2022/06/13

第7部 取り残された者      9

  話が進んだのは2日後だった。テオは学部長の部屋に呼ばれ、政府から隣国の国境地帯に住む先住民の遺伝子調査を依頼された旨を告げられた。

「人口530人の村だそうだ。調査に何日かかるかね?」

 テオはちょっと考えた。

「あちらが協力してくれるのですね? 住民を病院か教会に集めて一斉に検体採取すれば2日か3日で終わると思いますが・・・」

 彼は中米人のおおらかさを思い出し、訂正した。

「1週間もあれば・・・」

 学部長は頷いた。

「君の方はそれだけあれば十分なのだな?」
「遺伝子の分析は大学に戻ってから行います。結果が出るのはもっと先になりますが、あちらでの滞在は1週間を予定していれば十分です。」
「助手が必要かね?」
「そうですね・・・」

 テオは博士論文のテーマを考え中の弟子を思い出した。

「アーロン・カタラーニを連れて行こうと思います。彼の都合が良ければ、ですが。」

 学部長は頷いた。そして同行する考古学者のことを伝えた。

「考古学のケサダ教授も承諾された。助手を1人連れて行くそうだ。総勢4人になるな。」
「わかりました。因みに、その助手は男性ですか?」

 女性でも構わないが、宿舎の部屋割りなどを考えなければならない。学部長は「男だ」と答えた。

「教授の指名で、大統領警護隊に所属する学生だそうだ。」

 ああ、とテオは合点した。アンドレ・ギャラガ少尉だ。軍人には違いないが、正真正銘の学生でもあるし、外観は白人に近い。
 夕方、仕事を終えて文化保護担当部の仮オフィスであるシティ・ホールへ行くと、ギャラガ少尉がバス停に向かって歩く所を捕まえることが出来た。

「ハエノキ村の調査に指名されたんだってな?」

 ギャラガは肩をすくめた。

「ケサダ教授のご指名じゃないんです。私はムリリョ博士の学生なので、博士からの指名と言うか、命令と言うか・・・」

 ちょっと苦笑が混ざっていた。テオも笑った。

「つまり、俺達の護衛を命じられたってことだ?」
「スィ。」

 ギャラガは周囲を見回して、誰にも聞かれていないことを確認した。

「私より教授の方がずっと大きな力をお持ちだって知ってます。使い方もあちらの方がお上手です。護衛なんて、気が重いですよ。」
「素直に学生としてついて来れば良いさ。少佐は何て言ってる?」
「学べるだけ学んでいらっしゃいって・・・」

 テオは彼の肩を軽く叩いた。

「その通りだ。楽しんで行こうぜ。」

 マハルダ・デネロス少尉が歩いて来るのが見えた。テオは彼女にも声をかけた。

「1週間ほどアンドレを借りるぜ。」
「忙しい時に困るんですけどぉ・・・」

と言いつつも、デネロスも笑った。

「でもアンドレが留守の間は少佐がオフィスに詰めて下さいますから、平気ですよ。」

 彼女が舌を出すと、ギャラガもあっかんべーをして見せた。テオは車の後部席を指した。

「お詫びに今日は官舎まで送って差し上げよう。」

 2人の少尉は喜んでテオの車の後部席に座った。車を出してから、テオは後ろの彼等に尋ねた。

「国境の向こう側に同胞がいるって考えたことがあったかい?」
「ノ」

と2人ははっきり答えた。

「私達・・・って、”シエロ”だけじゃなくて、この土地に住む人間は部族の結束が固いんです。自分達の血族が離れた場所に移ったら、必ず昔話で残します。でもブーカ族にそんな話は伝わっていません。ロホ先輩の実家の様な由緒正しい家系は別でしょうけど・・・」

 とデネロスが言うと、ギャラガは苦笑した。

「私はどこの馬の骨ともわからない家系ですから、全く知りません。それに警備班時代も聞いたことがありません。私はあまり同僚と親しくしていませんでしたが、寝室の中で喋る話は互いに全部筒抜けでしたからね。伝説や神話の話をたまにする連中がいましたが、国境の向こうへ移動した一族の末裔なんて聞いたこともありませんでした。」

 つまり、国境の向こう側の”ヴェルデ・シエロ”の子孫はセルバの本流と全く交流がなかったと言うことだ、とテオは思った。



第7部 取り残された者      8

 「何れにしても・・・」

とトーコ中佐が言った。

「ハエノキ村の住民がどの程度”シエロ”の要素を持っているか、我々は知っておきたい。そこで・・・」

 彼はやっと本題に入るようだ、とテオは思った。中佐が続けた。

「村民の遺伝子検査をドクトルに依頼したい。」
「・・・検査自体は構いませんが、隣国でしょう? どうやって・・・」

 すると外務省事務次官のピンソラスが中佐の言葉を引き継ぐ形で言った。

「ペドロ・コボスが越境したことを理由に、ハエノキ村の住民とセルバ共和国のカブラ族の近親度を調べたいと相手国に申し出ました。もし両者の間に遺伝子的共通点が見つからなければ、ハエノキ村及び隣国の他地域の住民が国境検問所を通らずにセルバに入国することを禁止します。遺伝子的共通点があれば、これまで通りの規定範囲内での入国を認めます。隣国政府はこちらの要請を受け入れました。あちらの政府にしてみれば、セルバ国民が同じ理由であちらの国に入り込んで問題を起こす方が迷惑なので、検問所以外の国境を封鎖したいのです。麻薬の販売ルートの封鎖にも繋がりますからね。」
「政治的に利害が一致しているのですね。」

 テオは調査にかかる日数はどの程度だろうと考えた。政府からの正式な要請の調査なので、大学は拒否出来ないだろうが、授業をどうしようか。
 すると、予想外のことをロペス少佐が言った。

「ハエノキ村の住民のルーツは古代の移動から始まると考えられています。それで、考古学者も同行させます。発掘などはしません。民間に残っている”シエロ”の風習や信仰をそれとなく検証させます。遺伝子の分布範囲と文化の分布範囲が重なる所の住民が警戒対象となる訳です。」

 考古学者? テオは考えた。大統領警護隊文化保護担当部に学者のふりをさせて潜入させるのか? それとも遊撃班のステファン大尉を使うのか? どちらも親友達だし、心強い護衛になってくれるが・・・。
 トーコ中佐が言った。

「本物の考古学者に依頼します。文化保護担当部の隊員達は考古学の学位を持っているが、現役の研究者ではありません。考古学者のふりをさせて、隣国政府にバレたら、ややこしいでしょう。軍人ですからな。」

 彼はテオに向き直った。

「グラダ大学で陸の交易路を研究されているケサダ教授に頼もうと思っています。貴方が承知下されば、ですが。教授自らか、あるいは弟子の方に貴方の同行を依頼してみますが、よろしいですか?」

 テオはドキリとした。グラダ大学のフィデル・ケサダ教授は確かに陸の交易ルートを研究している。どの時代にどの地域がどこと交易を行っていたか、どんな物品のやり取りをしていたか、互いの地域に格差はなかったか等だ。恐らく南北の隣国も研究範囲に入っているだろう。大学では休憩時間に世間話をする間柄だし、色々な事件で助けてもらったりもした。しかし、一緒に旅行する経験はまだなかった。それに、テロリストグループのレグレシオン事件以来ケサダ教授はグラダ・シティから出ていなかった。義父のムリリョ博士が何かと理由をつけて教授に大学の学部経営の厄介な仕事を押し付け、足止めしているとの噂だった。ケツァル少佐は「博士が過保護で教授を危険から遠ざけている」と評しているのだが。もしそれが真実なら、大統領警護隊と外務省はマスケゴの族長で”砂の民”の首領であるムリリョ博士を説得しなければならない。
 テオはトーコ中佐に言った。

「ケサダ教授が同行して下されば心強いです。ですが、お忙しい教授が承諾してくれるでしょうか。」

 中佐が苦笑した。

「教授がうんと言わなくても、彼の義父を落とせば簡単でしょう。」

 その義父の方が難攻不落じゃないか、とテオは思ったが、黙っていた。

2022/06/12

第7部 取り残された者      7

  ロペス少佐はテオに向かって話をするようだった。

「これまで隣国に住む一族の子孫の存在を我々は無視してきました。理由は向こう側からこちらへ接触してこなかったからです。北側の隣国はご存知のように砂漠地帯が国境にあり、陸路での往来が古代から今日に至る迄殆どありません。北からの接触は、物品の交易で、人間の交流は皆無と言っても良いくらいでした。それに北部はオエステ・ブーカ族やマスケゴ族が多く、彼等は子孫の管理に厳しい部族です。砂漠の北側の人間との間に子を成すことを厳しく禁止していました。その分”ティエラ”との間に子供を作ることが多かった訳ですが。
 一方、南の隣国とは密林で繋がっています。現在の国境は植民地時代に支配者だったスペイン人が自分達の農園を守る為に互いに取り決めた境界線に基づいています。彼等は農地でもないジャングルにも強引に線を引いたのです。しかし白人が侵入して来た頃には、既に一族は南のジャングル地帯から退いていました。東海岸に住むグワマナ族以外に一族は国境付近を放棄していたのです。カブラロカもアンティオワカもミーヤも”ティエラ”の町で、一族は殆ど住んでいませんでした。近い過去の我々の先祖はグラダ・シティ近郊やアスクラカンに集中していました。ですから、国境の南に一族の末裔が住んでいるなどと誰も考えもしなかった。そんな状態が既に古代から今日に至る迄続いていました。
 交流が全くなかったのですから、南の一族の子孫達は”ヴェルデ・シエロ”の名も存在も知らない筈です。”曙のピラミッド”への信仰が残っているかも疑問です。しかし、我々は今、彼等の存在を知ってしまった。思い出してしまったと言った方が的確でしょうか。そして、我々は今、南の子孫達がどんな状況なのか気になり出しました。」

 少佐が休む為に口を閉じると、ピンソラス事務次官が言った。

「ドクトルが吹き矢で射られる迄、みんなが南のことを忘れていたと言っても過言ではありません。」
「つまり、俺がその男の遺伝子を分析したから・・・ですか?」
「スィ。」

 トーコ中佐が初めて発言した。

「ドクトルが提出された報告書を見て、大統領警護隊司令部は放置すべき事案ではないと判断したのです。このペドロ・コボスと言う男は農民で猟師でしたが、政治的な活動に無縁だと言う隣国からの回答でした。誤ってセルバ側の奥へ足を踏み入れ、間違って人間に向かって吹き矢を射たのだろうと。しかし、我々は素直にそれを受け取りません。隣国政府が何か企んでいると言うことではなく、ハエノキ村に住む”シエロ”の子孫の中に何か不穏な動きがないか、それを疑ってしまったのです。軍人の性だと言われればそれまでですが、少しでも敵対する動きがあれば、どこまでが安全なのか確認せずにいられないのです。」
「ハエノキ村だけに子孫がいる、と考えるのも楽観的過ぎますが、隣国で国境に近い居住地はあの村だけだそうです。ですから、あの村の住人がどれだけ我々に近いのか、確かめたいのです。」

 ロペス少佐の言葉で、テオはやっと己が大統領警護隊本部に呼ばれた意味を理解した。セルバ共和国の”ヴェルデ・シエロ”の支配階級達は、隣国に生きる一族の子孫がセルバの脅威になり得るのか否か見極めたいのだ。数千年の時を経て、再び交流を持ちたいとか、歓迎したいとか、そんな温かい気持ちではない。寧ろ有害か無害か区別したい、それだけだ。

「どんな方法でDNAサンプルを採取するのかは別の問題として、今一つ重要な問題があります。」

とテオは言った。

「俺の分析では、現在わかることは、被験者が”シエロ”の遺伝子を持っているかいないか、と言うことだけです。超能力の強さがわかる、と言うものではありません。」
「純血種とミックスの違いはわかりますね?」
「スィ。やっと部族毎の特徴も解析出来るようになりました。」

 彼はトーコ中佐とロペス少佐を交互に見た。

「多分、中佐と少佐の違いはわかります。個人の特定は当然出来ますし、部族の特定も可能です。」

 彼はピンソラス事務次官を見た。

「貴女の部族もわかると思います。でも、能力の強さや使える能力の種類迄はまだ研究が必要です。」

 ロペス少佐がトーコ中佐を見た。中佐が微笑した。

「素晴らしい。先祖の部族だけでもわかれば、攻撃を受けた時の対処法を考えられます。部族毎に得意な分野が違ってきますからな。」

 ピンソラスがテオに尋ねた。

「ナワルを使えるかどうかは、まだわからないのですか?」

 ナワルの変身能力の有無は、”ヴェルデ・シエロ”にとって重要だ。変身出来ない”シエロ”は”ツィンル”(人間と言う意味)と認められない。同時に、”シエロ”にとって対等な能力の敵とは見做されない。
 テオは頭を掻いた。

「まだそこまでの分析は出来ないのです。残念ですが・・・」


第7部 取り残された者      6

  大統領府の敷地内にある大統領警護隊の建物は、一見すると大統領官邸より小さく見える。しかし裏に回れば広い訓練施設が併設されており、グラウンドでは毎日兵士達がランニングをしたり障害物レースをして訓練に励んでいるのが見られる。そして市民は誰も知らないが、それらの施設の地下には数層になった居住施設やピラミッドに繋がる神殿がある。
 大統領警護隊本部の正門からテオの車は施設内に乗り入れた。初めてだ。門衛を務める兵士は敬礼して通してくれたが、恐らくテオにではなく助手席のステファン大尉に敬礼したのだ。大尉は規定通り緑の鳥の徽章を提示し、テオも大学のI Dカードと運転免許証を見せた。民間人が何故通るのか門衛は理由を知らないだろうが、ステファン大尉が一緒だったので、無言で通過許可を出した。
 車は来客用のスペースに駐車するよう大尉が指示した。そこには1台乗用車が駐車しており、テオはシーロ・ロペス少佐の車だと判別した。ロペス少佐は大統領警護隊の隊員だが、普段は外務省で働いているので、来客スペースを使ったのだろう、と思った。

「どこに連れて行かれるんだい?」

と尋ねると、ステファン大尉はやっと答えてくれた。

「司令部の来客用応対室です。」

 司令部の建物は特に「司令部」と看板が出ている訳でなく、ただ入り口に兵士が立っていた。門衛と同じだ。彼はステファン大尉にもテオにも身分証の提示を求めず、敬礼して2人を通した。廊下は明るく、低い位置にある窓から夕陽が差し込んでいた。入り口から入ってすぐの扉の前にステファン大尉は立つと、ドアをノックした。「入れ」と声が聞こえ、彼はドアを少し開くと、中の人物に声をかけた。

「ドクトル・アルスト・ゴンザレスをお連れしました。」

 そしてテオに入れと手で合図した。テオがドアの中に入ると、彼は入らずにドアを閉じた。
 テオは室内をパッと見て、普通の応接室だな、と感想を抱いた。壁に大統領警護隊の華々しいパレードの様子や訓練披露の写真が飾られ、過去の功績で隊に贈られた勲章やトロフィーが棚の上に並べられていた。別の壁には額入りの小さな写真がずらりと貼られていたが、それらは隊員の肖像写真で、どうやら在任中に殉職した者達と思われた。テオは思わずそれらの写真に向かって右手を左胸に当て、敬意を表するポーズを取った。
 軽い咳払いが聞こえ、彼は我に返った。部屋の中央に応接室の家具にしては実用的だが決して安物ではないテーブルと椅子があり、そこに軍服を着た初老の男性とスーツ姿の男性、スーツ姿の女性が1人ずつ座っていた。長方形のテーブルだが、その左半分に3人はそれぞれの辺に位置を占め、軍服の男性ではなくスーツ姿の女性が短い辺の上座に座っているのだった。スーツ姿の男性はテオがよく知っている男だった。彼はテオが入って来た時に立ち上がったのだ。テオが室内の様子に見惚れていたので、咳払いをして注意を自分達の方へ向けた。
 「失礼」とテオは言った。シーロ・ロペス少佐が己の隣の椅子を彼に勧め、それからテオが座ってから残りの2人を紹介した。女性を手で指し、「外務省のアビガイル・ピンソラス事務次官」と言った。テオが挨拶すると、ピンソラスは微かに笑って「よろしく」と挨拶を返した。彼女は白人に見えた。ロペス少佐は軍服の男性を指して、「大統領警護隊副司令官トーコ中佐」と彼自身の上官を紹介した。テオは何度もトーコ中佐の名を聞いたことがあったが、実物に会うのは初めてだったので、ちょっと緊張を覚えた。純血種だが、部族ハーフだと聞いたことがあったので、どんな遺伝子構成になるのだろうと思ってしまった。トーコ中佐はテオの挨拶に優しい眼差しで頷いた。

「仕事の後で呼び立ててしまい、申し訳ない。」

と彼はよく通るバリトンで言った。そしてピンソラス事務次官に向かって頷いた。
 ピンソラスが書類を数枚テーブルの上に出した。その内の1枚に印刷されている顔写真を見て、テオはドキリとした。セルバターナと仮名を付けた吹き矢の男だ。彼の視線を感じて、彼女が微笑んだ。

「この男性の名前はペドロ・コボス、隣国の国境近くにあるハエノキ村の住民でした。畑を耕して家族を養っていましたが、時々森で猟もしていたそうです。こちらでの調査では、それ以上のことは分かりませんでした。」

 ロペス少佐の方を向いたので、少佐が話し始めた。

「ハエノキ村は古くからある農民の村で、植民地時代前から人が住んでいました。恐らく、一族の子孫だろうと推測されますが、かなり血は薄いでしょう。しかし中には濃い者もいるかも知れない。いたとしても、己の血とセルバとの関係を考えたりしないでしょう。」

 彼は隣国の地図をピンソラスの書類の中から抜き出し、トーコ中佐とテオに見せた。

「隣の人口の99パーセントはメスティーソです。我が国のメスティーソより白人の血の割合が大きい。」

 彼がピンソラスに「失礼」と断ったので、テオは事務次官も”ヴェルデ・シエロ”の血を引く人間だと知った。ピンソラスは微かに苦笑し、テオに向かって言った。

「私も”シエロ”です。外観は白人ですし、能力もそんなに強くありませんが、一族が使える力は取り敢えず一通り使えます。それでも”出来損ない”の呼び名はもらってしまいますけれどね。」
「誰も貴女を”出来損ない”などと考えませんぞ。」

とトーコ中佐が優しく言った。ピンソラスは微笑し、「グラシャス」と言った。そしてロペス少佐に続きを促した。

「貴方の話の腰を折ってしまいました。続きをお願いします。」


2022/06/10

第7部 取り残された者      5

  吹き矢の男は、そのままセルバターナ(吹き矢)と呼ぶことに決めた。テオはその名を記入したタグを男のDNAマップに付けた。
 セルバターナは”ヴェルデ・ティエラ”ではなかった。しかし”ヴェルデ・シエロ”でもなかった。と言うより、”ヴェルデ・シエロ”と同じ遺伝子を持つ”ヴェルデ・ティエラ”だった。つまり、長い歳月の間に混血して血が薄くなった”シエロ”の子孫だ。珍しくないが、国境の向こうにもそんな人々が生きていることを考えて来なかったテオは、ちょっと衝撃を受けた。まだ”シエロ”の部分がどんな役割をしているのか不明だが、恐らくセルバターナは夜でも目が見えただろう。”心話”を使える”シエロ”の子孫のサンプルと比べると、ちょっと違っていたが、それが彼の個性なのか能力の差異を現すものなのか、テオはまだ掴みかねた。”シエロ”のサンプル自体が少ないので、比較出来る材料が乏しいのだ。国中の”シエロ”の遺伝子を集められたらなぁとテオは溜め息をついた。
 セルバターナがセルバ共和国内の”ヴェルデ・シエロ”に関する知識をどの程度持っていたのか不明だ。彼よりも”シエロ”の要素が濃い人がいるのかも不明だ。

 彼が生まれ育った場所に行きたい。

 テオはそう感じた。隣国との行き来は簡単だ。パスポートがなくても運転免許証などの写真付きの公的機関が発行した身分証明書を持ち、双方の国で身元引き受け人がいる証明があれば観光でもビジネスでも目的を告げれば国境を通してもらえる。但し、嘘をついてその嘘がバレると即逮捕されるので、証明書取得を面倒臭がって森の中から密出入国する連中もいた。セルバターナは先住民の猟師だったので、証明書取得免除対象だったのだ。両国の取り決めた範囲内なら自由に狩猟して構わない(捕獲する動物の種類や数は法律で制限されている)人間だった。しかし、彼はその制限範囲外に出ており、人間を射た。だからセルバの官憲、この場合は大統領警護隊に射殺された。隣国外務省は納得して彼の死に対する意見は述べなかった。
 テオが作成したセルバターナの遺伝子に関する報告書は大統領警護隊司令部に提出された。
 トロイ家殺人事件から10日経った。
 テオが大学での仕事を終え、帰宅するために駐車場へ行くと、カルロ・ステファン大尉が彼の車にもたれかかってタバコを吸っていた。久しぶりの再会だったので、テオは思わず「ヤァ!」と声をかけた。ステファン大尉も振り向いて「ヤァ」と返してきた。

「何か用かい?」
「スィ。これから行って頂きたいところがあります。」

 テオは周囲を見回した。ステファンの連れの姿を探したが、誰もいなかった。それどころかステファンが乗ってきたらしい車両も見当たらなかった。

「君1人か?」
「スィ。私を乗せて下さい。ご案内します。」

 大統領警護隊の要件なのだろうと見当がついた。

「それじゃ、出かけることを少佐に連絡しておかないと・・・」

 携帯を出しかけると、ステファンが遮った。

「少佐には既に告げてあります。」

 それでテオは電話を諦め、車のキーを解錠した。ステファンが素早く助手席に乗り込んだので、彼も運転席に座った。

「何処へ行く?」
「大統領府へ向かって走って下さい。」

 ドキリとした。恐らく、あの吹き矢の男の件だ、と思った。大統領は選挙で選ばれた人だから、”ヴェルデ・シエロ”ではない。恐らく大統領警護隊の秘密を殆ど知らない人間だ。だから、これは大統領警護隊の要件なのだ、とテオは理解した。一般人を招待することなど殆どない大統領警護隊の本部へ行くと言うことだ。

2022/06/09

第7部 取り残された者      4

  グラダ・シティに帰ると、テオはロホが憲兵隊に引き渡し前に死体から採取した血液が染み込んだ衣服の切れ端を、自宅のD N A分析装置にかけた。ロホはこう言う細かいところに配慮出来る男だ。吹き矢を使った男が普通の人間なのか、それとも大昔にセルバから分派した”ヴェルデ・シエロ”の末裔なのか、テオは調べたかった。
 ケツァル少佐は彼に早く休むようにと言い、彼女自身は出かけてしまった。恐らく分派に関する知識を仕入れに誰か長老のところへ行ったのだろう。
 デランテロ・オクタカスの診療所ではクラーレの解毒剤を注射してもらった。森の中で死んでいても不思議でなかった状況だが、”ヴェルデ・シエロ”のお陰で助かった。医師は彼が気絶していたにも関わらず何故助かったのか、尋ねなかった。大統領警護隊が一緒にいた。その事実さえあれば、セルバ人は余計な質問をしないのだ。
 無理をしないようにと言われ、研究室から出て何もないリビングでぼーっとしていると、隣の居住区画から家政婦のカーラが軽食を運んで来てくれた。彼女は滅多にテオがいる第二区画に来ないので、少し珍しそうに室内を眺めた。

「何もないんですね?」
「ここは余計な物を置かないだけだよ。隣の部屋はゴチャゴチャと機械を入れてある。少佐すら入らない。ぶつかって機械を壊すと大変だと思っているらしい。」

 実際、高価な機械だから、壊れると大変だ。しかし少佐が物にぶつかるなんて想像出来なかった。カーラも早々に退散して行った。女主人の恋人と2人きりで一つの部屋に長居することを警戒したのだ。テオは彼女に子供がいることを知っているが、結婚しているのかどうか聞いたことがなかった。彼女はプライバシーを喋らない。彼も聞かなかった。
 軽食を腹に入れ、コーヒーを飲んで、食器を第二区画のキッチンで洗ってから返しに行った。トレイを受け取ったカーラが言った。

「壁をぶち抜いて通路を作れば便利ですのにね。」

 テオは苦笑した。

「だけど少佐はこのビルの所有者じゃないからな。そんなことをしたら彼女も俺も追い出される。」
「そうなったら、新しい家でも雇って下さいね。」

 2人で笑って、それからテオは研究室に戻った。分析が終了する迄、森であったことを報告書にまとめてみた。大学に提出する為の土壌分析結果も必要だ。土は大学の地質学教室に託してあった。そもそも何の為の土壌調査なのか理由がないので、成分を分析してもらうだけだ。赤い蟻塚の赤土と、普通の蟻塚の土の分析だった。悪霊がいるだけで土の成分が変化するのだろうか。
 大学から送られてくるデータ内容を表にまとめたり、文章にしたりしていると眠たくなってきた。遺伝子と関係ない研究は、彼にとって退屈なことでしかなかった。
 携帯の呼び出し音が鳴った。画面を見ると、アリアナ・オズボーンからだった。テオと同じ施設で生まれ育った、彼の唯一の「親族」だ。電話に出て、「ヤァ」と声をかけると、彼女が画面で満面の笑みを浮かべた。

「ハロー、テオ。元気そうね!」
「元気さ。君も元気そうだね。」

 テオはまだクラーレの影響が少し残って気怠かったが、彼女には伝えたくなかった。アリアナ・オズボーンはグラダ大学医学部病院の小児科病棟で働いている。職場はテオに近いが最近は滅多に出会わなかった。彼女は忙しいし、オフの時は愛する夫シーロ・ロペス少佐と仲睦まじく過ごしているのでテオは邪魔をしたくなかった。だから余計な心配を彼女にかけたくなかったのだ。しかし、彼女は言った。

「ケツァル少佐から聞いたわ。クラーレを塗った毒針の吹き矢で射られたのですって?」
「ああ・・・スィ・・・」
「もし気分が悪くなったら、いつでも私に連絡して頂戴。」

 ケツァル少佐が気を遣ってアリアナに事件のことを喋ったのだ。女性同士の連携が強いので、男達はこんな場合打つ手がない。

「大丈夫だ。少しかったるいだけだよ。今日は一日家にいる。」
「それなら良いけど・・・」

 気のせいか、少し顔がふっくらして見えるアリアナが微笑した。

「少佐は君に電話したのかい?」
「ノ。彼女はシーロに密入国者の状況を訊きに外務省へ行ったのよ。シーロが事件を知って、私に教えてくれて、私はびっくりして彼女に電話して・・・」
「わかった、わかった。君達の連絡網は理解した。」
「悪霊だなんて、危ないものに近づかないで。貴方はただの人間なんだから・・・」

 電話では”シエロ”とか”ティエラ”とか、そう言う単語は極力使わないことにしていた。誰に傍聴されるかわからない。テオは言った。

「近づかないよ。俺は呪術師じゃないんだから。科学者だぞ。」

 アリアナが笑い、「じゃ、またね」と言い、投げキスをして画面を閉じた。
 テオは考えた。シーロ・ロペス少佐が関わってきたと言うことは、今回の件は大統領警護隊の司令部にも報告があがっているな、と。

 
 

2022/06/07

第7部 取り残された者      3

  テイクアウトの夕食を終えて管理人が帰宅した後に、ロホが格納庫へ戻って来た。射殺した吹き矢の男の死体を憲兵隊に引き渡し、憲兵隊が国境警備隊に死体の写真をメールで送って身元確認を行ったので、遅くなったのだ。結果は、トレス村の部隊が担当する国境から少し南にある村の猟師だと言う返答だった。猟師と言っても狩猟だけで家族を養えないので普段は畑を耕していた男だ。
 猟師と言う職業は厄介だった。先住民の権利で、国境を無視して二つの国を行き来して暮らしている。当然ながら獲物を獲る道具も持ち歩いているが、両国の取り決めで先住民の猟師は銃器の使用を禁止されていた。狩猟には昔からの吹き矢や弓矢、罠を用いること、となっていた。だから猟師が吹き矢を使用すること自体は違反でなかった。問題は人間を狙ったことだ。憲兵隊はテオの腕に刺さった矢から猟師の指紋を採取した。そして男とテオの関係を調べたが、大統領警護隊から得られた情報以上のテオの情報はなかった。

「外国人を殺して国際問題にならないか?」

とテオが心配すると、ロホは首を振った。

「なりません。男は両国間の取り決めで許可されている範囲を超えてセルバ側に入り込んでいました。そして人間を狙って吹き矢を射た。貴方が射られたことは医師の証言からも明らかですから、男が死んだのは男自身のせいです。」
「そうか・・・だが、どうして俺を狙ったんだろう?」

 テオはまだ体調が完全に回復していないことを自覚していた。クラーレは植物由来の猛毒だ。獲物の筋肉を弛緩させ、呼吸困難に陥らせて絶命させる。”ヴェルデ・シエロ”はその対処療法を知っていたので、少佐が咄嗟に彼の腕に局所的な衝撃波を送り、一時的に血流を止めた。そして毒を搾り出したのだ。それでもテオを気絶させる威力を毒は持っていた。

「矢に塗られていた毒が猿を殺す量で良かったです。」

とロホが慰めた。テオはむくれた。

「その猟師が何かに憑依されて、俺を猿と勘違いして射たとは考えられないか?」
「悪霊の気配はありませんでした。」

 ロホはケツァル少佐を見た。少佐も彼に同意した。

「猟師は獣に気取られないよう、己の気配を消していました。悪霊はそんなことをしません。眠っていても、私は悪霊が近づけば目覚めます。」
「君なら猟師の接近も気づいた筈だがな・・・」

ついテオが愚痴をこぼすと、少佐もムッとして言い返した。

「貴方がそばにいたので、安心して眠ったのです。」

 2人が喧嘩を始めそうな気配だったので、ロホが素早く割り込んだ。

「憲兵隊が、猟師の仲間を調べるよう相手国の捜査機関に要請する、と言っていました。向こうが何処まで動くかわかりませんが、外国のことに我々は手を出せません。」
「国境の向こうの話か・・・外務省の協力が必要かな・・・」

 テオは大統領警護隊司令部所属で外務省出向組の隊員を思い浮かべた。

「外務省を動かさなくても・・・」

 少佐が少し悪戯っ子の表情を作った。

「様子を伺うだけなら、私達も出来ますよ。」



第11部  紅い水晶     24

  ケツァル少佐は近づいて来た高齢の考古学者に敬礼した。ムリリョ博士は小さく頷いて彼女の目を見た。少佐はトーレス邸であった出来事を伝えた。博士が小さな声で呟いた。 「石か・・・」 「石の正体をご存知ですか?」  少佐が期待を込めて尋ねると、博士は首を振った。 「ノ。我々の先祖の物...