2021/10/28

第3部 隠れる者  19

 「失礼ですが、貴方の父上は貴方の母上と正式な夫婦ではなかった、そうですね?」
「そうです。」

 サイスは声を低めたが、それは別に婚外子であることを恥じた訳ではなかった。親のプライバシーを大声で言う必要がなかっただけだ。

「父上にはセルバに正式な妻と子がいたことをご存知ですか?」

 え? とサイスが目を見張った。

「奥さんがいたことは知っています。でも・・・子供もいたのですか?」
「娘が1人います。」

 サイスの顔が一瞬明るくなった。姉妹の存在を知って喜んだのだ。ステファンは痛ましい気持ちになった。

「父上が貴方と貴方の母上をセルバに呼ばなかったのは、呼べなかったからです。」

 ステファンはそこでデルガドの方を向いた。サイスも釣られて同じくデルガドを見た。ステファンが少尉を指さした。

「彼は純血種です。混じりっけ無しの”ヴェルデ・シエロ”です。しかし・・・」

 彼がサイスに向き直ったので、サイスも彼を見た。

「私はご覧の通り、白人の血が混ざっています。どこの世界にもいるでしょう? 有色人種の血が家族に混ざるのを嫌う白人、同じく外国人の血が混ざるのを嫌う国粋主義者・・・”ヴェルデ・シエロ”の世界にもいるのです、純血至上主義者と呼ばれる人々が。自分達は神と呼ばれた種族だから、異人種の血が混ざることを許さない、と言う人々がいるのです。」

 ステファンは己の苦労話は避けた。サイスに彼が置かれている立場を出来るだけ衝撃を与えずに伝えるには、どう語るべきか考えながら喋った。

「貴方の父上の両親は、”ティエラ”の血を引く孫を望みませんでした。だから、父上は貴方と母上をセルバに呼びたいと希望されましたが反対され、諦めました。」
「どうして諦めたんです? 差別なんか耐えられるのに・・・」

 アメリカ人らしくサイスが言った。ステファンは残酷な真実を言わねばならなかった。

「”ヴェルデ・シエロ”のファシストは、例え血が繋がった孫でも異種族の親を持つ子供は殺してしまうのです。」

 サイスが黙り込んだ。彼はステファンとデルガドを交互に見比べた。ステファンは仕方なく己の経験を語った。

「私も幾度か純血至上主義者に狙われたことがあります。勿論、暴力的な連中はほんの一握りです。大概は差別的な言葉を浴びせられる程度です。」
「貴方は大変な苦労をされたのですね、きっと・・・」

 ステファンは苦笑した。

「私が苦労したのは人種差別より貧困でした。実家が母子家庭で貧しかったのでね。しかし、貴方の父上の実家は裕福なのです。ただファシストの家庭は親の権威が絶対です。父上は両親に逆らえませんでした。そして更に悪いことに、正式な奥方もファシストの家庭の娘で、彼女自身もファシストでした。そんな環境に、貴方と母上を連れて行けません。お分かりですね?」
「父はアメリカへ行くことも許されなかったのですね・・・」
「その様でした。父上はせめてもの愛情表現として貴方達母子に仕送りをされていたそうですが、それが正式な奥方の知れるところとなり、奥方に酷く責められたそうです。そして心労で亡くなってしまった。」

 サイスがグッと唇を噛み締めた。母と出会わなければ父は今でも健在だったのだろうか、と彼は思ったに違いない。感情の波を抑えて、サイスが口を開いた。

「僕がセルバへ来たのは、アメリカの母が亡くなり、父からの頼りも途絶えたからです。父を探してもう一度会いたかった。ピアノで有名になったら、会いに来てくれるかも知れないと思ったこともありましたが、マネージャーのボブ・マグダスが調査してくれて、父がアスクラカンと言う町で亡くなっていたことを知りました。演奏活動がひと段落着いたら、父の墓へ行こうと思っていますが・・・」
 
 ステファンは彼を遮った。

「私は言いましたね、父上の親族は純血至上主義者だと。貴方1人で墓参りをすることはお勧め出来ません。」
「しかし、理由もなく父の親族が僕に攻撃してくるでしょうか?」
「理由はあります。」

 ステファンはピアノを見た。

「演奏する時に気を放出していますね。」

 サイスがキョトンとした。

「何です?」

 無意識にやっているのか? ステファンは言葉を変えてみた。

「聴衆が貴方のピアノに集中してくれるよう、念を込めて弾いているでしょう?」
「ええ・・・ミュージシャンは皆そうですよ。」
「だが彼等は”ティエラ”だ。気を放っていない。」
「その、気って何です?」

 ステファンはサイスの手を見た。突然サイスの両手がテーブルの上でピアノを弾く様に指を動かし、左右に動き始めた。サイスが慌てた。手を止めようとして、しかし止められず、彼は真っ青になってステファンの顔を見た。突然彼の手は動きを止めた。

「僕の手・・・」
「申し訳ない、実際に見てもらわないと信じて頂けないのでね。」

 ステファンは、荒い呼吸をしながら自分を見るピアニストに教えた。

「他人を自分の思い通りに動かしたいと思うと動かせる、それを”操心”と言います。超能力の使い方の一つです。私は貴方の両手を動かして見せましたが、貴方はシティ・ホール一杯の聴衆全ての関心を貴方の曲に惹きつけていられる。」
「待って・・・」

 サイスはステファンの言葉を理解しようと考えた。

「それは、僕のピアノ演奏が人々を惹きつけているのではなく、僕が超能力で人々を操っていると言う意味ですか?」

 ステファンは慎重に言葉を選んだ。

「貴方のピアノの腕前は本物です。魅力的でダイナミックで、しかも繊細だ。それはネット配信やC Dを聴いていればわかります。媒体では超能力の効果はありませんから。しかし、生の演奏を聞く場合は、それだけではないのです。貴方は自分のピアノを聴いて欲しいと願い、無意識に超能力を使ってしまっています。」
「そんな・・・」

 その時、デルガドが振り返った。よろしいですか、と彼に声をかけられ、ステファンは意外に思いながらも、許可を与えた。デルガドがそばにやって来た。

「昨日の朝、ここへ女性の少佐とグラダ大学の先生が来ましたね?」
「はい。」
「少佐も大統領警護隊です。つまり、”ヴェルデ・シエロ”です。彼女は貴方と話をした後、貴方に”操心”をかけました。」
「え?」
「彼女の”操心”は、演奏中に気を放つな、と言うものでした。貴方は知らないうちにその術にかかりました。ですから、昨日のコンサートの間、貴方は一度も超能力を使えなかったのです。昨日の大成功は、貴方の実力です。私も昼の部を聴きました。素晴らしかったです。」

 彼は上官を振り返り、「以上です」と告げて、再び窓際の持ち場へ戻った。


第3部 隠れる者  18

  ステファン大尉はロレンシオ・サイスに水を汲んでやり、デルガドには冷蔵庫から勝手に出したソーセージを与えた。大統領警護隊の朝食は豆が中心なので、デルガドは喜んで肉の塊に齧り付いた。
 ステファンはサイスの向かいに座ると、ピアニストが水を飲んで気分を落ち着かせるのを待った。

「人間がジャガーになるなんて、御伽噺だと思っていました。」

とサイスが小さな声で言った。普通の人はね、とステファンは応じた。

「ただ、このセルバには、古代、”ヴェルデ・シエロ”と名乗る種族がいました。勿論、人間ですが、今で言う超能力を持っていて、祭祀の時にジャガーやマーゲイなどの動物に変身したり、目と目を見つめ合うだけで意思疎通を図ることが出来たのです。やがて超能力を持っていない種族が増えてくると、彼等は普通の人間を”ヴェルデ・ティエラ”と呼び、超能力で支配しました。”ティエラ”は”シエロ”を神として敬い、畏れ、神殿に住まわせ奉仕しました。"シエロ”は奉仕の見返りに超能力で”ティエラ”を外敵から守護したのです。”シエロ”は人口が少なく、超能力の強さと反比例して繁殖力が弱く、やがて長い歴史の中で”ティエラ”の中に埋もれていきました。
 今私が話したことは、セルバ共和国の学校や博物館で教えている内容ですから、セルバ人なら誰でも知っています。」
「神話を学校で教えるのですか?」
「神話ではなく、歴史です。考古学では、遺跡を研究して”シエロ”が実在したことを証明しようと躍起になっている学者もいます。大事なのは・・・」

 ステファンはデルガドを見た。少尉はまだ窓の外を眺めている。外に異常はない様だ。

「”シエロ”は歴史の中に存在を埋もれさせただけで、決して滅亡した訳ではないと言うことです。」
「それじゃ、超能力者がまだこの国にいる?」
「我々は自身を超能力者とは思っていませんが。」

 ステファンに見つめられて、サイスはドキドキした。ステファンもデルガドも私服姿だが、身のこなしは確かに軍人だ。大統領府の正門を守る儀仗兵は大統領警護隊だ。サイスはセルバに引っ越して来て、最初に観光したのだ。その時にガイドに言われた。セルバ共和国では、警察よりも軍隊よりも大統領警護隊が一番強くて頼りになる、しかし絶対に彼等の機嫌を損ねてはならない、と。

「貴方達、大統領警護隊は、”シエロ”なんですか?」
「大統領警護隊が”シエロ”であると知っているのは、”シエロ”だけです。」

 ステファンは早く本題に入りたかった。

「一般人は”シエロ”は大昔に絶滅したと信じています。ただ、神様として彼等の土着信仰に残っている。セルバ人の多くは、大統領警護隊はシャーマンの軍隊の様なもので神と話が出来ると信じているのです。」
「・・・」

 急にそんな話をされても理解しろと言うのが無理だ。サイスが黙り込んだので、ステファンは己の説明がまずかったかな、と不安を感じた。しかしここで止める訳にいかない。

「”シエロ”はジャガーなどに変身して、仲間に一人前の”シエロ”として認められます。変身するのは特別な儀式の時や、どうしても姿を変えなければ自身の命が危ない時だけです。当然ながら、世間の人に見られてはいけない。もし1人でも世間の人に見られてしまえば、古代から秘密の中で生き延びてきた一族全体が危険に曝されます。お分かりですか?」

 俯き加減になっていたサイスが顔を上げた。

「僕が変身したことで、その・・・隠れている神様が危険に曝されたと言うことですか?」

 ステファンは無言で大きく頷いた。サイスの目に再び恐怖の色が現れた。

「僕は何も知らなかった。ただドラッグをやって、酔っただけです。本当にジャガーになったのかどうか、記憶もはっきりしないんです。」
「ジャガーの足跡がこの付近の民家の庭に残っていました。有刺鉄線に体毛と血が付着していました。どこか体を怪我しましたね?」
「月曜日の夜、脇腹に引っ掻き傷が出来ていました。」
「他に変わったことはありませんでしたか? 例えば目・・・」
「鏡を見たら、猫の目になっていて・・・だけどドラッグをやったから・・・」
「貴方はドラッグで変身してしまったのです。我々は市民の通報で出動しています。市民は本物の動物のジャガーが現れたと思っています。危険だから捕まえて欲しいと言う通報です。しかし我々”シエロ”は、こんな都会の真ん中に現れたジャガーが動物である筈がないことを知っています。貴方が掟を知っているセルバ人の”シエロ”なら、我々は貴方を逮捕して然るべき処罰を受けさせることになります。しかし貴方は北米人だ。」
「そうです、僕はアメリカ人です!」

 声を大きくしてから、サイスは突然ある考えに漸く至った。

「死んだ父はセルバ人でした。父が”シエロ”だったのですか?」
「その通りです。我々は貴方の父上の親族を調査しました。何故貴方の父上が貴方を”シエロ”として養育しなかったのか、理由を探る必要があったのです。」
「どんな理由ですか?」

 ステファンは少し躊躇った。親族に認めてもらえない事実を告げるのは残酷だ。しかし誤魔化す理由がないのだ。


第3部 隠れる者  17

  ステファン大尉はテオドール・アルストの家を出る前にデルガド少尉の携帯に電話をかけておいた。サイスの家の前に来ると、自動で門扉が開いた。ステファンにとって機械の助けを借りなくても開けるシステムだったが、家の中の人間の安否を確認するのにサイスによる門の開閉は必要だった。
 サイスの車と並べてジープを駐車して、玄関へ行った。玄関扉は彼が開けた。施錠されていたが、”ヴェルデ・シエロ”には鍵はないのも同じだ。
 中央に鎮座しているグランドピアノの前でロレンシオ・サイスが座っており、デルガドは窓際で外を眺めてた。ステファンがリビングに現れるとサイスが立ち上がった。既にデルガドが簡単な説明をしていたのだろう、ステファンが緑の鳥の徽章を提示すると、緊張した表情ではあったが微笑んだ。ステファンの方から声をかけた。

「ブエノス・ディアス、大統領警護隊のステファン大尉です。デルガド少尉からお聞きだと思いますが、貴方の護衛にやって来ました。」
「ブエノス・ディアス、ピアニストのロレンシオ・サイスです。」

 サイスはアメリカ流に握手を求めて手を差し出した。ステファンはそれに応じずに質問した。サイスの為に英語を使った。

「貴方のお父上もそうやって初対面の人に握手を求められましたか?」
「父は・・・」

 サイスは困惑した。

「アメリカ人の基準から見れば、少し変わったところがありました。しかし、母が彼はメソアメリカの先住民なので、違う習慣を持っているのだと言いました。」

 そして彼はキッチンの方を見た。

「朝食はお済みですか? 僕はコンサートの翌日はいつも昼頃迄食欲が湧かないので、コーヒーだけですが・・・」
「朝食は済ませました。お気遣いなく。」
 
 ステファンはチラリとデルガドを見た。護衛の任務に就いている少尉が何か食べたりする筈がない。実際デルガドはそばのテーブルに水のペットボトルを置いてるだけだった。サイスがステファンの視線の先に気がついて言った。

「昨夜、彼が僕の車に乗り込んで来て、正直なところびっくりしました。I Dを見せられなかったら、大声を上げていたでしょう。」
「彼が貴方の車に乗った理由は聞かれましたか?」
「はい。僕がジャガーに変身したので、護衛が必要になったと言われました。」

 彼は不安と恐怖に満ちた目で相手を見た。

「僕がジャガーに変身したと本気で信じていますか?」

 ステファンはちょっと笑って見せてから、応えた。

「私もジャガーに変身出来ます。貴方と違って黒いですが。」

 彼はデルガドを指した。

「彼も変身しますよ。貴方をからかってなどいません。ただ、ナワルは軽々しく使うものではない。他人に見せる為に変身するのではないのです。だから、我々は先週の月曜日にサン・ペドロ教会界隈に出没したジャガーを探していました。」

 サイスの顔色が白くなった。彼は両手で頭を抱えた。

「何の話をされているのか、理解出来ません・・・」
「そうでしょう。」

 ステファンはキッチンのそばのソファを指した。

「座って話しましょう。水は要りますか?」



第3部 隠れる者  16

  通常の月曜日はテオの授業はない。テオはエル・ティティのゴンザレスの家からグラダ・シティに昼前に戻り、自宅で体を休めながら火曜日の授業の準備をするのが習慣だった。しかし試験期間は違った。テオのクラスは火曜日の朝一に試験を行う。だから試験問題の作成に午後研究室に顔を出す。試験問題は主任教授から認可されたので、修正なしでプリント出来る。後は主任教授に印刷された試験問題を渡し、当日まで保管してもらうだけだ。
 午前中は空いているので、テオはロホとケツァル少佐をそれぞれ自宅へ送り届けた。ステファン大尉はデルガド少尉と交替してやる為にロレンシオ・サイスの家に向かった。

「もしセニョール・ミゲールが政治に進出されなかったら、少佐はアスクラカンで暮らしておられたのですか?」

と別れ際にロホが尋ねた。少佐が肩をすくめた。

「母はあまりあの街が好きでないのです。どちらかと言えばコーヒー農園があるカイオカ村の方を好んで、セルバにいる時はあちらの家にいます。だから私もカイオカの家の方が馴染み深いのです。」
「それを聞いて安心しました。」

 ロホは微笑んだ。

「タムード家の人々やサスコシの族長達は親切でしたが、特定の地区に住む家族達は古い考えの人が多いように感じました。もしステファン家の人達がアスクラカンのミゲール家を訪問することがあれば、かなり気をつけないといけない様に思えます。”ティエラ”は問題ありませんが、ミックスの”シエロ”には窮屈な街の印象です。」

 人当たりの良い純血種のロホがそんな風に言うのだから、ミックスのステファン大尉にはあまりリラックス出来ない土地に聞こえた。テオは少佐が少し沈んだ顔になるのを見た。

「タムード家の従兄弟達はとても大好きです。彼等と彼等の家族が将来も安全であることを願っています。」

 彼女はそう言って、それから「ではオフィスで」と部下に挨拶した。ロホも「では、後ほど」と言い、テオには敬礼だけした。勿論それで十分だ。
 テオは西サン・ペドロ通りに向かって車を走らせた。

「ビアンカ・オルトはロレンシオ・サイスを狙って来ると思うかい?」
「親戚の話を聞く限りでは、彼女が異母弟を見守っている様に思えません。」

 少佐は敵が仕掛けてくる攻撃手段を見抜こうとしている軍人の顔でフロントガラスの向こうを見ていた。


 


第3部 隠れる者  15

  物音でテオが目覚めた時、まだ外は薄暗く、近所の家は寝ている様子だった。
 キッチンでケツァル少佐が朝ご飯の支度をしているのが見えた。テオは時計を見て、あと30分だけ、と思いつつ目を閉じた。
 次に目が覚めたのは、玄関のドアを誰かがノックしたからだ。起き上がると、少佐がテーブルの上に皿を並べながら玄関に向かって怒鳴った。

「勝手に入って来なさい!」

 それは俺の台詞だろう、と思いつつ、テオはソファから下りてテーブルに行った。玄関のドアが開き、ステファン大尉とロホが入って来た。2人共戸惑っていた。家の中にいるのはテオ1人だけか、あるいはデルガドと2人だと思っていたのに、少佐がいるのだから無理もない。
 テオはステファンの疑惑の視線を感じながらも、平然として見せた。棚から追加の皿とカップを出して、2人の客に椅子を勧めた。少佐も平素と変わらぬ落ち着きで皿に缶詰の豆に味を付け足して彼女流にアレンジした煮豆を盛り付け、チーズとパンを並べた。テオがカップにコーヒーを注いで席に着くのを待ってから、少佐が大尉と中尉を見た。

「サイスの親族の情報で新しいものは得られましたか?」
「スィ。」

 ステファンはテオの方は見ないで、セルソ・タムードから聞いたビアンカ・オルトの少女時代の話を語った。その話を聞いていると、テオはビアンカに少しでも同情した己が甘ちゃんに思えてきた。あの綺麗な女性は、そんなに恐ろしい性格をしているのだろうか。一人前の”砂の民”と認められる為に親族である異母弟を不穏分子として殺害するつもりなのか?
 
「面倒な女ですね。」

と少佐が呟いた。

「彼女は完全に気を抑制して”ティエラ”のふりを上手にやってのけたのでしょう?」

 彼女に睨まれて、ビアンカが”シエロ”であることを見抜けなかったステファンは渋々認めた。

「スィ。最初はただの学生のふりをして、次に我々が彼女の証言に疑いを持つと、同郷故にファンになった他人の”シエロ”を装いました。私が彼女に面会した2回共に、彼女は一度も気を発しませんでした。波長を覚えられたくなかったのでしょう。」

 ステファン大尉は純血種達に馬鹿にされている感じがするのだろう、テオは彼の苛立ちを微かに感じた。

「彼女の父親は種族の違いを気にしないで人を愛せたのに、どうして娘は純血至上主義者に育ったのかなぁ。やっぱり母親の影響が大きいのか?」
「母親だけでなく、両サイドの祖父母も純血至上主義者ですよ。」

とロホが好物の煮豆をパンの上にどっさり載せながら応えた。

「ですが、サスコシ族の族長も長老達も彼等に批判的でした。伝統を守ることと排他的になることは必ずしも等しい訳ではありませんから。」

 ステファンは客間の方を見た。

「デルガドは本部へ戻ったのですか?」
「彼はサイスの家にいます。ピアニストの警護中です。」

 少佐の返事を聞いて、ステファンはコーヒーをカブ飲みした。

「それなら、交替してやらなければ・・・朝ご飯、ご馳走様でした。」
「材料は俺の冷蔵庫から、作ったのは少佐だ。」

 テオは大尉の疑惑をそれとなく晴らしてやろうと努めた。

「昨夜はコンサートを結界で守って、少佐がくたびれちまったんだ。家に帰り着く前に車の中で寝落ちしたんで、仕方なくここへ連れて来た。俺はソファで寝たから、安心してくれ。」
「仕方なく?」

と少佐が彼を睨んだ。 なんで睨まれなきゃならない? とテオは心の中で文句を言った。俺は眠っている君を目の前にして必死で我慢したんだぞ。



2021/10/27

第3部 隠れる者  14

 「明日は皆さんお仕事があるでしょう?」

とデルガド少尉が言った。

「私は今やっていることが任務ですから、お2人はお帰り下さい。私はサイスについています。」

 テオは彼が1人で残ることに不安を感じたが、ケツァル少佐は「わかりました」と応えた。
デルガドは車から出て、サイスの方へ歩いて行った。ロレンシオ・サイスはマネージャーと話をしていた。デルガドが横に立っても彼等は振り向きもしなかった。恐らくデルガドは”幻視”を使って彼等に己の姿を見せていないのだ。
 やがて話が終わったのか、サイスが1人で自分の車へ向かった。デルガドがピッタリとついて行き、サイスが自分の荷物を積み込む時に素早く助手席に乗り込んでしまった。ドアの開閉にもその付近にいた”ティエラ”達は気づかなかった。 
 少佐が微笑んだ。

「なかなかやるじゃないですか。」

 大統領警護隊遊撃班はエリート部隊だ。今迄なんとなくエミリオ・デルガドの仕草が若く幼い印象を与えていたので、テオは彼が”ヴェルデ・シエロ”の精鋭なのだと言うことを忘れていた。もしかすると、デルガドの”操心”術に彼もはまっていたのかも知れない。
 サイスの車が走り出したので、テオも車を出した。行き先は両車共にマカレオ通りだ。運転しながらテオは少佐に尋ねた。

「サイスが自宅に入る迄見守っていたいのだが、君は構わないか? それとも西サン・ペドロ通りを通って君を家に落として行こうか?」
「貴方のお好きな方へどうぞ。」

 大きな結界を4時間も張っていた少佐は疲れたのか、眠たそうな表情になっていた。いかん、「電池切れ」だ、とテオは焦った。考えれば、コンサートの昼の部も、彼女は建物の外にいた。恐らく昼のコンサートの間も結界を張っていたのだろう。
 西サン・ペドロ通りとマカレオ通りは数本の道路を共有している。しかし、サイスの車は中間の東サン・ペドロ通りへ向かう道を走り、交差点でマカレオ通りへ向かう方角へ右折した。テオは助手席をチラリと見て、少佐が目を閉じてしまっているのを確認すると、サイスを追って右折した。
 サイスは最短距離を走り、自宅前へ到着した。リモコンで門扉を開けると、そのまま車を庭へ乗り入れた。門扉が閉じてから、テオは門の前へ車を近づけた。サイスの家の玄関前で人感センサー付きの照明が灯り、車から降りたサイスとデルガドが家の中へ入って行くのが見えた。リビングの照明が灯り、サイスがあのだだっ広いリビングのピアノの前に座る影が見えたが、デルガドの影は識別出来なかった。
 テオは暫くじっと家の様子を伺っていた。サイスと思われる影はやがて立ち上がり、窓から見えなくなった。照明が消え、1分後、2階の一室に照明が灯った。デルガドが屋内の安全確認をして、サイスを寝室へ呼んだのだ、とわかった。
 寝室の灯りが消えたのは午前2時前だった。
 少佐はすっかり眠り込んでいた。そんなに無防備に眠られても困るんだが、と思いつつ、テオは同じマカレオ通りの自宅へ帰った。
 玄関を開けて、リビングの照明を点けてから、車に戻り、少佐を引っ張り出した。起きろ、と言っても目を覚さなかったので、仕方なく抱き上げて運んだ。流石にジャガーは猫より重たかったが、彼は慎重に彼女を運び、一旦ソファに下ろした。それから客間を覗くと、ここ数日遊撃班の2人が使っていたので男臭かった。テオは自身の寝室に入り、大急ぎでベッドを整え、窓を開けて換気してから彼女を運び入れた。

「君の好きなハンモックでなくてごめんよ。」

 そっと額にキスをして、彼は枕を持ってリビングへ行った。

第3部 隠れる者  13

  ロレンシオ・サイスがセルバ共和国で開いた一番大きなコンサートは無事終了した。以前からの彼のファンは熱狂し、新しいファンも大満足で、シティ・ホール周辺は日曜日から月曜日に日付が変わったにも関わらず盛り上がっていた。
 テオはケツァル少佐が疲れることを懸念して、車をホール建物の反対側、スタッフの駐車場へ移動させた。警備員に一度止められたが、デルガドが”操心”で通過許可を出させた。
 観客が全員外に出てから撤収が始まった。バンドメンバーも楽器や機材を片付けて働いていた。ピアニストは楽器を持ち出せないので、仲間の手伝いをしていた。スター気取りのない男だ。デルガドが囁いた。

「彼は気を放っていませんね。」
「今日一日は封印しておきましたから。」

と少佐が応えた。

「なんとかして彼を仲間から引き離して、私達の話を聞かせたいのですが。」
「多分、彼の方から連絡してくるよ。」

とテオは言った。

「彼は不安で堪らない筈だ。だけど、今日はそれを押し殺して演奏に専念した。精神力は強い男だ。きっと”ヴェルデ・シエロ”の話を信じるだろうし、積極的に作法も学ぶと思う。障害になるのは、あの熱心なマネージャーと、考えていることがわからないビアンカだな。」
「”砂の民”のみならず我々は直接相手を襲うことを掟で禁じられています。あの女が仕掛けてくるとすれば、何か別の物や人間を動かすでしょう。」

 デルガドは動き回るスタッフを見た。駐車場のフェンスの向こうには、まだ居残っているファンがカメラを向けていた。

「ああ言う一般人を巻き込まれると面倒です。」
「一般人を巻き込むのは、守護者たる”ヴェルデ・シエロ”の存在意義に反します。」

と少佐が硬い声で言った。

「オルトが市民を利用しようとしたら、容赦なく撃ちなさい。」

 ケツァル少佐の究極の命令に、デルガド少尉がハッとした様に背筋を伸ばした。

「承知しました。」

 彼が敬礼した。テオは微かに不安になった。ビアンカ・オルトは本当に異母弟を狙っているのだろうか。

「少佐、他の”砂の民”に通報してビアンカを止めさせることは出来ないのか?」

 少佐が溜め息をついた。

「”砂の民”は互いの仕事には干渉しないのです。同僚が市民を理由なく害した場合のみ動きますが、その場合は事が起きてからです。事前に防ぐことはしません。」

 テオはその返答に不満だったが黙った。そして、ふと考えた。
 ステファン大尉の心を盗んだケサダ教授は、事情を知ってしまったのではないのか?

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...