家出したのかしら?」
「今迄の生活に飽きたからじゃない?」

 他人事の様に言って、ロバートソン少佐にグッと睨みつけられた。

「貴方はアメリカ政府のものなのよ。貴方の人生は貴方だけのものではないの。」

 だから嫌なんだよ、とシオドアは心の中で呟いた。

2021/07/03

アダの森 14

  カルロ・ステファンが能力を使えないのは、能力が「無い」からではなく、使い方を「知らない」からだと、ケツァル少佐は言った。ジャングルの中を歩いている時に、と彼女はシオドアに問いかけた。

「鳥や虫が私達の周囲にいなかったのを知っていましたか?」
「スィ。鳥の声も虫の鳴き声も全くしなかった。」
「小さい生き物がカルロから放出される気を感じて逃げたからです。」

 ああ、それで、とシオドアは納得した。ステファンが自分と一緒にいると敵に勘付かれると言って別行動を取った理由がそれだったのか。

「彼は気の放出を抑制出来ないのか?」
「コントロールする方法を知らないのです。本来は子供の頃にママコナの声を聞いて習得する基本中の基本です。」

 そんな話をステファン自身がシオドアに語ってくれたことがあった。純血の”ヴェルデ・シエロ”はママコナの声を言葉として聞けるが、異人種の血が入ると頭の中で蜂が唸っている様な音がするだけだと言っていた。

「彼は”心話”は出来ます。だから士官学校から大統領警護隊に採用されました。生まれつき気を放出したままの人ですから、周囲の人々は彼を警戒しました。彼のそばにいると落ち着かなくなるのです。ですから、彼は普通の仕事に就けなくて軍隊に入り、軍人としての才能を見込まれて士官学校へ入れてもらえました。士官学校へは時々大統領警護隊の幹部が新入生をスカウトする為に顔を出します。」
「どうやってスカウトするんだ? 士官学校は普通の人の方が多いだろう?」
「新入生を横一列に並ばせて幹部が顔を見て歩きます。実際は目を見るのです。”心話”で1人ずつ話しかけて返事があれば候補生のリストに入れます。士官学校を卒業と同時に警護隊に配属されるのですが、学校の成績次第ではN Gの人も当然出てきます。ロホとカルロは一緒に採用されました。ブーカ族の良家の子であるロホは全てにおいて成績優秀で性格も素直で優等生でしたが、カルロは貧民街の出で子供時代は素行も良くなかったのです。正反対の育ちの2人が、どう言う訳か馬が合って仲良しになりました。警護隊のスカウトは当初ロホだけを採るつもりだったのですが、司令のエステベス大佐がどうしてもカルロも採りたいと希望したのです。」

 シオドアとケツァル少佐はアメリカ大使館の前の交差点にやって来た。

「エステベス大佐は彼を訓練すれば”人並み”に能力を使えるようにしてやれると思ったんだね?」
「スィ。それに、大佐はロホが優しすぎることも気にしていました。凶悪な敵と戦う時に彼の優しさは彼自身の命取りになりかねません。」

 それは先日の”赤い森”の事件で証明済みだった。ロホは目の前でシオドアがゲリラに傷付けられるのを想像するだけで耐えられなかった。それが彼自身を危うく死にかける目に遭わせてしまったのだ。

「ロホの優秀な能力の使い方からカルロが学び、カルロの躊躇なく戦う姿勢からロホが学ぶことを大佐は期待したのです。しかし・・・」

 少佐は肩をすくめた。

「物事はなかなか上手く運ばない物です。」

 シオドアは交差点の斜め向かいに見えている大使館の門を見た。入りたくないが、入らねばならない。彼は少佐を見ずに言った。

「ここでお別れだ、少佐。俺と一緒にいるところを連中に見られない方が良い。」

 すると少佐が彼にそっと囁いて、道路の反対側へ渡って行った。シオドアはびっくりして、やって来た方角へ歩き去って行くケツァル少佐を見つめた。
 彼女はこう言ったのだ。

「Te besare en mi corazon.」(心の中で貴方にキスを)

 シオドアは幸福と悲しみを同時に感じた。もう一度、ここへ戻って来たい。彼等と一緒に笑っていたい。
 彼は未練を振り切って、交差点を渡った。そして大使館の門に向かって歩いて行った。門前には2人のアメリカ兵が立ち番をしていた。彼等が彼が少佐と一緒にいるところを見たかどうか確かめる気持ちはなかった。もし見たとしても、彼女が何者か彼等は知らない筈だ。

「ヤァ」

と彼は兵士に声をかけた。

「シオドア・ハーストと言います。アメリカ人です。帰国したいがパスポートを紛失したので、出国出来ません。再発行の手続きをお願いしたい。」




アダの森 13

  マハルダ・デネロス少尉の予想が外れてケツァル少佐は40分後に部署へ戻って来た。彼女がカウンターの仕切り戸を荒々しく押し開けて入って来たので、文化財・遺跡担当課の人々はこの4階のセクションに出してもらえる予算が減らされたな、と思った。果たして、彼女の後ろからついて来た課長は更に暗い顔をしていた。

「盗掘が増えていると言うのに、遺跡パトロールに出せる金はないとさ! 内務省の役人達が公金をネコババして飲み食いに使っていた事実はどうなるんだ?!」

 課長が吠えた。

「国防費は増額されているのに、文化・教育省にはその半分も出してくれない。大臣は会議室で繰り言ばかりで、国会議事堂で発言する勇気もない無能者だ!!」
「その無能者を大臣に任命した大統領も無能者だ。」
「大統領を選んだのは誰だ?」
「私はアイツに投票していない。」

 待合室の客まで巻き込んで4階フロアは賑やかになった。これでまた業務がストップだ。このセルバ的な風景をシオドアは第3者の立場で見物していた。ここでは古代の神様は関係ない。現在を生きているセルバ人が自分達の考えを主張し合っていた。
 ケツァル少佐が机に戻って持って来た書類をバサっと投げ出した。机の下からシオドアが見慣れた物を出してきたので、彼は思わず身を乗り出した。

「少佐、それはマズイ!」

 ケツァル少佐は天井に向けてアサルトライフルを一発放った。4階フロアがいっぺんに鎮まった。彼女はカウンター内の職員達をぐるりと見回して言った。

「さっさと報告書を上げる!」

 そして自席に着いた。職員達が何事もなかったかの様に働き出した。さっきまで喚いていた客達も大人しくカウンターの前に並んだり、ベンチに戻った。シオドアは天井を見上げた。何処にも弾痕はなかった。彼女は空砲を撃ったのだ。呆気に取られたシオドアの表情を見て、デネロス少尉がクスクス笑った。ステファン大尉が呟いた。

「今週は既に3回目だ。」

 少佐はご機嫌斜めなのだろう。きっとロホが謹慎処分を喰らって本部に留め置かれたからに違いない。彼女はシオドアに気づかないで(或いは気づかないフリをして)書類を片付け始めた。シオドアは仕方なく立ち上がって彼女の前に立った。

「オーラ、少佐。」
「何か御用ですか?」

 愛想の無さはいつも通りだ。シオドアは苦笑した。

「ゲリラから助けてもらった礼を言いに来た。それと、暫くお別れになるかも知れない。或いは、これっきりかも・・・」

 ステファン大尉とデネロス少尉が仕事の手を止めた。”ヴェルデ・シエロ”を驚かせてやったぞ、とシオドアは思った。少佐がペンを探すフリをしながら言った。

「北へ帰るのですか?」
「スィ。大使館が俺を探しているなら、俺が向こうに帰る意思がないことをちゃんと伝えようと思う。強制送還されるかも知れないが、向こうに戻ったら俺の考えをしっかり訴えるつもりだ。セルバとアメリカは敵国同士じゃない。俺がセルバに引っ越す権利を否定出来ない筈だ。」

 少佐がやっと顔を上げて彼を見てくれた。

「ゴンザレス署長はそれを承知しているのですか?」
「スィ。俺の安全の為に、向こうとの関係にちゃんとケジメをつけて来いと言ってくれた。もし向こうの政府が俺を出国させないと言うのなら、俺は署長を向こうに呼ぶ。俺が見つけた俺の家族なんだ。」

 シオドアは相手が何も言わないので、仕方なく別れの挨拶を言った。

「世話になった。有り難う。ロホとアスルにも挨拶したかったけど、不在では仕方がない。彼等によろしくと伝えてくれ。それじゃ・・・」

 彼はステファン大尉とデネロス少尉にも頷きかけて、カウンターの外に出た。振り返ると涙が出そうな気がして、前を向いたままだった。生まれて初めて気の置けない仲間に出会った気がしたが、己の人生にケジメをつけないことには彼等に迷惑がかかるとわかっていた。国立遺伝病理学研究所は”ヴェルデ・シエロ”の存在を知れば絶対に興味を抱く。大統領警護隊に手を出せなくても、巷で平和に暮らしているセルバ人に接触して来るだろう。この国を引っ掻き回して欲しくなかった。研究所がこの国のことをどれだけ知っているのか、確認しなければならない。
 気がついたら、雑居ビルを出て歩道に立っていた。アメリカ大使館へは歩いて20分ほどだ。そう思った時、隣でケツァル少佐の声がした。

「いつになったら横断するのです? 青信号を2回も逃しましたよ。」

 横を見ると少佐が立っていた。

「いつからそこに居たんだ?」
「青信号2回分前から。」

 信号が青になったので、2人は道路を横断した。

「ついて来たのか?」
「貴方が本当に大使館に行くのかどうか確かめる為に。」
「もう逃亡したりしないさ。」

 心なしか歩調が遅くなった。出来れば彼女とずっと話していたい。しかし何を話そう・・・。

「ステファンは大尉に昇進したのに、嬉しくなさそうに見える。」

 思いついたことを言ってみた。すると少佐が同意した。

「昇級するのに十分な活躍をしたのに、認めたがらない人々がいるからです。」

 思わずシオドアは足を止めてしまった。

「彼の活躍を認めたがらない?」
「彼は兵士としての実力で”赤い森”を殲滅しました。”ヴェルデ・シエロ”の能力を使って闘ったのではありません。」
「それは良いことじゃないのか?」
「良いことです。だから大尉に昇級しました。」
「わからないなぁ。」

 シオドアは道端で話す内容ではないと気がついた。何処か邪魔が入らない場所はないものか。しかし少佐は気にせずに続けた。

「警護隊の中には、能力を上手に使えても出世出来ない者もいます。実戦経験がなかったり、経験があっても軍人としての能力に欠けている人です。彼等は退役する迄少尉のままです。」
「ステファンは能力を使えなくても中尉になって、今度は大尉になった。万年少尉達から妬まれているのか。」
「そしてその親達からも。」

 少佐が深い溜息をついた。シオドアはある疑問を感じた。

「ステファンは能力を使えないのに、どうして大統領警護隊に入れたんだ?」

 すると少佐ははっきりと言った。

「彼は能力の使い方を知らないだけなのです。目覚めれば、大将にもなれます。」


 

2021/07/02

アダの森 12

  ゲリラ騒動から半月後、シオドアはグラダ・シティに出かけた。エル・ティティに戻ってから、ゴンザレス署長と将来の計画をじっくりと話し合った。記憶が完全に戻った訳ではなかったが、これ迄に知り得たこと、思い出せたことを洗いざらい打ち明け、遺伝子組み替えで人為的に生み出された人間であることを語った。ゴンザレスはそれでも彼を見る目を変えなかった。今あるお前が本当のお前だと言ってくれた。そして”ヴェルデ・シエロ”との関わり合いを打ち明けると、ちょっと難しい顔をした。

「彼等の秘密を知ってしまった上で、この国に住もうと決意したのなら、彼等が納得する形で味方であることを示さなければいけないな。」

と署長は言った。

「お前の友達になってくれた大統領警護隊の人々はほんのひと握りだ。彼等がお前を守り切れるとは限らない。お前も彼等を守らなければいけない。お前の友達は皆んな若いのだろう? お前が味方であることを納得させなければならないのは、もっと年上の、長老と呼ばれる連中だ。誰が長老なのか、俺達一般の人間にはわからない。だから、連中は恐ろしいんだ。」

  田舎警察の署長ではあったが、腹を割って話してみると、やっぱりセルバ共和国の裏の世界を知っていた。ゴンザレスは、シオドアが本当の安全を手に入れる迄待つと言ってくれた。

「それから、わかっていると思うが、彼等の存在を大ぴらに語ってはならない。俺達警察官は巡査の身分の頃は一般の人と同じ知識しか持っていないが、警部やそれ以上の階級になると上の方から”ヴェルデ・シエロ”の扱い方を教えられる。例え一生出会うことがなくても、この国で多少なりと権力を行使する人間だったら知っておくべきルールだ。失礼のないように、怒らせないように、だが普通の人として扱う、それが彼等自身が望んでいることだ。外国人のお前が、俺と同じ気持ちで彼等と付き合うと誓っていることを、彼等に知らせる必要がある。」

 だから、シオドアは首都へ出てきた。北の国の政府と国立遺伝病理学研究所との関係に、決着をつける為に。大使館に出頭する前に、彼は文化・教育省へ足を向けた。大統領警護隊文化保護担当部の友人達に挨拶をしておきたかった。もしかするとセルバ共和国に戻って来られないかも知れない。それにロホの容態も知りたかった。オルガ・グランデ基地で別れた時、ロホは医療班のストレッチャーに寝かされて運ばれて行ったのだ。シオドアはそれから直ぐにエル・ティティに送られたので、彼が再手術を受けたかどうかも知らなかった。
 いつもの愛想がない女性軍曹に身分証を提示した。エル・ティティ警察が発行した正規の身分証だ。軍曹は全く気に留めないで入館パスを発行し、手渡してくれた。
 4階に行くと、大統領警護隊文化保護担当部は閑散としており、シオドアが初めて見る若い女性が1人パソコンで作業をしているだけだった。長い艶やかな黒髪を引っ詰めてポニーテールにしている。薄いピンク色のTシャツと白いコットンパンツ姿の軽装で学生に見えた。シオドアが「オーラ」と声をかけると、振り向いて「オーラ」と笑顔で返事をした。めっちゃ可愛いじゃん、とシオドアは思ってしまった。

「テオドール・アルストと言います。ケツァル少佐はおられますか?」

 あー、残念っと言う顔をした若い女性は、床を指差した。

「少佐は文教大臣と各セクション代表者の会議に出ておられます。学校関係のセクションが我が儘を言わなければ後1時間程で戻られますよ。」

 彼女の言葉に、文化財・遺跡担当課の職員達が遠慮なく笑った。学校関係の部署は”我が儘”が多いのか、とシオドアは苦笑した。彼も大学で教鞭を取った短い期間に研究費の攻防をしている教授達をよく見かけたのだ。大統領警護隊の給料は大統領府から出ているのだが、遺跡発掘調査隊の護衛にかかる費用は文化・教育省と国防省が攻防戦を繰り広げていると、大学の知人が教えてくれたことがあった。少佐はどっちが払っても構わないから、費用をケチるなと言いたいだろう。
 シオドアはカウンターの外になる待合スペースのベンチを見た。相変わらず申請に来て待たされている人が5人ばかり座っている。”
死者の村”でロホが応援を連れて戻るのを1日中虚しく待っていたことを考えれば、ここは天国だ。

「1時間なら待ちます。」

 多分、セルバ時間だから1時間は120分から200分だ。急ぐ用事がないので、シオドアはベンチの空いているスペースに腰を下ろした。ステファン中尉とアスルの机はいつも通り書類に埋もれている。ロホの机も同じだ。仕事は怪我人に容赦無く押し寄せて来るようだ。
 若い女性を見ていると、彼女は自身の机の書類をデータ入力してしまい、隣のステファン中尉の机に手を伸ばした。シオドアが「え?」と驚いている間に彼女は上官の机から書類を一掴み取って、それをまた彼女のパソコンに入力し始めた。どんどんデータを入れて行き、終わると机の反対側の山に積んだ。再び次の一掴みに取り掛かったので、シオドアはお節介かもと思いつつ、つい声を掛けた。

「君は秘書なのかな?」
「ノ。大統領警護隊の少尉です。」

 彼女の指が素早く動き回り、パソコンの方が付いて行けないのではないかとシオドアは心配した。彼女がステファン中尉の書類を半分まで片付けたところで、当のステファン中尉がお茶のカップを片手に階段を上って来た。シオドアは立ち上がって彼を迎えた。

「オーラ、久しぶりだね。」

 中尉が立ち止まり、こんにちは、と言った。一見無愛想に見えたが、目は優しく笑っていた。そして手を振ってカウンターの中へ招き入れてくれた。
 若い少尉が手を止めて2人を見たので、中尉が紹介した。

「マハルダ・デネロス少尉です。少尉、テオドール・アルストさんだ。」
「ドクトル・アルストでしたか!」

 デネロス少尉が立ち上がった。シオドアは彼女と握手した。大統領警護隊の人間と握手で挨拶をしたのは初めてだ、とぼんやり思った。
 ステファン中尉はシオドアにロホの椅子を勧め、自席に着いた。机の上を見て、少尉を振り返ったので、デネロス少尉が悪びれもせずに言った。

「提出期限が切れていたので、片付けておきました。残りも私がしておきますから、大尉はマルティネス中尉の書類をお願いします。」

 シオドアは一瞬彼女が上官の階級を間違えたのかと思った。しかし誰も訂正しようとしなかった。ステファン中尉(それとも大尉?)が自分の机の上の書類を掴み、デネロス少尉の机にドサっと置いた。

「頼む。」

 そしてカップのお茶を一口飲んでから、シオドアに注意を戻した。

「お元気ですか?」
「スィ。君も元気そうで何よりだ。」

 ロホの容態が気になったが、新たに生じた疑問に対する好奇心が勝った。

「さっき彼女は君を大尉と呼んだけど・・・」
「2日前に昇級しました。」

 反政府ゲリラ”赤い森”を1人で殲滅したからだ。間違いなく大手柄だ。出世は当然だ。シオドアはおめでとうと祝福の言葉を贈った。ステファン大尉は軽く頭を下げて祝福を受け止めた。あまり嬉しそうではない。まさか、とシオドアは急に心配になった。

「ロホの容態はどう?」
「順調に回復しています。」

 返事が早かった。答えるステファン大尉の目も明るかったので、シオドアはホッとした。大尉がもう少し説明が必要だと思ったのだろう、シオドアがオルガ・グランデ基地から去った後のことを簡単に教えてくれた。
 ロホは基地の軍医の診察を受け、直ぐに再手術を受けた。本当なら左腕を失うほどの深傷だった。奇跡的に(と大尉は言ったが、シオドアは”ヴェルデ・シエロ”だから、と解釈した)、神経や腱が切れていなかったので、裂かれた筋組織と血管を縫合してもらうと、少佐と大尉は彼をグラダ・シティに連れて帰り、国防省病院の大統領警護隊専門病棟に入院させた。

「肩の傷ですから、4日もすれば彼はベッドから出て歩いていました。体力も徐々に戻ったので、3日前、警護隊幹部から事情聴取を受け、ゲリラに捕虜にされた経緯を調べられました。」
「それは・・・」

 ロホが捕まってディエゴ・カンパロに刺されたのは俺のせい、とシオドアは言いかけて、言葉を飲み込んだ。大統領警護隊にとって、いかなる理由でも原因は己にあるのだ。ロホがケツァル少佐に命じられたのは偵察であって、シオドアの救出ではなかった。ジャガーに変身したのは、ジャングルの中を歩くのに効率が良いと彼自身が判断したからだ。そして十分な休憩を取らずに報告の為に隠れ家を出た。単独なら安全地帯へ行けると己を過信したのだ。大統領警護隊の上層部はそう判断した筈だ。

「彼が何か懲戒を受けることはないだろうね?」

 それが心配だ。体がもう大丈夫なら、次はその身上だ。降格などされたら気の毒だ。彼は罰を受けねばならないことをしていない。俺は彼に助けられたことを心から感謝している。
 ステファン大尉はシオドアの懸念を察してくれた。

「少佐と私は、彼が貴方を救出しなかったら、今頃貴方が酷い目に遭わされていた筈だと意見しました。貴方が心から彼に感謝していたとも証言しました。」

 そして、溜息をついて言った。

「上層部が一番問題にしたのは・・・」

 彼は声をグッと低くして囁いた。

「彼がナワルを使ったことです。」

 ナワルとは、メソアメリカ地域において伝承される鳥獣に変身する能力を持つとされた妖術師や魔女、シャーマン、あるいはその変身後の姿を指す言葉だ。考古学に疎いシオドアでも博物館の説明書きやパンフレットでその程度の知識はあった。”ヴェルデ・シエロ”の世界では、無闇に使ってはならない能力なのだろう。もしかすると、本来は儀式などの時に使う神聖な力なのかも知れない。
 ステファン大尉は僚友の将来が心配で、己の出世を喜べないのだ。

「司令のエステベス大佐は、当分の間ロホを現場に戻さないと決定を下されました。」
「それはつまり?」
「警護隊本部から彼を出さないと言うことです。暫くの間、彼は士官教育の場で教官をやらされます。何をして良いか良くないか、教える立場になって反省せよと言うことです。」

 シオドアはちょっとだけ安心した。完全に体力が戻る迄、ロホが安全な場所にいるのは大切なことだ。彼がそう言うと、ステファン大尉が渋い表情を見せた。

「そう言う訳で、私は非常に忙しいのです。1人足りない訳ですからね。エステベス大佐はロホを降格にもクビにもしないし、配置換えもしない。つまり、この部署に新しい人員は入って来ないのです。」

 キーボードを叩きながら、デネロス少尉がププッと吹いた。シオドアも笑いそうになった。ステファン大尉は怒って見せているが、本当はロホがまた戻って来ると知って嬉しいに違いない。シオドアは誰にともなく尋ねた。

「アスルも忙しいんだね?」
「当然です。」

 大尉がタバコを出して咥えた。

「ロホの事務仕事を私が、外の仕事をアスルが分担しています。」
「そして私が、皆んなの書類をデータ入力しています。」

 デネロス少尉が楽しそうに言った。


 

2021/07/01

アダの森 11

  ステファン中尉がシオドアの所へ上がって来た。シオドアは立ち上がって、ディエゴ・カンパロだった男の死骸を見ないように心掛けながら、ロホのそばへ行った。リュックから最後のオレンジジュースのパックを出して、日陰に入って来たステファン中尉に差し出すと、中尉は首を振って断った。

「それは貴方とロホで飲んで下さい。」

 そしてロホの前に屈み込んで僚友の傷の具合を見た。シオドアが説明した。

「少佐が応急処置を施したんだ。カンパロは彼の肩の関節を故意に刺していた。」

 ステファン中尉はロホの左手に触れた。

「感覚はあるか?」

 ロホが小さく頷いた。指を動かして見せた。ステファン中尉がシオドアを見上げた。

「大丈夫です、病院で診て貰えば元通りに治るでしょう。」
「出血が酷かった。感染症も心配だ。早く連れて帰ろう。」
「今度は私がロホを背負います。」

 ステファン中尉もゲリラ相手に戦って来たのだ。疲れているのはお互い様だとシオドアは思ったが、彼の体力もそろそろ限界に来ていたことは確かだった。ロホをステファン中尉の背中に載せるのを手伝ってから、リュックを背負った。
 岩陰から出ると、ケツァル少佐は既に火口の縁に登っていた。足元が岩から崩れやすいガレに変化していたので、歩いて登るのが難しかった。シオドアはステファン中尉の横に並んだ。

「さっき”赤い森”を殲滅したと言っていたけど、カンパロの手下全員を倒したのかい?」
「スィ。連中は全員手配書が廻っている男達でした。どの男も少なくとも4、5人は殺している悪党共でした。」
「俺は自分が無事だったのが不思議に思うよ。」
「貴方は最初の夜に逃げ出せたからです。1回目の要求にアメリカ大使館が応じなければ、耳や指を切り落とされるところでしたよ。」
「ロホには本当に感謝している。」
「ロホも貴方に感謝していますよ。ずっと背負って逃げてくれたのですから。」

 中尉が背中のもう1人の中尉に「なぁ?」と声をかけた。ロホがスィと呟いた。
3人がクレーターの縁に辿り着くと、少佐が「遅い」と文句を言った。そして今度は緑色の池に向かって急斜面を下り始めた。シオドアは驚いた。

「こんな斜面を怪我人を背負って降りられるものか!」

 ステファン中尉が意見を言う前に、少佐が足を止めて振り返った。

「通れる場所を探して降りて来なさい。」

 シオドアはステファン中尉を見た。ちょっと呆れた。

「思い遣りが欠けてないか?」
「いつもの彼女です。」

 通り道を見つけるのは名人の”ヴェルデ・シエロ”だ。ステファン中尉はすぐに九十九折に降りて行けるルートを見つけた。それでも足元は登りより慎重になった。

「さっきのカンパロを撃った時は、彼女は弾を必要以上に撃ち込み過ぎたんじゃないか? 君の狙撃でアイツは既に死んでいただろう?」

 シオドアが意見を言うと、ステファン中尉が苦笑した。

「部下を傷つけられて激怒していたので、抑制が効かなかったのでしょう。少佐を怒らせると本当に怖いですよ。」

 池の畔で少佐が待っていた。シオドアは何故こんな場所に彼女が皆んなを連れて来たのか理由がわからなかった。立ち止まって火口の壁を見上げていると、少佐の横に立ったステファン中尉に呼ばれた。

「少佐と私の間に立って下さい。」

 意味がわからぬまま、言われた通りに立つと、少佐に手を握られた。びっくりしたが、さらに驚いたことに、反対側の手をステファン中尉に握られた。
 少佐がロホに声を掛けた。

「ロホ、しっかりカルロにしがみついていなさい。跳びますよ。」
「跳ぶって?」

 シオドアの質問が終わるか終わらぬかのうちに、少佐とステファン中尉が同時に池に向かってジャンプした。シオドアは思わず叫び声を上げていた。


 シオドアはいきなり草が生えた大地の表面に倒れ込んだ。水じゃない、と思った瞬間に背中に恐ろしく重い物がのしかかった。

「グエ・・・」

 胸から空気が押し出され、彼はうめき声を上げた。潰れるかと思った。上の方でケツァル少佐の声が聞こえた。

「着地失敗・・・いつものことだけど。」

 首を動かして見上げると、バナナの木に少佐が引っかかっていた。
 シオドアの背中でステファン中尉の声が言った。

「もう少し上達して頂けませんか?」
「ごめんなさい。」

 少佐がバナナの木から飛び降り、重なり合っている男達のそばに駆け寄った。

「ロホが下にならなくて良かった。」

 彼女はまず一番上にいたロホに肩を貸して、ステファン中尉から下ろした。ステファン中尉が起き上がり、シオドアは命拾いした。起き上がって周囲を見回すとバナナ畑だった。まだ小さな実が房になって木からぶら下がっている。畑の向こうの方で車が走る音が聞こえた。

「大丈夫ですか?」

 ステファン中尉が気遣ってくれた。シオドアは大丈夫と手を振った。咳が出た。

「池に跳び込んだと思ったけど・・・?」
「”通路”を通ったのです。」
「”通路”?」
「空間の隙間・・・みたいなものです。」

 上手く説明出来ないと言いたげに、ステファン中尉は肩をすくめた。ロホは近くのバナナの木にもたれかかって座っていた。まだかなり辛そうだ。痛み止めが医療キットにあった筈、とシオドアはリュックを下ろそうとした。近くで車のエンジンがかかる音がした。少佐がバナナの葉で隠していたジープを動かしたのだ。

「オルガ・グランデ基地へ行きます。ロホを軍医に診せてから、貴方をエル・ティティへ送りましょう。」

 シオドアは車を眺め、それからバナナの木の下の2人の中尉を見た。

「少佐、訊いてもいいかな?」
「何ですか?」
「さっきのテレポーテーションみたいなことが出来るんだったら、山に登ったりしなくても良かったんじゃないか? それに今も、直接基地に行けば良いだろう?」

 少佐がハンドルにもたれかかって溜息をついた。

「ドクトル、私はテレポーテーションなどしていません。”通路”を通っただけです。”通路”は出入り口が決まっているのです。何処からでも入れる訳ではなく、何処へでも好きな場所に出られる訳でもありません。」
「つまり、今回は、あの池とこの畑が繋がっているだけ?」
「そうです。」

 少佐は説明が面倒臭くなったらしい。部下に大きく腕を振って見せた。

「早く怪我人を乗せなさい。置いていきますよ。」


アダの森 10

  シオドアとケツァル少佐は負傷したロホを連れて死者の村を迂回し、ティティオワ山の山頂南壁へ登った。北壁の切り立った崖と違って、こちら側は緩やかな斜面で、それだけ歩く距離は長くなる。シオドアは少佐が何故このルートを登るのか理由がわからなかった。勿論ジャングルを歩くのは障害物が多く、もっと難しい。それに大きな山の裾は山頂の周回より距離がある。しかし南の地方からオルガ・グランデへ通じる幹線道路が走っているのは山裾だ。アンゲルス鉱石が掘り出した鉱石を港まで運ぶ運送路でトラックの交通量が多い。セルバ共和国陸軍の輸送隊も毎日その道を利用する。実際、ロホもその道を目指してジャングルを抜けて行こうとした。そして同じことを考えたゲリラに追いつかれ、捕まった。
 ティティオワは有史以前に活動を停止した複成火山だ。南斜面の上部に側火山の噴火口が残っていた。小さいながら綺麗な円形をした緑色の水の池を見て、シオドアはちょっと驚いた。エル・ティティ警察署にあるティティオワ山の地図に記載されていなかったからだ。
 ケツァル少佐がシオドアに止まれと合図した。

「”入口”です。ここで休憩します。」

 つまり、ステファン中尉が合流するのを待つのだ。シオドアは古い溶岩由来の岩陰にロホを下ろした。包帯に血が滲んでいるが、出血は昨夜ほどではなさそうだ。シオドアは少佐が下ろしたリュックからオレンジジュースのパックを取り出した。開封してロホの唇に少し掛けてやると反応したので、右手を支えてやって怪我人が飲みたいだけ飲ませてやった。自身は水筒の水が半分残っていたので、少佐と分け合った。水を飲むと少佐は見張りのために岩陰から出て行った。
 水分と糖分を摂取したお陰で、ロホは少しだけ気力を取り戻した様だ。泥だらけかすり傷だらけのシオドアの顔を見上げて、微かに笑った。シオドアも微笑み返し、ステファン中尉はまだだろうかと岩陰から顔を出した。少佐が左手10メートル程離れた岩の上に座って斜面の下を眺めているのが見えた。
 シオドアは小石が転がる微かな音を耳にした。右側からだ。シオドアは少佐を見た。彼女は気がついていない。またジャリッと音がした。敵でも味方でもどっちでも良い、少佐に教えなくては。
 シオドアは咄嗟に喉の奥でクッと音を立ててみた。途端に少佐が岩の向こう側へ飛び降りて姿を消した。
 物音が大胆になった。岩の上の少佐が消えたからだ。向こうは早くに少佐を見つけていた。シオドアは腰から拳銃を抜いた。それから少佐が持って来ていたロホのアサルトライフルの存在を思い出した。銃器はロホの傍に置かれていた。
 今のロホに自動小銃の類を使用するのは無理だ。シオドアは静かに岩陰の奥に戻ると、ロホの右手に拳銃を握らせた。そして自分はアサルトライフルを手に取った。約4キロのライフルの重さが手にずっしりと来た。守るべき命の重さだ。再び岩陰の外に出て、身を伏せた。
 迷彩服の男が旧式のAKを構えながら近づいて来るところだった。ディエゴ・カンパロだ。しかも1人だった。シオドア達が水辺でロホの手当をしていた間に斜面を登って先回りしていたのだ。何故手下を連れていない? シオドアは不安になって反対側を見た。幸い背後は誰もいなかった。ホッとした途端、銃声が響き、すぐそばの岩の表面が弾かれた。見つかった。シオドアは首を縮めた。ライフルを構えようとしたが、また銃弾が飛んで来た。

「止めなさい!」

 ケツァル少佐が怒鳴った。カンパロが銃口の向きを変えた。

「こいつは驚いた! アンタ、ケツァル少佐じゃないのか? まさかこんな場所で本物にお目にかかれるとはな!」

 シオドアはギョッとした。彼女は敵の前に姿を曝したのか? 彼はそっと岩陰から顔を出した。
 ケツァル少佐が先刻まで座っていた岩の下でアサルトライフルを構えて立っていた。カンパロとの距離は200メートル程だ。互いに銃口を向け合って立った。

「1人で来たのですか?」

と少佐。カンパロがニコリともせずに答えた。

「怪我人を抱えたアメリカ人の相手は俺1人で十分だと思ったのでね。」

 そして彼は自嘲気味に言った。

「手下の言うことを信じるべきだったな。誰もいない筈なのに、いきなり殴られたってよ・・・」
「捕虜を救出した人間が同時に陽動作戦を行える筈がないでしょう。」
「そうだな・・・”ヴェルデ・シエロ”を捕まえたんだ、仲間がやって来てもおかしくなかった。」
「大統領警護隊が”ヴェルデ・シエロ”だなんて、誰がお前に教えたのです?」

 シオドアは少佐がカンパロを撃たなかった訳がわかった。アメリカ大使館の動きを知ることが出来て反政府ゲリラに情報を流している人物が存在する可能性を、シオドアは語った。少佐は真面目に聞いてくれていたのだ。

「誰だろうと関係ないだろ。アイツらにとって、俺はただの”出来損ない”だ。俺に名前を名乗る様な連中じゃねぇっ!」

 ”ヴェルデ・シエロ”の血を引く異種族の子孫達を”ヴェルデ・シエロ”の純血至上主義者達は、侮蔑の意味で”出来損ない”と呼ぶのだ、とメスティーソのステファン中尉が教えてくれた。しかし大部分の”ヴェルデ・シエロ”のメスティーソ達は能力を発現させられない故に、自分達のルーツを自覚することもなく普通の人間として普通に暮らしているのだ。
 ディエゴ・カンパロは自分の祖先を知っている。”出来損ない”であることにコンプレックスを抱いている。つまり、この男は、”出来損ない”らしく、中途半端に超能力を持っているのだ。だから、ここへ1人でやって来た。
 なぁ、ケツァル少佐、とカンパロが睨み合ったまま声をかけた。

「アンタが俺の心を読もうとして失敗したのは、わかるぜ。俺に”心話”は無理だからな。そして俺は、そこの岩陰でさっきの銃撃に腰を抜かしたアメリカ人と怪我をして動けねぇジャガーの兄さんの気配がわかる。今、アンタがその銃で俺を撃っても、俺はあの2人を道連れにする程度の力がある。アンタと相討ちになることも有り得る。どうする? このままじっと睨み合って、ジャガーの兄さんが弱って死ぬのを待つかい?」
「否、待たないね。」

 不意にシオドアの頭の上で声がした直後、銃声が響いてカンパロの頭から血飛沫が上がった。ケツァル少佐の銃も火を吹いた。連射を胴に受けてカンパロの体が背後に吹っ飛んだ。手首を撃たれ、A Kも飛んだ。
 シオドアは地面に伏せていた。見たくなかったし、見る勇気もなかった。
 銃声が止み、シオドアとロホの身を守っていた大岩からステファン中尉が飛び降りた。その勢いのまま斜面を下って、ズタズタになったカンパロの死骸に近づいた。

「悪いな、俺も”出来損ない”なんで、お前を生け捕る技量がなかったんだ。」

 そう呟いて、中尉は死骸にぺっと唾を吐き捨てた。彼の横にケツァル少佐が来た。

「グラダ・シティの”ツィンル”の中に良からぬ振る舞いをする者がいる様です。」

 彼女の言葉に、中尉が上官を見た。強張った表情で尋ねた。

「確かですか?」
「コイツがそう言いました。その者がドクトルをコイツに売り、コイツはその者にロホを売ろうとしたに違いありません。」
「ロホはブーカ族の貴族の子ですから、身代金を狙ったのでしょう。」

 少佐はカンパロの死骸に興味を失ったのか、視線を部下に移した。

「遅かったですね。貴方の方が先に来ていると思っていました。」
「”赤い森”を殲滅させたので時間を喰いました。遅れて申し訳ありません。」

 少佐が天を仰いだ。

「私の部下達は、どうして命令外のことをするのでしょう?」


アダの森 9

  カンパロと手下達は銃を掴んでキャンプの向こう側へ走って行った。焚き火から抜き取った棒を松明代わりにして茂みに入って行く。焚き火のそばに1人だけ残った。ロホの横に立って見張っている。
 ケツァル少佐がシオドアに軍用ナイフをそっと差し出した。シオドアが受け取ると、彼女はスッと立ち上がり、焚き火の近くへ出て行った。見張りは彼女が視野に入っている筈なのに気が付かない。少佐は猫の様に足音を立てずに彼のそばへ近づいた。流石に気配を感じたのだろう、見張りが振り向いた。シオドアは撃ち合いになるかと思った。しかし、見張りは目の前に立っている女性が見えていない様だ。首を傾げ、また仲間が動き回っている森の方を向いた。松明の灯が少しずつ遠ざかって行く。向こうへ行ったぞ、あっちだ、と声を掛け合うのが聞こえた。
 少佐がライフルの負い紐を肩から外し、銃身を握るといきなり見張りの頭部を殴打した。見張りが昏倒した。彼女が振り返ったので、シオドアは茂みから跳び出した。杭に駆け寄り、ロホを縛り付けている縄をナイフで切断した。その間少佐は武器を持ち直し、周囲の警戒を怠らなかった。
 ロホの左肩は汚れた布が巻き付けられているだけで、その布も軍服も血でグッショリ濡れていた。意識がない。だがまだ呼吸はあった。シオドアはリュックを下ろし、ロホを背中に担ごうとした。彼の動きに気づいた少佐が素早く手を貸した。身長があるロホを担ぐのは、やはり身長があるシオドアでも容易なことではない。シオドアは少佐の指示を待たずに森の中へ走った。少佐は彼が森に入ったことを見届けると、リュックを背負い、そばのテントの中を覗いた。予備の武器が置かれていた。その中からロホの銃を迷うことなく取り出すと、残りの銃器にランプの油をかけた。
  夜の森を人間を背負って走るのは非常に困難だった。シオドアが悪戦苦闘しながら駆けていると、すぐにケツァル少佐が追いついた。後方で花火が弾ける様な音が始まった。シオドアが思わず足を止めると、少佐が怒鳴った。

「止まるな!」

 シオドアは再び走り出した。キャンプでの騒ぎを聞きつけてゲリラ達が戻ったのだろう、怒声が聞こえた。闇雲に夜のジャングルに銃弾を撃ち込む馬鹿がいた。射程距離から出たと思われたが、シオドアは生きた心地がしなかった。
 木の枝がぶつかって来た。シオドアは背中のロホを枝から守ってやれる余裕がなかった。せめて大きな枝にぶつけない様に、とひたすらそれだけ念じながら走った。ケツァル少佐が彼の前に出た。ナイフで枝を切り払ってくれたので、少しだけ楽になった。しかしこれは追手に自分達が通った道筋を教えることになる。

「少佐・・・」

 シオドアは喘ぎながらなんとか言葉を声に出した。

「来た道を通れないか?」
「ノ。”入口”から遠すぎます。」

 意味がわからないが、ステファン中尉と落ち合う場所へ行く方角ではないと言うことだ。
 彼等はジャングルの中を歩いているのか走っているのか判別出来ない速度で移動した。シオドアは汗だくだった。しかし汗の臭いより背中のロホの体から漂う血の金気臭い臭いが気になった。野獣がこの臭いを嗅ぎ付けて襲って来るのではないか。それはゲリラとは別の心配だった。
 少し先を走っていた少佐が足を止めた。シオドアに待てと合図を送り、前方を見ていた。数分後に振り返ると、来いと手を振った。
 水辺だった。岩の間を冷たい沢が流れていた。前の日にシオドアがステファン中尉に危うく撃たれそうになった場所からちょっとばかり上流だ。シオドアは岩の上にロホを下ろした。ロホが微かに呻き声を立てた。シオドアが水を飲む間に少佐がスカーフを水で浸してロホの顔を拭いてやった。ロホが目を開いた。何か言いかけたが、少佐は彼の唇を指で軽く抑えた。彼女がリュックを下ろしたので、シオドアは中から医療キットを出した。彼には中身がよく見えなかったが、少佐には昼間同様見えているのだろう。ロホの左肩に巻かれた汚い布を外し、軍服をナイフで切り裂くと、傷口が見えた。胸ではなく腕の付け根だ。もしやカンパロは関節を狙った? シオドアは少佐のスカーフをもう一度水で洗い、ロホの傷口を出来るだけ綺麗に拭いた。その間に、少佐は人間ではない離れ業をやってのけた。医療用の針に糸を通したのだ。

「ロホを抑えて下さい。応急処置を施します。」

 シオドアは咄嗟に目に入った小枝をナイフで切り取り、ロホの顔の前にかざした。

「これを咬め。声を出すなよ。」

 照明なしで外科手術をするなど、前代未聞だ。シオドアは苦痛で全身に力を入れてしまうロホを必死で抱き抑えた。ステファン中尉がいてくれたらもう少し楽なのにと思ったが、いない人間を悔やんでも仕方がない。ロホも必死で耐えていた。刺された時の痛みと針で縫われる痛みと、どちらが苦痛だろうとシオドアは思った。

「終わりました。よく頑張りましたね、アルフォンソ。」

 少佐の一声で、シオドアもロホも力を抜いた。力が抜けるとロホはまたもや気絶してしまった。どうせなら手術前に気絶してくれれば良いものを、とシオドアは内心悔やんだ。また傷口を拭い、包帯を巻いた。少佐が地面に穴を掘って血で汚れた物を埋めた。それから、やっと彼女も手を洗った。
 東のエル・ティティの方角に太陽が上ろうとしていた。


第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...