2022/01/01

第4部 牙の祭り     33

  結局フィデル・ケサダ教授がセニョール・シショカの”砂の民”としての仕事に干渉した理由は、彼が息子の1人を失ったピア・バスコ医師に同情したからだと言う結論に至った。
 グラダ大聖堂を出たテオとケツァル少佐はムリリョ博士と別れ、ピア・バスコ医師の家に行った。まだ通夜は続いており、遺族は忙しさに哀しみから少し解放された様子だった。アスルはリビングの隅っこに座って、ビダル・バスコ少尉と時々話をしていた。ビダルは本部へ所持品を取り戻した報告をして、新しい制服を着て戻っていた。ケツァル少佐が入って行くと、2人が立ち上がって迎えた。少佐がビダルに外へと合図した。
 テオは車の中で待っていた。少佐がビダルを暗がりの中へ連れて行き、目を合わせた。ほんの一瞬だったが、情報は伝わった。ビダルは弟が不毛な恋をした挙句、道を踏み外してしまい、”砂の民”の制裁を受けたこと、恋敵に刺されて致命傷を負ったこと、その恋敵は”砂の民”に粛清されたことを伝えられた。真実は残酷だったが、ビダルは健気に受け止めた。
 少佐が優しい表情で彼に何か言った。きっと「泣いても良い」と言ったのだろう、とテオは想像した。しかしビダル・バスコ少尉は顔をきっと上げ、真っ直ぐ少佐を見て敬礼した。そして家の中に戻って行った。
 少佐が家の中をそっと覗き込み、部下に撤収の合図を送った。アスルが出てきた。ベンツで市内を走り、閉店迄まだ時間があるセルド・アマリージョに行った。店内は賑わっていた。ウェイトレスが3人忙しげに歩き回っていた。グラシエラ・ステファンはこの夜がバイトの最終日だ。いつもより多めに笑顔を振る舞っているかの様に見えた。ロホはカウンターの奥の端っこでビールをちびちび飲んでいたが、入り口に上官とアスル、テオが現れたので、飲みかけの瓶を持って彼等のテーブルへ移動した。

「解決しましたか?」
「無事にしました。」

 少佐がロホ、アスルの順で情報を”心話”で伝えた。

「あのおっさんが絡んでいたのか。」

とアスルが嫌そうに呟いた。「あのおっさん」とはセニョール・シショカのことだ。純血種のアスルはシショカの意地悪の対象から外れているのだが、建設大臣が少佐をデートに誘いたいと希望する度に文化保護担当部へやって来る私設秘書殿にうんざりしているのだった。勿論、シショカの人柄も好きでない。メスティーソの仲間を見るシショカの視線が大嫌いなのだ。カルロ・ステファンがいなくなった今、アスルはマハルダ・デネロス少尉とアンドレ・ギャラガ少尉を己が守らなければと意気込んでいた。
 ロホは報われない恋にがむしゃらに突き進んでしまった若者の末路を哀れに思った。きっと大統領警護隊のスカウトから漏れた時点で、ビト・バスコには兄に対する劣等感が生まれてしまったのだ。そうでなければ、憲兵が駄目なら大統領警護隊で、と言う発想は生まれない。憲兵だって市民から畏敬の目で見られている筈だから。

「スカウトも罪な人選をしたもんだ。」

とロホは呟いた。テオが囁いた。

「どうして、1人しか選ばなかったのだろう?」
「それは・・・」

 ケツァル少佐が小さく溜め息をついた。

「母親の為です。息子2人共を大統領警護隊に採ってしまったら、家族全員が揃うことは息子が引退する年齢になる迄ありませんから。」
「それじゃ、ビダルが憲兵でビトが警護隊と言う可能性もあったんだ・・・」
「恐らく、スカウトが目を見た時に、ビダルの方が警護隊への適性が高いと判定されたのでしょう。実際、先刻捜査結果を教えた時、ビダルは感情を昂らせたものの、自力で制御しました。弟が行方不明の時の探し方も冷静でした。常に庶民と接する憲兵隊にあの冷静さは時に障害となりますが、大統領警護隊では必要不可欠です。反対にどんな手段を用いてでも困っている人を助けようとしたビトの情熱は、市井で警備に当たる憲兵隊に必要でした。」
「ビト・バスコ曹長は運が悪かったんだな。相手があの男で、女性も彼にふさわしくなかった。」

 少佐がグラシエラを呼び、ウィスキーのグラス4つを注文した。お酒が来ると、彼等はそれぞれの手にグラスを持った。少佐がグラスを掲げた。

「ビト・バスコ曹長に。」

男達が声を合わせた。

「ビト・バスコ曹長に。」


第4部 牙の祭り     32

 「え? どう言うことだ?」

 テオはちょっと混乱しそうになった。
 フィデル・ケサダが純血種のグラダ族の男なら、ナワルは黒いジャガーでなければならない。しかし彼は”砂の民”となった。だからナワルはピューマだ。この世に有り得ない黒いピューマならば、大神官の素質がある。しかし、ムリリョは言った。ケサダのナワルは「黒くない」と。

「普通のピューマだったってことか?」
「ノ。」

 意味がわからずテオは助けを求めてケツァル少佐を見た。少佐がグッと考えて、それから顔を上げた。

「見てはいけないものと私が言った時、貴方は私に記憶を見せまいと目を閉じられました。そして黒いピューマの話をされました。黒いピューマの伝説なら私も聞いたことがあります。貴方が私に記憶を読ませまいとなさっても、私は想像出来ます。貴方がご覧になったのは、伝説にないものですね?」
「伝説にないもの?」

 テオの質問に少佐が彼を振り返った。

「伝説にはありませんが、実在は確認されているものです。」
「ケツァル・・・」

とムリリョ博士が哀願する目で彼女を見た。しかし少佐はテオに言った。

「大神官になるに十分な能力を持ちながらも、大神官になることを許されないグラダの男性がいるのです。古代では、生贄に選ばれていました。”ヴェルデ・シエロ”だけでなく、”ティエラ”でも、鹿でも鳥でも猿でも、同じ色のものは生贄の対象でした。」
「同じ色のもの?」

 ムリリョが呟いた。

「白だ。」

 テオはぽかんとした。自然界では十分あり得る存在なのに、今まで”ヴェルデ・シエロ”の世界で彼は想像すらしたことがなかった。殆ど外観が白人のアンドレ・ギャラガでさえ、そのナワルは薄いけれど黒いジャガーなのだ。

「そう言えば・・・」

 彼は頭を掻いた。

「白いライオン、白い虎、白い豹、白い猫は見たことがある。だが、白いジャガーや白いマーゲイ、白いピューマは聞いたことがない。旧大陸のネコ科の動物に白変種は出現するが、新大陸は黒変種だ。但し、ピューマは実例が1件もないがね。白いピューマはブラジルで撮影された写真がS N Sで公開されて話題になったことがある。」

 彼はムリリョ博士を見た。

「フィデル・ケサダは白いピューマに変身するのですね? 勿論現代のあなた方は生贄などなさらないでしょうけど、彼は一族にも自分のナワルを知られたくない。ピューマはジャガーに存在を知られたくないし、白い毛皮も目立ち過ぎて彼の目立たずに生きる主義に反する。そうですね?」

 ムリリョが首を振った。

「あれの人柄や能力の高さを称賛して、彼を次の族長にと言ってくれるマスケゴ族の有力者達は多い。儂も儂自身の子供達より彼の方が族長にふさわしいと信じている。しかし、どんなに隠してもあれはグラダなのだ。あれの子供達も半分グラダだ。儂は正しい能力の使い方をあれとあれの家族に教えてくれる人を探したが、未だに見つからぬ。」
「それなら・・・」

 ケツァル少佐が微笑んだ。

「一緒に勉強して自分達で習得していきましょう。大統領警護隊の3人とケサダ家の人々で互いに学び合います。カルロ・ステファンとアンドレ・ギャラガは軍人ですから攻撃に用いる力の使い方を知っています。フィデルは考古学者ですから伝統的な祈りや守護の為に用いる力に熟知している筈です。考古学の特別ゼミでもフィデルに開いてもらって、カルロとアンドレに受講させてはどうでしょう? たまには課外学習などで・・・」
「軍事訓練とか?」

 とテオが言うと、ムリリョ博士が初めて笑った。

「フィデルの子供は全員娘だぞ、ケツァル。彼女達と一緒にお前も神殿での作法を習うか?」
「そ・・・それは・・・」

 少佐が焦ってテオを見た。そんな目で見られても助け舟は出せないぜ、テオは肩をすくめて見せた。



第4部 牙の祭り     31

 「ムリリョ博士、」

とテオは話しかけた。

「フィデル・ケサダ教授の出身地はオルガ・グランデだと聞きました。もしかして、彼の母親はマレシュ・ケツァル、改名してマルシオ・ケサダと言う女性ではありませんか?」

 ムリリョ博士がジロリと彼を見て、それから視線をケツァル少佐に移した。

「イェンテ・グラダ村での話をこの男に語ったのか、ケツァル?」
「何のことでしょう?」

と少佐は惚けてみせたが、そんな小芝居が通じる相手でないことは承知していた。

「村跡で聞いたり見たりした話はしていません。ただ、私がとても興味を抱いたことを、彼に言ったまでです。現在、グラダ族はカルロ・ステファンとアンドレ・ギャラガ、そして私だけです。カタリナ・ステファンと娘のグラシエラは能力を封印されているのでグラダとは認めてもらえません。私は純血種ですが女です。男の能力の使い方を完全には理解していません。もし他にグラダの男性がいるなら、カルロとアンドレの指導をお願いしたいと思うのです。」

 ムリリョ博士が天井へ顔を向けた。悩んでいるのか? テオは、その態度は少佐の考えを認めたことだ、と思った。

「もし、力の正しい使い方を知るグラダの男がいるなら・・・」

とムリリョ博士が囁く様に言った。

「この儂が頼みたい。フィデルにその使い方を教えてやってくれ、と。」

 彼はケツァル少佐に視線を戻した。

「お前が睨んだ通り、確かにあの男はグラダだ。紛れもなく純血のグラダの男だ。」

 テオは息を呑んだが、ケツァル少佐も目を見張った。

「マレシュはあれの父親が誰なのか明かさなかった。父親である男にも明かさなかった。だが、エウリオ・メナクかヘロニモ・クチャのどちらかだ。グラダの女らしくと言うか、イェンテ・グラダ村の風習に従って複数の男と関係を持ったのだ。生まれた赤ん坊はそれまで誰も感じたことがない強い気を放っていた。シュカワラスキ・マナに匹敵する強さだった。エウリオ、ヘロニモ、そしてマレシュはイェンテ・グラダ村が一族によって滅ぼされたことを知っていた。3人の幼子がグラダ・シティに連れて行かれたことも知っていた。オルガ・グランデに住み着いた3人のグラダの血を引く者達は自分達の赤ん坊を守る為に、子供の父親を偽って届け出た。オルガ・グランデ生まれでグラダ・シティに引っ越したマスケゴ族の男の名前を借りたのだ。だから役所に出されたフィデルの出生届の父親の欄には、母親が会ったこともない男の名前が書かれている。
 儂はシュカワラスキ・マナがオルガ・グランデに逃亡する前に、オルガ・グランデ周辺の遺跡調査の為に彼の地にいた。そして3人のイェンテ・グラダの生き残りと知り合った。彼等は儂が”砂の民”とは知る筈もなく、ただ一族の考古学者だと言う認識だった。儂の方は彼等が滅びた村の生き残りと知って心の中で仰天していたのだがな。その時、エウリオは既にメスティーソの女と結婚して娘がいた。ヘロニモは独り身だった。マレシュは男のふりをして生きていた。身を守るためだ。だから彼女が女であることを知ったのは、かなり後のことだ。マレシュの家に若い男が1人いた。儂が出会った時、まだ少年だった。3人の生き残り達は儂にその子をグラダ・シティへ連れて行ってくれと頼んできた。教育を受けさせ、マスケゴ族として相応に仕込んでくれと。儂はまだその頃は族長でも長老でもなかった。だが、そんな子供が部族の中にいるとは知らなかったので驚いた。誰の子かと訊いても書類通りの答えしか返って来なかった。」

 少佐が尋ねた。

「フィデルは父親が誰かは知らない。でも母親は知っているのでしょう?」
「2人きりの時のマレシュは女に戻っていたからな。彼女はフィデルに言い聞かせ、儂についてグラダ・シティに行くことを承知させた。まだ10代になったばかりの子供だ。心細かっただろう。必ず後から行くと言う母親の言葉を信じて、彼は儂と共にグラダ・シティに来て、儂の家でそのまま育った。やがてオルガ・グランデの戦いが始まり、儂は役目を果たさねばならなくなった。フィデルは儂の妻が養育を続けた。徹底してマスケゴの男らしく、目立たず誇りを保ち、気高く生きろと。戦いが終わり、儂が3人のイェンテ・グラダの生き残り達と別れて家に戻った時、フィデルは成年式を迎えようとしていた。マスケゴの族長と長老達、養い親の前で彼は変身して見せた。」

 そこでムリリョは黙り込んだ。テオは待った。ケツァル少佐も待った。
 グラダ族の男性のナワルは黒いジャガーだ。”砂の民”のナワルはピューマだ。そして、人間が知る限り、自然界でも飼育下でも、黒いピューマの存在が確認されたことは一度もない。
 博士が口を開きそうにないので、ケツァル少佐が思い切って言った。

「貴方は、見てはいけないものをご覧になったのですね?」

 テオは彼女を見た。少佐はそれ以上言ってくれなさそうだ。ムリリョを見ると、こちらは目を閉じた。見たものを瞼の内側でもう一度見ているのかも知れない。ムリリョ博士が微かに身震いした。

「古代の大神官のナワルを見ることを許されるのは、ママコナだけなのだ。」

と彼は囁いた。

「大神官?」

 テオは思わず呟いてしまった。
 シュカワラスキ・マナは大神官に仕込まれようとして、修行を嫌い、自由を求めて逃亡した。純血種の黒いジャガーだったから。それが純血種の黒いピューマだったら、どうなるのだ?

「グラダ族から過去にピューマを出したことはなかったのか?」
「グラダは古代に滅びたことになっていた。混血が進んだからだ。だが言い伝えは残っている。大神官に選ばれるグラダの男は黒いピューマが優先されると。それだけ、古代でも珍しい存在だったのだろう。」
「それじゃ、ケサダ教授は大神官になれる人なのか?」
「ノ!」

 ムリリョ博士がはっきり否定した。

「大神官の修行は幼少期から始めねばならぬ。フィデルは成年式で何者か判明した。修行を始めるのは手遅れだったし、本人も望んでおらぬ。彼は母親の希望を尊重しマスケゴ族として生きる道を選んだ。」
「でも、力は誰よりも大きい・・・」

 少佐の言葉に博士は大きく頷いた。

「恐らく、現在生きているどの”ヴェルデ・シエロ”より彼は大きな力を持っておる。それに、彼のナワルは黒くないのだ。」


2021/12/31

第4部 牙の祭り     30

「バスコ兄弟はピア・バスコの息子だったのか。」

とムリリョ博士は呟いた。博士もあのアフリカ系の医師を知っているのだ。年齢的にピア・バスコ医師とフィデル・ケサダ教授は同じ時期に大学生活を送ったと思われた。もしかするとキャンパス内で何度も出会っていたかも知れない。ムリリョ博士も当時は現在よりも大学で仕事をする時間が長かっただろう。
 ケツァル少佐は全く別のことを疑問に感じた様だ。彼女が質問した。

「セニョール・シショカはどうしてフィデル・ケサダの要求をあっさり呑んで、ビダル・バスコの所持品を彼に渡したのです? 後で貴方に苦情を言い立てたのですから、不本意だったのでしょう?」

 ムリリョ博士が口元に微かに苦笑を浮かべた。

「シショカはフィデルを怒らせたくなかったのだ。」
「何故?」

とテオが尋ねると、少佐が答えを思いついて言った。

「フィデルの方がシショカより強いからでしょう?」

 ムリリョ博士がまた微笑を浮かべたが、今度は苦笑ではなかった。 テオはちょっと意外な気がした。”砂の民”は”ヴェルデ・シエロ”のどの部族からも選ばれると言う。選考条件はピューマのナワルを持っていることだ。(それを考慮するとマーゲイのナワルを持つグワマナ族から”砂の民”は出ていなさそうだ。)偶然だろうが、テオが知っている”砂の民”の3人は全員純血種のマスケゴ族だ。ムリリョ博士、ケサダ教授、セニョール・シショカ。年齢や経験の長さ、多さはあるだろうが、能力の強さは同じではないのか?
 そして、彼はケツァル少佐がケサダ教授の出生に疑惑を抱いていることを思い出した。少佐の疑念が正しければ、ケサダ教授はマスケゴ族ではなくグラダ族だ。少なくともグラダ族の血を濃く受け継ぐ部族ミックスの純血種だ。白人の血を引くミックスのカルロ・ステファンは黒いジャガーに変身する。エル・ジャガー・ネグロとしてグラダ族に認定されている。そしてロホが言っていた。まともに対決すればマスケゴ族のシショカはステファンの力の前ではひとたまりもないだろうと。フィデル・ケサダは、きっとピューマに変身するグラダ族なのだ。黒いジャガーではないから、誰も彼がグラダ族だと気がつかない。ムリリョ博士を除いて。セニョール・シショカは本能的にケサダが己より強い力を持っていると感じるのだろう。だから、ケサダ教授からビダル・バスコの所持品を渡せと要求され、渋々従った。

「フィデルはセニョール・シショカがビダルを罰するためにビダルの所持品を持っていると知ったのです。そして彼はそれを『やり過ぎ』だと感じた。だからシショカの屋敷に乗り込んでビダルの所持品を没収したのです。ビダル・バスコを罰するのは、大統領警護隊の彼の上官の役目であって、シショカの仕事ではないとフィデルは考えたのです。違いますか?」

 ケツァル少佐の言葉に、ムリリョ博士が初めて頷いた。

「確かに、その通りだ。儂もシショカにビダルの所持品を何故すぐに本人に返さなかったと訊いた。あいつは”出来損ない”に未熟さを自覚させる為だと言った。それは大統領警護隊におけるバスコの上官の仕事だと儂は言い、ケサダには他人の仕事に干渉するなと言い含めておくと言って、シショカを退がらせた。」
「博士はまだ教授に会われていないのですか?」

 テオの質問に、ムリリョ博士がニヤリと笑った。

「あいつは今日の午後2時過ぎのバスで北部の遺跡へ行った。クイのミイラを探しに行くと言っていた。シショカが苦情を言いに来たのはその後だ。」
「そう言えば、先週考古学部から申請が出ていました。監視不要の遺跡なので即日許可を出した場所です。」


第4部 牙の祭り     29 

  ムリリョ博士は語り続けた。

「ビト・バスコ曹長を追い出した後、暫くしてモントージャが娘が家からいなくなっていることに気がついた。アンパロは主人と父親が憲兵に気を取られている間に逃げ出したのだ。モントージャとしては主人に娘を探してくれとは言えない。だが彼は娘は憲兵と一緒に逃げたと思った。時間的にそう言うタイミングだったのだ。それでモントージャは主人にこう言ったそうだ。『偽の大統領警護隊隊員からI Dを回収なさらなくてもよろしいのですか?』と。シショカはI Dの写真からビトにはビダルと言う双子の兄弟がいると悟っていた。黒い肌の双子の”出来損ない”がいると言う噂を知っていた。放置してもビトはビダルにI Dを返すだろうと思ったが、”出来損ない”の分際で彼の屋敷に入り込んだ事実には、腹が立った。夜だった。
 シショカはナワルを使い、ビトを追跡した。道で若造に追いつき、襲いかかった。シショカは儂に言った。若造は襲われた理由を悟ったと。ビトは噛まれながら言ったそうだ。2度としません、と。シショカは制服を引き裂いた。そうすればビトが真っ直ぐ兄の下へ帰るだろうと思ったからだ。全身傷だらけになり、ビトは逃げ去った。彼が走って行った方向に、その日”入り口”ができていることをシショカは知っていた。だから彼はそれ以上若造を追わなかった。」

 ムリリョ博士はそこで一息ついた。テオとケツァル少佐は黙って彼が話を再開するのを待った。まだ半分だ。ミレレスがトラックに轢き逃げされた過程を知らなければならない。そしてシショカがビダルのI D等を手に入れた過程も。
 テオはふと気がついた。

「何か飲む物を買ってこようか?」

 しかしムリリョは首を振った。

「観光客が多い。」

 そして彼は続きを始めた。

「夜更けにアンパロが屋敷に戻って来た。小娘は震えていた。恐ろしいものを見たのだ。彼女はシショカの屋敷を抜け出した後、ミレレスと落ち合った。2人でペロ・ロホの本拠地へ行こうとした時、全身傷だらけのビトと出会った。ビトは一緒にいる2人を見て、利用されたことを悟ったのだ。だが彼が拳銃を抜くより早くミレレスが彼を刺した。ビトは一度倒れた。ミレレスは彼が死んだものと思い、彼から財布や拳銃、IDカードを奪い取った。しかしビトはまだ生きていた。彼は最後の力を振り絞り、そばにあった”入り口”に飛び込んだ。
 人間が空中で消えるのを、アンパロとミレレスは見てしまったのだ。アンパロは大統領警護隊の制服を着た人間を刺したミレレスを置いて逃げ帰った。恐怖に駆られたのだ。
 モントージャは娘からその話を聞き、主人に告げた。」

 テオとケツァル少佐は一瞬息を止めてしまった。テオは気温が1度下がった様な気がした。
”ヴェルデ・シエロ”が空間通路に消える現場を目撃してしまったアンパロ・モントージャとぺぺ・ミレレス、そしてその話を聞いた父親のモントージャ。

「セニョール・シショカは忙しくなったのですね。」

とケツァル少佐が皮肉を言った。ムリリョ博士がフンっと言った。

「笑い事ではないぞ、ケツァル。」

 テオはアンパロと父親の現況を案じた。彼等は生きているのだろうか。その答えをムリリョ博士は知っていた。

「シショカはモントージャ父娘から記憶を抜いた。そして直ちにぺぺ・ミレレスの追跡を始めた。ミレレスは己が目撃したものが何か完全に理解していなかったが、見てはならないものだとわかっていた。そして己が刺した男が普通の人間でないことも悟った。普通なら、セルバ人はこんな場合大統領警護隊に救いを求める。だが彼が刺した憲兵は大統領警護隊の制服を着ていた。身内にロス・パハロス・ヴェルデスがいることは間違いない。彼は頼れる者を探して街を彷徨った。ペロ・ロホは頼りにならない。警察も駄目だ。憲兵隊は当然駄目だ。刺した男は憲兵なのだ。
 シショカは肌が黒い”出来損ない”の憲兵が死んだと言う話を彼の情報屋から聞いた。公には病死となっているが、刺殺されたことは間違いない。”出来損ない”だが”ヴェルデ・シエロ”の1人だ。シショカにとって、これは一族の恥であり、侮辱だった。」
「だから、ミレレスは記憶を消されずに命を消された・・・」

 テオの言葉に、ムリリョは否定も肯定もしなかった。この人が沈黙で答える時は肯定なのだ。

「シショカはミレレスがビト・バスコから奪った物を回収した。彼はそれをビダル・バスコに返す時に、弟に大事な物を盗まれるような間抜けに制裁を加えるつもりだったのだ。」
「しかし、そこへフィデル・ケサダが干渉してきた・・・」

 ムリリョ博士が溜め息をついた。

「フィデルはシショカの書斎にいきなり現れたそうだ。勿論正面玄関から入ったのだろうが、使用人の取次を通さなかった。」
「それは彼らしくもない振る舞いです。」

とケツァル少佐が憂いを込めた目で呟いた。ムリリョ博士は彼女のコメントに同意を示さなかったが反論もしなかった。

「フィデルはシショカに言ったそうだ。 『これ以上彼女を悲しませないでくれ』と。」

 テオは昨日のケサダ教授の部屋での会話を思い起こしてみた。ケサダ教授はバスコ兄弟のことはテオの口から双子のサンボだと聞かされる迄誰だか知らなかった。しかし、母親のことは知っていた。ピア・バスコを尊敬している口ぶりだった。

「ケサダ教授は、バスコ兄弟の母親のことを知っていた。もしかすると個人的な知り合いなのかも知れない。彼は俺の話を聞いて、ビトを刺殺したのは”ティエラ”で、咬み傷や引っ掻き傷を与えたのは”砂の民”だと知ったんだ。そしてサンボの”シエロ”に手酷い制裁を与える様な人間はシショカぐらいだろうと見当をつけたに違いない。シショカに傷を負わされなければ、ビト・バスコはミレレスごときチンピラに殺される様なヘマはしなかっただろう。だからケサダ教授はビトの為ではなく、ピア・バスコの為にシショカの所に出向いて、シショカが回収したビダルの持ち物を取り上げたんだ。」

 一気に考えたことを喋って、テオは少佐と博士を見比べた。

「俺の推理は間違っているかな?」


第4部 牙の祭り     28

 「礼儀知らずは怖いもの知らずだな。」

とムリリョ博士は言った。彼は椅子に腰を下ろし、テオとケツァル少佐にも座るよう促した。腰を下ろしてから、テオが説明した。

「俺達が知っているのは、ビト・バスコ憲兵隊曹長が、レストランで働いているアンパロと言う女性に片思いをしたこと、彼女にはペロ・ロホと言うギャング団のメンバー、ぺぺ・ミレレスと言う恋人がいて、ビトを疎ましく思っていたこと、ビトが兄のビダルに大統領警護隊の制服と憲兵隊の制服の交換を持ちかけ拒否されたこと、その夜にビトが勝手に兄の制服とIDその他を持ち出したこと、ビダルが翌日、つまり水曜日ですが、終日ビトを探し回って見つからなかったこと、そして木曜日の朝ビダルが自宅へ戻ってビトが亡くなっているのを見つけたことです。木曜日の夜に、ビダルが俺達に、つまりケツァル少佐に助けを求めて来ました。徽章以外のIDがビトの遺体に残っていなかったので、本部に戻れなかったのです。
 俺がビトの遺体からサンプルを採って分析し、制服に付着した体毛がピューマのもので、咬み傷周辺の唾液の主と遺体の爪の間に入っていた人間の皮膚片とは別人のものであるとわかりました。ビトは全身をピューマに噛まれたり引っ掻かれていましたが、致命傷は肝臓を刃物で刺されたものでした。俺達はアンパロが何か知っていると思って、彼女の居場所を探したのですがバイト先の店でも手がかりがなく、彼女の恋人のミレレスを探しました。ところが彼は昨日街中でトラックに轢き逃げされて死んでいました。警察に道端の公園に死体があると匿名の電話がかかってきて、その後の捜査でミレレスがトラックに轢かれるのを目撃した人はいたのですが、電話をかけた人は現れない。最初に死体に触った人がいたらしいが、その人の人相風態を覚えている人が誰もいない。」
「アンパロ・モントージャは・・・」

とムリリョ博士が話しだした。

「シショカの家の使用人の娘だ。」
「え?!」

 テオもケツァル少佐もびっくりだ。

「使用人の娘の素行など雇主が気にすることはない。シショカはメスティーソの使用人の家族の内訳も気にしなかった。あの男らしいがな。だからモントージャから娘のことで相談を受けた時、正直、彼は困ったのだ。娘が質の悪い連中と交際しており、おまけに憲兵にも言い寄られていると。シショカは娘を家に閉じ込めておけと言ったそうだ。」

 それは無理、とテオは思った。娘はもう大人だろう。シショカは使用人の相談に真面目に取り合わなかったのだ。

「父親は娘を家に監禁した。モントージャの一家はシショカの屋敷に住み込みで暮らしておる。当然ながら、アンパロが閉じ込められたのは、シショカの屋敷の一角と言うことになる。アンパロは外へ出たい。だが父親の監視の目が厳しく出られない。だから彼女は最初に不良の恋人に助けを求めた。街のチンピラごときがシショカの屋敷に入れる訳がない。」
「そうですね。」

とテオは相槌を打った。なんとなく、その後の展開が読めてきた気がするが、ムリリョの邪魔をすると後が怖いので、それ以上は言わなかった。

「彼女は次に自分に言い寄る憲兵に電話をかけた。ビト・バスコはシショカが建設大臣の私設秘書であることを知っていた。だが一族の者であることは知らなかった。彼は愚かにも、政治家の秘書に憲兵の威力は効かないが大統領警護隊なら従わせることが出来ると考えた。彼は兄のビダルの制服とI Dを盗み、シショカの屋敷を訪問したのだ。」
「シショカはビトに会ったのですか?」
「その時、シショカは仕事で家にいなかった。応対したのはアンパロの父親のモントージャだ。モントージャは大統領警護隊に娘を監禁から解放しろと言われて、慌てた。彼は主人に電話をかけ、大統領警護隊が娘を監禁した件で来ていると告げた。シショカは電話の内容に怪しんで、モントージャに訪問した隊員のI Dを確認しろと命じた。」

 セニョール・シショカは馬鹿ではない。それにいちいち使用人の娘の素行問題で仕事を中断して帰宅することもない。だが・・・。

「モントージャに身分証の提示を求められたビト・バスコはI Dカードを出したが、徽章を出さなかった。モントージャが徽章の提示を求めると、彼は拒んだ。モントージャはシショカに再び電話をかけ、隊員はカードを出したが徽章は出さなかったと告げた。」
「シショカは隊員が偽物だと悟ったのですね。」
「大統領警護隊の偽物が現れたことは由々しき問題だ。シショカはモントージャに隊員を足止めするよう命じて、職場から家に帰った。」

 ビト・バスコは不幸だった、とテオは思った。彼を愛する意思がない女性に恋をして、利用されようとして、純血至上主義者の”砂の民”の自宅へ無断拝借した兄の制服とI Dで乗り込んでしまったのだ。シショカは、彼が嫌いなミックスの、それも肌の色が他のミックスとは異なる”出来損ない”の若者が、栄光ある大統領警護隊のフリをしているのを見て、激怒したに違いない。

「シショカはビト・バスコにビダルの服を着てビダルのI Dを所持している説明をさせた。ビトは説明し、無断借用を認めたが、アンパロを連れて帰ると言い張った。だから、シショカは若造を屋敷から追い出した。」


   

第4部 牙の祭り     27

 「あー、それは・・・多分、俺に責任があります。」

とテオは言った。ケツァル少佐とムリリョ博士が彼を見た。少佐が何か言いかけたが、彼は片手を上げて彼女を制し、博士に語った。

「金曜日のお昼に、偶然ケサダ教授と大学のカフェで出会って一緒にお昼を食べたんです。その時点で既にビト・バスコ少尉が殺害時に着ていた兄の制服に付着していた動物の毛がピューマの体毛だと判明していました。だから、俺は教授が何かご存知かも知れないと勝手な期待を抱いてしまい、事件の話を教授に聞かせてしまったのです。」

 ムリリョ博士は一つだけ質問した。

「大学のカフェでか?」

 テオは博士が話を学生達に聞かれたのではないかと心配していると感じた。

「多分、教授は結界を張られていたと思います。俺はわからなかったけれど。それに途中で場所を教授の研究室へ移動させたんです。教授は事件の発生をご存知なくて、とても驚いていました。」
「我らは国家の存亡に関わる事案でなければ長老会の審理に測ることはない。個別の細やかな事案は気がついた者が独断で処理する。憲兵が犯した違反をシショカが見つけて処罰したとして、それをフィデルが知ることはない。ましてや干渉するなど・・・」
「私達も教授が動かれるとは予想だにしませんでした。」

とケツァル少佐が素早く割り込んだ。テオがケサダ教授を唆したと博士に思われたくないのだ。ムリリョが他人の話に割り込んだ彼女を睨みつけたので、テオも慌てて言った。

「教授は俺が事件の概要を話すと、行くところがあると言って、突然俺を部屋から追い出してしまいました。それっきり彼と会っていませんでした。今日のお昼迄は・・・」
「今日の昼?」
「カフェで俺達がランチを取っているところへ突然教授が現れて、奪われて不明だったビダル・バスコ少尉のI Dカードや拳銃などを俺達のテーブルに置いて、何も言わずに店から出て行ったのです。」

 ムリリョ博士が沈黙した。ケサダ教授の行動の意味を考えているのだろう、とテオは思った。彼がケツァル少佐を見ると、彼女も考え事をしている表情だったが、ふっと目を現実に戻して博士を見た。

「博士、シショカは貴方に何か訴えて来たのですか?」

 ムリリョ博士はいつも不愉快そうな顔をしている人だが、この時は一層不愉快な表情になった。

「『愛弟子だからと言って、好き勝手をさせるな』と言いおった。」
「電話で?」

とテオが思わず質問すると、博士がギロリと彼を横目で見た。

「あの男は礼儀を弁えておる。必ず直接会いに来る。」

 するとシショカはこの滅多に居場所を掴めない長老の居場所がわかるのか、とテオはどうでも良いことを思った。そして事前に電話で確かめれば不思議ではない、と思い直した。ケツァル少佐が尋ねた。

「当然、貴方はどんな好き勝手なのかとお訊きになったのでしょう?」

 テオは周りくどい会話をする”ヴェルデ・シエロ”達の会話にうんざりした。だから彼女の質問が終わると、続けてズバリと言った。

「俺たちはまだ実際に何が起きたのか掴めていないのです。貴方はいつも俺たちに何が事実なのか説明して下さる。今日もそのご親切を頂きたい。」

 少佐の目が「呆れた!」と言っていたが、彼は真っ直ぐムリリョを見つめた。
 


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...