2022/03/09

第6部 水中遺跡   15

  テオが大学に戻り、キャンパス内を歩いて自然科学学舎に向かっていると、反対側の人文学舎から男性が一人出て来た。Tシャツにデニムパンツのラフな服装だったのですぐにはわからなかったが、考古学部のハイメ・ンゲマ准教授だと気がついた。フィデル・ケサダ教授の弟子でヴェルデ・ティエラのメスティーソだが、顔つきは純血種の先住民に近かった。普段キチンとしたスーツ姿で、昼休みは大学のカフェではなく自宅から弁当持参が多いと聞いていたし、実際のところテオはこの人とあまり出会ったことがなかった。見かける時はンゲマ准教授は大概ケサダ教授かムリリョ博士と一緒だった。珍しい普段着姿だったのは、オクタカス遺跡の出土品整理の手伝いをしていたのだろう。だから彼が近くに来た時、テオは挨拶がてら質問してみた。

「オクタカスの出土品はかなりの量の様ですね。」

 ンゲマ准教授が立ち止まって、「スィ」と答えた。

「有力者の住居跡と思われる箇所からかなりの日用品が出たそうです。数が多いので、もしかするとムリリョ博士がフランスへ持ち出す許可を出すかも知れません。」
「それは珍しい。」
「スィ。フランス人達は張り切っています。セルバの出土品を母国へ持って帰った例はまだありませんからね。」

 ヴェルデ・シエロの秘密に抵触しない壺程度なのだろうが、ムリリョ博士のお墨付きがあれば、堂々と国外へ持ち出せる。

「ところで、」

とンゲマ准教授がテオを見た。

「ドクトル・アルスト、貴方は最近クエバ・ネグラに行かれたそうですね。」
「スィ。街の名前の由来になっている洞窟でトカゲを採取しました。」
「海中遺跡の話を耳にされたことは?」
「モンタルボ教授にお会いして少しだけ話を聞きましたが、街では噂にも聞きませんでした。」

 するとンゲマ准教授が近づいて来て、囁いた。

「奇妙な電話が昨日かかって来まして、クエバ・ネグラの海の宝物について何か知らないか、と訊かれました。」
「相手は?」
「名乗りませんでした。私が知らないと答えるとすぐ切れました。」

 それでテオはモンタルボ教授も同様の電話を受けた話を語った。ンゲマ准教授は不快な表情を見せた。

「何者かが、海の底に関心を抱いている様です。グラダ大学は水中遺跡の研究をしてませんが、モンタルボ教授が心配です。あの人はまだ諦めていないでしょうから。」
「そうですね。」

 テオは、ンゲマ准教授が師匠のケサダ教授かムリリョ博士にその電話の話をしたのだろうか、と考えたが、尋ねなかった。准教授の判断に任せるしかない。


第6部 水中遺跡   14

  テオが危惧したサメから出た遺体のD N A検査依頼は来なかった。恐らく憲兵隊は、放置自動車から車泥棒の身元を探す手がかりを何も見つけられなかったのだ。サメから出て来た遺体は身元不明のまま、クエバ・ネグラの郊外にある教会墓地に埋葬された。
 セルバ共和国沿岸警備隊はクエバ・ネグラ沖でサメを数匹駆除したが、全部捕獲する訳でもなく、1週間も経つと住民の関心は薄れ、忘れられていった。
 オクタカス遺跡発掘隊の撤収が本格化して、グラダ大学に出土品や貸し出した発掘道具の返却など様々な荷物が送られて来始めた。フランス隊の世話をしたンゲマ准教授は大忙しだ。3日目には考古学者達と発掘に参加していた学生達が首都に戻って来た。考古学部が賑やかになった。発掘に参加しなかった学生や教授陣も一緒になって出土品の仕分けや記録作成の手伝いをしていた。
 大統領文化保護担当部の監視当番だったマハルダ・デネロス少尉も3ヶ月ぶりに帰還した。実際は”空間通路”を使って何度か帰って来て備品調達や休憩をしていたのだが、正式に帰って来た。撤収の監督をしたアスルも一緒だった。
 テオは久しぶりにデネロスに出会って、彼女がすっかり大人びていることに感心した。まず容姿が変わった。以前はセルバ美人と呼ばれるぽっちゃり顔に近かったが、顎の線が細くなり、きゅっと締まった顔つきになっていた。欧米のファッションモデルにも通用しそうな美女に変身していたのだ。全く化粧気がないのに、艶々と輝いていた。目つきも鋭くなった。ケツァル少佐を少し若くした感じだ。

「ジャングルでの任務は君にピッタリだった様だね。」

とテオが揶揄うと、えへへと笑った。そこはマハルダちゃんのまんまだ。

「体の奥にあった太古の血が騒いじゃって、楽しかったんですぅ。」

 アスルが横目で彼女を見た。

「出土品をちょろまかそうとした作業員を5人も摘発して、発掘隊から鬼の様に恐れられたんだぞ。」

 ケツァル少佐があははと笑った。

「見た目が可愛いからと言って、甘く考えましたね。いきなり引っ掻かれてさぞや痛い目に遭ったでしょうね。」

 マハルダは首都の空気をグッと吸って、「ああ、排気ガスの臭い!」と呟いた。

「報告書はいつまでに揚げると良いですか、少佐?」
「今週中です。」
「ええ、あと1日?」

 4階の職員全員からドッと笑いが起きた。テオも一緒に笑った。彼はその時、偶々学生の留学手続きの為に3階を訪問して、用事が済んで4階に来ていたのだ。
 デネロスがいそいそと机の前に座った。報告を文書化しなければならない。
 アスルがギャラガから留守中の業務報告を”心話”で受けた。ついでに焼きそばの報告も受けたらしい。彼はボソッと言った。

「俺は作ったことがない。今夜用事がなければ、その店に案内しろ。」

 後輩が作る前に自分が先に作り方をマスターしておきたいアスルだ。ギャラガが「承知」と答えた。アスルが外食なら、テオは自炊しなければならない。だから彼は横から割り込んだ。

「あの店に行くなら、俺も加えてくれ。」
「何の話です?」

 耳聡くデネロスが振り返った。食べ物の話は決して聞き逃さない。仕方がない、とケツァル少佐が苦笑した。

「マハルダのお帰りなさいパーティーでもしますか?」

 ロホが悲しそうな顔をした。

「今夜、グラシエラと会う約束をしています。」

 少佐がテオを見た。テオがグラシエラも連れて来れば、と言いかけると、少佐が先に言った。

「では、貴方は今夜別行動ですね。」
「すみません。」

 ロホはデネロスに向かって、「すまん」と謝った。テオは少佐に小声で尋ねた。

「どうしてグラシエラは駄目なんだ?」

 すると少佐も小声で答えた。

「マハルダにイェンテ・グラダ村の報告もしてもらうので・・・」

 50年前に住民全滅作戦が行われた村の遺構だ。デネロスはその悲劇の場所へ行って、ヘロニモ・クチャの幽霊がもう現れなくなったことを確認に行ったのだった。グラシエラは先祖の悲劇を何も教えられていない。少佐も兄のカルロ・ステファン大尉も、母親のカタリナも、末っ子の彼女には悲しい家族の歴史を教えたくないのだった。ロホはイェンテ・グラダ村跡に行ったことがない。だからグラシエラとあの村の話をせずに済む。

第6部 水中遺跡   13

  地元民にとって大事な物・・・それがチャールズ・アンダーソンや謎の電話の主が探している物なのか?
 テオはモンタバル教授が何か危険なことに巻き込まれそうな不安を感じた。もしかすると発掘許可が出ない方が教授とサン・レオカディオ大学にとって良いのではないか。
 発掘装備と水中活動装備、それにサメ対策とモンタバル教授の考古学部には課題が多い様だ。
 食事が済むと、教授は全員の食事代を払うと言ったが、ケツァル少佐はキッパリと拒否した。公務員として民間人から利益供与を受けられないと彼女は言った。

「もし貴方がここでお支払いされると、私達は貴方に今後一切の発掘許可を出せなくなります。」

 そこまで言われると、教授も仕方なく引き下がるしかなかった。食事代は大皿から取り分けて食べた料理と同じように全員で均等に分担した。(但し、一番格下のギャラガの食事代を少佐が払ったことをテオは知っていた。)
 モンタバル教授と別れて、テオと大統領警護隊の3人はショッピングモールの中をぶらぶら歩いた。平日なので、そろそろ衣料品店などは店仕舞いしてシャッターを下ろし始めていた。少佐の養母の宝飾店がある区画へ行くかとテオは期待したが、そちらへは足を向けなかった。宝石や高級ブランドの衣料品店は食物の匂いがするのを嫌うので、ちょっと遠い場所に出店している。少佐はそこまでわざわざ行く価値を見出さなかったのだ。元よりブランド品には興味のない女性だ。開いている雑貨店などを冷やかしながら、彼等は駐車場に向かった。

「中国料理はいかがでしたか?」

と少佐が不意に質問した。テオは美味かったと答え、ロホも同意した。

「中国では医食同源と言って、食べ物も薬と言う考え方があるそうですよ。」
「そうなんですか。」

 指導師の資格を持っているので、少佐とロホは漢方の話を始めた。まだ若いギャラガはちょっと蚊帳の外だ。テオに、文化・教育省がある商店街にテイクアウト専門の中華料理店がありますよと話しかけた。テオは首を振った。

「あの店はお薦めしないな。中華を食べたければ、大学の学食で食べた方が良い。安いし、学生向けの味付けの物を作っている。唐揚げとか、エビチリとか・・・」
「今夜の焼きそばが気に入りました。」

 テオは笑った。

「食材店で材料を買って、ネットで作り方を検索しろよ。俺の家の台所を貸してやる。アスルに作ってもらうのも良いかもな。」

 ギャラガが悩ましげな顔になった。彼はアスル先輩が好きなのだが、アスルは気まぐれで無愛想だ。だからギャラガはちょっと苦手意識もあった。頼み事をしてもあっさり拒否されることが少なくないのだ。それにテオの家の台所はアスルの縄張りと言う認識をギャラガは持っていた。
 車に乗り込み、街に出た。テオは隣のロホに尋ねた。

「グラダ大学はクエバ・ネグラ沖の水中遺跡に興味がないのか?」
「水中遺跡を研究している学者がいませんから。」

とロホは答えた。

「主任教授、2人の教授、2人の准教授、それに大学院生の講師1人がいますが、全員地上遺跡の研究者です。」
「船は苦手なのかな?」
「船が、と言うより、地震で沈んだとされる街がヴェルデ・ティエラの街だったので、興味がないのでしょう。ンゲマ准教授が興味を抱くかと思ったのですが、彼はフランスの大学が発掘を希望している遺跡の方に関心があって、クエバ・ネグラに無関心です。」
「ああ・・・オクタカスやアンティオワカ辺りか。」
「スィ。海底遺跡は以前イギリス人が興味を持ちましたが、結局壺が10個ばかり出ただけで、生活の痕跡や祭祀跡がなかったのです。ですからグラダ大学に海に潜る人はいません。」

 ギャラガが「泳ぐのは好きですが、潜水はね・・・」と囁いた。あくび混じりだったので、少佐が運転しながら笑った。

「アンドレ、もうお眠ですか。」
「すみません、満腹で瞼が落ちて来そうです。」
「あと少しです、頑張りなさい。」

 少佐はベンツを大統領警護隊本部の正門前に停めた。ギャラガはリュックを手に取り、助手席から外へ滑るように降り立ち、上官とテオに敬礼した。そしてくるりと体の向きを変え、門に向かって走り去った。

2022/03/08

第6部 水中遺跡   12

 「今夜来ていただいたのは、もし資金調達の目処が付いたら、申請からどれぐらいの時間で発掘許可を出していただけるか、お聞きしたかったのです。」

 モンタルボ教授はなんとか食べた物を逃さずに済んだ。テーブルに向き直り、非礼を詫びてから、そう言った。

「申請時期がいつかで、待機時間が変わります。」

とギャラガが申請受付係として言った。

「先ず、ハリケーンのシーズン前であれば、シーズンが終わるまで許可は出せません。危険だとわかっていて海に出る許可を出せませんから。それに地上遺跡と違って水中遺跡は発掘隊の準備状況の報告も必要です。許可を出したのに、これから装備を整えます、と言うのであれば、発掘シーズンが終わってしまいますから。」

 彼は御託を並べてから、締めくくった。

「取り敢えず雨季が始まる頃に予算を組んで申請を出して下さい。そしてハード面での準備を雨季の間に整えられることです。お話を伺うと助成金給付を希望されている様ですから、文化財遺跡担当課が再度の準備調査と給付検討を行う筈です。」

 彼は上官達を見た。テオは彼が”心話”で許可の合否が出る期間を質問したな、と見当をつけた。ギャラガはモンタルボ教授に視線を戻した。

「許可の合否が出るのは早くて2ヶ月後です。雨季が終わる前になりますから、そちらの準備期間は十分だと思います。」
「やはり文化財遺跡担当課が先ですか?」
「スィ。あちらが審査して通った書類を我々が再吟味するのです。」
「海でも護衛をつけていただけるのですか? 海賊とかサメとかから守っていただけますか?」
「海上の護衛は陸軍水上部隊か沿岸警備隊が行います。大統領警護隊は担当外です。」

 ロホが付け足した。

「港であなた方が水中から引き揚げる出土品をチェックします。それが我々の仕事です。」

 テオはあまり馴染みのない考古学教授に尋ねた。

「俺は今朝クエバ・ネグラから帰って来たばかりですが、現地の人に聞いたところでは、あの海域はサメが多いそうです。貴方が潜られた時はどうでしたか? サメはいましたか?」
「小さいのを2、3匹見ましたが、害はないと思いました。しかし、先ほどの写真・・・」
「馬鹿でかいサメが釣れて、その腹から出てきた犠牲者です。地元でも大騒ぎでした。」

 テオは大統領警護隊の友人達を見た。

「あっちじゃ、サメを守護者と呼ぶそうだよ。」
「普通は言いませんよ。」

とロホが不愉快そうに言った。

「もし本当にそう呼ばれているのなら、そこに何か地元民にとって大事な物があるから、と言う意味でしょう。」

 確かにそうだ。セルバで”守護者”と呼ばれるのは古代の神様ヴェルデ・シエロか、その僕と考えられている大統領警護隊のことだ。



第6部 水中遺跡   11

 「まず、会議の前にモンタルボ教授を訪ねて来た男性は、水中活動での機材を提供すると言ったのですね?」
「スィ。お金の具体的な話を向こうが始める前に私が断ってしまったので、彼から聞いたのは装備品やダイバーの調達と言った人材やハードウェアの話だけです。」
「会議の後でかかってきた電話の主は、クエバ・ネグラ沖に黄金を積んだ沈没船の言い伝えはないか、と訊きました。」

 ケツァル少佐がテオ、ロホ、ギャラガを見た。テオが言った。

「同じ人物ではなさそうだが、恐らくチャールズ・アンダーソンとか言う男も沈没船を探しているんじゃないか?」
「しかし、何故私なんです?」

とモンタルボ教授が不安そうに呟いた。

「私達が発掘許可を得たとしましょう。そこへやって来て、手を貸すと申し出て来るのであれば、筋が通りそうです。でも私はただの考古学者で、ほんの数ヶ月前にあの海に潜って岩棚を見つけたんです。新聞記事にならなかったし、町の噂にもなっていない発見を、どこで聞きつけたんです? 私があの海に関心を持っていることすら、知っている人間はいないでしょうに。」
「貴方があの海に関心を持っていると知った人間がいたのでしょう。」

とロホが言った。

「アンダーソンとか言う人物は資金を持っている。だが目立ちたくない。彼自身が関心を寄せた海域に偶然考古学者が潜って何かを見つけた。だから彼は貴方の発掘隊を隠れ蓑に別の何かを探したいのでは?」
「すると電話の主は別のトレジャーハンターで、ライバルのアンダーソンが潜りそうな海を探って先手を打とうとしている?」

とギャラガが推測を述べた。彼はちょっと面白がっている雰囲気だ。

「すると、海岸に放置されていた車だが・・・」

 テオが言うと、彼は早速店へ来る途中の車内で検索したものを再び出してきた。

「車に乗ってきた人間が海に潜っていたら、サメが来て食っちまったんですね。」

 え? とモンタルボ教授が怪訝な表情になった。彼の前に、ギャラガが遠慮なく無惨な遺骸の画像を突き出した。野次馬が撮影したものを早速S N Sにアップしたのだ。
 ウグッと声をたて、モンタルボ教授が後ろを向いた。慌てて紙ナプキンで口元を抑えた。テオは画像を見なかったが、少佐とロホは平然としていた。マナーだなんだと言う割にヴェルデ・シエロはこう言うところに鈍感だ。

「放置自動車の主、と言うか、盗難車だったらしいから、車泥棒なんだろうけど、そいつがサメに食われたのかどうか、調べなきゃな。」

 すると、少佐が嫌なことを言った。

「車内に残された泥棒のD N Aと、サメから出た死体のD N Aを比較すれば、判明出来るでしょう。」


第6部 水中遺跡   10

 「それなのですが・・・」

 モンタルボ教授はテーブルの周囲を用心深く見回した。そして再び大統領警護隊の方を向いた。

「先日の会議の前日に、スポンサーになりたいと言う人が現れまして・・・」
「会議の前?」

 ロホが顔を顰めた。それなら教授はそれを会議で言えば良かったのでは?と思ったのだ。しかし教授がそれを会議で明かさなかったのには理由があった。

「外国の企業で、アンビシャス・カンパニーと言う、聞いたこともない会社でした。」

 モンタルボ教授は携帯を出して検索結果を表示して見せた。テオが覗くと、「チャレンジ精神旺盛な研究者に資金援助して科学・文化の発展に貢献することを目的とした・・・云々」と企業案内が書かれていた。つまり、何が本当の目的なのかわからない会社だ。

「カルロス・・・つまり、チャールズでしょうが、その、チャールズ・アンダーソンと言う男が代表だと言う会社が、私に潜水用具や船やダイバーを調達してくれると言ったのです。あまりにも奇妙なので、彼等の目的は何かと私は訊いたのです。するとアンダーソンは、発掘作業を映像に撮って、それを元にトレジャーハンターをテーマにした映画を作るのだと言いました。」
「俄に信じ難い話だ。」

と思わずテオは呟いた。モンタルボ教授は首を振った。

「そうでしょう? 私は、あの海域に宝を積んだ船でも沈んでいて、それを探しているんじゃないかと疑ってしまいました。それで、援助の申し出は有り難いが、先に国の発掘許可を取らないといけないので、その時点での承諾は出来ないと断りました。」
「向こうはあっさり引き下がったのですか?」
「ええ・・・この話はなかったことにして、誰にも言わないでくれ、と言って去って行きました。」
「その人は大学に貴方を訪ねて来たのですか?」

とこれはケツァル少佐。モンタルボ教授は頷いた。彼は茶色の高そうな上質の革の鞄から、名刺入れを出し、ちょっと探してからアンダーソンなる人物からもらった名刺を出した。それを受け取って、少佐はもう一度、教授の携帯の画面を見た。

「テオ、記憶してもらえます?」

 モンタルボ教授には奇妙な要請に聞こえただろうが、テオは電話番号や住所を記憶するなら朝飯前だ。チャールズ・アンダーソンとアンビシャス・カンパニーの電話番号と住所を記憶した。一応、自分の携帯のメモリーにメモもしておいたが。
 少佐が尋ねた。

「その接触は一回きりでしたか?」
「スィ。しかし、今度は別のところから会議の後で電話がありまして・・・」
「別のところ?」
「今度の電話は名乗らないで、クエバ・ネグラ沖で黄金を積んだ船が沈んでいると言う言い伝えはないか、と言うものでした。」

 モンタルボ教授は肩をすくめた。

「そんな問い合わせは、クエバ・ネグラの誰かに訊けば良いことでしょう? 私の大学は海から離れた町にあるんですよ。私だって、南部の出身で、クエバ・ネグラは研究の為に通っているだけです。何故私にそんなことを訊いて来たのでしょう?」

 テオ達が考えや感想を述べる暇もなくモンタルボ教授は続けた。

「そして昨日の朝ですよ、クエバ・ネグラの国境警備隊から電話がかかって来たんです。海岸に車が放置されているが、私か大学関係者が使ったのではないか、とね。なんで私達がそんなことをするんです? 私が海へ行って遺跡を見つけた時は、私の車を使いました。水中の遺跡の確認して写真を撮った時は、うちの学部の仲間全員で行って、大学の車を使ったんです。バスを使ったんです。ワゴン車なんて知りません。だから私はその電話をかけて来た国境警備隊の兵隊に言いました。私達の車はちゃんと大学にある、海岸にある車はトレジャーハンターのものじゃないかってね。」

 そこで料理が運ばれて来た。教授は一旦お喋りを止め、ケツァル少佐が「食べましょう」と言った。箸とフォークが出されていたが、ヴェルデ・シエロの男達は少佐が箸を使うのを見て、すぐに使い方を覚えてしまった。中国料理を指定したモンタルボ教授は意外にもフォークを使っていた。テオも箸の使い方を遠い記憶から引き出した。
 鶏肉の甘酢餡掛けは、ロホとギャラガにとっては初めての味だったらしい。若者らしく勢いよく肉の唐揚げを口に入れたギャラガは、酢にむせて咳き込んだ。ロホは用心深く齧って、それから気に入ったのか、せっせと箸を動かした。
 最後の炒飯を食べてしまう前に少佐はデザートにマンゴーシャーベットをオーダーした。そして教授に言った。

「私はヨーロッパでも中国料理を食べましたが、母国の店のレベルはそんなに高くないと思っていました。恐らく最初に入った店のレベルが低かったのでしょう。私は中国料理に対する侮辱だと思い、それ以来母国で中国料理を出す店に入ったことがありませんでした。でもこのお店の料理はとても美味しかったです。良いお店を教えていただきました。感謝します。」
「この店の料理長は本物の中国人なのです。私もうちの学長に教えられて気に入ったのです。喜んでもらえて、私も嬉しいです。」

 デザートを待ちながら、少佐が箸を置いて、「さて」と言った。モンタルボ教授が食事が始まる前に語った奇妙な客や電話の話だ。


2022/03/07

第6部 水中遺跡   9

  一向が到着したのはグラダ・シティで一番大きなショッピングモールの駐車場だった。平日の夜だが飲食店が集まっている区画はこれからが稼ぎ時だ。広い通路にテーブルや椅子を出して客を呼び込んでいる。
 ケツァル少佐を先頭に大統領警護隊文化保護担当部とテオドール・アルストは人の波をかき分けながら歩いて行った。やがて中国料理の店の前で少佐が足を止めた。ロホが、これから彼女が落ち合う人が誰だかわかったらしく、ああ、と呟いた。テオは誰だと訊きたかったが、少佐からの紹介を待つことにした。
 少佐に気がついたのか、中年の男性が立ち上がった。

「急な呼び出しに応じていただいて、感謝します。」

と彼が言った。そして少佐の後ろに立っている男達を見た。少佐が紹介した。

「マルティネス大尉はご存知ですね?」
「スィ。先日の会議でお目にかかりました。」

 ロホは無表情で相手を見た。少佐はロホの後ろに控えていたギャラガに「前へ」と合図した。ギャラガがロホの横に立った。少佐が紹介した。

「ギャラガ少尉です。まだ私たちの部署での経験は浅いですが、行動力は上官にも負けません。」

 ギャラガは照れ臭かったが、ロホを見習って真面目な顔で立ち続けた。
 テオは少佐の部下ではないので、自分からギャラガの横に立った。少佐がどんな紹介をしてくれるのか、とちょっと不安を感じたが、少佐は真面目に相手に彼を紹介した。

「こちらはグラダ大学生物学部遺伝子工学科のアルスト准教授です。今日の昼過ぎにクエバ・ネグラから戻られたところです。」
「クエバ・ネグラから!」

 男性は薄い生地のスーツに明るい色合いのネクタイをしていた。服装は上品だし、値も張りそうだった。少佐が彼女の連れ達に彼を紹介した。

「サン・レオカディオ大学の考古学教授リカルド・モンタルボ氏です。」
「よろしく。」

 モンタルボが挨拶したので、テオも応じた。ただ、文化系の大学であるサン・レオカディオ大学に馴染みがなかったので、モンタルボ教授がどんな考古学を研究しているのかわからなかった。ムリリョ博士のように文献に残らない遺跡を探して歩いているのか、ケサダ教授の様に古代の交易ルートを研究しているのか、ンゲマ准教授のようにヴェルデ・ティエラ台頭後の熱帯雨林の遺跡専門なのか、そう言う情報が私立の大学からテオのような理系科学を研究している学者には入ってこないのだ。
 モンタルボが少佐と男達に着席を促した。会見前に食事だ。テオは中国料理が嫌いでなかったが、セルバ共和国に来てからはあまり縁がなかった。大統領警護隊の友人達がセルバ料理ばかり食べさせてくれるので、他の文化の料理を食べる機会がなかったのだ。
 少佐がメニューを眺めた。彼女は海外にも出かけることがあるので、中国料理は慣れている。しかしすぐにメニューを部下に渡してしまった。ロホはメニューを見て、困った表情になり、テオに見せた。メニューはスペイン語で書かれていたので、食材と料理法はわかるのだが、味付けがわからない。だからロホは困ったのだ。テオはアメリカ時代の記憶を頼りに、これはチリ味、これは甘酸っぱい味、これは塩味、と教えていった。横から眺めていたギャラガが痺れを切らして、指差した。

「鶏肉と豚肉、それに卵のスープ、米。」

 料理法も味付けも無視だ。それでテオは鶏肉を揚げて甘酢餡をかけたもの、豚肉を蒸して甘辛いソースをかけたもの、卵スープ、炒飯を選んだ。少佐に目で承諾を求めると、彼女が頷いた。そしてオーダーを追加した。焼きそばだ。モンタルボも野菜炒めを追加して、やっとビールで乾杯に漕ぎ着けた。

「今夜お呼び立てしたのは、他でもありません、クエバ・ネグラ沖の水中遺跡調査の件です。」

とモンタルボが料理を待つ間に切り出した。ロホが彼を見た。先日の会議で助成金給付を却下した案件だ。予算見積もりを出さなければ助成金の検討がつかないし、発掘許可も出せない。そう文化財遺跡担当課が宣告した案件だった。考古学者が、己が発見した遺跡にこだわるのは理解出来る。調査するなと言っているのではない。計画的に調査に取り掛からなければ、いつまで経っても終わらないし、事故にもなりかねない。特に水中遺跡は地上遺跡に比較にならないほど危険なのだ。お粗末な装備で貴重な遺跡を触って欲しくなかった。だから、彼は上官よりも先に口を開いた。

「文化財遺跡担当課を納得させられる資金計画の目処が立ったのですか?」

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...