2022/11/20

第8部 シュスとシショカ      15

 「ファティマのシショカに勝つことを目標としてきた煉瓦工場のシショカ達は起死回生を図って、投資をしたのです。」
「アルボレス・ロホス村・・・」
「スィ。馬鹿な投資です。今時生ゴムなど企業を立て直せるようなお金になりません。しかし彼等は賭けたのです。そしてご存知のように、あの村は泥に埋まりました。煉瓦工場は殆ど倒産寸前となりました。一族は金銭的な援助をしません。異種族から攻撃を受けて困っていると言うなら助けますが、経済的な援助はしないのです。そして我々は経済的に困窮しても一族に助けを求めません。自力で切り抜けるしかありません。」

 カサンドラはそこで冷めたコーヒーを少し口に入れた。唇を湿らせてから、彼女は続けた。

「煉瓦工場が突然借金を完済した時、正直我々は驚きました。一族だけでなく、”ティエラ”の同業者や債権者も驚いたのです。彼等はどこからお金を調達したのかと。銀行からも見放されていた会社が生き返ったのですから無理もありません。アブラーンは私に調査を命じました。煉瓦工場のシショカ達が外国から資金を得たかも知れないと危惧したのです。外国人からお金を借りたら、外国人に会社を乗っ取られる恐れがあります。セルバ共和国の守護者を自負する我々にとって、それは憂うべき事態です。煉瓦工場への出資者が外国人であれば早急に手を打たねばなりませんでした。」
「でも、出資者はいなかった・・・」

 テオの言葉に、彼女は同意した。

「いませんでした。彼等は借り入れもしていませんでした。お金は奪ったものでしたから。」

 ケマ・シショカ・アラルカンがテオとムリリョ博士に語ったことは事実だったのだ。

「彼等は娘を金持ちの白人に嫁がせました。婿を操って財産の乗っ取りを企んだのです。しかし肝心の娘がお産に失敗して死んでしまいました。そこで彼等は暴挙に出たのです。」
「ケマ・シショカ・アラルカンが俺に言った、カスパルの言葉は真実だったと言うことですか?」

 すると初めてムリリョ博士が反応した。小さく頷き、吐き捨てるように言った。

「煉瓦工場の奴らは、白人の家族を事故や病気に見せかけて皆殺しにしたのだ。連中自身は娘の敵討ちだと自分達に言い訳してな。」
「勿論、我々は今までそんな悪事が行われていたことを知りませんでした。」

 カサンドラが言い訳した。

「私は彼等の取引先や銀行ばかり調べていました。姻戚関係となった白人の身元も調べましたが、スペイン系の金持ちだとわかった以外のことに、つまりその家族が次々と死んでいることに調査を及ばせることをしなかったのです。」

 ムリリョ博士はチラリと娘を冷たい目で見た。娘や息子の仕事が完璧でなかったことへの苛立ちだ。しかしカサンドラもアブラーンも”砂の民”ではない。父親の様に各地にスパイの様な手下を持っているのでもないのだ。会社の名前で動かせる人間はいるだろうが、”砂の民”の情報収集能力とは少し違うだろう。

「私達ロカ・エテルナ社にとって、件の煉瓦工場のシショカは無視出来る存在の筈でした。ですから私も真剣さが足りなかったのです。これは父に責められても仕方がありません。」

 この場合の「父」は”砂の民”ではなく”族長”だ。カサンドラは「しかし」と続けた。

「ロカ・エテルナ、或いはムリリョやシメネスにはどうでも良いことでも、別のシショカやシュスにとって、煉瓦工場の不思議な復活は重要でした。彼等の血族の中の主導権争いになりますから。だから、ファティマのシショカが動いたのです。彼等は煉瓦工場の死んだ娘の元の許婚だったカスパル・シショカ・シュスに接触して、彼女の死の真相を探れと持ちかけたのです。」

 だが、カスパルは恋人の死の責任は彼女の実家にあると信じ、白人の婚家の死人については重要視しなかった。ファティマのシショカが望んだ煉瓦工場の足を引っ張ることではなく、煉瓦工場の人々を呪い殺すことを思いついたのだ。呪いを使えば、己が大罪に問われることはない、と考えた訳だ。

「それでカスパルは、最も簡単に、最も早く呪いの効果が出せる方法を探り、アーバル・スァット様の神像を見つけたのですね?」

 ケツァル少佐の質問に、カサンドラは頷いた。

「アーバル・スァット様が非常に気難しく扱いにくい神様であることは、オスタカン族に神像を作って与えたブーカ族の氏族の間では今でも語り伝えられています。この氏族とシュスの家で配偶者のやり取りがありました。それでカスパルは遠い親戚であるブーカ族から神像の知識を得たのです。」
「彼はオスタカン族の子孫からも情報を集めたようです。そして恋人の実家が没落する原因となったアルボレス・ロホス村の元住民を利用したのですね?」
「スィ。用心深い男でした。」
「しかし間抜けだ。」

 とムリリョ博士が吐き捨てる様に言った。

「利用しようとした村人の遠い祖先に一族の血が流れていた。そしてマヤ人の血も流れていた。だから”操心”を完全に成し得なかった。己の力を過信して、誰でも操れると思い込んだのだ。」
「それでチクチャン兄妹に反抗された・・・」

 カサンドラが薄笑いを顔に浮かべた。

「ファティマのシショカ達が全てをカスパル・シショカ・シュスに任せた訳ではありません。彼等はずっとカスパルを監視していました。いつでも煉瓦工場のシショカ家族の足を引っ張る材料を見つけるためにです。だから2人のチクチャンからカスパルの不完全な”操心”を解くと言う妨害もしたのです。」
「それじゃ、チクチャン兄妹の反抗は・・・」
「ファティマのシショカの仕業です。カスパルが焦って恋人の家族に暴挙を仕掛けることを期待したのです。」

 少佐がテオに向かって言った。

「煉瓦工場の家族に騒ぎが生じれば、建設省の秘書が動きます。セニョール・シショカは送り付けられた神像と煉瓦工場の不祥事を結びつけ、煉瓦工場の家族に粛清を与える・・・そこまでファティマの連中は考えたのでしょう。」

 テオは頭をかいた。

「君達一族は人口が少ないじゃないか。それなのに身内でそんな蹴落とし合いをして、どうするんだ? 族長に選ばれる為に、もっと理性的に一族に尽くさなきゃいけないんじゃないのか?」
「私に言わないで下さい。」

 ケツァル少佐はそう言って、カサンドラにウィンクした。カサンドラが苦笑した。

「我が部族の女は投票権がありません。父は族長職を退くので、最後の同点の場合のみ投票します。ですから、今ここで話をしている4人は、投票をしない人間です。候補者がどんな人格なのか私は知りませんから、今した話が選挙に影響があることなのか否かもわかりません。ただ、長老会は部族に関係なく選挙が公明正大に行われたことを審査します。少しでも不正があると判断されたら、その疑われた人はもうお終いです。カスパルは大統領警護隊でどこまで喋るか知りませんが、煉瓦工場もファティマも良い結果を得られないでしょう。」


2022/11/17

第8部 シュスとシショカ      14

  ロカ・エテルナ社の副社長にしてファルゴ・デ・ムリリョ博士の長女カサンドラは、義理の姉にコーヒーをテラス迄運んでもらうと、当分の間そこに近づかないよう要請した。アブラーンの妻は黙って頷くと家の奥に去って行った。
 テラスは地面の上に露出した岩を削って作ったもので、4隅に篝火が焚かれていた。篝火は門の両脇にも置かれていたので、テオは客をもてなす一種の趣向だと思ったのだが、食事の時にケサダ教授が、あれは来客があると近所に伝えるものだと教えてくれた。大事な客だから、客が家にいる間は邪魔をしてくれるなと言う意思表示なのだと言う。しかしテラスの篝火は本当にただのもてなしの趣向だろう。”ヴェルデ・シエロ”は暗闇の中でも目が利くが、一般人のテオは明かりが必要だ。しかしライトの灯りでは無粋なので篝火を焚いてくれたのだ。それに”ヴェルデ・シエロ”が3人もいれば羽虫が寄って来ない。

「建設省のシショカの下に神像が送られてから、大統領警護隊が港の荷運び人のシショカ・シュスを確保する迄の、あなた方の調査の経緯と結果を、父から聞きました。」

とカサンドラが言った。

「そしてドクトル・アルストが大学で面会した文化センターの男の話も聞きました。同じ名前の人間が多い我が一族の欠点は、名前だけ聞いていると関係がよく理解出来ないことですね。」

 彼女はテオを見て苦笑した。ムリリョ博士は無言だ。無表情で娘を見ていた。

「現在、シショカを母姓に持つ家系は5つあります。全て同じ先祖を持ちます。シュスを母姓に持つ家系は7つです。こちらも同じ先祖を持っています。そしてシショカとシュスは互いに姻戚関係を結ぶ仲でもあります。」
「えっと・・・」

 思わずテオは口を挟んでしまった。悪い癖だが、疑問が頭に浮かべば質問せずにおれない性格だ。ムリリョ博士が睨んだが、彼は怯まなかった。

「アラルカンやシメネスやムリリョの家系は彼等と姻戚関係を持っていないのですか?」

 カサンドラは、恐らく会社の重役会議や商談会議で割り込みの質問に慣れているのだろう。父親の不機嫌を無視してテオの質問に答えてくれた。

「どうしてもと望まれぬ限りは、娘を馴染みの薄い家系に嫁がせることはしません。伝統的に子供達に幼い頃から交流を持たせ、成長するに従って互いを意識するように大人が段取りするのです。現代は女性の行動範囲が広がり自由に恋愛する人もいますが、私達が子供の頃はまだ結婚は親が決めるものでした。ですから、シメネスとシュスが交わることやショシカがムリリョと婚姻することはまずありませんでした。」
「アラルカンはどことペアになっていたんです? 昨日会ったケマと言う若者は、シショカ・アラルカンと名乗っていましたが・・・」

 カサンドラが薄い笑を浮かべた。

「アラルカンはシュスと婚姻を結びます。ですが普通はシショカと結婚しません。元は別の家系がペアだったのですが、その家系は死に絶えたのです。」
「死に絶えた?」

 するとムリリョ博士が珍しく皮肉っぽい笑みを浮かべて言った。

「アラルカンはケサダとペアだったのだ。」
「えっ!」

 これにはテオのみならずケツァル少佐も驚いた。テオはずっと以前にフィデル・ケサダの出生の秘密を博士から聞かされた時のことを思い出した。フィデルの母親は息子の出自を隠す為に、既に死んでしまったマスケゴ族の男の名前を出生届に書いたのだ、と。だから、今生きているケサダを名乗る男は、実際はケサダではなく、マスケゴ族でもないのだ。そしてフィデル・ケサダはシメネス・ムリリョの娘と結婚した。2人の間の子供達は十中八九シメネスの名を受け継ぎ、ケサダの名はやがて消えるだろう。それを承知でフィデルの母親は息子に絶えた家系の名を名乗らせたのだ。
 カサンドラが笑った。

「フィデルがまだ独身だった頃に、アラルカンから彼を婿に迎えたいと言う申し出がありましたの。でも父は門前払いしました。養い子には既に許婚がいると言って。勿論、私の妹のコディアが先に父に彼との結婚を許して欲しいと申し出ておりましたが、父はまだその返事をしておりませんでした。」
「その門前払いがコディアさんへの返事になったのですね?」

 テオは思わず微笑んでしまった。カサンドラは愉快そうに笑った。

「父は優秀な養い子を他所の家に取られたくなかっただけですよ。」
「アラルカン如きにフィデルをやる訳にいかなかった。連中ではあの男を扱えぬ。」

 フィデル・ケサダは純血のグラダ族だ。それを知られては困る。そして、その秘密はカサンドラも知らないのだ。彼女は単に父が養子を愛していて、他家に譲りたくないだけだと思っている。
 
「話の腰を折って申し訳ありませんでした。」

とテオは話題を修正しようと努力した。

「シショカとシュスの家系のお話でしたね?」
「スィ。」

 カサンドラは頷いた。

「大統領警護隊が捕らえた神像泥棒の男は、この家の南にある家の家族で、煉瓦工場のシショカと呼ばれている家の者です。現在はタイルを作っていますが、昔は耐火煉瓦の大手製造業社でした。」

 マスケゴ族は建築関係で古代から生業を立てていた部族だ。大手ゼネコンと言える大企業に成長したロカ・エテルナ社だが、中小の同業者や同分野の業者の情報は漏れなく収集していると見て良いだろう。そしてその情報収集が社長のアブラーンではなく副社長のカサンドラの仕事なのだ、とテオは理解した。

「煉瓦工場のシショカは過去2世紀、家族の中から族長を出していません。候補に立つのですが、その度に他の家系に負けていました。他の家系と言うのは、別のシショカやシュス、アラルカン、シメネス、そしてムリリョです。特に、別のシショカの家系とはかなり熾烈な争いをしていました。」

 カサンドラは新素材の建築材を扱うファティマ工芸と言う会社のパンフレットをケツァル少佐に渡した。少佐はそれをテオにも見えるように広げた。

「煉瓦やタイルとは違う素材で壁を造る会社なのですね?」
「スィ。壁紙や擬似タイルも造っています。」
「つまり、煉瓦工場のライバル?」
「スィ。事業でも族長選挙でもライバルなのです。」
「でもずっとファティマのシショカが勝っていた・・・」
「スィ。煉瓦工場のシショカは焦っていたでしょうね。部族内での発言権が小さくなれば、婚姻にも支障が出ますし、仕事にも影響が出て来ます。勢いのある家族は白人社会にもメスティーソの社会にもどんどん入り込めますから。ところが・・・」

 カサンドラが顔から笑みを消した。


2022/11/16

第8部 シュスとシショカ      13

  玄関でテオとケツァル少佐を出迎えたのは、アブラーン・シメネス・デ・ムリリョの妻だった。テオ達はお招きに対する礼を述べ、土産を渡した。妻はにこやかに微笑みながら彼等をリビングへ案内した。そこにはムリリョ博士、アブラーン、博士の長女カサンドラ・シメネス・デ・ムリリョ、それにフィデル・ケサダ教授がいた。博士の次男が揃えばムリリョ家の代表者達が勢揃いになるのだろうが、次男はいなかった。
 形式通りの挨拶を交わし、少し世間話をしてからダイニングへ移動した。テオは出来るだけ室内をキョロキョロしないよう務めた。普通の家の普通の装飾だ。ミイラも遺跡からの出土品もない。落ち着いたスペイン風の陶器や絵画が飾られているだけだった。博士の個室はどんなだろうと想像したが、大学の研究室しか思い浮かばなかった。アブラーンの子供達は上の階にいるのだろう、声すら聞こえなかった。
 食前の挨拶を行ったのは、当主のアブラーンだった。

「正直なところ、父が客を招くのは滅多にないことで、本来は父が挨拶するべきですが、私にしろと命令が下ったので、僭越ながら挨拶をさせて頂きます。」

とアブラーンが茶目っ気たっぷりに喋り出した。恐らく取引先や重役達と会食する調子でしゃべっているのだ。テオはマスケゴ族の族長の家ではどんな会話が普段なされているのか想像出来なかった。だからアブラーンが普通に時候の挨拶をして、ちょっとした世間話をして場を和ませてから乾杯の音頭を取ったので、ちょっと肩透かしを食らった気分だった。そっとケサダ教授を見ると、教授も「なんで自分はここにいるのだろう」と言う顔をしていた。だがカサンドラは違った。冷ややかに兄を見て、それから少し緊張した面持ちで父親に視線を向けた。
 ムリリョ博士は口を利かなかった。食事が始まり、給仕の息子の妻や孫娘とちょっと言葉を交わしただけで、料理もあまり量を取らなかった。アブラーンが物音を立ててケサダ教授の注意を引いた。2人の義理の兄弟の間で”心話”が交わされるのをテオは見逃さなかった。微かに教授が肩をすくめた様で、アブラーンもがっかりした様子だ。

 もしかして、アブラーンと教授は何も知らされないまま、この食事会にいるのか?

 穏やかに食事が終わり、やっと博士が動いた。

「テラスでコーヒーでも如何かな、客人?」

 テオと少佐は同意した。彼等が立ち上がると、カサンドラも続いたが、アブラーンとケサダ教授は残った。驚いたことに、アブラーンが父親に苦情を言った。

「どうせ私とフィデルは除け者でしょう?」

 博士はジロリと息子を見た。

「お前達には関係ない話と言うだけのことだ。」

 するとケサダ教授が義兄に囁いた。

「選挙の話を他部族に解説するだけでしょう。」
「シュスとシショカの争いか?」

  博士がむっつりとした顔で言った。

「わかっておるなら、黙っておれ。」

 アブラーンも立ち上がると、教授に声をかけた。

「フィデル、上の階へ行こう。私達は向こうでコーヒーを飲むことにしよう。」
「良いですね。」

 教授は義兄に逆らいもせず、素直に立ち上がり、後について行った。テオはケツァル少佐を見た。てっきりアブラーンが博士の補佐を務めるかと思ったのに、その役目は娘のカサンドラが果たすようだ。


2022/11/15

第8部 シュスとシショカ      12

  帰宅して、ケツァル少佐の帰宅を待ってから2人は夕食を共にした。少佐がムリリョ博士の自宅訪問が明日の午後8時になったと告げた。

「夕食への招待と言う名目です。」
「じゃ、手土産が要るな。博士はワインなんて飲みそうに見えないけど・・・」
「博士は飲まれなくても、アブラーンは飲みますよ。」

 ムリリョ博士は長男アブラーンとその家族と同居しているのだ。テオはマスケゴ族の家庭に招待されたことがなかったので、ちょっと緊張を覚えた。だがよく考えると、親友のロホやアスルの家族が住む家にも招待されたことがないのだ。

「俺が招待されたことがあるのは、ロペス少佐の家とカルロの実家だけだ。君達の一族はどんな客のもてなしをするんだい?」

 少佐が肩をすくめた。

「特別な儀式などしませんよ。普通のセルバ人の家庭に招かれた時のことを思い出して下さい。料理も特別な物ではないでしょう。」

 それでテオはワインを、少佐は女性の家族の為に菓子を持って行くことにした。食事の準備をしてくれるアブラーンの妻や娘達へのお礼だ。アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは娘2人と息子が2人いると言う話だった。全員ティーンエイジャーで一番上の娘は大学生だ。但し、グラダ大学でなく私立の医学系大学だった。
 おやすみのキスをする時、テオはそっと少佐の手を包み込んだ。一瞬少佐が怪訝そうな表情をしたが、テオは、

「銃を扱っているにしては可愛い優しい手だ。」

と言って誤魔化した。彼女の指のサイズを感覚で測ったとは言わなかった。
 翌日、2人は普段通りに仕事に行った。テオはちょっとウキウキしていた。ムリリョ博士から聞かされるのは物騒な話題だと承知していたが、少佐とお出かけはデートだ。目的がどんなに危険なことでも、彼には楽しみだった。
 シエスタの時間に、カフェでケサダ教授を見かけた。弟子のンゲマ准教授と数人の学生と一緒だった。教授はいつもと変わらず、今夜の食事に彼は呼ばれているのだろうか、とテオはふと思った。政治の話や犯罪の話に、博士は娘婿を巻き込みたくないだろう。それに息子のアブラーンも食事に同席してもその後の話し合いに加わると思えなかった。
 待ち遠しい夕方になると、テオはさっさと仕事を片付け、アパートに帰って着替えた。ケツァル少佐も帰って来て、お呼ばれにふさわしい服装に着替えた。家政婦のカーラは夕食を作る仕事がなかったが、主人カップルが脱いだ服を洗濯すると言ってアパートに残った。

「明日は息子の学校へ出かけるので、出勤が遅くなります。ですから、その分、今夜働きます。」

 仕事熱心な家政婦に、少佐はキスで応えた。
 午後7時にテオは自分の車に少佐を乗せて出かけた。マスケゴ族が多く住む区域は白人の金持ちも住んでいるから、きちんと交差点などには標識があったし信号が設置されているところもある。この斜面に住める人々は裕福なのだ。途中で少佐が窓越しに一軒の階段状の家を指差した。

「あの家は白人の住居です。マスケゴ風の家の形が気に入って真似ているのです。」
「へぇ、見ただけでわかるんだ?!」
「ノ、金持ちの住宅を紹介する雑誌に載っていました。」

 少佐がケロリと言い放ち、舌をペロリと出した。

「自宅を公開したがる人の気持ちがわかりません。強盗においでと言っているような物です。」

 階段状の家は各階に出入り口がある。警備が大変だ。マスケゴ族なら結界を張っているのだろうが、白人や普通のメスティーソは無理だ。セキュリティ会社と契約しているのだろう。
 やがてテオにも見覚えのある大きな家が見えてきた。

2022/11/13

第8部 シュスとシショカ      11

  それから木曜日迄、テオにも大統領警護隊文化保護担当部にも事件の真相解明において何の進展もなかった。退屈な書類審査と近場の遺跡の見回り程度でケツァル少佐と部下達は過ごし、テオは教室で学生達に講義を行った。彼は学部長にヨーロッパでの学会出席を断った。

「学会で発表するような研究も発見もしていないのに、国の金を使って旅行するなんて図々しいことは出来ませんよ。」

と彼は笑った。学部長は、それならアルストが熱心に分析している遺伝子は一体何なのかと疑問に思ったが、言葉に出さないでおいた。この亡命学者は、大統領警護隊と親密な関係にある。そして彼の亡命には大統領警護隊が深く関与している。だから、余計な追求をしてはいけない。
 テオが学部長に言った言い訳は本当だ。テオには世界中の同業者の前で発表するような研究成果を何一つ上げていない。彼が情熱を注いでいる遺伝子の分析は”ヴェルデ・シエロ”のものだ。これは絶対にセルバ国外に持ち出せない。そして、もう一つ理由があった。
 水曜日の夕方、行きつけのバルで偶然シーロ・ロペス少佐と出会ったのだ。少佐は部下と仕事を終えて帰宅前の一杯を楽しみに来ていた。そしてテオを見つけて彼の方から声をかけてくれた。

「学会出席を断られたそうですね?」

と話題を振ってきた。彼は外務省に勤めている亡命・移民審査官だ。テオとアリアナが亡命する時に審査して、本国に「亡命を受け入れて良ろしいかと思われる」と意見書を提出した。そして亡命した後のテオ達の安全を管理する役目も負った。当然、テオがヨーロッパに行くかも知れないと言う話を文化・教育省から聞かされた。そしてテオが学会出席を蹴ったことも知らされた。
 テオは苦笑した。

「学会で偉そうに講義出来ることなんて何もしてませんからね。それに、俺が国外に出る時は護衛が付くでしょう? 人件費とか考えたら、税金の無駄使いです。実績のない学者を守るのに国民の血税を使うことは許されません。」

 ロペス少佐も苦笑した。

「そんなお気遣いは無用です、と言いたいところですが、実際のところ助かりました。貴方を貴方の母国から守るのに何人の護衛が必要かと考えていましたのでね。」
「俺はセルバから出るのが不安なんです。臆病者です。この国で十分です。」

 テオはもう学会のことを考えたくなかった。これ以上喋ると未練がましいと思われると感じたので、話題を変えた。

「アリアナの調子はどうです? 彼女はそろそろ仕事を控えた方が良いと思いますが・・・」
「ご心配なく、来週からリモートで仕事をするそうです。患者のカルテを電子化して自宅で画像診断するそうですよ。私は彼女にもう少し出産準備のことに集中して欲しいのですが。」

 テオは苦笑いした。

「彼女も言い出したら聞かない性格ですから・・・でも子供のことを大切に考えていることは間違いないでしょうから、信じてやって下さい。」
「勿論です。」

 ロペス少佐が部下達の方へ視線を向けたので、テオは彼を仲間に返してやらねば、と思った。

「俺はもう少ししたら帰ります。貴方をお仲間のところへ返さないと・・・」
「では、おやすみなさい。」

とあっさり少佐は退いてくれたが、別れ際にこう言った。

「貴方も早く子供を持ちなさい。ケツァルもそんなに若くないですから。」

 ケツァル少佐が聞いたらアサルトライフルでロペス少佐を撃つんじゃないか、とテオは思い、心の中で苦笑した。


2022/11/12

第8部 シュスとシショカ      10

 「白人と結婚して亡くなった一族の女性ってわかるか?」

 テオが尋ねると、ケツァル少佐はちょっと考えてから、図書館へ行こうと提案した。それで2人で大学内の図書館へ行った。10年近く前の新聞を探した。データ化される前の新聞だから、何年の何月の記事なのかわからない。女性の実家がシショカ・シュスと名乗っていたことはわかっていたから、死亡記事だけを見ていった。
 半時間後に、少佐が一件の記事を見つけた。フェルナンド・ロヴァト・ゴンザレスと言う男性の妻のマリア・シショカ・シュスが亡くなったと言う短い記事で、葬儀日時の告知と共に数行だけ書かれているものだった。テオはタブレットでフェルナンド・ロヴァト・ゴンザレスを検索し、マリアの死後1年のうちにその男性の家が相次ぐ不審死で断絶してしまったことを知った。フェルナンドの遺産は妻の母親が相続し、それに異を唱えたロヴァト・ゴンザレス家が全員死んでしまったのだ。遺産を相続したシショカ・シュス家のことはデータでは追えなかった。恐らくシショカ・シュス家の人間達が記録に残されることを嫌ったのだ。

「シショカ・シュス家って、有名なのか?」

 テオの問いに、少佐は肩をすくめた。

「煉瓦工場を経営していました。煉瓦はあまり使われなくなったので、最近は装飾用タイルを作っています。」
「マスケゴ族だな?」
「スィ。古い家系です。」

 そして、皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「ムリリョ博士達が住んでいらっしゃる同じ谷に住居を構えていますよ。」

 テオは以前ロホ達に連れられて見学に行った斜面の住宅地を思い出した。樹木が多い、日当たりの良い斜面に階段状に造られた風変わりな住居が点在する区画だ。マスケゴ族のグラダ・シティでの集落だ。
 斜面が多い都市では低い位置に金持ちが住み、貧しくなると坂の上に住む傾向にある。坂の上は不便で交通の便も良くないからだ。しかしセルバでは、金持ちが坂の上に住む。低地は暴風雨の時に水没しやすく、敵は低い海岸から攻めてくるからだ。テオや少佐達が住んでいる東西サン・ペドロ通りやマカレオ通りも坂の上に行くほど高級住宅になる。マスケゴの集落も似ていた。少佐はグラダ・シティの地図をタブレットに出して、テオにムリリョ博士の自宅周辺を示した。

「ここが博士のお宅です。シショカ・シュス達はもう少し低い場所に住んでいます。財力の差ですね。でも族長選挙は人望がどれだけあるかを競う訳ですから、財産は関係ありません。」
「金のばら撒きはしないのか?」

 少佐がニヤリと笑った。

「一族は金では票を入れません。撒く人間も受け取る人間も軽蔑されますから。どれだけ一族の役に立てるかが争点です。勿論、お金を一族のために使うのであれば、それは得点を稼ぐことになります。」

 テオは煉瓦工場の経営者達と族長の座を争う人々は何を生業にしているのだろう、と思った。ムリリョ家とシメネス家は建設業者だが、今回候補を出していないと言う。
 ”ヴェルデ・シエロ”は人口が多いと言えない。その一部のマスケゴ族の中の選挙だ。有権者はメスティーソを入れてもそんなに多くない筈だ。

「少佐・・・もしかすると、マスケゴ族の選挙は、シショカ・シュス同士の対決になっているんじゃないか?」

 テオの考えに、少佐がビクッとした。それを思いつかなかったと言う表情だった。彼女は僅か数名しかいないグラダ族の族長で、選挙ではなく、彼女しか純血種がいないからだ。(この際フィデル・ケサダは数えない。)また、彼女が普段接する一族の多くは人口が多いブーカ族で、家系がたくさんある(らしい)。だから少佐も「選挙」と聞いて一般のセルバ社会の選挙の様に考えていたのだ。

「同族の相討ち選挙なのですね・・・」

 カスパル・シショカ・シュスは恋人の仇を討つ目的で神像を盗み、建設大臣を呪い殺そうと企んだ。そして恋人を死に追いやった恋人の実家にも復讐を果たそうとしていた。恋人の実家は彼の同族だ。しかしシショカ・シュス、或いはシュス・シショカの家は他にもあって、カスパルの恋人の実家から出る族長候補と対立しているのではないか。もしカスパルが大罪を犯したとわかれば、恋人の実家は大打撃を受ける。

「カスパル・シショカ・シュスは彼の独断で神像の呪いを利用しようと考えたのだろうか? 族長選挙で彼自身の家系のライバルとなる別の家が、彼を唆して復讐劇を行わせ、彼の家系を貶めようとしているんじゃないだろうか? それなら選挙が絡んでくると言う話に俺は納得出来る。こう言っちゃなんだが、君達の一族は周りくどい形で戦略を考える。自分達が大罪を犯す掟違反をしないよう、他人を動かすんだ。カスパルはチクチャン兄妹を唆して利用したが、カスパル自身も誰かに操られているんじゃないか?」

 テオが考えを打ち明けると、少佐は小さく頷いた。

「大統領警護隊司令部がカスパルに直ぐに裁定を下さないのは、彼の背後関係を調べているからですね・・・」



2022/11/05

第8部 シュスとシショカ      9

  テオはケツァル少佐に電話を掛けた。電話では言えない火急の要件があると言って、彼女に大学へ来てもらった。昼休みの大学は学生たちが自由に歩き回っている。自主的に研究している学生やボランティア活動に勤しむ学生、ただ休憩しているだけの学生。その中を普通の服装で、少佐は学生のふりをしてやって来た。彼女が研究室に入ると、テオはドアを施錠して、彼女にコーヒーを飲むかと尋ねた。彼女は要らない、と答えた。

「それで、要件とは?」

 テオは彼女を学生たちが座る椅子に座らせ、己の机の前に座った。そして、昼休みに現れたマスケゴ族の若者、ケマ・シショカ・アラルコンと、ムリリョ博士との3人の会話を語って聞かせた。
 少佐は話を黙って聞き、そして暫く考えた。

「要約して言えば・・・カスパル・シショカ・シュスの恋人が彼を裏切って白人と結婚して、お産に失敗して死んだ、カスパルはそれを恋人の家族と恋人の夫に責任があると逆恨みした。さらに恋人が彼を裏切った原因は生家の没落であり、その没落の原因はアルボレス・ロホス村が泥に埋もれてしまったから。だから彼はダム建設を推進した建設大臣も恨んだ。」
「スィ。」
「白人の家族は謎の死を遂げ、カスパルは恋人の家族と大臣にも復讐を企んでいる。そのために、アーバル・スァット様の石像をアルボレス・ロホス村の住人だったアラムとアウロラのチクチャン兄妹に盗ませ、建設省に送りつけようとした。しかし、1回目は盗みに利用したロザナ・ロハスが思った通りに動かず、ミカエル・アンゲルス暗殺に使ってしまい、石像は大統領警護隊に回収されてしまった。」
「スィ。」
「もう一度彼はチクチャン兄妹に改めて石像の呪いの使い方を学習させ、2度目の盗みを行った。その際、遺跡の警備員を爆裂波で傷つけてしまった。チクチャン兄妹は建設省に石像を届けたが、何も起こらない。そこでカスパルに利用されたと悟り、仲違いして、カスパルに殺されかけた・・・」
「概ね、そんなところだ。ムリリョ博士が何も言わないので、マスケゴ族の族長選挙とどう関わっているのかは、俺にはわからない。」
「私にもわかりません。」
「だが博士はカスパルの親戚、つまり恋人の実家に問題ありと睨んだようだ。それが選挙に影響するのか、それとも”砂の民”が動くのか、わからないが・・・」
「”砂の民”の粛清は個人に行なわれることが主です。一つの家族を対象とすると、長老会の審議に掛けられるでしょう。それより・・・」

 少佐が憂い顔で天井を見上げた。

「セニョール・シショカがどこまでこの件を掘り下げて調べたか、です。彼はフリーの”砂の民”です。掟の範囲で自由に行動します。カスパルの恋人の家族全員を粛清してしまう可能性もあります。」
「長老会の審議なしで、そんなことが出来るのか?」
「それをするから、一匹狼にならざるを得なかったのだと思いますよ。そして彼が一族の人々から恐れられる存在になった原因でもあります。長老会も彼が掟の範囲内で行動するので罰することが出来ないのです。」

 テオは溜め息をついた。

「ケマ・シショカ・アラルコンは、セニョール・シショカをシショカ一族の総元締程度にしか認識していないんだ。シショカに”砂の民”への仲介を頼もうとしている。あの若者は叔父のカスパルを死なせたくないと言っていた。父親同然の存在だったから。」
「シショカは・・・と言うより、良識ある我が一族の大人達は、大罪を犯した人間を温情で助けるなど、生やさしい扱いをしません。大罪は大罪です。減刑はありません。ただ、カスパルに襲われた警備員は命を取り留めました。その点は考慮してもらえるかも知れませんね。」

と言いはしたが、ケツァル少佐は、その「考慮」が生きたままワニの池に放り込まれるのではない、別の処刑方法になる、とは言わなかった。テオを悲しませたくなかった。


第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...