2022/02/02

第5部 山へ向かう街     9

  廊下に出ると、病院は朝の活動を始めつつあった。日勤スタッフが出勤して来て、夜勤スタッフと交替が始まる。入院患者に出す朝食の準備も始まった。
 テオは347号室の方を見た。重症患者の区画にも食事を運ぶワゴンを押してスタッフが入って行った。ケツァル少佐かアスルが”幻視”で姿を見えない様にしているのだが、テオは忙しく動き回るスタッフとぶつかりそうになり、ヒヤリとさせられた。
 アスルが囁いた。

「病院内が落ち着く迄、我々も何処かで休憩しませんか?」

 ”幻視”を長時間使うと疲れるのだ。ケツァル少佐はテオの意見を訊かずに同意した。
 3人は一旦入院病棟から出て、外来病棟へ移動した。こちらでは陸軍関係の仕事をしている人でも診療を受けられるので、患者が多い。既に10数人が待合室で座っていた。テオと少佐とアスルは長椅子に座って少し休んだ。この場所も賑やかだが、食事時の入院病棟程ではない。

「カルロは向こうで上手くやっていましたか?」

 少佐が不意にテオに尋ねた。元部下を心配して、と言うより、姉として弟の働きぶりが気になるのだろう。

「心配ないさ。」

とテオは言った。

「フレータ少尉と一緒に厨房で仲良く働いていたし、キロス中佐が何者かにかけられていた呪いのお祓いもやった。ラバル少尉を捕まえたのも、カルロがガルソン大尉と協力してやったんだ。ガルソン大尉はカルロを信用してくれた。尤も、カルロが派遣されたので、本部にキロス中佐の異常を隠しきれないと覚悟したのも事実だがね。」
「カルロは太平洋警備室派遣の任務を無事に果たせたと言って良いですかね。」

とアスルが少佐に確かめるように言った。彼にとってカルロ・ステファンは上官と言うより兄貴だ。ロホも兄貴同然だが、こっちはサッカーのライバルチーム同士だったから、階級が違ってもライバルだ。ロホはアスルにとって職務上は兄貴で私生活では親友、ステファンは職務上も私生活でも兄貴だ。兄貴が新しい資格を取って任務を果たせるとアスルは嬉しい。
 ケツァル少佐はフンとアスルの十八番を奪って鼻先で笑った。

「まだ派遣されて1週間です。任務は終わっていないでしょう。太平洋警備室の異変を探るだけが任務ではありません。後片付けも必要です。」

 次の指揮官が来る迄太平洋警備室を管理監督する人間が必要だ。本来ならキロス中佐の副官であるガルソン大尉がその役目を果たすのだ。しかしガルソン大尉は本部を3年間欺いた罪で副官の任を解かれたと考えて良いだろう。パエス中尉もガルソン大尉と同罪だから、太平洋警備室を預かる任務を与えられる隊員は、ステファン大尉しかいない。本部から新しい指揮官と副官、隊員が派遣される迄、彼はサン・セレスト村とポルト・マロンを守らなければならない。
 テオは、ガルソン大尉の誠実な性格を思い出した。

「異動させられる迄ガルソン大尉とパエス中尉がカルロを支えてくれると思う。土地の勝手を知る人間が必要だし、新しい人員が直ぐに選ばれる訳でもないだろ? 文化保護担当部だって、カルロが抜けてからアンドレが来る迄半年以上あったじゃないか。」

 するとアスルが言った。

「遊撃班から数人派遣される筈だ。その為の部署だからな。本部はまた若い連中をスカウトして警備班に入れるし、警備班から優秀なヤツを遊撃班に転属させる。」

 テオはガルソン大尉とパエス中尉の行く末が心配になった。
 

第5部 山へ向かう街     8

  ブリサ・フレータ少尉は、頬と右腕の熱傷が重かったが、胴はすぐに火を消せたので皮膚の炎症程度で済んだと言った。打撲は車外に弾き飛ばされた時の物で、爆発で何かがぶつかったのではない、とも言った。

「キロス中佐が私を外へ出して下さったのです。私が中佐を守らなければならなかったのに・・・」
「狙われたのは中佐です。標的にされたことを彼女は貴女より先に察知したのです。貴女とパエス中尉を車から遠ざけることで彼女は精一杯だったのでしょう。敵の気を祓う力はなかった様です。」
「犯人は誰だったのです?」

 フレータ少尉の目は不安で満ちていた。10年近く一緒に勤務して来た仲間の誰かが裏切り者だと思いたくないのだ。しかし隠すべきことではない。
 テオが尋ねた。

「昨日は誰も君に事情聴取に来なかったのかい?」
「誰も来ませんでした。」

 フレータ少尉は心細そうな顔だ。忘れられているのか、見捨てられたのか、と不安がっている、とテオは感じた。ケツァル少佐が同じことを言葉で変えて尋ねた。

「本部から誰も来ませんでしたか?」
「来ていません。私は傷を治す為に自分で体を睡眠状態に落としていました。目が覚めたのは昨晩です。巡回に来た看護師に目覚めたことを伝えて、流動食をもらいました。中佐の具合を尋ねましたが、順調に回復に向かっているとしか教えてもらえません。」

 フレータは悲しそうに囁いた。

「本部に私達の嘘が知られてしまったのですね。中佐は健康だと言う嘘が・・・」

 ケツァル少佐が頷いた。

「中佐のことを思ってしたことでしょうが、本部はあなた方が3年間嘘の報告をしていたことを重く捉えるでしょう。」
「私はどうなっても構いません。でも・・・」

 フレータは涙を落とした。

「ガルソン大尉とパエス中尉には家族がいます。子供達が可哀想です。」

 それはテオも同じ思いだった。しかしケツァル少佐はドライに面会の目的を果たそうとした。

「あなた方を襲ったのは、ラバル少尉でした。」

 えっとフレータが体を跳ねるように起こした。熱傷の部分が引き攣ったのか、苦痛で顔を歪め、テオは思わず彼女の背中に手を回して彼女を支えた。フレータは痛みを後回しにしてケツァル少佐に尋ねた。

「ホセ・ラバルがどうして中佐を襲わなければならないのです? あの人は25年も太平洋警備室で真面目に勤務されていたのに・・・」
「その25年の内に何かが彼を変えたのでしょう。 彼は少尉のままですね、ガルソン大尉やパエス中尉は彼より若いです。派遣されたステファン大尉はまだ22歳です。 ラバルが面白くないと感じても不思議ではありません。ただ、彼は純血至上主義者の思想を逮捕時に語ったそうです。貴女は彼が今迄そんな話を語るのを聞いたことがありますか?」
「純血至上主義者ですって・・・?」

 フレータ少尉は首を傾げ、頬の筋肉が引っ張られたのか、また痛みに顔を顰めた。しかし重度の熱傷の割には元気なので、”ヴェルデ・シエロ”らしく治癒能力を発動させている。このまま病院で大人しく休んでいれば、早く回復する筈だ。顔の火傷も跡が残らない程度に回復するだろう。
 フレータは首を振った。

「ラバル少尉は半分カイナ、半分マスケゴです。”ティエラ”からみれば純血の”シエロ”ですが、少尉の様な一族の中のミックスの人は純血至上主義を毛嫌いしています。彼がそんなことを逮捕時に本当に言ったのですか? 信じられません。」

 テオとケツァル少佐は顔を見合わせた。それでテオは別の質問をしてみた。

「ラバル少尉に友人はいるのかな? 君と彼は世代が違うから、個人的な話をすることはないと思うが、彼が休日に出かけたり、誰かが訪ねて来たことがあったとか?」

 フレータはまた考え、それからテオに顔を向けた。

「客が彼の所に来たことはありません。ご存じの様に、彼は宿舎で一人住まいでしたが、客が来れば、狭い村のことですし、直ぐに太平洋警備室の隊員全員にも村人にも伝わります。陸軍水上部隊や沿岸警備隊の隊員と個人的に付き合っている噂も聞きませんでした。ただ、ポルト・マロンの港湾労働者達とはパトロールの時に立ち話していました。」
「ホセ・バルタサールとか?」
「スィ。鉱山会社が労働者に不当な労働を強いていないか、チェックしていました。でも、労働者達は”ティエラ”です。純血至上主義者が混じっている可能性は絶対にありません。」
「だろうな・・・」

 フレータはまた考えた。そしてケツァル少佐に視線を向けた。

「関係ないと思いますが、年に1回、ラバル少尉は休暇を取ってオルガ・グランデに5日か6日程度、泊まりで出かけていました。親族に会いに行っているのだと思っていましたが、休暇中の行動はプライバシーを尊重して訊かないことになっていましたから・・・」
「それは、貴女が太平洋警備室に着任する前からの習慣でしたか?」
「スィ。ガルソン大尉はサン・セレスト村に家族がいますし、親族はオルガ・グランデからサン・セレストへ行く途中の集落に住んでいました。現在は市街に引っ越された様ですけど。パエス中尉も家族は村に、親族はオルガ・グランデ郊外です。ですから、誰もラバル少尉がオルガ・グランデに出かけても気にしていませんでした。マスケゴ族もカイナ族もいますから。」

 ラバル少尉が親族に会わずに別の人間と会っていても、誰も知らない。
 フレータ少尉から聞けた話はそれだけだった。ケツァル少佐は、本部から事情聴取に来る人間がいたら、さっきと同じ様に正直に話しなさい、と彼女に忠告した。

「あなた方は、キロス中佐の健康問題に関して本部に嘘をつきました。でも貴女達自身の勤務は真面目に勤め上げました。しっかり太平洋岸を守って来ました。労働者も守って来ました。その点を本部は決して忘れないと私は信じています。処分を受けることは確実ですが、出来るだけ軽く済むよう、私も事件の真相が早く解明されることを願っています。」

 少佐は決して、「処分が軽く済むよう進言する」とは言わなかった。実現が不確実なことを約束しないのだ。
 フレータ少尉が火傷した腕を持ち上げて敬礼した。少佐も敬礼を返し、テオに外へ出ろと目で命じた。


第5部 山へ向かう街     7

 テオはグラダ・シティのセルバ国防省病院に行ったことがある。憲兵隊に反政府ゲリラと繋がりのある男がいて、ケツァル少佐が撃たれて入院した時だ。あの時、少佐を撃ったのは盗掘品密売及び麻薬犯罪組織のメンバーだと勘違いして敵の要塞に突撃したアスルも、脚を折って入院していた。 セルバ国防省病院は首都にあるだけあって、グラダ大学病院と並ぶ最新の医療設備が整った近代的な病院だった。オルガ・グランデの陸軍病院もエル・ティティの町立病院より進んでいるが、地方の医療機関だと言う雰囲気は拭えなかった。
 先ず、建物が古かった。石造りの外観と同じく、中も石造りだ。床や壁はツルツルに磨かれていたし、ペンキも明るい色が塗られていたが、採光状態は良くなく、昼間も照明が必要だ。消毒薬の臭いが空気中に漂い、服装だけは現代的なユニフォームを着たスタッフが歩き回っていた。陸軍病院は軍人だけでなく、その家族や軍属も利用出来る。セルバ共和国は何処の国とも戦争していないが、勤務中の怪我や病気で入院加療している人間が絶えなかった。
 テオ達は東棟の3階に階段で上がった。ケツァル少佐もアスルもエレベーターを好まない。恐らく狭い箱の中に入るのが嫌なのだ。或いは扉が開いた時に外で敵が待ち構えていることを想像してしまうのかも知れない。
 見舞いなら何か持って来れば良かった、とテオは思ったが、まだ早朝だ。店が開く時間には早かった。
 石のカウンターがあり、その向こうで事務員らしき男性が座って居眠りをしていた。アスルが彼の前に立ち、顔を覗き込んだ。

「オーラ!」

 彼が声を掛けると、事務員がビクッとして目を開いた。アスルと目が合った。アスルが尋ねた。

「大統領警護隊の女性達は何処にいる?」

 事務員はぽかんとして彼を見返した。

「311号室と347号室です。」

 テオは廊下を見た。右側へ伸びている廊下の南側は300番台、北側が310番台、左側の廊下の南側は320番台、北側が330番台、正面から向こうへ伸びている廊下は東側が340番台、西側は手術室や備品倉庫、スタッフルームの様だ。つまり、340番台の病室は重症者の部屋だ。
 彼は仲間に告げた。

「フレータが311号室で、キロス中佐は347号室だ。」

 少佐も左右の廊下と正面を見て、彼の意見を認めた。正面の廊下に椅子を置いて座っている兵士が見えた。”ティエラ”だが、陸軍特殊部隊の隊員だろう。
 フレータ少尉の病室に警護は付いていなかったが、個室だった。まだ早朝だ。日は昇りかけているが、311号室は北側なので暗いだろう。受付に近い部屋だ。少佐はアスルに見張りを命じ、自分でドアをノックした。返事はなかったが彼女は構わずにドアを開き、テオに入れと目で命じた。
 テオはそっと病室内に入った。部屋の中央に1台だけ置かれたベッドの上でブリサ・フレータ少尉が横たわっていた。右頬に薬を塗ってガーゼが貼られている。右腕も火傷の治療が施されていた。
 少尉は目覚めており、入室したのがテオだったので、びっくりして目を見張った。

「ドクトル・アルスト、何故貴方がここに・・・」

 彼女は口を閉じた。テオに続いて入って来たケツァル少佐に気がついたからだ。誰? と思う疑問と、少佐が持つ雰囲気で仲間、しかも上位の人間と言う認識が働いた様だ。フレータはベッドの上に起きあがろうとした。

「そのままで。」

と少佐が囁いた。静かな声だが、フレータを従わせる上位者の響きがあった。少尉は素直に体をベッドに戻した。テオが紹介した。

「大統領警護隊文化保護担当部の指揮官ケツァル少佐・・・じゃなかった、ミゲール少佐だ。」

 フレータが言った。

「ケツァル少佐のお噂は伺っております。暗がりの神殿で大罪人を捕まえたグラダの族長ですね?」

 一般の隊員達には、あの地下の聖地の存在は秘されているのだ。テオ、少佐、ステファン大尉、そしてロホの冒険は大罪人逮捕と言う情報で大統領警護隊に広められていた。
 少佐は微笑して頷いた。そして優しく声をかけた。

「傷の具合はいかがですか?」


2022/02/01

第5部 山へ向かう街     6

  サン・セレスト村の旅の装備を解いて、テオは自宅の浴室で久しぶりに湯が出るシャワーを浴びた。蒸し風呂か湯を張ったバスタブにゆっくり浸かりたかったが、少佐が夜明け前に出かけるから早く寝なさいと言った。彼女がこの家に泊まるのは初めてじゃないか、と思いつつ、テオは素直に寝室に入った。ベッドに寝転がると直ぐに寝落ちした。
 少佐に起こされたのは午前四時半だった。寝室から出ると、アスルがキッチンで既に朝食の支度を終えていた。何時帰ってきて何時寝たのかわからない。温かいスープとパンとコーヒーで食事をして、着替えて、徒歩で出かけた。
 ロホが見つけた”入り口”は、なんと空き家になっているピアニスト、ロレンシオ・サイスの家の中だった。3人はこっそり中に侵入した。サイスが戻る迄一応外を見回る警備会社を雇っているので、荒らされていないが、中は埃が積もっていた。高価な品と言えば、グランドピアノだが、これは泥棒もお手上げだろう。

「よくこんな家の奥にある”入り口”をロホは見つけたもんだな。」

とテオが感心して言うと、アスルが、「それがブーカ族の凄いところだ」と言った。
”入り口”はリビングとキッチンをつなぐ廊下の途中にあった。ケツァル少佐は”穴”の大きさを確認すると、男達を振り返った。

「3人並んで通れる大きさですが、廊下の幅があるので、一列で入りましょう。アスル、先頭をお願いします。私は先導が下手だといつもカルロに言われているので。」

 アスルが珍しく笑って、手をテオに伸ばした。握れと言う意味だ。テオはちょっとドキドキした。アスルからこんな風に握手を求められたことはなかったし、これは仕方なくしていることだと分かっていても、嬉しかった。彼は片手でアスルの手を握り、もう片方で少佐の手を掴んだ。少佐も握り返してきた。
 アスルの体が廊下の暗がりの中に溶けて、見えなくなった。テオも中に入り、少佐が続いた。
 いきなり石畳の上に出た。まだ夜明け直前で暗いが、遺跡の様な石を積み上げた壁が左右に長く続いていた。最後に出て来た少佐が呟いた。

「オルガ・グランデの旧市街ですね。」
「陸軍病院は恐らく西の方角です。」

 アスルが指差した。

「歩いて20分の距離でしょう。」

 3人は歩き始めた。テオは出てきた場所を振り返った。石壁に挟まれた路地の様だ。

「本部の人たちがキロス中佐に面会に来る時も、”通路”を使うのか?」
「その時の状況による。」

とアスルが答えた。それ以上の答えは望めなかった。
 路地は曲がりくねっていて、5分程歩くと、幅の広い道路と交差していた。3人は幅の広い道路を右に曲がり、道なりに歩いて行った。やがて広い車道に出た。早朝だが車が往来していた。低木の生垣に囲まれた広い敷地の中に、古い石造りの建物が建っていた。庭に救急車や軍用車両が数台駐車しているのが見えて、そこが陸軍病院だとすぐ分かった。
 3人が門に近づくと、当然ながら門衛がいて、身分証の提示を求めた。ケツァル少佐とアスルが徽章とI Dカードを出した。

「昨日ここに入院した同僚の様子を伺いに来た。」

 門衛は緑の鳥の徽章を見た瞬間、ハッと相手の顔を見てしまい、アスルと視線が合ってしまった。アスルが”操心”を使った訳ではなかったが、門衛はすくみ上がり、「どうぞ」と中へ入るよう手で合図した。少佐が言った。

「簡単に通すでない! 我々は大統領警護隊太平洋警備室のブリサ・フレータ少尉の見舞いに来た。彼女の部屋を教えて欲しい。」
「少々お待ちを・・・」

 門衛は慌てて何処かに電話をかけた。

「スィ・・・そうです、2人は徽章を持っています。I Dカードもお持ちです。もう一人は・・・」

 門衛はテオを見た。テオは仕方なく大学のI Dを見せた。門衛は怪訝な顔をしたが、そのまま電話の相手に見た内容を伝えた。スィの繰り返しの後、門衛はストラップ付きの入館パスのケースを3人に手渡した。

「東棟の3階です。部屋はそこの事務室でお聞き下さい。」
「グラシャス。」

 テオ達は堂々と陸軍病院の中に入った。


第5部 山へ向かう街     5

  ロホはオルガ・グランデへ通じる”入り口”を探して夜のグラダ・シティを車で流した。金曜日の夜の大都会は遅く迄賑やかだった。偶に次元の渦を見かけたが、人の目があって使えなかった。最後に、意外な場所で”入り口”を見つけて、ケツァル少佐に電話した。少佐はテオをマカレオ通りの彼の家に送り、入浴させて休ませようとしていた。

「日が昇ると人目に着くので、夜の間に使った方が良いかも知れません。」

とロホは言った。少佐は、アスルが戻ったらテオを連れてそちらへ行く、と言った。

ーー貴方はアパートに帰りなさい。
「私は仲間外れですか?」

 ロホが不満そうに言うと、少佐は言った。

ーー貴方は明日、アスクラカンに行ってもらいます。バルセルと言う医師が3年前に、あの街に何をしに行ったのか、調べて下さい。
「軍事訓練ですか?」
ーーそう言うことにしましょう。
「では、アスルとアンドレはどうします?」
ーーアスルは私から指示を出します。 アンドレは貴方が連れて行きなさい。純血至上主義者に近づく時の心得を教えてやりなさい。彼の人生で決して避けて通れないことですから。
「承知しました。あいつは打たれ強いですから、タイマンなら負けないと思いますがね。」

 少佐は電話の向こうで笑って、通話を終えた。
 ロホは車中で次にアンドレ・ギャラガにメールを送った。時間があれば電話をくれと送ると、彼がアパートに帰り着いた時に電話がかかって来た。

ーー通話場所が空くのを待っていたので遅くなりました。明日の軍事訓練の件でしょうか?

 流石に文化保護担当部だ。金曜日の夜の連絡が何を意味するのか承知している。ロホは心の中で笑った。

「スィ。明日、君は私と共にアスクラカンへ行く。0700に本部前で君を拾うから待っていてくれ。」
ーー承知しました。軍服は必要ですか?
「私服で良い。だがI Dは忘れるな。」
ーー大丈夫です、絶対に忘れません。

 ギャラガにとって大統領警護隊が人生の全てだ。ロホはふと思った。彼をいつか軍の呪縛から解放して自由に伸び伸びと生きる道を歩かせたい、と。

「アスクラカンには、厄介な思想を持った家系がいるからな、用心しろよ。」
ーーああ、例のサスコシの・・・

 ギャラガはビアンカ・オルトの事件を忘れていなかった。彼自身はあの件に殆ど関わらなかったのだが、純血種でないと言う理由で腹違いの弟の存在を抹消しようとした女の考え方は衝撃だったのだ。己の血筋がはっきりしないミックスのギャラガは、純血種が血筋を守ろうとする考え方が理解出来ない。

ーーミックスだって立派に”シエロ”だって見せてやります。
「それなら、早く”操心”と”連結”の違いをマスターしろよ。」

 チクリと先輩らしく注意してやると、ギャラガは電話の向こうで、ククっと苦笑した。

ーーでは、失礼して、明日遅刻しないように早く寝ます。
「おやすみ。」
ーーおやすみなさい。

 電話を終えて、ロホは実家にまだ居座っている2人の弟を思い出した。あいつらもアンドレを見習って武者修行に出れば良いのに、と6人兄弟の4男は思った。


2022/01/31

第5部 山へ向かう街     4

  大統領警護隊本部遊撃班は恐らくホセ・ラバル少尉を尋問し、またカロリス・キロス中佐からも事情聴取したことだろう。テオは隊員ではないし、”ヴェルデ・シエロ”でもない。サン・セレスト村で起きた事件に多少関与したが、だからと言って大統領警護隊が彼に捜査結果を教えてくれる訳が無い。ケツァル少佐も同じく捜査結果を知りたい様子だったが、彼女は己が事件の部外者であることを心得ていたので、本部に情報を求めることをしなかった。
 テオは太平洋警備室のホセ・ガルソン大尉、ルカ・パエス中尉、そしてブリサ・フレータ少尉がこの先どうなるのかも気になった。ガルソン大尉は3年間本部に嘘を通してきた。指揮官のキロス中佐が元気で勤務していると動画を細工して、毎日定時報告として送信していたのだ。彼は転属を覚悟していた。降格もありうるし、もしかすると不名誉除隊となるかも知れない。それなら良いが、罪に問われて逮捕でもされたら・・・。 パエス中尉とフレータ少尉も共犯だ。だが3人はキロス中佐が元通り元気になる日が来ると信じて、彼女に仕えたのだ。

「キロス中佐に面会出来ないだろうか?」

 テオの提案にケツァル少佐は首を傾げた。

「彼女は今厳重な警護の元で治療を受けているでしょう。家族の面会も難しいと思います。」
「中佐に家族がいるのかい?」

 と訊いてから、テオは遊撃班のファビオ・キロス中尉を思い出した。少佐はキロス中佐と親しくないので、と言い訳した。

「彼女の家族のことは知りません。」
「遊撃班にファビオ・キロス中尉がいるが・・・」

 するとロホが言った。

「キロス家は代々軍人を出している家系ですから、大統領警護隊に何人のキロスがいると思いますか?」
「そんなにいるのか?」
「私が知っているだけでも3人います。全員従兄弟同士ですが。」
「それじゃ、カロリスは叔母さんかも知れないな。」

  テオはキロス中佐が本部の事情聴取を受ける前に会いたかった。本部から事件の真相を口止めされる前に。そしてガルソン大尉達の処分が決定する前に。彼女の口から真相を聞かせてもらい、部下達の処分が軽く済むよう助けてやってくれと頼みたかった。
 ふとケツァル少佐が顔を上げて、テオに言った。

「フレータ少尉なら面会させてもらえるかも知れませんね。」


第5部 山へ向かう街     3

  テオはケツァル少佐を見つめ、それからロホを見た。

「3年前、アスクラカンを出たバスがティティオワ山で事故を起こしたんだよ。」

 彼が囁くと、ロホが少佐より先に反応した。

「貴方が記憶を失った事故ですか?」
「スィ。キロス中佐はその事故が起きる前にアスクラカンへ行き、事故のすぐ後でサン・セレスト村に戻って来たと、太平洋警備室の隊員達は言っていた。」

 少佐が尋ねた。

「貴方は、中佐があの事故について何か知っていると考えているのですか?」
「彼女の呪いを祓ったカルロが、中佐は悲しみにうちひしがれていると言ったんだ。だから・・・」

 テオは言葉を纏めようと考えた。

「中佐はもしかすると事故の原因を知っているのかも知れない。事故を防ごうとして出来なかったか、あるいは、あれは事故ではなく、何者かが仕掛けて、彼女はそれを阻止出来なかったか・・・」

 ケツァル少佐が彼の手に自身の手を重ねた。

「それで貴方はアスクラカンへ行きたいのですね?」
「スィ。アスクラカンはエル・ティティから車で1時間の距離だ。週末にエル・ティティに滞在する時に、出かけても良いんだ。買い物とか・・・」
「調査するなら、目標を決めないと、無駄足になります。」
「ラバルは純血至上主義者みたいな考えを口走っていた。」

 ロホが首を振った。

「オルト一族の様な人々と接触しない方が良いです。白人や”ティエラ”に危害を加えたりしないと思いますが、気持ちの良い人達ではありません。」
「それなら、キロス中佐が会いに行った医者の訪問先を探してみる。」

 ちょっと間を置いて、少佐とロホが「医者?」と質問した。それでテオは説明が抜けていたことを思い出した。

「3年前、エンジェル鉱石、今のアンゲルス鉱石だが、あの会社が従業員の健康診断で採取した血液を、当時俺がいた国立遺伝病理学研究所へ売り払ったんだ。それで俺がセルバ共和国に来るきっかけが出来たんだが、その仲介をしたのが、医者のバルセルと言う人物だった。キロス中佐は彼が”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子が混ざったサンプルを売却したと知り、バルセルがアスクラカンに出かけたので追いかけた。そこまで俺に語ってから、彼女はおかしくなった。」

 少佐とロホは顔を見合わせた。ロホが尋ねた。

「そのバルセルと言う医者は今何処に?」
「知らない。調べなきゃ。」
「バルセルは”シエロ”ですか?」
「いや、白人だと聞いた。」
「彼が血液を売却したことと、純血至上主義は結びつきませんが?」
「だから、それを調べたい。」

 不意にケツァル少佐が電話を出した。何処かにかけるのを男達が眺めていると、彼女は先方と話し始めた。

「ブエナス・ノチェス、バルデス社長!」

 え? とテオとロホは思わず顔を見合わせた。少佐は喋り続けた。

「大統領警護隊文化保護担当部のミゲール少佐です・・・スィ、ご協力、感謝しております。」

 少佐はアンゲルス鉱石のアントニオ・バルデス社長と話している。 セルバ流に少し世間話をしてから、本題に入った。

「3年前の御社の産業医をしていたバルセルと言う医師は現在何処にいますか?」

 バルデスの返事を聞いた少佐の顔が曇った。

「本当ですか? ・・・ わかりました。グラシャス。」

 電話を終えたケツァル少佐はテオを見た。そしてわかったことを伝えた。

「バルセル医師は、貴方が巻き込まれたバス事故で亡くなっていました。」


第11部  紅い水晶     20

  間も無く救急隊員が3名階段を昇ってきた。1人は医療キットを持ち、2人は折り畳みストレッチャーを運んでいた。医療キットを持つ隊員が倒れているディエゴ・トーレスを見た。 「貧血ですか?」 「そう見えますか?」 「失血が多くて出血性ショックを起こしている様に見えます。」 「彼は怪我...