2021/09/03

第2部 涸れた村  12

  走りながらギャラガは拳銃をホルダーから抜いた。安全装置を外した。デネロスを見ると彼女はアサルトライフルを水平に構えて走っていた。遺跡を走り抜け、坂を少し上り、初めて見る大きな岩の手前で、地面に落ちている物を見つけ、彼は急停止した。思わずデネロスに怒鳴った。

「止まれ! 踏むな!」

 デネロスも何か見えていたのだろう、ピタリと足を止めた。
 砂の上に自然に落ちている筈のない物が散らばっていた。ギャラガは最寄りの物を拾い上げた。黒い革財布だ。中に入っていた紙幣がはみ出していたので、押し込めて、中身を検めた。名前が書かれた物はなかったが、見覚えがあった。
 デネロスも別の物を拾い上げた。こちらは誰の持ち物か明白だった。身分証が入ったカードケースだ。緑色の鳥の徽章も入っていた。彼女がギャラガに囁く様な低い声で言った。

「カルロの身分証よ。」
「こっちは財布だ。」

 地面を見ると何か引きずった様な跡が砂の上にあった。それは長くはなく、すぐに激しく乱れて砂を蹴散らした感じで、そして忽然と岩の前で消えていた。いきなり引っ張られて、抵抗して・・・それからどうなった?
 ギャラガは周囲を見回した。岩が点在しているが、概ね平坦な地面が少し低い位置に広がっていた。昔沼があった場所だ。
 デネロスが足跡を迂回して大岩に近づいた。彼女の目が金色に輝くのが見えた。

「ここに、”入り口”があるわ。」

 ギャラガがそこに近づいた時、遺跡の方からテオの声が聞こえた。

「おーい、何かあったのか?」

 振り返ると携行ライトの光が遺跡の中を動いていた。デネロスが自分のライトを点灯させた。

「ここです! テオ、足元に気をつけて!」

 テオが彼女のライトを発見してやって来るのがわかった。ギャラガは不思議に思えた。

「彼は”ティエラ”だろ? どうして何かが起きたってわかったんだ?」
「彼はわかるのよ。」

とデネロスが答えた。

「さっき私達が感じたカルロの気を、彼も感じたの。よくわかんないけど、彼は少佐とカルロが危険を察知したりする時に発する気の動きを感じ取るのよ。きっとグラダ族の気が凄く強いか、独特の波長をしているのだと思うわ。」
「それでも普通の”ティエラ”は感じる筈がないと思うが・・・」

 デネロスはテオが特殊な生まれの人間であることをギャラガに教えるつもりはなかった。ここで話す場合ではないと心得ていた。彼女はこれだけ言った。

「テオは文化保護担当部のお守りみたいな人なの。だから少佐はこの任務に彼を加えたのよ。」


2021/09/02

第2部 涸れた村  11

  近くにあった石垣が新しくなっていた。最近積まれたような感じで、雑草も生えていない。蟻塚も壁になっていた。人家だ。地面は石畳? 開けた空間だったのが、石の家並みに囲まれていく。ギャラガは足を止めた。やって来た方向を振り返ると、石の門が見えた。
 デネロスも立ち止まって周囲を見回していた。道の片側に溝があって水が流れていた。家の隙間から沼が見えた。岸辺に葦が生い茂る沼だ。人の気配はなかった。
 ギャラガはコンドルの神像があった区画へ行ってみた。そこに小さな祠があった。現代でもビルや家屋の外壁に扉付きの戸棚の様な祭壇がつけてあるのを見かける。そんな風な祠と言うかミニ神殿だ。現代の祭壇は、マリア像やキリスト像が祀られているが、ラス・ラグナスの小さな神殿はコンドルの神様が入っていた。派手な色で彩色されていた。干した魚や野菜が供えられている。何の神様なのだろう。
 ギャラガはデネロスを振り返って声をかけた。

「おい・・・」

 忽ち風景が消え去った。砂に戻ろうとしている廃墟が戻って来た。
 デネロスがガックリと肩を落とした。

「声を出さないでよ・・・折角精霊が昔の風景を見せてくれていたのに・・・」
「精霊?」

 ギャラガは戸惑った。”ヴェルデ・シエロ”が神として普通の人間達から崇められている様に、”ヴェルデ・シエロ”は目に見えない精霊を信仰している。それはギャラガも大統領警護隊に入ってから同僚達の会話で知っていた。だが本気で信じている人がいるとは思っていなかった。だから、ステファン大尉から文化保護担当部にいたと聞いた時、どうして大統領警護隊が遺跡保護の仕事なんか担当するのだろうと、彼は疑問を抱いたのだ。ステファンに連れられてロホのアパートに行って、ロホと大尉の会話を聞いていたら、悪霊がどうの、精霊がどうのと言う話ばかりしていた。盗掘品密売人を捕まえる仕事じゃなかったのか? とギャラガは不思議に思った。そして、彼自身納得がいかないのだが、ケツァル少佐に面会した時、彼女の美貌も理由の一つであったが、その強烈な気の大きさに、精霊は存在するのだと思ってしまったのだ。

「精霊は静寂の中でしか現れてくれないのよ。そんなことも知らないの?」

とデネロスが怒っていた。ギャラガは己の無知に腹が立った。だから彼女に八つ当たりした。

「そんなこと、知る訳ないだろ! 私は今まで警備の仕事しかしたことがなかったんだ。君みたいに遺跡に足を運んだり、考古学の勉強をした経験なんてないんだよ!」
「貴方のお母さんは、家で精霊を祀っていなかったの?」

 デネロスの言葉にギャラガは口を閉じた。家で精霊を祀る? それが”ヴェルデ・シエロ”の家の常識なのか? 
 デネロスが溜め息をついた。大統領警護隊全員が文化保護担当部の職務を理解している訳ではない、と彼女は反省した。ロホやアスルが行っている悪霊祓いや逃げ回る精霊を捕獲するのは非常に特殊な仕事なのだ。普段の自分達の仕事は考古学者達をゲリラや山賊から守ったり、盗掘されないよう見張ったり、遺跡泥棒を追跡することだ。

「ごめん」

と彼女が言った。

「貴方は文化保護担当部じゃないものね。修行した訳じゃないから、精霊の扱い方を知らなくて当然なんだわ。怒ってごめん。」

 急に謝られて、ギャラガはまた戸惑った。こんな時、なんて言えば良いのだ?
 その時、空気がビーンと張った感覚があった。彼はビクッとして遺跡の外へ顔を向けた。デネロスも同じ方角を見た。

「感じた?」
「ああ・・・」
「あれは・・・カルロよ!」


第2部 涸れた村  10

  レトルトパックのシチューで夕食を取った後、小1時間ばかり仮眠した。チコとパブロはテオと大統領警護隊が遺跡を調べている間にキャンプ周辺に溝を掘っていた。溝で囲んだ内側は石を取り除き、蠍や蛇が隠れる場所を作らないように工夫した。”ヴェルデ・シエロ”達がいる間は安全だが、彼等が遺跡へ出かけると不安になるので、テオは砂漠に慣れた彼等の仕事に感謝した。
 仮眠から覚めると、大統領警護隊は遺跡へ出かけた。二等兵達に正体を知られたくないので、携帯ライトを照らして歩いて行ったが、キャンプより高い位置にある遺跡だ。焚き火の灯が見えなくなると、ステファン大尉達はライトを消した。

「マハルダとギャラガは遺跡の中を調べてくれ。私はテオが吸い殻を拾った辺りを見る。何か見つけたら声を出しても構わない。」
「承知。」

 デネロスとギャラガは心ならずもハモってしまった。
 ステファン大尉が遺跡の外へ出て、大昔の沼地跡へ歩いて行った。デネロスとギャラガは空間を眺めながら少しずつ歩を進めて行った。

「チコとパブロは私達が夜の遺跡に出かけると言ったら、変な顔をしていたわね。」

とデネロスが話しかけた。ギャラガは肩をすくめた。

「そりゃ、普通の人間はこんな暗がりを歩いて探し物なんかしないからさ。」
「私、その『普通の人間』って言葉、好きじゃないの。」

と彼女が言った。

「私は、私は普通だ、と思ってる。でも能力を隠して生きるのも、そんなに悪くない。大統領警護隊に入って気を制御出来る様になってから、”ティエラ”達が私を除け者にしなくなった。子供時代は作れなかった友達が、大学に入ってからいっぱい出来た。そして彼等に出来なくて私だけが出来ることがあるって思ったら、とっても嬉しくなっちゃう。私は普通の人間の一人で、ちょびっと皆より優れているだけって思うことにしているの。」
「君は前向きで良いな。」

 ギャラガは呟いた。

「私は普通の人間でなければ、一族でもない、中途半端な存在だ。”出来損ない”の”落ちこぼれ”だ。」
「どこが?」

とデネロスが少し怒った様なトーンで問いかけた。

「ちゃんと”心話”が出来るようになったじゃない。夜目も効くし、大きな気も持っている。カルロは昨年迄”心話”しか使えない人だったけど、兵士としての技量で頑張って大尉迄昇級して、それから能力が開花したのよ。貴方はまだ大尉より若いじゃない。これからいくらでも修行を積めるわ。」

 同輩に説教されて、ギャラガは黙り込んだ。デネロスの言う通りだった。ステファン大尉が大統領警護隊の中で一目置かれているのは、グラダ族の強い能力もあるだろうが、兵士としての戦闘能力が優れているからだ。たった一人で反政府ゲリラ”赤い森”を殲滅させたのは、少尉達の間で伝説に迄なっている。能力を使わずに、ジャングルの中で知恵を絞ってアサルトライフルと軍用ナイフだけで敵を倒したのだ。ギャラガは陸軍特殊部隊でゲリラと戦った経験があった。命懸けの経験はしていたのだ。仲間の兵士を守って戦った。敵も倒した。十分自信を持って語られる経験だ。大統領警護隊に入って劣等感に苛まれ、今までそれを忘れていた。
 自分に誇りを持て。
 ギャラガは己に言い聞かせた。
 デネロスにアドバイスの礼を言おうとして顔を上げると、遺跡の風景が一変していた。


第2部 涸れた村  9

  ステファン大尉はそっと”節穴”に指を入れてみた。すっと指が通り、彼は急いで指を抜いた。

「向こう側の”穴”は針の穴ほどの大きさで、向かいの石壁が辛うじて見えるだけでした。こちら側は大きいし、人の指が通ります。こちらが”入り口”に間違いありません。”入り口”と言っても、人が通れる大きさではありませんが。」

 彼はテオに説明した。テオは石像を見つめた。

「神様の目をくり抜いたら、大統領官邸の庭へ”空間通路”が開いてしまったんだな。目を盗んだヤツは知っていてやったのかな?」

 石像周辺に石の欠片が落ちている様子がなかったので、石像の目玉が持ち去られたと考えるのが妥当だろう。

「サン・ホアン村を通らなければここに来られないでしょう。」

とデネロスが言った。

「泥棒は車を使って来たのではありませんね。”空間通路”を通って出入りしたんですよ。恐らくこの付近に”出入り口”が揃っている筈です。」

 ”空間通路”を見つけるのが上手なのはブーカ族だ。デネロスはワタンカフラ地区のブーカ族だが、その血は8分の1だけのメスティーソだ。まだ自分で”入り口”を見つけたり、一人で通った経験がなかった。ステファン大尉もいくらかブーカ族の血が流れているが、”入り口”を見つけるのはあまり得意ではない。”通路”の利用は何度か経験があった。ギャラガに至っては、”空間通路”は話に聞いただけで、見たことがなければ使ったこともなかった。母親の話を信じれば、この中で一番ブーカの血が濃い筈なのだが。
 夕暮れの風が一行の頬を撫でた。デネロスが西の空を見た。

「日が暮れます。キャンプに戻って夕食にしましょう。その後でこの付近を調べます。テオはキャンプに残って下さい。」
「どうして?」
「夜は目が見えないでしょう?」

 言われてみればその通りだ。ここには街灯がない。太陽が沈めば、蠍や毒蛇や毒蜘蛛が出てくる時間だ。”ヴェルデ・シエロ”達は夜でも目が見えるし、気を放出して小さな敵を寄せ付けないが、普通の人間には危険な時間帯になる。
 テオは承知した。

「わかった。車の番をしている。パブロもチコも訓練された兵隊だから、護衛は心配ない。もし人殺しの”ヴェルデ・シエロ”が現れたら、銃をぶっ放すから、戻って来いよ。」


第2部 涸れた村  8

 ラス・ラグナス遺跡はとても人工物と思えない程風化していた。住居跡も井戸の跡も神殿跡も判別がつかない。石垣だってよく見ると石が積まれているな、とわかる程度だ。ただの土塊か蟻塚に見えた。雨季に生えた草の枯れたのがところどこでひび割れから垂れていただけだ。 
どんなに贔屓目に見ても、盗まれそうな物なんてなかった。発掘申請が出ないのもわかる、とデネロス少尉は思った。一体、どこに盗掘被害が発生しているのだ? コンドルの目って、何処にコンドルがあるのだろう。彼女は丹念に壁や石垣の成れの果てを見て歩いた。取り敢えずスマホで写真を撮った。
 ギャラガは遺跡と言われている場所の周囲を歩いて、侵入者の痕跡を探した。風で足跡などは消えてしまっているだろうが、何か落ちていないか地面を熱心に見て歩いた。反対方向からテオが同様に地面を眺めながら歩いて来るのが見えた。埃だらけになるのも厭わずに活動している。大尉やケツァル少佐が「ドクトル」と呼んでいたから、きっと何か偉い学者なのだろうと思ったが、まだ名前しか聞いていなかった。
 近くまでテオがやって来たので、「何かありましたか?」と訊いてみた。するとテオはポケットからハンカチに包んだ物を出した。

「こんな場所にあるには不自然な物を見つけた。街中だったら無視するがね。」

 ギャラガが覗き込むと、それはタバコの吸い殻だった。確かに不自然な物だ。

「確かに、不自然ですね。」

 テオが自分の鼻先にそれを持っていった。

「俺の鼻は普通の人並みなんで、匂いを嗅ぎとれない。君はどうだい? 何か匂うかな?」

 顔の前に差し出されて、ギャラガは鼻を寄せた。タバコの匂いしかしない。

「タバコです。それ以上、銘柄は私には・・・」

 彼はそこで言い淀んだ。

「私は10歳で入隊して、17歳の時に大統領警護隊に拾われました。陸軍ではいろんなタバコの臭いを嗅ぎましたが、これは・・・最近嗅いだことがあります。」

 彼は無意識にステファン大尉の方を見た。大尉は遺跡の入り口近くに立って、また空を見上げていた。テオがギャラガの視線を追って大尉を見た。

「そうか・・・」

とテオが呟いた。

「これは、抑制タバコだ、そうだろう?」
「スィ! そうです、抑制タバコの臭いがします!」

 2人はタバコの吸い殻をもう一度見た。ギャラガは断言した。

「巻紙が警護隊の支給品とは異なります。しかし、抑制タバコは市販される物ではありません。必要とする”ヴェルデ・シエロ”が自分で作る物なのです。」
「それでは、”シエロ”が最近ここに来ていたんだ。」
「しかし村人はそんなことを言っていなかったのでしょう? 殺された占い師がわざわざ探しに行ったのですから。」
「フェリペ・ラモスから遺跡荒らしを聞かされた”シエロ”がここへ来たのか、あるいは・・・」

 想像したくないことをテオは考えついて、ゾッとした。

「遺跡を荒らしたのは”シエロ”だったのかも知れない。」
「ラモスが救護者と信じて近づいてしまったのが、遺跡荒らしの”シエロ”だったと言うことですね?」
「その可能性が大きいな・・・」

 テオはギャラガについて来いと合図して、2人は遺跡に入った。古代セルバ文明の神殿の多くは南向きに建設されていた。太陽を見るためだ。そして神殿は集落より北側にあった。だから発掘する時、南側を「入り口」として発掘調査隊は遺跡の地図を描く。ステファン大尉は「入り口」から少し入ったところで目を閉じて空へ顔を向けていた。日差しを楽しんでいる様に見えたが、そうではなかった。テオが「おい」と声をかけると、片手を上げて黙れと合図した。そして耳を指差した。何かの音を聞いていたのだ。遺跡の中ではデネロスが砂の上を静かに歩きながら石垣チェックをしていた。
 テオは静かに歩いたつもりだったが、普通の人なのでどうしても足音を立ててしまった。ステファン大尉が諦めて目を開けて友人を見た。

「何かありましたか?」
「スィ、アンドレと俺の意見が一致した物があった。」

 テオはギャラガにも来いと合図して、ハンカチに包んだタバコの吸い殻を大尉に見せた。ステファン大尉がポケットから自分のタバコを出して、それと比較した。

「手製の抑制タバコに間違いありません。乾き切っているので、製造がいつなのか不明ですが、私の支給品より古いでしょう。2、3ヶ月は経っている筈です。」

 テオが「俺達の推理を教えてやれ」と言ったので、ギャラガは”心話”で先刻のテオとの会話を伝えた。大尉が頷いた。

「一族の者全てが神様と呼ばれる資格がある人間とは限りません。考えたくありませんが、悪魔もいるでしょう。」

 悪魔の発想はキリスト教徒だ、とテオは思った。ステファンはカトリック教徒として子供時代を過ごしたのだ。尤も、十戒の 汝盗むなかれ を平気で破っていたが。
 その時、デネロスが「テオ!」と呼んだ。男性3人全員が振り返った。

「どうした?」
「声がします。」

 彼女が手招きしたので、彼等はそっと歩いて彼女のそばへ行った。デネロスがシーッと口元で指を立てた。全員で耳を澄ませて立っていた。
 風が砂を撫でる音がして、それから男の声が聞こえた。

「アレイルサ中尉、交替します!」

 確かにそう聞こえた。テオはステファン大尉を見た。大尉はギャラガを見た。ギャラガが言った。

「警備第1班のアレイルサ中尉でしょうか?」
「警備の交替時間かい?」
「スィ。夕食前の交替です。」

 デネロスが東の方向を指差した。

「あっちから聞こえたわ。」

 そちらを振り向いて、大尉とギャラガは同時に「あった!」と声を出した。灰色の岩壁があった。大統領警護隊西館庭園の”節穴”から見た物にそっくりの色だった。その対面側を見ると、風化しているが頭部と胴体がある石像が立っていた。嘴をカッと開いて、両翼も広げていた。石の目玉は左は少し欠けているように見えたが嵌っていた。しかし、右目がなかった。右目があった筈の箇所に穴が空いていた。デネロスが腰を屈めて穴を覗き込んだ。
 向こう側はベージュ色の壁で、制服姿の警備兵がアサルトライフルを抱えて立っているのが見えた。

 

 

第2部 涸れた村  7

  村長の家を辞して塀の外に出ると、ギャラガ少尉と2人の二等兵は車の影で休憩していた。上官達が出て来たので、二等兵達はそれぞれの車の運転席に乗り込んだ。テオとデネロスもそれぞれの車に乗った。ギャラガはステファン大尉の前に立った。黙って大尉の目を見た。教わった通りに井戸や谷間の風景を思い浮かべた。すると、大尉の方からも村長の妻の話が流れてきた。一瞬にして情報交換が終わった。
 ギャラガは目を伏せた。まさか、こんなに簡単に”心話”が出来るとは! 大尉が言った。

「井戸の水位はかなり下がっているな。この村の死活問題だ。早く原因を突き止めよう。」

 ギャラガは敬礼し、慌てて2号車の助手席に駆け込んだ。大尉も1号車の後部席に座った。今度は地図にない道を行く。大尉は地図とギャラガが見た道らしきものを思い出しながら運転手のチコに行き先を教えた。
 チコもパブロも運転技術はかなりのもので、悪路を飛ばして行った。サン・ホアン村が見えなくなり、丘を回って北側へ回り込み、少し下ると半時間もしないうちに遺跡が見えてきた。
 大昔は沼だったのかも知れない窪んだ土地は乾き切っていた。心持ち高くなっている平坦な場所に風化した石塀や建物の基礎らしき物がポツポツと並んでいた。これが遺跡だなんて、知識がなければ見落としそうだ。
 遺跡の手前の平坦地に車を停めた。そこをキャンプ地にすることに決めた。本当は遺跡を見下ろせる場所にしたかったが、丘を上る道がなく、平な場所もなさそうだった。それに日陰も重要だ。キャンプ地から遺跡が見えないのが少し不満だ、とテオは思った。
 二等兵2人が遅い昼食の支度を始めたので、全員で手伝った。将校が炊事を手伝うので、チコとパブロは驚いた様子だった。火を熾して焚き火を作り、そこで珈琲を淹れた。オルガ・グランデ基地は今回も水だけで食べられるパック入りの食事を用意してくれていた。厨房の責任者はセンスが良い、とテオとデネロスは笑った。ギャラガとステファンはテントを張り、野営地設営を担当した。食事も全員一緒だった。チコが歌を歌い始め、皆で手拍子で合わせると、ちょっとしたキャンプ気分が味わえた。
 ギャラガは不思議な気分だった。食事時が楽しいなんて、今まで思ったことがなかった。腹が満たされればそれで良かったのだ。だが、土曜日にステファン大尉と一緒に大統領警護隊の本部を出発してから、ずっと食事が美味しく楽しめた。デネロスがパブロの手を取って、踊ろうと誘った。若いパブロは真っ赤になりつつも、彼女と向かい合ってチコの歌に合わせて体を揺すったり飛び跳ねたり、回転したりとはしゃいだ。
 ステファン大尉が空を見上げた。真っ青に晴れ渡った空だ。テオが携帯を出した。

「ここはアンテナが立たないなぁ。やっぱり来た道を辿って行かないと、電話も役に立たないようだ。」
「村は立ちませんでしたか?」

 ギャラガが尋ねると、テオは「立たなかった」と答えた。

「国境の向こうにもアンテナはないようだ。衛星電話を借りてくれば良かったな。」

 彼は強い日差しで白く輝く大地を眺めた。本当にここに大昔沼地があったのだろうか。

「夕方、遺跡に行って見よう。其れ迄、全員シエスタだ。」


第2部 涸れた村  6

  村長の妻はテオやステファン大尉ではなく、デネロス少尉に向かって語った。

「村の井戸が今年の初めから涸れ始めています。」

と彼女は話を始めた。

「水位がどんどん下がって、水汲みが難しくなりました。もう子供では汲めない深さ迄水が下がっています。フェリペは何故水が来ないのか、お伺いをたてにラス・ラモスへ行きました。
帰って来た時彼は怯えていました。神様が傷つけられた。コンドルの目が盗まれたと言いました。
 私達は思い出しました。昔、私達の父親が金鉱山で働いていたんです。その時、落盤事故がありました。父親も鉱夫達も岩の壁の向こうに閉じ込められました。会社が壁を崩すのに3日かかりました。皆生きていました。」

 吶吶と話す彼女の言葉をテオもステファンも黙って聞いていた。質問したいことはあっても口出しはマナー違反だ。昔の落盤事故と井戸の枯渇と盗掘がどう結びつくのかと思いながら。
 村長の妻が声を潜めて囁いた。

「閉じ込められた鉱夫の中に、”シエロ”がいたんです。」

え?! 

 テオもステファンもデネロスもびっくりして互いの顔を見合わせた。テオが思わず口を挟んだ。

「”ヴェルデ・シエロ”が鉱夫の中にいたのですか?」

 村長が首を振った。そんなの嘘に決まってる、と言うジェスチャーだ。そんな与太話を白人や大統領警護隊なんかに聞かせるんじゃない、と言いたげに妻を睨んだ。だが、テオはわかっていた。村人は彼女の父親の話を信じている。神様の話を他人に語るのがタブーとなっているだけだ。
 村長の妻は怯えた様な目で夫を見た。だからデネロスが彼女を励ました。

「大統領警護隊は貴女を守ります。語って下さい。」

 妻は2分間も沈黙して、やっと続きを話し始めた。

「”シエロ”が崩れた岩を弾き飛ばして、皆を救ったのだと父親は言いました。だから怪我人も死人も出なかった。会社が坑道を掘って救助に来た後、その”シエロ”はどこかへ行ってしまったそうです。きっと正体を知られたので、去ってしまったのだと父親は言っていました。」
「その人の名前は・・・?」

 思わずステファン大尉が質問した。彼の父親も祖父も金鉱山で働いていた。年代的には祖父の代になるだろうか。だが妻は首を振った。

「父親は神の名前を私達に教えてくれませんでした。」

 当然と言えば当然か、とテオは納得した。太古から守り続けて来た信仰だ。昨日迄の仲間が神様だった、なんてびっくりだが、助けてくれた神様を守るために、その落盤事故に遭った人々は全員自分達の記憶を封印したのだ。会社の経営者である白人達に神様を売り渡したりしない。

「フェリペは、まだオルガ・グランデにその”シエロ”がいるかも知れないと言ったんです。」

 ここで、繋がった! テオは感じた。フェリペ・ラモスは陸軍基地へ行って何時来るかわからない大統領警護隊へ通報する前に父親を助けてくれた”ヴェルデ・シエロ”を探そうとしたのだろう。何かツテがあったのかも知れない。フェリペ・ラモスの父親を助けた”ヴェルデ・シエロ”の鉱夫はもう年老いていなくなっていると思われるが、神様を信じる占い師は彼がまだ健在だろうと希望を賭けたのだ。だが、出会ったのは神様ではなく悪意のある人間だったのだ。
 ステファン大尉が故郷の言語で何か質問した。村長の妻は首を振った。デネロスがテオに通訳してくれた。

「カルロは”シエロ”が居そうな場所に心当たりはないかと質問しました。でも彼女は知りません。」

 すると村長が言った。

「バルに行って、誰にともなく問いかけるのです。雨を降らせる人を探している、と。」

 テオがキョトンとすると、ステファン大尉が解説してくれた。

「雨の神はジャガーです。」

 それだけで、テオは理解出来た。”ヴェルデ・シエロ”のナワルは基本的にジャガーだ。ナワルを使える人をフェリペ・ラモスは酒場で求めたのか? それに殺人者が応えた?
 彼は村長に尋ねた。

「フェリペの最近の写真はありませんか?」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...