2022/02/09

第5部 山へ向かう街     18

  ケツァル少佐は、キロス少佐から読み取った記憶を自分の頭の中で整理した。

「中佐の思考は時々混乱しています。恐らくディンゴ・パジェ又はラバル少尉から喰らった爆裂で脳にダメージを受けたのでしょう。
 彼女はディンゴに提案しました。ラバル少尉との仲を黙っていてやるから、少し前に出発したオルガ・グランデ行きのバスを追いかけて欲しい、と。」

 パジェ家は伝統を重んじる純血至上主義の家族だ。同性愛は勿論許されない。ディンゴ・パジェは父親に黙っていてくれるならと言う条件で、彼女を自分の車に乗せた。

「中佐とディンゴは車でバスを追いかけました。中佐の目的はバルセル医師が持っていたと言うエンジェル鉱石の従業員名簿でした。ディンゴがその目的を中佐から知らされたのかどうかは不明です。中佐の記憶はディンゴの車に乗ってから酷く曖昧になり、時間の統一性もありません。」

 ケツァル少佐は目を閉じた。指で己の額を抑えたので、テオは彼女の顔を覗き込んだ。

「頭痛がするのか?」
「少し・・・」

 少佐が辛そうなので、アスルがテオを見て言った。

「キロス中佐の記憶がメチャクチャになったので、読み取った少佐に影響が出ている。」

 テオは彼女に声をかけた。

「もう止せ、少佐。大体何が起きたのかわかったから・・・君が無理をして思い出さなければならないことじゃない。」

 アスルも彼に同意した。

「少佐、もう結構です。アスクラカンで起きたことはわかりました。バス事故の原因もなんとなく推測されます。」

 少佐が横目で部下を見た。

「事故原因が推測出来るのですか?」
「スィ。キロス中佐は気の爆裂で脳に損傷を受けたのでしょう。ルート43はアスクラカンを出ると舗装が終わります。ガタガタ道を車でバスを追いかけたら、振動で頭部の傷に悪い影響を与えます。中佐はバスを止めたいと思った筈です。朦朧とした頭で、バスを止めようとしたら・・・」

 テオはアスルの推測に背筋が寒くなった。

「意識が朦朧となったキロス中佐がバスを落としたのか?」
「飽く迄俺の推測だ、ドクトル。」

 アスルはテオを真っ直ぐ見た。

「事故の後でキロス中佐は正気に帰ったんじゃないか? そして自分がやらかした大惨事を目の当たりにして、あの人は自分の内に篭ってしまった・・・。」

 ケツァル少佐が頷いた。

「中佐の心は後悔と悲しみでいっぱいでした。彼女は現実に戻るのが恐ろしかったのです。年下の部下に片恋をして、部下の恋人と喧嘩をした挙句、気の爆裂で傷ついてしまいました。そして正気を失っている間に守護者として許されない大失態をやらかした。そして太平洋警備室に戻ると、そこにラバル少尉がいました。彼女は自分の心を殺すしかなかったのです。呪いが残る体で精神的に大きな負担を抱え、彼女の症状はどんどん悪化していったのです。」


第5部 山へ向かう街     17

 しかし、ケツァル少佐がキロス中佐から得た情報はそれだけではなかった。まだ続きがあった。

「中佐は気絶し、目覚めた時は誰も近くにいませんでした。ラバル少尉と相手の男は逃げた後でした。」
「倒れた上官を放置して逃亡とは、とんでもないヤツだ。」

 アスルがぷんぷん怒って見せた。

「しかし、そのラバルはそれから3年間、キロス中佐のそばで勤務していたのですね? どんな神経をしているのか・・・」
「ラバルの心理は中佐の”心話”では計れません。中佐を見張っていたのでしょう。それより、まだアスクラカンでの出来事には続きがあります。」

 ケツァル少佐はテオを見た。テオはドキリとした。バス事故に話が移るのか?

「中佐は倒れた現場から近いサスコシ族の地所に救援を求めました。頭部にも体にも爆裂の影響が出ており、まともに歩けない状態でした。彼女が訪ねた家族はパジェと言いました。」
「パジェ?」

 テオはその名に聞き覚えがあった。

「もしかして、ロレンシオ・サイスの父親の親族か?」
「恐らく。サイスとの関係は中佐の記憶の中にはありません。それに当時サイスはまだ普通のピアニストとして活躍している時期でした。彼の腹違いの姉も彼のそばに近づいていなかったでしょう。」

 少佐は憂を顔に出した。

「ラバルの恋人は、パジェ家の息子だったのです。」
「中佐は知らずに敵の家に入ってしまった・・・?」
「スィ。ただ、パジェ家の家長は分別がありました。怪我をした大統領警護隊の中佐を手当して保護しました。中佐は流石にパジェ家の家長に何が起きたのか語ることを躊躇い、沈黙した様です。恥じらいと、爆裂による呪いから来る苦痛が、彼女が真実を語ることを妨げたのです。そしてパジェ家では指導師の能力を持つ人がいませんでした。パジェ家の家長はサスコシ族の長老を呼ぼうとしましたが、キロス中佐自身がそれを断りました。」
「プライドと恥じらいと・・・」

とテオは呟いた。大統領警護隊の中佐ともあろう者が、痴話喧嘩の果てに恋敵から気の爆裂を喰らって負傷したなど、とても長老に言えたものでなかったろう。

「キロス中佐は恋敵が恩人の息子だと知りました。サスコシの伝統的な屋敷を見たことがありますか、テオ?」
「ノ。」
「小さな家が敷地内に円形もしくはUの字の形に並んでいます。それぞれの家に夫婦とその未成年の子が夫婦を一つの単位として住んでいます。家長夫婦が中心で、息子や娘が成年式を迎えると家を1軒もらうのです。中佐は家長の家に保護されましたが、窓から庭を見て、恋敵がいるのを見てしまいました。彼女は体が回復していないのに、パジェに別れを告げてそこを出ました。」
「どの道、指導師がいなければ治りませんよ。」

とアスルがぶっきらぼうに言った。彼は感情に流されて恋敵を怒らせたキロス中佐に同情する気分でなくなったようだ。ケツァル少佐は部下の不機嫌を無視した。

「キロス中佐は、バルセル医師を探す本来の目的を思い出しました。傷ついた体でアスクラカンの街を彷徨い、医師がグラダ・シティから来たオルガ・グランデ行きのバスに乗り込むのを見ました。そこへ、恋敵が彼女を追って来ました。」

 ケツァル少佐は少し休んだ。喉が渇いた様だが、近くに飲み物を売っている店はなさそうだ。アスルが井戸を探しましょうか、と言ったが、少佐は断った。

「ここは不衛生ですよ。ジャングルの中の湧水の方がまだマシです。」

 と都会育ちの少佐は言った。そして話を続けた。

「ラバル少尉の恋人は、ディンゴ・パジェと言う名でした。彼は父親から中佐を探すよう言いつけられ、仕方なく彼女を追いかけて来たのです。彼は中佐を傷つけたことを詫び、父親の家に戻ってくれるよう頼みました。」
「案外いい奴だったんだ・・・」
「中佐はバルセル医師を追いかけたかった。だから、ディンゴにある提案をしました。」



 


第5部 山へ向かう街     16

  ケツァル少佐は言葉を選んでいる様子だった。ストレートに言うべきか、遠回しに言うべきかと悩んで、やがてアスルを見て、テオを見た。

「ルカ・ラバル少尉はアスクラカンで恋人と会っていました。」

 テオもアスルも無言で少佐を見ていた。少佐は noviaではなくnovioと言ったのだ。ラバル少尉に片思いしていたキロス中佐が少尉が誰かと逢引している現場を目撃したとしても、彼等に何も言うことはない。
 少佐が続けた。

「キロス中佐が見たのは、ホテルから出てくるラバル少尉と若い男性でした。ラバル少尉の恋人は男性だったのです。」

 それは中佐に気の毒だと言うしかない、とテオは思った。ラバルが女性を愛せなくても男性を選んでも、それは彼の自由で権利だ。中佐が失恋したのは気の毒だし、ショックだったろうが、他人にラバル少尉を責める権利はない。
 しかしアスルは違った反応をした。

「我が国の軍隊では同性愛はまだ禁止されている。」

と彼はテオに聞かせるように呟いた。

「本部に知られたらラバルは除隊処分になる。」

 ケツァル少佐が頷いた。

「ですから、キロス中佐は彼等が人目のない場所まで歩くのを尾行し、そして2人の前に姿を現しました。ラバルに上官として規則違反を責めたのです。」

 ラバルが上官に何を言ったのか少佐は言わずに、相手の男性の方に話を向けた。

「ラバルの恋人はサスコシ族の男性でした。彼はラバルの隊律違反を責めるキロス中佐に向かって言いました。『異人種の血を入れて一族の血を汚すより、自分達がしていることの方が清い行為だ』と。」
「ええっと・・・それは・・・」

 テオは考えた。

「そのサスコシの男は純血至上主義者だったのかな?」

 ケツァル少佐は肩をすくめた。

「それはどうでしょう。自分達の立場を正当化する為に言っただけかも知れません。でも彼はキロス中佐にとって恋敵です。中佐と少尉とその男はそこで口論になりました。」
「痴話喧嘩ですか・・・」

 アスルが呆れたと言いたげに目を眼下の風景に向けた。少佐が溜め息をついた。

「大人気ないことです。キロス中佐は、ラバル少尉の恋人が女性だったら、あんなに取り乱すことはなかったかも知れません。でも彼が愛したのは男性でした。ずっと彼への恋を抑圧してきた中佐の心のタガが外れたのです。彼女はラバルに向かって叫びました。彼と別れなければ本部に通報すると。」

 あちゃーっとテオとアスルは心の中で声を上げた。それは部下に取って最後通告の様なものだ。20年以上少尉の地位に甘んじてきて、後輩が出世していくのを黙って見るしかなかったラバルに、不名誉除隊は地獄だろう。

「どちらが発したのか分かりませんが・・・」

とケツァル少佐は言った。

「キロス中佐の心は、『やったのは相手の男だ』と訴えていました。」

 テオがその意味を理解する前に、アスルの方が先に悟った。

「ラバルかサスコシの男か、どちらかがキロス中佐に気の爆裂を浴びせたのですね?」
「スィ。」
「無茶だ・・・」
「恐らく2人の男性は、”操心”で中佐の記憶を消したかったのでしょう。でも口論の最中にそんなことは不可能です。中佐の最後通告を聞いて、どちらかがラバルを守る為に中佐を襲ったのです。」

 

第5部 山へ向かう街     15

  石のテラスに座ってオルガ・グランデの市街地を見下ろす形で3人は並んでいた。セルバ共和国の大都市はあまり高層ビルがない。東海岸は海岸に沿って高いビルが並んでいるが、グラダ・シティ市街地は”曙のピラミッド”より高い建物を建設することが禁止されているから、低い土地でも4階建が精々だ。オルガ・グランデは別の理由で高層ビルが建てられない。地面の下に地下川が流れており、金鉱山の坑道が張り巡らされている。昔の地下墓地もある。つまり、地盤の強度の関係だ。高いビルが立っているのは硬い岩盤の地区で、テオ達が座っている石の街、別名「空き家の街」はその岩盤が斜面を登っていく所にあった。オフィス街の裏手にスラム街がある。現役のスラム街はもう少し旧市街地に近い西側にあった。

「キロス中佐は、ホセ・ラバル少尉に恋をしていました。」

 いきなりケツァル少佐はその言葉から始めてテオとアスルを驚かせた。

「中佐が少尉に恋ですか?」
「しかしラバルは・・・」

 テオはラバル少尉が25年も太平洋警備室に勤務していたことを思い出した。だからアスルに教えた。

「ラバル少尉は40代半ばの人だ。キロス中佐より彼は若い。」

 アスルは黙り込んだ。階級を超えた恋が悪い訳ではない。年齢差もどちらが上だろうが構わない。だが上官が部下に恋とは、下手をするとパワハラと受け取られかねない。
 少佐が続けた。

「勿論、中佐の胸に秘めた恋です。」

 それは”心話”で得た情報だから真実だ。キロス中佐はそんな秘密を内部調査班に知られたくなかっただろう。ましてや”砂の民”に。

「ラバル少尉はポルト・マロンの港湾労働者達に人望があり、彼等からエンジェル鉱石本社が従業員の健康診断で採取した血液をアメリカの製薬会社に売却したと言う情報を得て、中佐に報告しました。太平洋警備室はオルガ・グランデの守護をしています。中佐は製薬会社が人間の血液を使って新薬の開発をすることを知っていました。それ自体は珍しいことではありません。ただエンジェル鉱石はセルバ最大の企業の一つです。従業員の数は多く、いろいろな人種が混ざっています。中佐は一族の人もその中にいるのではないかと危惧しました。製薬会社は遺伝子を分析するでしょう。もし”シエロ”の遺伝子だとわかるものが混ざっていると大変だと彼女は思ったのです。」

 テオは頷いた。エンジェル鉱石が血液を売った相手は製薬会社などではなく、アメリカ陸軍基地にある国立遺伝病理学研究所だった。遺伝子そのものを研究する機関だった。

「中佐はエンジェル鉱石の本社を訪問して、アンゲルス社長に従業員名簿を見せるよう要求しました。アンゲルスはセルバの古い宗教を信仰していませんでした。大統領警護隊の要求を拒否したのです。従業員の個人情報を開示する訳にいかないとの理由でした。中佐は彼から情報を引き出そうと試みました。そして血液採取した従業員の名簿は産業医バルセルが持っていることを知りました。その時バルセル医師はアスクラカンに出かけていました。彼がオルガ・グランデに戻る迄待てなかったキロス中佐は、アスクラカンへ彼を探しに出かけました。」

 ケツァル少佐がキロス中佐からもらった情報はキロス中佐の記憶と思考のみだ。客観的事実ではない。だからケツァル少佐も慎重に語らなければならなかった。テオとアスルにこの話が真実だと思い込まれては困る。そして彼女自身も語りながらそれが本当の話だと錯覚してしまう恐れもあったから、彼女は出来るだけ傍観者の立場であり続けようと努力した。

「バルセル医師がアスクラカンで何をしていたのか、それはキロス中佐の記憶にありません。抜け落ちているのか、彼女がそこまで調べなかったのか、分かりません。兎に角彼女はアスクラカンでバルセルを探しました。そしてバルセルではなく、ラバル少尉を見つけてしまいました。」

 アスルが片手を肩の高さに上げて、質問があることを示した。少佐は休憩を兼ねて彼に質問を許可した。アスルが尋ねた。

「ラバルはアスクラカンへ何をしに出かけていたのです?」
「それをこれから語ってもらうのさ。」

とテオは言ったが、アスルが気を悪くする前に、彼が知っていることを話した。

「ラバル少尉は休暇を取っていた。彼は毎年数日休暇を取って出かけていたそうだ。休みの間に彼が何処へ出かけていたのか誰も知らないんだ。家族の所に帰っているのだろうとガルソン大尉達は思っていたみたいだが。」

 しかしその推測が違っていたことを、ケツァル少佐の表情が語っていた。

2022/02/07

第5部 山へ向かう街     14

 ”心話”はいつもの様に一瞬で終わった。ケツァル少佐が「グラシャス」と礼を述べると、キロス中佐は目を閉じた。目尻から涙が流れた。そして彼女の手がテオの手を握り返した。傷ついた唇が動いた。

「部下達に謝りたい・・・」

 少佐が言った。

「早く良くなって下さい。そして部下達の為に、本部で証言して下さい。貴女が元気になれば彼等はそれだけでも救われます。」
「グラシャス、少佐。」

 テオも礼を言って、2人は急いで病室を出た。見張りの兵士の目を覚まさせてから、彼等は重症患者用病棟を出て、階段で下へ下りた。少佐が気で呼んだのか、それとも階段を見張っていたのか、アスルがスッと足音を立てずに近寄って来た。少佐は何も言わずに病院の出口に向かった。テオとアスルは黙ってついていった。
 陸軍病院から出ると、彼等は10分程歩いて、街中の食堂に入った。労働者達の朝食時間は遠に過ぎており、店の中は空いていた。まだ朝食を取っていなかった3人はそこで遅い朝ごはんを食べた。食べながら少佐がアスルに尋ねた。

「邪魔が入らずに話が出来る場所は近くにありますか?」

 アスルが頭の中のオルガ・グランデの地図を検索するような表情になった。テオは陸軍基地の大統領警護隊が使用する部屋はどうかなと提案しようかと思ったが、さっきの内部調査班も使う可能性があると気がついた。あの連中は敵ではないが、邪魔だ。
 アスルが思考の海から戻ってきた。

「空き家の街はどうですか? カルロが昔遊んでいたと言うスラムの一角です。」

 ケツァル少佐はその場所にあまり馴染みがない様だったが、その提案を採用した。
 食堂から出ると、近くのカフェから内部調査班が出て来るのが見えた。3人は彼等を無視して歩き出した。尾行されるかとテオは心配したが、あちらは再び病院の方角へ歩き去った。ひょっとすると、フレータ少尉を尋問するのかも知れない。
 空き家の街は、近いと言っても半時間以上歩かなければならなかった。少佐はタクシーを拾わなかったが、考えてみればスラム街に行ってくれるタクシーがあるだろうか。
 初めて大統領警護隊と関わった時、テオはオルガ・グランデのスラム街に少佐達と訪れたことがあった。山の斜面に掘建小屋の様な貧しい家々がびっしりと建て込んでいた。そこがカルロ・ステファンの故郷だと知ったのは、ずっと後のことだ。「空き家の街」と呼ばれる一角はそのびっしりと家が立ち並び、人々が日々の糧を厳しい労働で得て暮らしている活きた区画から少し外れていた。昔のスラムと言うより、昔の市街地の端っこだ。石造りの家が斜面に並んでいた。まだ住んでいる人もいるので、所々で洗濯物が干されていた。しかし大半の家は空き家だった。壁に落書きがあったり、ゴミが捨てられていた。怪しげな商売をしている人が怪しげな物を保管する倉庫になっている家もあった。
 3人は家の中には入らずに、更地になっている石のテラスの様な場所で腰を下ろした。少佐を挟んでテオとアスルが左右に座る体制だ。
 歩いて来たので、暫く3人は静かに座っているだけだった。休憩して、周囲に人がいないと確信出来る迄時間を掛けた。それから、少佐が言った。

「これから語るのは、キロス中佐が教えてくれた話です。私も話しながら整理していきますから、矛盾があれば指摘してもらって結構です。」

 

第5部 山へ向かう街     13

 20分後、医師が病室から出て来た。次いで大統領警護隊の2人の将校も看護師に追い出されるかの様に出て来た。彼等が近くまで来ると、ケツァル少佐とテオは立ち上がった。内部調査班の将校達は少佐の前で立ち止まった。敬礼を交わし、”心話”が交わされた。そして無言のまま、男性達は立ち去った。 
 ケツァル少佐が溜め息をついた。テオは何となく”心話”の内容が想像出来た。大統領警護隊内部調査班はケツァル少佐にキロス中佐への面会を禁じたに違いない。そして彼等は何も情報を分けてくれなかった。
 彼は彼女に尋ねた。

「もしかして、内部調査班はキロス中佐から何も聞けていないんじゃないか?」

 少佐が、そうです、と言った。

「先刻の”砂の民”が彼女から強引に情報を引き出そうとして、彼女が抵抗した様です。中佐の心は内に篭ってしまいました。内部調査班が彼女に声をかけましたが、反応がないそうです。」
「彼女の心をこちら側に呼び戻さなければならないってことか?」

 テオは347号室を見た。見張りの兵士は背筋を伸ばして椅子に座っていた。
 テオは311号室を見た。見張りはいない。内部調査班もいない。彼等は巻き込まれて負傷したブリサ・フレータ少尉を無視している。尋問しても何も得られないと思っているのだ。彼女に訊くとしたら、キロス中佐の異常を本部に報告しなかった職務怠慢の件だろう。
 ふとテオは思いついたことがあって、347号室に向かって歩き出した。少佐が訝しげな顔をしたが、彼女も黙ってついてきた。部屋の近くへ行くと、見張りの兵士が立ち上がった。テオは少佐に囁いた。

「頼む・・・」

 少佐が前に進み出て、兵士の目を見た。気の毒な兵士はその日2度目の”操心”で、ぼーっとなって椅子に腰掛けた。
 テオは廊下を見て、誰も見ていないことを確認した。ドアを開けて少佐と一緒に中に入った。
 キロス中佐は酸素マスクを付け、点滴の針を腕に刺して寝ていた。顔と両腕に包帯を巻かれていた。頭部も包帯で包まれていた。
 テオは中佐の耳元に顔を寄せ、囁いた。

「キロス中佐、サン・セレスト村で貴方に面会したテオドール・アルストです。覚えておられますか?」

 反応はなかった。中佐の目は包帯の奥で閉じられていた。彼は続けた。

「貴女が3年前に心を閉ざされてから、ガルソン大尉もパエス中尉もフレータ少尉も、貴女が必ず良くなると信じて、本部に貴女の不調を報告しませんでした。その為に、彼等は今、本部から職務怠慢を理由に懲戒を受けようとしています。最悪の場合、反逆罪に問われるかも知れません。どうか、部下達の罪が少しでも軽くなる様に、貴女に起きた出来事を語ってくれませんか? 3年前、アスクラカンで何があったのですか?」

 中佐の睫毛が微かに震えた様な気がした。テオはさらに訴えた。

「俺は3年前、アスクラカンからオルガ・グランデに向けて出発したバスに乗っていました。エル・ティティでバスは事故を起こし、37人が亡くなり、俺一人生き残りました。俺は今も事故当時のことを思い出せません。何があのバスに起きたのか、ご存知ではないのですか? 俺はあの事故で死ぬべきだったのでしょうか? それとも、貴女はあの事故に全く無関係で何もご存知ないのですか? どうか教えて下さい。」

 彼は中佐の手を軽く握った。包帯こそ巻かれていないが、火傷をしている手だ。苦痛を与えたくなかった。

「ここに、グラダ・シティからシータ・ケツァル・ミゲール少佐が来ています。彼女に”心話”で伝えて頂けませんか?」

 少佐も彼の横から中佐の顔の上に身を乗り出した。そして先住民の言葉で話しかけた。テオは意味がわからなかったが、少佐が自己紹介したことだけはわかった。
 フッとマスクの中が白く曇った。そして、キロス中佐が瞼を開けた。

第5部 山へ向かう街     12

 テオとケツァル少佐が3階の重症患者の病棟へ近づくと、347号室の前に座っている陸軍兵の様子がおかしかった。椅子に座っているのは先刻と同じだが、壁に背中も頭もつけてぼーっとしている。大統領警護隊の内部調査班が中にいるに違いないが、彼等が見張りをそんな状態にする必要があるだろうか。
 ケツァル少佐が全身を震わせた。テオに「そこにいて」と囁き、347号室のドアの前へ足音を忍ばせて歩み寄って行った。彼女がドアの2メートル前迄接近した時、ドアが開き、一人の男が姿を現した。少佐と鉢合わせした彼は、ギクリと立ち止まった。テオの知らない顔で、彼は看護士の服装をしていた。彼を追う様に、病室から大統領警護隊の将校が一人出て来た。彼は看護士に「動くな」と命じ、それから少佐に気がついた。彼女を知らない大統領警護隊がいたら、モグリだ。将校が小声で彼女を呼んだ。

「ケツァル・・・」

 僅かな隙をついて、看護士が走り出した。ケツァル少佐が彼の脚に気で払いを掛けた。看護士がバランスを崩して転倒し掛けた。病室内でもう一人の将校が怒鳴った。

「医師を呼べ!」

それから彼は続けて言った。

「そいつは見逃してやれ。面倒だ。」

 看護士が体勢を立て直して、テオの目の前を走り去った。
 廊下に出た将校が病棟の入り口の事務室に向かって怒鳴った。

「347号室に医師を呼べ! 緊急だ!」

 ケツァル少佐は病室内を覗き、それから廊下に出ている将校に言った。

「向こうで待っています。お伺いしたいことがあります。」

 将校は訝しげに彼女とテオを見たが、頷いた。バタバタと音を立てて医師と看護師が走って来た。彼等が病室に駆け込むと、将校は椅子の上でぼーっとしている見張りに気がつき、舌打ちするとその額に片手を翳した。見張りの兵士がハッと我に帰った。将校は彼に何も言わずに医師達の後ろにつづいて病室内に入り、ドアを閉めた。
 テオは少佐が戻って来ると、看護士が逃げた方向を指した。

「あいつは向こうへ行った。」
「そうですか・・・」

 少佐は溜め息をつき、彼を近くのベンチへ誘った。
 並んで座ると、彼女は彼の催促を待たずに説明してくれた。

「逃げた男は”砂の民”だと思います。恐らく、太平洋警備室で起きた騒動を察知して、事情を聞きに現れたのでしょう。そして、彼女の体に負担をかけてしまったのだと思われます。」
「そこへ大統領警護隊が現れたので、男は逃げた?」
「そんなところです。」

 テオは347号室を見た。

「キロス中佐は大丈夫だろうか?」
「チラリと見えた彼女は、酸素マスクを装着していましたが、呼吸器を火傷した訳ではないので、尋問による心理的な負担がかかったのでしょう。」
「大統領警護隊はまだ彼女から”心話”で事情を聞けていないんだな?」
「まだでしょうね。看護士の男も事情聴取に神経を注いで、警護隊が来たことを察知出来なかった。だから、病室で鉢合わせして、恐らく一悶着あったのでしょう。」

 少佐が少し不安げに彼を見た。

「貴方はあの男に顔を見られませんでしたか?」
「彼が俺の方を見たと言う意識はなかったが・・・俺はただ訳がわからず呆然と立っていたから・・・」

 情けないことだが、テオは事実を語った、すると少佐がちょっと苦笑いした。

「呆然として頂いて感謝します。もし貴方がはっきり関係者である振る舞いをしていたら、あの男は顔を見られたと知って貴方を狙って来ますから。 私はあの男に警戒しなければならないところでした。」
「まだ粛清されたくないな。 だけど、また来るのかな、彼は?」
「大統領警護隊と鉢合わせしましたから、もう来ないでしょう。どちらに優先権があるか決めるのは長老会です。大統領警護隊より己が優先されるべきだと思えば、彼は首領に裁量を求めます。」
「ムリリョ博士に?」
「スィ。」
「博士が決定を下す迄は彼は何もしない?」
「しません。」

 テオは少しだけ安心した。

  

第11部  紅い水晶     24

  ケツァル少佐は近づいて来た高齢の考古学者に敬礼した。ムリリョ博士は小さく頷いて彼女の目を見た。少佐はトーレス邸であった出来事を伝えた。博士が小さな声で呟いた。 「石か・・・」 「石の正体をご存知ですか?」  少佐が期待を込めて尋ねると、博士は首を振った。 「ノ。我々の先祖の物...