2021/08/29

第2部 節穴  10

  土曜日の夜だ。首都グラダ・シティは夜が更けても屋外を歩き回る人が多かった。広場ではコンサートも行われている。ギャラガはテレビも見なかったので、街がこんな風に賑やかな場所だと今更ながら思い出して驚いた。少し大通りから離れた脇道の角には、夜の商売女らしき人影も見えて、少し心が騒いだ。並んで歩いていたステファン大尉が囁くように尋ねた。

「なんだ?」
「何がです?」
「君の心が時々騒ぐ。」

 博物館でムリリョ博士と大尉がギャラガは気を放っていると言った。今迄そんなことを言われたことがなかった。当然自覚もなかった。気を放出しているから、大統領警護隊に採用されたのか。長年の謎が解けた気がした。司令部は彼がいつか同僚達と同じ様に力を使いこなせるようになると思っているのか? 出来れば、そうなりたい。ギャラガは心からそう思った。

「ギャラガと言うのは父親の名前か?」
「スィ。」
「母親は何族だった?」
「知りません。」

 大尉が頭をぽりぽり掻いた。

「ギャラガって、コンピューターゲームの名前なんだがなぁ・・・」
「え?」
「父親のフルネームは?」
「・・・知りません。」
「母親の名前は?」

 ギャラガは記憶の底にしまっていた女の名前を出した。

「ルピタ・カノ です。」
「マリア・グアダルペ・カノ か?」
「え?」
「ルピタはマリア・グアダルペの略だ。」

 ギャラガが黙ってしまったので、大尉は「まぁいい」と呟いた。

「カノはカイナ族に多い名前だ。だが君は自己紹介の時にブーカ族だと言った。」
「そう聞かされて育ちました。」
「私も君はブーカだと思う。カイナ族より気の力が大きい。純血のカイナ族はミックスの君より大きな気を持っていない。君の母親はブーカ族とカイナ族のミックスだったのだろう。本来なら、君の名前はアンドレ・カノ でも良かったのだ。」

 慕った記憶のない母親だ。いつも打たれるか罵られていた記憶しかなかった。食べ物を与えられて放置されていたのだ。ギャラガは言った。

「ギャラガで良いです。因みに、どんなゲームですか?」
「宇宙での戦いをイメージした固定画面型のシューティングゲームだ。」
「じゃぁ、やっぱりカノよりギャラガで良いです。」

 ステファン大尉が笑った。彼の名前はスペイン系だ。これはメスティーソでは珍しくない。それで尋ねてみた。

「大尉の姓は父方ですか母方ですか?」
「母方だ。」

 と大尉は答えた。

「グラダ族の子供は母方を名乗る。だから母方の祖母もステファンだった。だが祖母の母親は別の名前だったのだろう。祖母はスペイン人の父親の名前を名乗った様だから。」
「グラダ族の血はどちらから?」

 ちょっと興味が湧いた。もしギャラガの記憶が正しければ、現代グラダ族を名乗れる人は2人しかいない。グラダ系はいても半分以上グラダの血を持つ人は2人だけだと大統領警護隊の先輩達から聞いたことがあった。ステファン大尉はこう答えた。

「母からも父からも。」

 そして彼は広場の屋台を指差した。

「あそこで晩飯にしよう。」



2021/08/28

第2部 節穴  9

 ステファン大尉はムリリョ博士に”心話”で大統領府西館庭園の怪異を説明した。一瞬で終了した。ふむ、とムリリョはちょっと視線を天井に上げ、それからギャラガを見た。大尉がギャラガに言った。

「君が見た物を博士にお見せしろ。」

 ギャラガは一気に緊張した。彼は勇気を振り絞って告白した。

「出来ません。」

 大尉とムリリョが彼の顔を見た。ギャラガは赤面して、もう一度言った。

「”心話”を使えません。私は・・・緑の鳥の徽章を付ける資格がないのです。」

 ムリリョが大尉の目を見た。2人で”心話”を使って会話をしている。ギャラガはこの場から去りたくなった。己は”出来損ない”どころかただの”ティエラ”だ。大統領警護隊として勤務する資格のない男だ。
 ムリリョがギャラガに向き直った。

「気を放出しているのに、”心話”を使えない訳がない。」

と彼は言った。え? とギャラガは驚いてステファン大尉を振り返った。博士は今何と言った? ステファン大尉がギャラガに尋ねた。

「君のご両親は君に”心話”で話しかけなかったのか?」
「私の親ですか・・・」

 ギャラガは再び赤面した。父が何者だったのか知らない。アメリカから来た白人と言うだけだ。母親は売春婦だった。思い出すのも嫌だ。

「父は私が物心つく前に死にました。母は・・・まともに私と話をした記憶がありません。」
「どっちが白人だ?」
「父です。」

 大尉はムリリョ博士に言った。

「母親が基本を教えなかった様です。」

 ムリリョが首を振った。

「”ティエラ”でも親が話しかけない子供は言葉が遅れる。この男は幼児期身近にまともな”ヴェルデ・シエロ”がいなかったのだな。」
「何のことですか?」

 ギャラガは不安になってどちらにともなく尋ねた。ステファン大尉が答えた。

「君は能力を持っているのに使い方を知らない、と言う話だ。」
「私が能力を持っている? そんな筈は・・・」

 しかしムリリョはもうこの話題に飽きた様だ。ステファン大尉に言った。

「この男の記憶を探らせろ。もうすぐ閉館時間だ。」

 大尉が溜め息をついた。そしてギャラガに言った。

「君は否定しているが、君は全身から”ヴェルデ・シエロ”の気を放っている。それが、博士が君から記憶を引き出すことを妨げている。”心話”を使えないんじゃない、君自身が心を開いていないのだ。余計なことを考えずに、今日、私と一緒に見た物だけを思い出せ。目を開いたまま、見た物だけを思い浮かべろ。」

 ギャラガは深呼吸した。見た物だけを思い出せ? そんなの簡単だ。赤い花の手前、空中にポツンと見えた灰色の石の様な物・・・

「確かに、お前達は2人共同じ物を見た様だな。」

と不意にムリリョ博士が言って、ギャラガは我に帰った。博士が俺の心を読んだ?
 戸惑う彼を無視してステファン大尉が博士に尋ねた。

「どこの石かわかりませんか? 地質学者に訊いた方が良いでしょうか? 生憎知り合いがいないので、こちらへお邪魔させて頂いたのですが。」
「見えた物が石の一部だけと言うのが、心許ない話だ。しかし、あの材質は見覚えがある。」

 いきなり博士が歩き出したので、ステファン大尉がついて行った。ギャラガも慌てて後を追った。博士は入り口近くの壁に大きく描かれているセルバ共和国の地図の前で立ち止まった。現在確認されている国内の遺跡の位置が記されている地図だ。その一番上にある小さな青い点を博士が指差した。

「ラス・ラグナスと呼ばれる遺跡だ。まだ未調査なので青い印が付けられている。」

 大尉が見上げた。天井近くの青い点を見上げて、「知らないなぁ」と呟いた。

「発掘申請が出ていない遺跡ですね。私がオルガ・グランデにいた頃も聞いたことがありませんでした。祖父も知らなかったでしょう。」
「国境の砂漠同然の荒れた土地だからな、街の人間は知らない筈だ。陸軍基地から北へはそこの住民しか行かない。」
「住民? 村か町があるのですか?」
「サン・ホアン村と言う小さな集落がある。ラス・ラグナス遺跡はその村の先祖が造ったと思われている。」
「ラグナス(沼)なのに、砂漠なのですか?」

 ギャラガがうっかり口を挟んでしまった。ムリリョがジロリと彼を見た。

「昔は湿地だったのだ。」

 それだけ言うと、彼はステファン大尉に質問した。

「ところで黒猫、お前は空間の歪みの修復の仕方をわかっておろうな?」

 大尉が頬を赤く染めた。

「トーコ中佐にやってみろと言われました。」
「経験はないのか?」
「ありません・・・」

 ムリリョが天を仰いだ。

「今以上にケツァルに負担をかけるなよ、黒猫。」


第2部 節穴  8

  館長執務室に通されるかと思えば、中の展示室に入れてもらえただけだった。それでも空調が効いた館内は涼しかった。展示物が少ないと思ったら、博物館建て替えの案内が壁に貼り出されていた。建物の老朽化で新しく建て替えるのだ。展示物や所蔵物が仮の倉庫や展示室へ移転される途中だった。博物館の目玉展示物だけが客の為に残されているのだ。既に奥のブロックは閉鎖されており、立ち入り禁止のテープが貼られていた。
 夕刻なので客が少ない。博物館は午後7時迄開館しているが、外国人観光客は夕食の楽しみを逃すまいと昼間に目星をつけていた店へ向かって移動して行く。
 ステファン大尉は展示ケースの中の壁画の破片を眺めていた。ギャラガは先祖の遺物に興味がない。所在なげに大尉の横で立っていると、何処からともなく白いスーツ姿の老人が現れた。痩せて背が高く、髪は真っ白だ。目つきが鋭く、純血種の威厳と誇りが全身から漂っていた。ギャラガは一眼で彼が長老と呼ばれる地位の人だと察しがついた。姿勢を正すと、気配でステファン大尉が振り返った。彼も老人に気がつき、背筋を伸ばして足を揃えた。敬礼したので、ギャラガも急いで後に続いた。
 老人が呟いた。

「”出来損ない”が”出来損ない”を連れてきたか。」

 この差別用語は大統領警護隊に採用されてから嫌と言う程浴びせられてきた。純血種がミックスに対して使う侮蔑の言葉だ。それもメスティーソに対して使われる。異人種の血が入ると”ヴェルデ・シエロ”の能力を使いこなせないからだ。気の抑制が出来ない、ナワルを使えない、”幻視”や”操心”や”連結”と言った修行を必要としない能力も満足に使えない、当然高度な技を習得出来ない。純血種の”ヴェルデ・シエロ”からすれば、下手なことをされては一族の存在を一般の人々に知られてしまう恐れがあるから、ミックスの存在を嫌うのは当然なのだ。だが大統領警護隊に採用されたメスティーソ達は厳しい修行のお陰で純血種程の強さはなくても能力を使えるようになる。
 ステファン大尉は慣れている。彼もギャラガ同様入隊以来散々聞かされてきたのだ。そして、この長老が純血至上主義者で口が悪いことも承知していた。彼は挨拶した。

「お久しぶりです。お忙しいところに押しかけて申し訳ありませんが、教えて頂きたいことがあります。」

 老人がギャラガを見たので、彼は紹介した。

「大統領警護隊警備第4班のアンドレ・ギャラガ少尉です。少尉、こちらは人類学者でグラダ大学考古学部教授、セルバ国立民族博物館館長のムリリョ博士だ。」

 ギャラガは初対面の目上の人が話しかける迄黙っていると言う作法を守って、無言のままもう一度敬礼した。ムリリョ博士は見事にそれを無視して、ステファン大尉を見た。

「エステベスがお前を本隊に召喚したそうだが、母親をグラダ・シティに呼んでおいて放ったらかしか、黒猫?」

 いきなりプライベイトな話題を持ち出されてステファン大尉がちょっと怯んだ。

「仕送りは続けています。」
「半年の間、休暇なしで働いておるのか?」
「休暇はあります。家に帰っていないだけです。」
「エステベスはお前が家に帰るのを禁じておるのか?」
「ノ! 帰らないのは私が決めたルールです。修行が終わる迄の辛抱で・・・」
「その修行は何時終わるのか?」

 ステファン大尉が答えに窮した。ファルゴ・デ・ムリリョが冷たい目で彼を見つめた。

「お前が焦るのはわかる。お前の力は1年前に比べると遥かに大きくなった。今この瞬間も儂は感じる。上手く制御したいと気が逸るのだろうが、焦る程力は暴れるぞ。与えられる課題を一つずつ熟して身に覚えさせるしかない。休暇を与えられたら、家に帰って休め。」

 大尉は黙っていた。ムリリョは展示ケースの中を見るフリをして、付け加えた。

「何時までもケツァルにお前の母親の面倒を見させるでない。」
「え?」

 大尉が微かに狼狽えた。

「少佐が母の世話を?」
「早く街の暮らしに慣れさせようと、休日になれば買い物に連れ出したり、話し相手になっておる。お前の妹にも虫が付かぬよう見張っておる。」

 ギャラガはムリリョ博士がステファン大尉の親族に詳しいことを不思議に思った。純血種の長老とメスティーソの大尉はどんな関係なのだろう。
 大尉が首を振って何かを振り払う素振りをした。そして博士に改まって向き直った。

「兎に角、今日の訪問の目的を果たさせて下さい。大統領府でちょっと困ったことが起きているのです。」
「ほう?」

 ムリリョが初めてギャラガに目を向けた。

「それで、この白人臭いヤツを連れて来たのか?」

第2部 節穴  7

  アンドレ・ギャラガは所謂「普通の家」で暮らした経験がなかった。幼い頃はあったのだろうが、朧げな記憶しかない。父が死んだ後は母と2人でスラム街の掘立て小屋に住んでいた。それも1箇所ではなく、頻繁に家移りした。街娼をしていた母親が警察の摘発を逃れて場所を移動していたと知ったのは、軍隊に入ってからだ。母親の仕事が犯罪の部類に入るのだと知ったのも軍隊に入ってからだ。
 一張羅とも言える綿シャツ、ジャケットとジーンズに着替え、軍靴からスニーカーに履き替えて、ステファン大尉と共に大統領警護隊本部から外に出た。休暇はいつも一人で海岸へ行ってぼーっと過ごしていたので、目的があって外出したのは初めてだった。ステファン大尉はTシャツにジャケット、ジーンズで靴は高そうなトレッキングシューズだった。2人共拳銃は装備していた。これは休日でも持っていなければならない。大統領警護隊の義務だった。”ヴェルデ・シエロ”は超能力を持っているが、他人をその能力で傷つけることは禁止されている。敵に襲われた時に防御で用いるだけで、戦闘には普通の人間同様に武器を用いる。一度他人を超能力で傷つけると歯止めがきかなくなる。だから可能な限り使わない。それが彼等の良識だった。
 塀の外に出ると、大尉は何も言わずに歩き出した。ギャラガは大人しくついて行くだけだ。グラダ・シティに住んで長いが、街のことを何も知らない。恐らくグラダ・シティ生まれなのだろうが、地元っ子の自覚がなかった。ステファン大尉の言葉には微かに地方の訛りがある。遠くから来たと思われるが、大尉は地元っ子の様に通りをどんどん歩いて行った。土曜日の午後だ。街は賑わっていた。観光客が多い。白人も黒人も東洋人もアラブ人も歩いている。セルバ共和国の東海岸はリゾート地なのだ。
 ステファン大尉は最初に街角のATMで現金を下ろした。次に入った店でプリペイド方式の携帯電話を2つ購入して、1つをギャラガに渡した。領収伝票はギャラガに渡して、「失くすな」と命じた。

「後で必要経費で財務部からもらうからな。」

 それなら自分で保管すれば良いのに、と思ったが、ギャラガは黙っていた。ステファン大尉がしていることは、己にとっても将来の仕事の手本なのだ。それを彼は理解していた。
 大統領警護隊の中ではメスティーソは目立つ部類だったが、街中に出てしまうと自然に溶け込んでしまった。セルバ人の多くがメスティーソなのだ。
 バスに乗ったのは休暇以外で初めてだった。海ではなく市内を巡回する路線バスだった。10分ほど乗って、セルバ国立民族博物館前で降りた。観光客が屯する博物館前広場を横切り、階段を上ってチケット売り場へ行った。そこでステファン大尉はパスケースに仕舞っておいた緑の鳥の徽章を職員にチラリと見せた。

「大統領警護隊警備第2班のステファンと警備第4班のギャラガだ。ムリリョ館長はいらっしゃるか?」

 職員は徽章を見て不安そうな表情になった。大統領警護隊が博物館にやって来るなんて、どんな用事だろうと思ったのだ。文化保護担当部ならわかる。あの部署は時々遺跡の彫刻や壁画の意味を勉強しにやって来るから。しかし警備班の訪問は初めてだ。

「館長はいらっしゃいますが・・・」

 答えかけて、彼女は相手が旧知の顔であることにやっと気がついた。

「文化保護担当部の大尉?」

 ステファン大尉が頷いた。

「元、になるが、大尉のステファンだ。」
「それならそうと言って下さい。すぐ館長に連絡します。」

 セルバ共和国はコネが大事だ。

第2部 節穴  6

  テオドール・アルストが土曜日の昼にエル・ティティに帰省して、ゴンザレス署長とのんびり過ごしていると、署長に電話がかかってきた。ゴンザレスはふんふんと先方の話を聞いて、最後に「グラシャス」と挨拶した。電話を切るとテオがテレビを見ている横に戻って来た。

「例のバナナ畑の死体の身元がわかった様だぞ。」

と報告したので、テオは驚いた。セルバ共和国の警察にしては早かったんじゃないか? と彼は思った。尤も問い合わせてから既に11日経っていたのだが。

「死体はフェリペ・ラモスと言う男らしい。オルガ・グランデの北、国境に近いサン・ホアン村と言う所で占いなどをしていた農夫で、2ヶ月前から行方知れずになっていた。”雨を呼ぶ笛”をいつも持ち歩いていたと言うから、その男なのだろう。家族が明日こっちへ来るから、遺体を墓から掘り出さなきゃならん。」
「笛で身元確認してからの方が良いんじゃない?」

 身元確認の品が例の木片しかないと言うのは心許ないことだ。しかし、ミイラでは親が見ても分からないだろう。

「占い師ってことは、シャーマンかな?」
「どうかな・・・普通の占い師じゃないか? シャーマンって言うのは、大統領警護隊みたいな連中のことを言うんだ。直接神や心霊と話が出来る人々だ。」

 それじゃ俺がシャーマンじゃないか、とテオは心の中で苦笑した。大統領警護隊は”ヴェルデ・シエロ”なのだ。

「占い師を殺害するなんて、大罪じゃないのか? 」
「シャーマンと違って神様と入魂の間柄じゃないからな、占いが外れて頭に来た客にやられたのかも知れない。あるいは仕事と関係ない理由かもな。ここでは人の命はパンより軽いと考える連中もいる。」

 それは否定したくとも出来ない真実だった。テオが哀しい気分でテレビを消すと、ゴンザレスも昼寝の為に庭へ出ようとした。そして伝え忘れたことを思い出した。

「それから、あの死体に関係するのか分からないが、サン・ホアン村近くの古代遺跡が最近何者かに荒らされたそうだ。」

 テオは「古代」とか「遺跡」とかの単語に敏感だった。彼の大統領警護隊の友人達は古代遺跡を守る仕事をしているのだ。

「2ヶ月前に占い師が行方不明になったんだよね? 遺跡荒らしは何時のことなんだ?」
「それは分からん。ただ、ラモスは遺跡荒らしがあった後で行方不明になった。」
「遺跡で何か盗まれたのか?」
「何を盗まれたのか、誰にも分かっていない。正式調査が入っていない遺跡だそうだ。殺されたラモスはそこへ時々行っていたそうだ。」

 占い師が何のために遺跡に行ったのだ? 神託でも聞きに行っていたのか? それなら占い師ではなくシャーマンだろう、とテオは考えを巡らせた。盗掘の現場でも目撃して、消されたのか? 
 彼はゴンザレスが庭のハンモックへ行ってしまうと、携帯電話を出した。遺跡荒らしの情報は大統領警護隊文化保護担当部に連絡した方が良いだろう。もしかすると彼等は既に知っているかも知れないが、多忙なので通報を受けても直ぐに捜査に入るとも思えなかった。
 土曜日だから文化・教育省は閉庁している。ロス・パハロス・ヴェルデスの友人達はデスクワークが出来ないので、建前上「軍事訓練」をしている筈だ。畑や野原や海岸で実弾射撃を伴う隠れん坊か鬼ごっこをしているのだ。
 そんなところに電話を掛けたら危険なんじゃないか?
 テオは迷いながらもケツァル少佐の番号に掛けた。5回の呼び出し音の後、女性の声が聞こえた。

ーーミゲール少佐の電話でーーす!

 え? とテオはびっくりした。思わず声の主の名前を呼んだ。

「マハルダ?」
ーースィ! 

 マハルダ・デネロス少尉の元気な声が応答した。

ーーテオ? ブエノス・タルデス!
「ブエノス・タルデス。 今、演習中じゃないのか?」
ーースィ、演習中ですけど、私、捕まってます。

 テオは吹き出してしまった。どんな鬼ごっこか知らないが、デネロスは捕虜になったのだ。多分、荷物置き場にいるのだろう。少佐の電話が鳴ったので彼女が出たのだ。

「演習中だったら、少佐は電話に出られないんだろうな?」
ーー無理ですね。小屋の外で私を救出にやって来る中尉を返り討ちにしようと待ち構えています。

 すると男の声が聞こえた。

ーーこっちの作戦をベラベラ喋るな、捕虜。

 アスルの声だ。テオは楽しそうな演習だと思った。実弾を使用しているから油断禁物だろうけど。デネロスが声のトーンを落とした。

ーー何か御用ですか? 伝言承りますけど。
「少佐でなくても良いんだ。オルガ・グランデの北にあるサン・ホアン村近くにある遺跡を知っているかい?」

 デネロスは知らなかった。同じ質問をアスルに訊いてくれたが、アスルも知らなかった。だからテオは簡単に告げた。

「遺跡荒らしがあったと、親父がオルガ・グランデ警察から聞いたんだ。そのサン・ホアン村の占い師が殺された可能性があって、笛の持ち主らしい、と少佐に伝えてくれ。多分、彼女はそれでわかると思う。」
ーー遺跡荒らしに殺人ですか? 承知しました。

 その時、遠くで銃声が聞こえた。デネロスが「あーあ」と呟いたので、ロホが少佐に返り討ちにされたと察しがついた。


2021/08/27

第2部 節穴  5

  昼間の西館は無警護だ。時々歩哨が回って来るだけで、大統領警護隊は建物の中で来館者の警戒の方に重点を置く。ギャラガとステファン大尉は問題の茂みに近づいた。セルバ共和国なら何処にでもある普通のハイビスカスの茂みだ。赤い花が咲き乱れていた。ギャラガが示すと大尉が周囲を一周した。ギャラガの所に戻ると彼は囁いた。

「馬鹿にしているよ、全く。」

 ギャラガはその意味を推し量った。

「何もないってことですか?」
「何もないから、異変があるのさ。」

 大尉が彼を壁の際に連れて行った。大統領夫人の部屋の一番大きな窓の真下に彼を立たせ、赤い花の中で一番大きな物を指差した。

「そこに空間の歪みがあるのが見えるか?」

 ギャラガは目を凝らして見たが、何も見えなかった。彼は正直に告白した。

「私には見えません。一族の能力は何もないのです。」
「そう思い込んでいるんだな。」

 大尉は言った。

「目で見ようとするな。」

 彼はとても簡単なように言い放って、花のそばに行った。

「これは小さい穴だが、元からここにあったとは思えない。」

 彼は片手を前へ出し、指を花に向かって突き出した。花の10センチ程手前で彼の指が空中に消えた。ギャラガはびっくりした。純血種のブーカ族の成人は時々異次元空間通路を利用して遠い場所へ出かける。大統領警護隊も遠距離へ出兵する時は空間通路を使う。純血種のブーカ族は大人になれば普通に通路の”入り口”を見つけられるのだと言うが、ギャラガは見えない。他の部族は厳しい修行をして習得すると言うが、ギャラガはその修行も出来ない。どんなことをするのかさえ分からないのだ。しかし彼と幾らも年齢に差がないステファン大尉は鼠の穴でも見つけるみたいに空間の歪みを発見した。おまけに指まで突っ込んだのだ。

「これ以上大きくならない。こっちは”出口”で向こうが”入り口”だ。」

 大尉は指を出して腰を屈めた。花を観察するみたいに空中をじっと見つめ、やがてギャラガを振り返った。

「覗いてみろ。君にも向こう側が見える筈だ。」

 立ち位置を交換した。ギャラガは半信半疑だったが、大尉の真似をして虚空を見つめた。深紅の花の真ん中にポツンと異質の物が見えた。針の穴の向こうみたいな大きさだ。目を凝らして、それが灰色の石の表面らしいと彼は思った。試しに指を入れてみると、本当に彼の指も消えた。指先に何かが触れる感触はない。

「何が見えるか私は訊かない。」

と大尉が言った。

「互いの言葉に影響されたくない。君は君が見た物をしっかり記憶しておけ。これからそれが何なのか知っていそうな人に会いに行こう。私服に着替えて半時間後に本部通用門で落ち合おう。」


第2部 節穴  4

 トーコ副司令官は中佐だ。ブーカ族とマスケゴ族のハーフで、純血の”ヴェルデ・シエロ”とも言えるが、純血のブーカ族でも純血のマスケゴ族でもないので、大統領警護隊の外の純血至上主義者と仲が悪いと言う評判だった。大統領警護隊の隊員達は司令官のエステベス大佐と会ったことがなくてもトーコ中佐とはよく顔を合わせる機会があった。怒らせると怖いが普段は優しい上官だから若者達から好かれていた。ステファン大尉がドアをノックして、ギャラガを先に入れた。ギャラガは室内に入ると直ぐに副司令官の正面の位置を大尉に譲って傍に立った。大尉が声をかけた。

「ステファン、ギャラガ、出頭しました。」

 トーコは書類に目を通していた。警備班の勤務報告書だ。

「大尉、君は東館の警備を担当しているのだな?」
「スィ。警備第2班です。」
「西館の噂を知っているか?」

 ギャラガはドキンと胸が鳴るのを感じた。今朝の報告がもう副司令に渡ったのか。ステファン大尉は「ノ」と答え、チラリとギャラガを見た。ギャラガはここで言うべきだろうかと迷った。”ヴェルデ・シエロ”ならここで大尉の目を見て、一瞬で副司令官への報告内容を大尉に伝えられるのだが。 トーコもチラリとギャラガを見た。そして言った。

「ステファンに教えてやれ、ギャラガ少尉。」

 それでギャラガは大統領夫人の部屋の外にあるハイビスカスの茂みから感じる謎の視線の話を語った。

「警備第4班の11人全員が毎晩同じ体験をしました。今朝、班長が確認したら、少なくとも16日前から始まっていた様です。」

 トーコが頷いた。報告書の通りだ。

「16夜も奇妙な視線を感じながら、初めての報告が今朝なのだな?」

 ギャラガは頬が熱くなった。責められているのは彼だけではなく残りの10人も同じなのだが、代表で叱られている気分だった。これは班長の役目ではないのか? とちょっぴり不満を感じた。班長は中尉だ。まさか格下に損な役割を押し付けたのでもあるまいが。
 ステファン大尉は宙を見て、考える素振りを見せた。

「実体のない視線ですか。」

と彼は呟いた。トーコ中佐が尋ねた。

「原因に思い当たることはないか?」
「ノ。現場へ行って見てみなければ、なんとも言えません。」

 中佐と大尉が目を見合わせた。何か会話をしたとギャラガは分かったが、どんな話し合いをしたのか彼にはわからなかった。
 大尉がちょっと悩ましげな顔をした。

「私に出来るでしょうか?」

と彼は副司令官に尋ねた。トーコ中佐は頷いて見せた。

「良いからやってみな。これも修行だ。」

 何のことだろうとギャラガが思っていると、トーコが書類に署名をした。

「正式に辞令を与える。カルロ・ステファン大尉、西館庭園の視線の謎を解き、隊員達の不安を払え。期限は5日。助手にアンドレ・ギャラガ少尉を使え。」

 ギャラガは大尉が一瞬「え?」と言う顔をしたのを見逃さなかった。きっと”心話”も使えない似非”ヴェルデ・シエロ”なんか使えない、と思ったに違いない。しかしステファン大尉は上官に一切口答えせずに敬礼して命令を承った。ギャラガはボーッとしてしまい、大尉に横から足を蹴られて、慌てて敬礼したのだった。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...