2022/02/14

第5部 山の街     13

  グラダ・シティに帰って3日間、テオは本業に没頭した。カタラーニもガルドスも論文代わりになると言う「餌」に釣られて遺伝子の分析に精を出した。そしてイグレシアス内務大臣の思惑に反する結果を出すことに成功した。

 アカチャ族とアケチャ族は遺伝子的に見て血縁関係が遠い別々の部族である。

 報告書を内務省に提出して、サン・セレスト村遺伝子分析チームは解散した。木曜日の午後、ケツァル少佐からメールが届いた。夕食のお誘いだった。場所が彼女の自宅だったので、これは週末のサン・セレスト村事件の捜査状況の報告だな、と彼は予想した。
 宴会ではないが一応招かれている側としてワインを買って持って行った。車は自宅に置いて歩いて行くのだが、アスルも呼ばれているとわかったので、やはり報告会だなと得心した。

「何度も集まるのは良いけど、マハルダが除け者になっていると拗ねたりしないかな。」

と心配すると、アスルが「けっ」と言った。

「彼女は任期が終われば思い切り少佐に甘えるさ。」

 少佐のアパートには既にロホとギャラガが到着しており、家政婦のカーラの手伝いをしていた。アスルはカーラの手伝いは己の役目だと自負していたので、ちょっとむくれた。

「たまにはゆっくりしろよ。」

とロホが弟分に言った。

「君は最近働き過ぎだ。マハルダの分まで事務仕事をしているんだからな。」

 大統領警護隊の男3人がキッチンで働いているのを見ると、テオも何かするべきかと不安を感じた。しかし、キッチンはカーラも入れて4人でいっぱいだ。参加すると却って邪魔になると気がついて、彼は客の立場に徹することにした。
 ケツァル少佐は主人だし上官なので、ソファに女王様然として座っているだけだ。テオが向かいに座ると、彼女が囁いた。

「フレータ少尉が退院して太平洋警備室に戻ったそうです。」
「早かったな。転属はまだかい?」
「事件処理が終わる頃に処分が決定します。それまでは、元の任地で勤務です。」
「フレータは国境警備隊を希望したが、ガルソン大尉とパエス中尉は村に家族がいるから転属は厳しいだろうな。」

 しかし少佐はそんな同情をしなかった。

「本部に嘘の報告を3年間続けたのです。転属は優しい方ですよ。免官や不名誉除隊もあり得るのです。もし転属になれば家族を一緒に連れて行けば良いのです。」
「ガルソンは、家族は村にいる身内が面倒を見てくれると言っていたが・・・」
「懲罰処分を受けた軍人の妻子がどんな気持ちで村で暮らしていけると思いますか?」

 テオは黙り込んだ。大統領警護隊司令部が、3年間嘘の報告を続けた太平洋警備室に対してどんな裁定を下すのか、誰にも分からない。だが、嘘を見抜けなかった本部も、いい加減だったんじゃないか、と彼は思った。
 料理がテーブルの上に並ぶと、食事が始まった。乾杯はなしだ。しかしワインは振る舞われた。みんなカーラの料理を褒め、家庭料理をじっくり味わった。

「そう言えば、ロホも指導師の資格を取っているから、厨房で修行したんだな?」

とテオが話を振ると、ギャラガがへぇっと上官を見た。

「ロホ先輩の料理をまだ食したことがありません。」
「そのうちに・・・」

とロホが話を終わらせようとすると、アスルが呟いた。

「試さない方が良いぞ、アンドレ。大尉の料理は罰ゲーム用だ。」

 何だよ、とロホが彼を睨みつけた。少佐がクスクス笑い、テオはアスルの言葉の意味を考えた。

「料理は下手なのか、ロホ?」
「人には得手不得手があります。」

 ロホはそう言いつつ、アスルにオリーブの実を投げつけた。


2022/02/13

第5部 山の街     12

  テオが毎週末の帰省からグラダ・シティに戻る時に乗車するバスがもうすぐオルガ・グランデを出発すると言うので、ケサダ教授は急いで休業中の居酒屋を出てバスターミナルへ歩き去った。テオとケツァル少佐はエル・ティティから車で来たその日にその3倍の距離をバスで戻る気分になれなかったので、再び”入り口”を探して歩いた。

「ケサダ教授はムリリョ博士に太平洋警備室の事件を伝えるかな?」

とテオが呟くと、少佐は「どうでしょう」と言った。

「今回の事件は教授が担当する仕事ではありませんし、博士にも無関係です。長老会のメンバーとして報告を受けることはあるでしょうが、事件が完結してからになるでしょう。それにサン・セレスト村で起きた事件は大統領警護隊が関わっています。”砂の民”は優先権を持ちません。」
「本部に護送されたラバル少尉は、バス事故の真相をどこまで知っているのだろう。まさか恋人の罪を一人で背負ってしまうつもりじゃないだろうな。」
「キロス中佐の記憶を内部調査班がどこまで引き出せるかで、少尉の審判の行方が変わることは確かです。ディンゴ・パジェがどこまで正直になれるかで、少尉の未来が決まるでしょう。」

 テオはサン・セレスト村で会ったホセ・ラバル少尉の顔を思い出した。無口で硬い寂しい表情をした男だったな、と思った。同性を愛するのは彼の自由だ。ただ彼は軍人で、セルバ共和国の軍隊はまだ同性愛を認めていない。上官に知られたら除隊処分になると覚悟の上でディンゴ・パジェと交際していたに違いない。そして遂に上官に見つかった時、その上官は彼に密かに恋をしていた女性だった。そこから彼等の悲劇が始まり、路線バスに乗った37人の命を奪う大惨事に発展した。そしてその事故がテオ自身の人生を変えた。
 
「何だかどっと疲れを感じた。」

 テオはグラダ大学の研究室にある冷蔵庫の中身を思い出し、気が重くなった。

「明日からアカチャ族のD N Aを分析しなきゃいけない。」
「助手に任せられないのですか?」

 彼はあくびを噛み殺した。

「そうしよう。カタラーニとガルドスにやらせて、論文の代わりにする。俺は昼寝する。」

 レンタカー屋の前に来ると、驚いたことにアスルが店から出て来た。敬礼を交わしてから、少佐が彼に尋ねた。

「サン・セレスト村は近かったのですね?」
「まぁ・・・」

 暴走族並みにスピードを出すアスルは頭を掻いて、チラッとテオを見た。

「殆ど1本道でしたから。」
「ステファン大尉は臨時指揮官を上手くこなしていましたか?」
「大丈夫だと思いますよ。ガルソン大尉とパエス中尉でしたっけ? 残っている2人のブーカ族と役割分担して3人で太平洋警備室を回しているようです。」
「オエステ・ブーカ族って言うそうだね。」

とテオは口を挟んだ。

「オルガ・グランデ周辺に住み着いたブーカ族らしい。グラダ・シティのブーカ族とどう違うのかわからないけど。」

 するとアスルはちょっと笑った。

「見た目は同じだ。グラダ・シティのブーカ族は政治にかなりの人数が関わっている。それも国政だ。セルバ共和国を動かしているのは彼等と言っても良いくらいだ。反対にオエステ・ブーカは権力闘争で負けた派閥の子孫で、農民だ。多分オルガ・グランデの市政に殆ど参加していない。オルガ・グランデはどちらかと言えば”ティエラ”の街なんだ。」

 すると少佐が部下に要請した。

「帰京しようと思いますが、”入り口”が見つかりません。一緒に探してくれます?」

 アスルが上官を見た。そしてちょっと首を傾げた。

「少佐、貴女の後ろに大きな”入り口”が開いていますが・・・」

 ケツァル少佐は傷ついたフリをした。

「知っています。でもこんな人通りの多いところで消えたり出来ませんよ。」


第5部 山の街     11

「誰もカロリス・キロスがエル・ティティでバスに乗るところを見ていないのですね?」

とケサダ教授が念を押した。

「彼女がそこでバスに乗ったと言うのは、ディンゴ・パジェと言うサスコシ族の男の口頭証言だけです。」

とケツァル少佐が認めた。

「パジェの車にキロス中佐が乗ったと言うところ迄は、中佐の”心話”による証言とパジェの口頭証言が一致しています。バスを追いかけてくれと中佐が言ったことも同じです。でもその先が、中佐の記憶にはありません。パジェは中佐がエル・ティティでバスに乗ったと口頭証言しましたが、中佐は記憶していません。」
「それなら、サスコシの男が嘘をついたのです。」

とケサダ教授は断定した。

「唯一の生存者であったドクトル・アルストは脚を折ったり、全身に打撲傷を負う大怪我をしました。 キロスは脳にダメージを受けており、その状態で無傷で転落するバスから逃れられる筈がありません。彼女はバスに乗らなかったのです。」
「では、ディンゴ・パジェは何の為にそんな嘘を・・・」

 テオは言いかけて、嫌な考えが頭を過ぎり、ゾッとした。

「バスを落としたのは、ディンゴ・パジェだった?」
「現場に他の原因がなければね。」

 教授は瓶の中の水をごくりと飲んだ。

「パジェはエル・ティティでバスに追いつけたのでしょうか? そもそもバスはエル・ティティで停車したのですか?」

 テオは考えた。前夜警察署で事故当時の資料を読んだケツァル少佐が「ノ」と言った。

「エル・ティティで停車したなら、誰かがバスから降りたか、乗ったかです。しかし犠牲者にエル・ティティの住人はいませんでした。降りてエル・ティティに到着する迄のバスの様子を証言した人もいませんでした。バスは、アスクラカンからオルガ・グランデ迄ノンストップで走っていたのです。」
「では、ディンゴ・パジェはバスを追いかけてエル・ティティを通過したのでしょう。キロスはバスの乗客に用があったので、オルガ・グランデで追いついても良かったのです。しかしパジェはそんな遠くまで行きたくないと思った筈です。」
「彼はバスを止めようとした?」
「恐らく。落とすつもりはなかったと思います。しかし、あの細い未舗装の山道で大きな車両を急停止させればどうなるか?」

 ケサダ教授がテオと少佐を見比べた。学生に質問する先生そのものだ。テオが答えた。

「急停止をかけたことによってハンドルを取られたバスは、崖から落ちた・・・」
「そんなところでしょう。火が出たので、パジェはそのままバスを焼いてしまった。彼の車が後ろを追いかけて来るのを目撃していた乗客がいたかも知れませんからね。ドクトル・アルストは運が良かったのだと思います。きっとバスが転落する際に窓から投げ出されたのです。そしてパジェの目に留まらなかった。」

 テオは泣きたくなった。本当に、ただ運が良かっただけなのか? だがどんなに考えても、それ以外に彼が助かった理由を思いつけなかった。
 ケサダ教授が少佐を見た。

「キロスはどうやって太平洋警備室に戻ったのです?」

 少佐が首を振った。

「それも彼女の記憶にありません。パジェは彼女がバスに乗ったのを見て、アスクラカンに帰ったと言ったそうです。」
「意識が混濁している人間が一人で太平洋岸に帰れる筈がありません。パジェは彼女が何も覚えていないことを確信して、通りかかった”ティエラ”を”操心”か何かで動かし、彼女を送らせたのでしょう。」
「何故彼女を殺さなかったのですか?」
「それはパジェに訊いてみないことには・・・」

 教授は苦笑してから、己の考えを述べた。

「彼の恋人のラバルは上官を死なせたと思い込んで帰ったのでしょう。だから、パジェはラバルを安心させる為に生きている中佐が必要だった。中佐は脳を損傷しているから、記憶がない。生かして帰し、ラバルに見張らせたのです。もし彼女が記憶を取り戻したら、その時に始末してしまえば良いと思ったかも知れません。」

 ケサダ教授の推理は説得力があった。テオはディンゴ・パジェがロホの忠告通りに長老の元に出頭したとは到底思えなかった。それを教授に告げると、教授は言った。

「そんな場合の為にピューマが存在するのです。」


第5部 山の街     10

  ケサダ教授はテオとケツァル少佐を1軒の居酒屋へ連れて行った。店はまだ日が高いからと言う理由ではなく、日曜日なので休業していた。教授は慣れた様子で鍵がかけられているドアを開き、2人を中に招き入れた。ブラインドを通して陽光が差し込み、屋内は明るかった。厨房に近いテーブルで年配の男性が数人カード遊びをしていたが、教授が「場所を借りる」と一言言うと、素早く立ち上がり、店の奥に姿を消した。
 少佐は彼等の関係を敢えて訊かずに、男達が使っていたテーブルの隣に腰を降ろした。それでテオも座ると、教授が厨房から冷えた水の瓶を3本持って来た。
 椅子に腰を落ち着かせると、彼はテオと少佐を見た。

「さて、何があったのか、教えて頂けるかな?」

 それでケツァル少佐が”心話”で知り得た情報を彼に伝えた。指導師の試しを終えたカルロ・ステファン大尉が太平洋警備室に派遣され、そこで指揮官カロリス・キロス中佐が心の病に罹っていることを部下達が本部に隠していることを知ったこと、ステファンの祓いを受けた中佐と部下のフレータ少尉が、同じ部下のラバル少尉によって気の爆裂で暗殺されかかったこと、ラバルは逮捕され、キロス中佐は”心話”で3年前にアスクラカンで起きたことを告白したこと。

「キロス中佐は3年前エル・ティティで起きたバス転落事故に関係していると思われる証言をしましたが、その部分の記憶だけが酷く曖昧で、実際のところ、バスに何が起きたのか判然としません。バス事故の唯一人の生き残りであるドクトル・アルストはどうしてもその部分を知りたいと思っているのです。」

 テオも言った。

「俺の記憶でその部分だけが抜け落ちて、何も思い出せません。俺はどうしても知りたい。何故37人の人々が死ななければならなかったのか、知りたいのです。」

 ケサダ教授は遠い過去の出来事を聞いている、そんな顔だった。無理もない、彼は事故に関して、全く無関係だったのだから。

「つまり、その女性中佐は部下の男性が同性の恋人と会っていた場面に遭遇し、逆上して彼等と口論になった。恋人の男が気の爆裂で彼女を打ちのめした。」
「スィ。」
「まず、それは大罪です。気の爆裂を人間に向けて使うことは禁止されています。」
「知っています。それは、サスコシ族の男の罪です。キロス中佐はもっと大きな罪を犯した可能性があります。」
「彼女はダメージを受けた脳を抱えたまま、バスに乗り込み、一族の者の血液を外国に売却した疑いのある医師に検査を受けた人間の名簿を出せと迫ったと、あなた方は考えたのですね?」
「スィ。そして医師に拒まれ、名簿を気の力で焼き払おうとした。しかし脳は傷ついていた。だから彼女は人間に火を点けてしまった・・・どうでしょう? 俺の推理はおかしいですか?」

 ケサダ教授がケツァル少佐に視線を向けた。

「キナ・クワコをその瞬間に跳ばしたりしていませんね?」
「していません。」
「ふむ・・・」

 教授はテオに視線を戻した。

「何故貴方は助かったのです?」
「俺もそれを知りたいです。」
「キロスも助かった。」
「彼女がバスに乗っていたなんて知りませんでした。昨日初めて知ったのです。それも、彼女を打ちのめしたサスコシの男が教えてくれたのです。彼女の記憶にはバスに乗ったことが残っていない様なので・・・」

 少佐が頷いた。

「キロス中佐は、ラバル少尉の恋人に車でバスを追いかけてくれと言いました。そこまでの彼女の記憶は私に読み取れました。しかし、その後のことは彼女の記憶が混沌として、どうしても読めませんでした。仕舞いには私自身が頭痛に襲われて、先に進めませんでした。」
「呪いがかかった脳の記憶など、読まない方がよろしい。」

とケサダ教授は言った。いつもの様に淡々としている。それがこの人の生来の性格なのか、それとも養父ムリリョ博士に厳しく仕込まれた結果なのか、テオにはわからなかった。ただ、彼の目の前に座っている男は、現代のセルバ共和国で生きている”ヴェルデ・シエロ”の中で最強の超能力者なのだ。その大きな力を保持していることで、彼は余裕を抱いているのかも知れない。
 暫く考え込んでいたケサダ教授が視線を上げた。

「キロスがバスに乗ったのはどの辺りでしたか?」
「エル・ティティです。」
「誰か彼女がバスに乗るのを目撃しましたか?」
「それはロホがサスコシの男ディンゴ・パジェから証言を取りました。」
「”心話”で?」

 え?とテオは返事に窮した。ロホからの報告にもギャラガからの報告にも、そこのところは口頭になっていた。いや、ディンゴ・パジェは個人情報を洗いざらい知られるのを嫌って、全て口頭で証言したのだ。
 ケツァル少佐もそれを思い出し、いきなり彼女は不機嫌になった。

「私の部下達は詰めの甘い人間ばかりです。」

と彼女は悔やんだ。ケサダ教授は教え子達の失敗を無視した。元より文化保護担当部の捜査は非公式で彼等が土曜日の軍事訓練として独自に行ったものだ。少佐が「失礼」と断って、店舗の隅っこへ行った。そこで電話を出して、誰かにかけた。恐らくロホかギャラガに尋問方法の確認をとっているのだ。
 テオは溜め息をついた。真相に近づきそうになると逃げられる、そんなことの繰り返しに思えた。
 教授が彼に尋ねた。

「昨日病院にいたと言うピューマに貴方は顔を見られましたか?」
「見られていないと思いますが、確信出来ません。」

 そしてテオの方からも尋ねた。

「貴方は”目”や”耳”から今回の事件を何も聞いていらっしゃらないのですね?」

 すると教授は苦笑した。

「私はこの街ではそんな手下を持っていません。」
「では、さっきのミラネスと言う人は?」
「彼は市役所の職員です。西部地方の遺跡を発掘する時に、うちの学生達に色々と世話を焼いてくれる親切なお役人ですよ。」

 多分、ムリリョ博士の”目”か”耳”なのだ、とテオは思ったが、それ以上突っ込むのは止めた。
 少佐がテーブルに戻って来た。

「ロホに、本部へ報告する際に、口頭での証言であると必ず付け足すよう注意しておきました。」

 教授が笑った。

「証言を取ったと聞くと、すぐに”心話”で得た情報だと思い込む、一族全体の悪い癖だ。」

 少佐が赤くなった。

第5部 山の街     9

 「先刻のセニョール・ミラネスは、貴方の”目”か”耳”ですね?」

とケツァル少佐が尋ねた。ケサダ教授は微笑を浮かべたが肯定も否定もしなかった。彼は着替えた繋ぎを入れたらしいリュックサックを肩にかけ、テオと少佐を眺めた。

「まさか、遺跡を見学に来たと言う訳ではないですね?」

 少佐が傷ついたふりをした。

「私はこれでも考古学を学んだ人間ですよ、教授。新発見の遺跡の近くへ来たら、見たくなるのは当たり前でしょう。」

 テオも頷いて見せた。

「俺が見に行こうって彼女を誘ったんです。」
「だが、オルガ・グランデに来た本当の目的は別でしょう。」

 ケサダ教授が歩き出したので、2人は付いて行った。薄暗い教会から外に出ると陽光が眩しかった。少佐が大股で歩く彼の横に並び、早口で言った。

「昨日、陸軍病院でピューマと出会しました。」
「そうですか。」

 教授は動じなかった。無関係だと言いたげに歩き続けた。少佐が珍しく彼に揺さぶりをかけようとした。

「彼は仕事をしくじった様です。大統領警護隊内部調査班と鉢合わせして、一悶着あった様です。」
「内部調査班?」

 教授が歩調を全く崩さずに彼女を振り返った。

「大統領警護隊の内部で何か失態がありましたか?」

 テオは普段通りのケサダ教授のポーカーフェースに少し苛っときた。

「大罪人に尋問しようとして、彼は失敗したんですよ。そこに内部調査班が来た。」
「大罪人とは、穏やかではないですね。」
「ええ、大統領警護隊は絶対に真相を外部に知られたくないでしょう。」
「でもピューマの耳に入っています。彼はどれほどの大罪なのか、理解しているでしょうか。」

 不意に教授が立ち止まったので、少佐とテオは勢いで数歩前に進んでしまった。振り返ると、教授が尋ねた。

「あなた方は私に何を求めているのです?」


第5部 山の街     8

 ”入り口”がありそうな場所を探しながら、前日の早朝に出て来た場所に向かって歩いていると、ケツァル少佐がふと足を止めた。”入り口”を見つけたかと思って、テオも足を止めた。

「見つけたかい?」
「スィ。でも別の物です。」

 少佐が民家の屋根の向こうに見えている塔を指差した。

「教会です。サン・マルコ教会ですよ、床下に遺跡がある・・・」
「ああ、あそこか。」

 アンゲルス鉱石が坑道拡張工事をしていてぶち当たった遺跡がある場所だ。文化保護担当部の指揮官であるケツァル少佐の好奇心が疼いた様だ。テオはそれを敏感に感じ取り、提案してみた。

「時間がありそうだから、ちょっと覗いてみようか?」

 2人は大きく迂回する曲がった道路を歩いて行き、大して大きくもない教会に15分後には行き着いた。オルガ・グランデにはもっと大きな大聖堂があり、そこは観光客も訪れることがあるのだが、サン・マルコ教会は無名に近く、観光マップにも載っていなかった。教会の前は大概広場だったり、道路の幅が広く取ってあるものだ。サン・マルコ教会の前も道路が広くなっていた。しかし屋台などは出ておらず、土産物屋もなかった。靴屋や革製品の加工所が数軒看板を出していたが、日曜日なので閉まっていた。
 教会の扉は少し開いていたので、簡単に中に入れた。木製の長椅子が正面の祭壇に向かって並び、中央の通路の中ほどに男性が一人立っていた。カーキ色のジャンパーの下にTシャツを着込み、腰から下はデニムパンツにスニーカーを履いた中年の男性で、床石を剥がして口を開けている穴を覗き込んでいたが、テオ達が入ると振り返った。
 テオは声を掛けた。

「ブエノス・タルデス!」
「ブエノス・タルデス。」

 男も挨拶を返した。彼の足元に小さな看板が立てかけてあった。

 地下遺跡調査中

 それを見て、ケツァル少佐が緑の鳥の徽章を出して彼に見せた。

「大統領警護隊文化保護担当部のミゲール少佐です。新しく発見された遺跡を見に来ました。」

 すると男性がポケットに入れていたストラップ付きのI Dカードを出した。

「オルガ・グランデ市役所の文化財保護課のミラネスです。以後お見知り置きを。」

 それでテオも名乗った。

「グラダ大学生物学部で准教授をしているアルストです。ミゲール少佐に誘われて遺跡を見に来ました。もしミイラの遺伝子を調べたければ、私の研究室にご依頼下さい。」

 ミラネスが微笑した。

「恐らくここにいるミイラは全員オルガ族の神官だと思います。もし不審なミイラがあれば検査をお願いします。」

 少佐とテオは穴のそばへ近づいた。階段が地下へ降りていた。小さな裸電球がラインに繋がれて3つばかり、階段の周辺を照らしていた。穴の深さは 10メートルはあるだろうか。遺体を置く岩棚は穴から見えなかった。

「不審なミイラと言えば・・・」

とミラネスが言った。

「ここが発見された時に、墓泥棒のミイラがありました。」
「知っています。私の研究室で荷解きしました。」

 おや、とミラネスがテオを見て笑った。

「それじゃ、教授が仰っていた遺伝子学者と言うのは、貴方でしたか。」

 教授? とテオが聞き返すと、ミラネスが穴の底に向かって怒鳴った。

「グラダ・シティからお友達が来られていますよ、教授!」

 ケツァル少佐が両手を頭の上に置いた。まさか恩師が来ているとは・・・。そんな顔だった。
 返事がなかったが、穴の底に人間の頭が見えた。ライト付きのヘルメットを被った男性で、上をチラリと見上げて、階段を登って来た。
 フィデル・ケサダ教授だった。普通の人間の様にヘッドライトを装着してヘルメットを被り、動き易い様に繋ぎの服を着ていた。彼は客を見て、ブエノス・タルデスと挨拶した。そしてミラネスを振り返った。

「見学は終わった。後片付けをしておくから、君は帰ってもよろしい。日曜日に駆り出してすまなかった。」

 ミラネスは微笑して、教授に挨拶し、テオと少佐にも笑顔で別れを告げると教会から出て行った。
 ケサダ教授は穴の下の照明の電源を切り、床石を元に戻した。テオも手伝いながら尋ねた。

「”シエロ”のミイラは混ざっていなかったのですね?」

 ケサダ教授が彼を見て、微笑した。

「幸いにね。」

 床石がきちんと穴を塞ぐと、教授は「地下遺跡調査中」の看板を抱えて教会の奥へ運んで行った。
 少佐が床石を眺めた。他の箇所の石と変わらない。目印らしきものが付いていないので、祭壇からの石の数で入り口を探さなければならないのだろう。この入り口を見つけたのは、市役所の文化財保護課のお手柄だ。
 繋ぎを脱いで手と顔を洗ったケサダ教授が戻って来たのは10分以上後だった。

第5部 山の街     7

  ブリサ・フレータ少尉の病室には女性が一人見舞いに来ていた。少尉とよく似た顔で、姉妹だとわかった。少尉が彼女を姉だと紹介し、ケツァル少佐とドクトル・アルストだと彼女に紹介してくれた。妹の上官だと知った女性は、気を利かせてロビーの売店に行ってくると言って部屋を出て行った。
 フレータ少尉はまだ頬にガーゼを貼っていたが、前日より血色が良くなり、ベッドの上に起き上がっていた。”ヴェルデ・シエロ”らしく回復が早いのだ。

「気分はいかがですか?」

と少佐が尋ねると、「ビエン(良いです)」と答えた。そして訊かれる前に言った。

「昨晩、内部調査班が来ました。」
「どんなことを訊かれましたか?」
「最初に私の体調を気遣ってくれて、それから爆発事故当時のことを訊かれました。最後はキロス中佐とラバル少尉の仲はどうだったかと・・・私には昨日貴女にお話したこと以外に話すことはありませんでした。」

 テオが尋ねた。

「君は太平洋警備室に配属されてから、ずっと厨房で勤務していたのだろう? 食事はいつも中佐とラバル少尉と3人一緒だったよね?」
「スィ。」
「2人の食事の時の様子に変化はなかったかい? 3年前に突然中佐の様子が変わってしまう前と後で・・・」

 フレータ少尉が考えこんだ。

「あの2人は普段、あまり会話をしなくて・・・どちらも私には世間話などで話しかけてくれましたが、中佐とラバル少尉が話をする時はいつも仕事で生じた問題ばかりでした。3年前の中佐の突然の異変から後は、中佐が殆ど口を利かなくなり、目もどこを見ているのかぼんやりした状態で、ラバル少尉も私も見えていない感じでした。」
「3年間ずっと?」
「スィ。あ、でも・・・女の私には時々話しかけてくれました。料理の出来具合の感想や、厨房の設備の具合や、村の出来事とか・・・昔通りでした。」
「他の部下達には?」
「ガルソン大尉には、副官ですから、時々指示を出されました。本当に時々です。まるで思い出したかのように。後はずっと沈黙して座っているだけでした。」
「食事の時のラバル少尉には?」
「殆ど無視でした。少尉も中佐が危ないことをしないように見張るだけで・・・。」
「危ないこと?」
「熱湯が入った薬缶を触ったり、包丁の置き場に近づかないように・・・」
「ああ、そう言うこと。」

 ラバル少尉は恋人が中佐に致命傷を与えてしまったと思い込み、一足先に勤務場所に戻った。しかし中佐は生きていて、脳に受けたダメージで朦朧とした状態のまま帰ってきた。少尉は恋人と連絡を取って、中佐を監視していたのだろう。指導師の祓いを受けていない中佐が正気に帰る可能性は低いと踏んで。そして幸いなことに副官のガルソン大尉が中佐の異常を本部に隠してしまった。少尉は適当な時期を見計らって大統領警護隊を去り、恋人とどこかへ行くつもりだったのではないか。しかし、本部は3年も経ってから太平洋警備室の異常を察知して、指導師のカルロ・ステファン大尉を送り込んで来た。そこからラバル少尉の計画は崩れたに違いない。
 
「内部調査班は貴女の処遇について何か言いませんでしたか?」

 ケツァル少佐がフレータ少尉の将来を気遣って尋ねた。フレータ少尉が寂しそうに笑った。

「退役年齢まで少尉のまま、サン・セレスト村の厨房で勤務するか、国境警備隊の厨房で勤務するか選ぶように言われました。もしくは、退役して故郷に帰るか・・・」

 ケツァル少佐はちょっと考えた。そして言った。

「私は貴女にどれを選べとは言えません。ただ、国境警備隊の厨房係は、捕らえた密入国者の食事の世話もしなければならないので忙しいですよ。隊員も大統領警護隊だけではなく、陸軍国境警備班の合同編成ですから、太平洋警備室に比べると大所帯です。」

 するとテオには意外に思えたが、フレータ少尉の目が明るく輝いた。

「国境警備隊に行かせてもらえるのでしたら、そちらが良いです。」

 閉塞的な太平洋警備室よりマシだと思えるのだろう。ケツァル少佐が微笑んだ。

「次に本部の人が来たら、そう告げなさい。昇級は望めないかも知れませんが、新しい出会いがあるかも知れません。」
「グラシャス、少佐!」

 別れを告げて部屋を出ようとして、テオはふと思いついた質問をしてみた。

「少尉、君はカイナ族だったね。カイナ族にカノと言う家族はいるかい?」
「カノですか?」

 フレータ少尉はちょっと首を傾げ、数秒後に何か思い出して首を振った。

「古い家系ですね。もう離散して、いませんが。」
「離散した?」
「スィ。植民地時代に白人の血がかなり入ってしまった家系で、セルバ共和国が独立した時にカイナ族の他の家系から仲間外れの様な仕打ちを受けたために、オルガ・グランデから離れて東へ移って行ったと聞いています。」
「それじゃ、カノ家には早くから白人の血が流れていたんだね?」
「そう聞いています。」
「グラダ・シティにカノ家の子孫がいてもおかしくない?」
「寧ろ、そちらの方が生き易いのではないでしょうか。白人の血が入ると気の制御が難しくなります。”ティエラ”になって生きていく方が幸せな人生を送れると思いますよ。」

  フレータに別れを告げて、テオとケツァル少佐は病室を出た。階段を下りながら少佐が囁いた。

「アンドレの白人の血はかなり昔からのものの様ですね。」
「うん。彼の父親が本当に白人だったのか、ちょっと怪しくなってきたな。」




第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...