2022/08/07

第8部 贈り物     15

  ケツァル少佐はシショカの顔を見ないで質問した。

「我々はこれからこの神像を遺跡から盗み出した犯人を探しますが、もし泥棒を突き止めたら、貴方はお仕事をされるおつもりでしょうか?」

 シショカが口元に不気味な微笑みを浮かべた。

「呪殺は掟破りですからな。一族が信仰していなくても、聖なる石を用いて作られた神像を冒涜しているのです、下衆は処分されて当然です。」

 そして彼は少佐とロホを交互に見た。

「貴方方が捕まえても、やはり評議会が極刑を言い渡すでしょう。どちらが情け深い処分か、お分かりかと思うが・・・」

 ロホがドアに手を掛けた。少佐がシショカに言った。

「報告は必ず致します。その神様を元の遺跡に戻さなければなりませんから、解決すればここへ参りましょう。犯人の名を告げるのはその時にします。」
「それで結構です。」

 ロホがドアを開いた。少佐が出て、彼もシショカに敬礼して外に出た。ドアを閉じると、少佐は既に階段に向かって歩いていた。廊下で待っていたアスルがロホが通るのを待ってから、最後尾をついて行った。
 3人は建設省の庁舎から出てしまう迄一言も喋らなかった。それぞれが乗って来た車に分乗し、文化・教育省へ走った。
 大統領警護隊文化保護担当部のオフィスでは、マハルダ・デネロス少尉とカルロ・ステファン大尉が申請書の審査と予算の編成を行っていた。ケツァル少佐がマルティネス大尉とクワコ中尉を伴って帰還すると、2人は立ち上がって敬礼した。少佐は返礼すると、デネロスにだけ、奥のエステベス大佐のプレートが下がっているドアの内側へ来いと合図した。ロホとアスルも彼女に続いたので、オフィスはステファン大尉だけになった。彼は書類の山を眺め、小さくため息をついた。所属班が異なるので、会議に呼ばれなかったのだ。ケツァル少佐はこう言う場合の線引きに厳しかった。元副官で弟でも、もう「部外者」なのだ。ステファンはちょっぴり寂しかった。
 エステベス大佐のプレートの部屋では、何も載っていないテーブルを囲んで4人の男女が椅子に座った。

「建設大臣宛に、アーバル・スァット様が送りつけられていました。」

と開口一番に少佐は事実を告げた。

「郵便で送られて来たと建設省の職員は言ったそうですが、荷札シールは偽造で、送り主も出鱈目でした。幸い大臣の私設秘書セニョール・シショカが箱から漂う霊気を察知して、彼自身のオフィスに荷物を隔離し、現在保護しています。送り主は神像を丁寧に扱っており、あの神様の扱い方を熟知していると思われます。恐らく大臣かその側近達が神像に間違った扱いをして祟られるのを期待した様です。」
「犯人は一族の人間と考えて宜しいですか?」

とアスルが質問した。少佐は微かに首を傾げた。

「そうとも言い切れません。アントニオ・バルデスもアーバル・スァット様の知識を持っていました。彼に神像を売りつけた盗掘者ロハナ・ロハスもあの神様の扱い方を知っていたので、彼女は盗み出した段階で呪われなかったのです。2人共”ティエラ”です。どこであの神様の知識を得たのか、調べる必要があります。」

 彼女はロホを振り返った。

「シショカは神像の扱い方を知っていますが、職員達が彼の不在時にあの部屋に入る可能性もあります。万が一に備えて、貴方は建設省の近辺で警戒に能りなさい。退屈な任務ですが、必要な役目です。」
「承知しました。」

 ロホは頷いた。少佐はアスルを見た。

「アーバル・スァット様が祀られている遺跡ピソム・カッカァに行って、盗掘が行われた時の様子を探りなさい。跳んでも良いですが、過去に長居しないこと。泥棒の顔を確認したら直ぐに戻りなさい。」
「承知しました。」

 少佐が顔を向けたので、デネロスはドキリとした。少佐が言った。

「文化保護担当部の窓口を暫く閉鎖します。」
「スィ!」

 デネロスはもう少しで嬉しそうな表情になるのを理性で抑えた。捜査に加えてもらえるのだ。

「貴女は博物館に行って、館長に最近ピソム・カッカァについて調べに来た人間がいなかったか、訊きなさい。館長に事情を話しても構いません。」
「承知しました。」
「アンドレはまだ戻りませんか?」
「デランテロ・オクタカスの病院から一回電話がありました。怪我人はまだ意識が戻らないので、待機しているそうです。」
「俺が過去に跳んだら、何が起きたかわかるさ。」

とアスルが言ったが、直ぐに付け足した。

「その怪我をした警備員が持っている情報が必要かも知れないがな。」

 少佐は腰を上げながら彼女自身の予定を言った。

「私はオルガ・グランデのバルデスに会って来ます。彼がネズミを使った時の経緯をもう一度はっきりさせる必要があります。アーバル・スァット様の威力を知っている人間がどの程度の範囲なのか、知っておかねばなりません。」


2022/08/06

第8部 贈り物     14

  マリオ・イグレシアス建設大臣は、所謂悪党ではないが、政治家の多くがそうであるように、知人友人、支持者に便宜を図ってきた。当然ながらそれによって恨みを買うことも少なくなかった。敵がいない政治家なんて、無能なだけだ、と言う人もいるくらいの国だ。イグレシアスは過去にも色々嫌がらせを受けてきたし、妨害も受けた。シショカは私設秘書としてそう言う問題を裏で処理する仕事をしているのだ。大抵の問題は彼1人で十分解決して来た。だが、今回はちょっと勝手が違った。

「過去にも色々毒物やら銃弾やら、脅しが目的の贈り物がありましたが、神様を送りつけられるとはね・・・どう対処すべきか、判断に迷っているのです。」
「そうでしょうね。」

 ケツァル少佐はロホを振り返った。箱を開くべきか、と目で問うた。ロホはちょっと考え、そして頷いた。神様の機嫌が悪い訳でないので、こちらが身構える必要はない。少佐は用心深く、丁寧に包装を解き始めた。シショカは遠ざかりはせず、さりとて間近で見る訳でもなく、己の机にもたれかかって少佐の作業を眺めていた。純血種の彼には、石の神像が発する霊気が見えている。もし霊気が悪意のあるものに変化したら、いつでも逃げ出せる心の準備はしている筈だった。
 箱を開くと、生成り色の綿に包まれた高さ30センチ程の物体が現れた。綿の周囲にぼろ布などを丸めて詰め込んで、運搬時の衝撃で神像が傷つかないよう、神様が機嫌を損ねないよう、用心がなされていた。神像の扱いに慣れた、あるいは知識を持っている人間の仕業だ。少佐もロホもシショカも同じことを考えていた。
 
 これは一族の者の仕業だ。

 少佐が綿を取り去ると、灰色の石で出来た神像が姿を現した。後ろ足で立ち上がり、前足を左右共に前へ突き出し、口を大きく開いて吠えている、そんな感じだが、長い歳月風雨に曝されてきたので、摩耗して丸い印象を与える。この神様を祀ったオスタカン族が神殿を放棄して去ってしまってから、神像は遺跡の中に放置されていたのだ。だがそんな扱いは神様を怒らせたりしなかった。アーバル・スァット様と呼ばれる神像は、静かに廃墟の中で余生を送っていたのだ。いつか大地に戻るだろうと眠っていたのだ。それがある日突然その眠りを妨げられて、神様は怒った。盗掘者や故買屋や、関係した人間に脅威の祟りを発揮した。人間の生気を吸い取り、衰弱させ死に至らしめた。
 ロホがシショカを振り返った。

「この神様はニトログリセリンみたいなお方です。丁寧に運べば眠ったままですが、乱暴に扱うと目を覚まされ、呪いの力を発揮されます。」
「すると・・・」

 シショカが何かを想像して身震いした。

「今、ここで地震が発生して、神像が床に落っこちたら、我々は祟られるのか?」
「可能性はあります。」

 少佐が静かに箱を持ち上げ、神像が入ったまま、床の上に移動させた。

「元来は、”ティエラ”の懇願に従って、”シエロ”の神官が聖域の岩から彫り出した神様です。普段は眠っておられますが、祈祷の時に頭から水を振りかけて目覚めて頂き、雨を降らせて頂くのです。決して祟り神ではありません。」

 シショカは床の上の神様に両手を額に当てるポーズで、神に対する崇拝の気持ちを表した。
 ロホが苦笑した。

「お怒りあそばされて荒魂が石から離れていれば、袋に捕まえて、神像は石として運べるのですが、今の様に眠っておられると、却って静かに運ぶのが難しいのです。」

 シショカは彼を見て、苦い顔をした。

「この部屋から運び出すのは難しいと言われるのか?」
「難しくありませんが、元の遺跡に戻す為に準備が必要です。それに、送り主が誰なのか、まだ何もわかっていません。」

 少佐がシショカを見た。

「箱を持って来たのは、郵便配達員だったのですか?」
「階下の受付係がそう言いましたが、犯人が一族の者なら”幻視”を使った可能性もあります。」

 シショカは溜め息をついた。

「気が進まないが、犯人が判明する迄、この神様をここへ隠しておいた方が良さそうですな。」


2022/08/05

第8部 贈り物     13

 街中で捜査中の時、軍服を着るか私服で通すか、時々大統領警護隊文化保護担当部は頭を悩ませる。ケツァル少佐は港の探索に私服を選んだが、空港を歩き回ったロホは軍服だった。そして故買屋を回っていたアスルは私服だったが、彼の場合は既に故買屋連中に面が割れていたので 、軍服を着ていなくても何者か相手はわかっていた。
 建設省の庁舎前に最初に到着したのはロホだった。彼は暑い外気の中で人を待ちたくなかったので、建物の中に入った。文化・教育省と違って、こちらは立派な独立したビルだ。入り口正面奥の受付カウンターの斜め横にあるソファに座って、仲間の到着を待つと、彼の周囲から自然と人々が距離を空けた。胸の緑の鳥の徽章を見て、ヤバい相手だと思ったのだろう。ロホはアサルトライフルを持っていなかったが、拳銃は軍服着用時の規則で携行していた。受付の建設省職員は彼に何用かと尋ねたいのだが、声を掛けて良いものかと躊躇っていた。大統領警護隊の訪問など上司の誰からも聞かされていなかった。
 5分程して、ケツァル少佐とアスルが建物の前で出会ったのだろう、少佐と中尉の順で入って来たので、ロホは立ち上がった。3人が敬礼を交わし合うと、直ぐに周囲の人々は私服姿の学生に見える男女も軍人だと悟った。
 アスルが受付カウンターへ行った。職員がドキドキして応対すると、彼は囁いた。

「セニョール・シショカから呼ばれている。取り継ぎを頼む。」
「畏まりました。」

 職員は直ぐに内線電話で大臣の私設秘書の部屋に連絡を入れた。短い返事を聞き、それからアスルに顔を向けた。

「どうぞ、3階のエレベーターを出て左、2つ目のドアです。」
「グラシャス。」

 アスルは素早く視線をフロアに向け、エレベーターではなく階段を見つけた。そして上官2人に階段の方向を手で示した。軍人達が階段へ向かうのを見て、職員は同僚を振り返った。
 大統領警護隊がエレベーターを使わないと言うのは本当なのね。
と彼女が目で言うと、同僚は肩をすくめただけだった。通じたのかどうか、受付職員にはわからなかった。
 階段を上がって行く間、ケツァル少佐、ロホ、そしてアスルは無言だった。3人共空気を感じようと感覚を研ぎ澄ましていたが、怪しい気配はなかった。
 3階のフロアに着くと、アスルは廊下に残り、ケツァル少佐とロホが私設秘書のオフィスのドアをノックした。直ぐにシショカその人がドアを開けた。少佐が公務で来たことを示すために敬礼した。シショカは右手を左胸に当てて挨拶し、2人を中に招き入れた。
 シショカの部屋は特に変わった物はなかった。普通に大臣の個人秘書として、客の応対をするテーブルと椅子、書棚、パソコンやファックスなどのI T機器、そして彼自身のデスクがあるだけだ。そして来客用のテーブルの上に段ボール箱が置かれていた。セルバ共和国の郵便のシールが数枚貼られているが、ケツァル少佐もロホもそれらが偽造荷札だと一眼で分かった。箱から微かに光が放たれているが、恐らく”ヴェルデ・シエロ”でなければ見ることは出来ない。シショカは電話で「不穏な気配」と言ったが、少佐にはそんな感じはしなかった。
 ロホが言った。

「中を確認しないとわかりませんが、この箱の中に入っていらっしゃる方は、セニョール・シショカが丁寧に取り扱わられたので、今のところご機嫌なご様子です。」

 シショカが気まずそうな顔をした。

「私が受け取った時は、運搬途中で揺さぶられたのだろう、かなりご機嫌斜めだった。」
「それでも運んできた人間は精一杯丁寧に扱ったのでしょう。」

 少佐が用心深く箱の上に手を翳した。ロホが上官の表情を伺った。少佐は数秒間目を閉じて考えていたが、やがて目を開くと断言した。

「間違いありません、アーバル・スァット様です。」

 ロホがホッと息を吐いた。「ネズミの神様」なら、一度対峙した経験があるから、扱い方がわかる。それに今はまだ神様は悪霊化していないので、ご機嫌さえ損なわなければ周囲に被害を出さずに済む。
 シショカが顔を顰めた。神様の名前など彼はどうでも良かった。問題なのは、情緒不安定で怒らせると非常に危険な神様が建設大臣宛てに送られてきた事実だ。

「何処の何の神様か知らないが、誰がここへ送りつけて来たのでしょうか。目的は漠然と察しがつくが・・・」

 

2022/08/04

第8部 贈り物     12

 ケツァル少佐はグラダ港にいた。空港をロホに捜査させ、彼女は船舶を一隻ずつ、倉庫を1棟ずつ、ネズミの神様の気配を探して見て回っていたのだ。荷物検査が厳しい航空機より船舶の方が、密輸品の運搬をしやすい。遺跡からの盗掘品の多くが船で国外に持ち出されることが多かった。船の積荷なら、神像に失礼がないように大袈裟な梱包をしても、重量制限やサイズ制限で引っかかる可能性が低い。石だから麻薬探知犬や爆発物探知犬も反応しない。
 少なくとも、アントニオ・バルデスが神像の盗難を知った時から今日までグラダから出港した船はまだいない。海が暴風のために荒れており、セルバ共和国や陸地は穏やかなのだが、海上は危険だと言うので船舶の航行は止められていた。

 だが、太平洋側から船を出されるとお手上げだ。

 太平洋岸のセルバ共和国の唯一の港ポルト・マロンは、バルデスが経営権を握っているアンゲルス鉱石を初めとするオルガ・グランデの鉱山会社が鉱石を積み出す港だ。石や土砂の積荷が多い。そこに神像が紛れ込んでも見つけ出せないが、そんな運び方をされたらあの恐ろしい神様は大激怒なさるだろう。それにバルデスが積荷のチェックを抜かりなく行っている筈だ。もし神像を見つけたら、大統領警護隊太平洋警備室に協力を求めるだろうから、ケツァル少佐は西側の守りをそちらへ任せていた。日頃は暇な太平洋警備室の隊員達が張り切って積荷の検査を行う様が想像出来た。
 マハルダ・デネロス少尉からシショカの電話の件で連絡があったのは、彼女が荷積み労働者達の溜まり場で、女性労働者達に混ざって少し早めの昼休みを取っていた時だった。彼女は口に入れたトルティージャを飲み込むまで電話を放っておいた。そしてデネロスからシショカの名前を聞いて、ちょっと不機嫌になった。内務大臣と建設大臣を務めるイグレシアス兄弟を連想させる人々は嫌いだった。シショカの人柄も好きではなかったが、何故白人の政治家の下で働いているのか、未だに理解出来ない。シショカ自身は純血至上主義者なのに。 
 たっぷり時間をかけて昼食を取ってから、彼女は溜まり場を出て、岸壁を歩いていった。そして周囲に誰もいないことを確かめてから、海を見ながら電話を取り出してかけた。

ーー少佐、お電話をお待ちしておりました。グラシャス。

 シショカが慇懃に挨拶した。少佐はすぐに要件に入った。

「どんな御用でしょう?」
ーー電話では申し上げにくいのです。通信会社に記録が残りますからな。

と言ってから、シショカは彼女を怒らせる前に素早く核心を語った。

ーー大臣宛に送られてきた贈り物から、不穏な気配がするのです。

 少佐はドキリとした。それって・・・

「中身は石ですか?」
ーースィ。重量があります。そして取り扱い注意と美術品のシールが貼られています。

 シショカは馬鹿ではない。一族の歴史にも詳しい。

ーー想像するに、どこかの遺跡からの出土品です。それもかなり霊力が強い石だ。
「送り主はわかりますか?」
ーー書かれている名前を調べましたが、実在する人間ではありませんでした。
「大臣宛てなのですね?」
ーースィ。

 バルデスが己の雇い主を呪殺した手口に似ている。
 少佐はシショカに言った。

「すぐにそちらへ参ります。建設省の庁舎ですね?」
ーースィ。今は私のオフィスに置いています。”ティエラ”には触らせたくないのでね。

 シショカが利口な男で良かった。少佐はちょっとだけ安堵した。電話を切ると、次にロホとアスルに向けてメールを送った。

ーー建設省に標的が届けられた疑いあり。すぐに向かうこと。

 数秒後に2人から「承知」と返信があった。ギャラガは盗難の捜査をさせておこう。ケツァル少佐は駐車場に向かって走った。

第8部 贈り物     11

  マハルダ・デネロス少尉はカルロ・ステファン大尉に”心話”でシショカからの電話の内容を伝えた。大尉は1秒ほど置いてからアドバイスした。

ーー少佐にすぐ連絡を取れ。

 よほどの重大問題が発生した場合でなければ外にいる上官に電話をしてはいけないことになっている。シショカの事案とネズミの神様の盗難、どちらが重要だろうと思いつつ、デネロスはケツァル少佐の電話にかけてみた。運転中だったのか、5回の呼び出し音の後で少佐が電話に出た。

ーーケツァル・・・
「デネロスです。セニョール・シショカから少佐に何か用事があるとかで電話がかかって来ました。」
ーー何かとは何か?
「彼は何も教えてくれません。少佐がお留守ならロホはいないのか、とか、ムリリョ博士はどこにいるのか、とか・・・」

 ケツァル少佐はあまり長く考え込まなかった。

ーー私から連絡してみます。グラシャス。

 通話を終えて、デネロスは溜め息をついた。シショカの用事はきっと厄介なことなのだ。文化保護担当部や考古学博士を探しているのだから、考古学に関係するのかも知れない・・・
 デネロスはふと嫌な予感がしてステファン大尉を振り返った。ステファン大尉も彼女を見た。

ーー同じことを考えたか?

とステファンが尋ねた。デネロスは頷いた。

ーーネズミの神様とシショカに何か接点が生じたのかも知れません。
ーー俺達から質問してもあのおっさんは答えてくれないだろう。だが、あいつが困っているのだとしたら、本当に厄介な問題に違いない。

 シショカは”砂の民”だがムリリョ博士の手下ではないから、独自の判断で仕事をしている。その男が首領の判断を必要としているのだとすれば、正に厄介な問題が発生しているのだろう。
 カルロ・ステファンもマハルダ・デネロスも好奇心がムラムラと湧いてきた。しかし業務途中で外出は許されないし、2人共昔からシショカと接触することをケツァル少佐から固く禁じられていた。

「少佐はあの人との話し合いを私達に教えて下さるかしら?」
「無理だろう。教えてくれるとしたら、それはことが全て終わってからだ。」

 カルロ・ステファンは遊撃班の副指揮官らしく、素早く頭を切り替えた。

「さぁ、さっきの電話は忘れて仕事に戻ろう。」

 デネロスは不満そうな顔だったが、仕事の優先順位を思い出し、書類の束をステファンの机に置いた。

「それじゃ、これをお昼ご飯の後で片付けて頂けます?」
「げっ!こんなにあるのか?」
「クエバ・ネグラ沖の海底遺跡の発掘調査関係です。モンタルボ教授が遺跡を細かく区切って調査されているので、区画ごとに申請書を提出されるんですよ。」
「一つにまとめて出せば良いものを・・・」

 ステファンは書類をパラパラとめくって眺めた。そして溜め息をつくと、デネロスを振り返った。

「先に昼飯にしないか?」

2022/08/03

第8部 贈り物     10

  次の日、カルロ・ステファン大尉は、上官のコンドミニアムから文化・教育省の4階へ出勤した。彼が入口で緑の鳥の徽章とI Dカードを提示すると、守衛当番の女性軍曹が黙って仮職員パスをくれた。ケツァル少佐から既に話を通してあったのだ。ステファン大尉は「グラシャス」と言ってパスを受け取り、首に掛けると階段を上がって行った。いつまで経ってもエレベーターがつかないビルだ。階段の幅だけは広いので大勢が一度に通ることが出来る。
 4階に到着すると、文化財・遺跡担当課の職員達が振り返った。数人の入れ替わりはあったが、殆どが顔見知りの職員だ。ステファン大尉は彼等と挨拶を交わし、ちょっと世間話をした。それから官舎から出勤して来たマハルダ・デネロス少尉の指図で業務に取り掛かった。彼は大尉で仕事の経験も彼女より豊富だったが、一応外部から来た助っ人だ。だから少尉の指示に従って仕事をした。
 昼近くになって、4階オフィスの電話が鳴った。誰が取ると言う決まりはなく、手が空いている人間が出ることになっている。文化財・遺跡担当課の女性職員がその電話を取った。相手と少し話をしてから、ちょっと困った表情でデネロス少尉を振り返った。

「マハルダ・デネロス少尉、建設省から電話です。」
「建設省?」

 デネロスは眉を顰めた。あまり馴染みのない省庁だ。民間で工事を行う時に遺跡が出土してしまうことがある。そんな場合に建設省と文化・教育省がどちらが優先権があるかと事務官で議論するが、大統領警護隊文化保護担当部にはあまり関係ない事案だ。隣の文化財・遺跡担当課に事案が回ってくるのは、文化・教育省の事務官が議論で建設省を負かした時になる。だから4階に建設省が直接電話を掛けてくることはなかった。あるとすれば、それは建設大臣マリオ・イグレシアスの個人的要件だ。
 デネロスはチラリとステファン大尉を見た。ステファンが肩をすくめた。まだイグレシアス大臣はケツァル少佐を追っかけているのか、と内心呆れていた。少佐はもうテオドール・アルストと同居しているのに。
 デネロスは仕方なく電話を取った。

「大統領警護隊文化保護担当部、マハルダ・デネロス少尉です。」
ーー建設大臣イグレシアスの私設秘書、シショカです。

 予想通りの男の声が電話の向こうから聞こえた。イグレシアス大臣はケツァル少佐にデートを申し込む時、自分で電話を掛ける度胸がなくて、いつもこの私設秘書に掛けさせる。シショカは少佐が断るとわかっていても、仕事だから電話をする。
 デネロスは先回りして言った。

「取り継ぎの職員が言ったように、少佐はお留守です。」
ーーそのようですな。マレンカの御曹司も出払っているのかな?

 マレンカの御曹司とは、ロホのことだ。ロホが実家の名前で呼ばれるのを嫌うことを知っていながら、そう呼ぶのだ。つまり、これは、「一族が関わっている問題」だ。若いデネロス少尉にもその程度のことは察せられた。彼女は答えた。

「マルティネス大尉、クワコ中尉、ギャラガ少尉も外へ出払っています。」

 では”出来損ない”しかオフィスにいないのか、とシショカが小さく呟くのをデネロスは聞いてしまったが、黙っていた。ここにステファン大尉がいると知れば、シショカは彼を挑発してくるだろう。シショカとステファンは犬猿の仲だ。
 シショカと話をしている暇はないと思ったデネロス少尉は電話を切り上げようと思った。

「お役に立てなくて申し訳ありませんが、業務が立て込んでいますので・・・」

 するとシショカがこう言った。

ーーファルゴ・デ・ムリリョ博士が今どこにいらっしゃるか、わかるか?

 デネロスは一瞬にして緊張した。”砂の民”のシショカが”砂の民”の首領を探している。つまり、シショカの手に負えない事案が発生していると言うことなのだろう。

「博物館と大学に博士がいらっしゃらないのでしたら、私には見当がつきません。」

 彼女はそう言ってから、言い足した。

「ケサダ教授になら連絡をつけられます。教授なら博士の行き先をご存じかも知れません。」

 シショカが少し沈黙した。フィデル・ケサダは”砂の民”ではない。シショカが抱える要件に巻き込む必要がある人物だろうか、と考えているのだ。それに、シショカはケサダが苦手だった。口論したことも戦ったこともないが、向こうの方が力が強いと彼は感じていた。一族に害をもたらす人間を闇から闇へ葬る仕事をしているシショカは、対峙する一族の者の能力の強さを正確に把握する必要があった。だが、フィデル・ケサダの能力はどうしても測りきれなかった。同じマスケゴ族なのだから、彼と差がない筈なのだが。
 カルロ・ステファン大尉が心配そうにデネロス少尉を見た。彼の耳にも電話から流れるシショカの声が聞こえていた。ケツァル少佐へデートの誘いかと思ったが、そうではないらしい。しかしデネロスに代わってくれとは言えなかった。ステファンを忌み嫌っているシショカは、ステファンが電話を代った途端に切ってしまうだろう。
 やがてシショカは言った。

ーー出来るだけ早くケツァル少佐に連絡をつけたい。伝言を頼む。私に直接電話して下さいと告げてくれ。

 電話が切れた。デネロスが電話を睨みつけた。

「それが他人に物を頼む言い方?」

2022/08/01

第8部 贈り物     9

 ケツァル少佐が雇っている家政婦のカーラは、主人が留守の時にやって来る訪問者を決してアパートの中に入れたりしない。しかし、少佐の部下は例外で、リビングに通す。テオがもう一つの区画に引っ越して来てからは、男性の部下はテオの部屋のリビングへ入るようになった。彼等も彼等なりにカーラに気を遣っているのだ。
 その夜、デネロス少尉を官舎へ送ったテオが帰宅すると、カーラが入れ替わりに帰宅しようと下へ降りて来た。週末は家政婦は休業だったので、テオは驚いた。彼女は少佐の指示で特別業務をしていたのだ。一階のロビーで出会うと、彼女は来客があることを告げた。

「ステファン大尉が見えられましたので、貴方のお部屋へ通しておきました。」
「グラシャス! 気をつけてお帰り!」
「グラシャス! おやすみなさい。」

 カーラは呼んでいたタクシーに乗って帰って行った。 
 テオは来客があることを、駐車場の客用スペースに停められていた大統領警護隊のジープの存在で知っていた。もし遊撃班からの助っ人で中尉以下の隊員だったら、マカレオ通りのアスルが住んでいるテオの旧住宅に行くだろうから、ケツァル少佐のアパートに来るのは大尉だけだ、と予想したのだ。
 エレベーターの使用を”ヴェルデ・シエロ”達は嫌うが、テオは平気だ。すぐに最上階の彼と少佐だけのフロアに到着した。エレベーターを出ると狭い公共スペースがあって、左右に並んでいるドアの右側をテオはチャイムを鳴らしてから開いた。さもなければステファン大尉に殴り倒される恐れがあった。彼等は実際用心深いのだ。
 カルロ・ステファン大尉は何もないリビングの、数少ない家具である古いソファの真ん中にふんぞり返ってテレビを見ていた。テオを見るとニヤリと笑った。

「ご自宅のチャイムをわざわざ鳴らして入るんですか、貴方は?」
「誰もいなけりゃ鳴らしたりしないさ。入るなり君に張り倒されたくないからね。」

 2人は笑い、ハグで挨拶した。それからテオは何もないキッチンにポツンと鎮座する小さな冷蔵庫からビールを出して、大尉と乾杯した。

「もしかして、君がマハルダの助っ人なのかい?」
「スィ。他の連中は考古学の素人なので、私に行ってこいとセプルベダ少佐から命令が降りました。明日からマハルダ・デネロス少尉の部下として働きます。」

 と言いつつ、ステファンは嬉しそうだった。古巣に久しぶりに帰るのだ。それも上官の命令で。書類仕事ばかりでも、嬉しいに違いない。

「マハルダは捜査に加われなくて、不満らしいぞ。」
「そうでしょう。しかし、ネズミの神様はそんじょそこらの神像とは威力が違いますからね。彼女が完璧に能力を使えたとしても、神様が怒った時は歯が立たないでしょう。私も白人の血が入っていますから、神様が言うことを聞いてくれるとは限りません。」
「だが、アンドレは捜査に出ている。」
「彼は・・・」

 ステファン大尉は肩をすくめた。

「能力の幅がまだ謎なんです。もしかすると私より強いかも知れない。」
「黒じゃなく銀色なのに?」
「色で力の強さが決まるのではありません。反対に力の強さが色に出ることもありません。」
「シュカワラスキ・マナの息子がそんなことを言うんだったら、アンドレの力の大きさは本当に未知数なんだな。」

 テオは研究室に保管している友人達の遺伝子マップを頭に思い浮かべた。ギャラガの遺伝子は様々な種族の血が混ざっているので、他の”ヴェルデ・シエロ”達のものと少し差異がある。それがどの力を表し、どの程度の力なのか、テオはまだ解明出来ていない。純血種を解明しなければ、ミックスの解析は難しいだろう。

「だが、純血種以上に強いことはないよな?」
「純血種のグラダは現在女が1人だけです。」

 ステファン大尉は異母姉ケツァル少佐を頭に浮かべて言った。テオは、もう1人男性がいるんだと言いたかったが、我慢した。これは「彼」との約束だ。絶対に誰にも言わない。ただ、少佐とギャラガは知っている。ステファンだけが知らないのは不公平なのかも知れない。だが、彼等を守るために秘密を知る人間は少ない方が良いのだ。
 テオは話題を変えた。

「君の遊撃班の話を聞かせてくれないかな。勿論、公表出来る範囲で構わないから。」


第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...