2021/10/31

第3部 狩る  6

  ケツァル少佐から正式な分析依頼書を書いてもらったテオは、医学部へ行った。スルメの袋に入れてあったので、余分な調味料の成分が付着していたが、それも別に分析して血液の分析結果から引くことになる。料金が割り増しになるが、それはテオでなく大統領警護隊が払うので彼は気楽に申請書に署名した。
 それから一旦医学部を出て、彼は生物学部の彼の研究室へ行った。残りの血液をD N A分析器にセットして本業に専念した。
 ケツァル少佐から電話がかかって来た時、時計は1時になろうとしていた。昼食は終わりましたかと訊かれて、昼食を忘れていたことを思い出した。まだだと答えると、少佐はカフェ・デ・オラスで待っているから来ないかと誘いをかけて来た。断る理由がないテオは喜んで研究室を施錠して出かけた。
 カフェ・デ・オラスは文化・教育省が入居している雑居ビルの1階にあるカフェだ。文化・教育省の職員の食堂みたいになっているが、役所の昼休みが終われば普通のカフェだ。テオが入店すると、少佐は指定席みたいないつものテーブルに着いていた。来たばかりなのか、手付かずの料理を前にして携帯の画面を見ていた。テオは彼女に声をかけ、それから店のスタッフに少佐と同じ物を注文した。
 彼が椅子に座ると少佐が携帯の画面を見せた。

「生物学部の別の准教授が大統領警護隊にこんな請求をして来ていますが?」

 マルク・スニガ准教授はやはりちゃっかりと分析費用を大統領警護隊に請求していた。仕方なくテオは説明した。

「先週アスルが送って来たコヨーテの体毛の分析を依頼したんだよ。俺の研究室とスニガの研究室の分析器でも結果を出して報告しておいたんだが、スニガは自分の機械が分析仕切れなかった成分があることを気にして、医学部に詳細な分析を依頼した。それでコヨーテの体毛からエクスタシーの成分が出た。アンティオワカ遺跡で捕まえたフランス人やコロンビア人がコヨーテに麻薬を与える理由がない。奇妙だと思わないか?」
「実験に動物を使ったのでしょう。」

と少佐が腹立たしそうに呟いた。

「コヨーテが自らドラッグを口にするとは思えません。考えられるのは、薬の完成度を確認する為に動物に与えたか、或いは運搬の為に肉にドラッグを隠していたのをコヨーテが盗んで食べたか、です。」
「コヨーテとアスルが出遭った女の間に関係はないと思うが、その女はビアンカ・オルトだろうか? アスクラカン訛りがあると言うのが、俺は気になる。」
「話を逸らさないで下さい。何故正式な分析依頼をしていない分析に大統領警護隊がお金を払わなければならないのです?」

 少佐がテオを呼んだのは、お金の問題であるらしい。最初の分析をした時は料金が発生しなかった。テオはいつもの友人に対する厚意で分析を行い、スニガ准教授も暇だったからしてくれたのだ。どちらも自分達が自由に使用出来る自分達の研究室の機器を使った。しかし医学部の機械は違う。最新鋭の機器で高価だ。そして医学部の担当者は友人ではない。

「医学部の機械は高価で使用料金が発生する。医学部はスニガに料金を請求したんだ。だからスニガは文化保護担当部に請求を回した。」
「文化保護担当部がスニガに分析を依頼した覚えはありません。」

 つまり、少佐は料金発生はテオの責任だと言いたいのだ。分析結果は目下のところ、どうでも良いのだ。一つの部署の責任者として、彼女は本部から文句を言われる前に問題を解決しておきたい訳だ。

「アスルかロホが正式な分析依頼書を書いてくれていたら、俺も君が本部に言い訳しやすい様に報告書を書いたのにな・・・」

 と言いつつも、友人達に責任転嫁したくないテオは、折れた。

「料金は俺がスニガに支払っておくよ。」
「何故貴方が払うのです?」
「しかし・・・」
「スニガ准教授が勝手に医学部に分析を依頼したのでしょう?」
「そうだが・・・」
「貴方は依頼していないのでしょう?」
「していないが・・・」

 少佐はスニガ准教授からのメールを削除した。

「我々は依頼した覚えのない仕事に料金を支払いません。」
「だから俺が・・・」
「貴方も払わなくてよろしい。」
「しかし・・・」
「貴方は何も見なかったのです。」

 そこへテオが注文した料理が運ばれてきた。

「貴方はスニガの為に何かしたことがありますか?」
「彼が採取した生物のサンプルのD N A分析を何度かしたが・・・」
「料金を取りましたか?」
「ノ・・・」

  少佐が自分の料理にやっと手をつけながら命令した。

「今回の請求は踏み倒しなさい。」


第3部 狩る  5

  医学部に電話をかけてG C M Sを利用出来るか尋ねると、期末試験期間なので機械は空いていると言う。利用料金を聞いて、大統領警護隊文化保護担当部のツケにしてもらうことにした。個人で払うには金額が大きかった。マルク・スニガ准教授は興味本位で依頼した様なニュアンスだったが、彼は自腹を切ったのだろうか。それともやはり大統領警護隊のツケなのか?
 約束の時間まで余裕があったので、文化・教育省に立ち寄ってケツァル少佐の了承を取っておこうと思った。
 文化・教育省の駐車場に車を置いて、入り口の無愛想な女性軍曹に入庁手続きをしてもらい、4階に上った。雨季が近づいているので文化財・遺跡課は来季の発掘申請時期が始まっていた。昨年見た顔の人が並んでいた。
 大統領警護隊文化保護担当部はそれらの申請が通って回されて来る書類の最後の「関門」だから、4、5日は少し暇なのだ。マハルダ・デネロス少尉は試験が終わったので余裕の表情で仕事をしていた。アンドレ・ギャラガ少尉は逆に雨季休暇の終盤に大学入試があるので、仕事も勉強も真剣だ。ロホは少尉達の仕事が終わらなければ彼の役目がないので、暇そうだ。それは少佐も同じで、テオがカウンターの内側に来た時、爪を研いでた。
 テオは2人の少尉と1人の中尉に挨拶してから、少佐の机の前に立った。

「ブエノス・ディアス、少佐。」
「ブエノス・ディアス、ドクトル。」

 仕事の時はテオではなくドクトルだ。少佐は爪を研ぎ終えて、道具を仕舞った。それから彼を見上げた。

「ご用件は?」

 テオは鞄からビニル袋を出した。

「今朝、アスルがうちに来て・・・」

 デネロスとギャラガが振り返った。遠い国境近くのミーヤ遺跡にいる筈のクワコ少尉がグラダ・シティに戻って来るとは只事ではない。それも備品調達ではなく、テオの家へ訪問だ。
 少佐がビニル袋を手に取った。中の血で汚れた枝葉を眺めた。そして説明を求めてテオを見たので、彼は説明した。

「昨日、ミーヤ遺跡に不審な女性が立ち入ったので、アスルが発砲したそうだ。女性はアスクラカン出身と思われ、銃創を負ったと思われるが、ジャングルの中に逃走したらしい。」

 それだけの説明で、ケツァル少佐とロホ、それにギャラガはテオが言いたいことを理解した。試験勉強でロレンシオ・サイスの一件に関わらせてもらえなかったデネロスは、無邪気に、

「ジャンキーって何処にでもいるんですねぇ。怪我をしても痛みを感じなかったんじゃ、重症ですよ。」

と言った。しかしロホと目を合わせた直後、真面目な表情になった。”心話”で先週の月曜日からの出来事を教えられたのだ。
 テオは少佐からビニル袋を返してもらい、用件を告げた。

「アスルにこれの分析を依頼されたので、これから医学部へ行ってGCMSにかけてくる。利用料金はそちらに請求を回すから、了承しておいてくれ。」
「いくらです?」

 と経理担当のロホが尋ねた。テオはここで言いたくなかったが、取り敢えず最低料金と最高料金を言った。ギャラガが思わず口笛を吹き、ロホが尋ねた。

「貴方の部屋の機械では無理なんですか?」
「無理だね。遺伝子分析じゃなくて、ドラッグの成分を調べるんだよ。遺伝子の方は俺の部屋で調べるから、例の女がドラッグをやっているかどうか、確認する。」

 ロホは少佐を見た。少佐が額に手を当てて考え込んだ。

第3部 狩る  4

  アスルは僻地で遺跡発掘監視をする間、ずっと現地にいる訳ではないと言った。

「発掘許可を出す前後に誰かが現地へ行って、遺跡の近くに”通路”があるかないか確認する。何処か一番近い”出入り口”を探すんだ。一月以内の任務なら使用することはないが、長期の場合は時々報告や必要な物の追加調達の為にグラダ・シティに帰ることがある。グラダ・シティに通じていなければ、最寄りの町や村へ行く。ミーヤ遺跡は国境に近いから、国境警備の隊員が使う”通路”を利用出来る。」

 彼は玄関のドアを開ける前に振り返った。

「分析結果は電話で構わない。」
「ちょっと待ってくれ・・・」

 テオはテーブルから離れ、アスルのそばに行った。まだ何かあるのか、とアスルは己の用件が済んでいるので面倒臭そうな顔をした。

「君が今から使う”入り口”はこの家から近いのか?」
「マカレオ通りの下の方にあるガソリンスタンドの裏にある。」
「”出口”もその近所か?」
「スィ。」

 アスルは時計を見た。遺跡の監視に戻りたいのだ。

「サスコシ族もその”入り口”や”出口”を見つけられるんだな?」
「ブーカ族ほどではないが、俺達オクターリャ族と同程度には見つけるだろう。もう帰って良いか?」

 テオは急いで頭の中を探った。まだ何か要件が残っている筈だ。

「この家に君が住む件・・・」

 アスルが黙って見返したので、彼は言った。

「やっぱり家賃はもらいたい。部屋代だけで良い、君の言い値で構わないから、払ってくれ。だから、この家にいつでも来てくれ。」

 アスルはプイッと前へ向き直った。そして振り返らずに言った。

「考えておく。」

 ドアを開けて出て行った。


2021/10/30

第3部 狩る  3

  水曜日の朝、テオは朝寝坊した。グラダ大学の期末試験はまだ続いており、彼が所属する生物学部は木曜日まで試験がある。テオは監督官の仕事を木曜日にするが、水曜日は空いていた。学生達が提出した答案用紙は研究室の金庫に入れてあるので、自宅では見ることが出来ない。だから、水曜日は試験当日に大学に来られないとあらかじめ判明していた学生5名がメールで送って来た論文を読むことにしていた。期限迄にメールが届かない学生は当然単位を与えられない。
 寝室から出ると、良い匂いが家の中に漂っていた。不審に思ってキッチンへ行くと、アスルがいて、朝食の支度が整ったところだった。先週の金曜日に別れたばかりなのに、すごく久しぶりの様な気がして、テオは思わず、「ブエノス・ディアス!」と叫んで彼に抱きついた。当然アスルは嫌がって避けようとした。

「なんでいつも抱きついてくるんだ?!」

 軍服のままのアスルは、キッチンが狭かったので結局捕まってハグの挨拶を受け容れた。

「いや、随分長い間会っていなかったから・・・」
「6日前に会っただろうが!」

 アスルがご機嫌斜めなのは平素のことで、これが機嫌良ければ逆に何か企んでいるのかと疑ってしまう。テオは早速テーブルに着いてアスル特製美味しい朝食を堪能することにした。

「ミーヤ遺跡の撤収は終わったのかい?」
「まだだ・・・」

 向かいに座ったアスルがポケットからビニル袋を出してテオの前に突き出した。テオはフォークを置いて袋を受け取った。袋の中は木の小枝と葉っぱだった。それに赤黒い物が付着していた。

「血液か?」
「スィ。」
「まさか、チュパカブラ?」
「ノ、女だ。」

 テオが怪訝な目で見たので、アスルは言い添えた。

「”シエロ”だ。封鎖されたアンティオワカ遺跡へ立ち入ろうとしたので、職質をかけたら逃げた。規程に従って不審者へ発砲したら、どこかに当たった。女はジャングルの中へ逃走した。」

 官憲に声をかけられ逃げ出したら発砲される、それはこの辺りの国々では珍しいことではなかった。それにアンティオワカ遺跡は麻薬密売組織に密輸した麻薬を一時保管する場所として利用されていたのだ。そこに無断で立ち入ろうとすれば当然官憲は犯罪に関与する者と疑いをかける。アスルの発砲は決して行き過ぎた行為ではなかった。

「撃たれたのにジャングルの中に逃げたのか・・・かなり強靭な体力の持ち主だな。それで、これはその女の血液か?」
「スィ。DNAを分析して欲しい。次にあの女に出遭った時に同一人物か確認する為の記録を頼む。」
「顔を見ていないのか?」
「後ろ姿だけだ。俺が彼女に振り向くのを許さなかった。」

 目が武器になる”ヴェルデ・シエロ”として、同族に対して警戒するのは当然だ。アスルは怪しい女と出会った時、1人だったのだろう、とテオには予想がついた。

「それじゃ、どんな女なのかわからないのか・・・」
「言葉に特徴があった。彼女はサスコシ族だ、アスクラカンの・・・」
「何?!」

 テオは思わずアスルの目をぐいっと見つめてしまった。そんな風に目を見られることは攻撃されるのと等しい”ヴェルデ・シエロ”のアスルは目を逸らした。

「サスコシの女がどうかしたのか?」

 それでテオは先週の月曜日の夜から始まったサン・ペドロ教会付近のジャガー騒動を語った。ジャガーが人気のジャズピアニスト、ロレンシオ・サイスで、彼が半分だけの”ヴェルデ・シエロ”であること、北米で育ったので自身の出自に全く無知だったこと、彼の父親の実家が純血至上主義者でサイスの存在を認めていないこと、彼の腹違いの姉ビアンカ・オルトが彼の命を狙っているらしいことを語った。
 アスルはロレンシオ・サイスの身の上に関して興味を抱かなかった。クールに聞き流しただけだ。彼が興味を示したのは、サイスの最初の変身が合成麻薬の摂取が原因だったことだ。

「昔は儀式にコカを使ってナワル使用を誘発させたと聞いている。儀式に参加する者全員が変身する必要があったからだ。体調不良で1人だけ変身し損なっては神様のご機嫌を損なうからな。」
「だけど、今は使わないんだろう?」

 アスルはセルバ流に答えた。

「コカ以外は使わない。」

 彼はジャンキーの”ヴェルデ・シエロ”なんて恐ろしいと吐き捨てる様に言った。テオは50年以上前に行われたイェンテ・グラダ村の殲滅事件を思い出した。太古に絶滅した純血のグラダ族を復活させようと、グラダの血を引くミックスだけで作った村がイェンテ・グラダだった。近親婚を繰り返して血の割合を純血種に近づけていった彼等は、ミックス故に超能力の制御が上手くいかず、それを抑えるために麻薬に溺れた。そして一族を危険に曝す存在として中央の長老会から村ごと「死」を与えられてしまったのだ。麻薬は”ティエラ”にも”シエロ”にも害になるだけのものだ。
 ミーヤ遺跡に現れた女はビアンカ・オルトだったのだろうか。彼女は麻薬を必要としているのか。アスルに撃たれて傷を負っているのか。
 アスルが立ち上がった。

「分析を頼む。俺は遺跡に戻る。」

 テオは我に帰った。

「夜通し運転して来たんじゃないのか? もう少し休んでいけよ。」

 アスルがニヤリとした。

「あんたは、俺が車でここへ来たと思っているのか?」
「え? しかし・・・」
「俺達が遺跡監視で何ヶ月もジャングルや砂漠に籠っているなんて、本気で思っているんじゃないだろうな?」

 

 

第3部 狩る  2

  ミーヤ遺跡は近づく雨季に備えて撤収作業が始まっていた。アスルは遺跡の外れにある大樹の上に登って作業を監視していた。ミーヤ遺跡には盗む価値のある遺物はほとんど皆無と言える。考古学的価値ならそれなりにある土器の破片や民具の欠片ばかり出土した。それらをきちんとリストに載せて文化保護担当部に提出すると約束した日本人の考古学者達は、作業員達と一緒に遺跡に丁寧に覆いを被せる仕事をしていた。石の壁などは野ざらしにして良さそうなものなのに、彼等は来年戻って来る時のために、プレハブで覆ってしまうのだ。地面はシートを被せ、可能な限り水が入らないように厳重に封をする。アスルに言わせれば、プレハブもシートもハリケーンが来れば簡単に吹き飛んでしまうし、泥棒がお気軽に失敬してしまう。大統領警護隊も陸軍も来年迄警備するつもりなど毛頭ない。
 ポケットからスルメの袋を出してアスルは齧った。日本人は結構気軽に物をくれる。殆どスナック類だが、文房具なども現地の人間には人気があった。アスルは恐竜の形の消しゴムが気に入ってしまった。いつも顰めっ面している彼が、消しゴムを掌に載っけて嬉しそうに微笑むのを見て、向こうも嬉しかったのだろう、日本人は3個もくれた。ティラノサウルスとステゴサウルスとアンキロサウルスだ。

「来年もお会いできたら、また新しいのを持ってきます。」

と言ってくれた。だから今アスルは彼等が北米の大学に引き上げて、それから地球の反対側へ帰ってしまうのが寂しいと思っていた。
 スルメの塊を口に入れた時、木の下の薮を何かが通り過ぎた。人間だ。アスルは遺跡の中で作業する人間の数を把握している。全員作業中だ。警備の陸軍兵も姿が見えている。つまり、木の下を通ったのは部外者だ。奥地のアンティオワカ遺跡へ行くなら、遺跡の反対側の道路を使う。まともなヤツならば、と言うことだ。
 アスルは木の下の動くものを目で追った。木や草を動かさずに移動して行く。動物でなければ、森の住人か。彼は相手に気取られぬよう、静かに素早く木から降りた。追跡を始めると、向こうは気づかずにやがて道へ出た。森と道の境目を歩いて奥へ向かっている。アスルは木の隙間から覗いて見た。
 後ろ姿は帽子を被った作業員に見えたが、彼はその人物の体型から女性だとわかった。遺跡発掘作業員の身なりをして、発掘中の遺跡ではなく、発掘が中止されて閉鎖されている奥地の遺跡へ1人で、しかも徒歩で行くとはどんな理由があるのだ。それに武器らしき物を所持している様にも見えない。丸腰で無防備で森を歩くなど現地の人間でもやらない。森の住人なら尚更だ。森が危険な場所であることは常識だ。何も持たずに森を歩くのは・・・

 ”シエロ”か?

 何故こんな民家のない場所に? アスルは声掛け代わりに軽く気を出してみた。女が立ち止まった。アスルはアサルトライフルを構えて言った。

「その先は警察が封鎖している。何処へ行くつもりだ?」

 女が振り返ろうとしたので、彼は「ノ」と言った。故意にライフルの音を立てて聴かせた。

「こっちを向くな。お前が何者かはわかっている。」
「一族の人ね?」

 女の声は若かった。

「この先の遺跡で発掘している人に知り合いがいるの。そこへ行くのよ。」
「残念だが、君の知り合いはもういない。遺跡は封鎖されている。さっきそう言った筈だ。」
「封鎖? 何があったの?」
「何があったのかな。君の用事に関係することかな。」

 アスルの意地悪な物言いに、女が大袈裟に溜め息をついて見せた。

「わかった・・・クスリを分けてくれるって聞いたから、買いに行こうとしていたのよ。まだ買ってないわ。」
「ジャンキーか?」
「そこまで堕ちてない。」

 アスルは相手の言葉に訛りがないか聞き取ろうと務めた。セルバ標準スペイン語はグラダ・シティとその周辺地域の言葉だ。南部、中央部、西部で微妙にアクセントが異なるし、先住民なら”シエロ”だろうが”ティエラ”だろうが出身部族の村の訛りもある。女は綺麗な標準語で話していたが、アスルは大統領警護隊だ、訓練でほんの少しの発音の違いも聞き分けられた。彼は尋ねた。

「君はアスクラカンから来たのか? サスコシ族か?」

 女がまた溜め息をついた。

「男性の貴方が私の家族の家長に断りもなく私に話しかけるのはマナー違反よ。」

 アスルは彼女の訴えを無視した。

「俺の質問に答えろ。これは大統領警護隊の職務質問だ。」

 女が放つ気が微かに揺れた。

「あなた方、何処にでも現れるのね。」

 アスルはアサルトライフルを発砲した。女が森へ飛び込んだからだ。アスルは彼女が立っていた位置へ走ると、そこから森を見た。風が駆け抜けるような音が遠ざかって行くのが聞こえた。女が逃げた辺りの樹木の葉に血が付着していた。アスルは少し考え、ポケットからスルメの袋を出した。可能な限りスルメを口に入れると、残りは捨てた。そして空袋に血液が付着した枝葉を入れた。
 ミーヤ遺跡に戻りかけると、警備兵が車でやって来た。

「少尉、銃声が聞こえましたが、何かありましたか?」

 

第3部 狩る  1

  月曜日、テオは大学の事務局で試験問題を印刷し、主任教授立ち合いの元で出来上がった問題用紙の束を金庫に仕舞った。
 火曜日の午前中、彼のクラスは試験を受けた。テオは担当教官になるので試験監督は別の講師が行い、テオは更に別の教官のクラスの試験監督を務めた。
 午後は採点に取り掛かった。◯X方式ではなく論文形式だったので、読むのに時間がかかった。点数をつける基準も慎重に見極めなければならない。日頃の講義ではグータラしているアルスト准教授が恐ろしく真剣な顔で机に向かっているので、助手達はコーヒーを淹れるにも音を立てないよう気を遣った。
 夕刻、テオはヘトヘトになりながらも採点を終えた。助手が「来週の講義までに済ませれば良いのですよ。」と言って笑ったので、彼はちょっとムッとして言い返した。

「そんなことをしていたら、またロス・パハロス・ヴェルデスから厄介な仕事が来るかも知れないじゃないか。」

 助手達が笑った。

「先生、いつもその厄介なお仕事が来ると喜んで出かけますものね。」

 すると、電話が鳴った。助手が出て、野生生物の研究をしているマルク・スニガ准教授からの電話です、と告げた。テオは自分の机に回してもらった。マルク・スニガは時々テオが大統領警護隊文化保護担当部とジャングルに出かける際に動物の痕跡を採取してくれと依頼してくる。今回もそうかと思って電話に出ると、珍しく声を低めて話しかけて来た。

ーー先週の火曜日に君に分析を頼まれたコヨーテの体毛なんだが・・・。
「あれがどうかしましたか?」
ーーちょっと気になる成分を抽出したので、医学部へ持って行ったんだ。あそこにG C M S(ガスクロマトグラフ質量分析装置)があるから。
「それはまた、大層な・・・」

 G C M Sの使用は「ちょっと気になる」から利用出来るものではない。機械が大変高価だし、使用料も馬鹿にならない。同じ大学の職員だからと言って気軽に使わせてもらえるものではない。しかしスニガは言った。

ーー君は大統領警護隊と警察が南部の遺跡で摘発した麻薬密輸事件解決に協力したんだろ?
「協力したと言うか・・・」

 囮に使われたのだが、そこまで言う必要はない。テオが相手の用件を測りかねていると、スニガがあっさりネタバレしてくれた。

ーーコヨーテの体毛からメチレンジオキシメタンフェタミンの成分が検出された。
「へ?」

 薬中のコヨーテか? と思わず呟いてしまったテオに、スニガが笑った。

ーーコヨーテにエクスタシーを飲ませて何をするつもりだったのか知れないが、警察に提出しても良いかな? 向こうにいる警護隊の隊員から分析依頼されたろ?
「スィ。君が見つけたんだ、君の名前で出してもらって構わない。大統領警護隊文化保護担当部のキナ・クワコ少尉から俺に依頼が来て、君が分析した、ありのまま報告書に書いてくれ。」
ーーわかった、そうする。しかし酷いことをするなぁ、コヨーテにドラッグを与えるなんて。

 電話を終えてから、テオはふと思い出した。ピアニストのロレンシオ・サイスはパーティーでエクスタシーをもらって酔っ払い、ジャガーに変身してしまったと言った。サイスの体内から既に薬物は排出されてしまっただろうが、髪の毛はどうだろう?


2021/10/29

第3部 隠れる者  21

  ロレンシオ・サイスは1日考えさせて欲しいと言った。ステファン大尉は彼がキッチンでコーヒーを淹れていた時、本部の指揮官に電話をしておいたので、1時間後に警護の為に遊撃班の交替要員がやって来た。
 彼等のジープがフェンス越に見えて来ると、ステファンはサイスに言った。

「これから起きることを観察していて下さい。我々”ヴェルデ・シエロ”がどんなものなのかを。」

 大統領警護隊のジープが門扉の前に来ると、サイスが開扉のスイッチを押していないにも関わらず、門扉が開いた。ジープは庭に入って来て、ステファン大尉が乗って来たジープの隣に駐車した。そして2名の隊員がジープから降りてきた。ステファンの要請を容れて私服姿だが、武器は装備していた。アサルトライフルを見て、サイスがギョッとするのをステファンは隣で感じたが、黙っていた。新しく現れた隊員達は施錠された玄関扉を勝手に開いてリビングへ入って来た。

「クレト・リベロ少尉、アブリル・サフラ少尉、交替任務に就きます。」

 サフラ少尉は女性だ。髪をショートカットしているが、精鋭と言うより精霊の様な可憐な印象を与える顔立ちだった。しかし遊撃班だ。優秀な軍人に違いない。リベロもサフラも共に純血種だった。
 ステファン大尉は彼等と向かい合い、敬礼を交わし合い、目を見合った。そしてサイスを振り返った。

「任務の引き継ぎをしました。わかりましたか?」
「え?」

 サイスがキョトンとした。ステファンは説明した。

「貴方に関する情報と、貴方を狙っている人物の情報を全て、一瞬で彼等に伝えました。これは我々”ヴェルデ・シエロ”にとって、生まれつき普通に出来る能力です。貴方にも出来る筈ですが、誰も貴方に目で話しかけたことがなかったので、貴方は知らないだけなのです。恐らく、今日1日で貴方はマスター出来るでしょう。」

 デルガドがステファンの横に来た。

「デルガドと私は本部へ一旦引き揚げます。明日また来る予定ですが、来られなくても別の隊員が来ます。今日は、こちらのリベロとサフラが貴方を守ります。彼等は任務に就いていますから、貴方は彼等の存在を無視して普段通りに生活なさって結構です。ただ、外出する時は、必ず彼等のどちらかを同伴して下さい。」

 そしてステファンは交替要員にも言った。

「報告した通り、セニョール・サイスは生まれたての”ヴェルデ・シエロ”の様な人だ。君達が彼の前で能力を使うことに遠慮は無用だが、教える時は慎重にしてくれ。我々は指導師ではないから。」
「承知。」

 2人の若い隊員は再び敬礼した。
 ステファンはデルガドを促し、家の外に出た。自分達のジープに乗り込んだ。徹夜でサイスの護衛を務めたデルガドにステファンは運転させなかった。大統領警護隊本部迄は車で10分もかからないが用心するに越したことはない。
 エンジンをかけると、デルガドが話しかけて来た。

「見事な指導ぶりでした。大変参考になりました。」
「おだてるな。」

 ステファンは苦笑した。

「私はただ闇雲に喋っただけさ。」
「普段の大尉の口調と違っていたので、驚いて聞いていました。後輩の隊員にもメスティーソが増えています。彼等を指導する役目を与えられると、私の様な純血種は逆にどう教えて良いのかわからず、戸惑うばかりです。司令部は大尉を指導師に仕込みたいのではないですか?」
「馬鹿言うなよ。」

 ステファンは車を道路に出した。

「私の様な無学で素行の悪い育ち方をした人間が、将来有望な若者達を教えられる筈がないじゃないか。」
「大尉も若いでしょうに。私と2歳しか違いませんよ。」

 デルガドが笑った。ステファンは照れ臭かったので、

「しゃべり疲れて喉が渇いた。」

と誤魔化した。

第11部  紅い水晶     21

  アンドレ・ギャラガ少尉がケツァル少佐からの電話に出たのは、市民病院に到着して患者が院内に運び込まれた直後だった。 「ギャラガです。」 ーーケツァルです。今、どこですか? 「市民病院の救急搬入口です。患者は無事に病院内に入りました。」  すると少佐はそんなことはどうでも良いと言...