2021/08/14

星の鯨  10

  カタリナ・ステファンは3人目の子供を産んだ。今度は男の子だった。シュカワラスキ・マナは息子にカルロと名を付けた。白人の名前を名乗らせ、己とは違う人生を生きて欲しかったのだろう。彼の義父はカルロの能力を封じることを禁じた。勿論未熟なシュカワラスキの技から孫を守る為だ。シュカワラスキも義父に従った。
 だがその直後に、グラダ・シティで大きな事件が起きた。ママコナが逝去したのだ。大巫女の逝去はセルバの全ての”ヴェルデ・シエロ”に文字通り電光石火の速さで伝わり、シュカワラスキとその家族にも届いた。反抗して逃げ出したものの、ママコナはシュカワラスキにとって育ての親だ。彼女の死にシュカワラスキは悲嘆し激しく動揺した。その隙を突かれて結界が破られた。”砂の民”達がオルガ・グランデに雪崩れ込んで来た。
 シュカワラスキは地下の坑道の迷路に逃げ込んだ。追跡者達は暗闇の中で彼と戦わねばならなかった。闇でも目が見える”ヴェルデ・シエロ”だが地の利はシュカワラスキの方にあった。彼は2年間地下で戦った。地上の”ヴェルデ・ティエラ”に影響を与えてはならない。それは古代から神として崇められてきた”ヴェルデ・シエロ”にとって何にも変えられぬ掟だった。
 妻のカタリナと息子のカルロは”砂の民”のムリリョに匿われていた。ムリリョはシュカワラスキの2番目の娘を病魔から救えなかったことが心に残っていた。父親の裁量に任せて赤ん坊を死なせてしまったことを後悔していたのだ。彼はカタリナの父親に協力を求めた。カタリナの子供達を守って欲しいと。
 カタリナは勇敢な女性だった。彼女はムリリョや父親の目を盗み、廃屋の井戸からこっそり地下に降りて夫を援助した。1年半近くそれは続いたが、やがてムリリョに知られた。4人目の子を身篭ってしまったのだ。カタリナはムリリョに夫の助命嘆願をした。当時ママコナはまだ2歳だった。カルロと同じ年に、先代ママコナ逝去の直後に生まれたカイナ族の女の子だ。罪人の裁定が出来る筈がなかった。だから、ムリリョはカタリナが使っていた井戸を降りて、シュカワラスキ・マナと面会した。彼は長老会に投降してひたすら助命嘆願せよと忠告した。息子と次に生まれてくる子供の為に生きることだけ考えよと訴えた。
 翌日、シュカワラスキ・マナは投降した。家族に手を出さぬと言う条件のみで、”砂の民”の頭目に捕縛された。投降した者を殺すことは許されない。直接能力を使って死なせることは掟に反するからだ。”砂の民”達は、長老会の裁きをマナに受けさせることにした。少なくとも、公平な裁判の場を与えてやろうと話がまとまった。護送にはブーカ族の能力が必要だった。空間の通路を使わなければ、マナの様な能力の人間をグラダ・シティ迄連行することは不可能だったからだ。 
 グラダ・シティから派遣されて来たのは、トゥパル・スワレだった。誰も彼がニシト・メナクの魂を宿しているとは気づかなかった。そしてトゥパルはエルネンツォを殺した時の記憶がなかった。殺人を犯した時、彼の意識はニシトに抑え込まれていたからだ。彼はシュカワラスキが兄の仇だと信じて疑わなかった。
 気を抑制する麻薬で意識朦朧となったシュカワラスキ・マナはトゥパル・スワレの先導で空間通路に入った。そしてピラミッドの神殿に出た時、彼は既に息をしていなかった。

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 マハルダ・デネロス少尉の目に涙が浮かんだ。

「シュカワラスキ・マナが可哀想・・・カタリナが可哀想・・・」

 彼女の隣に座っていたアリアナがそっと彼女の肩に手をかけた。

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 事件は「オルガ・グランデの汚点」と呼ばれ、当時の”ヴェルデ・シエロ”の大人達は語るのも憚られる昔話として封印した。だから若者達はほんの20年前にそんな出来事があったことを知らない。
 その20年間に、シータ・ケツァルはミゲール家の娘として成長し、自ら希望してセルバ陸軍に入隊し、大統領警護隊に採用された。純血のグラダ族であることは、長老会から司令官エステベス大佐に知らされていたが、彼女自身の能力の高さと強さで直ぐに警護隊全体にその血が何者なのか知られることになった。ウナガン・ケツァルは死ぬ間際に罪を許されていたので、シータを罪人の子と見る者はいなかった。それよりも純血のグラダの威力への畏怖の方が勝っていたのだ。彼女は警護隊の中で一目置かれる存在になった。
 一方、カルロ・ステファンは父親を失い、父親の死後に生まれた妹グラシエラと母親と貧民街で暮らしていた。祖父はグラシエラの能力を封じ込め、”心話”以外は使えなくした。彼は一家を支えて鉱夫を続けたが、カルロが5歳になる頃に亡くなった。生きるためにカルロ・ステファンはなんでもやった。子供に出来ることと言えばケチな窃盗やかっぱらい、置き引き、掏摸、詐欺まがいの行為ぐらいで、一人前のワルに育っていった。15歳になる頃に彼は偶然一人の軍人の財布を狙ってとっ捕まった。その軍人は”ヴェルデ・シエロ”だった。彼は掏摸が”出来損ない”だと知ると、こう言ったのだ。

「こんなことをしていると早死にする。同じ早死にするなら軍隊に入れ。給料をもらえるし、死ねば遺族に恩給が出る。」

 カルロ・ステファンは入隊し、成績が良かったので士官学校に入れてもらえた。そして大統領警護隊に採用されたのだ。そこでロホことアルフォンソ・マルティネスと知り合った。
 人類学者のムリリョが遺跡荒らしに頭を抱え、大統領警護隊に先祖の宝を守れと訴えた時、エステベス大佐は文化保護担当部の設立を考えた。指揮官にケツァル少佐を選んだのは偶然だった。女性隊員の多くは外交官や政府高官に付いて警護する護衛官になる。或いはそれらの役職に就いたり、省庁で事務官になる。だがケツァルは野外で走り回るのが好きな将校だった。ジャングルや砂漠の遺跡を守らせるのに打って付けだと大佐は考えた。
 新規開設部署の指揮官に任命するから部下を自由に選べ、と言われたケツァル少佐は後輩達の中から2人の男性少尉を選んだ。ステファンとマルティネスだ。動と静、荒削りと繊細、貧民街出身とブーカ族の名家の御曹司、面白い取り合わせで、その2人は仲が良かったのだ。しかもステファンは半分以上グラダだった。勇敢で運動能力は抜群だ。”ヴェルデ・シエロ”としての能力の使い方を知らない”出来損ない”だが、なんでも上手く出来る優等生のマルティネスと一緒にさせれば学ぶことも出来ると彼女は考えた。そして遺跡では祀られ方が悪くて悪霊と化した神様を鎮めるのにマルティネスの才能が絶対に必要でもあった。
 大統領警護隊文化保護担当部が活動を軌道に乗せると、長老会にも噂が届いた。ウナガン・ケツァルとシュカワラスキ・マナの娘が、グラダの血を引く男を部下として使っていると。長老達は聞き流したが、2人だけ、気にした男がいた。歳を取って長老となったトゥパル・スワレと彼に宿るニシト・メナクだ。シュカワラスキの子供達が何時真相を知るか、気が気でなかったであろう。
 そんな時に事件が起きた。シオドア・ハーストが”曙のピラミッド”に近づいてしまったのだ。ママコナの結界を破った男の存在を聞いて、スワレ=メナクはステファンかと不安になったのだ。ところが、シオドアをママコナの好奇心から守る為に、ケツァル少佐が彼をオクタカス遺跡に隠してしまった。スワレ=メナクはシオドアを観察する為に配下の陸軍兵士をオクタカス遺跡の警備隊に送り込んだ。そこで配下の兵士は、既にオクタカス遺跡で警備の役に就いていたステファン中尉を見つけてしまった。報告を聞いたスワレ=メナクは慌てた。彼等はそれまでシュカワラスキの息子が己の近くで大統領警護隊として働いていたなどと夢にも思わなかったのだ。彼は警備兵の配下に命じて”風の刃の審判”を用いてシュカワラスキの息子の能力の大きさを試させた。そして防御本能しか使えない”出来損ない”だと断じて、放置することにした。”出来損ない”なら何時でも殺せるとたかを括ったのだ。

 

星の鯨  9

  シュカワラスキ・マナは長老会が彼の娘を他人に与えてしまったことを知らされなかった。彼はウナガンの忘れ形見を養育したいと望み、子供を渡してくれと長老会に要求した。しかし彼の要求は誤解された。イェンテ・グラダ村では、純血種を生み出す為に古代の風習を取り入れ、男が妻以外の女性に産ませた自身の娘と婚姻することが平然と行われていたのだ。シュカワラスキは要求を拒絶されると、愛する女性を失った悲しみで自棄を起こした。大神官になる為の勉学を全て放棄して、グラダ・シティを逃げ出してしまったのだ。
 愛する妻を失い、同志と頼みにしていたシュカワラスキに逃げられてしまったニシト・メナクは絶望した。彼は自殺を図ったのだが、その時、彼と親しかったブーカ族のトゥパル・スワレに発見されてしまった。トゥパルはかねてからグラダ族の巨大な能力に羨望を抱いていた。ニシトの権力を手に入れて一族へ復讐しようと言う考えと、グラダ族の能力があれば権力を欲しいままに出来ると言うトゥパルの欲望が、その瞬間にマッチしてしまったのだ。ニシトは己の肉体を棄て、トゥパルの肉体に入った。一人の肉体に2人の心が同居したのだ。
 ニシト・メナクは自害したとされ、その体は一般のセルバ人と同じ墓地に葬られた。ニシト=トゥパルはそれから暫く一族を欺いて大人しく暮らしていた。
 一方、グラダ・シティを逃げ出したシュカワラスキ・マナは流れ流れてセルバ共和国第2の都市オルガ・グランデの鉱山町に辿り着いた。そこで偶然にも、或いは運命的な出会いがあった。彼は、イェンテ・グラダ村が殺戮に遭う2、3年前に村から鉱山町へ出稼ぎに出ていた男達と知り合ったのだ。男達は故郷の村が消えてしまったことを知っていたが、その理由を知らなかった。故郷喪失を悲しみながらも、新しい生活を守る為に、普通の市民として生きていたのだ。シュカワラスキは彼等と同じ鉱夫になり、鉱山で金鉱石を掘って働いた。そして同郷の男の一人の家族と親しくなった。彼女の名前はカタリナ・ステファン、母親は白人と”ヴェルデ・ティエラ”先住民のハーフだった。4分の1白人、4分の1”ヴェルデ・ティエラ”先住民、そして残りは割合が不明だが、グラダ族の血を含む”ヴェルデ・シエロ”の女性だ。カタリナの父親は娘が普通の人間として生きていけるよう、彼女が赤ん坊の時に能力を封印していた。だからカタリナは”心話”しか使えなかった。それでもシュカワラスキと心を通じ合わせるのに十分だった。
 シュカワラスキとカタリナは町の小さなカトリック教会で結婚式を挙げた。”ヴェルデ・シエロ”でもカトリック教徒はいるが大神官になる筈だった男が異教の神の前で愛の誓いをしたのだ。

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デネロス少尉とアスルが思わずステファン大尉とケツァル少佐を見比べた。シオドアは彼等の心の中が読める気がした。

 まさか、この2人は姉弟だったの?
 大尉は姉君に恋心を抱いているのか?

少佐と大尉は互いにチラリと目を交わし、肩をすくめ合った。

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 グラダ・シティからはシュカワラスキ・マナ捕縛の命令が出されていた。大神官の修行を貫徹させずに逃げ出した純血のグラダが暴走した時、どれだけ危険か、長老会が危惧したのだ。他にグラダ族に匹敵する能力の人間はいない。彼等はシュカワラスキの逃亡から2年目に彼をオルガ・グランデで見つけた。
 ブーカ族のエルネンツォ・スワレが彼の説得に当たった。エルネンツォはブーカの名家の当主で”砂の民”だった。もしマナが一族に災厄を招く様な行動を取れば即殺害する覚悟で説得に臨んだ。純血のグラダと戦えば生きて帰れぬかも知れぬ危険を承知で役目を引き受けた。
 シュカワラスキは拒否した。彼は家族を得て、初めて人並みの幸福を知ったのだ。しかし長老会は彼の我儘を許さなかった。そこでエルネンツォは彼に子供を寄越せと迫った。マナの子供は確実に半分グラダだ。それ以上の可能性もあった。教育次第で男の子なら大神官になれるかも知れない、女の子なら次代のママコナを産めるかも知れない。当然ながらシュカワラスキはそれも拒否した。彼の最初の子供は女の子だった。彼は義父を真似て娘の能力を封印しようと試みたが、中途半端で修行を投げ出した彼には難し過ぎた。娘は死んでしまった。
 我が子を死なせてしまったシュカワラスキはショックを受け、オルガ・グランデを自らの結界に取り込んでしまった。”ヴェルデ・ティエラ”には無意味な結界だが、”ヴェルデ・シエロ”は出入りが出来なくなった。エルネンツォ・スワレは結界を下げさせる為に、シュカワラスキの2番目の娘を人質に取ろうとした。当時、オルガ・グランデの街に結界で閉じ込められた”ヴェルデ・シエロ”の中に、ファルゴ・デ・ムリリョがいた。考古学者だが、裏の顔は”砂の民”だ。彼は同僚であるエルネンツォの意を汲み、シュカワラスキの子供を拐いに行ったのだが、赤ん坊が麻疹に罹っていることを知った。直ちに医師に診せるようシュカワラスキに進言したが、父親は子供を人質に取られることを恐れ、拒否した。赤ん坊は死んでしまった。
 2人も続けて我が子を失ったシュカワラスキは当然ながら怒り心頭に発した。彼とエルネンツォ・スワレは激しく戦った。彼の妻カタリナ・ステファンは夫に投降してくれと懇願した。生きていれば必ずまた会える、彼に死んで欲しくないと訴えたのだ。しかしシュカワラスキの怒りは抑えられなかった。
 赤ん坊の死から13日目に、エルネンツォ・スワレの遺体が発見された。全身の骨を打ち砕かれていた。そんなことが出来るのは”ヴェルデ・シエロ”だけだ。当然シュカワラスキが疑われた。超能力で人間を殺害するのは大罪だ。長老会は全ての”ヴェルデ・シエロ”にシュカワラスキ・マナの捕縛を生死問わずで発令した。
 しかし、これは先日の調査会で判明したことだが、エルネンツォ・スワレを殺害したのは、弟のトゥパル・スワレに宿っていたニシト・メナクだったのだ。彼等は空間通路を使い、シュカワラスキの結界の隙間である地下の坑道を利用してグラダ・シティとオルガ・グランデを何度も往復していた。トゥパルにとっては兄の援助だったが、その言動に弟と異なるものを感じたエルネンツォにニシトの魂の存在を見破られてしまったので、殺害したのだ。誰もその事実に気が付かなかった。トゥパル自身も、兄を殺害したのはシュカワラスキだと思い込んだ。殺害時、彼の意識はメナクに抑え込まれていたのだ。ニシト=トゥパルはシュカワラスキに更に罪を被せる為に仲間を4人次々と騙し討ちで殺していった。地下水路を利用してオルガ・シティを脱出したムリリョや他の”ヴェルデ・シエロ”は真相を知る由もない。シュカワラスキ・マナは大罪人の汚名を着せられることになった。

星の鯨  8

  全ては遠い過去に始まった。
 出生率の低下で部族としての勢いを失ったグラダ族は歴史から消えて行き、その血を受け継いだ一部の者が集まってグラダ族の復権を企み、血を濃くする試みを始めた。しかし混血のグラダ達は気の制御が上手く出来ず、指導者もいなかった。試みは中央のママコナに秘密で行われていたからだ。他部族にも内緒で行われていた純血種への回帰は、彼等を狂気へと駆り立て、麻薬に頼るようになった。彼等イェンテ・グラダ村の存在が中央の長老会に知れたのは、その狂気が周囲の”ヴェルデ・ティエラ”に知られたからだ。既に時代は20世紀も終盤にかかっていた。ママコナと長老会は”ヴェルデ・シエロ”全体の安全を守ることを第一と考え、イェンテ・グラダ村をこの地上から抹消した。
 イェンテ・グラダ村の生き残りは幼過ぎて殺戮から免れた3人の子供だけだった。半分グラダのウナガン・ケツァルとニシト・メナク、そして大人達の念願だった純血種のシュカワラスキ・マナだ。彼等はそれぞれブーカ族の家庭で養育されたが、最年長のニシトは両親を殺された時の記憶があった。彼は成長するに従い、密かにウナガンとシュカワラスキにその事実を伝えたが、彼は親達が殺された本当の理由を知らなかった。生き残った子供達は、ただ一族への恨みを募らせて行っただけだった。
 ウナガンはママコナの神殿で働く女官となった。そして純血種故に大神官となるべく教育を受けている最中だったシュカワラスキに子供の父親になることを頼んだ。彼女はニシトと愛し合って結婚していたのだが、子供の父親は純血種が生まれる確率の高いシュカワラスキを選択したのだ。これはニシトも合意の上だった。ニシトは親を殺された恨みと、一族が混血のグラダである彼を無視して純血種のシュカワラスキだけを大切にしていると思い込み、一族への憎しみしか抱いていなかったのだ。ウナガンの権勢への欲望とニシトの一族への怨恨が手を結んだ。
 シュカワラスキは単純にウナガンを愛していた。だから彼は喜んで彼女の提案を受け入れ、子作りに協力した。彼が大神官になれば、ニシトも側近として権力を得られる筈だった。しかし、ウナガンは欲を出した。生まれてくる子供が女の子であったなら、ママコナにしようと考えたのだ。その為には当代のママコナが子供が産まれる前に死ななければならない。ウナガンは臨月になると、ママコナの暗殺を図った。しかし、ママコナの食事に毒を盛ろうとした彼女の手は突然動かなくなり、彼女はパニックに陥った。女官達に制圧された彼女は、企みを白状させられ、投獄された。
 ママコナは、ウナガンの腹の中の子供が、母親の悪意を感じて止めたのだろうと言った。ウナガンはそれを信じなかった。ママコナが彼女の子供を誑かし、彼女を罪に陥れようとしたのだと主張した。ママコナはそこで初めてイェンテ・グラダ村の生き残りの3人が心の闇を抱えていたことを知った。偉大なる巫女はウナガンの胎内の子供に語りかけ、子供が母親の毒気に侵されぬよう守り続けた。
 ウナガンが失敗して捕らえられたことを知ったニシト・メナクは妻を返せと長老会に訴えた。ウナガンの心の闇の原因が彼であることを知った長老会は彼の要求を退けた。ニシトはシュカワラスキにウナガンを救い出すよう求めたが、シュカワラスキは一族に逆らうことを良しとしなかった。その間に牢獄のウナガンは衰弱していった。企みが失敗した上に自身が愚かにも夫の怨恨に引き込まれたことを、ママコナとの連日の対話でようやく理解したのだ。激しい後悔と自責の念が彼女を弱らせていった。ママコナと女官達は彼女を救おうと尽力したが、彼女自身が死を受け入れたのだ。彼女は最後に一族への貢献として純血種の子供を産み落とした。シュカワラスキ・マナの娘だ。ママコナはウナガンに子供に名を与える栄誉を与えた。免罪だった。赤ん坊に最初で最後の乳を与えて名前を付けたウナガンは、安らかにこの世を去った。
 ウナガンの死を、2人の幼馴染で彼女を愛した男達は素直に受け入れることが出来なかった。彼女の夫として名目上の子供の父親になる筈のニシトは、子供を受け入れることが出来なかった。母親を胎内で裏切った子供だと罵り、養育を拒否した。長老会も彼に子供を託す訳にいかぬと判断した。子供の命を守る為に誰に育てさせるのが最善かと考えていると、ママコナが提案した。最も一族から遠い場所にいる一族に与えよう、と。子供は政治から遠ざけて育て、成長した暁にその将来の選択は誰も干渉してはならぬ、と。つまり・・・

「普通の子供として育つ様に」

とママコナは決定を下した。長老会は、ウナガンが産んだ赤ん坊を、白人の血が濃いサスコシ族のメスティーソ、フェルナンド・ファン・ミゲールとスペイン人の妻マリア・アルダ・ミゲール夫妻に与えた。シータ・ケツァルと言う本名以外の子供の身元に関する情報を一切与えずに。 

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「少佐は普通の子供じゃないですよ。」

とマハルダ・デネロス少尉がお茶を飲みながら言った。

「凄いお金持ちのお嬢様ですもの。」

 大統領警護隊文化保護担当部の隊員達とシオドア・ハースト、アリアナ・オズボーンはケツァル少佐のアパートに集合して、今回の事件の顛末を少佐とステファン大尉とロホから聞かされていた。少佐達もあの迷路の様な坑道から救出されて長老会と大統領警護隊本部の合同調査会で知ったことを話しているのだ。最初は若い2人の少尉に何も教えないでおこうと彼等は思っていたのだが、”心話”でいつかぽろりと伝わってしまうかも知れない。それでは部下に上官に対する不信感が生じるのではないか、とシオドアが言ったのだ。シオドア自身も事件の整理がまだついていなかったし、アリアナも誘拐されたので巻き込まれた理由を知る権利があった。
 しかし、最初の部下からのコメントが、マハルダのちょっとズレた感想だった。話の腰を折られて、アスルが不満げにデネロスに注意した。

「話の展開にそんなことは問題じゃない。つまらんことに口を出すな。」

 デネロスがペロッと舌を出した。

「すみません・・・続けて下さい。」


2021/08/13

星の鯨  7

  復路は往路より辛かった。行きは4人だったが帰りは3人だ。目的を果たし、誘拐された2人を救出したが、彼等は空間通路で無事にグラダ・シティへ送り届けられた。残された3人は疲れた体に鞭打って荷物を背負い、坂道を登り続けた。
 先頭はシオドアだ。ヘッドライトの光だけを頼りに道を見つけて歩いて行く。真ん中のケツァル少佐はナビゲーターで、方向を指示する。最後のステファン大尉は2人分の荷物を背負って黙々と歩いていた。
 シオドアはライトの電池が使い果たされてしまうことを恐れた。最後の1個をセットする時、これがなくなれば真っ暗闇だと思い、気分も暗くなった。少佐と大尉は闇でも見えるが、自分が何も見えないと言うのは辛く苦しい。出来るだけ早く照明が設置されている現役の坑道へ出ようと頑張って歩いた。
 ケツァル少佐はまだ胸が痛むのか、時々立ち止まって片手で胸を抑えていた。呼吸を整え、再び歩き出す彼女に、シオドアは前を向いたまま水筒を差し出した。グラシャス、と彼女が低い声で感謝した。
 ステファン大尉はナワルを解いた。変身した姿から人間に戻ると丸1日は動けなくなると言う”ヴェルデ・シエロ”の体質に耐えて歯を食いしばって歩いていた。シオドアは休憩させてやりたかったが、休むとそのまま眠ってしまうと少佐に言われて、彼に我慢させるしかなかった。ストレス解消のタバコも許されなかった。気を抑制する効果は、ナワルを使った後の体に眠気を誘うのだ。
 シオドアは気を紛らわせる為に、独り言でも良いから喋ってみたくなった。

「俺達が出かけている間、文化保護担当部にはマハルダしかいないんだよな。アスルは脚が治る迄本部でリモートワークだろ? マハルダは忙しいだろうな。」
「そうでもないですよ。」

と少佐が応じた。

「隣の部署から回されてくる申請書類に記入漏れがないかチェックして、書類のデータを入力するだけです。警護の規模を考えるのはロホですから、ロホがいなければ書類を置いておけば良いのです。ロホの書類は溜まりますけどね。」
「カルロは何をするんだい?」
「カルロは予算の計上です。ロホが想定する警備規模に係る金額を算定するのが仕事です。」
「なんだ、カルロは会計士か。頭が良いんだな。アスルは何をしているんだ?」
「アスルは実際の警備に係る兵力の手配です。 但し、私が今言った仕事はオフィスの中だけですよ。」
「それじゃ、マハルダからロホへ行く途中で書類が止まるとアスルの仕事がない?」
「ありません。」
「君の仕事は?」
「私は承認です。警備規模、予算が適正であると判断したら承認の署名を入れます。するとマハルダが申請団体に連絡を入れて実際の準備に取り掛からせます。その間にアスルが陸軍に連絡を入れて警備隊を組織させるのです。」
「そして現地での警備の監督と遺跡の見張りを君達全員が交替で行うのだな?」
「スィ。」
「休日は何をして過ごすんだい? 省庁は土日は休みだろう? 君達も休みかい?」
「軍隊に休日はありませんが、それは建前です。」

と少佐がけろりとして言って退けた。

「まず、オフィスが閉まってしまうので、デスクワークが出来ません。文化保護担当部の業務は休業です。ですから、我々は軍事訓練を行います。」
「本部で? それとも士官学校で?」
「ノ。海岸とかバナナ畑とかサッカー場とか・・・」
「野外訓練だから、実際の場所に似たような所を使うんだな。」

 するとステファン大尉が囁く様な声で言った。

「訓練の内容は、主に隠れん坊や鬼ごっこです。それから宝探し・・・」

 シオドアは少佐を振り返った。

「遊びじゃないか。」
「ですから、建前だと言いました。」

 少佐は真面目な顔で言った。

「ジャガーの子供の訓練を参考にしているだけです。」

 シオドアは笑った。立派な大人が、それも泣く子も黙る大統領警護隊の軍人が、ビーチや畑で隠れん坊? 鬼ごっこ? 

「まさか、絶対に参加しなければならないのか?」
「任意です。」
「誰も来ない時は?」
「指定時間に来なければ、私はそのまま休日モードに入ります。」

 やっぱり遊んでいるのだ。少佐も必ずしも部下に相手にして欲しい訳ではなく、軍隊と言う集団である建前上、訓練を設定しているだけなのだろう。するとステファンが言った。

「マハルダは必ず参加していますね。」
「スィ。」

 少佐がちょっと立ち止まって休んだ。 シオドアも足を止めた。ステファン大尉は荷物を背負って立ったまま休憩だ。

「彼女は早く現場に出たいので、訓練も頑張っているのです。ですから、隠れん坊と言えども手は抜けません。」

 ステファン大尉が、シオドアが考えていた遊びではないことを教えた。

「我々の隠れん坊や鬼ごっこは実弾射撃を伴いますから。」
「空砲やペイント弾でなく?」
「実弾です。飛んでくる弾丸の破壊が大統領警護隊の役目ですから。」
「ああ・・・そうだったな。」

 ステファンが欠伸を堪えて横を向いた。また歩こうとシオドアが前を向くと、ライトの光の中に人影が現れた。彼は思わずアサルトライフルを構えた。

「誰だ?」

 すると相手が思いがけない名乗りを上げた。

「大統領警護隊遊撃班ファビオ・キロス中尉です。司令の命により、文化保護担当部の指揮官シータ・ケツァル・ミゲール少佐、副官カルロ・ステファン大尉、及びグラダ大学客員講師テオドール・アルスト博士をお迎えに上がりました。」

 よく見ると彼の背後には10名ばかりの兵士が立っていた。皆目を金色に輝かせていた。ケツァル少佐ではなく、ステファン大尉が前に出た。

「大統領警護隊文化保護担当部指揮官ミゲール少佐の副官ステファン大尉だ。ミゲール少佐は胸に深い傷を負われて平常の活動が困難である。またアルスト博士は民間人で”ヴェルデ・ティエラ”であるにも関わらず我々の助力となりお疲れだ。私に関して報告すれば、ナワルを使った直後である。従って速やかに本部へ我々を移送されたし。」

 キロス中尉がシオドアをジロリと眺め、それから少佐に視線を移した。恐らく2人の身体検査を”透視”で行ったのだろう、とシオドアは見当をつけた。果たして、キロス中尉は少佐の胸の傷が心臓にあることを発見して、青褪めた。

「そのお体で、一体どれだけの距離を歩いて来られたのですか?」

 少佐は肩をすくめた。

「歩くのに精一杯で距離を計測していません。あなた方の接近にも気づかなかったのです。大失態です。」
「時間にして・・・4時間かなぁ・・・」

 シオドアは時計を見ながら呟いた。

「疲れて空腹も感じない程だ。なぁ、カルロ・・・」

 振り返って、ドキッとした。ついさっき、あんなに堂々と口上を述べたばかりなのに、ステファン大尉は既に立ったまま居眠りモードに入りかけていた。
 ナワルを使える大統領警護隊の隊員達はステファンの疲労が理解出来たのだろう、笑ったりしなかった。キロス中尉がステファンにではなくケツァル少佐に言った。

「失礼しました。こちらに”入り口”があります。どうか、”通路”を出る迄眠らないで頂きたい。」

 少佐が彼に尋ねた。

「意識のない人間を通路で先導した経験はないのですか?」

 キロス中尉は戸惑って部下達を振り返った。誰もが首を振るのを見て、シオドアは文化保護担当部の隊員達が本隊の隊員より優秀だと思った。キロス中尉は赤くなって少佐に向き直った。

「申し訳ありません。我々は未熟です。」
「未熟ではなく未経験なだけです。」

 少佐は立ったままうつらうつらしかけたステファン大尉の顔の前で両手をパンっと叩いた。大尉がハッと目を覚ました。

「あと少しで任務完了です。それまで耐えなさい。」

 少佐に言われて、大尉は敬礼で応えた。そしてシオドアに小声で頼んだ。

「私がまた眠りかけたら、踵を蹴飛ばして下さい。」

星の鯨  6

  トゥパル・スワレの体に宿るニシト・メナクが悲鳴を上げた。シオドアは急に呼吸が楽になって、その場に膝を突いた。肺が空気を求め、彼は激しく咳き込んだ。ケツァル少佐が彼の体に腕をかけ、背中を優しく摩った。
 男の悲鳴が続いていた。シオドアが顔を上げて見ると、地面に倒れた男の上に大きな黒いジャガーがのしかかっていた。男は両腕を顔の前にかざし、噛まれまいと必死で抵抗していたのだ。シオドアは怒鳴った。

「殺すな、カルロ! そんなヤツの血で君の牙を汚すな!」

 ジャガーが逞しい前脚を持ち上げた。ケツァル少佐が叫んだ。

「止めい!」

 ジャガーの動きが止まった。男はまだ腕で顔を覆っていた。腕は傷だらけで血が流れ出ていた。その腕が少しでも動くと、ジャガーが威嚇の声を発した。

「退がれ、エル・ジャガー・ネグロ。」

 穏やかな男性の声が聞こえた。シオドアと少佐は声がした方向へ振り向いた。そして暗がりの中から湧いて出た5人の白い貫頭衣の人物を見た。彼等は全員奇妙な文様が入った人面の仮面を被っていた。長老会の人々だ、とシオドアは思った。
 別の声が同じことを繰り返したが、それは女性の声だった。

「退がりなさい、エル・ジャガー・ネグロ。」

 黒いジャガーは唸り声を出した。その「抗議」を理解したのか、先刻の女性が応えた。

「怒りは理解します。しかし、裁きは我々で行います。」

 ジャガーが男の体から下りた。まだ唸り声は続いていた。相手に、少しでも動くと爪を立てるぞと威嚇しているのだ。
 シオドアはケツァル少佐に手を貸して立ち上がった。彼等はニシト・メナク=トゥパル・スワレが地面に蹲り両手で頭を抱えているのを見下ろした。
 シオドアは新たに現れた人々に声を掛けた。

「あなた方は長老会の人々だとお見受けします。ここで起きたことを、何処からご存知ですか? 今来られた様に見えましたが・・・」

 3人目が答えた。

「暗がりの神殿にいると、ここでの会話が全て聞き取れるのだ。何処から聞いていたかだと? フン、黒猫が湖に入ったあたりからだ。」

 その喋り方に聞き覚えがあったので、シオドアはドキッとした。貴方は、と言いかけると、ケツァル少佐が脇腹を肘で突いた。仮面を被った長老に個人名を呼んではいけないのだ。
 4人目が説明した。

「アルファット・マレンカが白人の女を連れてピラミッドの太陽神殿へ戻って来た。彼の通報を受け、すぐに動ける者だけで彼の記憶を辿って太陽神殿から空間を抜けて暗がりの神殿に来たのだ。暗がりの神殿は禁忌の場所で長い間誰も立ち入らなかったので、仕組みもよくわかっていない。だが奥の壁の前に立つと、ここでのお前達の会話が全て聞こえた。」
「え? そんな仕組みがあったんですか?!」

 シオドアが単純に驚くと、少佐が小声で囁いた。

「私達が向こうにいた時、こちら側には誰もいなかったでしょ!」
「あっ、そうか・・・」
「恐らく、ここでの音声を壁の向こうで巫女や神官が聞いて、神託を行っていたのです。」

 4人目はシオドア達の口出しに気を悪くした様子もなく続けた。

「”入り口”も奥の壁にあった。襞の様な”入り口”だったので、マレンカの小倅も気付かなかった様だが。」

 最初の長老が後を継いだ。

「我々もここは初めてだ。ここへ来て初めて知ったことばかりでな・・・」

 彼は仮面越しに湖や天井を眺めた。

「恐らく、生きている者が知ってはいけない場所なのだろう。」

 彼には誰か懐かしい人が見えたのだろうか。
 すると5人目が初めて声を出した。

「急がせて申し訳ないが、この”ヴェルデ・ティエラ”は早く手当てしてやらなければ死んでしまうぞ。」

 彼は倒れていたシャベス軍曹を診ていたのだ。

「頭の中の出血を止めておいた。後は医者に任せるしかない。”ティエラ”は自分で治せないからな。」

 3人目がケツァル少佐に向き直った。

「ケツァル、そこで縮こまっている男を束縛せよ。」
「承知。」

 ケツァル少佐はスワレ=メナクを引き起こし、残っていたロープで後ろ手に縛り上げた。3人目の長老が薄刃のナイフを取り出し、男の前に屈み込んだ。

「聖地を汚す罪を知っているな?」

 彼がいきなり手を動かしたので、男が悲鳴を上げた。シオドアは3人目の長老が何をしたのかすぐにわからなかった。びっくりして男の様子を見ようとしたが、足元にジャガーがすり寄って来たので前に出られなかった。女性の長老がシオドアの為に教えてくれた。

「目を使えない様にしただけです。」

 目を潰したのか? シオドアはゾッとした。メナクはスワレが死んだ様なことを語っていたが、肉体の苦痛を感じたり、機能の低下は辛い様だ。
 3人目が罪人を立たせた。5人目が4人目にシャベス軍曹を運ぶ手伝いを要請した。

「年寄りの仕事ではないぞ。」

と4人目が文句を言ったので、シオドアはおかしく思えたが笑うのを控えた。3人目が宥めた。

「ここにいる若い連中は使えぬ。白人は神殿に入れられぬ。それでなくともマレンカの小僧が白人女を入れたので清めの為に女官達が奔走しておるのだ。ケツァルは手負で力仕事を任せられぬ。黒猫はまだナワルを解いておらぬ。解けても暫く動けぬだろう。」

 長老達は、罪人と怪我人を運んで暗闇の中へ消えていった。
 
 静寂が洞窟内に戻って来た。
 シオドアは命綱を片付け、ケツァル少佐も装備をリュックに片付けた。彼女がシャベス軍曹に投げつけたのは、温パック用に持参した使い捨てカイロだった。水泳で冷えたステファン大尉の為に使用しようとリュックから掴み出したところで、シャベス軍曹の存在に気がついたのだった。
 2人がせっせと作業をしている間、黒いジャガーは岩の上に寝そべって見物していた。ゴロゴロ喉を鳴らす音が響いていた。シオドアが声をかけた。

「おい、寝てないで手伝えよ。」
「放っておきなさい。」

と少佐が地面に罪人の血が落ちていないか確認しながら言った。

「ナワルを解いても寝てるだけです。すぐには役に立ちません。」
「それじゃ、猫と同じじゃないか。」

 2人で言いたい放題だ。

「どうやって帰るんだ?」
「暗がりの神殿までなら、”入り口”を使えるでしょう。」
「そこからは?」
「歩きです。」
「俺たちは太陽神殿へ行く通路を使えないのか?」
「無理です。私も権限を与えられていません。」
「ロホは空間通路でめっちゃ早く帰れたんだよな?」
「ロホだから出来たのです。私が普通の”入り口”を見つける迄はひたすら歩きです。」

 荷造りが終わったので、シオドアは黒いジャガーのそばへ行った。ジャガーが緑色の目で彼を見上げた。シオドアは屈み込んで、ビロードの様な毛皮を撫でた。本当に美しい獣だ。強くて逞しい。古代の人々が神として崇めたのも理解出来る。

「もしかすると親父さんの無実が認められるかも知れないな。少なくとも、殺人の罪は免れると俺は思う。君は親父さんのことを堂々と語れるんだ。」

 ジャガーが目を閉じて頭をシオドアの胸に押し付けて来た。シオドアはその逞しい首を抱いてやった。ゴロゴロ・・・ジャガーが喉を鳴らし続けた。
 少佐が呟いた。

「ジャガーもリュックを背負えるかしらね・・・」

 天井や鯨を覆う無数の光の点達が笑ったかの様に瞬いた。


2021/08/12

星の鯨  5

  白い貫頭衣の男がジリジリと下流の岩壁の方へ回り込みながら近づいて来た。

「その女は、母親の腹の中にいる時に、母親を死に追いやったのだ。儂の妻が惨めに牢獄で死んでいったにも関わらず、己はのうのうと生きておる。許し難い存在だ。」

 その話を何処かで聞いたことがある。シオドアは相手を見つめた。

「貴方は、ニシト・メナクか?」
「アイツはブーカです。」

と少佐が囁いた。

「グラダではない。でも・・・」

 彼女は戸惑っていた。

「時々気の大きさが変化します。」
「どう言うこと?」
「時々グラダで時々ブーカ・・・」

 シオドアは相手の動きに合わせて体の向きを変えた。少佐を常に後ろへ隠す形になろうと務めた。男が声を張り上げた。

「こっちへ来い、ケツァル! お前は儂の娘になる筈だった女だ!」
「やっぱり、ニシト・メナクだ。」

とシオドアは言った。

「貴方、自殺したんじゃなかったのか? ウナガン・ケツァルがママコナの暗殺に失敗して捕らえられた時に、彼女を救出することもしないで、ただ返せと訴えただけだろ? ウナガンがシュカワラスキ・マナの子供を身籠ることを黙認したくせに、生まれた子供を引き取ることを拒否したんだろ? ウナガンが死んでマナが逃げ出したら、絶望して自分で死を選んだんじゃないのか? 勝手な男だよな。イェンテ・グラダ村の殺戮の時、ウナガンもシュカワラスキもまだ赤ん坊で何も覚えちゃいなかった。貴方が彼等に教えて、親の敵討ちに誘い込んだんだ。それなのに仲間が失敗したら、自分だけ逃げた。死んだふりをしたのかい? 今までブーカ族のふりをして、一族を騙していたんだな?」

 喋りながら、彼は岩に結えつけていた命綱が弛んでいることに気がついた。ステファン大尉は何処へ行った?
 男がフッと笑った。皺だらけでよくわからないが、笑ったのだ。

「儂はブーカ族のふりなどしておらぬ。元々半分ブーカだった。そしてこの体は完全にブーカだ。」

 少佐がシオドアの後ろから顔を出した。

「貴方はトゥパル・スワレの体を乗っ取ったのか、メナク?」
「乗っ取った? 憑依したってことか?」

 シオドアは目の前に立っているのが化け物に思えてきた。こいつを倒せるのだろうか?

「憑依か・・・」

と男が言った。

「確かに。儂とトゥパルは契約したのだ。トゥパルは儂のグラダの力を欲しがった。儂は一族に君臨する力が欲しかった。スワレの家長になればそれは夢ではない。だから儂はニシト・メナクであることを捨てたのだ。」

 それは何時のことだ? シオドアは疑問を感じた。ニシト・メナクが自殺したことになっているのは、シュカワラスキ・マナがグラダ・シティから逃げて半年後だ。その時にメナクとトゥパル・スワレの間で契約が成立していたとなれば、スワレ家の人々はずっと彼等に騙されていたことになる。兄のエルネンツォも・・・。
 突然、シオドアはある考えに至った。彼は男に尋ねた。

「エルネンツォ・スワレを殺したのは、シュカワラスキ・マナではなく、貴方じゃないのか?」
 
 男は答えなかった。否定しないのだから、沈黙は肯定だ、とシオドアは確信した。

「エルネンツォは貴方が弟とメナクの二重の人格を同居させている人間だと知ってしまったんだ。だから、貴方は兄を殺害して、シュカワラスキ・マナに罪をなすりつけた。そして4人の”砂の民”も貴方が殺したんだ!」

 彼は暗闇をライフルで指した。

「スワレはブーカだから、空間通路を自在に使える。シュカワラスキ・マナが作った結界も貴方には意味がなかった。この坑道の中にいくつか”入り口”と”出口”を持っていたんだろ? だから鯨の文句が書かれた神殿も知っていたし、ここへも出て来られたんだ。」

 男が低い声で笑った。

「トゥパルは本気でシュカワラスキ・マナが兄を殺したと思い込んでいたぞ。己の手で殺しておきながら、記憶がなかったのだ。儂がグラダの力を使う時は意識がなかったからな。だからシュカワラスキの倅が成長してグラダ・シティにいると知ると、儂に消してくれと頼んだ。己の力でグラダに挑むことは不可能だと怖気付いたのだ。儂はまだ正体を誰にも知られたくなかった。だからややこしい技で”ティエラ”の兵隊どもを操らねばならなかった。儂にはまだやるべきことがあったからな。」
「何をやるつもりなんだ?」

 シオドアは男の背後の岩陰から真っ黒な影が出て来るのを視野の片隅に捉えた。

「トゥパルの体は老いた。」

と男が言った。

「この体はもう使い物にならぬ。トゥパルもいなくなった。」
「え?」

 とシオドアと少佐が同時に声を出した。トゥパルがいなくなったと言うことは?

「アイツは消えたのだ。白人の女がシュカワラスキ・マナの倅を殺した時にな。」
「つまり、貴方の宿主は寿命が尽きて死んだのか。」

 シオドアは目の前の男が屍人なのだと悟った。自殺した男の魂が動かしている死体だ。
 男の背後から黒い影が近づいて来た。緑色の二つの目が輝いていた。
 シオドアは叫んだ。

「それじゃ、貴方も潔くあの世に行ったらどうなんだ?」
「儂はまだ行かん。その女を寄越せ。グラダの体が必要だ。」
「何を世迷言を言ってるんだ? 狂っているのか?」

 いきなり喉が詰まった。締め付けられた。彼はライフルを落とした。何かに首を絞められる・・・少佐が彼の体に縋り付いてきた。

「テオ! アイツを振り払いなさい!」

 その時、 野獣の咆哮が洞窟内に轟いた。


星の鯨  4

  光の点達が騒ぎ始めた。サワサワザワザワと音が大きくなってきた。シオドアは銃口を見つめた。洞窟内の光が増した様な気がした。暗闇が薄くなり、男の姿がぼんやりと見えてきた。ヨレヨレのシャツと泥だらけのパンツ姿のエウセビーオ・シャベス軍曹が、アサルトライフルを手に立っているのだった。ライフルはケツァル少佐の物だ。軍曹はじっとシオドアに照準を定めていた。シオドアは頭の中で周囲の風景を展開させてみた。身を隠せる岩がそばにない。体を地面に投げ出してもライフルの銃弾を避けられない。
 ケツァル少佐はじっとしていた。荷物を取ろうとしてライフルがないことに気がついたのだろう。そしてシャベス軍曹の存在を知って、武器から目を離してしまった己のミスを悟ったのだ。彼女の目は軍曹を見ていなかった。前方の暗闇を向いていたが、多分全神経はシャベス軍曹の指の動きに集中させている筈だ。シャベス軍曹はトゥパル・スワレの”操心”に掛けられているから、そこに更なる”操心”を上書きすることは至難の業だ。シオドアは彼女がアリアナの”操心”に”幻視”を上書きした時のことを思い出した。アリアナに少佐自身をステファン大尉だと思わせることは成功したが、トゥパル・スワレの”操心”を解くことは心臓を刺される迄不可能だった。
 少佐は今どうしようかと考えている、とシオドアは思った。下手に動いて軍曹に引き金を引かせてしまったら、シオドアは確実に撃たれる。ここは”連結”とか言う技しかないのでは? しかし今の少佐にそれを使う力が残っているだろうか。
 その時、湖の何処かでパシャッと水音が響いた。シャベス軍曹の注意が一瞬そっちへ飛んだ。少佐がリュックの中で掴んでいた何かの小袋をシャベス軍曹に投げつけた。軍曹が小袋に銃口を向けた。シオドアは夢中で軍曹に突進した。軍曹が銃を構え直す前にタックルした。
 アサルトライフルが火を吹いた。天井の岩に向かって数発の銃弾が撃ち込まれ、岩の破片が落ちてきた。シオドアとシャベス軍曹は岩の上に倒れた。軍曹の頭の下でゴツッと嫌な音がした。シオドアは必死で彼の手からライフルを奪い取った。シャベス軍曹は頭を上げかけ、また落とした。頭上でザーザーと音がした。光の点が乱舞していた。銃弾に驚いたのか?
 
「テオ!」

と少佐が呼んだ。シオドアは彼女を振り返った。ケツァル少佐がシャベス軍曹が立っていたその奥の暗闇を指差した。真っ暗だったが、何か白い物が近づいて来るのが見えた。シオドアは立ち上がり、アサルトライフルをそちらへ向けた。

「少佐、俺の後ろに来い!」

 多分、ケツァル少佐は今迄他人の後ろに隠れるなんてしたことがなかっただろう。しかし彼女は素直に彼の後ろに来た。

「スワレか?」
「スィ。」
「丸腰か、何か持っているか?」
「杖を持っています。武器はそれだけです。」

 つまり、杖を武器にする可能性はあると言うことか。相手は”ヴェルデ・シエロ”だ。銃火器や刃物を持っていなくても、危険な存在であることに間違いない。

「向こうに坑道があるのか?」
「ノ・・・”出口”から来ました。」

 つまり、空中から湧いて出てきたのだ。
 シオドアはシャベス軍曹に視線を向けた。シャベスは倒れたまま動かなかった。頭の打ちどころが悪かったのか? シオドアは彼に怪我をさせたのではないかと不安になったが、確かめる余裕がなかった。
 天井の点が動き、見える範囲が広がった気がした。近づいて来る人物がシオドアの目にも見える様になった。白い貫頭衣を着た男だ。身長が高く、頭髪は薄い。残っている髪の毛は真っ白だった。シオドアは骸骨が歩いているのかと思った。それ程に男は痩せこけてシワだらけだった。目は”ヴェルデ・シエロ”らしく暗闇の中で金色に光っていた。シオドアは彼に声を掛けた。

「貴方がトゥパル・スワレか?」

 男が足を止めた。微かに驚いている気配を感じられた。シオドアは相手が何に驚いたのかわかった。

「俺に”操心”を掛けているつもりだったか? 生憎、俺は特異体質なんでね、あなた方の常識に当てはまらないことが多いんだ。もっとも、俺の立場から言わせて貰えば、あなた方”ヴェルデ・シエロ”の方が人間の常識から外れているがな。」

 男が嗄れ声で言った。

「お前に用はない、その女を渡せ。儂のものだ。」

 シオドアの後ろでケツァル少佐が「はぁ?」と声を出した。シオドアは相手を挑発してみた。

「馬鹿か、貴方は? 彼女が貴方みたいな爺さんのものになる筈がない。」

 男が杖でシオドアを、と言うより彼の後ろにいるケツァル少佐を指した。

「その女は儂の妻を殺した。儂等の計画を潰した。だから、その報いを受けさせる。」

 支離滅裂だ、とシオドアは思った。ケツァル少佐がいつブーカ族の長老の妻を殺したのだ? ところが、後ろで少佐が呟いた。

「アイツ、誰?」

 

第11部  紅い水晶     20

  間も無く救急隊員が3名階段を昇ってきた。1人は医療キットを持ち、2人は折り畳みストレッチャーを運んでいた。医療キットを持つ隊員が倒れているディエゴ・トーレスを見た。 「貧血ですか?」 「そう見えますか?」 「失血が多くて出血性ショックを起こしている様に見えます。」 「彼は怪我...