2021/10/18

第3部 隠された者  18

  エミリオ・デルガド少尉はケツァル少佐の自宅訪問は初めてだったので、勝手がわからず、ステファン大尉が「座れ」と言ったので素直に客用のソファに座った。そして既にこの家に馴染んでしまったアンドレ・ギャラガ少尉がキッチンからグラスと氷を運んで来たのを見て、自分も手伝うべきだったかと、ちょっぴり焦った。しかし誰も気にしていない様子だった。
 少佐は大尉の向かいの彼女専用のソファに座った。専用ではあったが、彼女の隣にテオドール・アルストが自然な形で座り、ロホは床のカーペットの上に座って少佐のソファにもたれかかった。ギャラガもグラスを配り終わるとロホと反対側のカーペットの上に座った。主人である少佐がグラスに購入したばかりの酒を少しずつ注ぎ入れながら、「報告」と言った。それで、ステファン大尉から始めた。

「ある信頼出来る筋からの情報で、アメリカ合衆国に市民権を持つピアニスト、ロレンシオ・サイスが今週の月曜日の夜に現れて市民を不安に陥れたジャガーであると見て間違いないようです。」
「信頼出来る筋?」

とロホが質問した。大尉は短く答えた。

「長老会のメンバーだ。」
「グラシャス。」
「サイスは本人も公表している様に、父親がセルバ人、母親が北米人です。父親は彼を認知しておらず、仕送りだけして彼の養育には一切関わらなかったと、証言する者がいます。その証人の身元については後からデルガド少尉から報告があります。今は、私がその証人ビアンカ・オルティスから聞いた話を言います。オルティスは自らをアスクラカン出身のグラダ大学学生と名乗りました。彼女の証言では、サイスの父親は彼女の祖父違いの叔父だそうで、彼女は彼に身元を隠したまま、ファンクラブのメンバーとして彼と知り合いました。
 月曜日の夜、まだ早い時間だった筈ですが、一部のファンクラブのメンバー達とサイスはドラッグパーティーをしたそうです。サイスが何を摂取したのか知りませんが、セルバへ来て彼がハメを外したのはその時が初めてだったとオルティスは証言しました。ドラッグの影響でサイスは変身してしまい、1人で外へ飛び出した。オルティスは追いかけたそうです。結局彼に追いつけぬまま、彼はマカレオ通りの自宅へ帰ってしまいました。
 オルティスは彼を守らねばと思い、火曜日に大統領警護隊がジャガーを探していると聞いて、大学にテオを訪問した私に声を掛け、実際にサイスが向かったのと反対方向へジャガーが歩くのを見たと証言しました。
 サイスは今日の昼まで自宅から出て来ませんでしたが、明日のコンサートの打ち合わせの為に今日はシティホールへ出かけました。練習風景は特に変わった様子を見受けられませんでした。
 我々はサイスが明日迄は特に問題を起こすこともないと判断して、オルティスの住まいを訪ねました。彼女が嘘の証言をした理由を糺しに行ったのです。そこで彼女の言葉からサイスがピアノの演奏中に気を放出していると推測しました。」

 既に”心話”でこの話を知った少佐は反応しなかったが、ロホとギャラガは驚いた。2人共ファンとは言えないまでもサイスのピアノはテレビやネット配信で聞いたことがあったのだ。

「演奏中に気を放っているのか?」
「スィ。媒体を通しては感じないが、生演奏を聞いた人は彼の音楽に心を奪われてしまう、そんな能力の様だ。だからファンが増えても急激に増加したりしない。」
「それはマズイんじゃないですか?」

とギャラガが心配そうに呟いた。

「一族が事実を知れば、彼を危険分子と看做す筈です。現に私も不安を感じています。歌や音楽で聴衆の心を虜にするのは、古代の神官の技でしょう?」

 ステファンは頷いた。

「だからテオと私はオルティスにサイスを大事に思うなら彼にキャリアを捨てさせる決心で守れと言いました。何故なら彼女は彼が理性で気を抑制していると言ったからです。それが本当なら、サイスは自分の能力を知った上で使っていることになるからです。オルティスは我々の言葉を理解した様に思われたのですが・・・」

 彼はデルガドを見た。デルガド少尉が後を引き継いだ。

「その証人のビアンカ・オルティスがどんな人物なのか、大尉とドクトルがオルティス本人に尋問している間に、私はネットや電話で調べてみました。最初にアパートの管理人に電話して、彼女が家庭教師をしている家の人から彼女を推薦されたので、私も雇いたいと言いました。彼女を紹介して欲しいと言うと、オルティスは家庭教師などしていないと言うのです。管理人が言うには、彼女は大学生ではないとのことでした。」
「大学生でなければ、何をしているんだ?」

とロホが尋ねた。デルガドが肩をすくめた。

「管理人は彼女の仕事を知らないと言いました。家賃をきちんと払ってくれるので、彼女が何をしているのか気にしていない様でした。」
「まぁ、そうだろうな。」

とテオが同意した。彼はオルティスの尋問の後でデルガドから彼女が学生でないと聞かされて仰天した時のことを思い出し、苦々しい気持ちになった。
 デルガドが続けた。

「試しに私は西サン・ペドロ通り1丁目第7筋近辺の各家に片っ端から電話を掛けて、良い家庭教師を探しているので誰か紹介してくれないかと訊いてみました。2、3人の名前が挙がりましたが、ビアンカ・オルティスの名はありませんでした。」

 テオはデルガドの勤勉さに驚いた。彼が屋上でオルティスを尋問している間にそんなことをしていたのか。

「次にグラダ大学の学生名鑑をネットで探しました。セキュリティが固かったのですが、ドクトルのI Dをドクトルのお宅で見てしまいましたので、侵入できました。」
「おいおい・・・」

 これは焦るべきか、怒るべきか、テオはただ苦笑するしかなかった。デルガド少尉はちっともいけないことをした意識はないらしく、話を続けた。

「学生名鑑にビアンカ・オルティスの名がありましたが、20年以上も前に卒業していました。」
「つまり、今は40歳を超えた女性?」
「そうなりますね。 それからサイスのファンクラブのウェブサイトを見ましたが、オルティスと言うメンバーはいません。」
「つまり、我々にロレンシオ・サイスの情報を提供した女は、グラダ大学の学生でなければ、西サン・ペドロ通り1丁目で家庭教師もしておらず、サイスのファンクラブにも属していない訳です。」



第3部 隠された者  17

  どう言うわけだか、大統領警護隊文化保護担当部の「2次会」の場所はいつからかケツァル少佐のアパートに固定されていた。テオの車にこれまた何故だかわからないが少佐とステファン大尉が乗り、少佐の車にロホとギャラガ少尉とデルガド少尉が乗った。バルではそんなに飲まない代わりにたっぷり食べたので、持ち帰りの酒を購入した。
 テオは運転しながら後部席の2人のシュカワラスキ・マナの子供達が静かなのが気になった。勿論”心話”で会話しているのだ。
 ステファン大尉はロレンシオ・サイスがアメリカ国籍のミックスの”ヴェルデ・シエロ”で、一族のことは何も知らずに育った筈だが、ビアンカ・オルティスがポロリと漏らした情報では「理性で気を抑制している」と思われる、と伝えた。オルティスはサイスの変身はたった1回で、それもドラッグの服用が原因だと言った。しかしそのオルティスはグラダ大学の学生と名乗ったにも関わらず、その後のデルガド少尉の調査で偽りの身分を使ったことが判明した。彼女は最初のステファンへの接触の際も、ジャガーが歩いた方向を事実と逆の向きで証言した。サイスの祖父が異なる従姉妹だと名乗ったが、それも怪しい。彼女はサイスを庇っているのか、それとも何らかの理由で捜査を混乱させているのか。
 そしてステファンは、これも言いたくなかったのだが、大学の図書館でケサダ教授に不意打ちを喰らい、”心を盗られた”ことを少佐に伝えた。教授は彼から何かしらの情報を盗み、そのすぐ後でテオにナワルにはピューマもありうることを伝えたのだ。恩師から己がまだ未熟だと思い知らされたステファンはその悔しさを、元上官と言うより、姉に思いきり訴えかけた。”心話”で粋がったり強がったりしても本心を隠すのは不可能だ。だから彼は素直に感情をケツァル少佐にぶっつけた。カルロ・ステファンからそんな感情の波を率直にぶつけられたケツァル少佐は一瞬戸惑った。そして自分の心が彼に伝わる前に、目を逸らし、彼の肩に腕を回して体を引き寄せた。
 テオはルームミラー越に少佐が弟を抱き締めるのを目撃した。彼は急いで目をミラーから外し前方を見た。
  少佐は腕の中でカルロが緊張したことを感じた。うっかり弱みを見せてしまった男の後悔だ。彼が目指しているのは、彼女を超えることだ。彼女より上へ行って、彼女を妻にする、それが彼の目標だった。しかし彼女は彼にそれよりもっと大きな目標を持って欲しかった。身分も階級も血の濃さも関係なく彼女と対等に立ってくれることだ。
 彼女は囁いた。

「私は何も経験せずに少佐の階級を手に入れた訳ではありません。」

 彼女は視線を前に向けていた。

「誰にも知られたくない失態もありました。それを乗り越えたことで今日があります。」

 彼女は顔をステファンに向けた。一瞬目が合った。

ーー貴方にも出来ます。

 そして彼を離した。ステファンは姿勢を整えた。

「失礼しました。ちょっと気張り過ぎたようです。どうも私は女性の扱い方をもっと学ぶ必要があります。」

 復活が早いのは姉弟に共通だ、とテオは思った。
 少佐が提案した。

「大尉の報告から、私にも思うところがあります。私の部下達の安全にも関わると思うので、この後で情報を共有させて欲しいのですが、構いませんか?」

 つまり、ステファンとデルガドが得た情報をロホとギャラガにも教えてやって欲しいと言うことだ。少佐が伝えるのではなく、調査した遊撃班隊員本人達から伝えて欲しいと言う。
 ステファンは素直に答えた。

「承知しました。デルガドにも報告させます。」


2021/10/16

第3部 隠された者  16 

  待ち合わせのバルへ行く車内でステファン大尉は黙り込んでいた。事情を知らないデルガド少尉は物問いたげにテオをチラチラ見たが、”心話”が使えないテオは教えてやれなかった。それにステファンは誰にも失態を知られたくないだろう。本当は食事にも行きたくないだろうが、デルガドの為に我慢しているのだ、とテオはその心中を察した。
 約束のバルでは既にケツァル少佐とロホとギャラガ少尉が食事前の一杯を始めていた。デルガドが少佐と中尉に気がついて敬礼しかけたので、テオはそっと手を抑えて止めた。
 文化保護担当部の3人は機嫌が良かった。聞けば、この日の「軍事訓練」はボーリングをしたのだと言う。何故それが軍事訓練になるのかテオには理解出来なかった。

「マハルダは不参加かい?」
「彼女は月曜日の朝から昼まで試験がありますから。」

 そう言えばデネロス少尉は考古学部を卒業してまた別の学部を受講しているのだ。まだ入学していないギャラガは、この日は勉強を免除してもらって終日遊んだようだ。デルガドとギャラガは同じ少尉だが、あまり接点はなかった様で、自己紹介をし合うところから始めていた。遊撃班はエリートだから、少尉の段階から遊撃班で勤務出来るとは羨ましいとギャラガが感想を述べると、デルガドも外郭団体に引き抜かれるなんて運と才能がなければ無理だと返した。
 テオが少佐にアンティオワカ遺跡の後処理の進み具合を聞いていると、ロホがそっと尋ねた。

「カルロがやけに大人しいですが、何かありましたか?」

 ケツァル少佐が並ぶ部下達の一番向こう端でカウンターにもたれて1人ビールを飲んでいる大尉を見た。可愛い部下のことを誰よりも理解している彼女が囁いた。

「何か任務で失敗をやらかしましたね?」

 テオは苦笑した。教えてやりたいが、やはり言えない。公衆の場所だし、他の部下達もいるし、カルロが気の毒だ。

「本人に聞けよ。」

とだけ言った。少佐とロホはそれきりステファンの態度には触れないで、バルの自慢料理を次々と注文した。いつもなら途中で場所を変えてゆっくり食事が出来るレストランへ行くのだが、バルに居続けたのは、ステファンの気分を気遣ったのだろうとテオは推察した。
 ロホが海鮮のアヒージョの皿を持ってステファンの隣へ移動した。

「厄介な相手なのか?」

と声をかけると、ステファンはグラスを見つめながら、

「どいつもこいつも・・・」

と答えた。ロホが何も言わないので、彼は自分から打ち明けた。

「ケサダ教授・・・」
「ん?」
「強烈なレッスンをしてくれた。」
「ほう?」
「恩師から名を呼ばれたら返事をしてしまうじゃないか。」
「そうだな。」
「一瞬心を盗られた。」
「あちゃ・・・」

 ロホが目を閉じて顔を顰めた。彼にも同様の経験があった。彼の場合は親だった。悪戯をして自分では上手く隠せたと思っていたのに、親に名を呼ばれてうっかり返事をしてしまい、心を親の支配下に置かれた。何をしたか全て自分の意思とは関係なく告白させられた。”操心”術の一つだ。名前を呼ばれ答えることで心を支配され、相手の意のままにされてしまう。ただ長時間支配される”操心”と違って、”心を盗る”術は有効期限が短い。だからかける方は強力な力で支配をかけてくるから、かけられた方は術が解けると気絶する。

「何の情報を盗られたのか、わからないのか?」
「ああ・・・だが、今関わっていることだ。」

 ロホにも大体想像がついた。サン・ペドロ教会近辺のジャガー騒動に関する捜査情報だろう。

「教授は担当だと思うか?」
「ノ、担当だったら私にあんなことはしない。もっと秘密裏に動くさ。教授は既に仲間が動いていることを私に教えて油断するなと警告してくれたんだ。」
「そう、それでどんな進展がありましたか?」

 いきなり隣でケツァル少佐が尋ねたので、ステファン大尉はもう少しで跳び上がりそうになった。咄嗟に2人の少尉の向こうにまだ残っているテオを睨みつけた。
 しっかり少佐を見張ってて下さいよ!
 悪りぃ!
とテオが合図をした。ロホは声を立てずに笑っていた。

第3部 隠された者  15

  大統領警護隊文化保護担当部との夕食の時間まで2時間もあったので、テオはグラダ大学へステファン大尉とデルガド少尉を連れて行った。週末なので学舎は閉まっていたが、図書館は開いていたので、そこで休憩した。ステファン大尉は寛ぎサロンで椅子に座ってぼーっとしていた。ぼーっとしているのではなく考え事をしているのかも知れないが、テオは時間が来る迄彼を放置した。デルガド少尉は大学の図書館は初めての様で、インターネットコーナーに陣取るとなかなか出て来なかった。任務に関することを調べているのか、趣味の情報を検索しているのかわからなかった。テオ自身は人文学の書籍コーナーへ行った。セルバ共和国の民族に関する文献などを探していると、書棚の角を曲がったところで考古学のフィデル・ケサダ教授とばったり出会った。型通りの挨拶をしてから、ケサダの方から話しかけて来た。

「土曜日だと言うのに珍しいですな。まだ試験問題を作成中ですか?」

 つまりケサダ教授は問題を作ってしまった訳だ。テオは微笑んで見せた。

「それが今回は奇跡的に今日の昼前に出来上がったので、今は息抜きです。」
「ほう・・・」

 ケサダが書棚の向こうを見た。そこからは寛ぎサロンもインターネットコーナーも見えないのだが、彼は言った。

「ロス・パハロス・ヴェルデスも息抜きですか。」

 なんでもお見通しの”砂の民”だ、とテオは思った。ケサダが”砂の民”だと言う確証は未だに得られていないが、彼は間違いないと思っていた。

「お聞きお呼びだと思いますが、彼等はサン・ペドロ教会周辺を徘徊したジャガーと思われる動物を捜索中です。」

 するとケサダが微かに軽蔑を含んだ笑を浮かべた。

「ジャガーだと思われているのですね。」
「教授は違うとお考えで?」

 まさか大統領警護隊が本物の動物のジャガーを探しているなんてケサダも思っていない筈だ。テオが探るような目で見ると、考古学教授は囁いた。

「大変稀ではありますが、ピューマもいるのですよ。」

 そして彼はさっさと次の棚へ移動して行った。テオは暫く長身の”ヴェルデ・シエロ”の考古学者を眺めていた。ケサダは丁寧に書籍の背表紙を一冊一冊チェックしていた。パソコンで検索すればすぐに本の場所はわかる。しかし、こうやって自分の目で見なければ気が済まない学者は多いのだ。
 有刺鉄線に引っ掛けて残されていた体毛は黄色かった。明らかにジャガーの体毛だった。それならケサダが言ったピューマは何のことだ? ピューマは、アメリカ合衆国出身のテオに取ってはクーガーの名の方が馴染みがあるが、ジャガーに負けない大きさだ。まさか、ナワルを使った人物はあの夜2人いたってことか? それが真実だとしたら、ケサダはそれを知っている。”砂の民”は既に真相を知っている?
 テオは急いでステファンのところへ行った。ステファンはソファの肘掛けにもたれかかって眠っていた。疲れたのか、今夜の張り込みに備えているのか。テオがそばに立っても目覚めなかったので、彼の体には触れずに声を掛けた。

「カルロ、悪いが起きてくれ。」

 ステファンが目を開き、そしてハッと体を起こした。心ならずも寝てしまった、と言う顔だ。大勢の人間が出入りする場所で眠ってしまって罰が悪そうな顔で彼はテオを見上げた。

「すみません、ついうとうとと・・・」

 うとうとのレベルじゃなかったよな、と思いつつもテオは見逃してやることにした。近くに部下がいるし、これから恐ろしい姉さんと食事だ。

「教えてくれ、カルロ。君達の一族にピューマはいるのかい?」

 ステファンが座り直した。テオは立ったままでは相手を威圧すると思えたので、そばの椅子に座った。

「ピューマのナワルを持つ人はいます。」

とステファンが周囲を気にしながら囁いた。

「非常に稀です。それに・・・」

 彼は空中に文字を書いた。テオは一瞬心臓が止まるかと思った。殆ど声を出さずに読み取ったことを確認する為に言葉にした。

「”砂の民”?」
「スィ。」

 ステファンも声を最小限に落とした。

「それが、彼等の選考基準です。ジャガーは選ばれません。」

 テオは椅子から離れ、ステファンの隣に座った。

「さっき、人文学の書籍コーナーでケサダ教授に出会った。彼がピューマもいると教えてくれたんだ。」

 ステファンが彼の顔を見つめ、それから泣きそうな表情になった。

「思い出しました・・・さっき教授に声を掛けられたのです。返事をして、それから・・・」

 彼は泣かずに悔しげな顔をした。

「教授に情報を引き出されて眠らされたんだ!」

 テオは彼を慰めようがなかった。純血種で手練れの”砂の民”にとって、ミックスでまだ修行中の若造など赤児同然なのだ。大学でもケサダはステファンの先生だった。どっちの力が上か、ケサダは弟子に思い知らせたのだ。

第3部 隠された者  14

  テオとステファン大尉は無言でアパートの階段を下りて外に出た。歩道でデルガド少尉が待っていた。彼は上官が出て来ると、スッとその前に立った。”心話”の要求だ。テオは2人の大統領警護隊隊員が一瞬で情報交換するのを横目で見た。羨ましいが、同時にそんな能力は欲しくないとも思う。秘密を持てない能力だ。彼はデルガドがステファンにオルティスの尋問内容を訊いたのだとばかり思っていた。ところが、ステファンの方が表情を硬らせた。彼はアパートの窓を見上げた。そして、手を振って「行こう」と仲間に合図を送った。
 道路を横断して路駐しているテオの車に戻った。幸い車に近づいた者はいなかったようだ。中に入ってから、ステファンがデルガドからの報告をテオに伝えた。

「ビアンカ・オルティスはグラダ大学の学生ではないそうです。」

 その短い報告が、テオのオルティスに対する同情心を消し去った。

「学生じゃない? それじゃ、大学で君に偽りの目撃証言を語ったのは、情報撹乱の為に最初から君を尾行して近づいたってことか?」
「そう言うことです。彼女は最初からさっきの屋上での尋問まで、一度も私に”心話”をさせなかった。貴方が何者かと質問してきただけです。」
「嘘だらけの女・・・」
「サイスのファンと言うのも怪しいです。」

 テオやステファンの言葉に青ざめて見せたのも芝居だったのか? それとも学生ではなく、アスクラカンからサイスを見守る目的で出て来た親族なのか?

「大統領警護隊相手に嘘を並べ立てられるなんて、大した女だと思わないか?」

 テオは時刻を確認するつもりで無意識に携帯電話を出した。メールが入っていた。ケツァル少佐からだ。彼は仲間に「失礼」と断ってメールを開いた。短い文章が入っていた。

ーー1900 いつものバル

 夕食のお誘いだ。テオはステファンとデルガドに声をかけた。

「文化保護担当部と晩飯を食う気分になれるかい?」

 デルガド少尉が尻尾を振りそうな顔をした。ステファン大尉は躊躇った。任務遂行中だ。行けば「仕事中に何をのんびりしている」と少佐は言うだろう。行かなければ「何故テオが誘ったのに断った」と後で嫌味を言われるだろう。彼は思わず独り言を呟いていた。

「女ってなんて面倒臭い生き物なんだ・・・」



第3部 隠された者  13

  ビアンカ・オルティスは大統領警護隊の大尉の言葉に顔を青ざめた。長老会がロレンシオ・サイスを野放しにすると思えなかった。海外でも活動する有名人だ。いつ何処で変身するかわからない。

「ロレンシオを助けてあげて。」

 と彼女はテオとステファンを交互に見ながら訴えた。

「もし叔父が彼を子供の時にセルバへ連れて帰っていたら、きっと彼は一族の人間として教育を受けてあんな面倒を起こさずに済んだのよ。私達の家族の責任だわ。なんとかするから、どうかもう少し報告を待って。お願い!」

 テオはステファンを見た。

「コンサートは明日だったな?」
「スィ・・・?」
「せめて明日1日待ってやろう。」

 テオはビアンカ・オルティスに向き直った。

「君は試験の準備があるだろうが、もしサイスの命が大事なら、大至急アスクラカンの親族に連絡を取って相談すべきだ。明日の夜、コンサートが終わる時点で大統領警護隊に君から家族の決定を知らせる。その内容次第で警護隊が動く。」

 オルティスが何か言おうとしたが、テオはその暇を与えずに続けた。

「”砂の民”を知っているね? 君が知らなくても君の家族の年配者達は知っている筈だ。”砂の民”がサイスの変身を知ってしまったらどうなるか、彼等は承知している。サイスの命が懸かっていることは間違いない。たった1回だけの変身だったが、彼は一般人に足跡や影を見られた。一族の力では誤魔化せないんだ。現にこうしてステファン大尉が捜査している。サイスを助けたかったら、彼のキャリアを駄目にしてしまっても守らなきゃならない。さもないと、彼1人の問題じゃなくなる。君の家族全員が責任を負うことになるだろうし、一族全体の問題に発展したら国を揺るがす事態になる。わかるかな?」

 カルロ・ステファン大尉が言いたいことをテオが簡潔に明瞭に述べた。口下手のステファン大尉は軽くテオに頭を下げた。そして彼もオルティスに向き直った。

「先刻シティホールに”砂の民”のメンバーが1人現れた。」

 えっ!とオルティスは真っ青を通り越して死者の様に白くなった。ステファンは続けた。

「幸い彼は全く別件でコンサートの座席を予約するつもりで来ていたが、少しでもサイスの気を感じたら彼のことを調べ始める筈だ。彼等は一族のリストを彼等個別に独自で作っている。リスト漏れは彼等に取って許されないことだ。私個人の意見を言わせて貰えば、明日のコンサートは中止すべきだが、聞いてもらえないだろう。事態は急を要すると理解してくれ。」

 オルティスが息を深く吸い込み、突然体の向きを変えて階段へ走った。彼女の足音が階段を駆け降り、部屋へ走り込むのをテオとステファンは聞いていた。

「非常にマズイ事態です。」

とステファンが囁いた。

「さっき彼女はこう言いました。サイスは普段理性で気を抑えていた、と。」

 テオも頷いた。

「スィ、確かにそう言った。サイスは自分が何者か知っているんだ。少なくとも、自分が超能力と呼ばれる力を持っていて使えると知っている。偶然ドラッグをやって変身してしまいました、では済まないぞ。」


2021/10/15

第3部 隠された者  12

  ビアンカ・オルティスはロレンシオ・サイスのファンクラブの幹部、バンドのメンバーと共にマリファナパーティーをしたと言った。勿論ロレンシオ・サイスも参加していた。彼の為のパーティーだった。

「私がリビングに戻ったら、皆床の上でぐったりしていました。眠っているのか、気絶しているのか、私にはわかりませんでした。ロレンシオだけが起きていて、でも様子が変でした。家に帰ると呟きながら服を脱ぎ始めました。」
「何故?」

とステファンが訊いた。己が変身すると分かっていなければ、服を脱いだりしない。暑くて堪らないと言うなら別だが。
 オルティスは肩をすくめた。

「あの時点で既に彼は正常でなかったの。彼が放出する気の強さが不安定に変化するのを感じた。彼は普段気を抑制していた。ほとんど能力がないと私は思っていた。ピアノを弾く時だけ気を放っていたのよ。だけどそれは勘違いだったわ。彼は普段理性で抑えていただけだったのよ。」
「酒と薬でタガが外れたか・・・」
「ロレンシオは裸になるとすぐにジャガーに変身した。そして家の外に飛び出して行ったので、私は慌てて追いかけた。」
「変身するところを誰かに見られたりしなかったか?」
「ないと思うけど・・・」

 オルティスは自信なさそうに言った。

「3軒ばかりの距離を追いかけて、彼を見失ったので、一旦パーティーをした家に戻った。皆まだ寝ていた。だから、もう一度ロレンシオを追いかけた。家に帰りたがっていたから、彼の家まで自転車で走ったの。そうしたら・・・」

 彼女は身震いした。

「何か凄い気を感じた。私は足がすくんでしまった。ロレンシオが発したのか、それとも他の”シエロ”がいたのか・・・」

 ケツァル少佐が放った気だ。単に犬達を黙らせようとお気楽に放ったグラダの族長の気だ。それがサスコシ族の女を怯えさせ、カイナ族出身の大巫女ママコナを驚かせ、薬物に酔ったジャガーの足を止めさせた。
 テオは微笑んだ。オルティスはロレンシオ・サイスを守りたい一心で、大統領警護隊が大学に現れたと知ると会いに行った。そしてサイスの家と逆方向へジャガーが向かったと嘘の証言をしたのだ。

「君はサイスにまた会えるのかな?」
「わかりません。言った通り、私はファンの1人なのです。」
「君と彼の関係を彼に教えてみては?」
「そんなこと、私には出来ません。家族の了承を得なければ・・・」
「それなら・・・」

とステファンが言った。

「もう君は彼に関わらないことだ。」

 テオとオルティスが彼を見た。カルロ・ステファンは大統領警護隊の隊員として彼女に言った。

「サイスは薬物使用の結果ナワルを使い、一般市民にその姿を見られた。大統領警護隊は彼を放置出来ない。長老会に彼の存在と現状を報告する。彼をどうするか、それは長老達が決める。そしていかなる決定にも、異論を唱えることは誰にも許されない。」



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...