2021/10/19

第3部 隠された者  20

 アスクラカンに向かって早朝グラダ・シティを出発したのはステファン大尉とロホだった。2人で大統領警護隊のジープに乗ってルート43を西に向かって走った。ルート43はグラダ・シティからアスクラカン迄は中央分離帯がある立派なハイウェイだ。都会と農業地帯を結ぶ産業道路も兼ねているので、バスやトラックが頻繁に行き来している。ジャングルは開墾され、コーヒーやバナナの畑が続いているし、少し小高い農地では野菜も作られている。つまり、そこに住んでいるサスコシ族は決して田舎者ではないのだ。メスティーソの起業家達に混ざって裕福な農園経営者として成功している”ヴェルデ・シエロ”だ。後進の純血種の”ヴェルデ・ティエラ”達が労働者として働いているのと違って、古代から住み着いていた”シエロ”の方が経営者として栄えている。他の土地に住んでいる他部族がひっそりと慎ましやかに暮らしているのに、アスクラカンのサスコシ族は豊かだった。

「だからミゲール大使は金持ちなんだ。」

とステファン大尉が呟いた。ちょっとやっかみが入っていた。彼は鉱山町のスラム出身だ。イェンテ・グラダ村出身の祖父が出稼ぎに出たのがオルガ・グランデでなくアスクラカンだったら、グラダ・シティから逃げ出した父が逃げ込んだのもオルガ・グランデなくアスクラカンだったら・・・と考えて、すぐに彼は馬鹿馬鹿しい妄想だと気がついた。祖父は故郷より遠く離れた鉱山で働いていたからイェンテ・グラダ村殲滅を逃れられたのだ。アスクラカンはイェンテ・グラダ村があったオクタカスに近い。父もオルガ・グランデに逃げたから母と出会い4人も子供をもうけることが出来た。アスクラカンにいたらすぐに追っ手に見つかってグラダ・シティに連れ戻されただろう。そしてカルロとグラシエラは生まれていなかった。
 フェルナンド・フアン・ミゲール大使の遠縁の農園主の家はハイウェイから横道に入り半時間走った所にあった。民家と畑が混在する平たい土地の中に建てられた大きめの家だった。大地主と言うより何処かの会社の重役と言った感じだ。門扉は開放されたままで、運転しているステファンは停止することなくジープを敷地内に乗り入れた。
 グラダ・シティを出る前にステファン大尉はその家の当主ドロテオ・タムードに電話をかけ、訪問することを告げていた。用件は言っていない。だから家から出て来たタムードは不審そうな表情でジープから降りてくる2人の男を眺めた。タムードは60代前半の純血種だったが、彼の後ろに立っている3人の息子はメスティーソだった。つまり妻もメスティーソだ、とステファンは思った。純血種と白人がいきなり婚姻することは滅多にない。特に地方では。
 ステファンもロホも私服だったが、緑の鳥の徽章は持っていたし、規則に従って拳銃も装備していた。2人は右手を左胸に当ててきちんと挨拶をして、日曜日の朝に訪問したことを詫びた。タムードは若者達が礼儀を守ったので機嫌を直し、客を家に入れた。明るい陽光が入るリビングは窓も開放されていて風通しが良かった。タムードの長男が父親の後ろに立ち、客がその向かいに座ると次男と三男がその後ろに立つと言う伝統的な迎え方だった。つまり客が突然敵意を剥き出しにすると直ぐに応戦出来る態勢だ。
 メイドがコーヒーを運んで来てテーブルに置いて去る迄、室内は静かだった。主人も客も相手の目を見ないで、しかし相手の様子を伺っていた。やがて、タムードが口を開いた。

「ミゲールの娘からの紹介だと言うことだが、どんな用件かな?」

 ステファン大尉が答えた。

「最近グラダ・シティで音楽活動をしているアメリカ合衆国国籍のピアニスト、ロレンシオ・サイスはアスクラカンの一族の人を父親に持つと聞きましたが、ご存知でしょうか。」

 タムードが後ろの長男を振り返った。30代半ばと思しき長男が首を傾げ、それから次男へ目を向けた。次男が答えた。

「ジャズピアニストのサイスのことですね。私が聞いた話で良ければお話しします。」

 父親が頷いて許可したので、次男は立ち位置を父親の後ろへ移動し、長男と並んで立った。

「川向こうの家族に、23年前に北米へ行って現地の女性との間に子供をもうけた男がいました。男はこちらに妻と子供がおり、北米の女と子供をこちらへ呼びたいと希望しましたが、当時まだ元気だった両親に反対され、希望は叶えられませんでした。男は北米での仕事が終わり、アスクラカンに戻って来ましたが、北米に残した女と子供に申し訳なく思い、養育費を送り続けました。彼の妻と子供はそれを知りませんでしたが、北米の子供がピアニストとしてメディアに出て来る様になると、男が隠していた秘密が明らかにされてしまいました。ピアニストは父親にそっくりだったからです。妻は夫が隠れて子供を作っていたことや、養育費を送り続けていたことに腹を立て、家族の家長に訴えました。」

 ロホとステファンは顔を見合わせた。自称ビアンカ・オルティスの話と一致している、と2人は頷き合った。

第3部 隠された者  19

 「自称ビアンカ・オルティスは何の為に大統領警護隊に嘘の情報を流すんだ?」

とロホが疑問を口にした。通常セルバ人は大統領警護隊に嘘を言わない。嘘をついてもすぐにバレると知っているし、バレた時の制裁を恐れているからだ。それは隊員達と同じ”ヴェルデ・シエロ”でも同じことだ。大統領警護隊は一族の中の警察機構同然だから、掟に触れることをしたり、法律違反をすれば処罰されることを知っている。捕縛され長老会の審判を受けることになれば、家族から除名されるし、部族からも追放される。最悪の場合は処刑もあり得る。

「自称オルティスはサスコシ族と名乗りました。確かにあの部族の本拠地はアスクラカン周辺の森林地帯です。しかし、そんなことは一族なら誰でも知っています。少佐・・・」

 ステファン大尉が正面のケツァル少佐を見たので、少佐が首を振った。

「父に訊いても無駄です。父は若い頃に故郷を出ていますし、農園の管理を監督しに年に数回帰郷するだけです。サスコシの部族内の様子は知らないでしょう。」

 純血種のグラダの少佐がそんなことを言ったので、事情を知らないギャラガとデルガドが怪訝な顔をしたが、誰も教えるつもりはなかった。ステファン大尉が頭を掻いた。

「ミゲール大使が駄目なら、市内でサスコシ族を探すか、直接現地へ行ってオルティスの調査をしなければなりません。彼女がサイスのナワル使用とどの様な関わりを持っているのか確かめる必要があります。」
「訊く相手はサスコシ族じゃなくても良いんじゃないか?」

とテオが言ったので、彼は注目を集めてしまった。この場で唯一人の白人である彼は、一瞬躊躇ったが、自説を述べた。

「確かに彼女はアスクラカンの訛りで喋ったから、あっちの出身だろうと推測されるが、あれだけ嘘が上手い女だ、訛りも訓練で話せるのかも知れない。もしそうなら、そうまでしてサイスに近づく必要がある一族の人間は何者かってことだ。」

 ああ、と溜め息混じりの相槌を打ったのはケツァル少佐だった。

「だから、ケサダ教授はピューマもいると仰ったのですね。」

 ロホとステファンが2秒後に同時に彼女の言葉の意味を理解した。

「ビアンカ・オルティスは”砂の民”?!」
「なんてこった!」

 それを聞いて、デルガドとギャラガもギクリとした。特にデルガドはショックを受けていた。彼は横に座っている上官を見た。

「大尉、あのことも報告した方がよろしいですね?」
「スィ。既に少佐には伝わっているが。」

 ロホとギャラガがデルガドを見たので、デルガドはシティホールに建設大臣秘書のシショカが現れたことを語った。彼の後に続けてステファンがシショカと話をしたことを告げると、少佐が苦笑した。

「イグレシアス大臣から、確かに私の携帯にコンサートのお誘いのメールが来ていました。私は先約があるからとお断りしましたけど。」
「シショカはサイスに対して関心を持っている様に見えませんでした。彼はオルティスとも顔を合わせていません。」
「つまり、シショカはサイスがミックスの”シエロ”だと知らない?」

とテオが訊くと、彼は知りません、とステファンは答えた。

「知っていれば、”出来損ない”の私に”出来損ない”のピアニストを見に来たのかとか何とか皮肉を言った筈です。あの男はそう言う性格ですから。」

 ミックスのアンドレ・ギャラガが嫌な顔をした。殆ど白人の容貌を持つ彼は、己より”シエロ”の血が濃い尊敬するステファン大尉が、純血種達から”出来損ない”呼ばわりされるのを耳にするのが本当に嫌なのだ。美しい真っ黒なジャガーに変身する大尉が何故軽蔑されなければならないのだ、とギャラガは己が侮辱される時よりも強い憤りを感じるのだった。

「自称オルティスはシショカがシティホールに行ったことを知らなかった様子だったなぁ。」

とテオが屋上での尋問を思い出した。ロホが言った。

「”砂の民”は全員が同じ命令を受けて動く訳ではありませんから、彼女だけがサイスを嗅ぎ回っていたのではないですか? ただ彼女はまだ若くて経験が浅いのでしょう。いつも取り巻きを連れているサイスになかなか近づけなくて、あの手この手で接近を図っているのかも知れません。」
「それなら・・・」

とステファンは大統領警護隊本部の地下へ降りた時のことを思い浮かべた。

「私が面会した長老は3名だったが、サイスがミックスの”シエロ”だと知っていたのは1人だけだった。だから、あの時点でサイスを粛清する命令は出ていなかったと思う。」
「長老会から命令が出ていないのに、”砂の民”が動いているってことはあるのか?」

 テオの疑問に、少佐がポツンと答えた。

「あります。家族からはみ出し者が出た時に家長が命令を発するのです。」



2021/10/18

第3部 隠された者  18

  エミリオ・デルガド少尉はケツァル少佐の自宅訪問は初めてだったので、勝手がわからず、ステファン大尉が「座れ」と言ったので素直に客用のソファに座った。そして既にこの家に馴染んでしまったアンドレ・ギャラガ少尉がキッチンからグラスと氷を運んで来たのを見て、自分も手伝うべきだったかと、ちょっぴり焦った。しかし誰も気にしていない様子だった。
 少佐は大尉の向かいの彼女専用のソファに座った。専用ではあったが、彼女の隣にテオドール・アルストが自然な形で座り、ロホは床のカーペットの上に座って少佐のソファにもたれかかった。ギャラガもグラスを配り終わるとロホと反対側のカーペットの上に座った。主人である少佐がグラスに購入したばかりの酒を少しずつ注ぎ入れながら、「報告」と言った。それで、ステファン大尉から始めた。

「ある信頼出来る筋からの情報で、アメリカ合衆国に市民権を持つピアニスト、ロレンシオ・サイスが今週の月曜日の夜に現れて市民を不安に陥れたジャガーであると見て間違いないようです。」
「信頼出来る筋?」

とロホが質問した。大尉は短く答えた。

「長老会のメンバーだ。」
「グラシャス。」
「サイスは本人も公表している様に、父親がセルバ人、母親が北米人です。父親は彼を認知しておらず、仕送りだけして彼の養育には一切関わらなかったと、証言する者がいます。その証人の身元については後からデルガド少尉から報告があります。今は、私がその証人ビアンカ・オルティスから聞いた話を言います。オルティスは自らをアスクラカン出身のグラダ大学学生と名乗りました。彼女の証言では、サイスの父親は彼女の祖父違いの叔父だそうで、彼女は彼に身元を隠したまま、ファンクラブのメンバーとして彼と知り合いました。
 月曜日の夜、まだ早い時間だった筈ですが、一部のファンクラブのメンバー達とサイスはドラッグパーティーをしたそうです。サイスが何を摂取したのか知りませんが、セルバへ来て彼がハメを外したのはその時が初めてだったとオルティスは証言しました。ドラッグの影響でサイスは変身してしまい、1人で外へ飛び出した。オルティスは追いかけたそうです。結局彼に追いつけぬまま、彼はマカレオ通りの自宅へ帰ってしまいました。
 オルティスは彼を守らねばと思い、火曜日に大統領警護隊がジャガーを探していると聞いて、大学にテオを訪問した私に声を掛け、実際にサイスが向かったのと反対方向へジャガーが歩くのを見たと証言しました。
 サイスは今日の昼まで自宅から出て来ませんでしたが、明日のコンサートの打ち合わせの為に今日はシティホールへ出かけました。練習風景は特に変わった様子を見受けられませんでした。
 我々はサイスが明日迄は特に問題を起こすこともないと判断して、オルティスの住まいを訪ねました。彼女が嘘の証言をした理由を糺しに行ったのです。そこで彼女の言葉からサイスがピアノの演奏中に気を放出していると推測しました。」

 既に”心話”でこの話を知った少佐は反応しなかったが、ロホとギャラガは驚いた。2人共ファンとは言えないまでもサイスのピアノはテレビやネット配信で聞いたことがあったのだ。

「演奏中に気を放っているのか?」
「スィ。媒体を通しては感じないが、生演奏を聞いた人は彼の音楽に心を奪われてしまう、そんな能力の様だ。だからファンが増えても急激に増加したりしない。」
「それはマズイんじゃないですか?」

とギャラガが心配そうに呟いた。

「一族が事実を知れば、彼を危険分子と看做す筈です。現に私も不安を感じています。歌や音楽で聴衆の心を虜にするのは、古代の神官の技でしょう?」

 ステファンは頷いた。

「だからテオと私はオルティスにサイスを大事に思うなら彼にキャリアを捨てさせる決心で守れと言いました。何故なら彼女は彼が理性で気を抑制していると言ったからです。それが本当なら、サイスは自分の能力を知った上で使っていることになるからです。オルティスは我々の言葉を理解した様に思われたのですが・・・」

 彼はデルガドを見た。デルガド少尉が後を引き継いだ。

「その証人のビアンカ・オルティスがどんな人物なのか、大尉とドクトルがオルティス本人に尋問している間に、私はネットや電話で調べてみました。最初にアパートの管理人に電話して、彼女が家庭教師をしている家の人から彼女を推薦されたので、私も雇いたいと言いました。彼女を紹介して欲しいと言うと、オルティスは家庭教師などしていないと言うのです。管理人が言うには、彼女は大学生ではないとのことでした。」
「大学生でなければ、何をしているんだ?」

とロホが尋ねた。デルガドが肩をすくめた。

「管理人は彼女の仕事を知らないと言いました。家賃をきちんと払ってくれるので、彼女が何をしているのか気にしていない様でした。」
「まぁ、そうだろうな。」

とテオが同意した。彼はオルティスの尋問の後でデルガドから彼女が学生でないと聞かされて仰天した時のことを思い出し、苦々しい気持ちになった。
 デルガドが続けた。

「試しに私は西サン・ペドロ通り1丁目第7筋近辺の各家に片っ端から電話を掛けて、良い家庭教師を探しているので誰か紹介してくれないかと訊いてみました。2、3人の名前が挙がりましたが、ビアンカ・オルティスの名はありませんでした。」

 テオはデルガドの勤勉さに驚いた。彼が屋上でオルティスを尋問している間にそんなことをしていたのか。

「次にグラダ大学の学生名鑑をネットで探しました。セキュリティが固かったのですが、ドクトルのI Dをドクトルのお宅で見てしまいましたので、侵入できました。」
「おいおい・・・」

 これは焦るべきか、怒るべきか、テオはただ苦笑するしかなかった。デルガド少尉はちっともいけないことをした意識はないらしく、話を続けた。

「学生名鑑にビアンカ・オルティスの名がありましたが、20年以上も前に卒業していました。」
「つまり、今は40歳を超えた女性?」
「そうなりますね。 それからサイスのファンクラブのウェブサイトを見ましたが、オルティスと言うメンバーはいません。」
「つまり、我々にロレンシオ・サイスの情報を提供した女は、グラダ大学の学生でなければ、西サン・ペドロ通り1丁目で家庭教師もしておらず、サイスのファンクラブにも属していない訳です。」



第3部 隠された者  17

  どう言うわけだか、大統領警護隊文化保護担当部の「2次会」の場所はいつからかケツァル少佐のアパートに固定されていた。テオの車にこれまた何故だかわからないが少佐とステファン大尉が乗り、少佐の車にロホとギャラガ少尉とデルガド少尉が乗った。バルではそんなに飲まない代わりにたっぷり食べたので、持ち帰りの酒を購入した。
 テオは運転しながら後部席の2人のシュカワラスキ・マナの子供達が静かなのが気になった。勿論”心話”で会話しているのだ。
 ステファン大尉はロレンシオ・サイスがアメリカ国籍のミックスの”ヴェルデ・シエロ”で、一族のことは何も知らずに育った筈だが、ビアンカ・オルティスがポロリと漏らした情報では「理性で気を抑制している」と思われる、と伝えた。オルティスはサイスの変身はたった1回で、それもドラッグの服用が原因だと言った。しかしそのオルティスはグラダ大学の学生と名乗ったにも関わらず、その後のデルガド少尉の調査で偽りの身分を使ったことが判明した。彼女は最初のステファンへの接触の際も、ジャガーが歩いた方向を事実と逆の向きで証言した。サイスの祖父が異なる従姉妹だと名乗ったが、それも怪しい。彼女はサイスを庇っているのか、それとも何らかの理由で捜査を混乱させているのか。
 そしてステファンは、これも言いたくなかったのだが、大学の図書館でケサダ教授に不意打ちを喰らい、”心を盗られた”ことを少佐に伝えた。教授は彼から何かしらの情報を盗み、そのすぐ後でテオにナワルにはピューマもありうることを伝えたのだ。恩師から己がまだ未熟だと思い知らされたステファンはその悔しさを、元上官と言うより、姉に思いきり訴えかけた。”心話”で粋がったり強がったりしても本心を隠すのは不可能だ。だから彼は素直に感情をケツァル少佐にぶっつけた。カルロ・ステファンからそんな感情の波を率直にぶつけられたケツァル少佐は一瞬戸惑った。そして自分の心が彼に伝わる前に、目を逸らし、彼の肩に腕を回して体を引き寄せた。
 テオはルームミラー越に少佐が弟を抱き締めるのを目撃した。彼は急いで目をミラーから外し前方を見た。
  少佐は腕の中でカルロが緊張したことを感じた。うっかり弱みを見せてしまった男の後悔だ。彼が目指しているのは、彼女を超えることだ。彼女より上へ行って、彼女を妻にする、それが彼の目標だった。しかし彼女は彼にそれよりもっと大きな目標を持って欲しかった。身分も階級も血の濃さも関係なく彼女と対等に立ってくれることだ。
 彼女は囁いた。

「私は何も経験せずに少佐の階級を手に入れた訳ではありません。」

 彼女は視線を前に向けていた。

「誰にも知られたくない失態もありました。それを乗り越えたことで今日があります。」

 彼女は顔をステファンに向けた。一瞬目が合った。

ーー貴方にも出来ます。

 そして彼を離した。ステファンは姿勢を整えた。

「失礼しました。ちょっと気張り過ぎたようです。どうも私は女性の扱い方をもっと学ぶ必要があります。」

 復活が早いのは姉弟に共通だ、とテオは思った。
 少佐が提案した。

「大尉の報告から、私にも思うところがあります。私の部下達の安全にも関わると思うので、この後で情報を共有させて欲しいのですが、構いませんか?」

 つまり、ステファンとデルガドが得た情報をロホとギャラガにも教えてやって欲しいと言うことだ。少佐が伝えるのではなく、調査した遊撃班隊員本人達から伝えて欲しいと言う。
 ステファンは素直に答えた。

「承知しました。デルガドにも報告させます。」


2021/10/16

第3部 隠された者  16 

  待ち合わせのバルへ行く車内でステファン大尉は黙り込んでいた。事情を知らないデルガド少尉は物問いたげにテオをチラチラ見たが、”心話”が使えないテオは教えてやれなかった。それにステファンは誰にも失態を知られたくないだろう。本当は食事にも行きたくないだろうが、デルガドの為に我慢しているのだ、とテオはその心中を察した。
 約束のバルでは既にケツァル少佐とロホとギャラガ少尉が食事前の一杯を始めていた。デルガドが少佐と中尉に気がついて敬礼しかけたので、テオはそっと手を抑えて止めた。
 文化保護担当部の3人は機嫌が良かった。聞けば、この日の「軍事訓練」はボーリングをしたのだと言う。何故それが軍事訓練になるのかテオには理解出来なかった。

「マハルダは不参加かい?」
「彼女は月曜日の朝から昼まで試験がありますから。」

 そう言えばデネロス少尉は考古学部を卒業してまた別の学部を受講しているのだ。まだ入学していないギャラガは、この日は勉強を免除してもらって終日遊んだようだ。デルガドとギャラガは同じ少尉だが、あまり接点はなかった様で、自己紹介をし合うところから始めていた。遊撃班はエリートだから、少尉の段階から遊撃班で勤務出来るとは羨ましいとギャラガが感想を述べると、デルガドも外郭団体に引き抜かれるなんて運と才能がなければ無理だと返した。
 テオが少佐にアンティオワカ遺跡の後処理の進み具合を聞いていると、ロホがそっと尋ねた。

「カルロがやけに大人しいですが、何かありましたか?」

 ケツァル少佐が並ぶ部下達の一番向こう端でカウンターにもたれて1人ビールを飲んでいる大尉を見た。可愛い部下のことを誰よりも理解している彼女が囁いた。

「何か任務で失敗をやらかしましたね?」

 テオは苦笑した。教えてやりたいが、やはり言えない。公衆の場所だし、他の部下達もいるし、カルロが気の毒だ。

「本人に聞けよ。」

とだけ言った。少佐とロホはそれきりステファンの態度には触れないで、バルの自慢料理を次々と注文した。いつもなら途中で場所を変えてゆっくり食事が出来るレストランへ行くのだが、バルに居続けたのは、ステファンの気分を気遣ったのだろうとテオは推察した。
 ロホが海鮮のアヒージョの皿を持ってステファンの隣へ移動した。

「厄介な相手なのか?」

と声をかけると、ステファンはグラスを見つめながら、

「どいつもこいつも・・・」

と答えた。ロホが何も言わないので、彼は自分から打ち明けた。

「ケサダ教授・・・」
「ん?」
「強烈なレッスンをしてくれた。」
「ほう?」
「恩師から名を呼ばれたら返事をしてしまうじゃないか。」
「そうだな。」
「一瞬心を盗られた。」
「あちゃ・・・」

 ロホが目を閉じて顔を顰めた。彼にも同様の経験があった。彼の場合は親だった。悪戯をして自分では上手く隠せたと思っていたのに、親に名を呼ばれてうっかり返事をしてしまい、心を親の支配下に置かれた。何をしたか全て自分の意思とは関係なく告白させられた。”操心”術の一つだ。名前を呼ばれ答えることで心を支配され、相手の意のままにされてしまう。ただ長時間支配される”操心”と違って、”心を盗る”術は有効期限が短い。だからかける方は強力な力で支配をかけてくるから、かけられた方は術が解けると気絶する。

「何の情報を盗られたのか、わからないのか?」
「ああ・・・だが、今関わっていることだ。」

 ロホにも大体想像がついた。サン・ペドロ教会近辺のジャガー騒動に関する捜査情報だろう。

「教授は担当だと思うか?」
「ノ、担当だったら私にあんなことはしない。もっと秘密裏に動くさ。教授は既に仲間が動いていることを私に教えて油断するなと警告してくれたんだ。」
「そう、それでどんな進展がありましたか?」

 いきなり隣でケツァル少佐が尋ねたので、ステファン大尉はもう少しで跳び上がりそうになった。咄嗟に2人の少尉の向こうにまだ残っているテオを睨みつけた。
 しっかり少佐を見張ってて下さいよ!
 悪りぃ!
とテオが合図をした。ロホは声を立てずに笑っていた。

第3部 隠された者  15

  大統領警護隊文化保護担当部との夕食の時間まで2時間もあったので、テオはグラダ大学へステファン大尉とデルガド少尉を連れて行った。週末なので学舎は閉まっていたが、図書館は開いていたので、そこで休憩した。ステファン大尉は寛ぎサロンで椅子に座ってぼーっとしていた。ぼーっとしているのではなく考え事をしているのかも知れないが、テオは時間が来る迄彼を放置した。デルガド少尉は大学の図書館は初めての様で、インターネットコーナーに陣取るとなかなか出て来なかった。任務に関することを調べているのか、趣味の情報を検索しているのかわからなかった。テオ自身は人文学の書籍コーナーへ行った。セルバ共和国の民族に関する文献などを探していると、書棚の角を曲がったところで考古学のフィデル・ケサダ教授とばったり出会った。型通りの挨拶をしてから、ケサダの方から話しかけて来た。

「土曜日だと言うのに珍しいですな。まだ試験問題を作成中ですか?」

 つまりケサダ教授は問題を作ってしまった訳だ。テオは微笑んで見せた。

「それが今回は奇跡的に今日の昼前に出来上がったので、今は息抜きです。」
「ほう・・・」

 ケサダが書棚の向こうを見た。そこからは寛ぎサロンもインターネットコーナーも見えないのだが、彼は言った。

「ロス・パハロス・ヴェルデスも息抜きですか。」

 なんでもお見通しの”砂の民”だ、とテオは思った。ケサダが”砂の民”だと言う確証は未だに得られていないが、彼は間違いないと思っていた。

「お聞きお呼びだと思いますが、彼等はサン・ペドロ教会周辺を徘徊したジャガーと思われる動物を捜索中です。」

 するとケサダが微かに軽蔑を含んだ笑を浮かべた。

「ジャガーだと思われているのですね。」
「教授は違うとお考えで?」

 まさか大統領警護隊が本物の動物のジャガーを探しているなんてケサダも思っていない筈だ。テオが探るような目で見ると、考古学教授は囁いた。

「大変稀ではありますが、ピューマもいるのですよ。」

 そして彼はさっさと次の棚へ移動して行った。テオは暫く長身の”ヴェルデ・シエロ”の考古学者を眺めていた。ケサダは丁寧に書籍の背表紙を一冊一冊チェックしていた。パソコンで検索すればすぐに本の場所はわかる。しかし、こうやって自分の目で見なければ気が済まない学者は多いのだ。
 有刺鉄線に引っ掛けて残されていた体毛は黄色かった。明らかにジャガーの体毛だった。それならケサダが言ったピューマは何のことだ? ピューマは、アメリカ合衆国出身のテオに取ってはクーガーの名の方が馴染みがあるが、ジャガーに負けない大きさだ。まさか、ナワルを使った人物はあの夜2人いたってことか? それが真実だとしたら、ケサダはそれを知っている。”砂の民”は既に真相を知っている?
 テオは急いでステファンのところへ行った。ステファンはソファの肘掛けにもたれかかって眠っていた。疲れたのか、今夜の張り込みに備えているのか。テオがそばに立っても目覚めなかったので、彼の体には触れずに声を掛けた。

「カルロ、悪いが起きてくれ。」

 ステファンが目を開き、そしてハッと体を起こした。心ならずも寝てしまった、と言う顔だ。大勢の人間が出入りする場所で眠ってしまって罰が悪そうな顔で彼はテオを見上げた。

「すみません、ついうとうとと・・・」

 うとうとのレベルじゃなかったよな、と思いつつもテオは見逃してやることにした。近くに部下がいるし、これから恐ろしい姉さんと食事だ。

「教えてくれ、カルロ。君達の一族にピューマはいるのかい?」

 ステファンが座り直した。テオは立ったままでは相手を威圧すると思えたので、そばの椅子に座った。

「ピューマのナワルを持つ人はいます。」

とステファンが周囲を気にしながら囁いた。

「非常に稀です。それに・・・」

 彼は空中に文字を書いた。テオは一瞬心臓が止まるかと思った。殆ど声を出さずに読み取ったことを確認する為に言葉にした。

「”砂の民”?」
「スィ。」

 ステファンも声を最小限に落とした。

「それが、彼等の選考基準です。ジャガーは選ばれません。」

 テオは椅子から離れ、ステファンの隣に座った。

「さっき、人文学の書籍コーナーでケサダ教授に出会った。彼がピューマもいると教えてくれたんだ。」

 ステファンが彼の顔を見つめ、それから泣きそうな表情になった。

「思い出しました・・・さっき教授に声を掛けられたのです。返事をして、それから・・・」

 彼は泣かずに悔しげな顔をした。

「教授に情報を引き出されて眠らされたんだ!」

 テオは彼を慰めようがなかった。純血種で手練れの”砂の民”にとって、ミックスでまだ修行中の若造など赤児同然なのだ。大学でもケサダはステファンの先生だった。どっちの力が上か、ケサダは弟子に思い知らせたのだ。

第3部 隠された者  14

  テオとステファン大尉は無言でアパートの階段を下りて外に出た。歩道でデルガド少尉が待っていた。彼は上官が出て来ると、スッとその前に立った。”心話”の要求だ。テオは2人の大統領警護隊隊員が一瞬で情報交換するのを横目で見た。羨ましいが、同時にそんな能力は欲しくないとも思う。秘密を持てない能力だ。彼はデルガドがステファンにオルティスの尋問内容を訊いたのだとばかり思っていた。ところが、ステファンの方が表情を硬らせた。彼はアパートの窓を見上げた。そして、手を振って「行こう」と仲間に合図を送った。
 道路を横断して路駐しているテオの車に戻った。幸い車に近づいた者はいなかったようだ。中に入ってから、ステファンがデルガドからの報告をテオに伝えた。

「ビアンカ・オルティスはグラダ大学の学生ではないそうです。」

 その短い報告が、テオのオルティスに対する同情心を消し去った。

「学生じゃない? それじゃ、大学で君に偽りの目撃証言を語ったのは、情報撹乱の為に最初から君を尾行して近づいたってことか?」
「そう言うことです。彼女は最初からさっきの屋上での尋問まで、一度も私に”心話”をさせなかった。貴方が何者かと質問してきただけです。」
「嘘だらけの女・・・」
「サイスのファンと言うのも怪しいです。」

 テオやステファンの言葉に青ざめて見せたのも芝居だったのか? それとも学生ではなく、アスクラカンからサイスを見守る目的で出て来た親族なのか?

「大統領警護隊相手に嘘を並べ立てられるなんて、大した女だと思わないか?」

 テオは時刻を確認するつもりで無意識に携帯電話を出した。メールが入っていた。ケツァル少佐からだ。彼は仲間に「失礼」と断ってメールを開いた。短い文章が入っていた。

ーー1900 いつものバル

 夕食のお誘いだ。テオはステファンとデルガドに声をかけた。

「文化保護担当部と晩飯を食う気分になれるかい?」

 デルガド少尉が尻尾を振りそうな顔をした。ステファン大尉は躊躇った。任務遂行中だ。行けば「仕事中に何をのんびりしている」と少佐は言うだろう。行かなければ「何故テオが誘ったのに断った」と後で嫌味を言われるだろう。彼は思わず独り言を呟いていた。

「女ってなんて面倒臭い生き物なんだ・・・」



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...