2022/08/31

第8部 探索      9

  時間は半日前に戻る。

 ケツァル少佐とカルロ・ステファン大尉は東セルバ州立刑務所にいた。州立と言うが、セルバ共和国で重犯罪で捕まった凶悪者の殆どが収監されている刑務所だ。オルガ・グランデにある西セルバ州立刑務所がどちらかと言えば軽犯罪者が多いことを考えると、裁判所は東西で囚人の罪の重さを分けているのかも知れない。セルバ共和国の法律では死刑はまだ存在する。どんな方法かは裁判で決められるが、一般的には絞首刑だ。銃殺は軍法会議で死刑が決まった場合で軍人にしか行われないことになっている。それ以外の方法は行わないのが建前だが、都市伝説では、「”ヴェルデ・シエロ”を怒らせるとワニの池に生きたまま放り込まれる」と言うのがある。州立刑務所にワニは飼っていないし、池もない。ただ、塀の外を濠が囲んでいる。植民地時代の要塞跡だったので、その名残だ。立地は海のそばで、濠は海水を引いており、時々サメが泳いでいるのが見えると、看守達が入所する際に囚人を脅す。真偽の程は定かでない。
 ロザナ・ロハスは東セルバ州立刑務所の重犯罪者棟に収監されていた。女性用の区画だ。刑期は96年。恐らく生きて出られない。模範囚でもせいぜい10年減らしてもらえるだけだろうし、満了する頃に彼女は100歳を超えている。
 セルバ共和国の刑務所は賄賂が利かないことで犯罪者の間で有名だ。刑務官達は大統領警護隊の司令部から任官されて来る所長を恐れている。所長は暴君ではないが、大統領警護隊隊員だ。刑務官や囚人の不正をすぐ見破る。歴代の所長がそうだったから、現在の所長も同じだった。例えその所長がメスティーソであっても。
 大統領警護隊同士だからと言って、面会者に優遇はなかった。ケツァル少佐はロザナ・ロハスへの面会を申し込み、許可が出る迄午前中いっぱい待たされた。刑務所所長は多忙なのだった。刑務所の近くの刑務官達が利用する食堂で朝から昼まで、少佐とステファン大尉は待っていた。2人共私服姿だったが、雰囲気で軍人だとわかるのだろう、店の従業員は時々コーヒーのお代わりは要り用かと聞きに来るだけで、テーブルに近づかなかった。
 少佐の携帯には部下達からのメールが送られてきた。
 マハルダ・デネロス少尉はテオドール・アルストと共にムリリョ博士に面会し、博物館の学芸員に話を聞くと書いていた。
 アスルはアンドレ・ギャラガ少尉と共にピソム・カッカァ遺跡へ行った。デランテロ・オクタカスの病院を発ったのが夜明け前で、日が昇った後でアスルは盗掘現場から「過去」へ跳んでみた。微妙な時差で盗掘者を目撃することは出来なかったが、犯人の匂いは嗅いだ。「次に出会えば、嗅ぎ分けられます。」と彼は書いていた。
 ギャラガは捜査状況の報告を先輩に任せて、彼自身は盗掘者に瀕死状態にされた警備員を気遣う内容を送って来た。爆裂波でやられた人間の脳を治療出来ないのでしょうか、と彼は疑問文を書いていたが、答えは期待していない筈だ。
 ロホは簡潔に報告を送って来た。「異常なし」と。
 ステファン大尉は己の携帯に何もメールが入って来ないことを悲しげに眺めていた。メールボックスは空だ。大統領警護隊遊撃班は彼に「戻ってこい」と言ってくれない。これは首都が今の所平和だと言う証拠でもあるのだが、彼は寂しかった。遊撃班に戻れば、彼は副指揮官で、班員達は部下だ。しかし文化保護担当部では、彼はタダの助っ人で、指揮官は彼を昔の様に部下扱いするし、弟だと「見下して」いる。彼女と一緒に仕事が出来るのは嬉しいのだが、姉は小言が多い。彼が苛ついても無視だ。

「面会は1人だけでしたね?」

 彼は刑務所の規則を思い浮かべた。子供時代はかっぱらいや万引き、喝上げ、掏摸と軽犯罪を繰り返していたが、捕まったことがなかったので、刑務所も少年院も縁がなかった。

「それに互いの目を見てはならない・・・」

 少佐が小さくあくびをした。

「私は待ちくたびれました。ロハスには貴方が面会しなさい。」
「え?」

 ステファンは驚いた。

「貴女は彼女に質問なさりたいのでしょう?」
「質問は一つだけです。いつ、誰からアーバル・スァットの力を教わったのか。」


第8部 探索      8

  雑貨店からテオとデネロス少尉が通りに出ると、夕暮れだった。空間通路でも探さなければグラダ・シティに当日中に帰ることは出来ない。宿を探すか、とテオが提案した時、背後から「ドクトル! デネロス少尉!」と声をかけられた。振り返るとアスルとギャラガ少尉が立っていた。デネロスが上官であるアスルに敬礼で挨拶した。目を見合ったので、互いに捜査状況を報告し合ったのだろう、とテオは想像した。アスルが背後の一軒の民家らしき建物を指した。

「俺達はあそこに部屋を取った。あんたらも取ると良い。今夜は部屋が空いているそうだ。」
「ホテルなのか?」
「そんなもんだ。」

 看板を出していないのに、と思ったが、入口の上に小さく「ホセの宿」と書かれた板が打ち付けられていた。テオが入ると、普通の家のリビングの様な部屋で、若い男が古いソファに座ってテレビを見ていた。ドアに付けられたベルがカラコロと鳴り、彼は振り向いた。テオは声をかけた。

「男1人女1人、2部屋欲しい。」

 男は部屋の端の階段を指差した。

「2階だ。好きな部屋を選んでくれ。但し、2部屋は先客がいる。」

 テオは室内を見回した。どう見ても普通の家だ。料金表もフロントもない。

「料金は前払いで良いか?」
「スィ。」

 ギャラガから聞いた料金を支払い、鍵をもらった。どうやらどの部屋も同じ鍵の様だ。デネロスと2階へ上がるとドアが5つあり、取り敢えず無施錠の部屋を見つけてそれぞれ中に入った。毛布1枚と枕が一つ置かれた粗末なベッドだけの部屋だった。荷物らしい物を持って来なかったので、テオはそれだけ確認して廊下に出た。デネロスは大統領警護隊が野外活動する時に持ち歩くリュックを持っていたので、それを部屋に置いて来た。他人が触れるとビリビリと来る「呪い」をかけてある、と彼女は言った。盗難防止策だ。そんな能力なら俺も欲しい、とテオは思った。
 宿から出て、少し歩くとアスルとギャラガが見つけた食堂に入った。殺風景な室内装飾の店だが、客はそこそこ入っていて、他所者が来ても珍しくないのかチラリと見られた程度だった。豆の煮込みや鶏肉の焼いたのを食べて、4人は満腹になった。どこかでアスル達が調べたことを聞きたいなぁとテオが思っていると、テーブルに近づいて来た老人がいた。地元の人だ。

「大統領警護隊の方ですな?」

 彼はアスルに話しかけた。純血種はアスルだけだから、庶民は彼が隊員だとわかっても、メスティーソのデネロスやギャラガも仲間だとは考えが及ばないのだ。アスルは頷いて見せた。彼は部下達を手で指した。

「この2人は少尉で、私は中尉です。何か用ですか?」

 老人は食堂内の他の客を振り返った。テオは全員がこちらを見ていることに気が付き、驚いた。彼等はこの村の住人なのだろう。老人が代表を買って出たのか、それとも長老として役目を担ったのか。老人が低い声で囁いた。

「アーバル・スァット様を盗んだのは若い男女です。インディヘナでした。儂等にはわかりませんが・・・」

 彼が「わからない」と言ったのは、その男女の泥棒が”ヴェルデ・シエロ”なのか”ヴェルデ・ティエラ”なのか区別出来ないと言う意味だ。アスルが頷いた。

「グラシャス、泥棒は我々が探す。」
「グラシャス。」

 食堂内の人々が口々に「グラシャス」と言った。だから、アスルは言った。

「アーバル・スァットはグラダ・シティで見つけた。泥棒を見つける迄安全な場所に保管している。だから、災いが降りかかることはない。」

 今度の「グラシャス」はもっと大きく、喜びの響きが混ざっていた。

「前回の盗難の時は、毎日天候が不安定で雨季でもないのに雨が多くて困りました。今回はまだ何も起こっていませんが、遺跡で警備員が殺害されたと聞いて、この辺りの住民はみんな不安でならないのです。」
「警備員は死んでいない。」

 アスルは彼等を安心させるためにそう言ったが、重体の怪我人は2度と目覚めないだろう。住民達は安心して互いに肩を叩き合ったり、乾杯をした。テオ達にもビールが振る舞われた。アスルが食堂内の人々に声をかけた。

「それで? その男女はどんな人間だった?」


2022/08/30

第8部 探索      7

  遺跡に近い土地の人々は大統領警護隊と言えば遺跡の監視、と思うのだろう。テオとデネロス少尉は心の中で苦笑しながら、サラス氏が案内するまま、ごちゃごちゃした雑貨店の中の木製ベンチに座った。多分近所の人の社交場なのだろう、古いスタンド式吸い殻入れや、カップがいくつか積み重ねられた小さなテーブルが両脇に置かれていた。サラス氏が何か飲みますかと訊いたので、水をもらった。

「大統領警護隊文化保護担当部のデネロス少尉と、グラダ大学准教授のドクトル・アルストです。」

 デネロスは簡単な自己紹介をした。テオの肩書きを言わなかったのは、言う必要がないと判断したからで、相手は考古学の先生ぐらいに思うだろう。果たして、サラス氏は突っ込まなかった。デネロスはすぐに要件に入った。

「ピソム・カッカァ遺跡に祀られていた神像が盗難に遭ったことをご存じですか?」

 サラス氏の顔が曇った。

「スィ。憂うべきことです。これで2回目ですから。」
「どんな神様かご存知ですか?」
「スィ。小さな動物の形の神様です。先祖から聞いた話では、雨を降らせるジャガー神だと言うことですが、雨の神様を盗むなんて、どう言う了見なんだか・・・」

 雑貨店主はテオを見て、尋ねた。

「外国ではあんな古い物を高い値段で買う人がいるそうですね。」
「罰当たりですけどね。」

とテオは頷いた。

「神様を敬うことを知らない人間がいるんです。キリスト教の神様の像でも盗まれますからね。」
「そんな奴らはジャガーに食われてしまえば良いんだ。」

 サラス氏はそう呟いてから、デネロスの視線に気がつき、手を振った。

「ノノ、そんな恐ろしいことを私は願いません。」

 大統領警護隊が”ヴェルデ・シエロ”と深い繋がりがあると知っているのだ。うっかりしたことを口走って、本当にジャガーが暴れると困ると心配していた。

「アーバル・スァット様が怒るとどうなるか、ご存知ですか?」

 デネロスの問いに、彼は小さく頷いた。

「命を吸い取られます。ジャガーに魂を食われてしまうんですよ。」
「どんな失礼をすれば神様は怒るのでしょう?」
「それは・・・」

 サラス氏の躊躇いは答えを知っている証拠だ。デネロスはそれ以上訊かずに、別の質問をした。

「同じ質問をした人が最近いませんでしたか?」

 サラス氏は暫く黙っていた。そして悲しそうに言った。

「記憶にないんです。」
「え?」
「誰かに何かを喋ったと言う記憶はあるのですが、何を喋ったのか覚えていないんです。」

 ”操心”にかけられたとサラス氏は言っているのだ、とテオは気がついた。デネロスを見ると、彼女も同じ考えに至っている様子だった。彼女は質問を変えた。

「それはいつ頃のことでしょうか?」
「2月程前です。」

 サラス氏はデネロス少尉を見つめた。

「貴女は大統領警護隊ですよね?」
「スィ。今、アーバル・スァット様の盗難事件を調査中です。」
「私の体験は私のこれからの人生や家族に何か悪いことを呼び込むのでしょうか?」

 デネロスはメスティーソだ。それに若い女性だから、時々大統領警護隊としての彼女の能力を疑う人がいる。サラス氏も彼女に助けを求めようとはしなかった。それにデネロスは、純血で強い力を持った隊員がどんなに手を尽くしても”操心”で消された記憶が戻らないことを知っていた。だから助けを求められないことに気を悪くしたりしなかった。彼女は彼の質問に優しく答えた。

「貴方の記憶を消した人間は、もう貴方を煩わせることをしません。大丈夫です、貴方はその人を見ても既に見分けられないし、相手も貴方をどうにかしようなんて考えていない筈です。」

 テオにはいかにもセルバ的にのんびりした考えだと思えたが、サラス氏はそれで納得した。

「そうなんですね! 盗難事件で警備員が重傷を負わされたと聞いたので、私にも何か災いがあるかも知れないと不安でした。」

 デネロスは首を振って、災いはない、と表現した。そして最後の質問をした。

「アーバル・スァット様はどんな時にお怒りになられますか?」


2022/08/26

第8部 探索      6

  マハルダ・デネロス少尉は上官の許可を求めなかったが、ケツァル少佐の携帯に留守電を入れておいた。テオと一緒にデランテロ・オクタカス郊外のぺグムと言う集落に行くと言う内容だった。それから空軍の知人に電話をかけ、本日中にデランテロ・オクタカスへ飛ぶ便はないかと尋ねた。電話を切ると彼女はテオを振り返った。

「半時間後に飛び立つそうです。飛行場へ急いで!」

 予定時間通りに飛び立つことは滅多にないセルバの航空業界だが、空軍がそうとは限らない。グラダ・シティ国際空港の端っこにある空軍用スペースにテオの車が滑り込んだのは25分後だった。ドアをロックして2人は走った。兵士ではなく物資を運ぶ小型輸送機に無理矢理乗り込む形だ。定員オーバーではないか、と心配したが、荷物は軽そうだった。
 乗員はテオ達に何をしに行くのかと訊かなかった。大統領警護隊が乗せろと言うのだから乗せる、それだけだ。
 小さな輸送機はガタピシ言いながらグラダ・シティ国際空港を飛び立った。空軍なのだから、もっとマシな飛行機を買って貰えば良いのに、とテオは思ったが、黙っていた。オルガ・グランデへ行く空路より気流の乱れが少ないと言っても、深い緑の密林の上を飛んで行く。もし墜落したら、救助が来るのに時間がかかりそうな土地の上を通過した。
 テオとデネロスは沈黙したまま、座席に座っていた。狭い空間で、動き回るスペースもあまりない。パイロットも副操縦士も殆ど喋らなかった。やがてガタガタの滑走路に着陸して、飛行機が停止した時、全員がホーッと大きく息を吐いた。
 テオとデネロスは乗員に礼を告げて、空港を離れた。出口でペグム村へ行く道を訊くと、意外にも乗合タクシーを教えてくれた。オクタカス遺跡へ何度か監視業務に出かけていたデネロス少尉だが、近隣の村々へタクシーで行けるなんて知らなかったらしく、ちょっと驚いていた。
 タクシーと言っても小型トラックを改造した車で、荷台に屋根が載っけてあり、ベンチが備え付けてあるだけのものだ。窓ガラスは前半分だけで、後は風通しがやたらと良かった。乗客は全部で7人、デランテロ・オクタカスで野菜を売った女性達が自宅へ帰るところで、朝は野菜を入れて来たであろう大きな籠に、帰りは日用雑貨を購入して詰め込んでいた。自宅用ではなく村で売るのだろうと見当がついた。
 デネロスがオスタカン族の住民のことを尋ねると、彼女達は即答で教えてくれた。テオは地方訛りがきつい彼女達の言葉を7割程しか聞き取れなかったが、デネロスはちゃんと理解出来たらしく、表情が穏やかになって、グラシャスを繰り返した。
 ペグム村は、予想したより綺麗なところだった。森が開かれていて、木造の民家が未舗装のメインストリートに沿って並んでいる。少し床を地面から上げて離してあるのは虫などを避ける為だろう。どの家も2、3段の階段を上がって家に入る。家の前では女性達がお喋りしながら屋外キッチンで夕食の支度をしていた。男性達は日中の仕事が再開される時間なので、民家の裏手で働いている様だ。
 乗合バスを降りた女性達は1軒の家を目指して歩いて行った。そこが村で唯一の商店で、食料品から日用雑貨、衣類などを販売していた。彼女達は野菜を売ったお金で仕入れた雑貨をその店に卸し、またお金を受け取って帰って行った。
 テオとデネロスはその店の主人が仕入れた品物を店頭に並べるのを眺めていた。やがてデネロスが声をかけた。

「ブエノス・タルデス! 貴方がセニョール・サラスですか?」

 主人が顔を向けた。よく日焼けしたメスティーソの男性で、60は過ぎているだろうか。商店主らしい人当たりの良さそうな顔で頷いた。

「スィ、儂がサラスです。何か?」

 他所者への警戒がなかった。綺麗な村だから、訪問者が多いのだろう。それにこの村は、オクタカス遺跡の側のオクタカス村への通過点だ。流通の途中の村なのだ。
 デネロスが徽章を出した。サラスは手の埃を払い、店の中の椅子を指差した。

「遺跡の監視ですか? あちらで休まれませんか? お茶を出しますよ。」


2022/08/24

第8部 探索      5

「その修道女はアーバル・スァットに興味を持ったと思いますか?」
「どうでしょう・・・」

 アバスカルは首を傾げた。

「病気平癒の神様ではありませんし、とても古くて観光客も素通りしてしまうような小さな神像です。雨を降らせる力があるとも思えませんし・・・」

 学芸員にはそう見えるのだろう。それに神像に力があるなら、現代でも近隣の先住民などがお供えをしたりして崇拝しているのではないか。無造作に神殿の棚に置かれていただけだから、ロザナ・ロハスは盗めたのだ。

「アーバル・スァットを盗んだと言われている女性のことですが・・・」

 テオが女性犯罪者のことに触れかけると、アバスカルは肩をすくめた。

「あの麻薬業者ですか? あんな人はここへ来ないでしょう。ここには監視カメラがありますから、例え遊びに来るだけだとしても、映りたくないと思いますよ。」

 彼女は部屋の隅の天井に設置されているカメラを指差した。テオが見たところ、休憩スペースのカメラはそれ1台だけで、部屋の出入り口を撮影しているように見えた。
 デネロスが、修道女が来たのはいつ頃でしたか、と尋ねた。アバスカルはブログの日付を見て、5年前の月日を言った。ロザナ・ロハスがアーバル・スァットを盗掘する半年程前だった。 

「その人はそれっきり来なかったのですね?」
「来ませんでした。」
「他に呪術や願い事を叶えてくれる神様について質問した人はいませんでしたか?」
「博物館でそんな質問をする人はあまりいませんわ。大概は祭祀の方法や占星術の技術や、農耕と狩猟の関係などを調べている人が多いです。考えてもみて下さい、私たちが古代の呪術について遺跡から何を知ることが出来ます?」

 確かに、考古学は出土品を見て、それが何に使われていたのか、どう使われていたのか、誰が使っていたのか、考える学問だ。呪術の内容まで判明したりしない。
 アバスカルは修道女の名前を覚えていなかったし、どこの修道院かも聞いていなかった。
 テオとデネロスは彼女に礼を告げて、博物館を出た。
 車に乗り込むと、デネロスは考え込んだ。

「民間のシャーマンがセルバ共和国に何人いると思います?」
「数えた人はいないと思うが・・・」

 テオは絞り込む方法を思いついた。確実ではないが、ないよりマシな案だ。

「ピソム・カッカァ遺跡周辺のシャーマンや呪術師を当たった方が良くないか? アーバル・スァットの呪いを知っているのは、オスタカン族だと思うが・・・」
「オスタカン族はアケチャ族に同化されて、殆ど残っていません。少なくとも純血のオスタカン族なんて・・・」

 そこでデネロスは何かに思い当たり、電話を取り出したので、テオは車のエンジンをかけずに待った。デネロスがかけたのは、ウリベ教授だった。結局、あの福よかな人懐っこい教授に頼ることになるのか、とテオは思った。
 ウリベ教授はお昼寝の最中だったのか、電話に出ても少しばかりはっきり聞き取れない喋り方だった。デネロスは彼女のシエスタを邪魔したことを謝罪し、それからオスタカン族の伝承に詳しい人を教えて欲しいと頼んだ。

ーーオスタカン族? 何だか懐かしい言葉ねぇ。

 といつも陽気なウリベ教授が答えた。

ーーあの部族はとても古くて、人口も少なくなっているから、殆ど伝承も残っていないのよ。だからシャーマンと言うより、土地の古老に昔話を聞けたら幸運と言うことです。

 まだ生きているかどうか知らないが、と前置きして、教授はデネロスに3つばかり名前を告げた。テオはそれを素早く自分の携帯にメモした。住所は具体的に覚えていなかったが、住んでいた村は知っていると教授はデランテロ・オクタカス近郊の集落の名前を一つだけ言った。

ーーそこにオスタカン族の末裔が住んでいるわ。目で見てもわからないけどね。言葉もアケチャ語とスペイン語だけです。
「グラシャス、先生! 恩に着ます!」

 大袈裟ね、と笑ってウリベ教授との通話は切れた。
 デネロスが振り返ったので、テオは腹を決めた。

「デランテロ・オクタカスへ行くか・・・」


第8部 探索      4

 テオもデネロスも学芸員が耳寄りな情報を持っているとは期待していなかった。博物館は混雑する場所ではないが、週末は海外からの観光客も多い。職員達はその資格や肩書きに関わらず客の応対に忙しく、一人一人の客の顔を覚えていないだろう。 博物館に一番近いタコスの店で簡単に昼食を済ませ、コーヒーを飲んでから、テオとデネロスは博物館に戻った。
 マリア・アバスカルは2人が奥のスペースへ辿り着く前に彼等に追いついた。手にタブレットを持っており、休憩スペースのソファへ2人を誘導した。休憩スペースは広くて、近代のセルバ人画家が描いた遺跡や神話をモチーフにした幻想的な油絵が4、5点3方の壁にかけられた四角い部屋だった。その真ん中に背もたれのないソファが置かれているので、他の人が近づくとすぐ知ることが出来る。

「呪術のどう言うことをお知りになりたいのでしょうか?」

 アバスカルの質問に、デネロスが答えた。

「呪術の内容ではなく、呪術の使い方を調べに来た人がここ5、6年の間でいなかったか、覚えていらっしゃいますか?」
「呪術の使い方?」

 アバスカルが目を見張った。デネロスが説明した。

「つまり、どんな神様や精霊に、どんな方法で願い事を叶えてもらうか、その儀式の方法等です。」
「・・・」

 テオが周りくどい言い方がまどろっこしいので、ズバリ言った。

「誰かを呪殺したい場合の方法とか・・・」
「呪殺ですか・・・」

 アバスカルは口元に手を当てた。驚いた様子だが、ショックを受けたと言う感じではなかった。

「ええ、中南米の呪いの効果を期待して、そう言う不穏な情報を調べて来る外国人がたまにいますね・・・」

 彼女はタブレットを操作し始めた。面会者のリストかと思ったらそうではなく、彼女個人の日誌の様な感じだった。ブログ形式で日誌を毎日書いているのだ。彼女は検索ワードに「呪殺」と入れた。しかし出てきたのは、来館者との会話を描いた日誌で、若者達と冗談混じりで話をした様子ばかりだった。

「民間信仰で呪いを研究されているのは、グラダ大学のウリベ教授ですけど・・・」

とアバスカルは言い訳するように呟いた。

「でも私は教授にそんな遊び半分の観光客を紹介したことはありません。」
「勿論、貴女が軽薄な人々に真面目に取り合うなんて思っていません。」

 テオはデネロスを見た。彼女に主導権を戻したかったが、彼女はテオのペースに任せることにしたのか、黙って見返しただけだった。それで彼は更に突っ込んで質問した。

「アーバル・スァットと言う石の神像をご存じですか?」
「アーバル・スァット?」
「ピソム・カッカァと言う遺跡で祀られているネズミ・・・いや、ジャガーの神像です。」

 アバスカルはちょっと首を傾げ、それから思い当たることがあったのか、「ああ」と声を立てた。

「一度盗掘されて、それから大統領警護隊が取り戻した神像ですね?」
「スィ。その神像について、博物館では・・・いえ、貴女はどんな情報をご存じですか?」
「ピソム・カッカァはオスタカン族が7世紀から8世紀頃に築いた都市で、現在はその都市の10分の1だけが遺跡として現存しています。遺跡内には2つだけ神殿が残っており、ジャガー神アーバル・スァットが祀られているのは、西の神殿と呼ばれている場所です。あの神様はジャガーですから、雨を呼ぶ神様です。他人を呪う為の神様ではありません。」
「でも、神様は扱い方を間違えると、お怒りになりますよね?」
「スィ、とても恐ろしい祟りがあります。」

 そこまで言ってから、アバスカルは何かを思い出し、ブログを検索した。

「今でも神様へ祈りを捧げたら願いが叶うのかと訊いてきた人がいました。」

 彼女は古い記事を探し当てた。

「地方の修道院に入っている女性で、身内が重い病に臥せっているので、古代の呪術でも何でも良いから救いの手を差し伸べたいと言う人が訪ねて来ました。」
「修道女ですか?」

 デネロスが意外そうに言った。

「修道女なら、キリストや聖母に救いを祈るでしょうに・・・」
「奇跡を期待しても空い時はあります。」

 アバスカルが寂しい笑みを浮かべた。

「それにその女性は先住民でした。キリスト教の信仰より民族が古代から信じてきたことの方が彼女には重たかったのでしょうね。」
「彼女の質問に貴女は何と答えたのですか?」

 アバスカルはちょっと躊躇った。そしてデネロスを見た。

「”ヴェルデ・シエロ”が関わった神様なら、何らかの祈りの効果を期待出来るかも知れませんと・・・」

 アーバル・スァットは雨の神様で、病気平癒の神様ではない。デネロスが尋ねた。

「どこかの神様を紹介なさったのですか?」

 アバスカルが苦笑した。

「そんな無責任なことはしていません。私はただ現在観光客が近づける遺跡を紹介するパンフレットを彼女に渡し、それらの場所に置かれている神像や神の彫刻について一つ一つ簡単に説明しただけです。そして病気平癒は民間信仰のシャーマンの方が詳しいでしょうと言いました。」


2022/08/22

第8部 探索      3

  シエスタの時間は博物館も昼休みだ。そんな時に訪問すれば職員や学芸員は迷惑だろうが、見学者の邪魔をせずに済む。テオは午後の授業がないのでマハルダ・デネロス少尉を車に乗せてセルバ国立博物館へ行った。
 デネロスの緑の鳥の徽章を見せると、入館料なしで中に入れてもらえた。2人は真っ直ぐ事務室へ行き、ドアを開いた。職員達は昼食に出かけており、残っているのは3人だけだった。デネロスは一番近くにいた初老の男性学芸員に徽章を見せて、

「呪術に詳しい人がいると館長から聞いて来ました。面会を希望します。」

と要請した。すると男性学芸員は一番奥の机でお手製と思えるサンドウィッチを食べている中年のメスティーソの女性学芸員を指した。

「マリア・アバスカルのことを館長が仰ったのなら、そうです、彼女が呪術の研究をしています。」
「グラシャス。」

 テオとデネロスは部屋の奥へ進んだ。アバスカルはカップのコーヒーを飲みかけていたが、近づいてきた客に気がついて手をおろした。「こんにちは」とデネロスとテオは挨拶した。

「私は大統領警護隊文化保護担当部のデネロス少尉です。」
「俺はグラダ大学生物学部准教授のアルストです。」

 アバスカルが微笑した。

「少尉も准教授も存じ上げています。時々ここを訪問されましたよね?」
「スィ。」

 個別に紹介されたことはなかったが、何度か用事があって博物館に来ていたので、テオもデネロスも職員達に顔を覚えられていた。なにしろ気難しい館長を訪ねて来る人だ。誰も忘れたりしなかった。

「今日は館長から貴女を紹介されました。呪術の研究をされているとか・・・」
「スィ。呪術と言っても色々ありますが、どんな要件でしょう?」

 テオは彼女の机の上の弁当を見た。

「先に食事を続けて下さい。俺達も外で食べて来ます。何時頃にお伺いするとよろしいですか?」

 アバスカルは大きな茶色の目をくるりと回し、ちょっと考えた。

「この近所で食事が出来るお店は3軒だけです。食べ終わったら、私からお店へ伺います。お食事なさりながらで良ければですが?」

 出来ればあまり部外者に聞かれたくない話だ。デネロスがテオを見た。テオは時計を見た。そして脅かすつもりはなかったが、声を低くして言った。

「館長の紹介と言う意味をお考えくださると嬉しいです。」

 アバスカルがハッと目を見開いた。そして1日の予定表をめくった。

「午後2時迄でしたら、空いています。」
「では、出来るだけ早く戻って来ます。この場所でよろしいですか?」
「展示室の一番奥に客の休憩スペースがあります。そちらへお越し下さい。戻られたら、誰かが私に教えてくれますから。」

 再会を約束して、テオとデネロスは博物館を一旦出た。


 

第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...