2022/03/15

第6部 訪問者    6

  テオが週末をエル・ティティで過ごし、月曜日の午前にグラダ・シティに戻ると、自宅に客がいた。同居人のアスルは仕事に行っているから、客は無断で入っていたのだ。テオが居間に入るとソファの上でだらしなく手足を伸ばして眠りこけていた。床に大きなリュックサックが置かれていて、微かに潮の匂いがした。テオは午後から大学に出るつもりだったので、荷物を寝室に放り込み、シャワーを浴びた。さっぱりして居間に戻ると、客が目を覚まして起き上がっていた。互いに「Bienvenido de nuevo」と挨拶を交わした。

「これから昼飯に行くけど、一緒に来るかい?」

とテオが声をかけると、カルロ・ステファン大尉は「お供します」と言って、己の荷物を持ち上げた。2人でテオの車に乗り込んだ。
 昼食は途中で見つけた店で取った。テオは人員が入れ替わった太平洋警備室の様子を聞いてみた。ステファンは肩をすくめた。

「本部から派遣されて来た連中です。指揮官以下全部で6人。やっと地理とアカチャ族と港湾労働者達に慣れてきたところですよ。本部にいた時は市民と接する機会があまりなかったですが、外の仕事ではそうもいきません。私は新しい指揮官のコリア中佐に積極的に村民と交流した方が良いと進言しました。」
「聞いてくれたかい?」
「コリア中佐はグラダ・シティのブーカ族です。彼が連れて来た部下達も東部出身者ばかりで、西海岸地方の気候風土が珍しいのでしょう、オフィスの外の巡回が面白くて仕方がない様子でした。」
「それじゃ、村民や陸軍水上部隊、沿岸警備隊、港湾労働者達と接する機会が多いだろうな。」
「スィ。私のアドバイスは不要だったと思います。それに2名女性隊員がいて、早速センディーノ医師と親しくなっていました。」
「厨房は?」
「指揮官以外の全員で順番に担当しています。ですから私はハラールを教えておきました。」

 閉塞的だった大統領警護隊太平洋警備室は隊員全員が入れ替わり、雰囲気がすっかり変わったようだ。テオは少し安心して、ガルソン中尉が警備班車両部にいることを伝えた。ステファン大尉がちょっと困った表情になった。

「車両部ですか。すると遊撃班が外へ出動する時は顔を合わせますね。」
「気まずいかい? 現在の太平洋警備室の様子を教えてやれば、彼も少し安心するんじゃないか? それにフレータ少尉は南部国境で勤務している。電話で話した時、新しい職場の仕事が楽しいと言っていた。パエス少尉も北部国境で元気に働いているところに出会った。話をする時間は殆どなかったけど、クエバ・ネグラの検問所オフィスにいる。それからキロス中佐は退役して子供に体操を教える仕事を始めたそうだ。健康を取り戻して元気にしている。」

 それでステファン大尉も安堵の表情になった。

「彼等がどうなったのか、本部は教えてくれませんから、貴方の報告で安心しました。ガルソンの家族が村から出て行ったことは知っています。」
「彼の家族はトゥパム地区に住まいを見つけて引っ越して来ている。ガルソンは家族持ちなので2週間に1日休日を貰えて、家族と一緒に過ごしているって。」

 ステファン大尉がちょっと拗ねた表情になった。

「それは、私に当て擦りですか?」
「カタリナとグラシエラに会いに行っていないのか?」
「お袋には電話をしていました。残りの3ヶ月の厨房勤めが終われば、休暇をもらえるので、その時に実家で暢んびりさせてもらいます。」
「それじゃ安心だ。俺の気掛かりはパエスの家族だ。まだ村にいるのか?」
「彼は少尉に降格でしたね。給料も下げられた筈です。家族を養うのは厳しい。彼の子供は妻の連れ子でしたから、妻の実家が子供を引き取って、妻だけ夫と共に村を出たそうです。それ以上のことは私も知りません。」

 現実はパエス少尉には厳しかったようだ。ガルソンだって給料を下げられただろう。本部に嘘をついた3年間の代償は大きかった。
 食事を終えて店を出ると、テオは大統領警護隊本部へステファンを送って行った。大尉が文化保護担当部の面々は元気ですか、と訊いたので、全員元気だと答えた。ふと悪戯心が出て、ポケットに入れていた香水の小瓶を出した。

「ちょっと嗅いでみてくれないか?」

 ステファン大尉が怪訝な顔をして小瓶を受け取り、蓋を取った。途端にクシャミをした。

「何ですか、この強烈な・・・ハックション!」

 テオは蓋を閉めろと言い、ジャガーがアレルギーを起こすブタクサの香水だと説明した。ステファンが怒ったふりをした。

「変な物を買わないで下さい。」


第6部 訪問者    5

  Ambrosia artemisiifolia と書かれたラベルをフィデル・ケサダ教授が険しい目付きで見つめているので、テオは苦笑した。

「焼畑農耕民がジャガーの襲撃を避ける為の苦肉の策として、北米のブタクサを移植した様です。毒ではありませんが、花粉が飛散するシーズンになるとアメリカでもアレルギー症状で悩む人口が増えます。」
「するとヴェルデ・シエロでなくてもクシャミが出るのですね?」
「スィ。北米では珍しくない季節的な病気です。香水の成分になるような香りはありませんが、薬効はあるみたいです。」

 小瓶の底に溜まると言うより付着していると表現した方が良い微量な物質を嫌らしそうに見ながら、ケサダ教授は小瓶をカフェのテーブルの上に置いた。

「どんなルートでその小間物屋の先祖が手に入れたのか知りませんが、私は出土物の中にその植物の種が入っていないことを願います。」
「交易で齎されたと言うより、何かの荷物に種が付着して運ばれて来たのでしょう。」

 テオは小瓶をポケットに仕舞った。まだ研究室に香水が残っているが、処分を決めかねていた。量が少ない割に高かったので、捨てる決心がついていなかった。

「兎に角、人体に毒となる物でないことは確かです。」

と彼が締めくくった時、ケサダ教授を呼ぶ声が近づいて来た。テオとケサダ教授が同時にその方向を見ると、ンゲマ准教授がやって来るのが見えた。年齢は教授の方が5歳ほど上だと聞いているが、ンゲマ准教授の方が年嵩に見えた。体型と顔つきが実年齢より老けて見える原因だろうとテオは思った。
 ンゲマ准教授はテーブルのそばに来ると、テオに挨拶をしてから、恩師に向き直った。

「サン・レオカディオ大学のモンタルボが早速船を出したそうです。なんでも、雨季明けから調査に入る範囲を決めておく為だとかで、遺跡には触らずに水中から建造物の撮影をすると言っているそうです。」
「それで君は何を慌てているのだ?」

 水中遺跡に興味がない教授が落ち着いた声で尋ねると、ンゲマ准教授は焦ったそうに言った。

「かなりの人数の撮影隊を引き連れているそうです。映画を撮るとかなんとか・・・」
「好きにさせておけば良い。」
「もしあの海中遺跡が本当にカラコルだったら、私立大学に調査されるなんて、悔しいじゃないですか!」

 テオとケサダ教授はンゲマ准教授の汗ばんだ顔を見上げた。思わずテオは声をかけた。

「貴方はカラコルを見つけたかったんですか?」

 ンゲマ准教授はドキッとした。ちょっと退いたが、それが彼の本音を代弁していた。ケサダ教授が弟子の気持ちを察した。

「未発見の伝説の街を見つけるのは、考古学者の夢ですよ、ドクトル・アルスト。ハイメは伝承を頼りにジャングルを歩き回るが、まだ大きな発見をしていない。しかし、海は専門外なのだから、傍観者に徹した方が良いな。」

 宥めてやんわり叱っている。ハイメ・ンゲマに自分が追い求める物を最後まで諦めるなと注意したのだ。ンゲマ准教授はメディアが大きく取り上げる私立大学の活躍が悔しいのだろう。テオは彼の気持ちを切り替えさせようと質問した。

「貴方は何を探していらっしゃるのです?」

 ンゲマ准教授が溜め息をついてから答えた。

「サラの完璧な遺構です。」

 サラとは、先住民が裁判に使用した洞窟だ。天然もしくは人口的な洞窟をほぼ完全な円形に整え、天井中央に穴を開ける。罪人をその穴の下に立たせ、上から石を落とす。罪人が無傷なら無罪、死んだり怪我をすれば有罪とした、昔の裁判方法だ。但し、これは石を罪人に直撃させるのではなく、罪人は天井の穴から少しだけ離れた場所に立たされる。石が落下した衝撃で飛散する石の破片での傷を見て、判決を下すので、「風の刃の審判」と呼ばれる古代セルバ独特の裁判方法だ。尤もこれはヴェルデ・ティエラの裁判で、ヴェルデ・シエロのやり方ではない。サラと呼ばれるその円形洞窟は裁判のために天井に穴を穿つ。その為に使用されなくなったら天井部分の崩落が起こり、現代それが完璧に残る遺跡がまだ発見されていないのだ。オクタカス遺跡でテオはその完璧な遺跡を目撃したのだが、ある事件で天井を塞いでいた石が落とされてしまい、穴が開いてしまった。雨季が迫っており、サラの底に溜まったコウモリの汚物から外の遺跡を保護するために、大統領警護隊はサラの円形部分を爆破して人為的に崩落させてしまったのだ。ンゲマ准教授はその報告を受けた時泣いて悔しがったと言う話が、グラダ大学考古学部の新しい歴史の1ページに書き加えられたのだ。

「見つかると良いですね。」

 とテオは准教授を慰めた。

「俺もオクタカスでせめて写真を撮っておけば良かったと後悔しています。」

 ンゲマ准教授が首を振った。

「貴方は落盤事故で危うく大怪我をなさるところだったのでしょう。写真なんて撮っていたら、命を失っているところでしたよ、きっと。」

 いや、もっと余裕があった、とテオは思ったが、言葉に出さなかった。何もかもお見通しと言う風情のケサダ教授は、弟子に囁いた。

「カブラロカは行ったのか?」

 ンゲマ准教授が、ハッとした表情になった。

「あそこはまだ未調査で・・・」
「雨季明けに行ってみなさい。小さな遺跡だが、メサがすぐ背後にある。オクタカスと配置が似ている。」

 ンゲマ准教授は頷き、テオに挨拶して人文学舎の方向へ歩き去った。

「彼は焦っていますね。」

とテオが言うと、教授は苦笑した。

「彼が出席した審議会で申請却下した案件が生き返って動き出したからでしょう。それに対して彼が肩入れしてきたフランス隊は最近不祥事続きだ。モンタルボに嫉妬しているのです。」


 

第6部 訪問者    4

  小間物屋の名前はペケニャ・カンシオン・デ・アモール(小さな恋の歌)と言った。いかにも女性が好みそうな色彩豊かで可愛らしい装飾品や衣装が狭い店内にぎっしりと展示されていた。店主は30代半ばのメスティーソの女性で、地元の学生らしい若い女性グループの接客に忙しそうだった。
 テオは彼女に声をかけ、店内を覗いてみた。香水は奥のガラス張りの小さなショーケースの中に小瓶で販売されていた。6種類あって名前がついているが、ベアトリス・レンドイロ記者が付けていた銘柄は紫色の小瓶に入っていた。値段はコーヒー10杯分だ。
 店主が声をかけて来た。

「何をお探しですか?」

 テオは店の外に立っているケツァル少佐とデネロス少尉を見た。

「友達に贈り物をと思って、香水を選んでいるんだが、どんな香りかテスティング出来るのかな?」
 
 すると店主はそばにやって来て、ショーケースの後ろからテスティング用のスプレイを6本出してきた。そこから選ぶように、と言ってまた先客グループのところへ戻った。
 テオは少佐達を手招きして、サンプルを見せた。

「試してみるかい?」

 少佐がスプレイの1本を手に取り、何もしないで噴出口に鼻を近づけた。そしてすぐに顔から遠ざけた。テオは彼女が可愛らしいクシャミをするのを初めて見た。デネロスが別のスプレイを手にした。彼女は何も感じなかったので、スプレイを空中に一押しした。シトロンの様な爽やかな香りが漂った。少佐もそれは反応しなかった。香りが消える頃に3本目を試し、それも2人は反応しなかった。結局5本は何も起こらず、最初のスプレイをデネロスが最後に試し、やはり彼女もクシャミをした。テオはショーケースを見た。間違いなく紫色の小瓶の香水だ。
  店主が戻ってきた。

「お気に召すものがありましたか?」

 テオは紫色の小瓶を指差した。

「これはどんな成分を使っていますか?」

 店主がニヤリと笑った。

「企業秘密ですわ、セニョール。」

 まぁ、そう言うだろう。テオはアンブロシアと名付けられたその小瓶を1本購入した。
小瓶を小さな可愛らしい箱に入れながら店主が囁いた。

「これは神様を見つける香水なんですよ。」

 テオとケツァル少佐は顔を見合わせた。デネロスは平静を装って黙って立っていた。

「神様を見つけるって・・・」
「私の母方の先祖は南部のジャングルで焼畑をしていた部族なんです。時々ジャングルにジャガーが出没して人や山羊を襲うので、ある種の植物を畑の周囲に植えたそうです。ジャガーはその草自体は平気なのですが、花粉に反応してクシャミをするのですって。だから隠れていてもクシャミで存在がわかるので、ジャガーを見つける草、つまり神様を見つける草と先祖は呼んでいたそうです。」
「その植物の成分がこの香水に入っているのですか?」
「色々な成分を混ぜて作っていますけど、代表してその草の特徴を売りにしています。神様を見つけられたら、幸福が来るじゃないですか。」

 小間物屋を出て、テオとケツァル少佐、デネロス少尉は飲食店街に向かって歩いた。デネロスは最後に噴射した香水アンブロシアの影響がまだ鼻に残っており、ハンカチで顔を押さえていた。

「あんな強烈なものだとは思いませんでした。ケサダ教授が悩まれたのも納得です。」
「恐らく、クシャミが出た学生達も先祖にヴェルデ・シエロが混ざっているんだろう。」

 テオは、ブタクサだよ、と少佐に囁いた。少佐はなんとも言えない情けない表情をして見せて、彼を笑わせた。

「まさかブタクサで神を見分けるとは想像もつきませんでした。」
「農民の知恵だな。勿論畑に出没したのは本物のジャガーだったんだろうけど・・・」

 君達の体質はかなりジャガーに近いんだな、とテオは心の中で思った。デネロスが提案した。

「敵が一族の末裔だったら、この香水を使った武器で撃退出来ませんか?」
「止しなさい、しくじると自滅しますよ。」

 テオは香水の香りが漂う戦場を想像して苦笑した。

「買ってはみたものの、分析して残った香水は捨てるしかないな。」


2022/03/14

第6部 訪問者    3

  夕刻。テオは早めに大学を出て文化・教育省の駐車場に車を置いた。定時に省庁が閉まり、職員達がゾロゾロビルから出て来た。ケツァル少佐は珍しくデネロス少尉と共に階段を下りて来て、彼女も同伴して良いかと訊いた。悪い訳がない。少佐がベンツを使うと言ったので、テオは後から出て来たアスルに己の車のキーを預けた。今日は男の部下は連れて行かないつもりの少佐が、アスルに微笑んで見せた。アスルはギャラガに声をかけ、2人でテオの車に乗り込んだ。最後に出て来たロホがアスルと視線を交わしたので、テオは男の部下3人で何処かへ行くのだろうと予想した。
 ベンツの助手席にテオが座ると、デネロスが後部席に乗り込んだ。

「小間物屋で研究用サンプルを購入って、何の研究なんです?」

とデネロスが車が動き出してすぐに質問した。テオは隠す必要がなかったので、正直に答えた。

「今朝大学に客が来たんだが、その人が強烈な匂いの香水を身に付けていたんだ。俺は匂いがきついと思った程度だったが、以前同じ人がケサダ教授を訪問したことがあって、その時教授と学生数人がクシャミが止まらなくなって困ったことがあった。」

 少佐が運転しながら、ああ、と呟いた。ロホがケサダ教授のクシャミから強大な気の衝撃波を感じ取った話を思い出したのだ。デネロスがまた尋ねた。

「クシャミって、その香水が原因なんですか?」
「それしか原因を思いつかないって教授が言っていたからね。」
「その香水をこれから買いに行くんですね?」
「スィ。」
「それだけなら少佐を誘わなくても・・・」

とデネロスが言いかけた。テオは素早く彼女を遮った。

「その客が大統領警護隊文化保護担当部の隊員と会いたがっているんだ。それに昼に現れた別の人物もやはり君達に繋ぎをつけて欲しいと言ってきた。」
「2組の客ですか?」

 と少佐。テオは「スィ」と答えた。

「どちらもクエバ・ネグラ沖の海中遺跡発掘の現場を取材したいと言うんだ。モンタルボ教授に話を持って行ったら、大統領警護隊の許可をもらえと言われたそうだ。」
「モンタルボ教授は念願の発掘許可を部外者に台無しにされたくないのでしょう。」
「誰なんです、その人達? 香水をつけていたのは女の人ですよね?」

 それでテオはシエンシア・ディアリア誌のベアトリス・レンドイロ記者とアンビシャス・カンパニーと言うPR動画制作会社のチャールズ・アンダーソンと名乗るアメリカ人の話を語った。

「シエンシア・ディアリア? どんな雑誌なんですか?」
「俺も知らない。ショッピングモールに書店があるだろうから、探してみよう。 それに、もう一つ気になることがあるんだ。」

 テオはチャールズ・アンダーソンがテオの元に先客があったことを知った時に警戒した様子だったことも語った。アイヴァン・ロイドと言う名前をアンダーソンが出したと言うと、少佐が首を傾げた。

「モンタルボ教授の元に電話を掛けて来て、クエバ・ネグラ沖に宝物が沈んでいると言う話はないかと訊いた人物かも知れませんね。」
「俺もそう思う。だけど、何故カラコルの遺跡にそんなに注目が集まるんだ? 沈没船や財宝の伝説でもあるのかい?」
「そんなものはありません。」

 少佐が速攻で否定した。

「カラコルは外国との貿易で栄え、地震で突然海に沈んだ街、と言う伝説が残っているだけです。実在した街だと言う物証はまだ見つかっていないのです。ですからモンタルボ教授はカラコルの実在を証明しようと躍起になっている訳です。」
「カラコルは実在したのかい?」

 テオの質問に少佐はすぐに答えず、デネロスも戸惑った。

「実在が証明されていない場所としか言いようがありません。」

と少尉は言った。

「モンタルボ教授は海の底が平らなので、人工的な道路か建築物の一部だと考えているのです。彼が考えている通りの物であれば、比定地としてカラコルであろうと言うことになります。出土物があって、それがカラコルの物と決定されれば、その場所がカラコルと特定されるでしょう。」
「何がカラコルの物だって印になるんだい? カタツムリ(カラコル)の絵でも描いてあるのかな?」
「それはスペイン語でしょう。セルバのティエラの古い言葉でカラコルは『筒の上』と言う意味です。」

 デネロスの説明にテオは「変なの」と呟いた。

「筒の上なんて名前の街だったのか? 地下が空洞にでもなっていたのか?」

 すると少佐が呟いた。

「そうだったのかも知れませんね。」


第6部 訪問者    2

  レンドイロ記者が帰った後、テオは彼女が教えてくれた香水の銘柄を検索してみた。すると扱っている店は1店舗だけで、グラダ・シティ最大のショッピングモールにある小間物屋だとわかった。所謂香水専門店とか、高級化粧品店ではないのだ。恐らく個人で製造して販売しているのだろう。口コミは両極に分かれており、薔薇に似た香りが素晴らしいと言う評価と、匂いがドギツイので希釈した方が良いと言う意見が2件だけ入っていた。
 テオはケツァル少佐にメールを送った。

ーーグラダ・ショッピングセンターで研究用サンプルを購入したい。もし今夜時間があれば一緒に行ってくれないか? 女性用小間物店で扱っている品物だ。

 少佐の返答は、

ーーいいけど・・・?????

 恐らく、「研究用サンプル」とは何か、と言う意味だろう。テオは説明は省いて「いつもの時間に」とだけ返信した。
 昼休みに、カフェで昼食を取っていると、またもや来客があった。

「失礼ですが、テオドール・アルスト准教授でしょうか?」

 男性が声を掛けてきた。白いソフト帽を被った白人の中年男性で、薄い生地のジャケットに同じ生地のボトムを履いていた。髭は綺麗に剃ってあり、丈夫そうな帆布の鞄を持っていた。テオが「そうです」と答えると、男は帽子を脱いだ。

「アンビシャス・カンパニーのチャールズ・アンダーソンと申します。」

 彼は英語で喋った。テオが元アメリカ人だと承知しているらしい。テオが黙っていると、彼は名刺を出した。

「私どもの会社はP R動画を制作してネットで配信し、広告料を頂いています。今回、セルバ共和国北部のクエバ・ネグラ沖で伝説の古代都市が発見され、発掘調査が開始されると聞きました。私どもは以前にもその調査を指揮されるサン・レオカディオ大学のモンタルボ教授に水中での発掘調査の様子を映画に撮らせて頂きたいと申し出たのですが、その時点では発掘許可が降りていないと言う理由で教授に断られました。ですが、我が社は既に潜水用具や船をチャーターする会社と契約を結んでおりまして、どうしてもこの度の調査に同行させていただいて撮影したいのです。」
「それではモンタルボ教授にもう一度頼んでみては?」
「教授には連絡しました。すると大統領警護隊文化保護担当部の許可がなければ同行取材は許されないと言う返答でした。ですから・・・」

 テオは相手の言いたいことがわかった。

「俺がミゲール少佐やマルティネス大尉と親しいので、顔つなぎして欲しいと?」
「その通りです。」

 アンダーソンが嬉しそうな顔をした。

「大統領警護隊はいきなり訪問しても門前払いを食らわせると評判でして・・・特に我々の様な外国人には面会すらしてくれないと聞いています。どうか、先生から口を利いて頂けないでしょうか? 勿論、お礼は弾みます。」

 テオは眉を顰めた。お金で動く人間と見られたのか? 彼は言った。

「謝礼など要りません。話すだけなら引き受けましょう。この手の要請をもらったのは、今日貴方で2人目です。」

 え? と言う顔をアンダーソンがして見せた。目が鋭く光った、とテオは思った。アンダーソンが尋ねた。

「それは、アイヴァン・ロイドですか?」

 今度はテオが、え? と言う顔をした。

「違いますよ。地元の雑誌記者です。」
「そうですか・・・」

 アンダーソンが心なしか安堵した様子だった。テオは彼から名刺を預かり、アンダーソンはすぐに大学から去って行った。


第6部 訪問者    1

  テオドール・アルストが授業を終えてホワイトボードの文字を消していると、事務員が教室に入って来た。来客があるがこの場所に通しても良いか、と訊くので、テオは教室を次の科目の講師の為に空けなければならないのでカフェで会う、と告げた。事務員は客にカフェへ行くよう伝えると言った。

「ベアトリス・レンドイロと言うジャーナリストです。黄色のスカーフを首に巻いていますよ。」

 テオはその客の名前に聞き覚えがあるような気がしたが、どこでその名を見たのか聞いたのか思い出せなかった。事務員は大きなクシャミをして、教室を出て行った。
 教室を片付けてから、テオはカフェへ行った。昼食にはまだ時間が早く、カフェにいるのは授業の予習をしている学生達ばかりだった。
 鮮やかな黄色のスカーフを首に巻いた白人と思われる女性が座っていた。薄い緑色のサングラスをかけていたが、テオが声をかけると眼鏡を外して立ち上がった。

「シエンシア・ディアリア誌のレンドイロです。有名な遺伝子学者のアルスト准教授にお目に書かれて光栄です。」

 テオはその雑誌を読んだことがなかったが、名前は知っていた。そしてレンドイロの全身から漂う香水の香りが強いことにちょっと退いた。握手をして、着席を促し、2人は向かい合って座った。

「今日はどの様な御用件でしょう?」
「アルスト先生のご専門ではないので、お気を悪くなさらないよう願いますが、」

とレンドイロが切り出した。

「サン・レオカディオ大学考古学部がクエバ・ネグラ沖の海中遺跡発掘の許可を取ったことはご存知ですね? 先生は大統領警護隊文化保護担当部の隊員達と親交がおありだと伺っております。」
「彼等とは親しい友人です。サン・レオカディオ大学のモンタルボ教授とも顔見知りです。それが何か?」
「発掘作業の取材をしたいのですが、モンタルボ教授は大統領警護隊の許可がなければ取材の為の同行を認めないと仰るのです。」

 つまり、テオからケツァル少佐に顔つなぎして欲しいと言うことか。それにしても・・・

「発掘作業に同行すると言うことは、貴女も海に潜られるのですか?」
「スィ。ダイビングは得意です。素潜り漁の漁師の密着取材の経験があります。取材の協力金も微々ながら支払います。どうかミゲール少佐に許可を頂けるよう、先生からお願いして頂けませんか?」

 媚びるような目つきでレンドイロが見つめてきた。多分、彼女は美人なのだろう。魅力的と見る男性も多いのだろう。しかしテオは先住民やメスティーソの女性の方が好みで、彼女には魅力を感じなかった。少なくとも、彼女の色気で心が揺らぐことはなかった。
 彼女が名刺を出した。出版社名と彼女の名前が書かれていた。肩書きは編集長だ。テオはその名刺と同じものを見た記憶があった。

「もしかして、貴女は以前ここの考古学部を訪問されたことがありましたか?」
「スィ!」

 レンドイロが元気良く答えた。

「ケサダ教授に面会しました。あの時は、遺跡取材の許可を頂けましたが、教授とお会いしたのはあの面会の時だけで、その後の相手をしてくれたのは学生や助手だけでしたわ。」

 彼女が笑った。テオも笑った。ケサダ教授はあの時、クシャミに悩まされた。客の香水にアレルギー反応が出たのだ。テオは彼女に尋ねた。

「素敵な香りの香水ですが、なんという銘柄ですか?」

 するとレンドイロは聞いたことのないマイナーなブランド名を教えてくれた。テオはそれを記憶した。後で分析して教授のアレルギーの原因を突き止めてやろう。

「少佐には話しておきましょう。しかし、許可が出る保障はありませんよ。」


第6部 水中遺跡   25

   ヴェルデ・シエロの一部族マスケゴは人口が少なく、純血種を保っている家系はほんの5家族しかいない。他は別の部族との婚姻で部族間ミックスが進んでおり、ヴェルデ・ティエラとの間に生まれた子孫の数の方が彼等より遥かに多いのが現状だ。それ故、マスケゴ族の純血至上主義者は部族間ミックスの存在に関しては煩く言わない。現実主義者なのだ。
 マスケゴ族は昔から建築関係を主に司どって来た。技術者集団だったのだ。だからセルバがスペインの統治下に入った時も、スペイン人に使われて都市の建設に従事した。時代が進み、ヨーロッパの植民地支配が揺るぎ始めた頃になると、マスケゴ族は得意の”操心”を用いて雇い主である企業の経営陣に少しずつ食い込んでいった。そしてセルバ共和国独立と共に会社を乗っ取ってしまった。現在セルバ共和国に基盤を置く大手建設会社3社はそれぞれ経営者がマスケゴ系のセルバ人であり、そのうちのロカ・エテルナ社は純血種のマスケゴ族が経営していた。
 スペイン人の創業者から経営権を奪い取ったその名もロカ・デ・ムリリョは会社をより大きく成長させた。彼は子がなかったので、甥に跡を継がせようとした。ところが彼の実妹の息子で彼の唯一人の甥ファルゴは古代建築を学ぶうちに考古学にのめり込んでしまい、結局ロカはファルゴの長男アブラーンを教育して経営権を渡し、この世を去った。
 アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは若いうちから経営者としての才能を発揮させ、父ファルゴが考古学にのめり込んで費やしてしまった財産を立て直し、一家をマスケゴ族の有力者の座に戻した。だから彼の兄弟姉妹、一人の実弟と3人の姉妹達は彼に逆らわないし、末の妹の夫で父親が故郷のオルガ・グランデから拾って来て育てた義理の弟も彼に忠実だ。
 アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは義理の弟が己よりも強い能力を持っていることを少年時代に既に察していた。実弟や姉妹達はわからない様だったが、フィデルは幼いながらに上手に己の能力を隠していた。それはつまり、ママコナと赤ん坊の頃から自在に意思疎通が出来たことを意味しており、そんなことが出来るヴェルデ・シエロは純血種でも限られた能力者だけだった。
 フィデルがムリリョ家に来て間もなく”オルガ・グランデの戦い”が始まった。逃亡した純血のグラダ族シュカワラスキ・マナと一族の戦いだった。その時、アブラーンは父親が母親と話しているのを偶然立ち聞きしてしまった。父親はある疑問を抱いたことを母親に打ち明けたのだ。
ーー何故ママコナはあれが純血種であることを一族に打ち明けないのか?
 アブラーンはシュカワラスキ・マナのことかと思ったが、そうでもないらしい。母親がこう答えたのだ。
ーーママコナはあの子の母親の希望を受け入れ、あの子がマスケゴとして生きることを承諾なさったのでしょう。
 アブラーンは悟った。彼等の家で育てられている男の子は純血のグラダなのだ、と。何故ママコナが彼の母親が言った言葉通りに考えたのか、その当時少年だったアブラーンは理解出来なかった。しかし彼を兄と慕ってくるフィデルを守らなければと言う思いは確かなものだった。ママコナの希望の真意を悟ったのは、父親に家督を譲られた際に”心話”で伝えられた一族の”汚点”からだった。皆殺しにされたミックスのグラダ系の村の生き残りが産んだ子供。村を殲滅させたのは、”砂の民”だ。そして父もその一員だった。決して口外してはならない父の秘密だった。父親は自ら爆弾を懐に抱えて生きていた。もしフィデルが全てを知って激昂すれば、家族全員、悪くすれば都市一つ滅ぼされてしまう。アブラーンはそれを想像した時戦慄を覚えた。
 しかし、成年式で全てを知ったフィデルは一族の決定を許した。それよりも彼自身にもっと深刻な悩みが生じたからだ。アブラーンは彼に約束した。
ーー一生お前を守ってやる。だからお前も我ら家族を守れ。
 フィデルは義理の兄に約束を守ると誓った。そして力の強さを奢ることなく、養ってくれた家族に忠実に仕えている。
 サン・レオカディオ大学考古学部がクエバ・ネグラ沖の海中遺跡発掘の許可を取ったとフィデル・ケサダが報告した時、アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは心穏やかでなかった。フィデルも大統領警護隊も知らないことだが、あの海に沈んだヴェルデ・ティエラの街には構造上ある秘密があった。それは建築技術者集団マスケゴ族の旧家家長にのみ伝えられている秘密だ。ファルゴはフィデルにも次男にもそれを教えず、掟を守ってアブラーンにのみ伝えていた。カラコルの街が沈んだ時、その秘密も崩壊した筈だ。しかしそれを証明するものがなかった。もしその秘密がまだ生きていて、モンタルボがそれを見つけてしまうとどうなるのだろう。ヴェルデ・シエロの秘密を守る為に”砂の民”の活動を長老会に依頼しなければならないのか。それとも一族にとって無害なのか。
 アブラーンはさりげない風を装って義弟に尋ねてみた。

「お前の研究室ではその遺跡を調べないのか?」

 フィデルは「ノ」と答えた。

「海中遺跡は私の研究室の専門外です。それにカラコルは私の研究テーマの陸路の交易ルートから外れています。」

 父親の専門はミイラで水に入らない。融通の利かぬ考古学者どもめ、と心の中で悪態をつきながら、アブラーンはモンタルボ教授の発掘隊に潜入させる人員を探し始めた。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...