2024/01/31

第10部  追跡       11

 グラダ・シティとプンタ・マナの中間辺りにある寂れた農漁村の小さなキリスト教会に2人の男が駆け込んで来た。夕刻の礼拝の準備をしていた司祭に彼等は縋り付くようにして訴えた。

「神父様、匿って下さい、俺達はまだ死にたくない。」

 若い神父はちょっと驚いて開放されたままの扉の向こうを見た。まだ西日が射す時刻でもなく、外は日曜の午後をのんびり過ごす村人達がサッカーに興じたり、ベンチでお喋りしている姿が見えるだけだった。

「誰かに追われているのですか?」

 男達は顔を見合わせた。一人が告解室を指差した。

「懺悔させて下さい。」

 神父はもう一人の方を見た。2人目の男は椅子にぐったりと座り込んでしまった。

「駄目だ、どこに行っても追いかけてくる・・・あいつらから逃げることは不可能だ!」
「あいつらとは?」

 神父の問いかけに男達は再び顔を見合わせた。懺悔を希望する男が尋ねた。

「神父様、あんたはセルバ生まれかい?」
「ノ、私はフランスから来ました・・・」
「それじゃ、わからないだろう。」

 男はちょっと苛つきながら告解室を指差した。

「さぁ、懺悔を聞いてくれ。俺達を追いかけて来る古代の神の話を聞いてくれ。」

 その時、入り口から差し込んでいた陽が翳った。神父と2人の男が振り返ると、入り口に黒いシルエットになって一人の女性が立っていた。
 神父が記憶しているのは、そこ迄だった。彼が我に帰ると、教会内には誰もいなかった。2人の男も、入り口に立った陰を作った女性も姿を消していた。



 

2024/01/30

第10部  追跡       10

  アスルが心を過去に飛ばして見た密猟者達の顔を、ケツァル少佐とロホは憲兵隊の手配リストと照合し、6人の中の5人は氏名を確定させた。憲兵隊にその写真を指摘して、2人は憲兵隊本部を出た。
 日曜日だ。ロホは自宅に帰って寝ますと言い、上官と別れた。上官の裏をかいて彼女の妹の家に行くなどと言う姑息な真似はしない男だ。本当に真っ直ぐアパートに帰ってシャワーを浴びて寝てしまった。
 ケツァル少佐も自宅へ帰った。テオが帰って来てリビングで寝ていたので、起こさずにおいた。彼女もシャワーを浴び、着替えて何か食べようと考えていると、テオが目を覚ました。

「おかえり。昼飯は食ったかい?」

 ノ、と彼女は答え、2人で食事に出かけた。午後2時を過ぎていたが、セルバでは遅いお昼にはならない。丁度12時頃に入店した客がのんびり出て来る時間で、2周目の客として彼等はイタリア人の店に入った。森の中での捜索の話やサバンの身元確認が所持品のお守りでなされたことを歩きながら語ったので、食事中は事件のことを忘れて食べることに専念した。
 山盛りのスパゲッティがみるみるうちに少佐の胃袋に収まっていくのをテオは愉快な気分で眺めた。彼女は超能力を使うと酷く空腹になる。それを補うために大量に食べるが、勿論彼女の体が健康な証だ。

「そう言えば、アリアナの出産はもうすぐでしたね。」

と少佐が話を振ってきた。テオは頷いた。

「順調なら今月末頃だって医者が言っているらしい。」
「病院で産むのですか?」
「夫婦はそのつもりだ。ロペス少佐は昔からの伝統的な出産方法で彼女が危険な状態になったりしたら助産師を引き裂いてやると言っていた。」

 少佐が噴き出した。

「シーロはあまり伝統的な作法を好まない人ですね。それに彼の実家は女手がいないので、出産後のアリアナや赤ちゃんの世話をする人もいないでしょう。ヘルパーを雇うのでしょうか。」
「そのつもりだろうけど・・・」

 すると少佐が提案した。

「私も病院が安全だと思います。一族の助産師もいますから、生まれて来る子供の扱いを任せて大丈夫でしょう。でも自宅に帰ったら、子供はミックスですから、ママコナの教えの声を聞けません。私が純血種のヘルパーを探してみましょう。」

 ”ヴェルデ・シエロ”の子供は生まれた時に大巫女ママコナのテレパシーで基本的な超能力の使い方を教えられる。テオは恐らくそれは脳波の使い方を調整されているのだろうと想像している。ミックスの子供はママコナの”声”を上手く受信出来ないので、脳波の調整が出来ず、超能力の基本的な使い方を学べないのだ。だから純血種から”出来損ない”などと蔑視されてしまうのだろう。純血種の父親は24時間子供の世話をする訳でないので、フォローが難しい。子供が言葉を理解出来る年齢になってから教育を始めるので、どうしても純血種に遅れてしまう。
 でも、最初から専属の純血種のヘルパーがいれば? ケツァル少佐はある意味実験を始めようとしていた。それは将来彼女が産むかも知れないテオの子供の為でもあった。


2024/01/29

第10部  追跡       9

  この日は日曜日で、「土曜の軍事訓練」は終わっている筈だった。それに密猟者・殺人犯の追跡は大統領警護隊文化保護担当部の任務ではない。だからケツァル少佐はアンティオワカ遺跡で解散した時に、部下達に自己判断で捜索を切り上げて帰宅するよう命じた。
 マハルダ・デネロス少尉は森の中で体験した「死の穢れ」で精神的に参っていたので、グラダ・シティでテオドール・アルストをグラダ大学に送り届けると、そのまま次兄の家で体を休めた。彼女の新しい交際相手のファビオ・キロス中尉は所属部署が違って、少佐の部下でもなく、ただ暇だったので今回の捜索に同行した。彼はデートが仕事になってしまった感じのデネロス少尉を労わりながら、結局まだ正式に彼女の家族に紹介されていなかったので、彼女の次兄の家でシャワーを使わせてもらった後、自分の家に帰宅した。
 別れ際、彼は彼女に言った。

「この週末は楽しかった。だが次は2人だけで静かに過ごすことも考えておいてくれないか?」

 デネロスははにかみながら答えた。

「土曜日の軍事訓練は私の楽しみの一つなのです。日曜日では駄目ですか?」

 キロス中尉は無骨な笑を浮かべた。

「日曜日でも、平日の夜でも構わない。私は2ヶ月の休暇中だから。」

 2人は丁寧に別れの挨拶を交わしたのだ。
 文化保護担当部の幹部2人、ケツァル少佐とロホはグラダ・シティの憲兵隊本部に行った。日曜日だが、軍隊に曜日は関係ない。普段通りの任務をこなしている憲兵達の中を通り、2人は殺人を主に取り扱っている班を訪ねた。
 憲兵隊は”ヴェルデ・シエロ”の軍隊ではないし、幹部も普通の人間が多い。だから少佐は南の森の中で起きた殺人事件の話を詳細に語らなければならなかった。憲兵隊は既にセルバ野生生物保護協会から同様の訴えを受けていたので、ちゃんと話を聞いてくれた。それに今回は動物学者でなく大統領警護隊が相手だ。最初の通報者の時より真剣に受け止めた。

「密猟の目撃者を殺害するのは珍しくありません。しかし遺体の扱いが異常だ。」

と担当した少尉が青褪めた顔で言った。バラバラ死体や焼かれた骨などの話は好きでないのだ。誰でも好きではないが。

「密猟者のリストですが・・・」

 少尉はファイルを出してきた。数枚のページに写真が貼り付けてあった。

「逮捕歴のある人物と逃亡中の人物、要注意人物の順に綴じてあります。お心当たりがあれば教えて下さい。」

 彼はファイルを少佐に渡し、部下に呼ばれて部屋から出て行った。他の事件で何か進展があったらしい。憲兵隊は忙しい組織だった。

2024/01/28

第10部  追跡       8

  ミーヤ・カソリック教会は大きくない。祭具室を抜けると司祭の居住区画で、廊下を通るとすぐに裏口から外に出た。町の住人が住む質素な家々が並び、すぐ向こうは森だ。アンドレ・ギャラガ少尉は教会から嗅いでいた人間の匂いがその森の方向へ向かっていることに気がついた。司祭は教会内のバザーにいたから、これは別の人間だ、と彼は思った。司祭の家族ではないだろう。司祭は妻帯しない。司祭館の家事を取り仕切る人間がいるとしたら、その人自身の住居か商店街に向かう筈だが、その匂いは森に真っ直ぐ向かっていた。
 先輩中尉を振り返ると、アスルも不機嫌な顔をして森を睨んでいた。

「森に隠れたのでしょうか。」

 ギャラガが尋ねると、彼は首を振った。

「この付近の森は国境破りを警戒して監視カメラを設置してある。密猟をする連中なら承知している。敢えてそんな場所に隠れるとは思えない。」

 突然彼が森の方角へ走り出したので、ギャラガも急いで追いかけた。行く手を塞ぐように畑の柵があったが、2人は軽々と跳び越えた。野菜の列を跨ぎ越し、再び柵を越えて森に走り込んだ。畑を荒らす動物を遠ざけるために、柵から森の最初の植生迄の間は樹木が伐採され、土と下草の空間だ。アスルとギャラガは人間が通った痕跡を追跡した。匂いの主は走っていた。何かから逃げたのだ、きっと。ギャラガは柵を越える時に、柵の上に張られた有刺鉄線に血が付着しているのを目撃していた。怪我をしてまで逃げたかったのか? 何から?
 森に入って500メートルも行かないうちにアスルが立ち止まった。ギャラガも足を止めた。酷く不快な感覚が襲ってきた。

ーー死の穢れだ・・・

 虫の羽音、まだ新しい死体の臭い。
 このあたりではしっかりした幹を持つ樹木が見えた。一番太い枝から大きな物がぶら下がっていた。
 アスルが溜め息をついた。そしてギャラガに囁いた。

「憲兵隊に電話しろ。手配書の一人だ。」

 まだ電波が届く距離だったので、ギャラガは言われた通り、電話を出した。位置確認を緯度と経度で行い、それから憲兵隊ミーヤ基地に掛けた。彼が通報している間にアスルが死体に近づいた。グルリと周囲を回って検分し、ギャラガのそばに戻った。

「物理的に誰かに強要された痕跡はない。首に締められた跡もなさそうだ。本当に首を吊っている。」
「自殺ですか?」
「見た限りではそうなる。しかし、走って行っていきなり首を吊ったりするか?」

 ギャラガは少し考えてから、言った。

「”砂の民”に幻影でも見せられましたかね?」
「多分・・・殺したサバンかコロンの幽霊に追っかけられたのだろう。」

 アスルは小さく「けっ」と言った。

2024/01/27

第10部  追跡       7

  憲兵隊にも配布するとかで手配書のコピーがたくさん置かれていたので、アスルとギャラガは2枚もらって、検問所の食堂を出た。そしてミーヤの街中を歩いて行った。隣国との往来に利用される大通りを中心に広がる細長い街だ。それに大きくない。セルバ共和国南部では観光都市プンタ・マナに次ぐ都市だが、どうしても田舎の印象は拭えない。首都グラダ・シティで育ったギャラガも、子供時代どこで過ごしたのか不明だが入隊以来ずっと首都を寝ぐらにしているアスルも、この街が洗練されていると思えなかった。しかし賑わっている。隣国の商人や買い出しの一般人が普通に検問所を出入りしている。セルバ側からも出かける人間が少なくない。物資はそれなりに豊かで雰囲気は陽気で活気に満ちていた。凶悪な殺人犯が隠れていそうに見えた。しかし密輸は行われるし、密入国もある。犯罪は普通に存在するのだ。
 ミーヤのカソリック教会はグラダ大聖堂に比べると小じんまりした田舎の教会に見えた。日曜の朝のミサが終わり、昼間は開放されていた。グラダ大聖堂と違って観光客は来ないが、地元民がいて、バザーの様な催し物をしているのが見えた。見たところ女性ばかりだ。

「殺人犯が隠れている様に見えません。」

とギャラガが囁いた。アスルは首を振った。

「いないだろうが、ちょっと俺たちの存在をアピールしておこう。」

 2人はジャングルから来たので、野戦服のままだった。アサルトライフルも持っていた。背中のリュックサックは遺跡発掘隊の監視業務で背負っているのを街の人々が何度も見ていたので、彼等が大統領警護隊であることは、胸の緑の鳥の徽章を見なくてもすぐにわかった。彼等が教会の中に入って行くと、洋服や小物の品定めをしていた女性達がチラリと彼等に視線をやったが、すぐに商品籠の方に顔を向けた。
 アスルは左回りに、ギャラガは右回りに壁に沿って歩いて行き、祭壇の前で合流した。

ーーここにはいません。
ーー奥の部屋を見てみよう。

 ”心話”で言葉を交わすと、2人はその場にいた人々に自分達はいないと思わせる幻視をかけた。恐らく女性達は、彼等は何時の間にか教会から出て行ったと思うだろう。
 2人は祭壇の横にあるドアを開き、司祭が使用する祭具室へ入って行った。

2024/01/26

第10部  追跡       6

  仮に「アキレスの一味」と密猟者グループを呼ぶことにしよう。クレトと言う一味のメンバーが半月前、バルに現れた時蒼白な顔でグラスをまともに持てないほど震えていたと言う。幽霊でも見たかと揶揄われても返事をしなかった。それから彼等は人前に現れていない。

「恐らく、クレトとか言うヤツは、オラシオ・サバンが殺されてジャガーから人間に戻るところを目撃したに違いない。」

 とアスルはギャラガに囁いた。

「連中は自分達が神を殺したと知った。恐怖でサバンの遺体を穴に入れ、焼いて痕跡を消そうとしたんだ。土で埋めた後も、連中は不安で恐ろしかった。」
「それで神から逃れようと姿を消した・・・?」

 ギャラガの質問と言うより確認の問いかけに、アスルは頷いた。

「だがセルバ国内にいる限り、必ず神に見つけ出される、と連中は思っている。それなら、どこに隠れる?」
「”ヴェルデ・シエロ”はキリスト教にとっては異教の神です。だから”シエロ”から隠れるなら、教会では?」
「もし連中がそう考えたなら、短絡的だな。俺達はキリスト教会を怖いと思っていない。用がないから近づかないだけだ。」

 アスルは食堂内の警備兵達を見回した。大統領警護隊は警察組織ではないから、犯罪者を追いかけたりしない。少なくとも、命令がなければ検問所から出て捜索したりしない。それは陸軍の国境警備兵も同じだ。彼等の仕事は国境を守ることで、出国者に注意して目を見張らせるだけだ。

「ミーヤの教会に行ってみますか?」

とギャラガが提案した。アスルは頷き、2人は空になった食器を返却口に運んだ。ブリサ・フレータ少尉がカウンターの向こうで彼等の顔を見て微笑んだ。

「何か手がかりを掴んだと言いたそうな顔ですね。」
「手がかりではないが、探す場所のヒントを陸軍からもらった。」

 アスルは料理をする人間が好きだ。彼自身も料理をするのが好きだからだ。彼が珍しくフレータ少尉に向かって微笑みかけたので、ギャラガはびっくりした。彼女が小さな紙袋を出して、アスルに差し出した。

「お料理をされるとステファン大尉から以前お聞きしていたので、よろしければこれを使ってみて下さい。隣国から来る行商人から買った混合スパイスです。怪しい物は入っていませんよ。多分、中尉なら成分や割合をすぐに当てられると思います。魚のシチューに丁度良い味を作ってくれます。」

 アスルは素直に有り難く頂戴した。ギャラガは新しい料理のレパートリーが増えるんだな、と期待した。


2024/01/24

第10部  追跡       5

 国境検問所の食堂は、大統領警護隊だけの場所ではなく、陸軍国境警備隊も一緒に食事をするのだ。だから料理はたっぷりあったし、アスルとギャラガも気兼ねなくテーブルに着けた。ブリサ・フレータ少尉は2人の皿に大きめの肉を載せてくれた。
 食事を始めようとした時、大統領警護隊警備班の隊長ナカイ少佐と先刻の警備兵が食堂に入って来た。ここの検問所の最高司令官に当たる人物だから、全員が立ち上がった。少佐は敬礼を兵士達と交わしてから、着席するようにと言った。

「食べながらで良いから、聞いて欲しいことがある。」

 彼がそう言うと、先刻の警備兵が一枚の大きな紙を広げ、後ろの壁に貼った。男の顔写真が3人分、コピーされていた。ナカイ少佐が言った。

「これは密猟者の手配書だ。連中は国境検問所を通らずに船で他国に動物の毛皮などを密輸していたが、最近、どうやら動物だけでなく人を殺したらしい。」

 兵士達が食事の手を止めて写真に見入った。

「殺害されたのは、セルバ野生生物保護協会の職員2名。間もなく首都でも手配書が発布されるだろう。密輸でなく国外逃亡を図る恐れがあるので、検問所でも注意して欲しい。犯人グループはもう少し人数が多い様だが、現在判明しているのはこの3人だ。」

 アスルが警備兵に伝えたのは6人だったが、写真が手に入ったのは3人だけだったのだろう。大統領警護隊の間では”心話”で6人全員の顔の情報が行き渡っている筈だ。陸軍には心で伝えられないから、手に入るだけの写真で手配を伝えた。
 陸軍兵から質問が出た。

「手配書の男だけでなく、一緒にいる連中も捕まえてよろしいですか?」

 少し乱暴だが、殺人犯の連れも一蓮托生だ、と言いたいのだ。犯罪に無関係かどうかは、捕まえてから調べる。それがこの国のやり方だ。
 ナカイ少佐は頷き、そしてアスルを見た。アスルは目で「ご協力感謝します」と伝えた。少佐は再び頷き、食堂から出て行った。

「アキレスの一味だな。」

と陸軍の方から囁きが聞こえた。

「前から怪しいと思っていたんだ。行商をしていると言いながら、妙に森へ出掛けていたからな。」
「だが、最近見かけない。以前はよくバルで見かけたんだが。」
「そう云や、半月前当たりだったか、クレトの奴が真っ青な顔でバルに来たことがあった。手が震えて酒のグラスを満足につかめていなかった。誰かが幽霊でも見たのかと揶揄っていたが、一切答えなかったな。」
「それじゃ、その時に、人を殺したんじゃないか?」

 大統領警護隊の隊員達は互いの目を見合った。その証言だけで十分だった。

第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...