2021/10/31

第3部 狩る  4

  アスルは僻地で遺跡発掘監視をする間、ずっと現地にいる訳ではないと言った。

「発掘許可を出す前後に誰かが現地へ行って、遺跡の近くに”通路”があるかないか確認する。何処か一番近い”出入り口”を探すんだ。一月以内の任務なら使用することはないが、長期の場合は時々報告や必要な物の追加調達の為にグラダ・シティに帰ることがある。グラダ・シティに通じていなければ、最寄りの町や村へ行く。ミーヤ遺跡は国境に近いから、国境警備の隊員が使う”通路”を利用出来る。」

 彼は玄関のドアを開ける前に振り返った。

「分析結果は電話で構わない。」
「ちょっと待ってくれ・・・」

 テオはテーブルから離れ、アスルのそばに行った。まだ何かあるのか、とアスルは己の用件が済んでいるので面倒臭そうな顔をした。

「君が今から使う”入り口”はこの家から近いのか?」
「マカレオ通りの下の方にあるガソリンスタンドの裏にある。」
「”出口”もその近所か?」
「スィ。」

 アスルは時計を見た。遺跡の監視に戻りたいのだ。

「サスコシ族もその”入り口”や”出口”を見つけられるんだな?」
「ブーカ族ほどではないが、俺達オクターリャ族と同程度には見つけるだろう。もう帰って良いか?」

 テオは急いで頭の中を探った。まだ何か要件が残っている筈だ。

「この家に君が住む件・・・」

 アスルが黙って見返したので、彼は言った。

「やっぱり家賃はもらいたい。部屋代だけで良い、君の言い値で構わないから、払ってくれ。だから、この家にいつでも来てくれ。」

 アスルはプイッと前へ向き直った。そして振り返らずに言った。

「考えておく。」

 ドアを開けて出て行った。


2021/10/30

第3部 狩る  3

  水曜日の朝、テオは朝寝坊した。グラダ大学の期末試験はまだ続いており、彼が所属する生物学部は木曜日まで試験がある。テオは監督官の仕事を木曜日にするが、水曜日は空いていた。学生達が提出した答案用紙は研究室の金庫に入れてあるので、自宅では見ることが出来ない。だから、水曜日は試験当日に大学に来られないとあらかじめ判明していた学生5名がメールで送って来た論文を読むことにしていた。期限迄にメールが届かない学生は当然単位を与えられない。
 寝室から出ると、良い匂いが家の中に漂っていた。不審に思ってキッチンへ行くと、アスルがいて、朝食の支度が整ったところだった。先週の金曜日に別れたばかりなのに、すごく久しぶりの様な気がして、テオは思わず、「ブエノス・ディアス!」と叫んで彼に抱きついた。当然アスルは嫌がって避けようとした。

「なんでいつも抱きついてくるんだ?!」

 軍服のままのアスルは、キッチンが狭かったので結局捕まってハグの挨拶を受け容れた。

「いや、随分長い間会っていなかったから・・・」
「6日前に会っただろうが!」

 アスルがご機嫌斜めなのは平素のことで、これが機嫌良ければ逆に何か企んでいるのかと疑ってしまう。テオは早速テーブルに着いてアスル特製美味しい朝食を堪能することにした。

「ミーヤ遺跡の撤収は終わったのかい?」
「まだだ・・・」

 向かいに座ったアスルがポケットからビニル袋を出してテオの前に突き出した。テオはフォークを置いて袋を受け取った。袋の中は木の小枝と葉っぱだった。それに赤黒い物が付着していた。

「血液か?」
「スィ。」
「まさか、チュパカブラ?」
「ノ、女だ。」

 テオが怪訝な目で見たので、アスルは言い添えた。

「”シエロ”だ。封鎖されたアンティオワカ遺跡へ立ち入ろうとしたので、職質をかけたら逃げた。規程に従って不審者へ発砲したら、どこかに当たった。女はジャングルの中へ逃走した。」

 官憲に声をかけられ逃げ出したら発砲される、それはこの辺りの国々では珍しいことではなかった。それにアンティオワカ遺跡は麻薬密売組織に密輸した麻薬を一時保管する場所として利用されていたのだ。そこに無断で立ち入ろうとすれば当然官憲は犯罪に関与する者と疑いをかける。アスルの発砲は決して行き過ぎた行為ではなかった。

「撃たれたのにジャングルの中に逃げたのか・・・かなり強靭な体力の持ち主だな。それで、これはその女の血液か?」
「スィ。DNAを分析して欲しい。次にあの女に出遭った時に同一人物か確認する為の記録を頼む。」
「顔を見ていないのか?」
「後ろ姿だけだ。俺が彼女に振り向くのを許さなかった。」

 目が武器になる”ヴェルデ・シエロ”として、同族に対して警戒するのは当然だ。アスルは怪しい女と出会った時、1人だったのだろう、とテオには予想がついた。

「それじゃ、どんな女なのかわからないのか・・・」
「言葉に特徴があった。彼女はサスコシ族だ、アスクラカンの・・・」
「何?!」

 テオは思わずアスルの目をぐいっと見つめてしまった。そんな風に目を見られることは攻撃されるのと等しい”ヴェルデ・シエロ”のアスルは目を逸らした。

「サスコシの女がどうかしたのか?」

 それでテオは先週の月曜日の夜から始まったサン・ペドロ教会付近のジャガー騒動を語った。ジャガーが人気のジャズピアニスト、ロレンシオ・サイスで、彼が半分だけの”ヴェルデ・シエロ”であること、北米で育ったので自身の出自に全く無知だったこと、彼の父親の実家が純血至上主義者でサイスの存在を認めていないこと、彼の腹違いの姉ビアンカ・オルトが彼の命を狙っているらしいことを語った。
 アスルはロレンシオ・サイスの身の上に関して興味を抱かなかった。クールに聞き流しただけだ。彼が興味を示したのは、サイスの最初の変身が合成麻薬の摂取が原因だったことだ。

「昔は儀式にコカを使ってナワル使用を誘発させたと聞いている。儀式に参加する者全員が変身する必要があったからだ。体調不良で1人だけ変身し損なっては神様のご機嫌を損なうからな。」
「だけど、今は使わないんだろう?」

 アスルはセルバ流に答えた。

「コカ以外は使わない。」

 彼はジャンキーの”ヴェルデ・シエロ”なんて恐ろしいと吐き捨てる様に言った。テオは50年以上前に行われたイェンテ・グラダ村の殲滅事件を思い出した。太古に絶滅した純血のグラダ族を復活させようと、グラダの血を引くミックスだけで作った村がイェンテ・グラダだった。近親婚を繰り返して血の割合を純血種に近づけていった彼等は、ミックス故に超能力の制御が上手くいかず、それを抑えるために麻薬に溺れた。そして一族を危険に曝す存在として中央の長老会から村ごと「死」を与えられてしまったのだ。麻薬は”ティエラ”にも”シエロ”にも害になるだけのものだ。
 ミーヤ遺跡に現れた女はビアンカ・オルトだったのだろうか。彼女は麻薬を必要としているのか。アスルに撃たれて傷を負っているのか。
 アスルが立ち上がった。

「分析を頼む。俺は遺跡に戻る。」

 テオは我に帰った。

「夜通し運転して来たんじゃないのか? もう少し休んでいけよ。」

 アスルがニヤリとした。

「あんたは、俺が車でここへ来たと思っているのか?」
「え? しかし・・・」
「俺達が遺跡監視で何ヶ月もジャングルや砂漠に籠っているなんて、本気で思っているんじゃないだろうな?」

 

 

第3部 狩る  2

  ミーヤ遺跡は近づく雨季に備えて撤収作業が始まっていた。アスルは遺跡の外れにある大樹の上に登って作業を監視していた。ミーヤ遺跡には盗む価値のある遺物はほとんど皆無と言える。考古学的価値ならそれなりにある土器の破片や民具の欠片ばかり出土した。それらをきちんとリストに載せて文化保護担当部に提出すると約束した日本人の考古学者達は、作業員達と一緒に遺跡に丁寧に覆いを被せる仕事をしていた。石の壁などは野ざらしにして良さそうなものなのに、彼等は来年戻って来る時のために、プレハブで覆ってしまうのだ。地面はシートを被せ、可能な限り水が入らないように厳重に封をする。アスルに言わせれば、プレハブもシートもハリケーンが来れば簡単に吹き飛んでしまうし、泥棒がお気軽に失敬してしまう。大統領警護隊も陸軍も来年迄警備するつもりなど毛頭ない。
 ポケットからスルメの袋を出してアスルは齧った。日本人は結構気軽に物をくれる。殆どスナック類だが、文房具なども現地の人間には人気があった。アスルは恐竜の形の消しゴムが気に入ってしまった。いつも顰めっ面している彼が、消しゴムを掌に載っけて嬉しそうに微笑むのを見て、向こうも嬉しかったのだろう、日本人は3個もくれた。ティラノサウルスとステゴサウルスとアンキロサウルスだ。

「来年もお会いできたら、また新しいのを持ってきます。」

と言ってくれた。だから今アスルは彼等が北米の大学に引き上げて、それから地球の反対側へ帰ってしまうのが寂しいと思っていた。
 スルメの塊を口に入れた時、木の下の薮を何かが通り過ぎた。人間だ。アスルは遺跡の中で作業する人間の数を把握している。全員作業中だ。警備の陸軍兵も姿が見えている。つまり、木の下を通ったのは部外者だ。奥地のアンティオワカ遺跡へ行くなら、遺跡の反対側の道路を使う。まともなヤツならば、と言うことだ。
 アスルは木の下の動くものを目で追った。木や草を動かさずに移動して行く。動物でなければ、森の住人か。彼は相手に気取られぬよう、静かに素早く木から降りた。追跡を始めると、向こうは気づかずにやがて道へ出た。森と道の境目を歩いて奥へ向かっている。アスルは木の隙間から覗いて見た。
 後ろ姿は帽子を被った作業員に見えたが、彼はその人物の体型から女性だとわかった。遺跡発掘作業員の身なりをして、発掘中の遺跡ではなく、発掘が中止されて閉鎖されている奥地の遺跡へ1人で、しかも徒歩で行くとはどんな理由があるのだ。それに武器らしき物を所持している様にも見えない。丸腰で無防備で森を歩くなど現地の人間でもやらない。森の住人なら尚更だ。森が危険な場所であることは常識だ。何も持たずに森を歩くのは・・・

 ”シエロ”か?

 何故こんな民家のない場所に? アスルは声掛け代わりに軽く気を出してみた。女が立ち止まった。アスルはアサルトライフルを構えて言った。

「その先は警察が封鎖している。何処へ行くつもりだ?」

 女が振り返ろうとしたので、彼は「ノ」と言った。故意にライフルの音を立てて聴かせた。

「こっちを向くな。お前が何者かはわかっている。」
「一族の人ね?」

 女の声は若かった。

「この先の遺跡で発掘している人に知り合いがいるの。そこへ行くのよ。」
「残念だが、君の知り合いはもういない。遺跡は封鎖されている。さっきそう言った筈だ。」
「封鎖? 何があったの?」
「何があったのかな。君の用事に関係することかな。」

 アスルの意地悪な物言いに、女が大袈裟に溜め息をついて見せた。

「わかった・・・クスリを分けてくれるって聞いたから、買いに行こうとしていたのよ。まだ買ってないわ。」
「ジャンキーか?」
「そこまで堕ちてない。」

 アスルは相手の言葉に訛りがないか聞き取ろうと務めた。セルバ標準スペイン語はグラダ・シティとその周辺地域の言葉だ。南部、中央部、西部で微妙にアクセントが異なるし、先住民なら”シエロ”だろうが”ティエラ”だろうが出身部族の村の訛りもある。女は綺麗な標準語で話していたが、アスルは大統領警護隊だ、訓練でほんの少しの発音の違いも聞き分けられた。彼は尋ねた。

「君はアスクラカンから来たのか? サスコシ族か?」

 女がまた溜め息をついた。

「男性の貴方が私の家族の家長に断りもなく私に話しかけるのはマナー違反よ。」

 アスルは彼女の訴えを無視した。

「俺の質問に答えろ。これは大統領警護隊の職務質問だ。」

 女が放つ気が微かに揺れた。

「あなた方、何処にでも現れるのね。」

 アスルはアサルトライフルを発砲した。女が森へ飛び込んだからだ。アスルは彼女が立っていた位置へ走ると、そこから森を見た。風が駆け抜けるような音が遠ざかって行くのが聞こえた。女が逃げた辺りの樹木の葉に血が付着していた。アスルは少し考え、ポケットからスルメの袋を出した。可能な限りスルメを口に入れると、残りは捨てた。そして空袋に血液が付着した枝葉を入れた。
 ミーヤ遺跡に戻りかけると、警備兵が車でやって来た。

「少尉、銃声が聞こえましたが、何かありましたか?」

 

第3部 狩る  1

  月曜日、テオは大学の事務局で試験問題を印刷し、主任教授立ち合いの元で出来上がった問題用紙の束を金庫に仕舞った。
 火曜日の午前中、彼のクラスは試験を受けた。テオは担当教官になるので試験監督は別の講師が行い、テオは更に別の教官のクラスの試験監督を務めた。
 午後は採点に取り掛かった。◯X方式ではなく論文形式だったので、読むのに時間がかかった。点数をつける基準も慎重に見極めなければならない。日頃の講義ではグータラしているアルスト准教授が恐ろしく真剣な顔で机に向かっているので、助手達はコーヒーを淹れるにも音を立てないよう気を遣った。
 夕刻、テオはヘトヘトになりながらも採点を終えた。助手が「来週の講義までに済ませれば良いのですよ。」と言って笑ったので、彼はちょっとムッとして言い返した。

「そんなことをしていたら、またロス・パハロス・ヴェルデスから厄介な仕事が来るかも知れないじゃないか。」

 助手達が笑った。

「先生、いつもその厄介なお仕事が来ると喜んで出かけますものね。」

 すると、電話が鳴った。助手が出て、野生生物の研究をしているマルク・スニガ准教授からの電話です、と告げた。テオは自分の机に回してもらった。マルク・スニガは時々テオが大統領警護隊文化保護担当部とジャングルに出かける際に動物の痕跡を採取してくれと依頼してくる。今回もそうかと思って電話に出ると、珍しく声を低めて話しかけて来た。

ーー先週の火曜日に君に分析を頼まれたコヨーテの体毛なんだが・・・。
「あれがどうかしましたか?」
ーーちょっと気になる成分を抽出したので、医学部へ持って行ったんだ。あそこにG C M S(ガスクロマトグラフ質量分析装置)があるから。
「それはまた、大層な・・・」

 G C M Sの使用は「ちょっと気になる」から利用出来るものではない。機械が大変高価だし、使用料も馬鹿にならない。同じ大学の職員だからと言って気軽に使わせてもらえるものではない。しかしスニガは言った。

ーー君は大統領警護隊と警察が南部の遺跡で摘発した麻薬密輸事件解決に協力したんだろ?
「協力したと言うか・・・」

 囮に使われたのだが、そこまで言う必要はない。テオが相手の用件を測りかねていると、スニガがあっさりネタバレしてくれた。

ーーコヨーテの体毛からメチレンジオキシメタンフェタミンの成分が検出された。
「へ?」

 薬中のコヨーテか? と思わず呟いてしまったテオに、スニガが笑った。

ーーコヨーテにエクスタシーを飲ませて何をするつもりだったのか知れないが、警察に提出しても良いかな? 向こうにいる警護隊の隊員から分析依頼されたろ?
「スィ。君が見つけたんだ、君の名前で出してもらって構わない。大統領警護隊文化保護担当部のキナ・クワコ少尉から俺に依頼が来て、君が分析した、ありのまま報告書に書いてくれ。」
ーーわかった、そうする。しかし酷いことをするなぁ、コヨーテにドラッグを与えるなんて。

 電話を終えてから、テオはふと思い出した。ピアニストのロレンシオ・サイスはパーティーでエクスタシーをもらって酔っ払い、ジャガーに変身してしまったと言った。サイスの体内から既に薬物は排出されてしまっただろうが、髪の毛はどうだろう?


2021/10/29

第3部 隠れる者  21

  ロレンシオ・サイスは1日考えさせて欲しいと言った。ステファン大尉は彼がキッチンでコーヒーを淹れていた時、本部の指揮官に電話をしておいたので、1時間後に警護の為に遊撃班の交替要員がやって来た。
 彼等のジープがフェンス越に見えて来ると、ステファンはサイスに言った。

「これから起きることを観察していて下さい。我々”ヴェルデ・シエロ”がどんなものなのかを。」

 大統領警護隊のジープが門扉の前に来ると、サイスが開扉のスイッチを押していないにも関わらず、門扉が開いた。ジープは庭に入って来て、ステファン大尉が乗って来たジープの隣に駐車した。そして2名の隊員がジープから降りてきた。ステファンの要請を容れて私服姿だが、武器は装備していた。アサルトライフルを見て、サイスがギョッとするのをステファンは隣で感じたが、黙っていた。新しく現れた隊員達は施錠された玄関扉を勝手に開いてリビングへ入って来た。

「クレト・リベロ少尉、アブリル・サフラ少尉、交替任務に就きます。」

 サフラ少尉は女性だ。髪をショートカットしているが、精鋭と言うより精霊の様な可憐な印象を与える顔立ちだった。しかし遊撃班だ。優秀な軍人に違いない。リベロもサフラも共に純血種だった。
 ステファン大尉は彼等と向かい合い、敬礼を交わし合い、目を見合った。そしてサイスを振り返った。

「任務の引き継ぎをしました。わかりましたか?」
「え?」

 サイスがキョトンとした。ステファンは説明した。

「貴方に関する情報と、貴方を狙っている人物の情報を全て、一瞬で彼等に伝えました。これは我々”ヴェルデ・シエロ”にとって、生まれつき普通に出来る能力です。貴方にも出来る筈ですが、誰も貴方に目で話しかけたことがなかったので、貴方は知らないだけなのです。恐らく、今日1日で貴方はマスター出来るでしょう。」

 デルガドがステファンの横に来た。

「デルガドと私は本部へ一旦引き揚げます。明日また来る予定ですが、来られなくても別の隊員が来ます。今日は、こちらのリベロとサフラが貴方を守ります。彼等は任務に就いていますから、貴方は彼等の存在を無視して普段通りに生活なさって結構です。ただ、外出する時は、必ず彼等のどちらかを同伴して下さい。」

 そしてステファンは交替要員にも言った。

「報告した通り、セニョール・サイスは生まれたての”ヴェルデ・シエロ”の様な人だ。君達が彼の前で能力を使うことに遠慮は無用だが、教える時は慎重にしてくれ。我々は指導師ではないから。」
「承知。」

 2人の若い隊員は再び敬礼した。
 ステファンはデルガドを促し、家の外に出た。自分達のジープに乗り込んだ。徹夜でサイスの護衛を務めたデルガドにステファンは運転させなかった。大統領警護隊本部迄は車で10分もかからないが用心するに越したことはない。
 エンジンをかけると、デルガドが話しかけて来た。

「見事な指導ぶりでした。大変参考になりました。」
「おだてるな。」

 ステファンは苦笑した。

「私はただ闇雲に喋っただけさ。」
「普段の大尉の口調と違っていたので、驚いて聞いていました。後輩の隊員にもメスティーソが増えています。彼等を指導する役目を与えられると、私の様な純血種は逆にどう教えて良いのかわからず、戸惑うばかりです。司令部は大尉を指導師に仕込みたいのではないですか?」
「馬鹿言うなよ。」

 ステファンは車を道路に出した。

「私の様な無学で素行の悪い育ち方をした人間が、将来有望な若者達を教えられる筈がないじゃないか。」
「大尉も若いでしょうに。私と2歳しか違いませんよ。」

 デルガドが笑った。ステファンは照れ臭かったので、

「しゃべり疲れて喉が渇いた。」

と誤魔化した。

2021/10/28

第3部 隠れる者  20

  暫くステファンとサイスは黙り込んでいた。ステファンは少し喋り疲れたし、サイスは衝撃を受け続けて精神的にくたびれた。

「コーヒーはいかがですか?」

 返事を待たずにサイスは席を立ち、キッチンに入った。彼がいなくなると、ステファンはふーっと息を吐いて全身の力を抜いた。デルガドが振り向いて微笑んだ。彼の目が”心話”を求めて来たので、ステファンは受け容れた。

ーーピアニストは貴方の話に引き込まれています。
ーー私は無我夢中で喋っているだけだ。それより、さっきはフォローを有り難う。

 デルガドは再び窓の外を向いた。サイスがトレイにカップを3つ載せて戻って来た時、ステファンは本部遊撃班指揮官と電話で話を終えたところだった。
 コーヒーで喉を潤してから、彼は話を再開した。

「貴方は父上が純血種の半分ミックスの”ヴェルデ・シエロ”です。この半分と言う血の割合が厄介で、超能力の強さは純血種と殆ど変わりません。しかし生まれつき力の使い方が身についている純血種と違って、ミックスは親や年長者から教わらなければ力の使い方を習得出来ないのです。だから感情に流されるままに力を使ってしまったり、暴走してとんでもない事故を起こしてしまう恐れがあります。貴方の聴衆を魅了する力も、使い方によっては民衆を扇動して暴動を起こさせたり、集団自殺をさせたりする最悪の事態を引き起こす恐れがあります。」
「まさか・・・」

 サイスがまた青くなった。ステファンは少しだけ微笑んで見せた。

「最悪の事態の想定です。貴方の性格を今ここで見る限り、そんなことは起こり得ないと私は思います。しかし、貴方が無意識でも、”ヴェルデ・シエロ”は貴方が気を放ちながら演奏していることを知ってしまいます。気の波動と言う、個人個人異なる特徴があるのです。そして感じ取った者は、貴方が意図的に”操心”を行っていると誤解するかも知れません。」
「つまり、大統領警護隊に逮捕されると言うことですか?」
「その程度で済めば良いですが・・・」

 大尉はセルバ流に遠回しな言い方をした。

「命に関わる処罰を受ける恐れがあります。貴方が何もしなくても、貴方の能力が一族の存在を世間に知らせてしまうと危険視されるからです。」
「そんな・・・」

 ステファンはサイスにサスコシ族の族長からの伝言を伝えた。

「父上の出身部族はアスクラカンのサスコシ族と言います。その族長シプリアーノ・アラゴが私に言いました。貴方が全てを捨てて彼の元へ行くなら、彼は貴方を責任を持って教育し、”ヴェルデ・シエロ”としての作法を教える、と。つまり、うっかりジャガーに変身したり、無意識に超能力を使ってしまって貴方自身に危険が及ぶ事態が起こらないよう、力の使い方を教えてくれると言う意味です。」
「全てを捨てて?」

 サイスが悲しそうな顔をした。

「ピアノを捨てろと言うのですか?」
「ピアニストとして貴方が手に入れた成功を捨てろと言う意味です。無名のピアニストに戻って一からやり直すことは出来ます。」
「それで、ジャガーに変身しなくて済むのですか?」
「真面目に修行をすれば、自由に力を使える様になります。斯く言う私も修行中の身なのです。感情に流されないよう、訓練しているのです。」
「もし修行をしないと言ったら?」
「アメリカに帰られた方が安全です。」
「ですが・・・」

とデルガドが割り込んだ。彼は無作法を上官に目で詫びたが、話を続けた。

「既に貴方を危険分子と見なして付け狙っている女性がいます。彼女は貴方の命を奪う迄、地上の何処へ逃げても追跡するでしょう。貴方がセルバに残れば、貴方を大事に思う人々が守ってくれますが、アメリカではその守護の手は届きません。修行をして、力の制御を学び、貴方が安全な”シエロ”の仲間であると認められれば、貴方が狙われることはありません。寧ろ貴方を狙う者が罰せられます。サスコシの族長の提案を受けるべきだと私は思います。
 余計な口出しをした無作法をお許し下さい。」

 ステファンが構わない、手を振った。そしてサイスを見ると、ピアニストは腕組みをして考え込んでいた。


第3部 隠れる者  19

 「失礼ですが、貴方の父上は貴方の母上と正式な夫婦ではなかった、そうですね?」
「そうです。」

 サイスは声を低めたが、それは別に婚外子であることを恥じた訳ではなかった。親のプライバシーを大声で言う必要がなかっただけだ。

「父上にはセルバに正式な妻と子がいたことをご存知ですか?」

 え? とサイスが目を見張った。

「奥さんがいたことは知っています。でも・・・子供もいたのですか?」
「娘が1人います。」

 サイスの顔が一瞬明るくなった。姉妹の存在を知って喜んだのだ。ステファンは痛ましい気持ちになった。

「父上が貴方と貴方の母上をセルバに呼ばなかったのは、呼べなかったからです。」

 ステファンはそこでデルガドの方を向いた。サイスも釣られて同じくデルガドを見た。ステファンが少尉を指さした。

「彼は純血種です。混じりっけ無しの”ヴェルデ・シエロ”です。しかし・・・」

 彼がサイスに向き直ったので、サイスも彼を見た。

「私はご覧の通り、白人の血が混ざっています。どこの世界にもいるでしょう? 有色人種の血が家族に混ざるのを嫌う白人、同じく外国人の血が混ざるのを嫌う国粋主義者・・・”ヴェルデ・シエロ”の世界にもいるのです、純血至上主義者と呼ばれる人々が。自分達は神と呼ばれた種族だから、異人種の血が混ざることを許さない、と言う人々がいるのです。」

 ステファンは己の苦労話は避けた。サイスに彼が置かれている立場を出来るだけ衝撃を与えずに伝えるには、どう語るべきか考えながら喋った。

「貴方の父上の両親は、”ティエラ”の血を引く孫を望みませんでした。だから、父上は貴方と母上をセルバに呼びたいと希望されましたが反対され、諦めました。」
「どうして諦めたんです? 差別なんか耐えられるのに・・・」

 アメリカ人らしくサイスが言った。ステファンは残酷な真実を言わねばならなかった。

「”ヴェルデ・シエロ”のファシストは、例え血が繋がった孫でも異種族の親を持つ子供は殺してしまうのです。」

 サイスが黙り込んだ。彼はステファンとデルガドを交互に見比べた。ステファンは仕方なく己の経験を語った。

「私も幾度か純血至上主義者に狙われたことがあります。勿論、暴力的な連中はほんの一握りです。大概は差別的な言葉を浴びせられる程度です。」
「貴方は大変な苦労をされたのですね、きっと・・・」

 ステファンは苦笑した。

「私が苦労したのは人種差別より貧困でした。実家が母子家庭で貧しかったのでね。しかし、貴方の父上の実家は裕福なのです。ただファシストの家庭は親の権威が絶対です。父上は両親に逆らえませんでした。そして更に悪いことに、正式な奥方もファシストの家庭の娘で、彼女自身もファシストでした。そんな環境に、貴方と母上を連れて行けません。お分かりですね?」
「父はアメリカへ行くことも許されなかったのですね・・・」
「その様でした。父上はせめてもの愛情表現として貴方達母子に仕送りをされていたそうですが、それが正式な奥方の知れるところとなり、奥方に酷く責められたそうです。そして心労で亡くなってしまった。」

 サイスがグッと唇を噛み締めた。母と出会わなければ父は今でも健在だったのだろうか、と彼は思ったに違いない。感情の波を抑えて、サイスが口を開いた。

「僕がセルバへ来たのは、アメリカの母が亡くなり、父からの頼りも途絶えたからです。父を探してもう一度会いたかった。ピアノで有名になったら、会いに来てくれるかも知れないと思ったこともありましたが、マネージャーのボブ・マグダスが調査してくれて、父がアスクラカンと言う町で亡くなっていたことを知りました。演奏活動がひと段落着いたら、父の墓へ行こうと思っていますが・・・」
 
 ステファンは彼を遮った。

「私は言いましたね、父上の親族は純血至上主義者だと。貴方1人で墓参りをすることはお勧め出来ません。」
「しかし、理由もなく父の親族が僕に攻撃してくるでしょうか?」
「理由はあります。」

 ステファンはピアノを見た。

「演奏する時に気を放出していますね。」

 サイスがキョトンとした。

「何です?」

 無意識にやっているのか? ステファンは言葉を変えてみた。

「聴衆が貴方のピアノに集中してくれるよう、念を込めて弾いているでしょう?」
「ええ・・・ミュージシャンは皆そうですよ。」
「だが彼等は”ティエラ”だ。気を放っていない。」
「その、気って何です?」

 ステファンはサイスの手を見た。突然サイスの両手がテーブルの上でピアノを弾く様に指を動かし、左右に動き始めた。サイスが慌てた。手を止めようとして、しかし止められず、彼は真っ青になってステファンの顔を見た。突然彼の手は動きを止めた。

「僕の手・・・」
「申し訳ない、実際に見てもらわないと信じて頂けないのでね。」

 ステファンは、荒い呼吸をしながら自分を見るピアニストに教えた。

「他人を自分の思い通りに動かしたいと思うと動かせる、それを”操心”と言います。超能力の使い方の一つです。私は貴方の両手を動かして見せましたが、貴方はシティ・ホール一杯の聴衆全ての関心を貴方の曲に惹きつけていられる。」
「待って・・・」

 サイスはステファンの言葉を理解しようと考えた。

「それは、僕のピアノ演奏が人々を惹きつけているのではなく、僕が超能力で人々を操っていると言う意味ですか?」

 ステファンは慎重に言葉を選んだ。

「貴方のピアノの腕前は本物です。魅力的でダイナミックで、しかも繊細だ。それはネット配信やC Dを聴いていればわかります。媒体では超能力の効果はありませんから。しかし、生の演奏を聞く場合は、それだけではないのです。貴方は自分のピアノを聴いて欲しいと願い、無意識に超能力を使ってしまっています。」
「そんな・・・」

 その時、デルガドが振り返った。よろしいですか、と彼に声をかけられ、ステファンは意外に思いながらも、許可を与えた。デルガドがそばにやって来た。

「昨日の朝、ここへ女性の少佐とグラダ大学の先生が来ましたね?」
「はい。」
「少佐も大統領警護隊です。つまり、”ヴェルデ・シエロ”です。彼女は貴方と話をした後、貴方に”操心”をかけました。」
「え?」
「彼女の”操心”は、演奏中に気を放つな、と言うものでした。貴方は知らないうちにその術にかかりました。ですから、昨日のコンサートの間、貴方は一度も超能力を使えなかったのです。昨日の大成功は、貴方の実力です。私も昼の部を聴きました。素晴らしかったです。」

 彼は上官を振り返り、「以上です」と告げて、再び窓際の持ち場へ戻った。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...