2021/10/30

第3部 狩る  1

  月曜日、テオは大学の事務局で試験問題を印刷し、主任教授立ち合いの元で出来上がった問題用紙の束を金庫に仕舞った。
 火曜日の午前中、彼のクラスは試験を受けた。テオは担当教官になるので試験監督は別の講師が行い、テオは更に別の教官のクラスの試験監督を務めた。
 午後は採点に取り掛かった。◯X方式ではなく論文形式だったので、読むのに時間がかかった。点数をつける基準も慎重に見極めなければならない。日頃の講義ではグータラしているアルスト准教授が恐ろしく真剣な顔で机に向かっているので、助手達はコーヒーを淹れるにも音を立てないよう気を遣った。
 夕刻、テオはヘトヘトになりながらも採点を終えた。助手が「来週の講義までに済ませれば良いのですよ。」と言って笑ったので、彼はちょっとムッとして言い返した。

「そんなことをしていたら、またロス・パハロス・ヴェルデスから厄介な仕事が来るかも知れないじゃないか。」

 助手達が笑った。

「先生、いつもその厄介なお仕事が来ると喜んで出かけますものね。」

 すると、電話が鳴った。助手が出て、野生生物の研究をしているマルク・スニガ准教授からの電話です、と告げた。テオは自分の机に回してもらった。マルク・スニガは時々テオが大統領警護隊文化保護担当部とジャングルに出かける際に動物の痕跡を採取してくれと依頼してくる。今回もそうかと思って電話に出ると、珍しく声を低めて話しかけて来た。

ーー先週の火曜日に君に分析を頼まれたコヨーテの体毛なんだが・・・。
「あれがどうかしましたか?」
ーーちょっと気になる成分を抽出したので、医学部へ持って行ったんだ。あそこにG C M S(ガスクロマトグラフ質量分析装置)があるから。
「それはまた、大層な・・・」

 G C M Sの使用は「ちょっと気になる」から利用出来るものではない。機械が大変高価だし、使用料も馬鹿にならない。同じ大学の職員だからと言って気軽に使わせてもらえるものではない。しかしスニガは言った。

ーー君は大統領警護隊と警察が南部の遺跡で摘発した麻薬密輸事件解決に協力したんだろ?
「協力したと言うか・・・」

 囮に使われたのだが、そこまで言う必要はない。テオが相手の用件を測りかねていると、スニガがあっさりネタバレしてくれた。

ーーコヨーテの体毛からメチレンジオキシメタンフェタミンの成分が検出された。
「へ?」

 薬中のコヨーテか? と思わず呟いてしまったテオに、スニガが笑った。

ーーコヨーテにエクスタシーを飲ませて何をするつもりだったのか知れないが、警察に提出しても良いかな? 向こうにいる警護隊の隊員から分析依頼されたろ?
「スィ。君が見つけたんだ、君の名前で出してもらって構わない。大統領警護隊文化保護担当部のキナ・クワコ少尉から俺に依頼が来て、君が分析した、ありのまま報告書に書いてくれ。」
ーーわかった、そうする。しかし酷いことをするなぁ、コヨーテにドラッグを与えるなんて。

 電話を終えてから、テオはふと思い出した。ピアニストのロレンシオ・サイスはパーティーでエクスタシーをもらって酔っ払い、ジャガーに変身してしまったと言った。サイスの体内から既に薬物は排出されてしまっただろうが、髪の毛はどうだろう?


2021/10/29

第3部 隠れる者  21

  ロレンシオ・サイスは1日考えさせて欲しいと言った。ステファン大尉は彼がキッチンでコーヒーを淹れていた時、本部の指揮官に電話をしておいたので、1時間後に警護の為に遊撃班の交替要員がやって来た。
 彼等のジープがフェンス越に見えて来ると、ステファンはサイスに言った。

「これから起きることを観察していて下さい。我々”ヴェルデ・シエロ”がどんなものなのかを。」

 大統領警護隊のジープが門扉の前に来ると、サイスが開扉のスイッチを押していないにも関わらず、門扉が開いた。ジープは庭に入って来て、ステファン大尉が乗って来たジープの隣に駐車した。そして2名の隊員がジープから降りてきた。ステファンの要請を容れて私服姿だが、武器は装備していた。アサルトライフルを見て、サイスがギョッとするのをステファンは隣で感じたが、黙っていた。新しく現れた隊員達は施錠された玄関扉を勝手に開いてリビングへ入って来た。

「クレト・リベロ少尉、アブリル・サフラ少尉、交替任務に就きます。」

 サフラ少尉は女性だ。髪をショートカットしているが、精鋭と言うより精霊の様な可憐な印象を与える顔立ちだった。しかし遊撃班だ。優秀な軍人に違いない。リベロもサフラも共に純血種だった。
 ステファン大尉は彼等と向かい合い、敬礼を交わし合い、目を見合った。そしてサイスを振り返った。

「任務の引き継ぎをしました。わかりましたか?」
「え?」

 サイスがキョトンとした。ステファンは説明した。

「貴方に関する情報と、貴方を狙っている人物の情報を全て、一瞬で彼等に伝えました。これは我々”ヴェルデ・シエロ”にとって、生まれつき普通に出来る能力です。貴方にも出来る筈ですが、誰も貴方に目で話しかけたことがなかったので、貴方は知らないだけなのです。恐らく、今日1日で貴方はマスター出来るでしょう。」

 デルガドがステファンの横に来た。

「デルガドと私は本部へ一旦引き揚げます。明日また来る予定ですが、来られなくても別の隊員が来ます。今日は、こちらのリベロとサフラが貴方を守ります。彼等は任務に就いていますから、貴方は彼等の存在を無視して普段通りに生活なさって結構です。ただ、外出する時は、必ず彼等のどちらかを同伴して下さい。」

 そしてステファンは交替要員にも言った。

「報告した通り、セニョール・サイスは生まれたての”ヴェルデ・シエロ”の様な人だ。君達が彼の前で能力を使うことに遠慮は無用だが、教える時は慎重にしてくれ。我々は指導師ではないから。」
「承知。」

 2人の若い隊員は再び敬礼した。
 ステファンはデルガドを促し、家の外に出た。自分達のジープに乗り込んだ。徹夜でサイスの護衛を務めたデルガドにステファンは運転させなかった。大統領警護隊本部迄は車で10分もかからないが用心するに越したことはない。
 エンジンをかけると、デルガドが話しかけて来た。

「見事な指導ぶりでした。大変参考になりました。」
「おだてるな。」

 ステファンは苦笑した。

「私はただ闇雲に喋っただけさ。」
「普段の大尉の口調と違っていたので、驚いて聞いていました。後輩の隊員にもメスティーソが増えています。彼等を指導する役目を与えられると、私の様な純血種は逆にどう教えて良いのかわからず、戸惑うばかりです。司令部は大尉を指導師に仕込みたいのではないですか?」
「馬鹿言うなよ。」

 ステファンは車を道路に出した。

「私の様な無学で素行の悪い育ち方をした人間が、将来有望な若者達を教えられる筈がないじゃないか。」
「大尉も若いでしょうに。私と2歳しか違いませんよ。」

 デルガドが笑った。ステファンは照れ臭かったので、

「しゃべり疲れて喉が渇いた。」

と誤魔化した。

2021/10/28

第3部 隠れる者  20

  暫くステファンとサイスは黙り込んでいた。ステファンは少し喋り疲れたし、サイスは衝撃を受け続けて精神的にくたびれた。

「コーヒーはいかがですか?」

 返事を待たずにサイスは席を立ち、キッチンに入った。彼がいなくなると、ステファンはふーっと息を吐いて全身の力を抜いた。デルガドが振り向いて微笑んだ。彼の目が”心話”を求めて来たので、ステファンは受け容れた。

ーーピアニストは貴方の話に引き込まれています。
ーー私は無我夢中で喋っているだけだ。それより、さっきはフォローを有り難う。

 デルガドは再び窓の外を向いた。サイスがトレイにカップを3つ載せて戻って来た時、ステファンは本部遊撃班指揮官と電話で話を終えたところだった。
 コーヒーで喉を潤してから、彼は話を再開した。

「貴方は父上が純血種の半分ミックスの”ヴェルデ・シエロ”です。この半分と言う血の割合が厄介で、超能力の強さは純血種と殆ど変わりません。しかし生まれつき力の使い方が身についている純血種と違って、ミックスは親や年長者から教わらなければ力の使い方を習得出来ないのです。だから感情に流されるままに力を使ってしまったり、暴走してとんでもない事故を起こしてしまう恐れがあります。貴方の聴衆を魅了する力も、使い方によっては民衆を扇動して暴動を起こさせたり、集団自殺をさせたりする最悪の事態を引き起こす恐れがあります。」
「まさか・・・」

 サイスがまた青くなった。ステファンは少しだけ微笑んで見せた。

「最悪の事態の想定です。貴方の性格を今ここで見る限り、そんなことは起こり得ないと私は思います。しかし、貴方が無意識でも、”ヴェルデ・シエロ”は貴方が気を放ちながら演奏していることを知ってしまいます。気の波動と言う、個人個人異なる特徴があるのです。そして感じ取った者は、貴方が意図的に”操心”を行っていると誤解するかも知れません。」
「つまり、大統領警護隊に逮捕されると言うことですか?」
「その程度で済めば良いですが・・・」

 大尉はセルバ流に遠回しな言い方をした。

「命に関わる処罰を受ける恐れがあります。貴方が何もしなくても、貴方の能力が一族の存在を世間に知らせてしまうと危険視されるからです。」
「そんな・・・」

 ステファンはサイスにサスコシ族の族長からの伝言を伝えた。

「父上の出身部族はアスクラカンのサスコシ族と言います。その族長シプリアーノ・アラゴが私に言いました。貴方が全てを捨てて彼の元へ行くなら、彼は貴方を責任を持って教育し、”ヴェルデ・シエロ”としての作法を教える、と。つまり、うっかりジャガーに変身したり、無意識に超能力を使ってしまって貴方自身に危険が及ぶ事態が起こらないよう、力の使い方を教えてくれると言う意味です。」
「全てを捨てて?」

 サイスが悲しそうな顔をした。

「ピアノを捨てろと言うのですか?」
「ピアニストとして貴方が手に入れた成功を捨てろと言う意味です。無名のピアニストに戻って一からやり直すことは出来ます。」
「それで、ジャガーに変身しなくて済むのですか?」
「真面目に修行をすれば、自由に力を使える様になります。斯く言う私も修行中の身なのです。感情に流されないよう、訓練しているのです。」
「もし修行をしないと言ったら?」
「アメリカに帰られた方が安全です。」
「ですが・・・」

とデルガドが割り込んだ。彼は無作法を上官に目で詫びたが、話を続けた。

「既に貴方を危険分子と見なして付け狙っている女性がいます。彼女は貴方の命を奪う迄、地上の何処へ逃げても追跡するでしょう。貴方がセルバに残れば、貴方を大事に思う人々が守ってくれますが、アメリカではその守護の手は届きません。修行をして、力の制御を学び、貴方が安全な”シエロ”の仲間であると認められれば、貴方が狙われることはありません。寧ろ貴方を狙う者が罰せられます。サスコシの族長の提案を受けるべきだと私は思います。
 余計な口出しをした無作法をお許し下さい。」

 ステファンが構わない、手を振った。そしてサイスを見ると、ピアニストは腕組みをして考え込んでいた。


第3部 隠れる者  19

 「失礼ですが、貴方の父上は貴方の母上と正式な夫婦ではなかった、そうですね?」
「そうです。」

 サイスは声を低めたが、それは別に婚外子であることを恥じた訳ではなかった。親のプライバシーを大声で言う必要がなかっただけだ。

「父上にはセルバに正式な妻と子がいたことをご存知ですか?」

 え? とサイスが目を見張った。

「奥さんがいたことは知っています。でも・・・子供もいたのですか?」
「娘が1人います。」

 サイスの顔が一瞬明るくなった。姉妹の存在を知って喜んだのだ。ステファンは痛ましい気持ちになった。

「父上が貴方と貴方の母上をセルバに呼ばなかったのは、呼べなかったからです。」

 ステファンはそこでデルガドの方を向いた。サイスも釣られて同じくデルガドを見た。ステファンが少尉を指さした。

「彼は純血種です。混じりっけ無しの”ヴェルデ・シエロ”です。しかし・・・」

 彼がサイスに向き直ったので、サイスも彼を見た。

「私はご覧の通り、白人の血が混ざっています。どこの世界にもいるでしょう? 有色人種の血が家族に混ざるのを嫌う白人、同じく外国人の血が混ざるのを嫌う国粋主義者・・・”ヴェルデ・シエロ”の世界にもいるのです、純血至上主義者と呼ばれる人々が。自分達は神と呼ばれた種族だから、異人種の血が混ざることを許さない、と言う人々がいるのです。」

 ステファンは己の苦労話は避けた。サイスに彼が置かれている立場を出来るだけ衝撃を与えずに伝えるには、どう語るべきか考えながら喋った。

「貴方の父上の両親は、”ティエラ”の血を引く孫を望みませんでした。だから、父上は貴方と母上をセルバに呼びたいと希望されましたが反対され、諦めました。」
「どうして諦めたんです? 差別なんか耐えられるのに・・・」

 アメリカ人らしくサイスが言った。ステファンは残酷な真実を言わねばならなかった。

「”ヴェルデ・シエロ”のファシストは、例え血が繋がった孫でも異種族の親を持つ子供は殺してしまうのです。」

 サイスが黙り込んだ。彼はステファンとデルガドを交互に見比べた。ステファンは仕方なく己の経験を語った。

「私も幾度か純血至上主義者に狙われたことがあります。勿論、暴力的な連中はほんの一握りです。大概は差別的な言葉を浴びせられる程度です。」
「貴方は大変な苦労をされたのですね、きっと・・・」

 ステファンは苦笑した。

「私が苦労したのは人種差別より貧困でした。実家が母子家庭で貧しかったのでね。しかし、貴方の父上の実家は裕福なのです。ただファシストの家庭は親の権威が絶対です。父上は両親に逆らえませんでした。そして更に悪いことに、正式な奥方もファシストの家庭の娘で、彼女自身もファシストでした。そんな環境に、貴方と母上を連れて行けません。お分かりですね?」
「父はアメリカへ行くことも許されなかったのですね・・・」
「その様でした。父上はせめてもの愛情表現として貴方達母子に仕送りをされていたそうですが、それが正式な奥方の知れるところとなり、奥方に酷く責められたそうです。そして心労で亡くなってしまった。」

 サイスがグッと唇を噛み締めた。母と出会わなければ父は今でも健在だったのだろうか、と彼は思ったに違いない。感情の波を抑えて、サイスが口を開いた。

「僕がセルバへ来たのは、アメリカの母が亡くなり、父からの頼りも途絶えたからです。父を探してもう一度会いたかった。ピアノで有名になったら、会いに来てくれるかも知れないと思ったこともありましたが、マネージャーのボブ・マグダスが調査してくれて、父がアスクラカンと言う町で亡くなっていたことを知りました。演奏活動がひと段落着いたら、父の墓へ行こうと思っていますが・・・」
 
 ステファンは彼を遮った。

「私は言いましたね、父上の親族は純血至上主義者だと。貴方1人で墓参りをすることはお勧め出来ません。」
「しかし、理由もなく父の親族が僕に攻撃してくるでしょうか?」
「理由はあります。」

 ステファンはピアノを見た。

「演奏する時に気を放出していますね。」

 サイスがキョトンとした。

「何です?」

 無意識にやっているのか? ステファンは言葉を変えてみた。

「聴衆が貴方のピアノに集中してくれるよう、念を込めて弾いているでしょう?」
「ええ・・・ミュージシャンは皆そうですよ。」
「だが彼等は”ティエラ”だ。気を放っていない。」
「その、気って何です?」

 ステファンはサイスの手を見た。突然サイスの両手がテーブルの上でピアノを弾く様に指を動かし、左右に動き始めた。サイスが慌てた。手を止めようとして、しかし止められず、彼は真っ青になってステファンの顔を見た。突然彼の手は動きを止めた。

「僕の手・・・」
「申し訳ない、実際に見てもらわないと信じて頂けないのでね。」

 ステファンは、荒い呼吸をしながら自分を見るピアニストに教えた。

「他人を自分の思い通りに動かしたいと思うと動かせる、それを”操心”と言います。超能力の使い方の一つです。私は貴方の両手を動かして見せましたが、貴方はシティ・ホール一杯の聴衆全ての関心を貴方の曲に惹きつけていられる。」
「待って・・・」

 サイスはステファンの言葉を理解しようと考えた。

「それは、僕のピアノ演奏が人々を惹きつけているのではなく、僕が超能力で人々を操っていると言う意味ですか?」

 ステファンは慎重に言葉を選んだ。

「貴方のピアノの腕前は本物です。魅力的でダイナミックで、しかも繊細だ。それはネット配信やC Dを聴いていればわかります。媒体では超能力の効果はありませんから。しかし、生の演奏を聞く場合は、それだけではないのです。貴方は自分のピアノを聴いて欲しいと願い、無意識に超能力を使ってしまっています。」
「そんな・・・」

 その時、デルガドが振り返った。よろしいですか、と彼に声をかけられ、ステファンは意外に思いながらも、許可を与えた。デルガドがそばにやって来た。

「昨日の朝、ここへ女性の少佐とグラダ大学の先生が来ましたね?」
「はい。」
「少佐も大統領警護隊です。つまり、”ヴェルデ・シエロ”です。彼女は貴方と話をした後、貴方に”操心”をかけました。」
「え?」
「彼女の”操心”は、演奏中に気を放つな、と言うものでした。貴方は知らないうちにその術にかかりました。ですから、昨日のコンサートの間、貴方は一度も超能力を使えなかったのです。昨日の大成功は、貴方の実力です。私も昼の部を聴きました。素晴らしかったです。」

 彼は上官を振り返り、「以上です」と告げて、再び窓際の持ち場へ戻った。


第3部 隠れる者  18

  ステファン大尉はロレンシオ・サイスに水を汲んでやり、デルガドには冷蔵庫から勝手に出したソーセージを与えた。大統領警護隊の朝食は豆が中心なので、デルガドは喜んで肉の塊に齧り付いた。
 ステファンはサイスの向かいに座ると、ピアニストが水を飲んで気分を落ち着かせるのを待った。

「人間がジャガーになるなんて、御伽噺だと思っていました。」

とサイスが小さな声で言った。普通の人はね、とステファンは応じた。

「ただ、このセルバには、古代、”ヴェルデ・シエロ”と名乗る種族がいました。勿論、人間ですが、今で言う超能力を持っていて、祭祀の時にジャガーやマーゲイなどの動物に変身したり、目と目を見つめ合うだけで意思疎通を図ることが出来たのです。やがて超能力を持っていない種族が増えてくると、彼等は普通の人間を”ヴェルデ・ティエラ”と呼び、超能力で支配しました。”ティエラ”は”シエロ”を神として敬い、畏れ、神殿に住まわせ奉仕しました。"シエロ”は奉仕の見返りに超能力で”ティエラ”を外敵から守護したのです。”シエロ”は人口が少なく、超能力の強さと反比例して繁殖力が弱く、やがて長い歴史の中で”ティエラ”の中に埋もれていきました。
 今私が話したことは、セルバ共和国の学校や博物館で教えている内容ですから、セルバ人なら誰でも知っています。」
「神話を学校で教えるのですか?」
「神話ではなく、歴史です。考古学では、遺跡を研究して”シエロ”が実在したことを証明しようと躍起になっている学者もいます。大事なのは・・・」

 ステファンはデルガドを見た。少尉はまだ窓の外を眺めている。外に異常はない様だ。

「”シエロ”は歴史の中に存在を埋もれさせただけで、決して滅亡した訳ではないと言うことです。」
「それじゃ、超能力者がまだこの国にいる?」
「我々は自身を超能力者とは思っていませんが。」

 ステファンに見つめられて、サイスはドキドキした。ステファンもデルガドも私服姿だが、身のこなしは確かに軍人だ。大統領府の正門を守る儀仗兵は大統領警護隊だ。サイスはセルバに引っ越して来て、最初に観光したのだ。その時にガイドに言われた。セルバ共和国では、警察よりも軍隊よりも大統領警護隊が一番強くて頼りになる、しかし絶対に彼等の機嫌を損ねてはならない、と。

「貴方達、大統領警護隊は、”シエロ”なんですか?」
「大統領警護隊が”シエロ”であると知っているのは、”シエロ”だけです。」

 ステファンは早く本題に入りたかった。

「一般人は”シエロ”は大昔に絶滅したと信じています。ただ、神様として彼等の土着信仰に残っている。セルバ人の多くは、大統領警護隊はシャーマンの軍隊の様なもので神と話が出来ると信じているのです。」
「・・・」

 急にそんな話をされても理解しろと言うのが無理だ。サイスが黙り込んだので、ステファンは己の説明がまずかったかな、と不安を感じた。しかしここで止める訳にいかない。

「”シエロ”はジャガーなどに変身して、仲間に一人前の”シエロ”として認められます。変身するのは特別な儀式の時や、どうしても姿を変えなければ自身の命が危ない時だけです。当然ながら、世間の人に見られてはいけない。もし1人でも世間の人に見られてしまえば、古代から秘密の中で生き延びてきた一族全体が危険に曝されます。お分かりですか?」

 俯き加減になっていたサイスが顔を上げた。

「僕が変身したことで、その・・・隠れている神様が危険に曝されたと言うことですか?」

 ステファンは無言で大きく頷いた。サイスの目に再び恐怖の色が現れた。

「僕は何も知らなかった。ただドラッグをやって、酔っただけです。本当にジャガーになったのかどうか、記憶もはっきりしないんです。」
「ジャガーの足跡がこの付近の民家の庭に残っていました。有刺鉄線に体毛と血が付着していました。どこか体を怪我しましたね?」
「月曜日の夜、脇腹に引っ掻き傷が出来ていました。」
「他に変わったことはありませんでしたか? 例えば目・・・」
「鏡を見たら、猫の目になっていて・・・だけどドラッグをやったから・・・」
「貴方はドラッグで変身してしまったのです。我々は市民の通報で出動しています。市民は本物の動物のジャガーが現れたと思っています。危険だから捕まえて欲しいと言う通報です。しかし我々”シエロ”は、こんな都会の真ん中に現れたジャガーが動物である筈がないことを知っています。貴方が掟を知っているセルバ人の”シエロ”なら、我々は貴方を逮捕して然るべき処罰を受けさせることになります。しかし貴方は北米人だ。」
「そうです、僕はアメリカ人です!」

 声を大きくしてから、サイスは突然ある考えに漸く至った。

「死んだ父はセルバ人でした。父が”シエロ”だったのですか?」
「その通りです。我々は貴方の父上の親族を調査しました。何故貴方の父上が貴方を”シエロ”として養育しなかったのか、理由を探る必要があったのです。」
「どんな理由ですか?」

 ステファンは少し躊躇った。親族に認めてもらえない事実を告げるのは残酷だ。しかし誤魔化す理由がないのだ。


第3部 隠れる者  17

  ステファン大尉はテオドール・アルストの家を出る前にデルガド少尉の携帯に電話をかけておいた。サイスの家の前に来ると、自動で門扉が開いた。ステファンにとって機械の助けを借りなくても開けるシステムだったが、家の中の人間の安否を確認するのにサイスによる門の開閉は必要だった。
 サイスの車と並べてジープを駐車して、玄関へ行った。玄関扉は彼が開けた。施錠されていたが、”ヴェルデ・シエロ”には鍵はないのも同じだ。
 中央に鎮座しているグランドピアノの前でロレンシオ・サイスが座っており、デルガドは窓際で外を眺めてた。ステファンがリビングに現れるとサイスが立ち上がった。既にデルガドが簡単な説明をしていたのだろう、ステファンが緑の鳥の徽章を提示すると、緊張した表情ではあったが微笑んだ。ステファンの方から声をかけた。

「ブエノス・ディアス、大統領警護隊のステファン大尉です。デルガド少尉からお聞きだと思いますが、貴方の護衛にやって来ました。」
「ブエノス・ディアス、ピアニストのロレンシオ・サイスです。」

 サイスはアメリカ流に握手を求めて手を差し出した。ステファンはそれに応じずに質問した。サイスの為に英語を使った。

「貴方のお父上もそうやって初対面の人に握手を求められましたか?」
「父は・・・」

 サイスは困惑した。

「アメリカ人の基準から見れば、少し変わったところがありました。しかし、母が彼はメソアメリカの先住民なので、違う習慣を持っているのだと言いました。」

 そして彼はキッチンの方を見た。

「朝食はお済みですか? 僕はコンサートの翌日はいつも昼頃迄食欲が湧かないので、コーヒーだけですが・・・」
「朝食は済ませました。お気遣いなく。」
 
 ステファンはチラリとデルガドを見た。護衛の任務に就いている少尉が何か食べたりする筈がない。実際デルガドはそばのテーブルに水のペットボトルを置いてるだけだった。サイスがステファンの視線の先に気がついて言った。

「昨夜、彼が僕の車に乗り込んで来て、正直なところびっくりしました。I Dを見せられなかったら、大声を上げていたでしょう。」
「彼が貴方の車に乗った理由は聞かれましたか?」
「はい。僕がジャガーに変身したので、護衛が必要になったと言われました。」

 彼は不安と恐怖に満ちた目で相手を見た。

「僕がジャガーに変身したと本気で信じていますか?」

 ステファンはちょっと笑って見せてから、応えた。

「私もジャガーに変身出来ます。貴方と違って黒いですが。」

 彼はデルガドを指した。

「彼も変身しますよ。貴方をからかってなどいません。ただ、ナワルは軽々しく使うものではない。他人に見せる為に変身するのではないのです。だから、我々は先週の月曜日にサン・ペドロ教会界隈に出没したジャガーを探していました。」

 サイスの顔色が白くなった。彼は両手で頭を抱えた。

「何の話をされているのか、理解出来ません・・・」
「そうでしょう。」

 ステファンはキッチンのそばのソファを指した。

「座って話しましょう。水は要りますか?」



第3部 隠れる者  16

  通常の月曜日はテオの授業はない。テオはエル・ティティのゴンザレスの家からグラダ・シティに昼前に戻り、自宅で体を休めながら火曜日の授業の準備をするのが習慣だった。しかし試験期間は違った。テオのクラスは火曜日の朝一に試験を行う。だから試験問題の作成に午後研究室に顔を出す。試験問題は主任教授から認可されたので、修正なしでプリント出来る。後は主任教授に印刷された試験問題を渡し、当日まで保管してもらうだけだ。
 午前中は空いているので、テオはロホとケツァル少佐をそれぞれ自宅へ送り届けた。ステファン大尉はデルガド少尉と交替してやる為にロレンシオ・サイスの家に向かった。

「もしセニョール・ミゲールが政治に進出されなかったら、少佐はアスクラカンで暮らしておられたのですか?」

と別れ際にロホが尋ねた。少佐が肩をすくめた。

「母はあまりあの街が好きでないのです。どちらかと言えばコーヒー農園があるカイオカ村の方を好んで、セルバにいる時はあちらの家にいます。だから私もカイオカの家の方が馴染み深いのです。」
「それを聞いて安心しました。」

 ロホは微笑んだ。

「タムード家の人々やサスコシの族長達は親切でしたが、特定の地区に住む家族達は古い考えの人が多いように感じました。もしステファン家の人達がアスクラカンのミゲール家を訪問することがあれば、かなり気をつけないといけない様に思えます。”ティエラ”は問題ありませんが、ミックスの”シエロ”には窮屈な街の印象です。」

 人当たりの良い純血種のロホがそんな風に言うのだから、ミックスのステファン大尉にはあまりリラックス出来ない土地に聞こえた。テオは少佐が少し沈んだ顔になるのを見た。

「タムード家の従兄弟達はとても大好きです。彼等と彼等の家族が将来も安全であることを願っています。」

 彼女はそう言って、それから「ではオフィスで」と部下に挨拶した。ロホも「では、後ほど」と言い、テオには敬礼だけした。勿論それで十分だ。
 テオは西サン・ペドロ通りに向かって車を走らせた。

「ビアンカ・オルトはロレンシオ・サイスを狙って来ると思うかい?」
「親戚の話を聞く限りでは、彼女が異母弟を見守っている様に思えません。」

 少佐は敵が仕掛けてくる攻撃手段を見抜こうとしている軍人の顔でフロントガラスの向こうを見ていた。


 


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...