2021/06/28

はざま 12

  グランド・ナショナル・ホテルのスィートルームで、アリアナ・オズボーンは寝る支度をしていた。バスローブから寝間着に着替え、眠前の化粧水を顔にかけたところで喉の渇きを覚えた。居間スペースに出ると、ソファに横になっていたマハルダ・デネロス少尉が顔を上げた。護衛の役に就いているので、彼女は昼間の服装のままだ。明日の朝、着替えを買ってあげようとアリアナは思った。
 明るくて素直な女の子だ。アリアナはシュライプマイヤー達がいることを理由に、辞退する彼女を半ば強引に夕食に同席させた。そして彼女の仕事について訊いてみた。デネロスは大統領警護隊文化保護担当部の士官として配属されてからまだ7ヶ月しか経っていないと言った。初めての野外任務は、少佐以下3名の先輩士官と共に隣国の遺跡保護活動の視察だった。とても楽しかった、とデネロスは言った。休憩時間に皆んなで隠れん坊したり、記念の写真撮影をしたり、マーケットで買い物をしたり、と普通の学生の遠足みたいな体験をしたそうだ。
 アリアナは聞いていて羨ましく感じた。彼女は一緒に育った研究所の2人の仲間、シオドアとエルネストとそんな風に遠くへ出かけて遊んだ経験がなかった。遠出の時は大人達が一緒で、護衛がしっかり見張っていた。それにシオドアもエルネストも意地悪だった。彼女の物を隠したり、壊したり、取り上げた。成長すればどっちが彼女と寝るかで揉めた。彼女の意思は無視だった。外の家庭に引き取られた遺伝子組み替え子達とも友達になれなかった。全員が、ワイズマン所長のお気に入りになろうと蹴落とし合うライバルだった。
 デネロスがナプキンで簡単な人形を作って指で動かして見せた時、彼女はふと思った。こんな娘が妹だったらなぁ・・・と。

「寝てて良いのよ。ちょっと喉が渇いただけ。」

 アリアナが囁くと、デネロスは頭を枕に戻した。その時、デネロスの携帯電話にメッセージの着信があった。少尉は素早く画面を見た。緑色の猫のアイコン・・・ケツァル少佐だ。

ーードクトラが持っているドクトルのファイルとUSBを破棄せよ。

 デネロスは枕に頭を置いたまま、冷蔵庫からミネラルウォーターの瓶を取り出すアリアナの背中を見た。上官に了解と返事を送り、直ぐに既読になったことを確認して受信メッセージを削除した。
 アリアナが水を飲んで寝室に戻る迄目を閉じていた。ドアが閉まると、デネロスはソファから下りて忍足で寝室の前へ行った。ドアの向こうの気配を伺い、アリアナが寝たと確信すると、居間に置かれたアリアナの私物を順番にチェックした。ファイルとUSBは昼間アリアナが文化保護担当部を訪問した時、ケツァル少佐が手渡したものだ、とわかっていた。ホテルの部屋に入ってから、アリアナはずっとファイルに目を通していた。夕食の為に最上階のレストランへ行く際に、彼女は居間にある金庫にそれらの書類を入れた。部屋に戻ってからは、デネロス相手にお喋りをするのに忙しくて、金庫を開けていない。
 デネロスは金庫の扉を見た時、どうやって解錠しようかと悩んだ。A4ファイルが入る大きさで、難しい物ではないが、開けるには部屋の電子キーカードが必要だ。部屋のカードは何処? と室内を探し回ったのだ。
 居間になければ寝室だ。アリアナのハンドバッグの中が一番怪しい。そっとドアノブを回して寝室のドアを開いた。アリアナは寝息を立てて眠っていた。ハンドバッグは窓際の机の上だ。デネロスはしなやかに室内に入り込み、机のそばへ行った。バッグの中を漁るのは泥棒になった気分だった。バッグ内のポケットからカードを引っ張り出した時は、ちょっと汗をかいていた。
 少佐だったらドクトラの目を見つめて、「金庫を開けて下さい」と命令して終わりなのになぁ・・・
 まだ修行中の身の彼女は静かに寝室を出て、ドアを閉め、金庫に向かった。タッチパネルにカードを当てると、扉がカチッと音を立てて開いた。デネロスは書類を出した。USBもあった。トイレで流すには枚数が多過ぎる。スィートルームには簡易キッチンがあった。客がたまに出張シェフを呼んで、料理の最終行程をさせる場所だ。デネロスはそんな贅沢に縁がない育ちだったが、キッチンのコンロを見て、シンクの下を覗いた。ミルクパンとスキレットがあった。
 パチっと言う音でアリアナが目覚めた時、微かに焦げ臭い匂いがすると感じた。彼女は体を起こした。暫くぼんやりベッドの上に座っていた。生まれてからこの日迄万全を期したセキュリティ体制の元で育って来たので、非常事態を判別する人間の能力が少々劣っていた。
 焦げ臭い。
 突然、嫌な予感に襲われ、彼女はベッドを飛び出した。寝室から居間に通じるドアを開けた。居間に何かが焦げる匂いが漂っていた。彼女は寝室に引き返し、ハンドバッグから携帯電話を出した。ワンタッチでシュライプマイヤーに掛けた。

「ケビン、来て、火事よ!」

 彼女の視野に、キッチンで動くものが入った。電話を持ったままアリアナはキッチンへ向かった。カウンターの向こうにデネロスが立っていた。アリアナを見て、苦笑した。

「起こしてしまいました?」

 アリアナはコンロに載っている不思議な物を見た。スキレットの上に逆さまになったミルクパンが載っかっている。2つの鍋の隙間から煙が漏れていた。

「何をしているの?」

 その時、ドアチャイムが鳴った。シュライプマイヤーだ。アリアナはドアへ行った。ドアを開けると消化器を持ったもう1人のボディガード(クルーニーとか言ったっけ?)と拳銃を持ったシュライプマイヤーが入って来た。

「火事は?」
「キッチンで・・・」

 アリアナはキッチンを振り返り、そこに誰もいないことに気がついた。デネロスは何処へ行った? クルーニーが照明を点けた。スィートルームの空気が微かに澱んでいた。シュライプマイヤーはキッチンに行き、コンロの上のスキレットに被さっていたミルクパンを退けた。黒くなった灰の塊があった。彼が片手でそばにあったスプーンで突っつくと、灰の塊は脆くも崩れ去った。その中に溶けかけたプラスティックの破片があった。
 クルーニーが室内を見回し、アリアナに尋ねた。

「セルバ人の女は何処です?」

 シュライプマイヤーは居間を振り返った。彼等が入室した時点で、室内にアリアナの姿しかなかった。あのセルバ人は寝室に隠れたのか? アリアナがキョロキョロと室内を見回し、不意に重大な発見をした。

「金庫が開いているわ!」

 3人のアメリカ人の注意が開け放たれた金庫に向けられた時、玄関ドアの前にいきなりデネロスが出現した。シュライプマイヤーがドアの開く気配で振り返ると、彼女は既に部屋から出て行くところだった。

「待て!」

 彼は駆け出した。デネロスが全力疾走でエレベーターホールに走り、ボタンを手当たり次第叩いた。シュライプマイヤーが追い着いた時、エレベーターの一基がドアを開いた。彼は女を捕まえようとした。デネロスがするりと身を交わし、彼をエレベーターの中に押し込み、走り去った。シュライプマイヤーは閉じかけたドアから無理やり体を出して、再び彼女を追いかけた。デネロスは廊下の突き当たりのトイレに駆け込んだ。
 女性用トイレだ。シュライプマイヤーは躊躇せずに中へ入った。個室は全部開いていた。何処にもデネロスの姿はなかった。
 ここは18階だ。
 シュライプマイヤーはトイレから出て、アリアナの部屋に戻った。相棒が無言で守備を問うてきた。シュライプマイヤーは首を振った。そしてアリアナに何を盗られたのか尋ねた。

「書類よ。それにUSB。 今朝、ケツァル少佐がくれたの。」
「それなら・・・」

とクルーニーがキッチンを指差した。

2021/06/27

はざま 11

「誤解がない様に申し上げておきますが、私達は能力で人を殺害したりしません。」

と少佐がシオドアに無用な警戒心を持たれまいと言い訳した。

「人間の体に直接力を加えて怪我をさせたり死なせたりするのは大罪です。リオッタ教授は上の階から落ちて来た植木鉢に当たって階段から落ちたのです。それが目撃者の証言です。」
「植木鉢を落とした人間がいるのだろう?」
「それは証言の中にありません。」
「過去に飛んで現場を見ることは出来ないのか?」
「見てどうするのです?」

 そうだ、どうなるのだ? 犯人は捕まらない。犯人が直接植木鉢を落としたとしても、証拠も目撃者もいない。もし念力の様な力で植木鉢を落としたのなら尚更だ。

「君はその暗殺者から俺を守る為に、過去の村へ俺を飛ばしたのか? 研究所から隠す目的の他に?」
「スィ。彼等は貴方がリオッタ教授と親しかったことで貴方を警戒していました。」
「その暗殺者は大勢いるのかな?」
「多くはありません。一族に害を為す者を排除することに特化された集団で、”砂の民”と呼ばれます。普段は一般の人に紛れて暮らしています。出身部族は様々です。」

 シオドアはひどく疲れを感じた。朝から太陽を背負って歩き続け、夜は”ヴェルデ・シエロ”の説明を受けた。3日程眠りたい気分だった。

「そいつらに気に入られなければ、俺はセルバ共和国で暮らせないんだな?」
「貴方が過去を全て捨てる覚悟がおありなら、彼等も考えるでしょう。」
「俺の過去を全て? 記憶だけでなく?」
「遺伝子の研究・・・」
「それは捨てた。」
「でも北米から女性の博士が貴方を探しに来ています。」
 
 またダブスンだ、と思った。しかし、少佐は別の人を示唆した。

「若くて綺麗な方ですよ。スペイン語はお得意ではない様ですが。」
「まさか・・・アリアナ?」
「スィ、今日の午後文化保護担当部に来られました。」
「1人で?」
「スィ、お一人で。」
「俺を探しに?」
「そう仰っていました。大使館に貴方の捜索願いを出されたそうです。」

 チェッ、余計なことを、とシオドアは舌打ちした。捜索などされたら、また目立ってしまう。

「他には何か言ってなかったか、彼女?」
「ノ。でも直ぐに帰国されるでしょう。貴国の大使館は我が国の警察も軍隊も動かせません。」
「だが、世界的に有名な情報局はある。」

 ステファン中尉が鼻先でフンと笑った。CIAがなんぼのもんだ、と言う笑いだ。
 少佐が何かを思い出した様に言った。

「大学の貴方の研究室からファイルとUSBを少し持ち出しておいたのですが、それを彼女に預けました。”砂の民”が破壊する前に貴方に返そうと思ったのです。いけなかったでしょうか?」
「どんなファイル・・・って遺伝子の分析ファイルだな・・・」

 本国から重要なファイルは持って来なかった。だがこっちで考えた理論や計算式が書き留めてある。研究所の連中に見られたくなかった。

「少佐、一つ頼まれてくれないか? これ以上の我儘は2度と言わないから。」

 彼は決心したことを言葉に出した。

「アリアナに渡したファイルとUSBを破棄してくれ。跡形もなく消してくれ。あれには”ヴェルデ・シエロ”の1人だと思われるサンプル”7438・F・24・セルバ”に関する俺の推論と遺伝子分析図が入っている。あれを研究所の連中に見られたくない。」


はざま 10

 「貴方をこの国に住まわせて良いものかどうか、判断するのは私達ではありません。」

と少佐が申し訳なさそうに言った。

「部族の長老達が決めることです。」
「年寄りが決めるのか・・・」

 何となく理解した。研究所でも研究の方針を決めていたのは、ワイズマン所長やライアン博士、ホープ将軍などの上層部、ずっと年長の人々だった。シオドアやエルネスト、アリアナ達は彼等が許可しなければ好きなことが出来なかった。興味を抱くものを見つけたら、それが他の研究にどんなメリットがあるのか、実験や方程式で証明して見せなければならなかった。
 ステファン中尉が躊躇しながら口を挟んだ。

「貴方は目立っていましたから、許可をもらえるのは難しいかと・・・」
「俺が目立った?」
「スィ。”曙のピラミッド”に近づきました。」

 何だか遠い昔の話の様に思えた。まだ一月も経っていないじゃないか。

「ピラミッドに近づくことがタブーだと言うことは聞いた。だけど、そんなに大事かい?」
「タブーを犯したこと自体は、もう時効です。貴方はタブーをご存知なかっただけですから。しかし、ある御方が貴方に興味を抱いてしまわれたのです。」
「ある御方?」

 少佐と中尉が目を合わせた。今度は、誰が言うか押し付け合っている様に思えた。やがて少佐が溜息をついて打ち明けた。

「ピラミッドに住まうママコナです。」

 伝説の巫女だ。シオドアは巫女が実在するのかと驚いた。

「ママコナが何故俺に興味を抱くんだ?」
「貴方が彼女の結界を破ってピラミッドに近づけたからです。貴方は何者かと彼女が私達に問いかけて来ました。」

 ステファン中尉が苦笑した。

「私は白人の血が入っているので、ママコナの声は聞こえても言葉を聞き取れません。頭の奥で何か蜂がブンブン唸っている感じで、煩いだけなのですが、少佐やロホやアスルの様な純血種の人々は言葉が理解出来るだけに却ってウザイらしいです。」
「それはテレパシー?」
「多分、そうでしょう。ママコナだけが使えるのです。」

 一瞬少佐と中尉が目で会話した。何か相談したのか、とシオドアは思った。まだ彼等は隠していることがいっぱいあるのだ。何処までシオドアに打ち明けるべきか話し合っているのだろう。少佐が2本目のビールを半分まで空けて、ママコナに言及した。

「現在のママコナはまだ子供です。だから好奇心が強く、何でも知りたがります。彼女の教育は長老達の役目ですが、街中で起きること、貴方がピラミッドの結界を破ったような不測の事態に彼女が興味を持っても長老達は応えられません。彼女は在野の一族に質問の答えを得られる迄何度も問いかけて来ます。」
「それは迷惑な巫女様だな。」
「今回は、私が貴方は偶然入り込んだ観光客に過ぎないと誤魔化しました。ママコナはそれで満足して問いかけを止めましたが、長老の中に貴方を警戒する動きが見られました。」

 シオドアはハッとした。それで少佐は俺をオクタカス遺跡へ行かせたのか。俺が4日間グラダ・シティを離れていれば、ママコナは俺を完全に忘れ去り、長老も忘れるだろうと踏んだのか。ステファン中尉は本当に俺を護衛していたのだ。

「もう俺は巫女様から忘れられたのだろう?」
「それが、もっと厄介なことが起きてしまいました。」

 少佐がステファン中尉を見た。中尉がシオドアに説明した。

「オクタカス遺跡で、消えた村の話が出ましたね。覚えておられますね?」
「スィ。ボラーチョ村だったね。」
「グラダ大学のイタリア人が興味を抱きました。」
「リオッタ教授だ。うん、何だか知らないけど、ご執心だった。」
「あの人は村の情報を集めようと熱心過ぎました。」

 シオドアはリオッタ教授を国立民族博物館の前で見かけたことを思い出した。あの時は考古学の先生だから博物館を訪問するのは当たり前だと思った。

「消えた村は実在しました。」

と中尉が言った。

「我々が生まれる前の出来事なので、私は詳細を知りません。私が生まれた街に、その村から出稼ぎに来ていた人々がいました。彼等は故郷が消えてしまったことを知っていました。悲しんでいましたが、村の話を家族以外に話すことはタブーになっていました。」
「待てよ・・・」

 シオドアは中尉を見つめた。

「それを知っているってことは、君の家族も消えた村の出稼ぎ組だった訳だ?」
「スィ。母方の祖父でした。」
「まさか・・・その消えた村は”ヴェルデ・シエロ”の村?」
「スィ。村に何が起きたのか、祖父は知りませんでした。年末の休暇に同郷の人数人で帰省したら、村がなかったと言っていました。」
「集団移住したのかな?」

 シオドアは少佐を振り返った。少佐は肩をすくめた。彼女にも知らないことはあるのだ、と言いた気だった。兎に角、と中尉が話を元に戻した。

「リオッタ教授は消えた村を調査しようと躍起になりました。遺跡の言い伝えなどを知りたいと、村の住人の行方を探していたのです。当然、彼の活動の様子は我々の長老達の耳に入りました。」

 突然、シオドアは嫌な予感がした。”ヴェルデ・シエロ”の村を表立って調査なんかされたら、それまで静かに能力を封印して生きてきた多くの”ヴェルデ・シエロ”が迷惑する。危険に曝される。

「まさか、リオッタ教授は・・・」

 少佐が目を伏せた。

「残念ながら、貴方が私の家に来られた夜に、お亡くなりになりました。」
「・・・」
「彼は文化保護担当部に、村の消失事件を問い合わせて来ました。それで私は初めて、彼が遺跡から戻ってから何をしていたのか知りました。その直後に、長老の1人から連絡が入りました。蠅を1匹叩く、と。」
「蠅だと?!」

 シオドアは思わず立ち上がった。

「リオッタ教授を蠅だと言ったのか?」
「ドクトル、落ち着いて下さい。」

 ステファン中尉が声をかけた。

「純血至上主義者は冷酷な言葉で人々を呼びます。私の様なメスティーソを”出来損ない”と呼ぶのです。彼等にとって人間は純血の”ヴェルデ・シエロ”だけなのです。」
「古代の神様の中にもファシストがいるんだな。」

 シオドアは精一杯皮肉を言った。
 少佐が顔を上げた。

「私は数日の猶予を願いました。仕事柄、教授が悪い人ではないと知っていましたから、助けたかったのです。しかし、長老は、私が目を瞑らなければ、私の”出来損ない”の部下を殺すと脅して来ました。」

 え?とシオドアはステファン中尉を見た。中尉が言った。

「私は自分で身を守れます。しかし、デネロス少尉はまだ現場に出たことがなく、実戦経験がありません。少佐は彼女を守る為に、リオッタ教授に警告のメールを送られました。即刻国外退去せよと。」
「リオッタは従わなかった・・・」
「理由がわからないのですから、無理もありません。ただの嫌がらせと受け取ったのでしょう。」
「俺が少佐のアパートでご馳走を食って、アスルに眠らされている間に教授は・・・」
「アパートの階段から落ちたそうです。」

 落とされたのだ。シオドアは目を閉じた。


 

はざま 9

 「ほらね」

とケツァル少佐がステファン中尉に話しかけた。

「この人は、常識では考えられないことが目の前で起こっても、ちっとも驚かないでしょう?」

 中尉が頷いた。

「ちょっと異常です。」
「俺が異常なら、君達は何なんだい?」

 シオドアは不機嫌になって、大きな口を開けてタコスにかぶりついた。チリコンカンは完食していた。少佐と中尉はタコスを食べ終えようとしていた。軍人達は食べるのが早かった。訓練されているのだろう。中尉がビールを一口飲んでから反論した。

「私達は常識で考えられないものを見たら、驚きます。」
「君達の常識の範囲がわからないね。」
「生まれた時から見聞きしてきたものです。」

 シオドアはタコスを皿に置いた。

「何を見聞きして来たんだ? 悪霊の煙か? 不快な臭い? 一晩で消えた村? ケネディがまだ生きている時代か?」

 少佐が溜息をついた。

「ドクトル、私達の一族は、あなた方白人がこの土地に来る前から、ここにいました。」
「知ってる。」
「あなた方が理解出来ない、理解しようとしない宗教を持っていましたし、今もカトリックの信仰の陰でそれは活きています。」
「それも知っている。」
「あなた方はキリスト教や科学の知識でものを考えます。でも私達はそうではありません。古代の宗教でものを考えます。」
「古代の宗教を信じているから悪霊や呪いが見えたり聞こえたりするって言いたいのか? そんな筈はない。俺は見えるし、嗅げるし、聞けるんだ。」

 シオドアは彼女の目を見つめて訴えた。

「俺は君達の遺伝子とよく似た構造の遺伝子を持っているんだ。北米の研究所へ戻っても、誰も同じ人間はいない。独りぼっちだ。だから、この国で暮らしたい。しかし、この国の人は外国人に対して壁を作っている。俺を仲間に入れてくれない。
今朝まで俺がいた村・・・俺がケネディが半世紀前に死んだと言ったら、未来の話をする人間は置いておけないと言われた。半世紀前の事件が、未来の出来事なんだぜ。俺は現代のセルバにもアメリカにも、過去のセルバにも居場所がないのか? 君達の仲間って、どんな人々なんだ? 俺とどう違うんだ? 教えてくれよ。」

 少佐がステファン中尉の目を見た、中尉も彼女の目を見返した。これだ! とシオドアは思った。

「君達、お互いの目を見るだけで意思疎通が出来るんだろう? 今、君達は話し合ったんだろう? 俺に何処まで真実を話そうかって・・・」
「違います。」

 少佐が苦笑した。

「貴方がどうやって半世紀前の村から戻って来られたのだろうと、話していたのです。」

 シオドアは彼女を見て、中尉を見た。

「やっと認めた・・・」
「貴方もしぶとい人ですね。」
「先に村を脱出した手段を教えて下さい。後学の為に。」

 それでシオドアは太陽を背中に背負う形を保ってひたすら歩けと教えられたことを語った。ニートの名前は伏せた。村人の話し合いで決まったことだから、伏せる必要はなかっただろうが、万が一のことを考えた。ニートはJ・F・ケネディが暗殺されることを知ってしまったのだから。少佐も中尉も尋ねなかった。互いに余計な情報を得ないこと、それが暗黙の了解なのだろう。
 シオドアが語り終わると、少佐は温くなったビールを飲み干した。ステファン中尉はタバコを出したが、少佐の視線に気がついてポケットに仕舞った。彼の家なのだから遠慮せずに吸えば良いのに、とシオドアは思った。

「簡単そうで難しい方法ですね。」

と少佐が感想を述べた。中尉が相槌を打った。次は君達の番だ、とシオドアは彼等を見た。少佐が外国へ行くみたいに言った。

「異なる時間へ行き来するのは難しいのです。出来るようになるまで、かなりの修行が必要です。過去へ行くのは簡単ですがルールを守らないと命を縮めます。未来へ行くのはエネルギーの消耗が激しいのです。だから過去へ行った人が元の時間に戻るのは命懸けです。そして元の時間から未来へ行くことは固く禁じられています。破ると死が待っています。」
「村人は、俺をあの村へ連れて行ったのは、アスルだと言った。」
「アスルはオクターリャ族の戦士の家の生まれですから、時間を跳ぶのは私達より上手です。それに、私達は普通心だけを飛ばします。体は元の時間に置いたままです。オクターリャ族は体も飛ばせます。ですから、気絶した貴方を連れて行ったのです。違う時間帯なら、貴方が言う研究所も貴方を見つけられないでしょう?」

 確かにそうだ。誰がタイムトラベルなど信じるか。

「目を見合わせて話すのは? テレパシーなんだろ?」
「あなた方の言葉ではそう表現するのでしょう。私達は”心話”と呼びます。これは生まれつき出来るので、私達には当たり前のことです。大昔に敵に聞かれないように会話する方法として発達させたのだと考えられています。”心話”は互いの目が見える範囲で行われます。遠くに離れると使えません。ですから、あなた方が言うテレパシーとは違います。」
「それでも十分凄いさ。」

 シオドアはステファン中尉が何か言いたそうな顔をしたことに気がついたが、少佐は構わずに話し続けた。

「私達にとって目は大切な伝達手段であり、武器でもあります。貴方を気絶させたのも、貴方がアスルの目を見たからです。相手を傷つけずに動けなくする手段として、目を合わせて眠らせます。でも、貴方にはなかなかそれが効かなかったので、部下達が困っていました。」
「つまり、俺が悪霊を見たりするのを防ぎたかったけど、上手く行かなかった?」
「そうです。」

 少佐はキッチンを振り返った。彼女が言いたいことが、目を見なくても伝わったのだろう、ステファン中尉が席を立って、新しいビールを取ってきた。テーブルの角で栓を開けて、少佐はビールを飲んだ。

「私達は一般の人々に彼等と違うところを見られたくありません。ですから、出来るだけ力を使わない様にしていますし、使った後は痕跡を消します。下手を打つと一族が危険に曝されますから、痕跡の始末が悪いと制裁を受けます。」

 それじゃ・・・とシオドアは考えた。

「俺が君達の力を見てしまって、言葉にしてしまうと、君達に迷惑がかかる?」
「スィ。」
「だけど、大統領警護隊を恐れている人々って結構多くない? 彼等は君達の力を知っているんだろ?」
「一般人は、大統領警護隊が”ヴェルデ・シエロ”と話が出来ると信じています。古代の神々です。だから、大統領警護隊に逆らわない。」

 シオドアは、可笑しくなった。少佐とステファン中尉を交互に見て、ズバリ言ってみた。

「大統領警護隊は”ヴェルデ・シエロ”と話が出来るんじゃない、”ヴェルデ・シエロ”そのものなんじゃないのかい? セルバ人は常識としてそれを知っているんだ。国全体を挙げてデカイ秘密を抱えているんだよ。」

 少佐、とステファン中尉が上官を呼んだ。

「この男を食ってしまいましょうか?」
「出来っこないことを言うのではありません。」

 シオドアは優しい神々を眺めた。そして右手を掲げた。

「君達の秘密を言葉に出して言わないと誓う。遺伝子の研究も止めた。だから、この国に留まらせて欲しい。駄目かな?」



 

はざま 8

  大学の門前に来て、シオドアは立ち止まった。今は西暦何年何月何日なのか、確認した方が良いんじゃないか? それに・・・手を己の顔に当てて見た。髭面で泥だらけで、血も付いている。服は汚れてボロボロだ。グラダ・シティのスラム街でもこんなボロボロの人はいない。ホームレスだってもっとましな格好をしている。空腹で喉も乾いていた。アパートに帰るべきか? しかしシュライプマイヤー達がいるだろう。またアメリカに連れ戻されたら、2度とセルバ共和国に戻って来られない。
 通りをトボトボと歩いていた。すれ違う人々が胡散臭そうに彼を振り返って見ている。警察に通報されるかも知れない。夕暮れ時だった。飲食店から美味そうな匂いが漂ってくる。アメリカに戻される前に空腹で野垂れ死ぬかも知れないな、と思った時、一台のビートルが横を通った。ビートルは数10メートル先で停止した。シオドアがゆっくり近づいて来るのを待つが如く、停止灯を点滅させていた。シオドアは博物館に展示されていそうな古い車をぼんやり眺めながら近くまで歩いて行った。
 運転席側のドアが開き、男が1人降りて来た。腕組みをして立つと、シオドアを眺めていた。街頭の薄灯で、シオドアはやっと彼が知り合いだと気がついた。

「ヤァ、ステファン中尉、久しぶり・・・」

 軍服を着ていない中尉を見るのは初めてだったが、ゲバラ髭を生やした虎の様な顔はステファンに間違いなかった。

「そんな格好で、何処から来たんです?」

とステファン中尉が尋ねたので、シオドアは思わず噛み付いた。

「何処から? 知っているくせに! 俺は今朝まで・・・」

 空腹だったので力が入らなかった。怒鳴った為にエネルギーを使い果たしたようだ。彼はよろめいて、中尉に抱き止められた。

「俺は1960年代のジャングルにいたんだ。」
「ああ、そうですか。」

 ステファン中尉は、そんなのどうでも良い、と言う口調で聞き流し、シオドアを車の反対側まで誘導して、助手席に押し込んだ。周囲を素早く見回し、運転席に乗り込むと発車させた。シオドアは車内に残るタバコの匂いを嗅いだ。ジャングルで嗅いだ匂いだ。なんて言う銘柄だろう。
 ビートルは首都の交通量の多い道路を走り、やがて大きなロータリーで方向を90度変えて、静かな区画へ入った。角をいくつか曲がると次第に建物の様子が変化して、近代的大都市から植民地時代の影響が残る旧市街地の住宅地へと入った。
 石造の建物の前でステファン中尉はビートルを駐めた。着きました、と言われてシオドアは車から降りた。中尉に導かれるまま階段を登った。手摺りが付いているのが嬉しかった。古い商社か何かの建物をアパートに転用した感じで、階段は中央にあり、各階毎に部屋が左右に2つずつあった。ステファン中尉の部屋は3階だった。ドアを開けると、階段にいた猫達がシオドアより先に部屋に入って行った。最後にシオドアが入ると、中尉は廊下が無人であることを確認してドアを閉め施錠した。
 シオドアはひどくくたびれていたが、中尉がシャワーを浴びて下さいと言った。キッチンの横にバスルームがあり、こんな古いアパートにしては珍しくお湯のシャワーだった。シオドアはバスルームで体に食らい付いていた虫を引き剥がし、血を洗い流した。泥も取って、石鹸で体をこすり、髪も洗った。生き返った気分で、いつの間にか中尉が用意してくれていたシャツと短パンに着替えた。体格が似ていたので、新しい服を手に入れる迄は何とかなりそうだ。
 床の上で猫達が餌をもらって食べていた。ステファン中尉はキッチンで缶詰のチリコンカンを温め、パンを切って夕食の支度をしていた。家政婦の賄い付きのケツァル少佐のアパートとは大きな差だ。
 壁にセルバ共和国の地図が3枚貼ってあった。1枚にはピンがいっぱい刺してあり、どうやら遺跡の場所らしい。もう1枚は別の色のピンで、何の場所なのかわからないが、主に山岳地帯に刺してある。最後の1枚も違う色のピンでジャングルや山岳地帯に刺してあるが、シオドアはその位置に覚えがあった。エル・ティティ警察にも似たような箇所に印を付けた地図があったのだ。これは反政府ゲリラの出没地点だ。
 隣の部屋にベッドがあり、その横の壁は写真がいっぱいだった。シオドアはプライベイトな空間を覗くのは失礼だと思いつつ、その写真に目を遣った。若い男女が写っている写真ばかりだ。私服姿も軍服姿もあるが、写っていたのはシオドアも知っている人々だった。ロホにアスルにケツァル少佐、ステファン中尉に、初めて見る若い女の子。整列してたり、何処かの遺跡で壁の上に座っていたり、ふざけているのかスーパーマンの様なポーズを取っていたり・・・学生の記念写真みたいだ。
 食事の用意が出来たと告げられて、シオドアはテーブルに着いた。形ばかりのお祈りを捧げ、やっと食べ物にありつけた。シオドアは夢中でガツガツ食べた。まるで2日間何も食べなかった様にお腹が空いていた。ステファン中尉が愉快そうに眺めていた。

「まるで何日も食べていなかったみたいですね。」
「今朝食べたっきりだったからね。君も早く食べなよ。」
「私は少佐を待っています。」

 シオドアは手を止めた。ケツァル少佐がここへ来るのか? 嬉しいような怖いような気がした。彼女がアスルに命じてあのジャングルに彼を閉じ込めたのだ。ここにいて良いのだろうか。

「ステファン中尉、今日は何月何日だ?」

 中尉の返事を聞いて、シオドアは混乱しそうになった。彼はジャングルの村に13日いて、14日目の朝に太陽を背に脱出したのだ。しかし、ステファン中尉が言った日付は、彼がケツァル少佐のアパートで食事をした日から4日目だった。
 その時、ドアをノックする音が聞こえた。中尉がシオドアに手でそのままと合図して静かにドアへ歩み寄った。

「何方?」

 女性の声が応えた。

「ジョ。(私)」

 中尉は解錠し、ドアを半分だけ開いた。ケツァル少佐が滑り込んで来た。中尉はドアを閉め、再び施錠した。
 シオドアはお茶代わりに出してもらっていたビールで口の中の物を流し込み、ヤァと言った。少佐は頷き、持って来た2つの包みをステファン中尉に渡した。中尉は大きい方を隣の部屋へ持って行き、ベッドの上に投げ置いた。小さい方はテーブルの上で、良い匂いがしたので、シオドアは勝手に開いた。タコスが入っていた。

「食べて良いですよ。」

と少佐が言った。彼女は空いている席に腰を落ち着けた。

「でも、私はカルロの為に買って来たんです。それを忘れないで。」

 しかしタコスはしっかり3人分だった。ステファン中尉が席に着くと軍人達は食事を始めた。シオドアは少佐に話しかけた。

「俺はジャングルの奥の村で14日いたんだが、中尉に今日の日付を訊いたら、俺が君の家でご馳走になってから4日しか経っていないそうだよ。」
「そうですか。」
「俺を隠してくれたことは有り難いと思っている。だけど、過去に飛ばすのは、ちょっとやり過ぎじゃないか?」
「他に隠す場所を思いつかなかっただけです。」

 ケツァル少佐は手を伸ばしてステファン中尉の口元に付いたサルサソースを指で取り、ペロリと舐めた。シオドアは上官が部下に対して取るには親密すぎるその行為にびっくりした。ステファン中尉も心なしか薄暗い照明の下で赤くなった。
 シオドアは何だか自分が照れ臭くなったので、急いで言った。

「アスルは時間を跳躍出来るのか?」

 

はざま 7

 シオドアはジャングルの中を歩いていた。常に背中に太陽を、とアドバイスされたが、これがなかなか難しい。樹木が茂り、空が見えない深い森だ。それに虫が多かった。ヒルも樹上から落ちてくる。ニートに教えてもらった虫除けの草がいつも生えているとも限らないし、瓢箪の水筒に入れた飲水は残りが少ない。だが彼は歩き続けなければならなかった。
 シオドアが村に来て13日目に、ニートが小屋へ訪ねてきた。

「大人達と話し合った。 」

と彼は切り出した。

「貴方は、遠い未来から来た。貴方が未来のことを何も話さなければ、ここで暮らしても構わなかった。だが、貴方はケネディが死んだと言った。」

 シオドアは彼が何を言わんとしているか察しが付いた。

「俺がここにいると歴史が変わるんだな?」

 ニートが悲しそうに頷いた。

「ここは貴方の世界からは絶対に見えないし、誰も来られない。しかし貴方は時間の掟を破った。これは無知では済まされない問題だ。」
「俺が言ったことを他の人に君は伝えた?」
「ノ。俺はただ大人達に、貴方が未来の出来事を喋ったと伝えた。彼等は俺に口を閉じているよう命じた。」
「君の安全のために。」
「スィ。そして村の安全の為に。」
「そして、俺をこれ以上村に置いておけないと結論を出したんだね。」
「スィ。」

 ニートはシオドアを見つめた。

「皆んな貴方が好きだ。だから、貴方を元の世界に戻した方が良いと考えている。貴方が危険から逃れる為にここへ連れてこられたことは、知っている。でも時間の掟を破れば、恐ろしい罰を受ける。」
「わかった。元の世界に帰る。方法を教えてくれ。」

 夜明けに太陽を背中に負う形で村を出るように、と言われた。常に背中に太陽を背負って歩く。立ち止まっても良いが、振り返ってはいけない。ひたすら歩け。
 村を出る前に、シオドアは最後の質問をした。

「誰が俺をここへ連れて来たんだい?」

 ニートがニッコリ笑って教えてくれた。

「キナだ。オクターリャ族の英雄、キナ・クワコだ。」

 アスルが本当は何歳なのか、考えるのは止そう。あの男は時空を飛んで俺を過去のジャングルへ運んだのだ。1960年代のセルバ共和国だ。本当にそうなのか? ニートは芝居をしていて、村人が俺を養うことに疲れて追い払ったのではないのか?
 時計を持っていなかったので、何時間歩いたのかわからなかった。太陽を背中に、は随分と難しい課題だ。太陽は東から上って西へ沈む。だから彼は西へ向かい、北を向いて、東へ歩く筈だ。夜はどうすれば良い? 何時日が沈む? 
 ニートがくれた干し肉を食べ尽くした。水筒は空っぽだ。水を汲みたいが、水場を探せば「太陽を常に背に」を守れなくなる。暑いし、痒いし、痛い。
 あと半時間歩いたらぶっ倒れてしまう、と思った時、前方に明るい光が見えた。文明の灯りか? 彼は走り出した。最後の気力だ。背中に太陽がいるのかどうか、確認もしなかった。足がもつれて、前のめりに転倒した。
 目の前を大きなトラックのタイヤが通り過ぎた。クラクションが鳴り響き、彼は熱いアスファルトの路面に倒れていた。慌てて身を起こしたら、いきなり後ろから服を掴まれて引き摺られた。

「危ないじゃないか!」

 スペイン語で誰かが怒鳴った。振り返ると、大勢の通行人が彼を取り囲む様に見ていた。シオドアは周囲を見た。見覚えのある風景だ。向こうに見えているのは、グラダ大学の正門じゃないか!

「戻った・・・」

 彼は呟いた。

「俺は戻ったんだ・・・」


 

はざま 6

  エステベス大佐の部屋にエステベス大佐はいなかった。それどころか、がらんとした小部屋にあるのは、何も載っていない折り畳みの机とパイプ椅子が数脚だけだった。少佐が書類とUSBを机の上に置き、アリアナに尋ねた。

「ドアを閉めますか、開放しておきますか?」
「閉めます。」

 アリアナは自分でドアを閉じ、パイプ椅子を開いて座った。机の反対側に少佐が座った。そしてやっと自己紹介した。

「初めまして。シータ・ケツァル・ミゲール、大統領警護隊文化保護担当部の指揮官少佐です。公式にはミゲール少佐ですが、ケツァルで通ります。」
「アリアナ・オズボーンです。アメリカ政府管理の国立遺伝病理学研究所で遺伝子の研究をしています。」
「今日はどの様なご用件でしょう?」

 アリアナは単刀直入に用件に入った。

「今朝、シオドア・ハーストの行方不明の件でケビン・シュライプマイヤーと言う男性が貴女を訪ねて来ましたね。私の用件も同じです。ハーストの行方を探しています。彼が何処にいるのか、ご存知ありませんか?」

 すると少佐は彼女が意外に思う質問で返してきた。

「どうしてあなた方は彼を探しているのですか?」
「どうして?」

 アリアナはちょっと腹が立った。

「彼は私と同じ研究所で生まれ、育ちました。兄妹の様なものです。行方がわからない兄妹を探すのは当たり前でしょう?」
「兄妹なら、彼が今何処にいるのかわかるのではないですか?」
「はぁ?」

 アリアナは相手の言葉が理解出来なかった。この人は何を言っているのだ? するとケツァル少佐がフッと溜息を付いた。

「普通の人なんですね。」

と呟いた。

「どう言う意味ですか?」

 すると少佐はアリアナがびっくり仰天する様なことを言った。

「ハースト博士は、彼と貴女が遺伝子組み替えで生まれた人工の人間だと言いましたよ。」
「彼がそんなことを?!」

 ショックだった。シオドアは国家機密を外国の軍人に喋ってしまったのか? 考古学関係の事務仕事をしていても、この女性は軍人だ。狼狽えたアリアナは必死で言い訳を考えた。

「彼は事故に遭って頭が少し混乱しているのです。確かに私達は遺伝子組み替えを行っていますが、微生物のDNA研究で、ワクチンなどの開発をしているだけです。人間の遺伝子を組み替えるなんて、倫理に反したことをする筈がないじゃないですか!」
「そうだとよろしいのですが。」

 ケツァル少佐が薄笑いを浮かべた。

「我々インディヘナも古代からジャガイモやトウモロコシの遺伝子組み替えを行って作物の品種改良をして来ましたからね。」

 彼女は机の上に置いた書類とUSBをアリアナの方へ押し出した。

「ハースト博士はセルバ人労働者の血液サンプルから奇妙なものを見つけたと仰っていました。何かご存知ですか?」
「”7438・F・
24・セルバ”のことですか?」


 言ってから、アリアナはしまったと思った。シオドアはあの血液サンプルの提供者を探しに行って災難に遭った。2度目もあったのかも知れない。自分達の遺伝子がアメリカの国家機密ならば、あの血液サンプルはセルバ共和国の国家機密であってもおかしくない。シオドアがそれに触れてしまい、セルバ共和国政府の怒りを買ったのなら? ケツァル少佐がその始末をする人だったら?
 アリアナの恐怖を感じ取ったのか、少佐が椅子の背にもたれかかって、リラックスした態度を見せた。

「私も部下達も彼の講義は難しくて理解出来ません。しかし彼の研究にあまり良い印象を抱かない人もいます。彼が彼等を怒らせた可能性もあります。彼はもう遺伝子に興味がないと言っていました。その言葉を信じない人々が彼の研究を妨害しようとした可能性も考えられます。」
「では、彼はもう・・・?」
「何処かに隠れているか、あるいは・・・」

 それ以上は言わずに、ケツァル少佐は書類をアリアナの前に更に押し出した。

「大学の彼の研究所にあったものです。私には古代文字の解読より難しい。貴女に持っていて頂いた方が、彼も喜ぶでしょう。」

 アリアナは書類をパラパラとめくって見た。塩基配列の図や計算式がぎっしり書き込まれていた。何のことか判読するのは時間がかかりそうだ。

「ハースト博士の捜索願いは出されましたか?」
「大使館に行方不明届けを出しました。」
「私から内務省にも働きかけておきましょう。全国の警察に手配をかけてもらいます。」
「有り難う。」

 もしかして、ケツァル少佐は良い人? アリアナは少し希望を持てた気になった。

「大統領警護隊と言うのは、どの省庁の管轄ですか?」

 ちょっとした質問だ。少佐が立ち上がってドアまで行った。

「大統領直轄の軍隊です。国防省と関係はありませんが、3軍の指揮権を場合によっては任せてもらえます。希望はしません。そんなことがあれば、国家の危機ですからね。ところで、帰国される迄貴女に護衛を付けたいと思いますが、よろしいですか?」

 アリアナは戸惑った。

「ハーストの護衛をしていた男性達がいますが・・・」
「ああ・・・」

 ケツァル少佐はシュライプマイヤーを思い出したらしく、鼻先で笑った。

「あの人では貴女を守りきれません。」

 それはどう言う意味か、と訊く前に少佐がドアを開いて、「マハルダ!」と外に声を掛けた。はい!と元気良い声が応えて、部屋の前に若い女性が駆け寄った。先刻は室内にいなかった女性だ。ケツァル少佐より若く、綺麗な黒髪をポニーテールにして後ろに垂らしている。彼女もカーキ色のTシャツにジーンズだった。キラキラ輝く陽気な目をしていた。少佐が紹介した。

「マハルダ・デネロス少尉です。少尉、こちらはアリアナ・オズボーン博士です。アメリカへお帰りになる迄護衛を命じます。」
「ウン プラセール コノセールテ!」(よろしく!)

と言って、デネロス少尉が手を差し出したので、アリアナは立ち上がって彼女の手を握り返した。何だか安心出来る暖かな手だった。


 

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...