2021/09/02

第2部 涸れた村  7

  村長の家を辞して塀の外に出ると、ギャラガ少尉と2人の二等兵は車の影で休憩していた。上官達が出て来たので、二等兵達はそれぞれの車の運転席に乗り込んだ。テオとデネロスもそれぞれの車に乗った。ギャラガはステファン大尉の前に立った。黙って大尉の目を見た。教わった通りに井戸や谷間の風景を思い浮かべた。すると、大尉の方からも村長の妻の話が流れてきた。一瞬にして情報交換が終わった。
 ギャラガは目を伏せた。まさか、こんなに簡単に”心話”が出来るとは! 大尉が言った。

「井戸の水位はかなり下がっているな。この村の死活問題だ。早く原因を突き止めよう。」

 ギャラガは敬礼し、慌てて2号車の助手席に駆け込んだ。大尉も1号車の後部席に座った。今度は地図にない道を行く。大尉は地図とギャラガが見た道らしきものを思い出しながら運転手のチコに行き先を教えた。
 チコもパブロも運転技術はかなりのもので、悪路を飛ばして行った。サン・ホアン村が見えなくなり、丘を回って北側へ回り込み、少し下ると半時間もしないうちに遺跡が見えてきた。
 大昔は沼だったのかも知れない窪んだ土地は乾き切っていた。心持ち高くなっている平坦な場所に風化した石塀や建物の基礎らしき物がポツポツと並んでいた。これが遺跡だなんて、知識がなければ見落としそうだ。
 遺跡の手前の平坦地に車を停めた。そこをキャンプ地にすることに決めた。本当は遺跡を見下ろせる場所にしたかったが、丘を上る道がなく、平な場所もなさそうだった。それに日陰も重要だ。キャンプ地から遺跡が見えないのが少し不満だ、とテオは思った。
 二等兵2人が遅い昼食の支度を始めたので、全員で手伝った。将校が炊事を手伝うので、チコとパブロは驚いた様子だった。火を熾して焚き火を作り、そこで珈琲を淹れた。オルガ・グランデ基地は今回も水だけで食べられるパック入りの食事を用意してくれていた。厨房の責任者はセンスが良い、とテオとデネロスは笑った。ギャラガとステファンはテントを張り、野営地設営を担当した。食事も全員一緒だった。チコが歌を歌い始め、皆で手拍子で合わせると、ちょっとしたキャンプ気分が味わえた。
 ギャラガは不思議な気分だった。食事時が楽しいなんて、今まで思ったことがなかった。腹が満たされればそれで良かったのだ。だが、土曜日にステファン大尉と一緒に大統領警護隊の本部を出発してから、ずっと食事が美味しく楽しめた。デネロスがパブロの手を取って、踊ろうと誘った。若いパブロは真っ赤になりつつも、彼女と向かい合ってチコの歌に合わせて体を揺すったり飛び跳ねたり、回転したりとはしゃいだ。
 ステファン大尉が空を見上げた。真っ青に晴れ渡った空だ。テオが携帯を出した。

「ここはアンテナが立たないなぁ。やっぱり来た道を辿って行かないと、電話も役に立たないようだ。」
「村は立ちませんでしたか?」

 ギャラガが尋ねると、テオは「立たなかった」と答えた。

「国境の向こうにもアンテナはないようだ。衛星電話を借りてくれば良かったな。」

 彼は強い日差しで白く輝く大地を眺めた。本当にここに大昔沼地があったのだろうか。

「夕方、遺跡に行って見よう。其れ迄、全員シエスタだ。」


第2部 涸れた村  6

  村長の妻はテオやステファン大尉ではなく、デネロス少尉に向かって語った。

「村の井戸が今年の初めから涸れ始めています。」

と彼女は話を始めた。

「水位がどんどん下がって、水汲みが難しくなりました。もう子供では汲めない深さ迄水が下がっています。フェリペは何故水が来ないのか、お伺いをたてにラス・ラモスへ行きました。
帰って来た時彼は怯えていました。神様が傷つけられた。コンドルの目が盗まれたと言いました。
 私達は思い出しました。昔、私達の父親が金鉱山で働いていたんです。その時、落盤事故がありました。父親も鉱夫達も岩の壁の向こうに閉じ込められました。会社が壁を崩すのに3日かかりました。皆生きていました。」

 吶吶と話す彼女の言葉をテオもステファンも黙って聞いていた。質問したいことはあっても口出しはマナー違反だ。昔の落盤事故と井戸の枯渇と盗掘がどう結びつくのかと思いながら。
 村長の妻が声を潜めて囁いた。

「閉じ込められた鉱夫の中に、”シエロ”がいたんです。」

え?! 

 テオもステファンもデネロスもびっくりして互いの顔を見合わせた。テオが思わず口を挟んだ。

「”ヴェルデ・シエロ”が鉱夫の中にいたのですか?」

 村長が首を振った。そんなの嘘に決まってる、と言うジェスチャーだ。そんな与太話を白人や大統領警護隊なんかに聞かせるんじゃない、と言いたげに妻を睨んだ。だが、テオはわかっていた。村人は彼女の父親の話を信じている。神様の話を他人に語るのがタブーとなっているだけだ。
 村長の妻は怯えた様な目で夫を見た。だからデネロスが彼女を励ました。

「大統領警護隊は貴女を守ります。語って下さい。」

 妻は2分間も沈黙して、やっと続きを話し始めた。

「”シエロ”が崩れた岩を弾き飛ばして、皆を救ったのだと父親は言いました。だから怪我人も死人も出なかった。会社が坑道を掘って救助に来た後、その”シエロ”はどこかへ行ってしまったそうです。きっと正体を知られたので、去ってしまったのだと父親は言っていました。」
「その人の名前は・・・?」

 思わずステファン大尉が質問した。彼の父親も祖父も金鉱山で働いていた。年代的には祖父の代になるだろうか。だが妻は首を振った。

「父親は神の名前を私達に教えてくれませんでした。」

 当然と言えば当然か、とテオは納得した。太古から守り続けて来た信仰だ。昨日迄の仲間が神様だった、なんてびっくりだが、助けてくれた神様を守るために、その落盤事故に遭った人々は全員自分達の記憶を封印したのだ。会社の経営者である白人達に神様を売り渡したりしない。

「フェリペは、まだオルガ・グランデにその”シエロ”がいるかも知れないと言ったんです。」

 ここで、繋がった! テオは感じた。フェリペ・ラモスは陸軍基地へ行って何時来るかわからない大統領警護隊へ通報する前に父親を助けてくれた”ヴェルデ・シエロ”を探そうとしたのだろう。何かツテがあったのかも知れない。フェリペ・ラモスの父親を助けた”ヴェルデ・シエロ”の鉱夫はもう年老いていなくなっていると思われるが、神様を信じる占い師は彼がまだ健在だろうと希望を賭けたのだ。だが、出会ったのは神様ではなく悪意のある人間だったのだ。
 ステファン大尉が故郷の言語で何か質問した。村長の妻は首を振った。デネロスがテオに通訳してくれた。

「カルロは”シエロ”が居そうな場所に心当たりはないかと質問しました。でも彼女は知りません。」

 すると村長が言った。

「バルに行って、誰にともなく問いかけるのです。雨を降らせる人を探している、と。」

 テオがキョトンとすると、ステファン大尉が解説してくれた。

「雨の神はジャガーです。」

 それだけで、テオは理解出来た。”ヴェルデ・シエロ”のナワルは基本的にジャガーだ。ナワルを使える人をフェリペ・ラモスは酒場で求めたのか? それに殺人者が応えた?
 彼は村長に尋ねた。

「フェリペの最近の写真はありませんか?」


2021/09/01

第2部 涸れた村  5

  村長は60過ぎの男だった。もしかすると本当はもっと若いのだろうと思ったが、テオもステファンも年齢には触れなかった。テオがエル・ティティ警察の署長の義理の息子だと名乗り、フェリペ・ラモスの遺体が前日の午後に掘り返され、早ければ今夜にでも村に戻って来ると伝えると、涙を浮かべて感謝した。ラモスは独身だったが、遺体を引き取りに来た兄弟は2人共妻子がいた。痩せこけた年配の女性が水でもてなしてくれたので、テオとステファン大尉は有り難く頂いた。デネロス少尉が緑の鳥の徽章を見せて大統領警護隊だと名乗ると、村長が悲しそうに言った。

「フェリペはエル・パハロ・ヴェルデに会いに行ったんです。」

 デネロスが身を乗り出した。

「遺跡が荒らされたのですね?」
「スィ、セニョリータ。」
「少尉です。」
「少尉、フェリペは神託をもらいにラス・ラグナスへ通っていました。あの死人の村にはフェリペしか入ってはいけないのです。だが、誰かが入った。フェリペが言ってました。コンドルの目を盗んだ者がいる、と。」
「コンドルの目?!」

 デネロスはステファン大尉を振り返った。どんな神様なの? と”心話”で質問したが、ステファンも知らなかった。テオが尋ねた。

「それは、コンドルの目 と言う名前の神様ですか? それともコンドルの神像の目を盗まれたのですか?」

 村長は首を振った。わからないと言う意味だった。

「盗掘があったので、フェリペは大統領警護隊に通報に行ったのですね?」
「スィ。オルガ・グランデ基地に時々来ていると聞いたことがあったから・・・」

 時々 とは 頻繁に と同意義ではない。近所に発掘申請が出ている遺跡があれば文化保護担当部はやって来るが、申請がなければ遺跡があっても来ない。盗掘の報告がなければ山越えして来ない。他の部署の警護隊はもっと来ない。西海岸に政府要人や国賓が来れば警護でやって来るだけだ。フェリペ・ラモスは基地へ行ったのか? それとも基地に着く前に盗掘犯に出会ってしまったのか? 
 ステファン大尉の後ろで人の気配がした。テオが振り返ると、先刻の女性だった。村長の妻なのだろう。伝統的な”ヴェルデ・ティエラ”先住民の意匠の古い服を着ていた。習慣を守って夫の許しが出るまで来客と口を聞いたりしないのだが、そこに立っているのだから何か言いたのではないか、とテオは感じた。彼はデネロスに囁いた。

「マハルダ、村長に奥さんと話をする許可をもらってくれないか?」

 村長が若い女性であるデネロスと話をするのは、彼女が大統領警護隊だからだ。もし彼女が民間人だったら、彼女の「保護者」であるテオかステファンを通して話をしただろう。それでデネロス少尉は軍人らしい威厳のある言葉で、それでいて丁寧にテオの要請を村長に伝えた。しかもこの地方の先住民の言葉で喋ったので、ステファン大尉がびっくりして彼女を見た。彼も子供の頃は喋っていた言語だが、家族との会話はスペイン語が主流だったし10代半ばで首都へ出てしまったので、殆ど忘れかけていた。どちらかと言えば東海岸の先住民の言葉の方が今は理解しやすい。デネロスは大学でセルバ先住民言語コースを採ったので、オルガ・グランデ出身の学友と話す時は、こちらの方言を使っていた。
 自分達の言葉を大統領警護隊が喋るのを聞いて、村長は感激した。テオに涙目を向けて言った。

「セニョール、女房の話を聞いてやって下さい。フェリペが帰って来なくなって、彼女は悲しんでいます。フェリペは彼女の甥なんです。」

 

第2部 涸れた村  4

 「エル・ティティの警察にサン・ホアン村の住民が占い師の遺体を引き取りに来たそうですが、行方不明になる前に、遺跡荒らし以外に何かなかったか、言ってませんでしたか?」

 ステファン大尉が話題を変えた。いきなり話の方向を変えるのは、ケツァル少佐と似ている。大統領警護隊の流儀なのか、文化保護担当部の流儀なのか、或いはシュカワラスキ・マナの子供達に共通の性格なのか。
 テオは考えた。遺体引き取りに来た2人の男はフェリペ・ラモスの兄弟だと言っていた。当初は村長が来る予定だったのだが、村長は腰痛で来られなくなったのだ。

「ラモスは占いのインスピレーションを得る為に新月の夜毎にラス・ラモス遺跡に通っていたそうだ。最後の遺跡訪問から帰って来て、次の日に村長と何か相談して出かけた。それっきりだったと。」
「では、村に着いたら真っ先に村長に面会しましょう。」
「俺が最初に話をして良いかな? 遺体が発見された町の住人で身元調査も俺が関わったから。いきなり大統領警護隊が現れると警戒されるかも知れない。」
「承知しました。私は貴方の後ろで控えていましょう。尤もマハルダがどう出るかわかりませんが。」
「彼女は遺跡荒らしの調査だ。遺跡の情報を集めてもらおう。」
「二手に分かれますか?」
「うん。ラモスの行動調査と遺跡調査だ。君はどっちが良い?」

 訊かれて大尉がニヤッと笑った。

「殺人事件の方が面白いですね。」
「それじゃ、少尉2人に先に遺跡へ行ってもらおう。村での聞き込みが終われば、俺達も向こうへ行って合流する。」

 サン・ホアン村はオルガ・グランデ基地から車で悪路を2時間走ったところだった。なだらかな丘の気持ちだけ南に傾斜した面に日干し煉瓦の小さな家が10軒ばかり建っていた。屋根は短い雨季を凌げる程度の簡単な物かと思ったら、案外頑丈そうな瓦葺きだった。ここにもハリケーンが来る時は来るのだ。村全体は低い土塀で囲まれていた。洗濯物が干されていたので、水はあるとわかる。セルバ共和国七不思議の一つ、どんなに貧しい村でも涸れない井戸を持っている。鶏と豚の鳴き声が聞こえた。
 車を塀の外に停めて、テオとステファン大尉は降りた。大尉が2号車に行って、先刻テオと話し合った結論を伝えると、デネロスが村長に挨拶だけしておきたいと言った。それは文化保護担当部として当然の礼儀だったので、ステファン大尉も異論はなかった。

「何か不審なものを感じても、その場では言うなよ。私に”心話”で教えてくれ。」
「承知しました。」

 マハルダ・デネロスにとって初めての単独調査任務だ。先輩のアドバイスは受け入れること。彼女は自分に言い聞かせた。
 運転手の2名の二等兵には車の番を命じ、ギャラガ少尉には村の井戸の位置の確認を命じた。ギャラガが面食らった表情で聞き返した。

「井戸の位置確認ですか?」
「スィ。地下に水脈が通っている。井戸の場所で水の流れがわかる。遺跡の方角もわかる。地図がなくても辿り着ける。」

 ギャラガは文化保護担当部ではないので、セルバ共和国の古代遺跡が地下水流の上にあることを知らなかった。
 オルガ・グランデの街の地面の下には地下水流が3本もある。砂漠の台地の都市に見えるが、天然の上水道を持っているのだ。最も深い地下川はアリの巣の様な金鉱山の坑道の最深部に僅かに接しているだけで、何処かの海に流れ出ているのだろうと考えられている。他の2本はオルガ・グランデの命の水だ。都市部だけでなく、僅かな耕地にも水を提供していた。サン・ホアン村もその地下川の支流が近くにある筈だった。
 低い塀に沿って歩いて行くと、村の中が見えた。子供達は学校へ行っているのだろう。若い連中は街へ働きに行っているに違いない。年寄りしか姿が見えない。ふとギャラガは面白いことに気がついた。10軒ほどしかないのに、どの角度から見ても家が7軒か8軒しか見えないのだ。必ず2、3軒は他の家の陰になって見えない。外敵の目を誤魔化す工夫だな、と思った。昔は盗賊が出没したのだろう。
 塀に裏門があった。そこから細い道が伸びて斜面を下って行った先に井戸が見えた。高低差はそんなにないが距離があった。水汲みは重労働だ。彼は井戸の周辺を見下ろした。地表の川なら北から流れてきて井戸がある谷間で西へ折れて海に向かうだろうが、地下の川はどうなっているのだろう。
 ふと見るとブッシュが地面の筋に沿って北東の方向へ生えていた。よく見るとそれに沿って道らしき跡もあった。
 ギャラガは井戸まで行ってみた。石で囲った丸い井戸だった。覗き込むとかなり深い位置に黒く水が見えた。自分の顔が小さく映っていた。落ちたら助からないな、と思った。子供が水汲みをするのは無理かも知れない。釣瓶がないが、ここで水を汲むのだろうか。
 彼は付近の風景を記憶して村へ戻った。 

第2部 涸れた村  3

 翌朝、起床ラッパの音で一行は目覚めた。大食堂で兵士達と一緒に朝食を取り、車両部へ向かった。オフロード車2台と運転手兼護衛の兵士2名が待っていた。前夜の打ち合わせで、リーダーを最年長で唯一人の民間人テオに決めたので、彼が車の乗車割り当てを行った。彼は年齢が近い方が話も弾むだろうと気を利かせたつもりで、デネロス少尉とギャラガ少尉を2号車に、ステファン大尉と己を1号車に振った。しかし乗り込むときに、何となく2号車に気まずい空気が流れていることに気がついた。

「2人の少尉は不仲なのか?」

とテオが心配すると、大尉が肩をすくめた。

「わかりません。ただ互いに口を利かないだけです。」

 1号車の運転手は小柄なアフリカ系のムラートと”ティエラ”のハーフでチコと名乗った。2号車は背が高いメスティーソでパブロ、どちらも二等兵だった。車に乗せる人が将校でしかも大統領警護隊とあって、彼等は緊張していた。チコがサン・ホアン村への道を知っていると言うので、運転を任せてテオとステファン大尉は後部席に乗った。2号車を振り返ると、ギャラガ少尉が助手席に座り、マハルダが後部席で踏ん反りかえっていた。彼女はアサルトライフルを組み立てて装備しており、ヘルメットを被って完全に発掘調査隊護衛モードに入っていた。

「なかなか立派な大統領警護隊文化保護担当部ぶりだな。」

とテオが感想を漏らすと、ステファン大尉も苦笑して同意した。

「我々も戦闘服ぐらい持って来るべきでした。」

 車が走り出すと、背後に砂埃が立った。2号車が気の毒な程だ。しかし”ヴェルデ・シエロ”なら車1台の結界は朝飯前の筈だ。

「東海岸に住んでいると、ここは別世界に思える。」

とテオが素直な感想を述べた。オルガ・グランデが故郷のステファンも同意した。

「快適さに慣れると柔になってしまいます。」
「だが本隊は厳しいだろう?」
「毎日の日課は大したことありません。大統領官邸の警護だけですから。」
「たまには休暇をもらってお袋さんに会ってやれよ。」
「皆にそう言われてますが、自分で作ったルールなので、納得出来る成績が上げられる迄は帰りません。」
「グラシエラだって、やっと兄貴と暮らせるようになったのに、またいなくなってがっかりしてたぞ。」
「これから電話は入れます。」

 道路が舗装路からダートになった。揺れとエンジン音で前の席の人間は後部席の会話が聞こえない。それでも運転手に気を遣ってテオはステファンに顔を寄せて英語で尋ねた。

「ギャラガは本当に”シエロ”かい? 殆ど白人に見えるが?」
「”シエロ”です。彼は・・・」

 ステファンはちょっと躊躇ってから言った。

「彼は1年前の私です。」

 テオが視線を上げて彼の顔を見た。カルロ・ステファンの顔も白人の血が入っているとわかる容貌だが、それでも先住民の血が半分入っているのが明確だ。しかしギャラガは髪の色も肌の色も白人だ。

「彼は”心話”しか使えないのか?」
「それならまだマシですが、彼は使えないのです。否、昨日迄使えなかったのです。」

 テオが目をパチクリさせた。

「”心話”を昨日迄使えなかった? それでよく警護隊に採用されたな?」
「彼は夜目が効くのです。だから”シエロ”だと判別されました。それなりに気の大きさもあります。」
「抑制が利かない?」
「それどころか、己の気の存在に気がついていません。」

 テオは後ろを振り返った。土埃の中の2号車はどうやらマハルダ・デネロスの結界に守られている様だ。

「そんな”シエロ”がいるのか?」

と思わずテオは尋ねていた。昔のステファン大尉は”心話”しか出来なかったが、放出する気は大きくて、彼自身持て余していた。彼は能力の使い方を知らなかっただけで、本人は使えないと思い込んでいた。しかし、アンドレ・ギャラガは”シエロ”たる自覚がないのだ。
 ステファン大尉が言った。

「彼は幼い頃、母親にネグレクトされていた様です。」
「どっちの親が”シエロ”なんだ?」
「彼が本部に告げた情報では、父親が白人でアメリカ人、彼が幼い時に死亡。母親がメスティーソの”シエロ”で彼が10歳の時に死亡。噂では母親は街娼だったそうです。」
「それじゃ、父親が死亡と言う情報は怪しいなぁ。母親から子供への情報だけだろう。」
「スィ。母親は生きていくのが精一杯で子供の面倒を見る余裕がなかったのでしょう。彼は10歳で孤児になり、生きるために自分で年齢を誤魔化して陸軍に入ったんです。すぐにバレましたが、追い出されずにそのまま兵士として生きて来ました。士官学校には入れず、特殊部隊で訓練されている時に警護隊のスカウトに発見されたのです。彼の採用には司令部でも賛否両論分かれたそうですが、最終的に目覚めた時に最悪の事態が起こらぬよう警護隊で面倒を見ると決まったのです。」
「君は随分彼の経歴に詳しいな。」

 すると大尉が溜め息をついた。

「副司令官からの命令で、私がこの任務の間に彼の能力開発の糸口を見つけることになっているのです。情報は全て副司令から頂きました。」


2021/08/31

第2部 涸れた村  2

  テオドール・アルストがオルガ・グランデ基地に到着したのは兵士達の夕食が終わって2時間も経ってからだった。トウモロコシのトラックに便乗させてもらって路線バスよりは早く着いたが、市場がある場所から基地までの足を探すのに手間取ったのだ。結局彼は奥の手を使った。基地に電話して車両部で働く軍属のリコと言う男に迎えの車を手配してもらったのだ。リコは以前オルガ・グランデの実力者アントニオ・バルデスと言う半分マフィアの様な男の手下だった。記憶喪失になったテオが身元調べの為にオルガ・グランデにやって来た時に出会い、ケツァル少佐の盗品捜査に協力した見返りに身の安全を保証してもらった。つまり、バルデスが手を出せない陸軍基地で雇用され住み込みで働いているのだった。リコはテオを命の恩人だと敬っていたので、基地へ行きたいとテオが電話で告げると、自ら庶務用のトラックを運転して迎えに来てくれたのだ。テオは夕食がわりに肉の串焼きを買って、リコと2人で食べながら基地へ向かった。
 基地では先に到着していたマハルダ・デネロス少尉が司令官に砂漠の遺跡へ行く装備を要請していた。始めて山を越えて西へ来た若い娘っ子の要請など司令官は聞きたくなかったが、彼女は緑の鳥の徽章を胸に付けていたし、彼女の後ろに立っている男は私服姿ではあったが見覚えのある大統領警護隊の大尉だった。ケツァル少佐が連れていた部下だ、と記憶していたので、基地司令官はロス・パハロス・ヴェルデスの機嫌を損なうのは止めようと思った。それに遺跡調査の警護に人員を出すと基地へ降りる政府の交付金が増えるのだ。デネロスは司令官に6人の3日分のキャンプ装備と食糧、車2台と警備兵2名を出すことを承知させた。
 司令官室を出ると、ステファン大尉が彼女に囁いた。

「なかなかやるじゃないか。足りない物はなさそうだ。」

 えへへ、とマハルダが笑った。発掘調査隊警護の補佐でアスルに付いた時、あの気難しい先輩少尉からみっちりしごかれたのだ。
 ギャラガ少尉が先に休んでいる大統領警護隊用休憩室のそば迄来た時、反対側からやって来たテオと出会った。マハルダがきゃっと声を上げてテオに跳び付いた。

「ブエナス・ノチェス! 良かった、間に合いましたね!」
「ブエナス・ノチェス、マハルダ。空の旅は快適だったかい?」
「ノ、ノ、バスの方が良いです。」
「だが悲鳴を上げなかったのは偉かったぞ。」

 ステファン大尉が揶揄った。テオがデネロスを離して彼を見た。パッと顔が輝いた。

「カルロ! 久しぶりだなぁ! 元気してたか?」

 ステファン大尉はテオにハグされた。条件反射的に全身が硬直したので、テオが離れて笑った。

「すまん、すまん、君はこれが苦手だったんだな。」
「申し訳ありません、どうも男性に抱きしめられると、あの時の記憶が蘇って・・・」

 それでもステファンも苦笑していた。そして彼の方から改めてテオをハグした。

「また一緒に仕事が出来て嬉しいです。」

 2人は体を離した。デネロスが休憩室のドアを開いて、手招きした。
 ギャラガは大統領警護隊の官舎とさして変わりのない室内で、官舎と変わらない質素なベッドに座って地図を眺めていた。サン・ホアン村は記載されていたが、ラス・ラグナス遺跡はどこにも載っていなかった。村から車で4時間も走れば隣国だ。国境を越える様な厄介な話にならなければ良いが、と思っているところにステファン大尉とデネロス少尉が白人男性を連れて戻ってきた。この人がドクトル・アルスト? と思っていると、果たして大尉が「ドクトル・アルストだ」と紹介した。そしてテオにも「アンドレ・ギャラガ少尉です」と紹介してくれた。テオがにこやかに「ブエナス・ノチェス」と挨拶した。白人は十中八九握手を求めて来るのだが、テオは右手を左胸に当てて”ヴェルデ・シエロ”流に挨拶した。それでギャラガは敬礼で返して、大尉を見た。この人は一族のことを知っているのか? と思ったら、大尉が頷いたので、ギャラガは驚いた。”心話”が出来た? 大尉が呟いた。

「今更驚くなよ。」

 銘々が割り当てのベッドに座った。男女同室なので、デネロスも同じ部屋だ。コーヒーもビールもなかったが、テオがここへ来た経緯を話し始めた。エル・ティティの町の郊外でミイラ化した死体が発見され、身につけていた笛でサン・ホアン村の住人らしいとケサダ教授が鑑定してくれたこと、ゴンザレス署長がオルガ・グランデ警察に問い合わせて見ると、サン・ホアン村の占い師フェリペ・ラモスが行方不明になっていたこと、ラモスは生前ラス・ラグナス遺跡が荒らされていると言っていたこと、ラモスの遺体は遺族が引き取りに来たので、明日になれば村へ戻って来るだろうこと。
 テオが語り終えると、ステファン大尉が難しい顔になった。彼はテオに大統領府西館庭園での怪異の話をした。

「我々は空間に歪みが出来た原因究明と修復の為に遺跡へ行くのですが、遺跡荒らしが殺人事件と繋がっていると考えて良さそうですね。」
「恐らく、確実に繋がっているだろうな。だが、もう犯人は遺跡にいないだろう。」
「遺留品だけでも探しましょうよ。」

とデネロスがノリノリの声で言った。初めての単独調査を命じられて来たが、どうもオブザーバーが3人もいるようだ。しかし彼女はそんなことを気にしていなかった。盗掘調査と殺人事件捜査が重なっていそうだと好奇心が彼女を興奮させていた。
 その雰囲気を察したテオが大人の常識で注意した。

「殺人事件だとはっきりしたら、憲兵隊に捜査権が移るんだよ、マハルダ。」
「わかってます・・・って、警察じゃないんですか?」
「国境に近いし、先住民村だから憲兵隊の管轄だ。」

 ”ヴェルデ・シエロ”でなく”ヴェルデ・ティエラ”の先住民保護区になるのだ。メスティーソの村でないことを、テオはラモスの遺体を引き取りに来たサン・ホアン村の住民を見て知った。先住民率が住民の9割を越えると保護区指定になり、刑事事件は警察ではなく憲兵隊が担当する。小さな僻地の村ほど保護区に指定される率が高くなるのだ。ラモスが占い師として村の尊敬を集めていたのも納得だ。

「憲兵隊は民間人の俺が捜査に首を突っ込むのを許さないだろうし、君達も管轄違いだと追い払われる。下手をすると指揮官同士で喧嘩になるぞ。」
「憲兵隊長とエステベス大佐が喧嘩ですか?」

 デネロスが面白がっているので、ステファン大尉が「熱が出そうだ」と呟き、テオとギャラガは思わず笑った。

第2部 涸れた村  1

  アンドレ・ギャラガにとって大統領警護隊の女性隊員は高嶺の花だった。彼女達は純血種でもメスティーソでも誇り高く、自分より能力が下の男達に振り向きもしない。ケツァル少佐の様な女性は勿論論外だ。高級将校だし、そばにいるだけでも能力の高さも強さもわかる。他の女性隊員も皆昇級すると塀の外の世界へ出て行ってしまう。セルバ共和国の政界財界を動かす人々のそばで働く為だ。彼女達は”出来損ない”の”落ちこぼれ”など存在すら気に留めていないのだ。
 マハルダ・デネロス少尉と空軍の基地で出会った時、ギャラガはまずい相手に出会ってしまったと思った。訓練生時代、虐めに遭っているところを何度も目撃されていた。そして無視されたのだ。もっとも助けられでもしたら、却って自分が傷つくとわかっていた。
 デネロス少尉はギャラガを無視して、ステファン大尉に飛びついた。大尉が突然転属してしまったことを責め、少佐を一人にしたことを詰り、皆に寂しい思いをさせていることを散々愚痴った。ステファン大尉は絡みつく子供を宥める口調で彼女の相手をした。

「修道院に入った訳じゃないんだから、いつかは帰るさ。」
「そのいつかは、何時なんです?」

 ムリリョ博士みたいなことを言ってデネロスが拗ねて見せた。

「私に上官3人の面倒を見させないで下さいね。」

 ステファン大尉は笑って、彼女を抱きしめた。まるで兄妹だ。それからやっとギャラガを紹介してくれた。

「アンドレ・ギャラガ少尉、私の5日間だけの部下だ。」
「知ってます。カベサ・ロハ(赤い頭)のアンドレでしょ。」

  ギャラガはちょっと躊躇ってから言った。

「その呼び方は好きじゃないんだ。だから、ギャラガ少尉で良い。」

 デネロスは彼を眺め、「わかった」と答えた。
 3人はヘリコプターに乗り込んだ。正副のパイロットが2名、そして大統領警護隊3名、オルガ・グランデ基地へ派遣される新兵3名でヘリコプターはグラダ・シティを飛び立った。今迄セルバ空軍は夜間飛行をしたことがなかった。セルバ共和国の法律で夜間の航空機による山越えを禁止していたからだ。しかし計器の発達でティティオワ山を上手く回避出来る様になったので、その年の初めに法律が改正され、基準値を満たす計器を搭載した航空機に限り、国防省の許可を得て飛ばすことが出来るようになった。ギャラガ達が乗ったのは、正にその基準に合格した航空機3機のうちの1機、唯一のヘリコプターだった。
 離陸したのは午後4時近かった。3時に離陸予定だったが、セルバ共和国らしく整備点検で1時間遅れたのだ。これが我が国の空軍だ、と時間に正確がモットーの陸軍の出である大統領警護隊は情けなく思った。
 輸送機の揺れよりはマシな震動だった。それでもギャラガは昼食が少なくて正解だったと思った。デネロスは叫びたいのを我慢していた。高い場所は平気だと思っていたが、高過ぎた。思わず隣のギャラガの手を握ってしまった。お陰でギャラガは気分が悪いのを忘れることが出来た。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...