2021/09/07

第2部 地下水路  10

  テーブルの上には粘土の他に蝋燭の燃え残りが5個、干からびた鶏の頭部3個、萎びた植物の葉の束が残っていた。

「心臓はコンドルの神様への生贄でしょう。」

とケツァル少佐が言った。

「ロホがそのコンドルの神様がどう言う力を持つ精霊なのか調べてくれています。」

 テオはステファン大尉が不満そうな表情になったのを見逃さなかった。これは彼の任務なのだ。しかし完全に大統領警護隊文化保護担当部にお株を奪われている。それは彼が望んだことではなかった。古巣の文化保護担当部に介入を許してしまったのは、彼自身の失敗に原因がある。彼は悔しいのだ。些細なミスで敵に捕虜にされて元上官に助けられる羽目になったことが、口惜しいのだ。それに彼はその元上官を超えたくて修行に励んでいると言うのに。
 少佐がギャラガに命じた。

「家の中を詳細に調べて犯人の身元特定の糸口を探しなさい。」

 ギャラガがキビキビと動き始めた。テオも一緒になって屋内のガラクタを調べ出した。少佐がステファンに尋ねた。

「敵はどうして急に撤収したのです? 貴方が電話をかけたからですか?」
「スィ。爺さんが私が放った微細な気を感じ取ったのです。電話の電波が結界を破ったとかなんとか言っていました。」
「結界を破った? 電波で破られる結界ですか?」

 少佐が髪を掻き上げた。考え込む時の彼女のポーズだ。

「結界は我々一族が互いに争うのを防ぐ為の防壁です。人(この場合は”ヴェルデ・シエロ”限定)や石や矢の投擲は防げますが、電波は防げないでしょう。」
「”ティエラ”が作る物は結界を通りますよね?」
「通ります。こちらが意識して破壊しない限りは弾丸でもミサイルでもなんでも通ります。」
「彼は私が電話をかけたので、私の気が彼の結界を破ったのだと勘違いしたのでしょう。」

 少佐は頭から手を下ろした。

「結界を張って呪い人形を使う儀式をしていた・・・その年寄りはシャーマンですね。」
「ブーカのマレンカ家の様な?」
「ノ、マレンカの一族は神に仕える神聖な家柄です。他人に呪詛をかけるような下品なことはしません。」

 テオが戻って来た。

「何にもない家だ。空き家に勝手に入り込んで寝グラにしていたんだろう。」

 ギャラガも居間に戻って来た。

「ほんの2、3日の滞在だった様です。儀式を行う場所としてここを見つけていたのでしょう。住んでいた形跡はありません。」

 そうなるとケツァル少佐の次の決断は早かった。

「グラダ大学へ行きましょう。」

 テオは目的の人物に当たりがついた。

「ケサダ教授かムリリョ博士を訪ねるんだな?」

 少佐がニッコリしたので、またステファン大尉が不満げな顔をしたが、テオは敢えて無視した。君は彼女がどれだけ君のことを心配していたか知らないだろう、と彼は心の中で呟いた。



2021/09/06

第2部 地下水路  9

  水で湿らせた古いタオルでステファン大尉の頭髪を拭うと、ドキッとする程血で汚れた。しかし当の傷の方は既に治りかけていて、頭皮に赤い線状の傷口が見えただけだった。気絶していた途中で苦い液体を飲まされたと彼が言うと、少佐がそれは麻酔効果がある薬草の汁だろうと言った。捕虜を眠らせて逃亡を防ぐのが目的で与えたのだろうが、眠ったお陰でステファンの頭部の傷の治りが早くなったのだ。
 何か覚えていることはないか、とテオが尋ねると、大尉は考えてからこう言った。

「若い男は魚臭かったです。」

 魚? テオと少佐は顔を見合った。ギャラガは遺留品のタバコの吸い殻を見た。ラス・ラグナス遺跡に落ちていた抑制タバコではなく、セルバ共和国なら何処ででも手に入る安物の既製品紙巻きタバコだ。

「遺跡に来た人物と同一でしょうか?」

 彼が呟くと、大尉が頷いた。

「同じ人物だ。私は君とデネロスと別れてドクトルが吸い殻を拾った場所へ行った。そこで人の気配を感じた。恐らく、私が近づいたので、先にそこにいたヤツが”入り口”に飛び込んだのだ。私は”入り口”を見つけ、うっかり手を中へ入れてしまった。先に入ったヤツが”通路”を閉じようとしたので、吸い込まれてしまったらしい。咄嗟に警報を発するのが精一杯だった。」
「それと財布のばら撒きとね。」

とテオが口を挟んだ。

「何か見つけたら声を出して構わないって言ったのは、何処のどなただったかな?」
「虐めないで下さい、テオ・・・」

 ステファン大尉が情けない顔をした。怖くて少佐の目を見られない様だ。

「目隠しされて、頭は痛いし、で暫く気を発すのを控えていました。それにあの爺さん・・・だと思いますが、年嵩の方が、やたらと私の心臓を欲しがるので、ナワルを使えない”出来損ない”だと思わせる為に出来るだけ力を使わないようにしていました。」
「どうしてあの年寄りは大尉の心臓を欲しがったのです?」

 ギャラガの質問にケツァル少佐が答えた。

「儀式に使う生贄が欲しかったのです。」

 彼女が茶色の塊をテーブルの上に転がした。土の塊に見えた。テオはそれを遠慮なく摘んで見た。

「粘土の塊に見える。」
「スィ。粘土で人形を作っていたのです。」
「人形を使う儀式と言えば・・・」

 大尉が考え込んだ。テオが先に思いついた。

「呪いだね?」
「スィ。それもただの呪いではありません。生贄を要求している儀式ですから、目的は呪殺でしょう。」

 少佐が不潔な物を見るように粘土の塊を見るので、テオはテーブルに置いた。ちょっと指を洗いたくなった。

「粘土の人形の中に心臓を入れるのか?」
「ノ。人形の中に入れるのは、殺したい相手の持ち物や髪の毛です。儀式を行って、最後に人形の頭を叩き潰す、或いは胸に釘を打つ、首をへし折る・・・」
「わかった。」

 テオは少佐を遮った。ギャラガはびっくりした。上官が話している時に遮ると懲罰ものだ。しかしテオは民間人で白人だった。軍隊の規則も”ヴェルデ・シエロ”の作法も無関係の人だ。平気で少佐を遮り、また質問した。

「それじゃ、生贄はどこで使うんだ? それにコンドルの神様の目玉はどこなんだ?」


第2部 地下水路  8

  歩きながらケツァル少佐が説明した。

「先刻感じていた気の放出が、金属音が聞こえる直前に途切れたのです。恐らく、ドアを開けた人物が放っていたのでしょう。」
「”ヴェルデ・シエロ”か?」
「スィ。 喋っていた言葉も一族の言語です。」
「なんて言っていたんだ?」

 するとギャラガが翻訳した。

「自信はありませんが、『心臓をくれ、ジャガーよ』と言っていたと思います。ちょっと地方の訛りがあるような・・・。」
「はぁ?」

 テオは少佐を見た。少佐が頷いた。

「その通りです。生贄の要求です。ですが、彼は後から来た男に叱られました。」
「叱られた?」
「”出来損ない”に構うな、と2人目の男は言ったのです。」
「すると敵は少なくとも2人、カルロを”出来損ない”の”ヴェルデ・シエロ”と看做して捕まえているんだな?」
「1人目は年配の様な気がします。恐らくカルロがナワルを使えるとわかっています。2人目はカルロの力を見くびっているか、あるいは庇っています。」

 突然、少佐は立ち止まり、片手を上げて男達を足止めした。家の角から向こう側をそっと覗き見た。テオも気になって身を屈め、彼女の脇から角の向こうを見た。
 薄汚れた古いワゴン車が路地に停車していた。横の家屋から老人と若い男が出てきた。老人は白髪頭で長髪だ。顔の皺が深いが、口元に青黒い痣が見えた。くたびれた服装で、擦り切れた革の鞄を大事そうに抱えていた。若者は現代風の髪型で、服装も小ざっぱりしていた。老人を先住民言語で宥めているのか叱っているのか、何か言いながらワゴン車の助手席に押し込めた。急いで運転席に回って車に乗り込むとエンジンをかけた。ワゴン車は古いがエンジンは快調な様で、すぐに動き出した。彼が車に乗り込む際に周囲を警戒して見回したので、少佐とテオは顔を引っ込めた。車が走り出すと、角から曲がって、車番を見た。泥だらけだが、何とか読めた。
 ワゴン車が次の角を曲がって去ると、テオとギャラガは男達が出てきた家の中へ駆け込んだ。入り口は無施錠で、中に入ると元から空き家だったのか、生活臭がなかった。最近の物と思われるテイクアウトの食べ物のゴミとビールの空き缶が床に散乱していた。テーブルだけが綺麗で、しかし上に何か訳のわからない物が載っていた。
 テオとギャラガは人間の気配を感じなかったので、不安に襲われながらも声をかけた。

「カルロ!」
「ステファン大尉!」

 隣の部屋でドタドタと床を蹴る音がした。2人はドアを押し開け、そこで縛られて転がされているステファン大尉を発見した。大尉の近くに携帯電話が転がっていた。
 テオはステファンに駆け寄ると上体を起こした。すぐに目隠しと猿轡を取ってやった。

「大丈夫か?」
「水・・・」

とステファンが囁いた。

「水を下さい。口の中が苦い・・・」
「待ってろ!」

 テオは元の部屋に戻った。少佐がテーブルの上の物を検めながら彼に苦情を呈した。

「安全確認もせずに家の中に突入するものではありません!」
「カルロが心配だったんだよ。それより水だ。」

 別のドアがあり、そちらは少佐が安全確認で開いたのだろう、開放されたままだった。テオはそちらへ入り、台所だと判断した。食器はあったが水道は出なかった。中庭へ出るドアがあったので、外に出ると井戸があり、ポンプで水が出た。ポンプは使われているのだろう、水は綺麗だったので、台所からコップを持って行き、洗ってから水を入れた。
 屋内で銃声が聞こえた。彼は慌てて走った。しかし少佐は平然と居間におり、駆け込んで来たテオを見て、ちょっと笑った。

「ギャラガ少尉がカルロを縛っている革紐を銃で撃っただけです。」
「どうして?」
「ナイフを持っていなかったので。」

 脱力した。そこへギャラガと共にステファン大尉が現れた。足元はしっかりしている様だ。彼は少佐がいるのを見て、罰が悪そうな顔をした。

「ご心配おかけしました。」
「その通りです。」

 少佐は部下の失態には冷たい。特に、将来を期待している部下には。彼女は椅子を指さした。

「頭を見せなさい。傷を診ます。」

 椅子に腰を下ろしながら、ステファンが尋ねた。

「何故頭を殴られたとご存知なのです?」
「頭痛で気を使えなかったのでしょう?」
「そうです・・・」

 少佐はギャラガの目を見た。恐らくさっきのテオと同じ内容の叱責が伝えられたのだろう、若い少尉がしゅんとなった。テオは急いで水を汲みに戻った。

2021/09/05

第2部 地下水路  7

  少佐のベンツでテオとギャラガが”着地”した下水道が通る地区へ行った。途中でベンツが進入するには困難な道幅となり、少佐は男2人を降ろして大胆にもかなりのスピードで後退して行った。こんな狭い道をよく速度を落とさずにバック出来るものだと男達は感心した。

「普通、女性はバックが苦手だと思っていましたが・・・」

とギャラガが呟くと、テオが面白そうな顔をした。

「大統領警護隊の女性隊員もかい?」
「スィ。たまに他の車両にぶっつける隊員がいます。」
「それは男女の脳の違いなんだが・・・」

 テオはもう少しで生物学の講義を始めてしまいそうになって自重した。ギャラガは興味ないだろうし、遺伝子の知識も細胞の知識もない若者を混乱させても意味がない。

「ケツァル少佐を他の女性と同等に考えることが根本的に間違っていると思う。ただ、ちゃんと男女の差も見える時があるがね。」
「どんな時です?」
「彼女は広範囲に長時間結界を張れる。」

 ああ、とギャラガはそれだけでテオが言いたいことを理解した。

「女性は守護の力に優れています。男性は攻撃的な面に力を使いますから。」
「スィ。普通の人間も同じだ。男女の能力は守るか攻めるかで得手不得手が現れる。だから文化保護担当部の男達は少佐の承認下で働く時に安心出来るのか、能力を存分に発揮する。彼女に内緒で活動すると失敗が多いんだ。」

 彼等は口をつぐんだ。住民が通り過ぎて行った。入れ違う様に少佐が歩いて戻って来た。服装は民間人だが背筋をピンと伸ばして颯爽と歩く姿は軍人だ。拳銃ホルダーが見えないが、恐らく足首に装着しているのだろう。
 テオとギャラガのそばに来ると、彼女が尋ねた。

「何か感じませんか?」
「何かって何を?」

とテオは訊き返したが、ギャラガは産毛が逆立つような感覚を覚えた。

「何処かで誰かが気を放っていますね?」
「スィ。弱いですが、長い時間持続している様です。」
「大尉でしょうか?」
「ノ。これはカルロではありません。」

 ケツァル少佐は部下達の気の波動を判別する。誰がどんな状況で放ったか感覚でわかるのだ。ギャラガは知らないだろうが、彼の気も既に彼女に覚えられている。
 テオは”ヴェルデ・シエロ”達のアンテナに任せることにして、邪魔をしないように黙って立っていた。
 沈黙して立っている少佐を見て、ギャラガも息を整えて心を空白にした。なんだか気持ちの悪い波動だ、と思った時、テオの携帯電話が鳴った。少佐に睨まれて、テオは慌てて電話を出した。誰だ、こんな大事な時に・・・。

「未登録番号だ・・・待てよ、この番号は・・・」

 ギャラガが横から覗き込んだ。

「それは、土曜日に購入した大尉のプリペイド携帯です!」
「確かか?」
「スィ!」

 彼の自信のある声を聞いて、テオはボタンを押した。

「カルロ?」

 返事はなかった。ケツァル少佐もそばに来た。電話は繋がっている。何か物音が聞こえた。人間の呻き声? テオはもう一度呼びかけた。

「カルロ、君か?」

 また呻き声が聞こえた。こちら側の3人は互いの顔を見合わせた。ギャラガが呟いた。

「大尉が気の力で電話をかけて来ているんです。」

 その時、呻き声が止んだ。金属が軋む音が聞こえた。物音が聞こえた。不明瞭で何の音かわからないが足音だろうか。やがてボソボソと男の声が聞こえた。テオには理解出来なかったが、ギャラガは怪訝な表情になり、少佐は硬い表情をした。テオは「ヤグァ」と聞こえた様な気がした。
 また別の男の声が聞こえた。腹を立てている様だ。最初の男と口論になった、とテオは感じた。ちょっとドタバタと音がして、突然スペイン語が聞こえた。

ーーお前、電話をかけたのか?!

 プツン、と電話が切れた。
 ケツァル少佐が顔を上げた。

「面白い!」

と彼女が言った。そして南の路地を指差した。

「あっちです。」


2021/09/04

第2部 地下水路  6

 ケツァル少佐は5杯目のコーヒーを注文し、3皿目のトーストを食べた。周囲のテーブルの客は既に5回転ほどしている様な気がした。テオが「今日は火曜日だな」と呟いたので、ギャラガは頷いた。捜査期限は明日だ。2日でコンドルの目を取り返して元の位置に戻せるだろうか。否、その前にカルロ・ステファン大尉を見つけ出して無事に救出出来るだろうか。
 視線を感じて顔を上げると、ケツァル少佐の後ろのテーブルにロホとアスルが座っていた。思わず先輩に敬礼すると、テオが気づいて後ろを振り返った。

「ヤァ、ブエノス・ディアス!」

 彼が陽気に挨拶すると、ロホが微笑み、アスルはフンと言った。

「駐車場にベンツがあるのに開庁時間になっても少佐が来られないから、様子を見にきたら、ここで油を売っておられる。」

 アスルが皮肉を言った。少佐が地図を見たまま応えた。

「誰が油を売っているんです?」

 ロホがアスルの顳顬をピンっと指で弾いた。

「代理でお仕置きをしておきました。」
「よろしい。」

 少佐は電話を出して何処かに掛けた。暫く呼び出し音を聞いてから、電話に出た相手に名乗った。

「大統領警護隊文化保護担当部指揮官ミゲールです。」

 相手の挨拶を聞いてから、彼女は尋ねた。

「ラ・コンキスタ通りとメルカトール通りの交差点広場の下水道はどんなルートで何処へ流れていますか?」

 また数分間待ってから、彼女は「ではよろしく」と言って電話を切った。電話をテーブルの上に置いて、後ろのテーブルを振り返った。

「今日の申請は多いですか?」
「どうでしょう、まだ1日が始まったばかりですから。」

 いかにもセルバ的な返事をしたロホは己の携帯を出して何かを調べた。

「ホルフェからのメールでは3件だそうです。」
「では明日に延ばしなさい。」

 文化保護担当部の業務内容を決定するのは指揮官だ。

「アスルはラス・ラグナスの遺跡に関する情報を収集しなさい。未調査の遺跡ですから、資料は少ないです。飛ぶことを許可しますが、くれぐれも無理をせずに慎重になさい。」
「承知。」

 アスルが立ち上がって店から出て行った。ギャラガは「飛ぶ」の意味がわからず、テオを見た。テオは何か知っていそうな表情だったが言葉に出さなかった。店内の客層が変化していた。早朝は互いに顔馴染みの感じだったが、時間がたつと見知らぬ者同士になってきたみたいだ。
 少佐は次の命令を出した。

「ロホはコンドルの神様に関して情報を収集しなさい。怒りの鎮め方を必ず調べるように。」
「承知しました。」

 ロホも静かに立ち上がって店から出て行った。
 少佐の電話にメールが着信した。画面を見た少佐はそれをテオに見せた。テオが画面を見て頷いた。そしてギャラガに回してくれた。グラダ・シティの下水道配置図だった。紙の地図を撮影したもので、少佐が質問した下水の流れが赤いペンで強調されていた。それはギャラガとテオが歩いたルートで、少佐が黙って指先である一点を指した。2人が”着地”したポイントだ。その近辺にカルロ・ステファン大尉はいるに違いなかった。

 

  

第2部 地下水路  5

  カルロ・ステファンは”出口”から出た途端に後頭部に打撃を受けて昏倒した。一度目が覚めたが、目を開けないうちに口の中に苦い液体を流し込まれ、また意識を失った。
 2度目に目が覚めた時は、縛られていた。猿轡を噛まされ、目隠しをされ、後ろ手に縛られ、足首もご丁寧に縛られていた。硬い床の上に転がされていた。後頭部がズキズキ傷んだが、手を縛られているので傷の確認が出来ない。
 目隠しされていると言うことは、敵は私が何者かわかっているに違いない。
 手を縛っている物を切ろうとしたが、切れなかった。金属なら簡単に砕けるが、革紐はいけない。もがくと却って皮膚に食い込んだ。ロープだったら良かったのに、と思った。気を放とうとすると頭部の傷がズキリと痛んだ。傷が治るのを待つしかない。
 遠くで人の話し声が聞こえていたが、言葉を聞き取れない。ボソボソと聞こえるだけだ。男が2人、と彼は数えた。言い争っている様にも聞こえた。
 ここは何処なんだ? オルガ・グランデか? それとも何処か地方の村か? ラス・ラグナスの”入り口”に吸い込まれてから何時間経った? 
 声が止んだ。床の微かな振動で人が近づいて来るのがわかった。床は木製だ。じっとしていると錆びた蝶番が軋む音がして、冷たい空気が流れて来た。ドアが開けられたのだ。人の気配があった。戸口で立ち止まってこちらの様子を眺めているのだ。タバコの臭いがした。抑制タバコではない、普通のタバコだ。安物の紙巻きタバコだ。男だ。戸口に1人、向こうの部屋にもう1人。
 戸口の男が近づいて来た。ドアを閉めて、さらに近づいて来た。タバコの臭いは少し薄れた。喫煙者は隣の部屋の男だ。入って来た男がステファンの側で立ち止まり、かがみ込んだ。

「目が覚めたか?」

と若い男の声がした。

「まさか一族の者があの遺跡に行くとは予想外だった。しかも”入り口”を見つけて追いかけて来るとはな!」

 金属音が聞こえた。ステファンは、その余りに聴き慣れた音にドキリとした。彼自身の拳銃の安全装置を外す音だった。銃を奪われたのだ。考えれば当然だった。右腕を吸い込まれ、左手で辛うじてポケットの中の財布やパスケースを地面に落として”入り口”の場所を仲間に教える目印にするのがやっとだった。ホルダーの拳銃を出す余裕がなかった。

「政府支給品の印が付いている。」

と男が言った。

「お前、何者だ? 警察官か? 憲兵か?」

 メスティーソが大統領警護隊だとは思い付かない様だ。ステファンはいきなり冷たく硬い物で頬を軽く叩かれた。拳銃の先で突かれたのだ。

「大人しくここで寝ていろ。そうすれば殺さない。するべきことが終わったら釈放してやる。」

 男が立ち上がり、戸口へ行った。ドアを開ける音がして、タバコ臭い空気が入ってきた。もう1人の男の声が聞こえた。年配の嗄れた声で、”シエロ”の言語で言った。

「ジャガーを生贄に使わせろ。」

 若い方が言った。

「何度言えばわかる、あれはジャガーではない。”出来損ない”だ。ナワルを使えない。」

 ドアが閉じられた。
 ステファンは己がミックスであることに感謝した。



第2部 地下水路  4

  次にケツァル少佐がテオとギャラガを連れて行ったのは、テオには余りにも馴染み深い店だった。セルバ共和国文化・教育省が入居している雑居ビルの1階にあるカフェだ。彼女も朝食はまだだったので、そこで朝ご飯を3人で食べた。正直に言えば、ギャラガにはファストフードの店での食事は初めてだった。ちょっとした弾みで少佐と目が合ってしまった。

ーー何から何まで貴方は初めてなのですね。

と少佐が”心話”で語りかけてきた。

ーー良いことではありません。早いうちに本部から出なさい。

 ギャラガは慌てて目を伏せた。”心話”の拒否は目上の人に対して失礼な態度を取ることになるが、彼は心を読まれたくなかった。テオが提案してくれた文化保護担当部に入れてもらう話を少佐に知られたくなかった。もしここで少佐に拒否されたら、将来が閉ざされた気分になってしまいそうだった。
 テオがカフェの入り口に置かれている無料配布の観光マップを持って来た。グラダ・シティの観光マップだ。

「下水道は描かれていないが、今朝俺達がラス・ラグナスから到着したのはこの辺りじゃないかな。」

 彼は街の一角を指で押さえた。ラ・コンキスタ通りをずっと南下した辺りだ。ギャラガはグラダ・シティっ子なのにグラダ・シティのことをよく知らない。思わず、どんな場所ですか、と尋ねてしまった。少佐が遠慮なく答えた。

「低所得者層の住居が集まっている地区です。スラムではありません。」

 つまり、先刻蒸し風呂に入れてもらった薬屋の様な家屋が密集している地区だ。路地があり、増改築を繰り返した複雑な家があり、中庭があり、迷路の様に入り組んだ道路があり・・・。

「俺達はカルロを追いかけて”入り口”に入った。恐らく彼も俺達が出た場所の近くに出た筈なんだ。」
「下水道か地上かの差でしょう。」

と少佐が意見を述べた。

「それなら、消えてから5時間・・・否、もう6時間以上経っている。何らかの連絡を寄越しても良さそうなものだ。」

 テオの言葉を聞いて、ギャラガはうっかり考えを口に出した。

「気絶しているのかも知れません。」

 少佐が彼を見たので、彼はまた目を伏せた。彼女が溜め息をついた。心を開かない若者にちょっとうんざりした様だ。彼女はテオに話し掛けた。

「遺跡で抑制タバコの吸殻を拾ったそうですね。」
「スィ。カルロとアンドレの意見では、手製だそうだ。」
「遺跡荒らしは一族の者でしょう。カルロは捕まって正体がバレたのだと思います。」
「身分証は置いて行ったぞ。」
「でも通路を通った。だからバレたのです。電話を使えない状態ですが、生きているのでしょう。」

 淡々とした物言いだ。ケツァル少佐にとってカルロ・ステファンは他の男達とは違う存在だ。大事な部下で、可愛い弟で、愛しい男・・・。しかし彼が危機に陥っても彼女は決して慌てない。否、一度慌てて彼女自身が撃たれると言う失態を演じてしまった。だから彼女は今冷静でいる。焦ってもカルロを見つけられないとわかっているからだ。
 テオが小声で尋ねた。

「”離魂”でも探せないか?」
「気絶している間は無理です。彼が私を呼んでくれれば行けますが。」

 り・・・離魂?! ギャラガはびっくりした。そんな長老級の技を”心話”並みの気軽さで口に出すこの2人は・・・? 
 少佐がギャラガを見た。

「ギャラガ少尉、こっちを見なさい。」

 ギャラガはビクッとして上官を見た。少佐が命令した。

「もう一度、今朝歩いた下水道を思い出しなさい。他のことは考えなくてよろしい。」

 あんなトンネルを思い出して何になるのだろうと思ったら、少佐が眉を寄せた。やばい、「聞かれた」。深呼吸して下水道だけを思い出した。カーブや曲がり角や支流管や壁の様子・・・。梯子まで思い出すと、少佐が「グラシャス」と言った。そして彼女は目を閉じた。少し考え込む様子だった。少佐の電話に着信があった。彼女は電話を出すと、見もしないでテオに渡した。テオが見ると、画面に「マハルダ」と出ていた。彼は代理で出た。

「ケツァル少佐の電話だ。」
ーーテオ!

 デネロスが大きな声で叫んだので、テオは電話を耳から遠ざけた。

ーー無事に”着地”したんですね!
「ああ、無事に着いた。グラダ・シティだ。」
ーー良かった! 
「だが、まだカルロは見つからない。現在捜査中だ。」

 テオは少佐を見た。少佐は特にデネロスと話をしたい気配がなかった。目を開いて地図を睨んでいた。それで彼女に尋ねた。

「マハルダを撤収させて良いか?」

 少佐が無言で頷いた。彼は電話に向かって言った。

「少佐が帰って来いってさ。」
ーー承知しました。
「チコとパブロによろしく言っておいてくれ。」
ーーあ・・・

 デネロスが申し訳なさそうに言った。

ーーあの2人はもうあなた方のことを忘れました。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...