2021/10/26

第3部 隠れる者  12

  サスコシ族の族長の家を辞したステファン大尉とロホに、セルソ・タムードは自宅で泊まっていけと勧めた。ビアンカ・オルトの行方が気になったが、ロレンシオ・サイスにはケツァル少佐が付いている筈なので、2人は好意に甘えさせてもらうことにした。
 タムード家に戻ると、ドロテオ・タムードが既に宴の準備をして待っていた。現代風の家風の家族だ。広い庭に面したリビングの窓を開放して、3人の息子とその妻子達が集まり賑やかに食事をした。ドロテオは遠縁の親戚であるフェルナンド・フアン・ミゲールの近況を知りたがった。年齢はドロテオの方が上だが、子供時代は一緒に遊んだこともあるし、ミゲールが養女を迎えて妻子をタムード家に連れて来たこともあった、と語った。ステファンもロホもケツァル少佐の幼い頃の様子を聞きたかったが、ドロテオが知りたがっているのは養父のことだ。ミゲール駐米大使が3ヶ月前に一時帰国して外務省のパーティーに出席した際に警護に駆り出されたロホが、大使の様子を語った。ドロテオは楽しそうにロホの語りを聞いていた。
 ステファンの方は子供達に妙に懐かれて庭で遊ぶ羽目に陥った。子供達もミックスだ。母親達が”ティエラ”なので、その能力は薄くなっていく。それが自然な流れなのかも知れない、とステファンはうっすらと感じた。
 夜が更けて子供達が部屋に追い立てられ、女性達も奥へ引き揚げた。ドロテオは庭のハンモックで寝てしまった。長男と三男はロホとサッカー談義に忙しく、ステファンは一息付いて、庭の端でタバコに火をつけた。セルソ・タムードがそばにやって来た。

「官製のタバコですか?」
「スィ。大統領警護隊の支給品です。味は自家製の物と変わりませんが。」

 箱を差し出すと、セルソは礼を言って1本取った。ステファンが火を点けてやった。暫く並んで川を眺めながらタバコを吹かしていた。やがて、ステファンが心に引っかかっていたことを質問した。

「族長の家で、貴方はビアンカ・オルトが”砂の民”であるかの様な発言をなさいましたが、意識されていましたか?」

 セルソが苦笑した。

「家族にずっと秘密にしていたのですが、族長とあなた方は彼女が何者かご存知だ。ついうっかり口に出してしまいました。」
「貴方はいつから彼女がピューマだと知っておられたのです?」
「彼女が10代前半頃からです。」

 セルソは嫌なものを思い出したのか、顔を顰めた。

「彼女は思い込みが激しい女で、私の弟に片想いをしていたのです。ストーカーまがいの行動を取っていました。弟は、オルトの家がミックスに対してどんな考え方をしているか、親から散々聞かされていましたから、彼女を相手にしませんでした。」
「しかし、ビアンカはミックスの貴方の弟に恋をしたのですね?」
「どの程度本気だったのか、私達にはわかりません。彼女には遊びだったのかも知れない。ミックスが純血種に逆らうなど、彼女のプライドが許さなかったのでしょう。ある時、農作業で私達は親の手伝いをして畑で働きました。夕方、帰宅してから弟が帽子を畑に忘れたことに気がつきました。私もたまたま別の物を・・・鎌を畑に置いて来てしまい、私が取りに戻ったのです。弟の帽子を拾い上げた時、突然叢からピューマが襲いかかって来ました。」

 ステファンは驚いた。

「10年程前と仰いましたね? そんなに早くに彼女はナワルを使えたのですか?」

 セルソが笑った。

「大尉、貴方には姉妹はおられないのですか?」
「姉と妹がおりますが・・・」

 ステファンはケツァル少佐を素直に「姉」と呼んでしまった己に少し驚いたが、なんとかして相手に悟られずに済んだ。

「離れて暮らしていたのでよく知りません。」
「そうですか・・・」

 セルソにも姉妹はいないのだが、彼は若い女性のことを知っていた。

「女性は体の成熟が男より早いのです。ですから、10代の早い時期にナワルを使える人もいます。特に純血種は早いのです。」
「わかりました。貴方は畑でビアンカのナワルに襲われたのですね?」
「スィ。勿論、その時は彼女だとわかりませんでした。私は咄嗟に最初の一撃を避けて、鎌で応戦しました。ナワルを使う暇はありませんでした。変身する間に次の攻撃を受けますからね。相手と向かい合って、ジャガーでなくピューマに襲われたのだと知った時は、本当に恐怖でした。”砂の民”に狙われる様な粗相をした覚えはありませんでしたから。それにそのピューマはまだ小さかったのです。子供の”砂の民”などあり得ない。無謀にも飛びかかって来たピューマに私は鎌で切り付け、前脚を傷つけました。ピューマは逃げて行きました。
 翌日、私達はオルトの娘が腕を怪我して母親が大騒ぎしていると聞きました。私は、ピューマがビアンカだったのだと気がつきましたが、確証を得られませんで、誰にも言えませんでした。恐らく、私の弟にプライドを傷つけられた彼女が、弟の帽子を手にした私を見て勘違いしたのでしょう。私は恐ろしくなりましたが、親に告げる勇気がありませんでした。それで、ある長老にこっそり告白したのです。長老はまだビアンカのナワルに関する報告をオルトの家から受けていませんでしたから、私に黙っているようにと忠告を与えました。私はそれから長老の保護を受け、沈黙を守りました。ビアンカが家出したすぐ後にその長老は老衰で亡くなりました。しかしビアンカがピューマである報告は他の長老と族長に伝えられており、私は今も保護を受けています。」

 セルソはステファンに向き直った。

「ピアニストがビアンカに狙われていると言う貴方の考えを私は支持します。彼女は危険です。」


第3部 隠れる者  11

  ”ヴェルデ・シエロ”の結界は敵である”ヴェルデ・シエロ”の侵入を防ぐためのものだ。だから車の中でラジオを聞いているケツァル少佐は結界を通れない人の気配を感じる取ることが出来る。”ヴェルデ・シエロ”の人口が少ないので、彼女が結界を張ってからシティ・ホールに近づけなくて困っている”ヴェルデ・シエロ”は目下のところ1人だけだった。建設大臣イグレシアスの私設秘書シショカだけだ。彼は大臣と共に車でシティ・ホールに入ろうとしたが、動物的な本能でそのまま車が前進すると己の脳に酷いダメージが与えられる危険を感じてしまった。彼は運転手に停止を命じ、大臣に「急に気分が悪くなったので」帰宅させて欲しいと頼んだ。大臣はボディガードが1人付いていたので、彼の要求を承諾した。車から降りたシショカは、結界の大きさを考えて、張った人間が誰だか見当がついたが、彼女が結界を張る理由が思い当たらなかった。
 携帯電話にシショカから電話がかかって来た時、彼女は面倒臭いと思ったが出てやった。

「ミゲール少佐。」
ーーシショカです。何故シティ・ホールに結界を張っているのです?
「コンサートを無事に終わらせたいからです。」
ーーそれだけですか?
「それだけです。大臣のお邪魔はしていない筈ですけど?」

 そして少佐は先刻結界に触れて引き下がった気配の主が彼だったと悟った。

「もしや、入り損ねましたか?」
ーー私は構わないが、大臣に言い訳が必要でした。

 そして”砂の民”の男は用心深く尋ねた。

ーー一族の誰かがコンサートの妨害をすると考えておられるのか?
「それが杞憂であることを願っています。ですが、これだけは確実です。大臣は無関係です。」
ーーそれなら、市民に被害が出ないよう、しっかり守っていて下さい。

 最後は皮肉を言って、シショカは通話を終わらせた。
 少佐がチッと舌打ちをしたところに、再び電話がかかってきた。テオからだった。

ーー少佐、食い物を買ってきたから、エミリオを通してやってくれないか?
「承知しました。10秒だけ下げます。」

 ラジオから歓声が聞こえてきた。コンサートが始まったのだ。

第3部 隠れる者  10

  ジャズコンサートの夜の部は盛況だった。昼の部よりも客数が多く、VI P席にはイグレシアス建設大臣を始めとするセレブが座った。
 ケツァル少佐はアンドレ・ギャラガ少尉を官舎へ帰した。月曜日は普段通り勤務がある。少佐がシティ・ホール周辺に結界を張ったので、テオは夕食を買いに徒歩で出かけた。用心棒にデルガド少尉が同行した。

「あの大きなドーム全体を結界で守るなんて、少佐は凄いですね。」

と歩きながらデルガドが感心して言った。

「グラダ族だからね。」
「ステファン大尉もいつかあんな力を持てるんでしょうね。」

 どんなに修行しても力の大きさに限界があるグワマナ族のデルガドはちょっぴり羨望を声に滲ませた。テオは励ましの意味を含めて言った。

「力が大きいからと言って、それが将来の栄光や幸福に繋がるとは限らないさ。グラダ族は結局力が大き過ぎて部族として滅んでしまったのだから。グワマナ族は力が大きくない分、世間に馴染んで穏やかに暮らしてこられたんだって、ずっと以前別の事件で君の部族に関わった時に少佐が言っていた。ステファンは持っている力が大き過ぎて子供時代から制御に苦労してきた。彼は力を持とうとしているんじゃなくて、力をどう使うべきかを修行しているんだよ。メスティーソだから、純血種の君達みたいに生まれつき使い方が身についている訳じゃない。学ばないといけないんだ。それは、アンドレ・ギャラガもロレンシオ・サイスも同じなんだ。彼等は君みたいに、いつか自然に力を使いこなしたいと思っている。」

 デルガドが微笑した。

「貴方は白人なのに、我々以上に我々を理解されているんですね。」
「しているんじゃなくて、日々理解しようと努力しているのさ。君達の修行と一緒さ。君達とずっと友達でいたいからね。」
「大尉が言った通りの人ですね。」

 テオはデルガドを見た。

「カルロが俺のことをなんて言ったんだ?」

 デルガドがクスッと笑った。

「隣で安心して昼寝出来る人だって・・・」
「なんだよ、それ・・・」

 テオも笑った。

「俺だってカルロのそばなら昼寝出来るぞ。あいつは最強の虫除け男だから。」

 これはデルガドに大受けした。


第3部 隠れる者  9

  シプリアーノ・アラゴの家は普通に現代的な内装だった。壁や棚の装飾が民族の特色を残していると言った感じで、一瞬目を合わせた時、ロホはステファンに”心話”で言った。

ーー私の実家より現代的だ。

 ステファンはまだロホの実家を見たことがなかったが、なんとなく想像はついた。多分、アラゴの家からテレビやオーディオの電化製品を引いて、儀式用の装具や祭壇を足した内装だろう。ガラスやアルミサッシの窓もない筈だ。
 籐で作られたカウチにセルソも一緒に並んで座り、アラゴの妻にコーヒーでもてなされてから、やっと来訪の目的を語ることが出来た。
 ステファン大尉は、月曜日の夜にグラダ・シティの住宅街にジャガーが出没したと言う通報を警察が受け、それを大統領警護隊に回して来たことから始めた。ケツァル少佐が散歩中にそのジャガーの気配を感じたことは省いた。大統領警護隊遊撃班に捜査命令が出て、デルガド少尉と彼が任務に就いていること、住宅地を捜査して住民から目撃証言を得たことやジャガーの足跡の確認したこと、体毛と血痕を採取してグラダ大学生物学部で分析させたこと、その結果ジャガーは”ヴェルデ・シエロ”のナワルである確証を得たこと、ジャガーの痕跡はピアニスト、ロレンシオ・サイスの居宅付近で消えていたこと、大尉が大学へ体毛の分析依頼に行った後、ビアンカ・オルティスと名乗る若い女性が接触して来てジャガーの目撃証言をしたが、それが虚偽であったことが判明したこと、迄を語った。

「ビアンカ・オルティス?」

とアラゴが微かに侮蔑を含んだ笑を浮かべた。

「ヘナロ・パジェとアゲダ・オルトの娘だな。2年前に家出して行方不明と聞いていたが、グラダ・シティに出ていたのか。」
「ビアンカは家出したのですか? 母親の承諾を得て出て行ったのではなく?」

 ロホの質問にアラゴとセルソ・タムードが顔を見合わせ、苦笑し合った。セルソが説明した。

「アゲダは娘が不意にいなくなったので、大騒ぎして町中を探し回ったのです。誘拐されたのだと警察に訴えましたが、間もなく本人から警察に連絡があり、自分の意思で仕事を探しに行くのだと伝えたため、捜索は打ち切りになりました。勿論、母親は納得しませんでしたが、実家やパジェの家族に説得されて大人しくなりました。」
「ビアンカは仕事を求めて家出したと自分で言ったのですね。」
「警察の発表はそうなっていました。ですから、アスクラカンの街は彼女をそれっきり忘れたのです。」

 セルソとロホが会話している間に、ステファン大尉はアラゴに”心話”で話しかけた。

ーービアンカのナワルはピューマで間違いありませんか?

 アラゴは表情を変えなかったが、”心話”では心の驚愕を隠せなかった。

ーーお前はピューマを見たのか?
ーーノ。しかし、経験豊かなピューマが教えてくれました。

 ”砂の民”が自ら正体を明かし、仲間の情報をジャガーに与えることは非常に稀だ。つまり、今目の前にいるサスコシ族の族長の客人は、普通のジャガーではないのだ。アラゴはグラダ族の男に敬意を表すために言った。

ーーエル・ジャガー・ネグロ、ピューマはピューマに呼ばれて修行の旅に出たのだ。我々が知っているのはそこまでだ。彼女の家族も誰も知らぬ。知るべき家長は既にこの世におらぬ。オルトの家にもパジェの家にも誰もビアンカがピューマであると知る者はおらぬ。
ーーでは、ビアンカが大統領警護隊の捜査妨害を行ったことは、サスコシ族の指示でなければ、パジェの家からもオルトの家からも命令は出ていないのですね。
ーー大統領警護隊の妨害をすることは一族に反抗することを意味する。誰もビアンカに命令など出しておらぬ。

「ビアンカ・オルトはロレンシオ・サイスが父ヘナロ・パジェの息子であることを知っています。しかしサイスは自分が半分”ヴェルデ・シエロ”であることを知りません。」

とロホが説明した。

「月曜日にグラダ・シティの住宅街に出現したジャガーは、サイスです。ステファン大尉がビアンカが素性を隠したままの時に、彼女から取った証言では、彼はパーティーでドラッグをやって変身してしまったと言うことでした。しかし、今朝、私の上官がサイス本人に直接会って証言を取ったところ、本人は初めての変身で記憶が混乱しており、ドラッグ摂取の詳細を知ることが出来ませんでした。わかっているのは、その現場にビアンカがいて、ナワル使用を誘導するかの様な話をしたことだけです。」

 ステファン大尉が言った。

「サイスは父親も出身部族も何も知りません。”ヴェルデ・シエロ”のことも何も知りません。教育が必要な男です。」

 するとアラゴが言った。

「その男が全てを捨ててここへ来るなら、私が責任を持って教育を引き受けよう。」
「サイスにその覚悟があるか、確認します。問題は、ビアンカ・オルトの方です。」

 セルソが不安そうに呟いた。

「危険ですね、あの女は。オルトの家の考え方に従えば、異種族の血を引く弟の存在は我慢出来ないでしょう。それに”砂の民”は本当に己の手を血で汚す覚悟があるかを、血縁者の不穏分子を粛清することで証明すると聞いたことがあります。もし、修行を完了させる証明としてロレンシオ・サイスの命を狙っているのであれば、実に危険です。」


2021/10/25

第3部 隠れる者  8

  ドロテオ・タムードはカルロ・ステファン大尉とロホがサスコシ族の族長に面会したいと希望すると連絡を取ってくれた。族長は大統領警護隊がオルトの夫の子の件で面会を希望していると聞いて、自宅へ来てくれるようにと言った。それでドロテオの次男が大統領警護隊の2人を案内することになった。次男の名はセルソと言った。年齢は2人の隊員より上だった。彼は警護隊のジープの後部席に乗り込んだ。

「族長はシプリアーノ・アラゴと言います。父の幼馴染で、気の良い人です。」

 セルソもメスティーソだ。彼が案内出来る家だから、純血至上主義者ではないのだ。

「因みに、ピアニストの父親の名はヘナロ・パジェです。ヘナロは仕事で海外へも出かけていましたので、純血至上主義がどんなに馬鹿馬鹿しいか理解していましたが、彼の家族は昔ながらの伝統を重視していました。妻のアゲダ・オルトはパジェの同族でヘナロとは親が決めた結婚でした。私が他人の家の内情に詳しい理由は、あの家がガチガチの純血至上主義者で知られているからです。」

 恐らくセルソは過去にパジェの家と何か嫌な出来事があったのだろう。しかし彼はそれ以上語らなかった。
 アラゴの家は広い敷地内に小ぶりの戸建て住宅がUの字に並んでいた。夫婦単位で大家族が固まって暮らす伝統的な建て方だ。しかし中庭にジープを乗り入れると、戸建ての家の半分は空き家で農機具置き場などに使われていることがわかった。実際に住民が住んでいる家は綺麗に手入れされているので、すぐ判別出来た。
 ジープのエンジン音を聞きつけて子供が3人ばかり出て来た。続けて50代と思える男性が姿を現した。ステファン大尉はジープのエンジンを切り、ロホと共に左右に降りた。セルソ・タムードも車外に出ると、その家の主人の前に進み出た。

「セニョール・アラゴ、本日は突然の来訪をお許し下さり・・・」

 型通りの挨拶の遣り取りが5分ばかり続き、その間大統領警護隊の2人は辛抱強く待っていた。それからセルソから族長シプリアーノ・アラゴに紹介された。ステファンが挨拶するとアラゴはゆっくりと彼を眺め、そして言った。

「シュカワラスキ・マナに似ているな。お前の父親に一族のしきたりを教える役目を名を秘めた女から賜ったことがあった。お前は修行を投げ出したりしないよう、心して努めよ。」

 思いがけない場面で父の名を出されて、ステファンは心の中で動揺したが、表に出さずに堪えることが出来た。

「今日は貴方のお力添えを頂きに参りました。貴方のお力で事態が良い方向へ向かうことを信じています。」

 彼の丁寧な物言いに満足したのか、アラゴは頷き、それからロホを見た。ロホも作法に則って挨拶をした。アラゴが不思議そうに彼を眺めた。

「名家マレンカの名を棄てた息子がいると聞いていたが、お前のことなのか?」

 ロホは肯定して言った。

「マレンカの家には息子ばかり6人おります。残っていても親の負担になるだけですから、私自身の家を創る為に、けじめをつける意味で名を変えました。決してマレンカの名を棄てたのではありません。」

 するとサスコシ族の族長は愉快そうに笑った。セルソ・タムードを振り返って言った。

「ドロテオの息子よ、グラダ・シティには面白い人間が多いな。」

 セルソは頭を下げて同意を示した。
 シプリアーノ・アラゴは手を大きく振った。

「中へ入れ、客人。お前達の用件を聞こう。」


2021/10/22

第3部 隠れる者  7

  テオとケツァル少佐はシティホールの周回道路沿いの歩道をゆっくり反時計回りに歩いた。ホールの周囲は公園になっており、背が高い木々がランダムに生えている。その下は芝生だったり、花が咲く薮だったり、土だったりで、子供が遊び、親が日陰でそれを見守っている。長閑な日曜日の午後だった。

「ビアンカ・オルティス、じゃなかった、オルトはロレンシオ・サイスを襲いに来ると思うかい?」

 テオはそうあって欲しくなかった。アパートの屋上で話をした時のビアンカは、本当にサイスの身を心配している様に見えた。彼女は母親と意見を違えて家出したのではないだろうか。家族が”砂の民”にサイスの消滅を望んだとしたら、そして彼女がそれを知ったなら、彼女は弟を守りたくてサイスの側に来たのではないのか。異母弟憎し、或いは一族を危険に曝す不穏分子として処分するつもりで近づいたと思いたくなかった。
 少佐はビアンカの本心を図りかねているのか、黙っていた。彼女の可愛い異母弟は、気の抑制が下手くそで、正に不穏分子として一族から軽蔑されていた。しかし彼は向上心を捨てなかった。超能力を使えないのであれば、普通の人間、軍人として腕を上げて働こうと努力した。彼女は彼が腹違いの弟であると知る迄は、そんな彼が男らしくて好きだった。血縁関係を知ってからは、努力家の彼が誇らしかった。生命の危険に陥ったことがきっかけで、彼は能力を目覚めさせ、メキメキと使い方を上達させていった。彼女の自慢の弟だ。
 きっと少佐はオルトの心の内を理解出来なくて戸惑っているのだろう、とテオは想像した。

「サイスに彼の出生の秘密を教えてやった方が良かないか? 彼は自分がジャガーに変身することを知ってしまった。だけど、何故そんな体質なのか、わからないから悩んでいる。仲間が大勢いることを知れば、きっと落ち着いてオルトのことも考えられると思うんだ。」
「それではサイスに一族の歴史から順番に教えていかねばなりませんね。」

 少佐はテオの顔を見上げた。

「貴方の時は貴方が興味を抱いて接近してきたので、こちらが警戒して情報の小出しをしてしまい、時間がかかりました。サイスは当事者です。どこか邪魔が入らない場所で一度に語って聞かせた方が良いでしょう。」
「だけど、ショックだろうな・・・」

 テオはホールの建物を見た。

「でも今日の彼はいつもと同じ様に演奏した。動揺して弾けないかもと心配したんだが。」
「今朝面会した時に、励ましておきましたから。」

 と少佐が微笑んだ。

「それに気を放出しないように、”操心”をかけておきました。今日の彼の演奏は彼の実力です。」
「そうか・・・上手だったが、俺は惹き込まれる程じゃなかった。」
「それは貴方の趣味が違うからでしょう。ラジオの生放送で聞いていましたが、かなり上手ですよ。」
「はぁ? 車の中で聞いていたのか?」

 昼寝をしているのかと思ったら、少佐はしっかりサイスの音楽を聞いていたのだ。彼女はけろりとして言った。

「もしチケットを購入して、下手な演奏を聞かされでもしたら、損じゃないですか。」

 テオはがっくりときた。ケツァル少佐は「無駄な」出費はしない人なのだ。

「もしこのままサイスの能力を封じても普通のピアニストとしてやっていけるんだな?」
「実力があるので、ピアニストとして生業を立てるのは大丈夫ですが、能力の封印は出来ません。あれは、直系の血縁者でなければ出来ない術です。サイスの父方の祖父母が生きていればなんとかなるでしょうが。」

 そして彼女は立ち止まってテオを見た。テオも足を止めて彼女を見た。

「なんだい?」
「グラシエラの子孫のことを考えなければなりません。」
「?」
「グラシエラは能力をステファンの祖父に封印されました。母親のカタリナも能力を封印されています。でもグラシエラが将来子供を産めば、その子は能力を持って生まれてきます。しきたりに従えば、カルロが子供の教育をすることになりますが、グラシエラの結婚相手にそれを理解してもらえるとは限りません。それにグラシエラが家族と何処に住むのかもわかりませんしね。私も可能な限り協力するつもりですが、封印も教育も難しいことになるでしょう。」

 テオはちょっと考えた。そして言った。

「俺が昔研究していたのは、超能力者の遺伝子を普通の人間に注射して遺伝子を変化させると言う方法だった。だから、その逆もあるんだ。”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子を本格的に分析していないから、出来るとは断言出来ないが、出来る可能性はある。しかし、グラシエラの子供で実験するつもりはない。したくない。」

 彼は少佐が体を寄せて来たので驚いた。

「実現の確証がない未来のことを悩んでごめんなさい。」

と彼女が苦笑した。

「最近グラシエラが同じクラスの男子学生達の話をよくするので、誰か好きな人でも出来たのかと、ちょっと勘繰っているのです。カマをかけてみましたが、なかなか尻尾を出しません。」
「兄貴は馬鹿正直に感情を出すが、妹は強かなんだな。」

 テオと少佐は笑った。公園にいる人々はそんな彼等を、仲良しのカップルが散歩しているなぁと言う程度の認識で眺めただけだった。


 

 

2021/10/21

第3部 隠れる者  6

  コンサートの客による帰宅ラッシュが一段落着くと、少佐が車外に出た。シティホールを一回りしてくると言うので、男達もお供しようと我先にと車外に出た。少佐が呆れた様に言った。

「誰がこの場所を見張るのです?」

 テオはデルガドを見た。ギャラガも同僚を見た。

「君は歩き回った後だから、休憩しながら見張っていろよ。」

 ギャラガがそう言うと、デルガドは建物の入り口を顎で指した。

「暑いから、あの中から駐車場を見ている。」
「結構。」

 少佐が頷いた。テオが車のキーをデルガドに渡した。

「君には必要ないだろうけど、形だけでもキーを使うところを世間に見せておけよ。」
「キーぐらいいつでも使っています。」

 デルガドは車を施錠した。ギャラガが左方向を指した。

「私は時計回りに歩きます。」
「それじゃ、少佐と俺は反時計回りに歩く。」

 すると少佐が眉を上げた。

「私は貴方と行くと言った覚えはありません。」
「それじゃ、アンドレと行ってこいよ。」

 テオは特に意地悪を言ったつもりはなかったのだが、彼女はツンツンして反論した。

「貴方がピューマに襲われたら、後の目覚めが悪いではないですか。」
「別にいつも大統領警護隊に守ってもらうつもりもないけどな。」

と言いつつ、テオは腕を差し出した。少佐はちょっと彼を睨んでから、いかにも渋々と言いたげにゆっくり手を伸ばして彼の腕を掴んだ。
 2人が歩き去ると、ギャラガとデルガドは堪えていたものを吹き出した。

「君の上官は素直じゃないな。」
「君の上官もだ。彼女のことが好きなくせに、今の状態から前へ行けない。だからドクトルにいつも遅れを取る。」
「彼女はどうなんだ?」
「どうだろ?」

 ギャラガは苦笑した。

「多分、どっちも好きなんだ。だけど迷っているんじゃない、今の状態が彼女には心地良いんだと思う。 彼女は選びたくないんだ。」



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...