2021/10/11

第3部 隠された者  1

  テオが自宅の玄関の鍵を開けると、リビングの照明が点いた。短い廊下の奥のリビングで、カルロ・ステファン大尉がソファに横になっていて、テオが部屋に入ってくると上体を起こした。

「こんばんは。勝手に休ませてもらっています。」
「ヤァ。いつでも使ってもらって構わないって言ってるじゃないか。」

 テオは鞄を己の寝室のドアを開けて中へ放り込んだ。長時間のドライブを2日連続で行ったので、体が強張った感じだ。肩を回しながらキッチンへ行って冷蔵庫を開けた。中身は変化していなかった。ビール以外は。彼はビールを1本取り出し、ステファンを振り返った。

「君も飲むかい?」
「いただきます。」

 もう1本取り出してリビングに戻った。向かい合って座り、栓を抜いた。ステファンが尋ねた。

「また文化保護担当部と出かけたんですか?」
「スィ。少佐の口車に乗せられてまんまと利用された。」
「口車?」

 それでテオは彼にミーヤ遺跡のチュパカブラ騒動を語って聴かせた。大統領警護隊本隊には南の遺跡で起きた吸血鬼騒動を用いた麻薬組織の犯罪情報が伝わっていなかったので、ステファンは驚いた。

「へぇ! そんなことがあったのですか。」
「少佐とアスルは最初からチュパカブラなんか信じていなかったから、発掘隊に何か良からぬ企みがあって警備の目を逸らす為の狂言だろうと睨んでいたんだ。ただ発掘作業自体が停滞するのは困るから、作業員達にチュパカブラはコヨーテだと納得させて欲しいと俺に依頼してきた。俺は君から預かったジャガーの体毛とコヨーテの体毛を前後して分析したのさ。その検査結果を持って少佐とアンドレと一緒にミーヤ遺跡へ行ってきた。昨日の午後だ。南部の国境近くへ行ったのは初めてだった。結構密入国者がいるんだな。」
「海からもジャングルからも入って来ますよ。道路はしっかり警備していますがね。細工を施したトラックやバスは大概摘発出来ます。しかし国境全部にフェンスを設ける訳にいかないのです。野生動物の移動を妨げてしまうことになりますから。」
「今回の案件も密入国者の麻薬密輸だった。それに盗掘も絡んでいた。麻薬組織がチュパカブラ騒動で発掘を中止させて警備が引き揚げた隙に遺跡に麻薬を隠し、後で取りに来る算段だったらしい。ところがアスルが遺伝子分析の専門家の俺を呼び寄せたものだから、麻薬組織の下っ端が焦ったんだ。少佐とアンドレが憲兵隊と一緒に本命のアンティオワカ遺跡のフランス隊を制圧しに行った夜、昨夜だけど、アスルが俺の部屋に泊まってくれた。そしたらチュパカブラの牙を模した槍を持った男が部屋に侵入して来てアスルにとっ捕まった。俺達を刺してチュパカブラにやられた様に見せかけようとしたんだ。」

 ステファンが笑った。

「幼稚ですね。」
「スィ。アスルは連中の企みをお見通しだったが、あまりにも予想通りに動いてくれたんで呆れていたぞ。」

 ステファンはビールをごくりと飲んで、しかし、と言った。

「彼は貴方を利用したのでしょう?」
「そうだけど、俺は腹が立たない。彼はちゃんと俺を守ってくれたから。」

 テオは客間のドアを見た。

「エミリオは捜査に出ているのか?」
「ノ、今夜は官舎に帰らせました。休憩も必要ですから。」
「そうだな・・・それじゃ、今夜は君が出かけるのか?」
「0時になったら出かけるつもりです。夜明け前に戻ります。」
「ジャガーの居場所に見当がついたのか?」
「一応・・・」

 ステファン大尉はちょっと躊躇った。

「ナワルを使ったのが誰か、はわかりました。目的は何だったのか、これからマナーに関する指導を受けるつもりがあるのか、相手に接触しなければなりません。」
「簡単に会える相手じゃないのか?」
「一応有名人ですから。」

 それでテオはジャガーが誰だったのか予想がついた。

「人気者の家に大統領警護隊がいきなり押しかけたらスキャンダルになるよな?」
「忽ち町中の噂になるでしょう。それに”砂の民”が動き始めていると思われます。」
「マズイなぁ。」
「スィ。有名人なので、なおさら長老達が神経質になっているようです。」

 テオはピアニストのロレンシオ・サイスが”ヴェルデ・シエロ”であったことに驚いた。それを告げると、ステファンも頷いた。

「私も知りませんでした。私だけでなく、長老達の殆どがご存知なかったのです。」
「サイスはミックスなのか?」
「そうらしいです。片親が”ティエラ”で片親が”シエロ”であると聞きました。ただ”シエロ”の父親が認知していないのです。サイス自身もウェブサイトのプロフィールで母子家庭で育ったと書いています。父親は彼の養育に関わってもいなかったようで、サイスは恐らく自分が”シエロ”だと言う自覚がないのです。」
「それじゃ・・・」

 テオは考えた。

「君のところに偽りの目撃証言を伝えに来た女子学生は何者だい? ただの見間違いだったのか? それともサイスを庇って情報の撹乱を試みたのか? それだとしたら、彼女はサイスが”シエロ”だと知っていることになるが・・・」

 ステファンが溜め息をついた。

「ビアンカ・オルティスとサイスの関係を調べる時間はあまりないと思います。”砂の民”が本当に動いているとしたら、今この瞬間でもサイスは危険な状況にいることになります。」
「それじゃ、俺がオルティスを調べてみよう。」

 ステファンが携帯電話を出した。ビアンカ・オルティスがジャガーの目撃証言をした時の音声を録音してあったのだ。テオはその声を聞いて記憶した。

「彼女の話し方にはアスクラカン周辺の訛りがあるね。」

 アスクラカンはグラダ・シティからルート43を通ってエル・ティティに向かう途中にある地方都市で、セルバ共和国では3番目に大きな街だ。ジャングルを開墾して出来た農地の中にある。都市と言っても農産物の取引が主な産業で、工場や観光地はなかったので国外では知名度がほとんどない。ただ大きなバスターミナルがあって、セルバ人が自国を地上で東西に移動する時はアスクラカンで乗り換えたり、途中下車して休憩するのが普通だった。だからバックパッカーはそこそこ多かった。

「流石ですね、テオ。貴方の聴力の良さは私以上です。」

 ステファンが素直に褒めた。テオは照れ笑いした。

「いや、エル・ティティとグラダ・シティの往復でいつもアスクラカンのターミナルを経由するからさ。あそこで売っているパイナップルジュースをよく買うんだ。ジューススタンドのお姉さんがひどく訛ってるんだよ。」


 

第3部 潜む者  19

  その日が金曜日だと思い出したのは、車がそろそろグラダ・シティへ入ろうとする頃だった。既に夕食時間になっていた。そしてエル・ティティへ行くバスの時間も迫っていた。これは乗れそうにないと判断したテオは、ケツァル少佐がギャラガ少尉に休憩の為にドライブインに入るよう指示した時に、決意した。車がドライブインの駐車場で止まると、彼は降りる前にゴンザレスに電話をかけた。
 週明けの試験のための問題がまだ出来上がっていないこと、臨時の急用で国の南部へ出かけていたこと、バスに乗り遅れたことを正直に話し、今週末は帰れないと告げた。ゴンザレスはちょっとがっかりした様だが、了承してくれた。そしてテオが「ちょっと珍しい体験をした」と言うと、次回の帰省の時に聞かせてくれることを楽しみにしている、と言った。
 電話を終えると、車外で待っていた少佐が署長には悪いことをしたと言った。テオに謝ったのではなく、ゴンザレスに謝罪を述べたのだ。
 ドライブインで簡単な夕食を済ませ、最後はテオが運転した。門限までまだ時間はあったが、一番最初にギャラガを大統領警護隊本部前で下ろした。

「明日は軍事訓練ですから、いつもの時間にいつもの場所に集合です。」

 少佐は出張で疲れている部下に情け容赦なく翌日の予定を告げた。テオが彼女に確認した。

「土曜日の軍事訓練は任意の参加だったよな?」
「そうですが、それが何か?」

 彼はギャラガに声をかけた。

「疲れが残っていたら休んでも良い筈だ。」

 ギャラガが少佐を見た。少佐は肩をすくめてテオに言った。

「参加するか休むかはアンドレの自由です。」
「明日の訓練は何処でするんだ?」
「明日決めます。」

 彼女はギャラガを振り返った。

「昨日と今日の報告書は週明けに提出しなさい。期日は月曜日の1600です。」
「承知しました。お休みなさい。」

 ギャラガは敬礼して本部の通用門へ走り去った。
 テオはゆっくりと車を出した。

「君をアパートに届けて俺は歩いて帰る。歩きながら試験問題を考えるよ。」
「駄目です。」

と少佐がキッパリと言った。

「考え事をしながら夜道を歩くものではありません。貴方の家の前まで運転して下さい。そこから私は自分で運転して帰ります。」
「じゃぁ、そうする。」

 大統領警護隊本部からテオが住むマカレオ通りを通って少佐が住む西サン・ペドロ通りへ行くにはちょっと遠回りになる。しかし少佐は常にテオや部下の安全を第一に考えるのだ。彼はその心遣いを嬉しく思った。
 走り慣れた道を通り住宅地に入った。週末なので庭で宴会をしている家があったりして、夜遅くなっても賑やかだ。これなら不良ジャガーも出て来ないな、とテオは思った。
 自宅前に来ると、文化・教育省の職員駐車場に駐めておいた筈のテオの車が玄関前の駐車スペースに駐まっていた。テオは念のためにポケットを探った。

「家の鍵も車の鍵も俺のポケットにあるんだが・・・」
「そうですか、不思議ですね。」

と少佐が人ごとみたいに言った。テオは車を停めて、車外に出た。後部席から荷物を下ろしていると、少佐も降りてきた。

「今回は急な協力要請に応じていただいて、感謝します。」

と彼女が業務の終了として挨拶した。テオは微笑んだ。

「俺は滅多にない面白い体験をさせてもらって、感謝している。アスルと連絡が取れたら、俺が家賃を取ることにしたと伝えてくれないか。どうしても彼と同居したい訳じゃないが、彼が中尉に昇級する価値がある仕事をしていると認めている、と言ってくれ。」

 少佐が笑った。

「承知しました。彼も内心は喜んでいますよ。」

 彼女はテオの唇に「おやすみなさい」のキスをして車に乗り込んだ。

2021/10/10

第3部 潜む者  18

  ミーヤ遺跡とアンティオワカ遺跡の2箇所を任されてアスルは荷が重くないのだろうか? とテオは少し心配したが、本人は気にしていない様子だった。それによく考えたら、広いアンティオワカ遺跡に陸軍の警備兵だけが付いていて大統領警護隊がいないと言うのは可笑しいのだ。フランス隊に油断させておいて、実際はアスルがこっそり様子を伺っていたに違いない。
  少佐のベンツに荷物を積んでから、テオはアスルに昨夜の礼を言った。アスルは「仕事だ」といつもの様に無愛想に言ったが、きっと照れ臭かったに違いない。テオは予てから考えていたことを提案してみた。

「大統領警護隊の本部が君を中尉に引き上げたいと思っているのに君に固定の住所がないと言う理由で実現出来ていないと聞いたことがある。もし良ければ、登録の住所だけでも俺の家にしておかないか?」

 アスルが怪訝な表情で彼を見た。何か裏があるのかと疑っている様な目つきだったので、テオは苦笑した。

「家賃の請求なんてしないし、部屋が空いている。俺が予想するに、アリアナはセルバに戻って来るとしても、今の俺の家には住まない。セキュリティが甘いだろう? 彼女は一度恐ろしい目に遭っている。現在のカンクンのアパートも少佐の家並みの強力なセキュリティが売りなんだ。それに兄妹と言っても彼女と俺は血縁関係がない。同居しなきゃいけない理由がない。だから俺は居住場所に関して、彼女の自由にさせようと思っている。だから彼女の部屋は空いているんだ。君に自由に使って欲しい。もし誰かを泊めることになれば、君が使わなくても俺は君に必ずお伺いを立てる。」

 アスルはツンと顔を背けた。

「どこに住所を置こうが俺の勝手だ。」
「無理にとは言わないさ。君の自由だから。でも考えておいてくれ。」

 テオは車に乗り込んだ。帰りも後部席だった。少佐が運転席でギャラガが助手席だ。敬礼で見送るアスルと警備兵を後にして、ベンツは小道を走り、すぐにハイウェイに乗った。
 先刻の話を聞いていたのだろう、少佐が運転しながら尋ねた。

「アスルは貴方の家に今も泊まりに来るのですか?」
「スィ。10日程連泊することもあれば、今のように出張で数ヶ月来ない時もあるがね。朝飯作ってすぐ仕事に行くから、会話をする訳じゃない。」
「家賃を取りなさい。」
「しかし・・・」
「無料だと言ったら、却って寄り付かなくなりますよ。」
「そうか?」
「住所を置くと言うことは、そこに生活の基盤を置くと言う意味です。タダで住めるのはスラムか親の家だけです。家賃を払えと言えば、アスルはちゃんと貴方の家に住み着きますよ。」
「・・・変なヤツだな・・・」

 助手席でギャラガがクスクス笑った。子供時代をホームレスかスラムで暮らした男だ。

「クワコ少尉はプライドが高いんです、ドクトル。無料で住めと言われたら、逃げてしまいます。朝食の支度をするのは、家賃代わりですよ。」

 テオは少佐が彼の言葉を聞いてクスッと笑うのを見た。

「どうも俺はアスルの扱い方を間違えた様だ。」

と彼はぼやいた。前の席でガサガサと音がした。ギャラガが少佐に尋ねた。

「スルメを食べても良いですか? 一袋だけ開けて、3人で食べると言うのはどうです?」

 上官がすぐに返事をしなかったので、彼は言い訳した。

「この干したイカはガムみたいに噛むんです。眠気覚ましになります。」

 数秒間をおいて少佐が「許可します」と呟いた。ギャラガはグラシャスと言い、袋を開いた。後部席に体を向けて、テオに袋を差し出した。

「一つかみどうぞ。ただ指先がちょっと汚れるので気をつけて下さい。」
「グラシャス。」

 テオは初体験の食べ物を掴み取った。確かに指先に何か付着した様な感触があったが、目で見ても何もなかった。1本だけ口に入れてみた。想像したより硬かった。硬いので噛むと甘辛い味がした。焼いたイカの香ばしい味もした。

「あまり一度にたくさん食べないように。」

と少佐が注意した。

「人間には害はありませんが、ジャガーになった時は食べてはいけません。」
「それって・・・」

 テオは記憶を探った。

「生の頭足類だろう? これは加熱してあるし、ちょっと口が寂しい時にかじる程度だ。美味いぞ。」

 すると少佐がちょっとイラッとした声で言った。

「美味しいのは知っています。」

 彼女は前を向いたまま、ボソッと呟いた。

「食べ出すと止まらないのです。」


2021/10/09

第3部 潜む者  17

  昼前にアンティオワカ遺跡からケツァル少佐とギャラガ少尉が引き揚げてきた。憲兵隊はまだ奥地にいる様だ。少佐はアスルからチュパカブラ騒動の顛末の報告を受けると、彼女の方もアンティオワカでの成果を伝えた。フランス隊の盗掘は学者の犯行ではなく、彼等がヨーロッパから連れて来た学生の仕業だった。そして麻薬の方は作業員に混ざっていた密入国者のコロンビア人だった。
 テオとギャラガはテントの下で大人しく彼等の会話を聞いていた。実を言うと2人共寝不足で意識がぼんやりしてきていたのだ。それに気づいた少佐が時間制限を設けて早めのシエスタを宣言した。携行食で簡単な昼食を取って、彼等は1時間ばかり眠った。
 まだ太陽が中空にあるうちにシエスタは終了し、少佐はアスルにアンティオワカ遺跡発掘の中止命令が守られることを監視するよう命じた。

「学者達には気の毒ですが、1人でも不届き者が出ればその時点で発掘を中止させると言うのが我が国の法律ですから。」

と少佐がテオに説明した。テオは近くで彼女の言葉を殊勝な顔で聞いている日本人学者に気がついた。こんにちは、と知っている数少ない日本語で挨拶すると、向こうもこんにちはと返してくれた。

「当方の作業員からもチュパカブラ騒動の関係者が出ました。我々も中止しなければならないのでしょうか?」

 テオはケツァル少佐を見た。少佐が何か言う前に彼は弁護してみた。

「ミーヤ遺跡では盗掘はないよな? 麻薬組織の人間はいたが、作業員に紛れ込んでいただけだろう? 遺跡そのものを傷つけた訳じゃないと思うが?」

 少佐が何か言う前に、ギャラガが鼻をひくつかせた。

「何だろう? 良い匂いがする・・・」
「これかな?」

 とアスルがテーブルの上に置いてあったスルメの袋を手に取った。
 少佐が何か言う前に、ギャラガが叫んだ。

「あー、それ、知ってます! 美味しいヤツだ!」
「スルーメだってさ。」

とテオが言った。少佐が何か言う前に、日本人が言った。

「まだあります。差し上げますよ。」

 素早く自分達のテントへ立ち去ったので、少佐が首を振った。

「賄賂の要求に聞こえましたが・・・」
「そんなつもりは毛頭ない!」

とテオは言った。

「俺はまだそのスルーメを食べたことがないんだ。」
「スルーメじゃなくてスルメだ。」

とアスルが発音を訂正した。ギャラガはかつて陸軍にいた頃に先輩から分けてもらったことがあったので、味を知っていた。

「確か、干した魚でしたよね?」
「干したイカだ。」
「だから魚でしょ?」
「イカは魚類ではない。」

 そう言えばアスルは魚介類が好物なのだ、とテオは思い出した。
 日本人が新しいスルメの袋を4つ持って来た。最初にレディファーストで少佐に手渡された。少佐は気が進まなさそうな顔で受け取った。テオとアスルはその日2つ目のスルメをもらい、ギャラガは数年ぶりに干したスルメイカを手にした。

「発掘の件ですが・・・」

と少佐がやっと口に出した。その場にいた全員が彼女を見た。

「ミーヤ遺跡では盗掘の事実は確認出来ていませんし、チュパカブラ騒動に関わった人間は臨時雇用の作業員でした。従って、ミーヤ遺跡の発掘は続行許可します。」

 小さな遺跡の中に歓声が上がった。  

第3部 潜む者  16

  ミーヤ遺跡は本当にハイウェイから近かった。テオは鞄を担いで徒歩でアスルについて遺跡迄歩いた。アスルは朝食に食べたファストフード店のハッシュドポテトの油が古かったとブツブツ文句を言い、道中草むらの中に入って草をむしり食べたので、テオはちょっと驚いた。言葉に出さずに済んだが、内心「猫草じゃないのか?」と呟いてしまった。流石に猫草の様な効果はなく、アスルの腹具合が少しマシになっただけだった。
 半時間歩いて遺跡が見えて来た。確かに車があれば5分で来れただろう距離だ。遺跡の外に立っているテントも宿泊用と言うより休憩用の簡単な物で、作業員は近隣の村から来るバイトだった。陸軍の警備兵が5人いると聞いていたが、出迎えたのは2人だった。

「1時間前に憲兵隊が来て、3人を連れてアンティオワカへ行きました。」

と1人が報告した。アスルは頷いて了承を示し、来ている作業員と発掘隊を集めるようにと命じた。テオが何処の発掘隊かと尋ねると、日本だと言う答えだった。

「アンティオワカへ行きたかったらしいが、協力を申し込んだフランス隊に断られたんだと言っていた。フランス隊が断った理由はわかる。テメェらの悪行を日本人に見られたくなかったんだろ。」

 アスルがちょっと笑った。

「こっちも日本人を人質に取られずに済んで助かった。」

 テオは前日の大学駐車場での車上荒らしを思い出した。携帯電話を無造作に車の中に置きっ放しに出来る国があるのか、と思ったが、後で日系の学生に聞くと、日本でも車上荒らしはあるし、スマホを剥き出しで放置するなんてバカだ、と返された。
 時間に正確な国民性で、発掘隊と作業員は10分もしないうちに警備兵のテント前に集合した。彼等を前にして、アスルがチュパカブラ騒動の真相を語った。テオも体毛の検査結果をプリントアウトしたものを日本人の考古学者に見せた。彼等はグラフを見て、英語とスペイン語で書かれた解説を読んで納得した。通訳が作業員にもその用紙を回覧させた。
 コロンビア人のエド・ゴンボは知り合いが何人かいたが、彼等はゴンボの裏の顔を知らなかったと言った。真実なのか否か不明だが、作業員達は発掘作業を再開することに同意した。
 アスルが警備兵達と打ち合わせを始めたので、テオはテントの下に座って結果をグラダ・シティのロホに電話で伝えた。

ーーコロンビア人の麻薬密輸と繋がっていたんですか。

 電話の向こうでロホが呆れた様な声を出した。きっとアスルと少佐の作戦を知っていて、わざと驚いているのだ。テオは追及しないことにした。軍人に向かって民間人が作戦を前もって教えろと言う訳にいかない。

「ジャガーの方は進展があったかい?」
ーーノ、何も聞いていません。

 これも怪しいが、カルロ・ステファン大尉は古巣の友人に何もかも喋ったりしないだろう。

ーー今日帰れますか?
「そのつもりだが、何か用かい?」
ーー用事はありません。ただ皆出かけているので、寂しいだけですよ。

と言ってロホは笑った。

「アスルと一緒に帰るのは無理だろうけど、少佐が戻って来たら、拾ってもらうよ。」

 電話を終えてふと顔を上げると、アスルがそばに立っていた。テオに黄色い筋状の物体が詰まった袋を差し出した。何やら海の匂いがしたので海産物だろうと見当がついた。

「なんだい?」
「日本人がくれた。スルメだ。」
「はぁ?」
「干したイカだ。」

 アスルはボソッと呟いた。

「これは旨いんだ。」

 テオは有り難くいただいて、袋を鞄にしまった。アスルは彼用にもう一袋もらっているようだ。

「ジャガーがどうした?」

と彼が尋ねた。テオは彼にジャガー騒動を誰も話していないのだと気がついた。

「3日前に住宅街でジャガーが目撃されて、ちょっとした騒ぎになったんだ。大統領警護隊が遊撃班を出してジャガーの行方を探しているところさ。恐らくマナーを知らないヤツが変身したんだろうってカルロは考えている。」
「ステファン大尉が捜査責任者か?」
「スィ。デルガド少尉と2人で足跡や臭いを辿っているんだが、どうも俺の家の近所で消えたみたいなんだ。だから俺も気になっている。」

 アスルはちょっと考え込んだ。彼が慕っている先輩の相棒には特に関心はないようだ。

「騒ぎになっていると言うことは、世間に知られていると言う意味だな?」
「スィ。警察も探しているし、大学でも学生達は知っていた。実は少佐も散歩中に気配の接近を感じたそうだ。目で見た訳ではないがね。」

 アスルが唇を噛み締めて遠くを見る表情になった。彼の考えていることはわかった。世間に知られてしまったと言うことは、一族を危険に曝していると言う意味だ。”砂の民”が必ず動く。マナー違反のジャガーを何処かで密かに殺害してしまうだろう。

「俺たちは関わらない。貴方も絶対にそいつと接触するな。そいつの存在は、チュパカブラより危険だ。」


第3部 潜む者  15

 大統領警護隊からの通報を受けて国境警備に配備されているセルバ共和国陸軍の憲兵隊がホテルにやって来たのは明け方だった。早朝の出動に機嫌が悪かったので、憲兵達はコロンビア人のゴンボを手荒に扱った。テオがゴンボの牙型の槍の穂先に古い血液が付着しているのを見つけて、採取した。

「血液のDNAを分析したら、こいつが発掘作業員を刺した犯人だってわかる。」

と彼が言うと、憲兵達は喜んで任せてくれた。
 憲兵と話をしていたアスルが戻って来たので、テオは訊いてみた。

「盗掘だけでこんな手の込んだ犯行をするとは信じられない。何か他に目的があるんじゃないのか?」

 アスルが頷いた。

「盗掘はフランス人が行ったことだ。コロンビア人はコカインを密輸している。アンティオワカ遺跡の盗掘が発覚して大統領警護隊が発掘を中止させると、遺跡は立ち入り禁止区域になる。」
「そこに麻薬を隠して配送センター代わりに使うってか?」
「遺跡管理の仕事を請け負う業者がコロンビア人の仲間だ。」

 アスルは憲兵隊をチラリと見た。

「後は彼等の仕事だ。大統領警護隊は遺跡に戻る。これから作業員達に働けと言わねばならない。」
「アンティオワカ遺跡の方は?」
「既に憲兵隊が向かった。少佐が発掘隊を制圧しているだろう。誰も逃亡していない筈だ。」

 ケツァル少佐は遺跡を一つ丸ごと結界の中に入れ、発掘隊に”操心”をかけて逃げないよう大人しくさせているのだろう。恐らくギャラガは遺跡の中の証拠物件を探している筈だ。
 テオは荷物を鞄に仕舞いながら、ふと気になることがあったので、また質問してしまった。

「あのコロンビア人は、この部屋をどうして知ったんだろう?」

 そんなの問題ない、とアスルは言いた気に肩をすくめた。

「俺がフロントに客が来たら教えてやれと言っておいた。」

 つまり”操心”をかけたのだ。真夜中の客など滅多にいない。アスルはミーヤ遺跡から町までゴンボが尾行していることに気づいていたのだ。ゴンボはレストランの外でアスルが出て来るのを待ち、ホテルまでつけた。ケツァル少佐とギャラガが車でどこへ向かったのか知らなかった筈だ。知っていればアスル暗殺など後回しでアンティオワカの仲間に知らせようと走っただろう。
 テオはアスルが1人で戦うのをまだ見たことがない。以前要塞みたいな麻薬シンジケートのアジトにアスルとステファン大尉が2人だけで突入したことがあった。アスルが素手で10人と格闘して倒したと言う武勇伝が生まれた。だが目撃したのは麻薬シンジケートの連中とステファン大尉だけだ。セルバの刑務所の受刑者達はアスルを「ペケニョ・エロエ(小さな英雄)」と呼んでいるらしい。ゴンボの誤算は、外国人故にアスルを軽く見たことだ。

「君の活躍を動画に撮っておけば良かった。」

と冗談を言うと、アスルはまた「けっ」と言った。

2021/10/08

第3部 潜む者  14

  夜が更けた。テオは往路の車中でたっぷり昼寝してしまったので、明け方前に目が覚めた。枕の下に入れておいた携帯電話の時刻を見ると午前4時前だった。アスルはまだ眠っている様だ。照明を点けて起こしてしまうのも可哀想なので、テオはベッドに横たわったまま試験問題を考え始めた。恐らく半時間も経たないうちに二度寝するだろうと思っていたら、ドアの外で微かにカリカリと音がした。気のせいかと思ったが、音は再び聞こえてきた。ドアノブ辺りから聞こえた。誰かがピッキングしている、と感じた。ケツァル少佐が拳銃を貸してくれたが、アスルがいるからと思って鞄の中に入れてしまっていた。アスルはドアの音が聞こえているだろうか。狭い部屋なので声を立てられなかった。
 カチッと音がして解錠された気配がした。テオはわざとウーンと声をたてて寝返りを打って、入り口の方へ体を向けてみた。外の音が止んだ。アスルは静かだ。そのまま長い時間が経った。恐らく実際は4、5分だ。眠っているふりをしていると、ドアが動く気配がした。空気が僅かに動いた。誰かが室内に入って来た。恐ろしいほどの相手の緊張感をテオは感じた。
 これは「殺気」と言うものか?
 侵入者が体を大きく動かした。いきなり、怒号が聞こえた。

「何ヤツだ?!」

 照明が点き、テオは跳ね起きた。アスルが1人の男を後ろから羽交締めにしていた。男は手に短い槍の様な物を握っていた。槍の先端はフォークの様に2本に分かれており、鋭い刃物が付いていた。
 テオはベッドから飛び降り、男の胴に一発お見舞いした。男が怯んだ隙に槍を取り上げた。男は槍を持ち替えようとしていたが、テオに奪われてアスルを振り払うことに総力を上げることにしたらしい。だがテオが男から奪った槍を喉元に突きつけると大人しくなった。男が脱力した隙にアスルが彼を床に押し付け、膝まづかせた。腕を後ろへ回させ、手錠をかけた。テオは大統領警護隊が手錠を装備しているのを知っていたが、実際に使用するのを見たのは初めてだった。

「こいつ、犬臭い。」

とアスルが囁いた。テオは槍の先端を見た。

「コヨーテの牙みたいに見えるな。」
「こいつがチュパカブラか?」
「きっと君が俺から検査結果を受け取ると誰かから聞いて追って来たんだろう。ここで君と俺を殺害してチュパカブラの仕業に見せかけようとしたんだ。」
「大統領警護隊を何だと思ってやがる!」

 男は黙っていた。アスルが彼の上体を引き起こし、正面に回った。男の服装は普通の労働者風だ。農民かも知れない。人種はその辺にいるメスティーソだ。よく見ると全身を微かに震わせていた。大統領警護隊が恐いのだ。恐いのに、そのすぐそばでチュパカブラ騒動を起こしていたと言うのだろうか。
 アスルは男の服を探り、財布や身分証の類、その他の武器などを所持していないか探った。擦り切れた財布と折り畳みナイフが出てきた。それ以外は持っていなかった。アスルはそれをテオに渡した。
 アスルが男の顔を顎を掴んで持ち上げた。男は目を逸らそうとしたが遅かった。彼はアスルの目から視線を外せなくなった。アスルが尋ねた。

「お前は誰だ?」

 男が小さな声で答えた。

「エド・ゴンボ・・・」

 テオは財布の中から運転免許証を見つけ出した。

「エドアルド・ゴンボ・・・コロンビア人だ。」
「ほう・・・パスポートは?」
「ないなぁ。これだけだろ、ポケットの中は?」
「何処に住んでいる?」

 ゴンボはミーヤ・チウダの町の中の地区名らしき名前を口にした。本人は言いたくないだろうが、アスルの目の力に逆らえない。

「ミーヤ遺跡に出没したチュパカブラはお前の仕業か?」

 ゴンボが「スィ」と答えた。テオは槍を見た。こんな物で刺して相手が死んだらどうするつもりだ、と思った。

「仲間はいるのか?」

 ゴンボが数人の名前を挙げた。アスルの表情が硬くなった。彼はテオに告げた。

「最初の被害者2名の名前が入っている。」
「それじゃ・・・」

 テオもアスルが思ったことに気がついた。

「被害者もやっぱりグルだったんだな?」
「目的は何だ?」

 ゴンボは恐怖で泣きそうになった。アスルから逃れたいのに体が動かない。目すら動かせない。そして口が勝手に動いた。

「お前の目をアンティオワカから逸らしておくことだ。」

 アスルは「けっ」と言ってゴンボから手を離した。そう言えば、とテオは今更ながら疑問を感じた。ミーヤ遺跡は小さいと聞いているが、アスルは大きなアンティオワカ遺跡ではなくミーヤ遺跡の方を見張っている。ミーヤ遺跡はグーグルのストリートビューで見てもアスルが直々に見張るような重要性がある場所に思えなかった。

「わざとアンティオワカから副葬品を盗ませたんだ。あのフランス隊はペルー政府からもチリ政府からも要注意の勧告が出ていたからな。」

 アスルがゴンボにそう言うのを聞いて、テオはケツァル少佐がアンティオワカ遺跡へ行ったのは偶然盗掘品が発見されたからではなかったと悟った。わざと餌を撒いて盗掘者が引っかかったので、早速釣り上げに行ったのだ。そうとは知らない盗掘者達は、チュパカブラ騒動をでっち上げ、アンティオワカの近くにいる大統領警護隊の注意をミーヤ遺跡に向けさせようとしたのだった。アスルはそれに載せられたふりをして、グラダ・シティから専門家を呼ぶと作業員達に伝えた。それで盗掘者達はチュパカブラ騒動を起こしているゴンボを暗殺者として送り込んだ。アスルやテオを殺せなくても大怪我をさせれば、警察も大統領警護隊もミーヤ遺跡に集中するだろうと読んだのだ。しかしアスルはテオを餌にしてゴンボをホテルの狭い部屋に誘い込んだのだった。ゴンボはセルバ人から大統領警護隊の隊員の目を見るなと言われていたが、外国人なのでその意味を深く考えていなかった。捕まった時に目を閉じていれば良かったのだが、アスルの目を見てしまった。
 テオは餌に使われたと知ったが、腹は立たなかった。アスルはちゃんと彼をドアから遠いベッドに寝かせて自分は床で寝た。テオが目を覚ますより先に廊下の足音を聞いて起きていた。ドアの陰になる位置で立って待ち構えていたのだ。

 


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...