2022/09/12

第8部 探索      16

  カルロ・ステファン大尉の携帯電話の着信音でテオは目が覚めた。 窓の外はまだ明るく、長屋の中庭で隣近所の奥さん達が小さな畑を前に喋っている声がガラス越しに聞こえた。懐かしくて挨拶しようかと思ったが、ステファン大尉の通話を邪魔してもいけないので、彼は我慢した。すると奥さんの1人が窓の際までやって来て、トマトとカボチャを置いてくれた。テオはグラシャスと手で合図を送り、彼女も笑顔で仲間の元へ戻って行った。
 ステファンは「スィ、スィ」と繰り返し、やがて電話を切った。

「少佐からでした。これからロホとロホの身内の長老の方と共にデランテロ・オクタカスの病院へ行かれるそうです。」
「病院?」

と聞き返してから、テオは理由を思い当たった。

「泥棒に頭を爆裂波でやられた警備員のところへ行くのか?」
「スィ。長老が対処法をご存じだと言うので、助けて頂くそうです。成功するか否かはやってみないとわからないそうですが、出来る限るのことはしてあげたい、とそのお年寄りが仰ったそうです。」
「有り難いなぁ・・・」

 テオは他人事ながら感謝を覚えた。ロホが実家へ帰った用事がそれだったのだと理解した。少佐もロホもステファンも爆裂波でダメージを受けた肉体の治療を行う指導師の修行をして資格を取っている。しかし、脳は並の指導師では対処出来ないのだとデネロス少尉が教えてくれた。恐らくロホは高度な技を習得した長老を探し出して、協力を仰いだのだろう。
 ステファンが時計を見た。

「少佐は今夜向こうで泊まりになるでしょうから、我々だけで飯を食いに行きましょう。それから、少佐は貴方は大学に戻って下さいと言ってました。私も明日から書類業務に戻ります。文化・教育省のオフィスで1人留守番ですよ。」

 デスクワークが苦手なステファンは苦笑した。彼としてはデネロス少尉に帰って来て欲しいのだが、少佐は彼女に帰還命令を出していない。デネロスはまだデランテロ・オクタカスや周辺の集落を廻って情報収集するのだ。聞き込み捜査は厳つい印象を与える髭面のステファンより、優しい女性のデネロスの方が有利だった。
 ギャラガ少尉はデネロスの助手だ。多分、用心棒の役割だろう。彼女は1人で十分強いのだが、見た目で威圧出来る男性が同行すれば余計な揉め事を避けられる。
 テオはアスルについてアスクラカンに行きたかったことをステファンに漏らした。

「あの街は、俺がエル・ティティに帰省する時の通過点だが、あそこでゆっくり街歩きした経験はないんだ。買い物はいつもグラダ・シティで済ませちまうし。アスルが市役所に行っている間、街中を見て歩きたかったな。」
「これからいつでも行けますよ。」

 ステファンは純血至上主義者が多いアスクラカンに余り長期滞在したくない。市街地はマシだが、郊外に行くとややこしい人が多いのだ。普通の人間なら問題ないのだが、”ヴェルデ・シエロ”ではそうはいかないのだった。”シエロ”は”シエロ”をすぐに嗅ぎ分ける。例え蔑み差別する対象のミックスでも、すぐ判別するのだ。
 可笑しな話だ、とテオは思う。”シエロ”だとわかるなら、同等の仲間と認めてやれば良いじゃないか、と。
 不思議なことに、ステファンはアスクラカンを好きになれないのに、彼より白人臭いギャラガはあの街をそんなに苦手としていない。その気になれば白人になりきってしまうのだろうか。
 それに、アスクラカンにはもう1人テオが忘れられないミックスの”シエロ”がいる。ピアニストのロレンシオ・サイスだ。プロ活動を辞めて個人と契約して教えるピアノの家庭教師をしているのだが、最近彼の過去を知るジャーナリストに見つかってしまった。シエンシア・ディアリア誌のベアトリス・レンドイロ記者だ。彼女はサイスのピアノの才能を忘れておらず、彼にインタビューを申し込み、断られても熱心にアプローチを続けていた。困ったサイスがテオに相談を持ちかけて来たのが先月のことだ。テオはレンドイロに彼をそっとしておいて下さいと頼んだ。一時人気が沸騰して彼は心身とも疲れたんですよ、だから今は家庭教師で十分満足しているのです、今騒がれたくないんです、と。レンドイロはテロ事件の時にテオに助けられた恩義があったので、なんとか退いてくれた。テオはそれからサイスと会っていなかったので、彼がどうしているか、ちょっと覗きたかったのだ。

「次の帰省の時に、ちょっと寄り道でもするかな・・・」



2022/09/11

第8部 探索      15

  アスクラカンの市役所へ向かったアスル、デランテロ・オクタカス周辺でもう少しアルボレス・ロホス村の住人の手がかりを探すと言うデネロス少尉とギャラガ少尉と別れて、テオはグラダ・シティに戻った。空港に到着したのは午後も3時を過ぎた頃で、街はシエスタの真っ最中だった。予定時刻より半時間遅れて到着した航空機の乗客のチェックを済ませると、空港のゲイトはさっさと閉じられてしまった。国際線でなければ、シエスタ優先なのだ。
 テオがロビーを歩いて出口に向かっていると、向かいから馴染みのある顔の男が近づいて来た。

「カルロ!」
「テオ、お帰りなさい。」

 遊撃班から文化保護担当部に助っ人として出向しているステファン大尉が、テオの手を両手でがっしりと掴んだ。

「成り行きで文化保護担当部の任務に付き合って下さったそうで、大統領警護隊の隊員としてお礼申し上げます。」

と堅苦しい挨拶をしてから、彼はニヤッと笑った。

「たまには首都から離れて仲間と働くのも良いでしょ?」
「確かに!」

 テオも苦笑した。久しぶりにアスルやギャラガ達と仕事が出来て嬉しかった。

「そっちはロハスに面会したんだってな?」
「スィ。強かな女ボスと言う印象を持っていましたが、会ってみると、普通の悪のオバはんでしたね。」
「まさか少佐と比較して言ってるんじゃないだろうな?」
「少佐は悪じゃありませんよ。」

 2人は笑いながら駐車場へ出た。ステファンはテオの車で空港へ来ていた。勝手に使用されても何故か腹が立たない。テオにとって大統領警護隊文化保護担当部の隊員達は兄弟同然だった。彼等は車に乗り込んだ。運転はステファンが引き受けた。

「ネズミの神様はまだ建設省に置いてあるのか?」
「スィ。あの秘書のおっさんが後生大事に守っているそうです。」

 ステファンはシショカの名前を口にすることを避けた。呼んでしまうと本人が実際に現れると言う迷信だろう。
 ロホが建設省を見守っているのかと思ったら、彼はもうその任を解かれたとステファンが説明した。

「ネズミのお守りは秘書がしているので、少佐はおっさんに任せています。ロホは別件で実家に帰りました。」
「実家?」
「お父上に頼み事があるのです。」

 それ以上ステファンは語らなかった。テオは深く追求しなかった。ロホの父親は”ヴェルデ・シエロ”の名家の当主で、ブーカ族の長老だ。ロホは滅多に家族の話を仲間にしないが、難しい術や儀式で質問がある時は実家に頼ることがあった。それは一族の最も重要なことは家長とその後継者のみが口伝で受け継がれる”ヴェルデ・シエロ”の慣習のせいで、6人兄弟の4番目の息子であるロホは、知らないことがあれば直接父親か長兄に訊かなければならないのだった。つまり、白人のテオには教えられないような、一族の秘密を聞きに行ったと言うことだ。
 ステファンが車を走らせた先は、ケツァル少佐のアパートではなく、マカレオ通りのテオの以前の家、現在はアスルが住んでいる長屋の家だった。ステファンは本部外勤務の時はいつも姉のアパートでも実家でもなく、そこに寝泊まりしていた。

「晩飯は後で食べに出かけます。暫くここで休憩して下さい。」

 テオの現在の自宅に行かないのは、少佐がまだアパートに戻っていないからだ。そして、恐らくこの日は家政婦のカーラが早く帰るのだ。ステファンとしては、姉の家(テオの家でもある)よりこちらの長屋の方が寛げるのだ。
 テオは久しぶりに前の自宅に入った。すっかりアスル好みの家になっているだろうと想像したが、中身は殆ど変わっていなかった。アスルはただ寝て食事をするだけに使っている様子で、調度品も置き場所もカーテンも何も変わらなかった。アスルらしいと言えばそれまでだ、とテオは思った。ここを終の住処にするつもりはないのだろう。
 リビングのソファに横になって少し昼寝をした。ステファンも床にクッションを置いて寝た。 

第8部 探索      14

  テオは恋人のケツァル少佐が人使いの荒い人間であることを承知していた。だからアスルに新しい命令が来て、「アルボレス・ロホス村の住民を探せ」と言う文言がペグム村の安宿に宿泊している4人全員に出された命令だと知った時も腹が立たなかった。
 翌朝、宿をチェックアウトして、村の通りの屋台でサンドイッチを買うと、彼等は小さな教会前の小さな広場で朝食を取った。アルボレス・ロホス村がどんな村だったのか知らなかったが、オクタカス遺跡の監視業務を行ったデネロス少尉も噂話で聞いたことがあると言った。

「泥に埋まってしまった気の毒な村、と言うのがオクタカス村の住民の認識ですよ。」

と彼女は言った。

「ダムを建設したのは、イグレシアス大臣なのか?」
「ノ、ダム建設を決めた政権は前の大統領の内閣です。建設大臣も別の人でした。でもダム建設が着工されたのは、現政権になってからで、イグレシアスは副大臣だった頃です。」
「それじゃ、イグレシアスに責任はないんじゃないか?」
「前大臣は途中で汚職問題で辞任しちゃったので、イグレシアスが跡を継いで、その後の選挙後もそのまま建設大臣なのです。それに前大臣は辞めた後で病気で死んじゃいましたから、アルボレス・ロホス村の元住民にしたら、恨みの対象は副大臣でも良かったんじゃないですか?」

 テオは思わずアスルを見た。アスルが肩をすくめた。

「結構いい加減な動機だな。」
「でも最初のアーバル・スァット様盗難の時は、前大臣は生きていたんですよ。でもロハスがアントニオ・バルデスの片棒を担いでアンゲルスに神像を送っちゃった。」
「バルデスはある意味とばっちりだ。ロハスは呪いが怖くて、早く神像を手放したかっただけさ。」

 ギャラガが口をもぐもぐさせながら村を見回した。

「このペグム・・・ごくん・・・すみません、このペグム村にその泥で埋まった村の住民がいるってことはないでしょうね?」
「いたら、アーバル・スァット様の話を村人に聞いて回った男女の情報をもっと用心深く消しただろう。」
「それに俺たちが連中の情報を嗅ぎ回っていることを犯人に教えただろうしな・・・」

デネロスが考え込んだ。

「アルボレス・ロホス村の住人はアーバル・スァット様を知らなかった。でも住人の中に紛れ込んでいた”シエロ”は言い伝えを覚えていた。粗末な扱いをすると恐ろしい呪いの力を発揮する神像が、オクタカス周辺の何処かに祀られていた、と。だから彼等はピソム・カッカァを探し、神像の扱い方をオスタンカ族に尋ねて回ったのです。ロハスが遺跡盗掘の常習だと知ると、彼女を操って神像を盗ませました。でもロハスは完全には支配されていなかったので、彼等の想定外の行動を取ってしまいました。呪いを恐れて神像をミカエル・アンゲルスの家に送りつけてしまったのです。連中はアーバル・スァット様の呪いが落ち着くまで辛抱強く待っていました。大統領警護隊に神像が回収され、元の遺跡に戻されて、世間が盗難を忘れるまで待っていたのです。」

 彼女が語り終えてテオやアスルを見た。アスルが頷いた。テオも彼女の考えに同意した。

「連中はアルボレス・ロホス村を終の住処として愛していたのでしょうね・・・」

とギャラガが囁いた。

「だからダムを造って村を泥に埋もれさせた政治家を憎んで・・・」
「逆恨みだ。」

とテオは言い切った。

「政府は下流の街を守る為にダムを造った。だが目測を誤って、上流の耕作地や村を破滅させてしまった。移転補償費用とかは出たのかな?」
「そんなの、出しませんよ、セルバ共和国政府は・・・」

 デネロスが溜め息をついた。

「引っ越せ、と一言言うだけです。村が一つにまとまって交渉すれば何とかしたでしょうけど、個々に訴えても駄目なんです。せいぜい引っ越し先を斡旋した程度だと思います。」
「それじゃ、役所にその記録があるのかな? 誰がどこへ引っ越したか?」
「課税の問題があるから、アルボレス・ロホス村から最初に引っ越した場所の記録はあるでしょうが、その後で別の所に移動したら、もうわかりません。」
「でも、調べてみることは出来るだろう。少なくとも、住民の名前はわかる。」

 テオの提案にアスルが珍しく賛成した。

「確かに、住民の数や家の代表者の名前はわかるな。俺はこれからアスクラカンの市役所へ行ってくる。」

 テオが同行を申し出ようとすると、彼は言った。

「ドクトルはグラダ・シティに帰れ。大学の仕事があるだろう。」
「しかし・・・」
「あんたが必要な時は、呼ぶ。」

 そう言われると、反論出来ない。テオは渋々承知した。



2022/09/09

第8部 探索      13

  アルボレス・ロホス村と聞いて、ロホは首を傾げた。国内の地名全部を覚えている訳ではないが、人間が居住している市町村の名前は学習している。小さな国だから行政的に登録されている村はほぼ記憶していたが、その名前の村は覚えがなかった。ケツァル少佐も脳内を検索してみた様子だったが、思い当たる節がなく、結局2人は少佐の車で少佐の自宅へ向かった。そこでは既にカルロ・ステファン大尉がいて、家政婦カーラの手伝いをしながら夕食準備にかかっていた。彼はシショカと相性が悪いので、少佐が彼女のアパートで待機を命じていたのだ。
  食卓に着くと、少佐はシショカからの僅かな情報をステファンにも分けた。ステファン大尉は村の名前を聞いて、暫く考え込んだ。何か聞いたことがある、そんな表情で食事の手を止め、空を睨んだ。その間に、少佐はアスルに電話をかけ、アスルとギャラガ少尉がデランテロ・オクタカス近郊の村でテオドール・アルストとマハルダ・デネロス少尉と合流したことを聞いた。電話を終えて、彼女は部下達に言った。

「デランテロ・オクタカス周辺で住民に神像のことを尋ねた若い男女がいたそうです。直接言葉を交わした人は記憶を抜かれていますが、目撃者が数人残っていました。」
「そいつらが犯人ですね。だが、素人だ。」

 ロホが溜め息をついた。一族の中で古代の呪法や持てる以上の能力を使おうとする人間が時々現れる。そう言う連中は、年配者からの正しい教育を受けていないか、受けることを拒んだ者だ。大統領警護隊の訓練を受けたこともないし、長老達の説教に耳を貸したこともない。だが”ヴェルデ・シエロ”である自覚は強く、己を過信している。そう言う連中が”砂の民”の粛清の対象になることが多いのだ。

 よりにもよって、一匹狼的”砂の民”セニョール・シショカの職場に神像を送りつけるとは。

 シショカの正体を知らないからこその暴挙だろうが、不運だ。シショカは恐らく彼独自のルートで犯人探しをしているだろうし、ケツァル少佐に知り得た情報の全てを分けた筈がない。犯人を見つけ出して捕まえる仕事を大統領警護隊に譲っても、最後の粛清は彼自身が行いたいと思っているに違いない。
 その時、まるで夢から覚めたかの様に、ステファンが声を上げた。

「思い出した!」

 少佐とロホが彼を見た。ステファンは少佐を振り返った。

「アルボレス・ロホス村は、現在のオクタカス村から北へ5キロほど行った森の中にあった村でした。」
「過去形ですか?」
「スィ。もうありません。私が遺跡の監視業務に就いていた時に、休憩時間に言葉を交わした村人から話を聞いたことがあります。アルボレス・ロホス村は10年以上前に地図から消えた村です。」

 彼はテーブルの上を指でなぞった。

「オクタカスとは谷が異なる川が流れていて、アルボレス・ロホス村はその川の流域にありました。細い川で、流れはアスクラカン方面へ向かっているので、オクタカス周辺の地図では記載されていません。」
「消えたと言うことは、その川が氾濫を起こしたのか?」
「氾濫ではない。」

 ロホの質問にステファンは首を振った。

「氾濫ではないが、この川は大雨が降ると土砂を大量に運ぶので、下流の町村が迷惑していた。それで、建設省がダムを造ったのだ。渓谷ではないので、浅い砂止め程度のダムだった。そのダムのせいで上流に泥がどんどん溜まっていき、アルボレス・ロホス村の耕作地は泥に埋まってしまう結果になった。」
「それは酷い・・・」
「だから、住民は村を捨てて散り散りに移住してしまい、村は消滅した。」

 少佐がステファンをじっと見た。

「その村の住民がどう言う部族だったのかは、聞いていないのでしょうね?」
「あまり歴史のない開拓村だとオクタカス村の住民は言っていましたから、共和国政府が先住民移住政策で建設した村だったのでしょう。住民は近隣の森林から集められた元狩猟民だったと思われます。土地に愛着が少なかったので、あっさり放棄出来たのですよ。」
「しかし、苦労して耕した畑を泥に埋められて納得出来なかった人もいただろう。」

とロホが呟いた。少佐が頷いた。

「セニョール・シショカはその線から当たれと私に言いたかったのでしょうね。」



2022/09/06

第8部 探索      12

  夕刻、ケツァル少佐は建設省に行ってみた。ロホが彼女の呼び掛けに応えて、すぐに駐車場に現れた。省庁は午後6時きっかりに閉庁するから、職員達が駐車場を行き来していた。ロホは他所から出て来たのだが、そんな職員に混ざって少佐の車のそばに来た。少佐がドア越しに後部席を指したので、彼は車内に入った。ステファン大尉の臭いが微かにしたが、大尉はいなかった。

「何か進展はありましたか?」

とロホが先に尋ねた。少佐は肩をすくめた。

「一族の誰かが神像を盗み出し、自分では使わずに他人を”操心”で動かしてイグレシアスに送りつけた様です。ロハスの証言も記憶を抜かれているので当てになりませんが、どうやら犯人は最初から大臣を狙っていたのかも知れません。ただロハスは我が強い女なので、犯人の思い通りに動かなかった。彼女は神像に恐怖を感じ、さっさと処分してしまおうと、以前アンゲルスと対立していたバルデスを思い出して神像をアンゲルスに送りつけたのです。バルデスは彼女の犯行に引き込まれた形でした。」
「ロハスの犯行に引き込まれて会社を手に入れたのなら、彼はロハスに感謝しているでしょうね。」

 ロホの皮肉に、少佐は苦笑した。

「バルデスもあの神像を恐れていたでしょ? 会社は棚ボタで手に入ったのですが、彼はアーバル・スァットを心底恐れていました。今も心配して警備員をつけていた程ですからね。」
「その警備員ですが・・・」

 ロホは遠くを見る目になった。

「頭を爆裂波でやられているとギャラガが報告していましたが、もしかすると救えるかも知れません。」

 少佐が上体を捻って後部席を見た。それだけ驚いたのだ。

「救える?」
「スィ、一族の中に、その力を持っている方がいらっしゃる筈です。数年前に父がそんな話をしていました。」
「救えるのであれば、救ってあげたいですね・・・」

 ”ヴェルデ・シエロ”の最高の秘技になるだろう。秘技を持つ者は長老級の人に違いない。一族の人間にも滅多に使用しない技の筈だ。それを一介の普通の人間の治療に使ってくれるだろうか。しかし、少佐はダメもとで部下に頼んだ。

「父君にその方を紹介して頂けないでしょうか?」

 ロホは「努力してみます」と答えた。

「セルバ国民を守れずして、一族の存在意義はありません。」

 その時、2人の前をイグレシアス大臣の私設秘書が通った。彼等に気づかず、女性の部下2人を連れて庁舎に向かって歩いて行くところだった。少佐は車から出て、彼の背に声をかけた。

「セニョール・シショカ!」

 シショカと2人の部下が立ち止まって、ほぼ同時に振り返った。シショカは目を細め、彼女を見た。

「これは、少佐・・・今日は、何か御用ですか?」

 白々しい挨拶だが、少佐も「今日は」と返した。そして彼の目を見た。

ーー大臣に恨みを持つ者の手がかりを掴めましたか?

 シショカは一瞬躊躇った。心にフィルターをかけたようだ。全ての情報を出したくない時の手段だ。そして返事をした。

ーー”赤の木村”(アルボレス・ロホス村)の住民

 それだけだった。しかし少佐はそれに対して「グラシャス」と呟いた。シショカは小さく頭を下げて、前を向き、部下を促して去って行った。




2022/09/05

第8部 探索      11

  ケツァル少佐は刑務所の周囲を歩いて、刑務所に物品を納めている業者や刑務官達の普段の行動をそれとなく街の人々に探りを入れてみた。刑務所で繁盛していると言う程ではないが、塀の外を囲む濠の向こうには、民家が数軒あった。昔からそこにあった集落だ。刑務所が出来る前から、要塞が出来た頃から住んでいる人々の子孫だった。政府は敢えて彼等を追い払わなかった。ずっと定住している人々にとって、見知らぬ人間は警戒の対象であり、村に用事がないのに近づいたり、塀の中から出てくる人間は常に見張られているのだ。当然、彼等は少佐にも注意を払っていた。だから少佐は緑の鳥の徽章をTシャツの胸に付け、己が何者であるか誇示して見せた。住民達は彼女の質問に誰もが正直に答えてくれた。
 ロザナ・ロハスに面会があるのかどうか住民は知らなかったが、刑務所の囚人達に面会を求めてやって来る人間は週に30人ばかりいると言う。その半分は毎週やって来る囚人の家族で、住民も顔を覚えていたし、中には名前がわかっている人物もいた。残りの半分は囚人の恋人だったり、部下だったり、得体の知れない人間だ。住民達は2回以上やって来た「知らない人間」を特に注意を払って観察しており、少佐はここ半年の間にやって来た車の車番や乗員の特徴を教えてもらえた。
 カルロ・ステファン大尉が面会を終えて出てきた。その時、丁度少佐は1人の年配女性と話をしていた。年配女性は門から出てきたステファンを指差して囁いた。

「ほら、あの男もなんだか怪しげでしょ? 髭なんか生やして、目付きも悪い。」

 少佐は大声で笑いそうになって、堪えた。

「彼にそう伝えておきましょう。彼は大統領警護隊の大尉です。」

 おや、まぁ!と驚く女性を後にして、少佐はステファン大尉に歩み寄った。大尉が彼女に敬礼した。少佐は頷き、報告、と目で言った。”心話”であっと言う間に情報がやり取りされた。
 少佐はロザナ・ロハスが語った内容にあまり満足出来なかった様だ。ロハスが虚偽の証言をしたのではなく、あの女が殆どアーバル・スァットについて知識を持っていなかったからだ。つまり、ロハスは何者かに操られたのだ。
 ピソム・カッカァ遺跡で目ぼしいお宝を探していた時に、彼女は誰かに出会った。誰に会ったのか、男だったのか女だったかのか、若かったのか年寄りだったのかも思い出せないと言ったのだ。気がついたら自分の車に乗っていて、助手席に石の神像が転がっていた。そのままではいけないと思い、車を止めて、丁寧にジャケットで包んでホテルに持ち帰った。手元に置いておくのが不安で、手下に預けた。しかしその手下が突然体調を崩し、ロハスは危険を感じた。どこかに神像を運べと言われた様な気がしていたが、彼女は急いで神像を手放すことを優先した。
 グラダ・シティはピソム・カッカァ遺跡から遠かったので、彼女はオルガ・グランデに行った。そしてバルでアントニオ・バルデスと出会った。偶然の出会いとバルデスは言ったが、彼がアンゲルス社長と上手くいっていなかったことは、鉱夫を通じてロハスは知っていた。バルで出会ったのは偶然でも、最初から彼にネズミの神像を売りつけるつもりだったから、バルデスに声を掛け、部下に命じてアンゲルスの屋敷に神像を送りつけた。尤も彼女が盗み出してからアンゲルスに送りつける迄に、アーバル・スァットは粗末に扱った人間達を次々と呪い殺していた。
 アンゲルスがいつ神像の呪いの犠牲になったのか、ロハスは知らなかったし、関心もなかった。ただ自分から呪いが去ったと安堵しただけだ。だから隠れ家が政府軍に突き止められ、包囲された時、祟りはまだ終わっていなかったと驚愕した。要塞を爆破され、捕まった時、彼女は何故かやっと安心出来たのだった。

「檻の中でロハスは平和に暮らしているそうです。これ以上、あの神像のことを思い出したくないと言っていました。」

 


2022/09/02

第8部 探索      10

  面会室はコンクリート剥き出しの殺風景な部屋で、映画やドラマで見るようなガラスの仕切り等はなく、がらんとした部屋に机が5つ、それぞれ向かい合う位置に椅子が1脚ずつ置かれていた。好きな机で、と言われてカルロ・ステファン大尉が真ん中の机に直に腰掛けて待っていると、監房側のドアが開き、刑務官2名に挟まれる形で中年の白人女性が入って来た。両手は体の前で手錠が掛けられていた。ステファンが捕らえた時、彼女はぽっちゃり体型だったが、今は細くなって、外の世界にいた時より綺麗に見えた。窶れているように見えない。雑居房ではなく独居房で作業の時だけ他の囚人と一緒だと聞かされていたが、案外快適なムショ暮らしをしているのかも知れない。
 面会者が誰かは聞かされていなかった筈で、彼女は私服姿のステファン大尉を最初見た時、一瞬戸惑いの表情を見せた。誰?と言う顔だ。そして徐々に思い出した。
 刑務官に誘導されてステファンがいる机に近づくと、彼女は薄笑いを浮かべた。ステファンは無言で刑務官に彼女を座らせるよう指図した。彼女は肩を掴まれる前に自分から座った。ステファンは刑務官に退室するよう合図した。大統領警護隊なら1人でも大丈夫だ、逆らっても良いことはない、そんな表情で刑務官達は監房側のドアの向こうに消えた。尤も、監視カメラでこちらの様子は見張っている筈だ。

「オーラ!」

とロハスの方から声を掛けてきた。

「名前は知らないけど、私をひっ捕まえた緑の鳥さんよね?」

 この大きな態度はどこからくるのだろう。
 ステファンは名乗らなかった。面会者も着席を義務付けられていたが、彼は無視して立っていた。

「いかにも、大統領警護隊だ。聞きたいことがある。」
「商売の話だったら、収監前に散々喋らされたよ。」
「お前がミカエル・アンゲルスの家に送りつけた石像の件だ。」

 予想外だったらしく、ロハスは黙り込んだ。ステファンは続けた。

「金になる遺物はいくらでもあったのに、何故あの石像を選んだ?」

 ロハスはすぐに答えなかった。手錠をかけられたままの己の手を眺めていた。ステファンは畳み掛けた。

「ピソム・カッカァ遺跡に祀られているあの石像が、どんなものなのか、どこで知識を仕入れたのだ?」

 ロハスが顔を上げたが、先ほどの太々しさは影を潜めていた。ちょっと不安気に女は問い返した。

「それを言ったら、殺される。大統領警護隊は私を守ってくれるのかい?」
「誰に殺されるんだ? あの石像にか?」

 ロハスがブルっと体を震わせた。

「だから・・・守ってくれるなら言うよ。」

 ステファンは室内をぐるりと見回した。窓がない部屋だ。しかし、彼は言った。

「ここへ来てから、ソイツに見張られている気配はあったのか?」

 彼女は答えなかった。ステファンは言った。

「お前にあの石像のことを教えた人間が誰であろうと、この刑務所の中までお前を見張っているとは思えない。お前が捕まる前も、見張っていなかった筈だ。お前が誰に喋ろうが、ソイツはどうでも良いと思っているだろう。だからお前の様なつまらない犯罪者に神聖な石像の秘密を喋ったんだ。」

 すると、ロハスは元の強かな顔に戻った。

「それじゃ、私が何か喋ったら、その見返りはあるのかね?」




第11部  紅い水晶     20

  間も無く救急隊員が3名階段を昇ってきた。1人は医療キットを持ち、2人は折り畳みストレッチャーを運んでいた。医療キットを持つ隊員が倒れているディエゴ・トーレスを見た。 「貧血ですか?」 「そう見えますか?」 「失血が多くて出血性ショックを起こしている様に見えます。」 「彼は怪我...