2022/01/04

第4部 花の風     2

 「起こしてしまったか?」

とテオが申し訳なく思いながら言うと、ケツァル少佐はまだ彼の膝の上に頭を載せたまま答えた。

「あの男が緊張しながら近づいて来たので目が覚めました。」
「そうか・・・俺は声を掛けられる迄、彼が近づくのに気づかなかった。」
「彼に敵意を感じなかったので、それで構わないのです。私が目覚めたのは私の習慣ですから。」

 彼女が上体を起こした。テオは彼女をリラックスさせられなかったことを悔しく思った。出来ればずっと眠っていて欲しかった。しかし彼女は寝る位置を変えて彼の横に並んだ。

「私の頭が重くて眠れないのでしょう? 」
「いや、気にしなくて良いさ。」

 テオはもう一度草の上に体を横たえた。少佐が彼の胴に腕をかけて来た。ピッタリ体を寄せて来たので、彼はちょっとドキドキした。動悸が彼女に聞こえやしないかと不安になる程だ。それを誤魔化すために、彼も彼女の体に腕をかけた。
 目を閉じて、うとうとしかけた時、今度は甲高い子供の声でテオは目を開けた。
 10歳に満たない年頃の女の子が2人、近くの芝生の上で転がって遊んでいた。緩やかな傾斜になっているので、転がりながら下って行くのが面白いらしい。互いに良く似た顔の先住民の女の子で姉妹と思えた。テオが草の上に頭を置いたまま見るともなしに見ていると、さらにもう1人、もっと小さい子が転がって来た。スカートが捲れてパンツが丸見えになっても気にしないで転がって行った。
 子供って良いな、と思っていると、男の声が子供達を呼んだ。

「アンヘリカ、アンヘリナ、アンヘリタ、何処まで転がって行くんだ! 戻って来なさい!」

 あれ?とテオは思わず視線を斜面の上へ向けた。空が眩しく、声の主をすぐに見つけられなかった。だが聞き覚えのある声だ。
 キャッキャと子供の笑い声が響いた。男が誰かに指図した。

「あの子達を連れて来なさい、アンへレス。」
「はい、パパ。」

 軽やかに芝生の上を走って行く足音が聞こえた。テオは少佐が目を覚さないかと気になったが、彼女は彼をしっかり捕まえた姿勢で眠っていた。平和な子供の声は気にならない様だ。
 力強い落ち着いた歩調の足音が離れた所で止まった。男が立ち止まったのだ。テオは目を閉じた。こちらは昼寝をしているカップルだ。幼女のパンツなんか見ていないぞ。
 男は多分こちらの存在に気がついた。しかし、直ぐにまた子供達の後を追って丘を下って行った。女の子の声が叫んだ。

「パパ、アンヘリタがサソリを捕まえたわ!」

 え? テオはびっくりした。

「またか。尻尾に気をつけなさい。」

 そんな悠長なことを言ってる場合か? テオはちょっと焦った。

「尻尾はちぎっちゃった。」

 子供がそんなことをするのか?

「食うなよ。」

 そうだ、食うな!

「持って帰って良い?」

 駄目だと言え、パパ。

「仕方がない、ママにちゃんと見せるんだぞ。」

 どんな家族なんだ? 
 子供達の賑やかな話し声や笑い声が遠ざかって行った。
 テオは父親の声を聞いた記憶があったが、誰の声だったか思い出せなかった。パパと呼ばれていたから、父親だ。4人も女の子がいる父親の知り合いっていたかな? 

第4部 花の風     1

  新学期が始まってもう直ぐ1ヶ月経つ。セルバは乾季だ。乾季と言っても砂漠の様に乾き切るのではなく、雨が降る時間が短いと言うだけだが。空気も少しだけ爽やかだ。
 土曜日の午後、テオは公園の芝生の上に寝転がってシエスタを楽しんでいた。大きな木がそばに生えていて、涼しい木陰を作っていた。彼の横でケツァル少佐もお昼寝をしているのだ。それがテオに幸福感を呼び込んでいた。
 土曜日は大統領警護隊文化保護担当部の軍事訓練の日だ。しかし、その日部下達は集合時間に集合場所に集まらなかった。
 ロホことアルフォンソ・マルティネス中尉はオルガ・グランデ陸軍基地に出張だ。水脈の変化で旱魃で悩んでいた北部のサン・ホアン村の移転が正式に決定し、新しく引っ越す場所で悪霊祓いを行い清める、と言う重大な任務を帯びて旅立った。彼の実家マレンカ家の役目なのだが、大統領警護隊は内務省と建設省から儀式の依頼を受けた時、「うってつけの人員がいる」とロホに白羽の矢を立てたのだ。それでロホは週末に重なることも利用して、なんと! グラシエラ・ステファンに「故郷へ一度遊びに行ってみないか?」と大胆にも声を掛けた。グラシエラは母親にお伺いを立て、許しを得て、彼と共に出かけた。勿論、夜の宿泊は、彼女がホテルでロホは基地だ。真面目なロホらしく、そこのところはきちんとケジメをつけている。
 アスルことキナ・クワコ少尉は所属チームのサッカーの試合があるので軍事訓練をパスした。サッカーはセルバ人にとっても重要なスポーツだ。大統領警護隊にもチームが2つあり、ロホは既に引退してしまったが、アスルはまだ現役で頑張っている。サッカーの試合に超能力を使うのはご法度なので、気を抑制する訓練となる。 司令部も若い隊員にサッカーを推奨しているのだ。
 アスルがサッカーをするので、当然後輩のアンドレ・ギャラガ少尉も引っ張られてチームに入った。だから彼もサッカー休暇だ。ケツァル少佐は文句を言えない。例え補欠でも選手として控えに入っていなければならないから。
 男達が軍事訓練を休んでしまったが、マハルダ・デネロス少尉は勤務中だ。彼女はオクタカスの遺跡にいる。発掘作業は週末休みなのだが、監視は休みがない。恐らく彼女はジャングルの中を探検しているのだろう。携帯電話がつながる様になったので、衛星電話の順番待ちをする必要がなくなり、彼女は毎日定刻に報告を入れる。模範的な監視役だ。
 部下達がいないので、指揮官ケツァル少佐は暇なのだ。だから、テオは初めて彼女とデートらしいデートを楽しんでいた。朝、彼女のジョギングに付き合い、(フルマラソン並の距離を走らされた。)ランチを取って、公園でお昼寝中だ。少佐は日陰で場所を確保すると、腰を下ろしたテオの横で何度も体の位置を変え、納得できる姿勢を求めてクルクル動き回った。そして最終的に彼の膝を枕に横になって寝てしまった。
 少佐が安心してお昼寝してくれることは、彼を信頼してくれている証拠だ。テオは動けなかったが、幸せな気分で我慢していた。

「ハロー!」

と英語で声を掛けられた。顔を上げると、少し離れた位置に立っている白人の男性がいた。年齢は30代半ばか? 栗色の髪と青い目をした鼻筋の整った、身長もそこそこあるスポーツマンタイプの男だった。筋肉も鍛えているのか、Tシャツの上からもその逞しさが窺えた。

「アメリカ人ですか?」

と訊かれたので、テオは答えた。

「セルバ人です。生まれはアメリカですが。」

 男はケツァル少佐を見た。

「成る程。」

と呟いた。セルバ美人と結婚してこの国に住み着いたか、そんな印象を持ったのだろう。
 テオは少佐を起こさない様に慎重に上半身を起こした。

「観光客ですか?」

と逆に質問すると、男は「ビジネスです」と答えた。

「先週来たばかりです。1ヶ月滞在する予定ですが、暑くてね。もう音をあげそうですよ。」

 男は苦笑した。そして手を差し出した。

「ロジャー・ウィッシャーです。」

 テオは手に付いた芝を払い、その手を握った。

「テオドール・アルストです。名前をスペイン風に改めました。」

 握ったその手は力強く、軍人達と普段付き合っているテオは、その男も同類なのでは、と思った。しかし敢えて相手の職業を尋ねなかった。代わりに言った。

「セルバでは握手を求めても応じてもらえないことが多いですが、気を悪くなさらない様に。彼等の風習に握手はないのです。」
「ええ、最初に戸惑いましたが、なんとか慣れてきました。」

 ウィッシャーは苦笑した。そして、「良い週末を」と言って、歩き去った。
 テオが、彼の姿が芝生の丘の向こうに消える迄見ていると、膝の上で少佐が囁いた。

「さっきの人は軍人ですね。」


 

2022/01/01

第4部 牙の祭り     33

  結局フィデル・ケサダ教授がセニョール・シショカの”砂の民”としての仕事に干渉した理由は、彼が息子の1人を失ったピア・バスコ医師に同情したからだと言う結論に至った。
 グラダ大聖堂を出たテオとケツァル少佐はムリリョ博士と別れ、ピア・バスコ医師の家に行った。まだ通夜は続いており、遺族は忙しさに哀しみから少し解放された様子だった。アスルはリビングの隅っこに座って、ビダル・バスコ少尉と時々話をしていた。ビダルは本部へ所持品を取り戻した報告をして、新しい制服を着て戻っていた。ケツァル少佐が入って行くと、2人が立ち上がって迎えた。少佐がビダルに外へと合図した。
 テオは車の中で待っていた。少佐がビダルを暗がりの中へ連れて行き、目を合わせた。ほんの一瞬だったが、情報は伝わった。ビダルは弟が不毛な恋をした挙句、道を踏み外してしまい、”砂の民”の制裁を受けたこと、恋敵に刺されて致命傷を負ったこと、その恋敵は”砂の民”に粛清されたことを伝えられた。真実は残酷だったが、ビダルは健気に受け止めた。
 少佐が優しい表情で彼に何か言った。きっと「泣いても良い」と言ったのだろう、とテオは想像した。しかしビダル・バスコ少尉は顔をきっと上げ、真っ直ぐ少佐を見て敬礼した。そして家の中に戻って行った。
 少佐が家の中をそっと覗き込み、部下に撤収の合図を送った。アスルが出てきた。ベンツで市内を走り、閉店迄まだ時間があるセルド・アマリージョに行った。店内は賑わっていた。ウェイトレスが3人忙しげに歩き回っていた。グラシエラ・ステファンはこの夜がバイトの最終日だ。いつもより多めに笑顔を振る舞っているかの様に見えた。ロホはカウンターの奥の端っこでビールをちびちび飲んでいたが、入り口に上官とアスル、テオが現れたので、飲みかけの瓶を持って彼等のテーブルへ移動した。

「解決しましたか?」
「無事にしました。」

 少佐がロホ、アスルの順で情報を”心話”で伝えた。

「あのおっさんが絡んでいたのか。」

とアスルが嫌そうに呟いた。「あのおっさん」とはセニョール・シショカのことだ。純血種のアスルはシショカの意地悪の対象から外れているのだが、建設大臣が少佐をデートに誘いたいと希望する度に文化保護担当部へやって来る私設秘書殿にうんざりしているのだった。勿論、シショカの人柄も好きでない。メスティーソの仲間を見るシショカの視線が大嫌いなのだ。カルロ・ステファンがいなくなった今、アスルはマハルダ・デネロス少尉とアンドレ・ギャラガ少尉を己が守らなければと意気込んでいた。
 ロホは報われない恋にがむしゃらに突き進んでしまった若者の末路を哀れに思った。きっと大統領警護隊のスカウトから漏れた時点で、ビト・バスコには兄に対する劣等感が生まれてしまったのだ。そうでなければ、憲兵が駄目なら大統領警護隊で、と言う発想は生まれない。憲兵だって市民から畏敬の目で見られている筈だから。

「スカウトも罪な人選をしたもんだ。」

とロホは呟いた。テオが囁いた。

「どうして、1人しか選ばなかったのだろう?」
「それは・・・」

 ケツァル少佐が小さく溜め息をついた。

「母親の為です。息子2人共を大統領警護隊に採ってしまったら、家族全員が揃うことは息子が引退する年齢になる迄ありませんから。」
「それじゃ、ビダルが憲兵でビトが警護隊と言う可能性もあったんだ・・・」
「恐らく、スカウトが目を見た時に、ビダルの方が警護隊への適性が高いと判定されたのでしょう。実際、先刻捜査結果を教えた時、ビダルは感情を昂らせたものの、自力で制御しました。弟が行方不明の時の探し方も冷静でした。常に庶民と接する憲兵隊にあの冷静さは時に障害となりますが、大統領警護隊では必要不可欠です。反対にどんな手段を用いてでも困っている人を助けようとしたビトの情熱は、市井で警備に当たる憲兵隊に必要でした。」
「ビト・バスコ曹長は運が悪かったんだな。相手があの男で、女性も彼にふさわしくなかった。」

 少佐がグラシエラを呼び、ウィスキーのグラス4つを注文した。お酒が来ると、彼等はそれぞれの手にグラスを持った。少佐がグラスを掲げた。

「ビト・バスコ曹長に。」

男達が声を合わせた。

「ビト・バスコ曹長に。」


第4部 牙の祭り     32

 「え? どう言うことだ?」

 テオはちょっと混乱しそうになった。
 フィデル・ケサダが純血種のグラダ族の男なら、ナワルは黒いジャガーでなければならない。しかし彼は”砂の民”となった。だからナワルはピューマだ。この世に有り得ない黒いピューマならば、大神官の素質がある。しかし、ムリリョは言った。ケサダのナワルは「黒くない」と。

「普通のピューマだったってことか?」
「ノ。」

 意味がわからずテオは助けを求めてケツァル少佐を見た。少佐がグッと考えて、それから顔を上げた。

「見てはいけないものと私が言った時、貴方は私に記憶を見せまいと目を閉じられました。そして黒いピューマの話をされました。黒いピューマの伝説なら私も聞いたことがあります。貴方が私に記憶を読ませまいとなさっても、私は想像出来ます。貴方がご覧になったのは、伝説にないものですね?」
「伝説にないもの?」

 テオの質問に少佐が彼を振り返った。

「伝説にはありませんが、実在は確認されているものです。」
「ケツァル・・・」

とムリリョ博士が哀願する目で彼女を見た。しかし少佐はテオに言った。

「大神官になるに十分な能力を持ちながらも、大神官になることを許されないグラダの男性がいるのです。古代では、生贄に選ばれていました。”ヴェルデ・シエロ”だけでなく、”ティエラ”でも、鹿でも鳥でも猿でも、同じ色のものは生贄の対象でした。」
「同じ色のもの?」

 ムリリョが呟いた。

「白だ。」

 テオはぽかんとした。自然界では十分あり得る存在なのに、今まで”ヴェルデ・シエロ”の世界で彼は想像すらしたことがなかった。殆ど外観が白人のアンドレ・ギャラガでさえ、そのナワルは薄いけれど黒いジャガーなのだ。

「そう言えば・・・」

 彼は頭を掻いた。

「白いライオン、白い虎、白い豹、白い猫は見たことがある。だが、白いジャガーや白いマーゲイ、白いピューマは聞いたことがない。旧大陸のネコ科の動物に白変種は出現するが、新大陸は黒変種だ。但し、ピューマは実例が1件もないがね。白いピューマはブラジルで撮影された写真がS N Sで公開されて話題になったことがある。」

 彼はムリリョ博士を見た。

「フィデル・ケサダは白いピューマに変身するのですね? 勿論現代のあなた方は生贄などなさらないでしょうけど、彼は一族にも自分のナワルを知られたくない。ピューマはジャガーに存在を知られたくないし、白い毛皮も目立ち過ぎて彼の目立たずに生きる主義に反する。そうですね?」

 ムリリョが首を振った。

「あれの人柄や能力の高さを称賛して、彼を次の族長にと言ってくれるマスケゴ族の有力者達は多い。儂も儂自身の子供達より彼の方が族長にふさわしいと信じている。しかし、どんなに隠してもあれはグラダなのだ。あれの子供達も半分グラダだ。儂は正しい能力の使い方をあれとあれの家族に教えてくれる人を探したが、未だに見つからぬ。」
「それなら・・・」

 ケツァル少佐が微笑んだ。

「一緒に勉強して自分達で習得していきましょう。大統領警護隊の3人とケサダ家の人々で互いに学び合います。カルロ・ステファンとアンドレ・ギャラガは軍人ですから攻撃に用いる力の使い方を知っています。フィデルは考古学者ですから伝統的な祈りや守護の為に用いる力に熟知している筈です。考古学の特別ゼミでもフィデルに開いてもらって、カルロとアンドレに受講させてはどうでしょう? たまには課外学習などで・・・」
「軍事訓練とか?」

 とテオが言うと、ムリリョ博士が初めて笑った。

「フィデルの子供は全員娘だぞ、ケツァル。彼女達と一緒にお前も神殿での作法を習うか?」
「そ・・・それは・・・」

 少佐が焦ってテオを見た。そんな目で見られても助け舟は出せないぜ、テオは肩をすくめて見せた。



第4部 牙の祭り     31

 「ムリリョ博士、」

とテオは話しかけた。

「フィデル・ケサダ教授の出身地はオルガ・グランデだと聞きました。もしかして、彼の母親はマレシュ・ケツァル、改名してマルシオ・ケサダと言う女性ではありませんか?」

 ムリリョ博士がジロリと彼を見て、それから視線をケツァル少佐に移した。

「イェンテ・グラダ村での話をこの男に語ったのか、ケツァル?」
「何のことでしょう?」

と少佐は惚けてみせたが、そんな小芝居が通じる相手でないことは承知していた。

「村跡で聞いたり見たりした話はしていません。ただ、私がとても興味を抱いたことを、彼に言ったまでです。現在、グラダ族はカルロ・ステファンとアンドレ・ギャラガ、そして私だけです。カタリナ・ステファンと娘のグラシエラは能力を封印されているのでグラダとは認めてもらえません。私は純血種ですが女です。男の能力の使い方を完全には理解していません。もし他にグラダの男性がいるなら、カルロとアンドレの指導をお願いしたいと思うのです。」

 ムリリョ博士が天井へ顔を向けた。悩んでいるのか? テオは、その態度は少佐の考えを認めたことだ、と思った。

「もし、力の正しい使い方を知るグラダの男がいるなら・・・」

とムリリョ博士が囁く様に言った。

「この儂が頼みたい。フィデルにその使い方を教えてやってくれ、と。」

 彼はケツァル少佐に視線を戻した。

「お前が睨んだ通り、確かにあの男はグラダだ。紛れもなく純血のグラダの男だ。」

 テオは息を呑んだが、ケツァル少佐も目を見張った。

「マレシュはあれの父親が誰なのか明かさなかった。父親である男にも明かさなかった。だが、エウリオ・メナクかヘロニモ・クチャのどちらかだ。グラダの女らしくと言うか、イェンテ・グラダ村の風習に従って複数の男と関係を持ったのだ。生まれた赤ん坊はそれまで誰も感じたことがない強い気を放っていた。シュカワラスキ・マナに匹敵する強さだった。エウリオ、ヘロニモ、そしてマレシュはイェンテ・グラダ村が一族によって滅ぼされたことを知っていた。3人の幼子がグラダ・シティに連れて行かれたことも知っていた。オルガ・グランデに住み着いた3人のグラダの血を引く者達は自分達の赤ん坊を守る為に、子供の父親を偽って届け出た。オルガ・グランデ生まれでグラダ・シティに引っ越したマスケゴ族の男の名前を借りたのだ。だから役所に出されたフィデルの出生届の父親の欄には、母親が会ったこともない男の名前が書かれている。
 儂はシュカワラスキ・マナがオルガ・グランデに逃亡する前に、オルガ・グランデ周辺の遺跡調査の為に彼の地にいた。そして3人のイェンテ・グラダの生き残りと知り合った。彼等は儂が”砂の民”とは知る筈もなく、ただ一族の考古学者だと言う認識だった。儂の方は彼等が滅びた村の生き残りと知って心の中で仰天していたのだがな。その時、エウリオは既にメスティーソの女と結婚して娘がいた。ヘロニモは独り身だった。マレシュは男のふりをして生きていた。身を守るためだ。だから彼女が女であることを知ったのは、かなり後のことだ。マレシュの家に若い男が1人いた。儂が出会った時、まだ少年だった。3人の生き残り達は儂にその子をグラダ・シティへ連れて行ってくれと頼んできた。教育を受けさせ、マスケゴ族として相応に仕込んでくれと。儂はまだその頃は族長でも長老でもなかった。だが、そんな子供が部族の中にいるとは知らなかったので驚いた。誰の子かと訊いても書類通りの答えしか返って来なかった。」

 少佐が尋ねた。

「フィデルは父親が誰かは知らない。でも母親は知っているのでしょう?」
「2人きりの時のマレシュは女に戻っていたからな。彼女はフィデルに言い聞かせ、儂についてグラダ・シティに行くことを承知させた。まだ10代になったばかりの子供だ。心細かっただろう。必ず後から行くと言う母親の言葉を信じて、彼は儂と共にグラダ・シティに来て、儂の家でそのまま育った。やがてオルガ・グランデの戦いが始まり、儂は役目を果たさねばならなくなった。フィデルは儂の妻が養育を続けた。徹底してマスケゴの男らしく、目立たず誇りを保ち、気高く生きろと。戦いが終わり、儂が3人のイェンテ・グラダの生き残り達と別れて家に戻った時、フィデルは成年式を迎えようとしていた。マスケゴの族長と長老達、養い親の前で彼は変身して見せた。」

 そこでムリリョは黙り込んだ。テオは待った。ケツァル少佐も待った。
 グラダ族の男性のナワルは黒いジャガーだ。”砂の民”のナワルはピューマだ。そして、人間が知る限り、自然界でも飼育下でも、黒いピューマの存在が確認されたことは一度もない。
 博士が口を開きそうにないので、ケツァル少佐が思い切って言った。

「貴方は、見てはいけないものをご覧になったのですね?」

 テオは彼女を見た。少佐はそれ以上言ってくれなさそうだ。ムリリョを見ると、こちらは目を閉じた。見たものを瞼の内側でもう一度見ているのかも知れない。ムリリョ博士が微かに身震いした。

「古代の大神官のナワルを見ることを許されるのは、ママコナだけなのだ。」

と彼は囁いた。

「大神官?」

 テオは思わず呟いてしまった。
 シュカワラスキ・マナは大神官に仕込まれようとして、修行を嫌い、自由を求めて逃亡した。純血種の黒いジャガーだったから。それが純血種の黒いピューマだったら、どうなるのだ?

「グラダ族から過去にピューマを出したことはなかったのか?」
「グラダは古代に滅びたことになっていた。混血が進んだからだ。だが言い伝えは残っている。大神官に選ばれるグラダの男は黒いピューマが優先されると。それだけ、古代でも珍しい存在だったのだろう。」
「それじゃ、ケサダ教授は大神官になれる人なのか?」
「ノ!」

 ムリリョ博士がはっきり否定した。

「大神官の修行は幼少期から始めねばならぬ。フィデルは成年式で何者か判明した。修行を始めるのは手遅れだったし、本人も望んでおらぬ。彼は母親の希望を尊重しマスケゴ族として生きる道を選んだ。」
「でも、力は誰よりも大きい・・・」

 少佐の言葉に博士は大きく頷いた。

「恐らく、現在生きているどの”ヴェルデ・シエロ”より彼は大きな力を持っておる。それに、彼のナワルは黒くないのだ。」


2021/12/31

第4部 牙の祭り     30

「バスコ兄弟はピア・バスコの息子だったのか。」

とムリリョ博士は呟いた。博士もあのアフリカ系の医師を知っているのだ。年齢的にピア・バスコ医師とフィデル・ケサダ教授は同じ時期に大学生活を送ったと思われた。もしかするとキャンパス内で何度も出会っていたかも知れない。ムリリョ博士も当時は現在よりも大学で仕事をする時間が長かっただろう。
 ケツァル少佐は全く別のことを疑問に感じた様だ。彼女が質問した。

「セニョール・シショカはどうしてフィデル・ケサダの要求をあっさり呑んで、ビダル・バスコの所持品を彼に渡したのです? 後で貴方に苦情を言い立てたのですから、不本意だったのでしょう?」

 ムリリョ博士が口元に微かに苦笑を浮かべた。

「シショカはフィデルを怒らせたくなかったのだ。」
「何故?」

とテオが尋ねると、少佐が答えを思いついて言った。

「フィデルの方がシショカより強いからでしょう?」

 ムリリョ博士がまた微笑を浮かべたが、今度は苦笑ではなかった。 テオはちょっと意外な気がした。”砂の民”は”ヴェルデ・シエロ”のどの部族からも選ばれると言う。選考条件はピューマのナワルを持っていることだ。(それを考慮するとマーゲイのナワルを持つグワマナ族から”砂の民”は出ていなさそうだ。)偶然だろうが、テオが知っている”砂の民”の3人は全員純血種のマスケゴ族だ。ムリリョ博士、ケサダ教授、セニョール・シショカ。年齢や経験の長さ、多さはあるだろうが、能力の強さは同じではないのか?
 そして、彼はケツァル少佐がケサダ教授の出生に疑惑を抱いていることを思い出した。少佐の疑念が正しければ、ケサダ教授はマスケゴ族ではなくグラダ族だ。少なくともグラダ族の血を濃く受け継ぐ部族ミックスの純血種だ。白人の血を引くミックスのカルロ・ステファンは黒いジャガーに変身する。エル・ジャガー・ネグロとしてグラダ族に認定されている。そしてロホが言っていた。まともに対決すればマスケゴ族のシショカはステファンの力の前ではひとたまりもないだろうと。フィデル・ケサダは、きっとピューマに変身するグラダ族なのだ。黒いジャガーではないから、誰も彼がグラダ族だと気がつかない。ムリリョ博士を除いて。セニョール・シショカは本能的にケサダが己より強い力を持っていると感じるのだろう。だから、ケサダ教授からビダル・バスコの所持品を渡せと要求され、渋々従った。

「フィデルはセニョール・シショカがビダルを罰するためにビダルの所持品を持っていると知ったのです。そして彼はそれを『やり過ぎ』だと感じた。だからシショカの屋敷に乗り込んでビダルの所持品を没収したのです。ビダル・バスコを罰するのは、大統領警護隊の彼の上官の役目であって、シショカの仕事ではないとフィデルは考えたのです。違いますか?」

 ケツァル少佐の言葉に、ムリリョ博士が初めて頷いた。

「確かに、その通りだ。儂もシショカにビダルの所持品を何故すぐに本人に返さなかったと訊いた。あいつは”出来損ない”に未熟さを自覚させる為だと言った。それは大統領警護隊におけるバスコの上官の仕事だと儂は言い、ケサダには他人の仕事に干渉するなと言い含めておくと言って、シショカを退がらせた。」
「博士はまだ教授に会われていないのですか?」

 テオの質問に、ムリリョ博士がニヤリと笑った。

「あいつは今日の午後2時過ぎのバスで北部の遺跡へ行った。クイのミイラを探しに行くと言っていた。シショカが苦情を言いに来たのはその後だ。」
「そう言えば、先週考古学部から申請が出ていました。監視不要の遺跡なので即日許可を出した場所です。」


第4部 牙の祭り     29 

  ムリリョ博士は語り続けた。

「ビト・バスコ曹長を追い出した後、暫くしてモントージャが娘が家からいなくなっていることに気がついた。アンパロは主人と父親が憲兵に気を取られている間に逃げ出したのだ。モントージャとしては主人に娘を探してくれとは言えない。だが彼は娘は憲兵と一緒に逃げたと思った。時間的にそう言うタイミングだったのだ。それでモントージャは主人にこう言ったそうだ。『偽の大統領警護隊隊員からI Dを回収なさらなくてもよろしいのですか?』と。シショカはI Dの写真からビトにはビダルと言う双子の兄弟がいると悟っていた。黒い肌の双子の”出来損ない”がいると言う噂を知っていた。放置してもビトはビダルにI Dを返すだろうと思ったが、”出来損ない”の分際で彼の屋敷に入り込んだ事実には、腹が立った。夜だった。
 シショカはナワルを使い、ビトを追跡した。道で若造に追いつき、襲いかかった。シショカは儂に言った。若造は襲われた理由を悟ったと。ビトは噛まれながら言ったそうだ。2度としません、と。シショカは制服を引き裂いた。そうすればビトが真っ直ぐ兄の下へ帰るだろうと思ったからだ。全身傷だらけになり、ビトは逃げ去った。彼が走って行った方向に、その日”入り口”ができていることをシショカは知っていた。だから彼はそれ以上若造を追わなかった。」

 ムリリョ博士はそこで一息ついた。テオとケツァル少佐は黙って彼が話を再開するのを待った。まだ半分だ。ミレレスがトラックに轢き逃げされた過程を知らなければならない。そしてシショカがビダルのI D等を手に入れた過程も。
 テオはふと気がついた。

「何か飲む物を買ってこようか?」

 しかしムリリョは首を振った。

「観光客が多い。」

 そして彼は続きを始めた。

「夜更けにアンパロが屋敷に戻って来た。小娘は震えていた。恐ろしいものを見たのだ。彼女はシショカの屋敷を抜け出した後、ミレレスと落ち合った。2人でペロ・ロホの本拠地へ行こうとした時、全身傷だらけのビトと出会った。ビトは一緒にいる2人を見て、利用されたことを悟ったのだ。だが彼が拳銃を抜くより早くミレレスが彼を刺した。ビトは一度倒れた。ミレレスは彼が死んだものと思い、彼から財布や拳銃、IDカードを奪い取った。しかしビトはまだ生きていた。彼は最後の力を振り絞り、そばにあった”入り口”に飛び込んだ。
 人間が空中で消えるのを、アンパロとミレレスは見てしまったのだ。アンパロは大統領警護隊の制服を着た人間を刺したミレレスを置いて逃げ帰った。恐怖に駆られたのだ。
 モントージャは娘からその話を聞き、主人に告げた。」

 テオとケツァル少佐は一瞬息を止めてしまった。テオは気温が1度下がった様な気がした。
”ヴェルデ・シエロ”が空間通路に消える現場を目撃してしまったアンパロ・モントージャとぺぺ・ミレレス、そしてその話を聞いた父親のモントージャ。

「セニョール・シショカは忙しくなったのですね。」

とケツァル少佐が皮肉を言った。ムリリョ博士がフンっと言った。

「笑い事ではないぞ、ケツァル。」

 テオはアンパロと父親の現況を案じた。彼等は生きているのだろうか。その答えをムリリョ博士は知っていた。

「シショカはモントージャ父娘から記憶を抜いた。そして直ちにぺぺ・ミレレスの追跡を始めた。ミレレスは己が目撃したものが何か完全に理解していなかったが、見てはならないものだとわかっていた。そして己が刺した男が普通の人間でないことも悟った。普通なら、セルバ人はこんな場合大統領警護隊に救いを求める。だが彼が刺した憲兵は大統領警護隊の制服を着ていた。身内にロス・パハロス・ヴェルデスがいることは間違いない。彼は頼れる者を探して街を彷徨った。ペロ・ロホは頼りにならない。警察も駄目だ。憲兵隊は当然駄目だ。刺した男は憲兵なのだ。
 シショカは肌が黒い”出来損ない”の憲兵が死んだと言う話を彼の情報屋から聞いた。公には病死となっているが、刺殺されたことは間違いない。”出来損ない”だが”ヴェルデ・シエロ”の1人だ。シショカにとって、これは一族の恥であり、侮辱だった。」
「だから、ミレレスは記憶を消されずに命を消された・・・」

 テオの言葉に、ムリリョは否定も肯定もしなかった。この人が沈黙で答える時は肯定なのだ。

「シショカはミレレスがビト・バスコから奪った物を回収した。彼はそれをビダル・バスコに返す時に、弟に大事な物を盗まれるような間抜けに制裁を加えるつもりだったのだ。」
「しかし、そこへフィデル・ケサダが干渉してきた・・・」

 ムリリョ博士が溜め息をついた。

「フィデルはシショカの書斎にいきなり現れたそうだ。勿論正面玄関から入ったのだろうが、使用人の取次を通さなかった。」
「それは彼らしくもない振る舞いです。」

とケツァル少佐が憂いを込めた目で呟いた。ムリリョ博士は彼女のコメントに同意を示さなかったが反論もしなかった。

「フィデルはシショカに言ったそうだ。 『これ以上彼女を悲しませないでくれ』と。」

 テオは昨日のケサダ教授の部屋での会話を思い起こしてみた。ケサダ教授はバスコ兄弟のことはテオの口から双子のサンボだと聞かされる迄誰だか知らなかった。しかし、母親のことは知っていた。ピア・バスコを尊敬している口ぶりだった。

「ケサダ教授は、バスコ兄弟の母親のことを知っていた。もしかすると個人的な知り合いなのかも知れない。彼は俺の話を聞いて、ビトを刺殺したのは”ティエラ”で、咬み傷や引っ掻き傷を与えたのは”砂の民”だと知ったんだ。そしてサンボの”シエロ”に手酷い制裁を与える様な人間はシショカぐらいだろうと見当をつけたに違いない。シショカに傷を負わされなければ、ビト・バスコはミレレスごときチンピラに殺される様なヘマはしなかっただろう。だからケサダ教授はビトの為ではなく、ピア・バスコの為にシショカの所に出向いて、シショカが回収したビダルの持ち物を取り上げたんだ。」

 一気に考えたことを喋って、テオは少佐と博士を見比べた。

「俺の推理は間違っているかな?」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...