2021/08/31

第2部 節穴  17

   ヘリコプターの準備が出来る迄ステファン大尉とギャラガ少尉はケツァル少佐のアパートで休憩した。ロホはお菓子のお礼にと少佐から煮豆が入ったタッパーウェアの容器を3つももらって、ほくほく顔で帰ってしまった。

「相変わらず、君は豆が好きなんだな。」

とステファンが揶揄うと、ロホはニヤリと笑った。

「少佐お手製の煮豆は絶品だ。そんじょそこらのレストランじゃ食えないからな。」
「最初から私たちをダシにして豆をゲットするつもりだったな?」
「ご明察。それじゃ、任務を頑張れよ。」

 ロホはギャラガにも敬礼してくれた。彼が部屋から出て行くと、急に静かになった様な気がした。
 ケツァル少佐は窓際へ行って、分解してあった機関銃の組み立てを始めた。ギャラガが興味を抱いてそばへ行こうとすると、ステファンが止めた。

「近づくな。彼女は時間を計ってるんだ。邪魔すると後が怖いぞ。」

 そう言う彼は少佐に借りたラップトップでインターネット情報を見ていた。オルガ・グランデ周辺の遺跡の最新情報や盗掘品密売情報だ。ギャラガはパソコンの知識があまりなかった。唯一使用する機会があるのは、大統領官邸内で来客のチェックをする時だけだった。訪問者の顔認証と履歴、本人確認と来邸登録と出邸登録を入力するのだ。パソコンの使い方は簡単だが応用の仕方がわからなかった。大尉の作業を見ていると、ただ検索ボックスにキーワードを入れて、後は画面に表示される情報のタイトルなどをクリックするだけだ。内容を読んだらまた戻って次のデータへ移行する。
 横から覗いていると大尉が気がついた。彼が位置をずらして移動した。

「代わりに見ていろ。ラス・ラグナスの情報は一つしかなかった。サン・ホアン村の情報も2つだけだ。そんな何もデータがない場所へ遺跡荒らしが行くのも妙な話だ。わざわざ足を運んで盗む物がなければ本当に無駄足じゃないか。荒らした奴は何かはっきりした目的があって行ったに違いない。現地へ行かないと、わからない。」
「私は何を見れば良いですか?」
「何だろうな? 自分で考えて検索してくれ。」

 無責任なことを言って、ステファン大尉はキッチンへ入って行った。
 ギャラガは暫く画面を眺め、「piedra (石)」と検索ボックスに入れた。約 246,000,000件の検索結果が出た。画像を見ると、スペイン語で検索したせいか中南米の石もの関係の写真が多かった。彼は記憶の中の、”節穴”から見えた材質と似た写真を探してデータを送って行った。
  ケツァル少佐は機関銃を組み立ててしまうと、また分解してバラバラにシートの上に部品をぶちまけた。そして再び組み立てに挑戦を始めた。きっと最初のタイムが気に入らなかったのだ。もしかして、この人の休日の遊びはこれなのか? ギャラガはパソコン画面を見るフリをして彼女の動きを見ていた。彼女はどの部品が何処に落ちているのかすぐわかる様で素早く拾い上げて組み立てていく。流石だな! と思っていたら、突然彼女の手が止まった。嵌め込んだばかりの部品を外して投げ捨てた。

「えーい、間違えた!」

 少佐がギャラガを振り返った。

「気が散る。」

 ギャラガはビクッとした。見ているだけだったのに。距離を置いていたのに。青い顔になった彼に少佐が硬い笑を浮かべて、半分組み立てた機関銃でキッチンを指し示した。

「カルロは何を作っているのです? 私の台所を使う限りは、美味しいものでなければ撃ちますよ。」

 ギャラガは立ち上がった。

「偵察してきます!」

 ジャガーの嗅覚には敵わなかったが、ギャラガの鼻も少し前から良い匂いを感じ取っていた。ケツァル少佐はキッチンから漂って来る匂いに気を散らされたのだ。彼の視線のせいではなかった。
 ステファン大尉は大きめの鍋でマカロニ入りのスープを作っていた。たっぷりの野菜とベーコンをトマト味で煮込み、最後に別茹でのマカロニを入れて完成。

「昼飯だと少佐に告げてくれ。」

と言われて、ギャラガはリビングに戻った。少佐は失敗したので時間を測るのを止めて残りの部品を組み立て終わったところだった。

「昼食です、少佐。」

 声をかけると、少佐が頷いて立ち上がった。機関銃は床に放置だ。弾がないので、ただの鉄の塊に過ぎない。
 昼食はキッチンとリビングの間のダイニングだった。ステファン大尉はたっぷり作ったにも関わらず、2人の男には少量の皿を配り、少佐の前にはたっぷり入れた皿を置いた。少佐が皿を見比べて言った。

「今日のヘリは最新型です。輸送機の様には揺れませんよ。」
「用心するに越したことはありません。」

と大尉が言った。ギャラガは航空機の類は全く経験がなかったので、上官2名の会話の意味を推し量りかねた。
 少佐が一口スープを口に入れた。

「美味しい。」

 合格点が出たが、大尉は特に喜んだ風になかった。多分、彼女の部下だった頃はよく作っていたのだろう。熱いスープは流石にスピーディーに食べられないのか、彼女はゆっくり味わっていた。ギャラガも美味しかったのでもっと欲しいと思ったが、大尉はお代わりをくれそうになかった。

「マハルダも行くのですね?」

と大尉が確認のために話しかけた。少佐が黙って頷いた。大尉がさらに尋ねた。

「そしてテオも合流する?」

 少佐はまた黙って頷いた。ギャラガも質問してみた。

「殺人事件があったようなことを仰っていましたが、今回の空間の穴と関係あるのでしょうか?」

 大尉が囁いた。

「それをこれから調査しに行くんじゃないか。」
「あ・・・そうでした。」

 少佐が水を一口飲んでから言った。

「マハルダは東海岸地区の遺跡しか経験がありません。それもロホやアスルの補佐です。今回初めて一人で調査に入るので、見落としがある恐れもあります。でも貴方の任務に直接関係することでなければ口出ししないで下さい。」
「承知しました。」
「恐らく、関係はあるでしょうけどね。」

 少佐はスプーンの上にどっさりとマカロニを掬い上げた。

「ドクトルは自由に行動させてあげなさい。彼はいつも何か予想外のものを見つけてくれます。」
「・・・そうでしょうね。」

 ギャラガは大尉がちょっと不満そうな表情になったのが気になったが、少佐は知らんぷりだった。スプーンの上のマカロニを少しずつ口に入れて時間をかけて食べたので、ギャラガはふと思った。
 ジャガーは猫舌なんじゃないかな。
 大統領警護隊の純血種の隊員達は冷たくなった食事でも文句を言わない。冷めた料理に不満を漏らすのはメスティーソの隊員だった。純血種の”ヴェルデ・シエロ”はナワルを使える。ジャガーやマーゲイやオセロットに変身するのだ。猫は熱いものを食べない。
 少佐がマカロニを全部食べてしまってから、スープを静かにお上品に飲んだ。

「現地で必要な物の調達はマハルダにさせなさい。」
「承知しました。それも彼女の勉強のうちですね。」
「スィ。でもないと困る物を彼女が忘れたら、口を出しても構いませんよ。」
「承知しました。」

 ステファン大尉が少佐の皿にお代わりを入れてあげた。
 

 

2021/08/30

第2部 節穴  16

  マハルダ・デネロス少尉は曜日が関係ない大統領警護隊の官舎で日曜日を過ごすのは好きでなかった。現代っ子の若い女性なのだから無理もない。しかし同期の女性隊員は勤務中で遊び相手がいなかった。だから彼女は土曜日の軍事訓練が終わると実家に帰り、兄夫婦の手伝いをして畑で収穫した野菜を洗ったり、トラックに積み込んで近所の市場へ卸す仕事をした。太陽が高くなってそろそろお昼ご飯かなぁと思う頃に、ケツァル少佐から電話がかかってきた。上官が休日にかけてくる時は、何か事件が起こった時だ。緊張と期待で出ると、午後の1500に空軍基地へ行けと言われた。

ーーラス・ラグナス遺跡で荒らしがあったと言う報告があります。基地からヘリでオルガ・グランデへ飛び、そこからサン・ホアンと言う村へ行きなさい。遺跡はその村の近くにあります。未調査の遺跡ですから、何がどう荒らされたのか不明です。村人の案内を連れて行くと良いでしょう。

 デネロスの胸が高鳴った。もしかして、これは?

「現場へ行って調査するんですね?!」
ーースィ。貴女が昨日報告を忘れなければ、昨夜のうちに指示を出していましたけどね。

 あちゃーっとデネロスは失態に気がついた。サン・ホアン村の占い師が殺された事件の方に関心が行ってしまったのだ。遺跡荒らしも確かにテオから聞かされたのに。しかし彼女は言い訳をせずに、「承知しました」と答えた。

「被害状況の調査ですね? 犯人の追跡はしないのですか?」
ーーサン・ホアン村の占い師が殺害されたらしいと言う話は聞いていますね?
「スィ。」
ーー今回は調査だけして帰りなさい。

 少佐は私を危険から遠ざけようとしている。そんな柔じゃないのに。
 しかし彼女は素直に「承知しました」と応えた。少佐に逆らっても碌なことはない。それに初めてのヘリコプター搭乗だ。初めての遠出の現場調査だ。嬉しいが、一つ確認しなくては。

「私一人ですか?」
ーーノ。ステファン大尉とギャラガ少尉が別件で同行します。それからオルガ・グランデ基地でドクトル・アルストが合流します。ドクトルはオブザーバーです。

 ケツァル少佐は「ではよろしく」と言って電話を切った。
 デネロス少尉は心が弾んだ。またカルロ・ステファンと一緒に仕事が出来る! 彼女には兄が3人いるが、カルロは4人目の兄も同然だった。そしてロホは5人目の兄で、アスルは6人目の兄だ。カルロが突然文化保護担当部からいなくなって彼女は寂しかった。同じメスティーソ同士で悩み事を聞いてくれた。実を言うと、カルロが能力に目覚める迄は、彼女の方が”ヴェルデ・シエロ”としての気の抑制能力は上だったのだ。彼は軍人としての心構えと武器を使った戦闘を教えてくれた。互いに足りないところを補い合う仲だった。同じ官舎で寝起きしていても、警備班と外郭団体勤務では生活サイクルが違う。2人はまだ官舎では一度も出会っていなかった。それが、初めての現場派遣がカルロと一緒の仕事だ!
 アンドレ・ギャラガ少尉のことも知っていた。同じ官舎にいたし、年齢的には同期だが、年齢を誤魔化して入隊したギャラガの方が軍歴は長かった。赤毛で白い肌はメスティーソの中でも目立っていた。そしてギャラガは何も出来ない”落ちこぼれ”だった。”出来損ない”レベルではない。”心話”さえ出来ないのに、何故ここにいるんだ?といつも仲間から揶揄われていた。デネロスは一度助けてやろうかと思ったが、女性に助けられたら彼をますます辛い立場に追い込むだろうと思って止めた。本当に辛いなら、ギャラガはとっくに除隊していた筈だ。彼はまだ頑張れるのだ。
 デネロスは緊急出動がかかった、と兄に告げた。兄がちょっと不安そうな顔をしたので、彼女は笑って見せた。

「国家機密だから言えないけど、戦闘はない仕事だから安心して。」

 自室に戻り、急いで荷造りした。ピクニックでないことは十分承知していたが、リュックに林檎を入れるのを忘れなかった。そして分解したアサルトライフルも入れた。重たくて好きでない防弾ベストも入れた。”ヴェルデ・シエロ”は昨年迄防弾ベストなど使ったことがなかった。しかしケツァル少佐が裏切り者の憲兵隊員に横から撃たれると言う前代未聞の不祥事が起きて以来、警備班と野外警備の隊員には防弾ベストの着用が義務付けられた。ヘルメットと軍靴をクロゼットから出して、着替えを始めた。野戦服でばっちり決めて行くのだ!



第2部 節穴  15

 「サン・ホアン村へ行きたいかって?」

 テオは思わず大声を出してしまった。エル・ティティ警察の事務所の中だ。巡査達と、サン・ホアン村から来た男2人が振り返った。彼は慌てて電話に手を当てて声のトーンを落とした。

「今、サン・ホアン村の住民が例の遺体を引き取りに来ているんだよ。」
ーー笛が村人の物だと確認が取れたのですか?

 日曜日の朝、電話をかけて来たケツァル少佐は、「ブエノス・ディアス」と挨拶するなり、いきなり「サン・ホアン村に行きたくないですか?」と質問して来たのだ。テオは面食らってしまった。昨日遺体の身元が判明したので少佐の電話に掛けたら、マハルダ・デネロス少尉が出て少佐は軍事訓練中で出られないと言った。デネロスも同じ訓練に参加していたのだが、捕虜の役なので荷物置き場に「監禁」されて退屈していた。遺体がサン・ホアン村の占い師の可能性があると彼女に伝言を頼んだ。

「スィ、占い師のフェリペ・ラモスの笛だって村長が確認した。村の近所の遺跡が荒らされていたので、様子を確認したラモスがオルガ・グランデへ出かけてそれっきり帰らなかったと・・・」
ーー遺跡が荒らされたと、村人が言ったのですか?
「スィ。昨日、俺はマハルダにもそう言ったけど?」

 電話の向こうで少佐が舌打ちするのが聞こえた。どうやらデネロスは遺跡荒らしの情報を伝え忘れたらしい。文化保護担当部らしからぬ失態だ。

ーー村人は今日帰るのですか?
「ノ。今日はこれから墓掘りだ。帰るのは明日だな。」
ーー貴方だけでも今夜中にオルガ・グランデに行けませんか?

 テオはバスの時刻を考えた。日曜日の午後はグラダ・シティ行きがあるが、反対方向のオルガ・グランデ行きはなかった。しかし・・・

「知り合いがトラックでトウモロコシを運ぶから、便乗させて貰えば夕方には着くかな?」

 ちょっと期待して尋ねた。

「君は基地にでも行くのかい?」
ーー私は行きません。

 テオはがっかりした。そうだろうな、遺跡荒らしの情報がマハルダで止まっていたのだから。
 少佐は別の人間を派遣することを伝えた。

ーーステファン大尉とギャラガ少尉が行きます。基地で落ち合って下さい。
「え? カルロが行くのかい?」

 驚きだ。大統領警護隊の本隊に呼び戻されてからステファン大尉と会えなくなって、寂しかったのだ。腹違いの姉そっくりの、あのツンデレ男が懐かしい。
 さらに少佐が嬉しいことを言った。

ーー漏れなくマハルダも付けます。

 基地に民間人のテオが行くことを伝えておくと言って、少佐は電話を切った。テオは楽しい気分になった。すぐにトウモロコシ農家の知人の家に行かなくては。その前にゴンザレスに出かけると伝えなくては。大学にも明日は帰れないので火曜日の講義を休むと伝えなくては。月曜日は講義がないので、気が楽だ。ところで・・・
 テオはふと思った。

 俺は何をしにサン・ホアン村へ行くんだ?


第2部 節穴  14

  ステファン大尉がケツァル少佐に言った。

「我々が調査に行きます。恐らく大統領官邸西館庭園の”穴”の”入り口”に当たるものがラス・ラグナス遺跡にあると思われるので、それを塞がなければなりません。何故”穴”が開いたのか原因の究明も必要です。現地に行きたいので、遺跡立ち入り許可を申請します。」

 ロホがチャチャを入れた。

「申請用紙はここにないぞ。」
「事後申請でお願いします。」

 少佐はパンケーキをパクリパクリと2口で食べてしまい、考え込んだ。ギャラガはびっくりしたが、ステファン大尉もロホも知らん顔をしていた。寧ろ、少佐の手が新しいパンケーキを求めて中央の大皿に伸びたので、ロホが素早くお代わりを少佐の小皿に取り分けて差し上げた。3枚目のパンケーキを食べてしまってから、少佐が顔を上げた。

「どうせ行くなら空軍の助けが要るでしょう?」
「スィ。遺跡へ行ける”通路”がありそうにないので、少佐から空軍へお口添えを頂ければ助かります。」

 すると少佐がギャラガを見た。

「ブーカ族なのに”通路”を見つけられないのですか?」

 ギャラガは赤くなった。彼が言い訳する前にステファン大尉が言った。

「彼はまだ修行の初期段階です。」
「そう・・・」

 少佐が特に感動した風もなく頷いた。

「それで貴方が導師として彼を任されたのですね?」

 え? とギャラガは驚いてステファン大尉を見た。大尉は彼を見なかった。見てもギャラガは”心話”を使えないのだから、心を読まれる心配はないのだが、つい習慣で相手に胸の内を明かしたくない時の行動が出たのだ。
 少佐が立ち上がって、棚の上の携帯電話を取った。何処かの番号を押して、窓際へ歩いて行った。
 ロホがギャラガにお菓子を食べるように勧めた。

「遠慮せずに食え。さもないと少佐に全部食われてしまうぞ。あの方は能力が強い分、エネルギー補給量も半端じゃないんだ。」
「彼女、今日はまだ能力を使っていないぞ。」

とステファン大尉が小声で囁いた。

「それに外出する気配もなさそうだ。」
「いいんだ、体重を増やされたら、こっちが悲しいじゃないか。」

 男達が勝手な会話をしているのを少佐は片耳で聞きながらもう片方の耳で電話の相手の言葉を聞いていた。そして頷いた。

「では、その新型ヘリの試験飛行に隊員を3名乗せて下さい。時刻はそちらの準備次第で結構です。グラシャス。」

 電話を切り、次に別の場所へかけた。挨拶をして、いきなり質問した。

「サン・ホアン村に行きたくないですか?」


2021/08/29

第2部 節穴  13

  女性が一人暮らしをしている家に入るのは初めてだった。ギャラガは殆ど恐る恐ると言う形容がぴったりな足運びでステファン大尉とロホについて中に入った。彼が入ってしまうと少佐が後ろでドアを閉めた。もう逃げられない、とギャラガは思った。オートロックの施錠音が聞こえた。短い廊下の突き当たりに広いリビングがあった。少佐が男達を追い越し、歩きながら手で座れと合図してキッチンへ消えた。ロホが彼女を追いかけてキッチンへ入り、ギャラガはステファン大尉がソファに座り、隣を示したのでそこに腰を下ろした。ソファは柔らか過ぎず硬くもなく、落ち着いて座していられる快適さだった。壁に薄型の大きなテレビが備え付けられ、棚には外国の様々な人形が飾られていた。目立つ家具はそれだけだった。バルコニーに面した掃き出し窓のそばの床にシートが敷かれ、その上に分解されたMP5短機関銃が散らばっていた。(ギャラガはMP5だと思ったが自信はなかった。)
 ギャラガが珍しくて室内を見回していると、ステファン大尉が小声で囁いた。

「少佐から”心話”を求められたら、昨晩の様に正直に伝えたいことだけ思い浮かべろ。力むと却って伝えたくないこと迄読まれてしまう。純血のグラダの力は半端ではないぞ。」
「承知しました。」

 忠告されると却って緊張してしまいそうだった。
 その頃キッチンでは2人の客の緊張を他所に、少佐とロホがのんびりした会話を展開していた。コーヒーの支度をしながら少佐がロホに苦情を言った。

「来るなら電話を入れて下さい。化粧をする暇もないじゃないですか!」
「まだお化粧を必要とされるお歳でもないでしょう。」

 お菓子を袋から皿に移していたロホは背中を肘で突かれた。

「あんな若い子を連れて来て・・・」
「カルロの部下ですよ。」
「部下の同伴が必要な任務とは?」
「それは本人から直接お聞きになられた方がよろしいかと。私の私見が入ると良くありませんから。」

 キッチンにコーヒーの芳しい香りが広がった。少佐がロホの右腕を掴んだ。

「綺麗に治りましたね。昨日は縫合が必要かと思いましたが。」
「擦り傷です。家に帰り着く迄に塞がって包帯も不要になっていました。」
「気をつけなさいよ。貴方はいつも終わりに気を抜く悪い癖があります。」
「肝に銘じておきます。」

 少佐が彼の腕を離し、カップにコーヒーを注ぎ入れた。
 2人がリビングに戻ると不思議な緊張感が漂っていた。少佐はすぐにそれが誰の気分なのかわかった。彼女がトレイをテーブルに置くと、ステファン大尉が自分でカップをそれぞれの席に分配して置いた。

「母がお世話になっているそうですね。」

と彼が世間話から始めた。少佐がロホを振り返ったので、ロホが手を振って否定した。

「私は何も言っていません。」
「ムリリョ博士からお聞きしました。」

と大尉が言ったので、ギャラガが「あっ!」と声を上げ、皆んなの注目を集めてしまった。ギャラガは焦った。彼は今になってムリリョ博士が言った「ステファン大尉の母親の面倒を見ているケツァル」が誰なのか悟ったのだ。ドッと冷や汗が出た。大尉が「何だ?」と尋ねた。ギャラガが返答に窮すると、ケツァル少佐が尋ねた。

「この子は誰?」

 ステファン大尉は紹介を忘れていたことに気がついた。失態だ。

「紹介が遅れました。警備第4班のアンドレ・ギャラガ少尉、ブーカ族です。5日間限定で私の下で働いています。少尉、こちらは文化保護担当部の指揮官シータ・ケツァル・ミゲール少佐だ。」

 立ち上がって挨拶すべきか? とギャラガは一瞬迷ったが、誰もが座ったままだったので彼も座ったまま敬礼し、「ギャラガです」と挨拶した。少佐が頷いた。

「ミゲールです。世間ではケツァルで通っています。好きな方で呼びなさい。」

 そして大尉に向き直った。

「用件とは?」

 大尉が少佐の目を見た。少佐も彼に視線を合わせた。いつもの様に一瞬で情報が伝えられた。少佐がコケモモパンケーキを小皿に取った。ロホが忘れ物に気がついた。急いで立ち上がり、キッチンへ歩き去った。大尉が少佐に尋ねた。

「ラス・ラグナス遺跡に行かれたことはありますか?」
「ノ。あることは知っていますが、行ったことはありません。」
「遺跡荒らしの通報もないのですね?」
「聞いていれば調査に行っています。」

 ロホが早足で戻って来た。メープルシロップの容器を持っていた。少佐の家のキッチンで何が何処にあるのか熟知している様だ。シロップをパンケーキにかける少佐にロホが話しかけた。

「ラス・ラグナスを調査しますか?」
「未調査の遺跡の被害状況が分かるのですか?」

と少佐が逆に質問して部下を考え込ませた。


第2部 節穴  12

  翌朝、ロホはステファン大尉とギャラガ少尉を連れて出かけた。朝食は一番近い大通りに出ていた屋台で揚げパンとコーヒーを買って済ませた。日曜日の礼拝が終わる迄一般市民が街を彷徨くことは少ない。歩いているのは主に観光客だ。大統領府に向かう団体がいる。正面玄関の儀仗兵の交代を見に行くのだ。ギャラガは儀仗兵が名誉な役職だとわかっていたが、なりたいとは思わなかった。正装して不動の姿勢で長時間多くの人の目に曝されて立っているなんてゴメンだった。イギリスの衛兵交代の様な華やかなものでもないのに、どうして観光客は喜んで見るのだろう。
 ロホはステファン大尉から譲り受けたと言う中古のビートルを持っていたが、車を使わずに3人でのんびり街中を歩いて行った。繁華街に向かわず、高級住宅街へ向かって行くので、ステファン大尉は彼の目的地がわかった。

「彼女に連絡を入れたか?」
「ノ。でも今日はご在宅の筈だ。昨日はかなり遊んだからな。」

 昨日は軍事訓練じゃなかったのか? ギャラガは疑問に思いつつ、黙ってついて歩いた。途中でまた屋台に寄り道して、ロホはお菓子をいくらか買った。ステファン大尉が尋ねた。

「コケモモパンケーキとアルコイリスは買ったか?」
「当然。」

 ギャラガが怪訝な顔をしたので、大尉が囁いた。

「賄賂だ。」
「?」

 大尉と中尉はクスクス笑いながら袋からアルコイリスを少しだけ掴みだして分け合った。ギャラガもお菓子を分けてもらい、歩きながら食べた。子供時代は縁がなかった甘味だった。
 かなり太陽が高くなってから目的地の高級コンドミニアムの前に到着した。ステファン大尉が慣れた手順でセキュリティキーパッドを叩いて分厚いガラス扉を開いた。中に入ると次の関門が待ち構えていた。ロホがずらりと並んだ入居者の各部屋のパネルから一つを選んでボタンを押した。ギャラガはパネル毎にカメラが付いていることに気がついた。扉毎にもセキュリティカメラが付いている。警戒厳重なコンドミニアムだ。部屋の主がカメラでロホを確認した様だ。第二の扉が自動的に開いた。
 生まれて初めて高級住宅に入った。ギャラガはエレベーターに乗っている間も落ち着かなかった。7階迄上がるのは時間がかからなかったが、ギャラガは初めての体験だったので気分が悪くなった。耳がおかしくなりそうだ。だから目的の階に着いて箱から出た時はホッとした。ロホがエレベーターホールに2つしかないドアの片方の前へ行き、チャイムのボタンを押した。2分間たっぷり待たされてから、ドアが開いた。
 Tシャツにデニムの短パン姿の、すらりと背が高い若い女性が現れた時、ギャラガの心臓が高鳴った。

 マジか?! ケツァル少佐じゃないか!

 大統領警護隊では今や伝説の様な存在になっているこの世で唯一人の純血種のグラダ族だ。誰よりも能力が強くて、気の制御が上手くて、敵には情け容赦なくて、美しくて・・・。 
 少佐は化粧っ気のないすっぴんだったが美しかった。そして不意打ちで現れた部下に腹を立てていた。

「朝っぱらから何の用です?」

 ロホが敬礼して申し訳なさそうに言った。

「申し訳ありません。まだお休みでしたか?」
「起床時間はいつも通りです。今日は日曜日ですよ。」
「すみません、客が少佐に面会を求めていまして・・・」

 ロホは体を少し横へ寄せて、連れてきた2人が少佐に見えるようにした。ケツァル少佐が視線を向けたので、ステファン大尉が敬礼して見せた。ギャラガも慌てて敬礼した。少佐が大尉と彼をじっくり眺めるのを意識したが、目を合わさない様に務めた。
 少佐はロホに視線を戻した。

「面会とな?」
「スィ。」
「彼等の任務の話?」
「スィ。」
「文化保護担当部と関係があるのですか?」
「あると思います。」

 少佐が溜め息をついて、入れと手で合図した。


 

 
 

第2部 節穴  11

  ギャラガは野宿することに抵抗を感じなかったが、ステファン大尉は屋根がある場所を希望した。実のところグラダ・シティの市街地は野宿が法律で禁止されていた。公園は特に警察が夜間巡回して旅行者を摘発する。ホームレスは市街地で寝泊まりしない。スラム街へ行けばいくらでも寝グラを提供してくれる親切な人がいるからだ。大尉が屋根がある場所を希望したのは、彼がオルガ・グランデ出身だったからだ。セルバ共和国の西部高地は夏でも夜間になると冷え込む。うっかり路上で寝てしまうと風邪をひくし、悪くすると命取りになる。大尉は子供時代の経験が身に染み付いていて、大人になっても防寒対策は怠らなかった。例えそれがジャングルでの野宿であっても。
 屋台の温かい食べ物で満腹になると、ステファン大尉は携帯電話を出した。少し考えてから、何処かに電話をかけた。

「ステファンだ。」

と彼は名乗った。ギャラガは彼の顔が和むのを見逃さなかった。親しい人にかけたらしい。博物館でムリリョ博士が言っていた実家にかけたのだろうか、と思っていると、大尉は

「仕事を増やして済まないな。」

と言った。相手の言葉を聞いて苦笑してから、要件に入った。

「悪いが今夜泊めてくれないか? 部下と私の2人だ。床の上で構わないから、朝までいさせて欲しい。夜が明けたら出て行く。」

 相手の言葉を聞いて、「歩いて行くから、先に寝ていてくれ」と言い、彼は電話を切った。

「お友達ですか?」

とギャラガは尋ねた。大尉が頷いた。

「文化保護担当部の中尉だ。私の同期。」

 ギャラガは漠然と心当たりがあったので言ってみた。

「ロホ・・・ですか?」
「スィ。」
「昨年、1、2ヶ月ですが訓練のインストラクターをして頂いたことがあります。」
「ああ・・・」

 大尉がちょっと遠くを見る目をした。

「アイツが肩の怪我をした時だな。」
「スィ。反政府ゲリラを相手にしてミスったと・・・自分と同じ過ちを犯すなと言う講義でした。」
「司令部も意地悪だろう? 失敗すると後輩の前で曝し者にするんだ。私たちも気をつけないとな。」

 2人は通りを歩いて行った。少しずつ人通りが減って行ったが、それは繁華街から住宅街へ入ったからだ。住宅街の夜中の道は安全と言えなかった。路地が多く、街灯も少ない。警察の巡回も高級住宅街から低所得者層の居住地へ行く程回数が減る。
 半時間歩いて、古いアパートに到着した。階段を歩いて3階迄上ると、ステファン大尉はあるドアのノブを掴んだ。施錠されていたが”ヴェルデ・シエロ”にはないも同じだ。チェーンが掛けられていなかったので、ドアを開いて中に入り、ギャラガを手招きした。ギャラガが入ると大尉はドアを閉じて鍵を掛けた。
 ギャラガは室内を見回した。照明は消されていた。彼が”ヴェルデ・シエロ”である証明が唯一存在する。闇でも目が見えるのだ。
 質素なアパートだった。必要最低限の調度品しか置かれていない。まるで大統領警護隊の官舎の部屋に台所が付いているだけ、と言えそうだ。ダイニング兼リビング、キッチン、バスルーム、そして寝室だけの狭いアパートだった。窓枠に男が一人腰掛けてビールの瓶を片手に持って、客を見て、「よう!」と言った。ステファン大尉も「よう!」と応え、窓際へ行った。

「起こしてしまったか?」
「寝るにはまだ早いさ。」

 ロホがギャラガに視線を向けたので、ステファン大尉が紹介した。

「警備第4班のアンドレ・ギャラガ少尉だ。副司令の命令で、今日から私とある任務に就いている。」
「よろしく、少尉。」

 ロホはいつでも誰にでも優しい。ギャラガも知っていた。この人は後輩達にとても人気があるのだ。昨年迄官舎に住んでいたことも、彼がこの中尉に親しみを感じた理由だった。普通、殆どの隊員は外郭団体に配属されたら官舎から出て行ってしまうものだ。
 ギャラガが挨拶を返すと、ロホはキッチンの冷蔵庫を指差した。

「ビールしかないが、好きなだけ飲んでくれて構わない。シャワーも使ってくれ。」

 大尉がそうしろと言うので、ギャラガは礼を言って、浴室に入った。珍しくお湯が出るシャワーだったのでびっくりした。ざっと体を洗って、着替えがないので下だけパンツを身につけて部屋に戻った。ステファン大尉とロホはテーブルの椅子に座って互いの近況報告をしていた。”心話”と声を交えての会話だ。近隣の部屋への配慮なのだろうとギャラガは思った。周囲の人間に自分達が何者か教える訳にいかないのだ。ギャラガが戻ったので、ロホが寝室を示した。

「ベッドを使って良いぞ、少尉。私はもう少しカルロと話したいから。」
「明日は日曜日だしな。」

とステファン大尉も言った。軍隊に所属していれば曜日など関係ないのだが、外の世界にいると日曜日は休みなのだ。ギャラガはなんとなく除け者になりたくないと思ってしまった。

「お邪魔でなければ、私ももう少し起きていたいです。」

 彼は上官達の意見を待たずに窓枠に座った。大尉も中尉も彼の希望を拒否しなかった。
 窓の外は低い住宅の屋根と庭と樹木が広がっていた。夜だし、街中だし、景色が綺麗と言う訳ではなかったし、夜空もいつもと同じだ。違うのは号令や掛け声が聞こえないこと。銃器の手入れの音がしないこと。大統領官邸の緊張感がないこと。
 大尉がロホに質問した。

「その右腕の擦り傷は、今日の軍事訓練のものか?」
「スィ。ユカ海岸で1600迄やっていた。少佐に銃撃されて、かわしたら堤防から滑り落ちたんだ。」
「滑り落ちた? 減点3だな。」
「捕虜のマハルダを取り返せなかったので、減点15さ。」
「一度も取り返せなかったのか?」
「出来なかった。少佐のガードが固過ぎる。アスルも腕を上げてきたしな。」

 軍事訓練って? ギャラガは耳をピンと立てたくなった。文化保護担当部って、文化財の保護をしている部署じゃないのか? 大尉が不満げに意見した。

「マハルダも脱走する努力をしなかったんだろ? 内と外で動かなきゃ、少佐の結界は破れないぞ。」
「だから、その内側でアスルがしっかりマハルダを抑えてしまうんだよ。」

 け・・・結界? ギャラガは胸がときめくのを抑えられなかった。”ヴェルデ・シエロ”が古代神として崇められた一番の理由だ。能力で一つの場所をすっぽり覆って外敵から住民を守る。現代の”ヴェルデ・シエロ”で広範囲の結界を使えるのは純血種のブーカ族だけだ。他の部族はせいぜい大型テント並みのものしか使えない。メスティーソはもっと困難だ。かなりの修行を要する。
 文化保護担当部は結界の使い方を訓練しているのか? 
 興奮したのが上官達に察知された。大尉と中尉がギャラガを振り返った。

「もう寝ろよ。」

と大尉が言った。中尉も言った。

「素直に寝ろ。明日、良いところへ連れて行ってやるから。」



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...