2022/01/30

第5部 山の向こう     18

  本部からの応援を連れて戻って来たパエス中尉は、夜中にサン・セレスト村に到着した。テオは宿舎で休めと言われて戻っていたが、眠れなかったので、車のエンジン音を聞いた時に寝袋から出た。同室のカタラーニは爆睡していたので、起こさない様に静かに部屋を出た。外に出ると、太平洋警備室の建物の前にジープが停車したところだった。ライトを点灯していない。いかにも”ヴェルデ・シエロ”の車だ。テオは月明かりだけで道を歩いて行った。静かだ。隊員同士の会話は全て”心話”で交わされているのだろう。暗かったので不確かだったが、ジープから3人が降りて、オフィスに入って行った。
 テオが建物に近づいた時、後ろから人が来る気配がした。立ち止まって振り返ると、既に近くまで来たガルソン大尉が、彼を見て呆れた様に言った。

「眠れないのですか?」
「うん。車の音が気になって来てしまった。」

 大尉が溜め息をつくのがわかった。彼も休んでいたのだろう、Tシャツの上に着た上着のボタンを留めながら歩いていたのだ。

「本部の連中が貴方をオフィスに入れることを承知するか否かわかりませんが、入り口迄どうぞ。」

 一緒にオフィスの入り口迄行った。ガルソン大尉が彼に待機を要請して、中に入った。オフィスは灯りが灯っていた。照明を使用しないと”ティエラ”達に奇妙に思われるので、点けている。宿直がいると示す必要もあるのだ。
 2、3分後にドアが開いて、ステファン大尉が顔を出した。

「テオ、入って下さい。」

 ガルソン大尉が本部の隊員に話をつけてくれたのだ。テオはステファン大尉についてオフィスに入った。見覚えのある顔が、柔らかな照明の下に見えた。一人は知っているが友人ではなく、もう一人は友人だ。

「ファビオ・キロス中尉にエミリオ・デルガド少尉!」

 キロス中尉が真面目な顔で、デルガド少尉がうっすら微笑を浮かべて敬礼した。ガルソン大尉はテオが2人を知っていたことに少し驚いたが、パエス中尉は道中で彼等から話を聞いたのか、知らぬ顔をしていた。
 キロス中尉がガルソン大尉に言った。

「すぐに反逆者を本部へ連行します。」

 デルガド少尉が書類を出してガルソン大尉に手渡した。大尉が目を通し、机にそれを置いてペンで署名した。今時アナログな手続きだが、大尉は書類を少尉に戻した。デルガド少尉がそれをポケットに仕舞った。
 ステファン大尉が奥の部屋に入り、それから直ぐに顔を出した。

「ガルソン大尉、結界を開けていただけますか?」
「ああ、そうだった・・・」

 ガルソン大尉も奥へ入った。
 テオは自席に座ったパエス中尉を見た。右目の下に小さく絆創膏を貼ってあった。”ヴェルデ・シエロ”だから朝になれば治っているのだろうが、”ティエラ”への建前上、数日貼って見せるのだ。それでもテオは尋ねずにいられなかった。

「傷の具合はどうですか、パエス中尉?」

 無愛想なパエス中尉が彼をチラリと見て、答えた。

「平気です。グラシャス。」
「キロス中佐とフレータ少尉の状態は?」
「中佐は改めて手術を受けられた。我々が病院を再訪した時は意識が戻っていたが、まだ会話は無理だ。フレータはセンディーノ医師の手術が上手くいっていたので、今は休んでいる。お気遣い有り難う。」

 中佐と本部から来た遊撃班の中尉は同じキロスだ、とテオは気がついた。”ヴェルデ・シエロ”は人口が少ないから、同姓の家族が多いし、実際親戚なのだろう、と十分に推測された。
 ガルソン大尉とステファン大尉に挟まれてラバル少尉が引きずられる様に現れた。椅子から解放されているが、手は背中で縛られたままだ。目隠しを外されていた。意識は戻っていた。肋骨の骨折に起因する胸の苦痛で額に脂汗を浮かべている。
 キロス中尉が正面にたち、ラバルの顔を見つめた。

「ホセ・ラバル少尉、貴官はカロリス・キロス中佐及びブリサ・フレータ少尉殺害未遂容疑で逮捕された。間違いないな?」

 ラバル少尉が目の前の若い中尉を睨みつけた。キロス中尉もデルガド少尉もラバル少尉の息子と言っても良い若さだ。屈折したラバル少尉にはかなり屈辱だろう。ただ、キロス中尉はブーカ族、デルガド少尉はグワマナ族の純血種だった。ラバル少尉の純血至上主義には親切だったかも知れない。
 ラバル少尉が答えないので、もう一度、キロス中尉が繰り返した。

「貴官は同胞2名の殺害未遂容疑で拘束されている。これから本部へ移送する。もし逃亡を図れば、その場で射殺する。承知せよ。」

 ラバル少尉が低い声で呟いた。

「ここで殺せ。」

 キロス中尉とデルガド少尉が視線を交わした。デルガド少尉が片手をラバル少尉の額に押し当てた。テオは彼が何をしたのかわからなかった。ラバル少尉ががくりと頭を垂れた。脚が崩れ、スタファン大尉とガルソン大尉が両脇で抱え直した。

「せめて車に乗せる迄待てなかったか、デルガド少尉?」

 とステファンが個人的に親しい部下に苦情を呈した。デルガド少尉は若者らしく、小さく舌を出した。

「車へ行くまでに抵抗する懸念がありましたので、意識を奪いました。」
「デルガドは用心深くなっています。」

とキロス中尉が言った。

「一度痛い目に遭っていますからね。」

 ステファン大尉は肩をすくめた。そしてガルソン大尉に、行きましょう、と合図した。2人の大尉が部下がするべき作業を、拘束したラバル少尉を車に連れて行く作業を行った。キロス中尉が車のドアを開けて作業を手伝った。
 デルガド少尉は別の書類を出して、ペンで何やら走り書きした。ラバル少尉の意識を奪った経緯でも報告書に書いたのだろう。エミリオ、とテオは声をかけた。デルガド少尉は書きながら、何でしょう、と応えた。

「ここで起きたことは全部ガルソン大尉達から聞いたんだね?」
「スィ。」
「ラバル少尉はどうなるのだろう?」

 デルガド少尉が体を起こし、書類をポケットに仕舞った。

「貴方の命を奪おうとした男の心配をしてやるですか?」
「彼の本当の動機がわからないからね。それに直前迄彼は良い人に見えた。」

 デルガド少尉は肩をすくめた。

「司令部での取り調べで彼が何を語るのか、我々は知らされません。彼がどうなるのかも知らされません。貴方ももう忘れなさい。」


第5部 山の向こう     17

 ガルソン大尉は床に倒れて気絶しているラバル少尉の周囲に砂で輪を描いた。結界だ、とテオは説明がなくてもわかった。ラバル少尉は目覚めても自力で輪の外に出られない。
 ステファン大尉からガルソン大尉に電話が掛かってきた。夕食の準備が出来た連絡だ。何だか日常的な遣り取りが遠い世界の会話に聞こえた。ガルソン大尉は自宅に帰って食べるので、診療所のセンディーノ医師にも厨房棟へ食事に来るよう声を掛けると言い、電話を終えた。そしてテオには2人の院生を呼んで下さい、と言った。

「ラバルはこのままにしておきます。もう暫くは気絶しているでしょう。ステファン大尉が宿直を引き受けると言うので、私はこのまま自宅へ戻って休みますが、本部から隊員が来たら呼んで下さい。」
「わかりました。おやすみなさい。」

 テオはガルソン大尉とオフィス前で別れた。2人の院生は空腹だったのか、電話をかけると数分後には走って来た。大統領警護隊の厨房棟の印象は、高校の学食みたいだ、だった。
 カウンターでステファン大尉から料理を配ってもらっていると、ガルソン大尉の招待を受けたセンディーノ医師も現れた。看護師達は自宅へ帰るので、いつも夜は一人で食事をしていた彼女は久しぶりの「外食」に喜んでいた。

「この村に住んで長いのに、この建物に入ったのは初めてです。」
「不思議ですね、今夜はここに長く勤務している隊員が一人もいない。」

 テオの言葉にステファン大尉が苦笑した。

「私が来たばっかりに騒ぎが起きた感じで、申し訳ない。」
「俺達にそんなことを言っても意味がないさ。」

 テオはステファン大尉と事件の話をしたかったが、院生と医師がいるので自重した。代わりに医師から2人の女性隊員の回復にかかる日数やリハビリの手段などを聞いた。ガルドスは医学生なので真剣に質問したり耳を傾けたが、カタラーニは少し難しい話と思えたのか、ステファン大尉に料理の仕方を聞いていた。
 軍隊の食堂だからアルコール類はなかった。太平洋警備室はビールすら置いていなかった。水とコーヒーで食事を締めくくり、昼間の医療行為で疲れた医師と院生達は、食事の礼とおやすみを言ってそれぞれ寝るために厨房棟を出て行った。
 やっと2人きりになれた。厨房で食器や鍋を洗うステファン大尉を手伝いながら、テオがそう言うと、ステファンは笑った。

「まるで恋人同士の様な台詞です。」
「そうか? まだケツァル少佐には言ったことがないんだ。そこまで行っていないってことかな。」

 ステファンが鍋を磨く手を止めた。

「少佐を少佐と呼んでいる間は、まだなのでしょうね。」

 テオも皿を拭く手を止めた。

「だが、彼女は少佐だ。階級じゃなくて、俺にとって・・・尊敬する人なんだよ。」
「私にとってもそうですが・・・最近他人に私的な立場で彼女のことを話す時、やっと『姉』と呼べるようになりました。」
「俺には、やっぱり少佐だよ。『彼女』って呼んだら、張り倒されそうな予感がして・・・」

 ステファンが愉快そうに声を立てて笑った。それから真面目な顔に戻った。

「今回の事件はまだ終わっていませんね。」
「ああ、終わっていない。」

 テオも真面目な雰囲気に頭を切り替えた。

「ラバル少尉がジープを爆破したことはわかった。彼は純血至上主義者みたいなことを言った。だが、その思想が何故キロス中佐を暗殺することに繋がるんだ?」

 ステファン大尉が考え込んだ。

「純血至上主義者は2種類います。一つは、単一部族の血統を守れと言うグループです。この思想では、ラバル少尉は当てはまりません。彼は2つの部族のミックスです。ガチガチの純血至上主義者から弾き出されます。もう一つは、”ヴェルデ・シエロ”で”ツィンル”、異人種の血が一切入っていない血統を守れと言う考え方です。一つ目のグループよりは緩いですが、人数はこちらの方が多いです。ラバルはこちらのグループに入ると思われますが、”ティエラ”や私の様な”出来損ない”を排除して”ヴェルデ・シエロ”だけの国家を創ると言う過激思想は異端です。純血至上主義者の多くは現実的です。自分の家系の血を守るだけの主義ですから。」

 テオは皿を棚にしまった。

「ティティオワ山の向こうで3年前に何が起きたのか、調べる必要があるな。」


2022/01/29

第5部 山の向こう     16

 「ここは我々の国だが、”ティエラ”の国でもある。白人だってここで生まれたらこの国の人間だ。他所から来ても、この国で生きていくと決めたら、この国の人間だ。」

 ガルソン大尉はラバル少尉に言った。

「ここが我々だけの土地だった時代は遥か大昔のことだ。何故今更そんなことにこだわる?」

 ラバルは目隠しをされた顔をガルソン大尉の方に向けた。

「3年前、港湾の現場監督バルタサールが、彼の会社が労働者の血液をアメリカに売っていると教えてくれた。白人の国で得体の知れない薬を作る材料にしているのだ。薬が完成すれば、連中は世界中を自分達に従わせることに使うのだろう。そんなことは許されない。阻止しなければならない。」

 ガルソン大尉がテオを振り返った。そんな話を確かにテオが語ったことを思い出したからだ。ラバルは更に言った。

「そこにいる白人も村の住民の細胞を集めているではないか。我々の子孫を探しているのだ。我々を制圧するために。」

 テオは肩をすくめるしかなかった。エンジェル鉱石がしていたことは、ラバルが言った通りだ。国立遺伝病理学研究所は、病気の治療薬ではなく軍事目的の薬品を開発する研究をしていた。彼はラバルに向けて言った。

「エンジェル鉱石がしていたことは、貴方が言った通りだ。俺がいた研究所がしていたことも、貴方が想像した通りだ。だが、あの研究所はもうない。ケツァル少佐とステファン大尉がぶっ潰した。セルバ大使が向こうの政府に掛け合って、セルバ共和国に干渉しなければセルバ共和国もアメリカに対して何もしないと約束した。だから俺はこちらの国の国民として受け容れてもらえた。もう貴方が心配することはないんだ。」
「では、今お前がしていることは何だ? 口の中を棒でかき回して・・・」
「細胞を採取しているだけだ。これはセルバ政府の仕事だ。先住民保護政策で部族毎に助成金が出る。内務大臣がその助成金の予算をケチろうとして、東のアケチャ族と西のアカチャ族が同じ部族である証明をしろと俺に指図した。俺は国の両端に住む2つの部族が同じだとは思えなかったから、別々の部族である証明を遺伝子の分析で行おうとしている。2人の院生達も俺の意見に賛同してくれているんだ。2つの部族が別の部族だと証明できれば、それぞれが同額の助成金をもらえる。」

 ラバル少尉が沈黙した。ガルソン大尉が彼に尋ねた。

「君の思想はわかった。しかし、それとキロス中佐を襲ったことは、どう繋がるのだ?」

 ラバル少尉が息を吸い込んだ。ガルソン大尉がいきなりテオを突き飛ばした。テオは床に転がった瞬間、強烈な光を浴びて目を手で庇った。ドタンッと大きな音がして床に重たい物が倒れる気配がした。テオは思わず叫んだ。

「ガルソン大尉、大丈夫か?」
「大丈夫です。」

 落ち着いた声が聞こえ、大尉の手がテオの肩に触れた。

「光を浴びてしまったが、目をやられたりしていませんか?」

 テオは目を開いた。暫くチカチカしたが、直ぐに視力が戻って来た。彼は体を起こした。

「大丈夫、見えます。」

 後ろを振り返ると、ラバル少尉が椅子ごと床の上にひっくり返っていた。脚がだらりと垂れて、ラバルの口から血が流れていた。テオがドキリとしていると、ガルソン大尉が少尉を見て言った。

「気絶しているだけです。己が放った気の爆裂を己で食らったので、死にはしませんが、肋骨が折れて動けない状態です。」
「つまり・・・」

 テオは立ち上がった。

「貴方が彼の気を跳ね返した?」
「スィ。こんな場合は自分がブーカ族に生まれたことを感謝しますな。」
「俺は貴方に庇ってもらって感謝します。」

 マスケゴ族とカイナ族のハーフのラバル少尉の力は、ブーカ族のガルソン大尉に跳ね返されてしまった。テオは以前文化保護担当部と遊撃班の軍事訓練に参加させてもらった時のことを思い出した。ステファン大尉が放った気の爆裂を、ロホが跳ね返した。ステファンは己の気に耐えたが、近くにいたブーカ族や他の部族と思われる隊員3名は弾き飛ばされ、負傷した。ステファン大尉はグラダ族と数種の人種の血が混ざるミックスだから、その気の爆裂の威力は半端ない。ロホはブーカ族でしかもかなり優秀な能力者だから、見事に跳ね返したが、ステファンの味方であった隊員達は油断があってステファンの気の威力に耐えられなかったのだ。恐らく、とテオは思った、あれは反射波だったから、軽傷で済んだのだ。直撃していたら、訓練で放った気でも、大怪我をしていただろう。
 普通の人間が”ヴェルデ・シエロ”の気の爆裂をまともに食らったら、きっと命を失うのだろう、と容易に想像出来た。だから、彼等は掟で定めているのだ。能力を使って直接人間の命を奪ってはならない、と。
 ガルソン大尉は気絶しているラバル少尉を見下ろして言った。

「こいつは貴方を亡き者にしようとしました。キロス中佐とフレータも殺されかけた。大罪人です。」


 

第5部 山の向こう     15

  ステファン大尉が厨房棟へ行き、ガルソン大尉はラバル少尉のUSBをチェックし始めた。テオは宿舎に帰ろうか、ステファンの手伝いをしようかと迷い、ふと思いついてキロス中佐の部屋のドアを開いた。ガルソン大尉が彼の行動に気がついて立ち上がったが、彼は室内に入った。
 ラバル少尉が顔を上げた。目隠しされているので、耳だけでテオの動きを追った。テオは椅子を引き寄せ、彼の正面に置いて、馬乗りの形で座った。

「貴方は25年ここで勤務されていると聞いたが、一体何が貴方にあんな酷いことをさせたんだろう?」

 戸口でガルソン大尉が立ち止まった。テオは思いつくまま話しかけた。

「ガルソン大尉は15年前、中尉に昇級してここへ来られた。パエス中尉は17年目だと聞いた。2人共貴方より若く、そして貴方より力が強いブーカ族だ。貴方は25年ここで真面目に勤務して、少尉のまま・・・貴方はそれで心が折れてしまったのだろうか?」
「何を言っているのか、わからん。」

とラバルが言った。

「私は毎日ここで働いてきた。朝起きて、港のパトロールをする。港湾労働者達を白人の監督官の横暴から守ってきた。村の住民を外国の船員の暴力から守ってきた。毎日だ。それが私の役目だ。手柄も何もない。少尉のままでいるのは当たり前だ。」
「それで貴方は満足だったのか? 転属願いとか・・・」
「大統領警護隊にそんな制度はない。指揮官から司令部へ話を通してもらえなければ・・・」

 テオは文化保護担当部の友人達を思い浮かべた。ロホもアスルも最近昇級したが、指揮官のケツァル少佐が本部に推薦してくれたからだと2人は言っていた。しかし、少佐は本部が彼等の働きを認めたのだと言った。ロホもアスルも他の部署への転属は願っていない。ずっと少佐の下で働き続けたいと願っている。だが少佐は副官のステファン大尉を手放した。ステファンが彼女の下に居たいと強く願っていたにも関わらず、彼の将来を考えて手放す方が最善だと信じたからだ。

「貴方は貴方の希望をキロス中佐に伝えたことがあるのか?」
「私の希望? 私に希望など・・・」

 ラバル少尉は口の中で何やらモゴモゴ呟いたが、テオには聞き取れなかった。スペイン語ではなかった。
 テオはもう一度質問した。

「どうしてキロス中佐をあんな目に遭わす必要があったんだ? 一緒に勤務しているフレータ少尉やパエス中尉を傷つける理由があったのか?」
「フレータとパエスは運が悪かっただけだ。」
「巻き添えか?」
「そう言うことになるかな。」

 開き直ったような言い方だった。テオは診療所に運んだ時のフレータ少尉の熱い体の感触を思い出した。水をかけた方が良かったかと思ったが、この乾燥した土地で村の共同井戸迄走るより、簡易水道が使える診療所が最善と思えたのだ。フレータは苦痛で叫び声を上げそうになるのを必死で耐えていた。顔の半分を火傷してしまった女性。”ヴェルデ・シエロ”なら回復出来るだろうが、時間がかかるだろう。
 テオはいきなりラバルの襟首を掴んだ。

「運が悪かったで済むと思っているのか!」

 ガルソン大尉が駆け込んで来て、彼をラバルから引き離した。

「ドクトル、近づき過ぎては危ない。」

 テオは戸口まで引き摺られて、やっと我に返った。頭を振って、深呼吸した。

「すみません、ガルソン大尉。フレータ少尉の火傷を負った顔を思い出したら、カッとなってしまった。」

 ガルソン大尉が彼の目を覗き込んだ。テオはドキリとした。しかし大尉は彼に何かをしようとしたのではなかった。彼の瞳を見て、大尉は微かに微笑んだ。

「大丈夫、ラバルに支配された訳ではない。」
「少尉は目を使えないでしょう?」
「視線を合わせなくても、一時的に感情を支配することが出来ます。”操心”と違って体を支配して動かすことは出来ませんが、激昂させて暴れさせることは出来る。騒ぎに乗じて逃げることが出来ますから。」

 ガルソン大尉は後ろを振り返った。ラバル少尉は軽く体を揺すっていた。

「白人を信じるんですか、大尉?」

と彼が言った。

「どうして我々は”ティエラ”や白人を守らなきゃいけないんですか? ここは私達の国じゃないですか!」


 

第5部 山の向こう     14

  ステファン大尉がグラダ・シティの大統領警護隊本部に連絡を入れ、キロス中佐とフレータ少尉の負傷とラバル少尉を拘束した過程を報告した。本部は空間通路の”出口”がサン・セレスト村にないので、オルガ・グランデへ遊撃班を遣ると答えた。”出口”がオルガ・グランデの何処に出現するのか不明だが、迎える人員が必要だ。陸軍基地で待機するよう命じられ、ガルソン大尉がステファンの横から割り込んだ。

「ガルソン大尉です。ステファン大尉には太平洋警備室を管理してもらわなくてはなりません。迎えの人員はパエス中尉を送ります。負傷したキロス中佐とフレータ少尉をヘリコプターで陸軍病院に送る手配をしましたが、パエスも軽微ながら負傷しておりますので、付き添いで行かせます。」

 本部はガルソン大尉の提案を承諾した。
 陸軍水上部隊の応援要請を受けたオルガ・グランデの陸軍基地からヘリコプターが飛んで来たのはそれから半時間後だった。ガルソン大尉が救援要請を部隊長に命じてから2時間も経っていた。ガルソン大尉とパエス中尉が陸軍衛生兵を診療所へ案内して、2人の女性をヘリコプターに搬送した。そしてヘリコプターは彼女達とパエス中尉を乗せてオルガ・グランデに向けて再び飛び去って行った。
 診療所からカタラーニとガルドスの2人の院生が来たので、テオは彼等に宿舎に戻って休むようにと命じた。

「今日は大変な一日だった。明日迄休みにしよう。」

 テオがそう言うと、カタラーニが夕食はどうしますか、と心配した。するとオフィスの中まで会話が聞こえたのだろう、ステファン大尉が戸口に現れて、大統領警護隊が今夜の夕食をご馳走するといった。

「中佐も2人の少尉もいない。私一人の分を作っても仕方がない。隊員の手術をして頂いたお礼に私が食事を作ります。」

 彼は後ろを振り返ってガルソン大尉に声をかけた。

「貴方はどうされますか?」

 ガルソン大尉が首を振った。

「私は自宅へ帰って食べる。爆発騒ぎで家族は動揺している筈だから、安心させる。パエス中尉の家族にも声をかけてやらないと。それに遊撃班が来たら、私は本部へ行かねばならないかも知れない。」

 食事の用意が出来たら電話すると言って、テオは院生達を宿舎へ帰らせた。そしてオフィスに入った。ガルソン大尉がラバル少尉の机を調べていた。

「汚職の疑いですか?」
「それなら簡単ですがね。」

 ガルソン大尉はファイルやU S Bを机の上に並べた。

「まだ彼が中佐を狙った理由は何一つわかっていない。」
「3年前に中佐が異常な状態になった原因も。」

とステファン大尉も呟いた。

第5部 山の向こう     13

  ラバル少尉は目隠しされてキロス中佐の部屋に入れられた。彼がパエス中尉を縛り付けた椅子に彼自身が縛り付けられた。
 テオはまだ状況がよく理解出来なかったので、ガルソン大尉とステファン大尉が何か説明してくれないかと待った。セルバ人はこんな場合もそんなに慌てない。ステファン大尉が厨房棟からフレータ少尉が負傷する直前まで準備していた昼食を運んで来て、遅い食事を仲間に振る舞った。超能力を使った”ヴェルデ・シエロ”は空腹になる。特に気の爆裂や結界などの大きなエネルギーが必要な力を使用した後は殊更だ。
 ガルソン大尉は猛然と豚肉の煮込み料理を口に運んだ。パエス中尉はステファン大尉にもらった氷を右目の下に当てながらも、食欲はあって、しっかり食べた。テオもお相伴に預かった。大統領警護隊の食事は満足出来る出来具合だった。ステファン大尉も食べて、フレータ少尉が煮込み料理を食べられなかったことを残念がった。彼女の得意料理だったのだ。
 空腹が解消されるとガルソン大尉もパエス中尉も元気を取り戻した。そう判断したので、テオは尋ねた。

「どうして犯人がラバル少尉だとわかったんです?」

 ガルソン大尉が簡単だと言いたげに答えた。

「パエス中尉の怪我が目のそばだったからです。中尉が車を爆破したのだったら、目を傷つけるヘマはしない。我々にとって目は大事な武器ですから。ラバルは中尉を介抱するふりをして、彼を拘束し、私達を彼に近づけようとしなかった。」
「では、中尉が『中佐は死んだか?』と尋ねたと言うのは・・・」
「ラバルの嘘です。」
「しかし、すぐにバレるでしょう?」
「ラバルは中尉を中佐の部屋に監禁した後で、”操心”で従わせようとしたのです。しかし、部屋を離れて私に中尉を拘束した報告をしている間に、パエス中尉が身を守る為に部屋に結界を張ってしまった。中尉はブーカ族だから、マスケゴとカイナのミックスのラバルには彼の結界を通ることが出来ません。仕方なくラバルは部屋の外に座り、番をしているふりをして、結界が弱まるのを待っていたのです。」
「貴方達はラバルの嘘に騙されたふりをしていたのですか?」
「キロス中佐とフレータ少尉の救助が最優先でした。それにあの時は流石に私も動転してしまい、爆発の原因究明をステファンに託すしかなかった。ステファンはテロかそうでないのか確認して、陸軍兵や村人達の安全を優先しなければなりません。我々は守護者ですから。」

 ステファン大尉とパエス中尉が小さく頷いた。パエス中尉が申し訳なさそうに言った。

「爆発の後でラバルがそばに来た時、助けてくれるのだと思いました。あの時は目が痛くて開けていられなかった。だからラバルが私の顔に包帯を巻いた時も疑わなかったのです。手を後ろへ回された時、やっとおかしいと気がつきましたが、遅かった。大尉達に声をかけたのですが、皆外にいて声が届きませんでした。このままではラバルに殺されるかも知れないと思い、結界を張りました。目は見えませんでしたが、部屋の大きさと形状がわかっています。結界を小さく張ればラバルが私に近づけない強さの壁を築けます。」

 ステファン大尉が彼に尋ねた。

「ラバルがジープに向けて放った気を感じませんでしたか?」
「感じたと思いますが、ショックで覚えていません。私は中佐を後部席に座らせ、ドアを閉めました。運転席にフレータが座ってドアを閉じた直後にやられたのです。エンジンをかける直前だった筈です。だからラバルはエンジンに向けて気の爆裂を放ったのでしょう。気がついた時は私は地面に倒れていました。負傷が目の下だけで済んだのは、きっと中佐が守って下さったのだと信じています。」
「キロス中佐は守護者の鑑だな。」

とテオは呟いた。

「彼女は貴方とフレータ少尉を守った為に彼女自身が逃げるタイミングを失ったのだろう。」
「そう思います。」

 ガルソン大尉がステファン大尉に顔を向けた。

「君から本部へ連絡してくれないか。私がもっと早く中佐の異常を報告していればこんな事態にならなかった。ラバルの取り調べも本部に任せなければならない。我々は当事者になってしまったから。」

 

2022/01/28

第5部 山の向こう     12

  ラバル少尉が上官達を振り返った。彼は厨房棟を顎で指した。

「昼食がまだですが、食べに行きますか?」

 ガルソン大尉とステファン大尉が視線を交わした、とテオは思った。ガルソンが答えた。

「食べに行こうか。ここから出られればの話だが。」

 その次に起きたことは、テオの視力では捉えられなかった。彼の前にステファンが立ち、彼の視界を奪ったことも要因の一つだ。室内で何かが光り、空気がバチッと裂ける様な音がした。重たい物体が硬い物に激突する音も響き、机と共にラバル少尉の体が床の上に転がった。机の上に置かれていたパソコンや書類が床に散乱した。ステファンが動いた。彼はラバル少尉に飛びつくと、彼の体を床の上にうつ伏せに転がし、素早く革紐で少尉の手首を後ろ手に縛り上げた。
 ガルソン大尉は彼自身の机の後ろの壁に背中を張り付かせる様に立っていた。激しく肩で息をしていた。ステファン大尉が声を掛けた。

「大丈夫ですか?」
「なんとか・・・」

 ガルソン大尉がテオを見た。

「ドクトルは大丈夫ですな?」
「彼は私が守りました。」

 ラバル少尉が床の上で怒鳴った。聞くに耐えない悪態を吐きまくった。
 テオは立ち上がった。展開が読めていなかったが、一つだけ、しなければならないことを悟った。

「パエス中尉は無事か?」

 彼は奥のドアに走り、ドアを開いた。パエス中尉は椅子に縛り付けられていた。両目を包帯で塞がれ、じっとしていたが、ドアが開いたので顔を上げた。前の部屋での騒動は聞こえた筈だ。

「何があった? 一体何がここで起きているんだ?」

 ステファン大尉がテオの横を通り、奥の部屋に入った。椅子の後ろに回ってナイフで中尉の手首を縛っていた革紐を切った。

「申し訳なかった、中尉。貴方が目を負傷したので、わざとラバルに騙されたふりをして、貴方を拘束させてもらいました。負傷した貴方に動かれては、却って危険な目に遭わせるとガルソン大尉が判断なさったのです。」

 ステファン大尉はパエス中尉の包帯を解いた。右目の下を切ったのは事実で、中尉の顔が腫れていた。テオはパエス中尉の目を覗き込んだ。

「眼球は無事な様だ。俺の顔が見えますか、中尉?」

 パエス中尉が呟いた。

「忌々しい白人の顔が見えます。」
「ルカ!失礼なことを言うな!」

 ガルソン大尉が戸口で壁にもたれかかって、中尉の口の悪さを注意した。テオは笑った。

「気力は大丈夫な様ですね。診療所に行きますか?」
「氷で冷やせばすぐに治ります。」

 強がるパエス中尉にステファン大尉が言った。

「その前に祓いを施しましょう。ラバルが貴方のそばにいたので出来なかった。痛みを取り除けば、貴方の力ですぐに治せますよ。」

 彼はガルソン大尉を見た。

「大尉の方が休息が必要でしょう? ラバルを逃さないようにオフィスに結界を張っておられた。」

 ガルソンが苦笑した。

「要塞を一つ吹っ飛ばす程の力を持つグラダの貴方が、結界を張るのは苦手とは、驚きですな。」

 ステファン大尉はテオをチラリと見て、ちょっと頬を赤く染めた。

「私の弱点です。」



 

 

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...