2024/04/14

第10部  罪人        15

  セルバ国立民族博物館の展示室をエクはゆっくりと見物しながら歩いていた。きちんとシャツの上にネクタイを締めた白髪の男性が彼のそばに静かに近づいた。

「そちらは5世紀頃の遺跡から出土した祭祀具です。」

と男性が囁き、それからもっと低い声で彼等だけの言語で告げた。

「女は国外追放になった。実行者の男は明日裁判にかけられる。」
「有り難うございます。」

 エクはガラスケースの中を見たまま答えた。

「私は今夜帰ります。これ以上追うのは私の役目ではありません。」

 そしてスペイン語で言った。

「どんな祈りに使用された物でしょうか?」
「収穫の感謝でしょう。」

 男性は祭具の盃に似た道具を指差した。

「生贄の血を入れた痕跡は見つかりませんでした。これは液体ではなく穀物を入れた物と考えられています。」

 そして古い言葉に切り替えた。

「貴方の労に感謝する。」

 エクは頭を垂れた。そしてゆっくりと顔を上げると、もう博物館の職員はいなかった。
 エクは思った。外務省にも一族の者はいるだろうが、ピューマはいるのだろうか。もしいるのであれば、女を罰して欲しいものだ、と。しかし彼は深追いをしなかった。そして夜行バスに乗る前に何か腹ごしらえをしておこうと考えたのだった。


第10部  罪人        14

 「貴方がロバートソン博士の助命嘆願をしなかったのは意外でした。」

とケツァル少佐が言った。テオは彼女とアパートの彼女のスペースで2人で夕食を取っていた。彼は彼女にムリリョ博士との会談の内容を伝えたところだった。家政婦のカーラはこの日、子供の誕生会とかで仕事を休んでいたので、テオはピザの出前を取ったのだ。大判のピザを3枚、うち2枚は少佐が一人で食べるのだ。

「助命嘆願をする意味がないだろう。」

とテオはコーラをグラスに注ぎ入れながら言った。少佐はビールだ。彼女はあまりコーラを好まない。甘味料が多過ぎると言って、ライムソーダ等の天然果汁をソーダ水で割った方を好んだ。

「彼女はサバンの父親が息子とコロンの行方不明に騒ぎ出したと思い、先手を打って2人の捜索を官憲に依頼した。あの時の彼女の芝居に俺はすっかり騙された。彼女はあの時2人の協会員が既に殺害されていたことを知っていたし、もしかするとサバンは彼女の援助金横領を疑っていることを彼女に察知されて消されたかも知れないんだ。コロンも同様だ。彼女は直接殺害に手を下さなくても、原因を作った張本人だ。彼女と殺人の繋がりを証明する物が何もないし、証人もいないから、俺は悔しい。彼女がお金を全額返したとしても、殺害された2人は戻ってこないんだ。俺は彼女がアメリカに帰って悠々と生き延びることが許せない。本当は”砂の民”に頼んでアメリカまで彼女を追いかけて欲しいくらいだよ。」

 珍しくテオが憤っているので、少佐が憐れみの目で彼を見た。

「彼女がアメリカ人だから、悔しいのですね?」
「俺はもうセルバ人だ。だが、生まれたのはアメリカだからな。少なくとも法と秩序の国であって欲しい。」

 少佐が手を伸ばして彼の手に重ねた。

「彼女は生きていても信用を失くします。 ”砂の民”は標的の命を奪わなくても精神的に追い詰めることが出来ます。きっと帰国した後の彼女の周囲で、彼女の評判が急速に落ちていくことでしょう。」

 それはある意味、残酷な報復方法だった。テオは、だからそれで自分を納得させることにした。

「そうだな・・・もうあの女のことは忘れる。サバンとコロンの冥福だけを祈ることにするよ。」


2024/04/12

第10部  罪人        13

  セルバ外務省とアメリカ合衆国大使館の間で、フローレンス・エルザ・ロバートソン動物学博士の処分について話し合いがあったことは、大統領警護隊文化保護担当部に知らされなかったし、彼等は特に関心もなかった。だがマスコミは外務省の「ある筋」から情報をもらい、ロバートソンの身柄が国外追放になることを報じた。勿論、横領した援助資金を返金してからだ。ロバートソンは家財や高級車、高級ブランドの衣服を売却し、ほとんど無一文で祖国へ帰らねばならなかった。

「彼女と密猟者の繋がりをはっきりと証明する手立てがないのです。」

とテオはムリリョ博士に訴えた。彼は博物館の庭で博士を捕まえ、ベンチに並んで座らせ、強引に話し合いに持ち込んだ。博士はロバートソンの話に無関心だった、あるいは無関心を装っていて、テオの話を煩そうに聴いていた。

「彼女が指示を出していたと思える男は、既に粛清されて死んでしまいました。恐らく、誰も彼から彼女に関する情報を引き出していなかった筈です。だから、彼女が自白しない限り、我々は憶測で行動すべきではありません。」
「我々?」

 ムリリョ博士が白い眉をピクリと動かした。

「お前は儂等の仲間だと言うのか?」

 テオは肯定出来なかったが、否定もしたくなかっった。

「少なくとも、オラシオ・サバンとイスマエル・コロンを殺害した真犯人を突き止めたいと願っている仲間でしょう?」

 博士が溜め息をついた。

「サバンに銃弾を撃ち込んだのは、エンリケ・テナンです。それは本人が認めています。だが彼はジャガーと間違えて人を撃ったと言っている。誰かに命令されてサバンを殺したとは言っていません。コロンはサバンの殺害が密猟者の手によるものだと知って、口封じに殺されたのです。殺人者達とロバートソンの繋がりはどこにも物証として存在しないのです。それにテナンの心を読んでも、きっと彼女のことは出てこないでしょう。ロバートソンもテナンのことは知らないのですから。」

 ムリリョ博士は博物館前の広場で遊ぶ子供達を眺めた。

「確かに、誰も”ヴェルデ・シエロ”の存在に気がついていないし、密猟者の死が連続して起きたのは、死者の呪いだと思っている。」
「だから、”砂の民”がロバートソンを追いかける理由はありません。」

 いきなり博士が振り返ったので、テオはどきりとした。”ヴェルデ・シエロ”は目で見るだけで相手を攻撃出来る。いつも不機嫌な様子の博士に睨まれると、若い”ヴェルデ・シエロ”でさえびくつくのだ。

「あの女から手をひこう。」

と博士が囁いた。

「外国人だし、執拗に追えば、また北の国の関心を引く。だが、あの女がこのセルバの地を再び踏む様なことがあれば、その時は容赦しない。儂がいなくなった後も、その命令は生きるように、伝えておく。良いか?」

 テオは左胸に右手を当てて、承知したことを表した。

2024/04/08

第10部  罪人        12

 「セルバ野生生物保護協会のアメリカ人会員が、活動資金を横領して憲兵隊に逮捕された事件はご存知でしょうか?」

とテオは始めた。ロペス少佐が「スィ」と答えた。テオは続けた。

「アメリカ政府はアメリカ人が国外で罪に問われた場合、確固たる証拠がなければ、冤罪だと主張して釈放を求めて来ます。 幸い、今回の事件は横領された金の流れが憲兵隊によって掴めているので、その恐れはないと思いますが・・・」

 彼は紙に書いた文章をロペス少佐に見せた。そこには、ロバートソン博士が密かに密猟者と繋がっていたらしいこと、その密猟者がオラシオ・サバンを殺害したこと、6人いた密猟者の5人までが”砂の民”によって粛清されたこと、ロバートソンと密猟者の繋がりを示す物的証拠は何も見つかっていないし、直接連絡を取っていた人間は既に粛清されたメンバーの中にいるらしいこと、が書かれていた。
 テオは少佐が文章を最後まで読み終えたと思えたところで言い添えた。

「サバンの父親は息子の日記を持っていまして、そこにはロバートソンが悪いことをしているらしいと書かれていました。密猟者との繋がりを疑っていたのです。そしてサバンの父親は、ムリリョ博士と接触しています。」

 ロペス少佐がピクリと眉を動かした。ムリリョ博士が何者なのか、知らない彼ではなかった。外務省で事務職をしているが、大統領警護隊の司令部所属の少佐なのだ。

「そのアメリカ人の博士は危険な立場にいますね。」

と少佐は囁いた。テオは頷いた。

「推測だけでものを言いたくありませんが、彼女は2人の協会員殺害の黒幕であろうと考えられます。 そしてピューマも同じことを考えていると思うのです。」

 ピューマとは、”砂の民”の隠語だ。少佐が溜め息をついた。

「一族の存在を知らずに罪を犯したとしても、一族の人間に害をなしたのであれば、連中は決して許しはしないでしょう。殺害されたもう一人の男は一般市民ですが、彼を守るのも我々の使命なのです。彼女がどこの国の人間であろうと、このセルバで罪人は無事に生涯を全う出来るものではありません。」

 ロペス少佐はテオを見た。

「彼女をセルバ国内の刑務所に入れるのは簡単ですが、彼女が生きてそこから出られる保障はありません。また、彼女を国外追放しても、狩り人は追って行きます。」
「わかっています。」

 テオは悲しく感じながら同意した。

「ただ、粛清は本当に自然に見えるようにして頂きたい。アメリカ政府が、彼女を自然死と思うような形で・・・犯罪や事故に巻き込まれたのでは、誰かが疑いを持ちます。」

 ロペス少佐は2度目の溜め息をついた。

「私はあの考古学の御大と接点がありません。留学生の手続きは全部彼の弟子のケサダ教授の仕事ですから。しかし、なんとかやってみましょう。ロバートソンを国外追放に持ち込んでみます。外国で死んだら、我が国への疑いは持たれないでしょうから。」


2024/04/06

第10部  罪人        11

  翌日、テオは外務省出向の大統領警護隊シーロ・ロペス少佐に連絡を入れた。一緒にランチをしたいと言うと、ロペス少佐は義理の兄弟となったテオの申し出を断らずに、省庁が多いオフィス街のレストランを指定してくれた。ドレスコードは不要の店だと言われ、テオは失礼がないようシャツの上に薄いジャケットを着用して出かけた。研究室に常備している緊急準正装用だ。学長や学部長の気まぐれで突然食事会に招待された場合に備えての物で、今回はロペス少佐に頼み事があったので、きちんとした服装で行くべきだろうと思ったのだ。
 ジャケットを着て行って正解だった。指定された店はTシャツにジーンズで入れるような店ではなかった。「ラフな服装」の言葉の定義が世間とはちょっと違う。テオは真っ白な制服を着たウェイターに案内され、少佐が予約したテーブルに案内された。ロペス少佐は常連なのだろう、綺麗な花が咲く中庭に面したテラス席だった。そこに着席する間もなく、ロペス少佐も到着した。テオは挨拶した。

「ブエノス・ディアス! 俺が誘ったのに、こんな良い店を予約して頂いて、申し訳ない。」

 ロペス少佐が首を振った。

「ブエノス・ディアス! お気になさらずに。私が職場に近い場所をと我儘でここを選んだのです。さぁ、掛けて。」

 席に着きながら、テオはどんな高い店だろうと不安に思った。しかしメニューを渡されると、案外リーズナブルな値段だったので安心した。微かな彼の表情の変化で彼の心の中を読み取ったのだろう、ロペス少佐が可笑そうに笑った。

「店構えを見て、高級店だと思われたでしょう? 我々は初めての客で厄介な交渉相手の場合、ここへ案内して、メニューを見せずに注文するのです。相手はちょっと萎縮しますね。時には相手の料金も支払って恩を売ります。」
「それは・・・なかなかの外交手腕ですね。」

 テオもやっと緊張がほぐれた。料理を注文してから、テオは電話をかけた際に質問したことをもう一度することにした。一応セルバの礼儀だ。

「アリアナは順調ですか?」
「スィ。そろそろ臨月です。仕事を休ませて家でテレワークですよ。」

 少佐も電話と同じ返答をしてから、本題に入った。

「それで、私に頼みとは?」


2024/04/05

第10部  罪人        10

 「多分、ロバートソンは資金横領で協会から告訴されるでしょうね。」

とロホが夕食の時に言った。その夜、テオは大統領警護隊文化保護担当部の男達だけを、アパートの彼自身のスペースに呼んで食事をした。ケツァル少佐は会議を兼ねた夕食会で文化・教育省のお偉方と出かけて留守だ。マハルダ・デネロスは一緒にアパートへ来たが、スクーリングで出された宿題の論文を考えるので、彼女一人だけ少佐のスペースで食事だ。家政婦のカーラは料理をテオのスペースに運ばなければならず、アスルとテオが手伝った。一番下っ端のアンドレ・ギャラガは酒類を買うので遅れて来た。
 大尉で何も手伝わなかったロホが食事開始の合図をして、男達はビールを飲み、カーラ手作りの美味しい夕食を味わった。料理は全部出されていて、カーラは普段より早く帰宅した。デネロスは一人勉強しながら食べているのだ。

「俺は今でも彼女が密猟の黒幕だなんて信じられない。葬式で本当に泣いている様に見えたんだがな・・・」

 テオは悔しかった。ロバートソン博士とは何回か会ったし、話もした。彼女はサバンやコロンを心から悼んでいる様に見えたのだ。しかし大統領警護隊の友人達は冷めた眼で彼女を見ていた。

「別にあの女がアメリカ人だから、とか、白人だから、って訳じゃない、最初から胡散臭い雰囲気を感じていたんだ。」

とアスルが呟いた。ギャラガも頷いた。

「ああ言う団体はボランティアみたいなものでしょう? 協会員は手弁当であまりお金を持っていない。でも彼女は結構値が張る服を着ていました。Tシャツだってブランドものだったし・・・まぁ、金持ちの道楽でボランティアやってる人もいますけど。」

 テオはそちら方面の知識がないと言うか、無頓着な方なので、己の観察眼の無さに落胆した。

「君等は早い時期から彼女を疑っていたのか?」
「疑うと言うか、あまり信用出来ない人だな、と感じていたんです。」

とロホ。

「兎に角、彼女と密猟者を結ぶ確固たる証拠が出ないと、殺人事件と彼女は結びつけられないな。」
「真相を知る人間は”砂の民”が粛清しちまったし、あの女は絶対に口を割らないだろう。生きてアメリカに帰りたいだろうから。 詐欺容疑なら、刑期も知れている。」

 するとロホが暗い表情になった。

「きっとサバンの父親はそれを許さないだろう。”砂の民”も見逃したくないだろうな。」
「彼女の出所後に粛清するってか?」
「そんな悠長なことはしませんよ、きっと。」

 ロホはセルバの裏の社会の知識を持っている。彼はそうする必要もないのに、声を低くして囁いた。

「ロバートソンが刑務所に入ったら、囚人を動かしますよ。囚人同士の喧嘩で殺人が起きるのは珍しくありませんから。殺されなくても、彼女はきっと酷い目に遭わされます。」

 テオはゾッとした。するとギャラガも心配そうに言った。

「オラシオを実際に殺害したエンリケ・テナンも生きて出所は無理ですね? 動物と間違えて人を撃ったなら、殺人でも刑期はそう長くありません。他の囚人と接する機会も多い筈です。」

 囚人までは守れない。テオは気分が沈んだ。

2024/04/04

第10部  罪人        9

  セルバ野生生物保護協会のネコ科部門総責任者フローレンス・エルザ・ロバートソン動物学博士は、政府やスポンサー企業から出された援助金を、下部保護団体に出資したと帳簿に記載していた。しかし実際はその下部組織ミァウオンカと言う団体は、プンタ・マナのビル内に事務所を置いているだけで、何の活動もしていないことが判明した。活動していないどころか、部屋の管理をしている老人が一人いるだけで、団体員は一人もいない幽霊組織であることが、憲兵隊の捜査で判明した。
 ロバートソンは自分が設立したミァウオンカに援助していると偽り、資金を架空口座に振り込ませた後、自身の口座へ送金する手口で私腹を肥やしていたのだ。
 セルバ野生生物保護協会は今回の不祥事に衝撃を受け、当面の間活動休止を発表し、協会員全員の口座を調べる方針である。
 ロバートソンは横領の罪で取り調べを受けているが、容疑は固まっており、間も無く起訴される見込みである。彼女はアメリカ合衆国の市民権を持っているが、アメリカ大使館は憲兵隊から出された証拠書類を吟味し、彼女の罪状が揺るがないものと判断すれば、セルバ政府に彼女の身柄を拘束する権利があることを認めざるを得ないであろう。
 なお、ロバートソンには、先月発生したセルバ野生生物保護協会の協会員オラシオ・サバン氏とイスマエル・コロン氏が密猟者によって殺害された事件にも何らかの関与が疑われている。
       シエンシア・ディアリア誌 社会部編集長 ベアトリス・レンドイロ

 外国人による税金の詐取は、セルバ社会でちょっとした大事件だった。マスコミはまだ殺人事件とロバートソン博士の関係を確実なものとしていないが、憲兵隊は既にロバートソンがサバンとコロンに不正を知られそうになって密猟者の手で消させたと考えている。それが市井でも噂になって、暇な人間達の世間話の中心になっていた。

「これだけ噂になると、”砂の民”も手を出せませんね。」

とマハルダ・デネロスがテオに囁きかけた。 2人は大学のキャンパスでシエスタのお茶をしていた。デネロスにとっては久しぶりのスクーリングだ。ジャングルでの監視業務やオフィスでの書類仕事から解放されて勉学に励む1日は貴重だった。彼女は提出した言語学のレポートを教授と共に2時間かけて検証し、やっと合格をもらって、一息ついていた。

「先に逮捕された密猟者のエンリケ・テナンはロバートソンの顔も名前も知らないと思うが、コーエン少尉はどうやって2人の関係性を解明するのかな。」

 テオが呟くと、デネロスは首を傾げた。

「それは私達の知ったこっちゃないです。憲兵隊の捜査力の見せ所でしょう。コーエン少尉は世間を納得させなきゃいけませんから、超能力は使えません。」
「そうだな・・・俺達が関与する余地はないもんな・・・」

 テオはちょっと寂しく感じた。もう少し役に立ってみたかったのだが・・・。


第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...