2022/03/19

第6部 訪問者    13

  ケツァル少佐とギャラガ少尉は町の名前の由来となった「黒い洞窟」クエバ・ネグラがある黒い岩だらけの丘の頂上へ登った。徒歩だったので、てっぺんに着いた時は既にお昼になっていた。2人共汗ぐっしょりだったが、気にせずに岩の上に上って海を見下ろした。
 海中遺跡があると言われているポイントは、楕円形のお盆をそのまま水中に沈めたような形に見えた。岬の形に海底が盛り上がってお盆の縁を形成している。内側が深くなって丘の上から見ると真っ青な池が海の中にあるかの様に見えた。昨日モンタルボ教授の一行があの中で潜って海底を撮影したのだ。

「凹んじゃってますね。」

とギャラガが素直な感想を述べた。環礁の様にも見えるが盆の縁の外側もそれほど深くなさそうだ。礁の部分は浅いのだろう。だからあまり漁師が近づかない。船底を引っかけそうな水深なのかも知れない。

「自然現象だと思いますか? それとも誰かが力を加えて凹ませたと思いますか?」

 少佐の問いかけに、ギャラガは額に手を翳して海面を見つめた。

「自然現象でしたら、あんな風にシンメトリーに凹んだりしないでしょう。」

 彼は指で空中に線を描いた。

「珊瑚礁が成長しているので近くで見るとわからないと思います。しかしここから見ると、窪んだ部分は縦長の八角形です。真ん中に線を引けば綺麗に左右対称になります。」

 少佐も目を細めて陽光に煌めく海面を見つめた。そしてギャラガが見て取った海底の形状を彼女も見た。確かに、と彼女は彼の発見を認めた。

「人工的に形成された場所に見えます。すると一つ疑問が浮かびます。地震であんなに綺麗に壊れるでしょうか。或いは、気の爆裂を用いて、あの様な形に町を沈めることが出来たでしょうか。」
「カラコルの元の意味を考えると、町の建設段階で何か地下に大きな空洞を造ったか、それとも故意に空洞の上に町を築いたと推測されます。モンタルボも古代の言語の意味を研究している筈ですし、この丘の上から海を見て、あの不自然に綺麗な海底の形状に気がついてカラコルの実在を確信したのでしょう。カラコルは”ティエラ”の町だったそうですが、一番最初にあの位置に町を築いたのは何者でしょうか。」

 ギャラガの言葉にケツァル少佐は視線を海から部下に向けた。

「今回の強奪事件は宝探しの争いではなく、もっと古い時代に原因がありそうですね。」

 ギャラガが頭を掻いた。

「それを調べるのは難しそうですね。グラダ大学の考古学部は海の遺跡に興味を持たないし、もしかすると海の遺跡を禁忌の場所にしているのかも知れません。」

 少佐が溜め息をついた。

「またムリリョ博士が何か隠していると言うことですか・・・」
「あの方はセルバの生き字引です。でも決して全てを教えて下さることはありません。」
「禁忌なら、決して教えて頂けないでしょうね。」

 少佐は街並みを見下ろした。ギャラガが尋ねた。

「銃弾を呼ぶように、撮影機材を呼べませんか?」

 彼女が吹き出した。

「そんなことをしたら、住民が腰を抜かします。」

 でも、と彼女は笑い顔を消して、また町を見た。

「”操心”を使った者を呼び出せるかも知れません。」


2022/03/18

第6部 訪問者    12

  リカルド・モンタルボ教授の居場所を突き止めるのは造作無かった。ギャラガ少尉が申請書を何度も審査したので教授の携帯電話の番号を暗記していたのだ。彼が電話を掛けると、教授は宿泊しているホテルを教えてくれた。港から見えている2階建ての小さな宿だった。
 ケツァル少佐とギャラガ少尉が訪問すると、モンタルボ教授はロビーで出迎えた。気の毒なことに顔に殴打された跡が青黒く残っていた。

「アンビシャス・カンパニーのチャールズ・アンダーソンも間もなく来ます。」

と教授は言い、ホテルが営業しているカフェの屋外席に少佐と少尉を案内した。
 テーブルを囲んで座ると、少佐が見舞いの言葉を言った。教授はグラシャスと答え、それから腹立たしげに襲撃者を罵った。ギャラガが彼を遮った。

「犯人に心当たりはありませんか?」
「ありません。」

 モンタルボ教授は憮然とした声で言った。

「アンダーソンはアイヴァン・ロイドが差し向けた連中だろうと言ってましたが、私はそんな連中のことなど知りません。」
「アイヴァン・ロイド?」

 少佐がその人物のことを訊こうとした時、教授が道の向こうからやって来る人物に気がついて、手を大きく振った。早く来いと合図したのだ。ギャラガがその方角を見たが、少佐は無視した。ギャラガは背が高い白人が歩いて来るのを見た。その後ろの連れらしい男もやはり背が高く、そちらはアフリカ系だった。アメリカ人だな、とギャラガは思った。
 アンダーソンとブラッド・ジェファーソンと言う2人の男がテーブルのそばに来た。モンタルボ教授が彼等を大統領警護隊に紹介した。

「アンビシャス・カンパニーのアンダーソン氏とジェファーソン氏です。アンダーソン氏は会社の代表で今回の撮影の監督、ジェファーソン氏はソナー係です。」

 教授は大統領警護隊の2人を紹介しようとした。ケツァル少佐が自己紹介した。

「大統領警護隊のミゲール少佐とギャラガ少尉です。今回の襲撃事件の捜査を担当しています。」

 所属部署について言及しなかった。モンタルボ教授が何か言いかけたので、ギャラガが咳払いして教授の視線を己に向けさせた。

ーー黙っていろ。

 ”操心”を使ってみると、教授はあっさり術に掛かった。ケツァル少佐はギャラガが微かに気を発したことに気がついたが、彼が何も言わないので無視することにした。
 アンダーソンとジェファーソンも額に絆創膏を貼ったり、顔面に部分的青痣を作っていた。少佐は彼等を隣のテーブルに着かせ、襲撃当時の様子を聞き取った。
 モンタルボ教授と助手達5名、そしてアンビシャス・カンパニーの社員達10名はチャーターしたクルーズ船で水中遺跡がある海面へ出かけた。ジェファーソンがソナーで海底の地形を調べ、建造物らしきものと思われる地形の上でカメラを水中に入れた。アンダーソンはカメラマンと共に潜った。モンタルボ教授とジェファーソンが船上から指示を出し、潜水チームは大学の助手達も含めて約5名から7名、交代で潜って海底の様子を撮影した。船上のサポート班はサメの警戒をして、ボートを1艘出して海面で待機する者とクルーザーに残る者に分かれた。
 モンタルボ教授が船上のモニターで見た海底の様子を説明しようとしたが、ケツァル少佐は断った。事件の詳細に直接関係ないからだ。
 港に戻ったのは午後4時を少し過ぎた頃だった。クルーザーを係留して、機材を下ろし終えた時、突堤の入り口にワゴン車が2台止まっていることにアンダーソンが気がついた。いつからその車がそこにいたのか覚えていない、と彼はケツァル少佐に言った。彼等自身の車はワゴン車の向こう側で駐車していたので、荷物を運ぶのに邪魔だと思い、ワゴン車を移動してもらうよう社員を頼みに行かせた。ところがその社員が相手の車に十分な距離まで近づかないうちに、ワゴン車から目出し帽にバットや棍棒を持った男達がパラパラと降りてきて、いきなり社員を殴った。そしてクルーザーに向かって走って来た。アンダーソンは銃を持っていたが、その時は手元ではなく手荷物の中に入れたままだった。取り出す暇もなくバットか何かで殴られた。モンタルボ教授が抗議の声を上げたが、暴漢達は無言のまま調査スタッフを殴り、機材を奪うとワゴン車に乗り込んで走り去った。

「警察に電話をする暇もありませんでした。」

とアンダーソンが見事なスペイン語で語った。ギャラガが暴漢の特徴を尋ねると、彼等は互いに顔を見合って考え込んだ。

「服装はバラバラで・・・その辺の男達が目出し帽を被って強盗に変身したとしか思えない。」
「魚の臭いがする男がいました。でも全員じゃない。」
「車のオイルの臭いがする男もいたなぁ。」
「年寄りもいたような気がします。若いのもいたし・・・」

 ギャラガが少佐に言った。

「金を与えて急拵えの強盗団を結成した感じですね。」

 少佐は直ぐには同意を示さなかったが、数秒おいて頷いた。ギャラガは彼女が別の意見を持ったな、と察した。

「襲撃者の心当たりはありますか?」

 モンタルボ教授は首を傾げたが、アンダーソンが答えた。

「アイヴァン・ロイドじゃないかと思うのです。」
「誰?」
「我が社と競合している動画サイトを運営する男です。伝説や物語の実証と言うテーマで秘境や危険な場所へ行って動画を撮影し、配信する仕事をしています。我が社の動向を見張っていて、先回りして映像を配信するので、こちらの商売の邪魔なのです。」
「その人物があなた方が撮影した映像を盗み、配信しようとしていると、貴方は考えるのですね?」
「いや、きっと宝が写っていないか確認したいのでしょう。沈没船らしきものや古代の宝物らしき物が写っていたら、自分で潜るんですよ。だが、金を使い危険を冒して前調査はしたくない、そんなヤツです。」

 アンダーソンは怒りを声に滲ませた。

「憲兵隊にも言ったんですがね、ロイドの顔も居場所もわからないんじゃ探しようがないと言うんです。」
「アイヴァン・ロイドが本名だと言う証明もないでしょう。」

 少佐は腰を浮かしかけた。当事者から集められる証言はこれ以上出て来ないと判断した。
 ギャラガがモンタルボ教授に尋ねた。

「発掘調査を続けますか?」
「勿論です。」

 モンタルボ教授が憮然とした態度で言った。

「船上モニターで見た海の底の様子は私の頭の中に残っています。スポンサーのビエントデルスール社と相談して援助をまだしてもらえるか交渉します。」

 それ以上のことは大統領警護隊の関知しないことだ。ケツァル少佐とギャラガ少尉は聞き取りの協力に対する感謝の言葉を告げ、カフェから出た。
 
「襲撃者は金で雇われた者でないとお考えですか?」

とギャラガが歩きながら質問した。少佐が囁いた。

「”操心”で動かされた可能性も考えられます。」
「では、襲撃を指図したのは一族の人間?」

 ギャラガは驚いた。少佐が難しい顔をして道の向こうを見つめた。

「貴方が昨夜ダウンロードしてくれた海底の地形図を見て、奇妙な印象を受けました。8世紀の祖先達がどんな方法であの岬を沈めたのか、調べてみる必要があるかも知れません。もしかすると、それを知られたくない一族の人々がいる可能性もあります。」


2022/03/17

第6部 訪問者    11

  アンドレ・ギャラガ少尉が目を覚まして共有スペースに出て来ると、ケツァル少佐は彼を同伴して陸軍国境警備班の宿舎へ行き、そこの食堂で朝食を取った。陸軍側では既に真夜中にグラダ・シティから美人と白人に見える大統領警護隊の隊員が2名やって来たと情報が拡散されていたので、私服姿の彼等を素直に迎え入れた。ギャラガは食事中兵士達の視線を集めていることを感じていた。きっと彼の容姿を見て、本当に大統領警護隊なのか? と疑っているのだろうと推測した。大統領警護隊本部においては、彼の容貌は皆見慣れてしまい珍しいものでないので、最近は揶揄われることもなくなった。カベサ・ロハ(赤い頭)と言う渾名は聞かれなくなり、新たに「エル・パハロ・ブランコ」(白い鳥)と呼ばれるようになった。アスルなどは「正確には白い緑の鳥だろう」とややこしいことを言う始末だ。実際、昨年国境警備隊に配属されたギャラガの同期生が1人いて、出かける前に共有スペースで出会した時、そいつは同僚に彼を紹介した。

「こいつ、エル・パハロ・ブランコって呼ばれているんだ。だけど、エル・ジャガー・ネグロなんだぜ。」

 白人の姿をしたグラダ族だって?と同僚が驚いていた。ギャラガは面倒臭かったので、よろしく、とだけ挨拶して少佐を追いかけた。
 陸軍の食堂のご飯は特に美味と言うほどでなく、雇われコックが大雑把に作っているのだろうと窺われた。もしかするとパエス少尉はこの味付けが気に入らないのかも知れない。フレータ少尉の料理が懐かしいに違いない。
 食事が終わるとケツァル少佐とギャラガ少尉は港へ出かけた。小さな国境の町は徒歩でも半日あれば一周してしまえそうだ。
 グリン大尉の情報にあった風景を探すとすぐに見つかった。ビーチから少し南に行った海岸で水深があるので大型クルーザーでも着岸出来る突堤が2本海に突き出していた。港とビーチの間に岩礁があり、ギャラガが岩礁と水没した岬の盛り上がりが砂を溜めてビーチを形成したのでしょうと言った。ビーチの中央辺りに小さな川が海に流れ込んでいた。川と言うより町の余剰水を海に流している溝みたいな役割の水路だ。

「不自然にここだけ深いのですね。」

と少佐が感想を述べると、ギャラガは綺麗な海水の底を眺めた。

「人工的に掘ったようにも見えます。カラコルが沈んでしまったので、新しく港を造ろうとしたのではないですか。しかし結局往年の繁栄は取り戻せなかった。」

 沖も深いので、自然の海底地形を利用して急拵えの港を造ったのだろう、と彼等は思った。
 突堤はハイウェイから数本の枝道を使ってアプローチ出来たので、襲撃者がどこから来たのか現場を見ただけでは特定出来なかった。ギャラガがコンクリートの地面をじっくりと観察した。

「見たところ血痕が落ちている様子はありません。怪我人が出たと言っていましたが、出血するような傷でなさそうです。」
「打撲ですから、痛いのは変わらないでしょう。」

 少佐は海に面して並んでいる宿屋や小さなホテルを眺めた。モンタルボ教授はまだクエバ・ネグラに滞在している筈だ。アンビシャス・カンパニーの人間もいるだろうか。
 心地よい風が海から吹いていた。ギャラガが沖を眺めていたので、泳ぎたいですか、と訊くと、彼は肩をすくめた。

「グラダ・シティから南のビーチとここはちょっと雰囲気が違います。変なことを言うようですが、私はここの海が気持ち悪いです。」

 ケツァル少佐は思わず少尉の顔を見た。海が好きなギャラガが気持ち悪いと言う。ヴェルデ・シエロは同胞の感じたことを無視しない。誰か一人でも「悪い予感がする」と言えば、全員が警戒する。少佐は気持ちを引き締めた。
 

第6部 訪問者    10

  東の水平線の向こうが微かに明るくなった頃合いに、一人の女性隊員が検問所から戻って来た。階級は大尉で、ケツァル少佐は彼女がクエバ・ネグラの国境警備隊の指揮官だとわかった。少佐は私服だったので、故意に気を発して己が何者かアピールして彼女を迎えた。大尉が彼女の前で直立して挨拶した。

「クエバ・ネグラ国境警備隊を指揮しておりますバレリア・グリン大尉です。グラダ・シティからの出動、感謝します。」
「文化保護担当部のシータ・ケツァル・ミゲール少佐です。司令部の指示により、サン・レオカディオ大学発掘隊襲撃事件を調査に来ました。暫くこの宿舎を宿泊に使用させてもらいますが、貴官達の業務に口を出すことはしませんので、我々の行動にも世話や口出しは無用です。」

 グリン大尉は微笑し、”心話”を求めた。少佐が応じると、大尉は昨夕に起きた事件のあらましを報告してくれた。
 サン・レオカディオ大学発掘隊はモンタルボ教授と5名の助手、それにアンビシャス・カンパニーと言うP R動画制作会社のスタッフ10名が昨日の昼間、船をチャーターして、8世紀頃に岬が水没したと伝えられる海域を数往復して水中カメラで海の底を撮影した。午後4時過ぎに彼等はクエバ・ネグラ港に戻り、ホテルで映像編集を行おうと機材などを運ぶ為に車を突堤に置いて、荷物を船から下ろしていた。そこへ2台のワゴン車が来て、停車するなりワゴン車から数人の男達(目出し帽を被っていたらしい)が降りて来て、撮影機材を奪おうとした。教授と仲間達は相手が銃を持っていないと判断して抵抗したが、相手はバットや棍棒を持っており、殴打され、結局撮影機材を奪われ、人も怪我をした。
 モンタルボ教授は警察に連絡を入れ、ついでに大統領警護隊にも通報した。彼が使った大統領警護隊の番号は国境警備隊オフィスのものだったので、グリン大尉は管轄外の犯罪の通報にちょっと困惑した。通報者は考古学者で発掘作業の事前調査だと言った。それで大尉は本部に連絡を入れ、文化保護担当部に任せようと思った。
 事情を理解したケツァル少佐も、彼女に情報を分けた。モンタルボ教授には発掘申請を出す段階で数件の奇妙な協力の申し出や問合せ電話があったことだ。
 グリン大尉が苦笑した。

「ここの海で宝を積んだ船が沈んでいると言う噂があれば、とっくの昔にトレジャーハンターが集まっていたでしょう。カラコルがあったと言われる海域はサメが多く、ここのビーチは綺麗ですが、浅瀬で水遊びをする程度で深度があるところで泳ぐ人間はいません。水中の宝物や沈没船を見たり聞いたりした人はいません。」
「そうでしょう。文化・教育省の文化財遺跡担当課にもその様な記録はないそうですし、建設省交通部に沈没船のマップがありますが、そこにもここの海域は何もマークされていません。」
「私は仕事柄麻薬か密輸関係の品物を誰かが海底に隠したか落としたのではないかと考えています。しかしサメが多く出没する海に部下や陸軍水上部隊や沿岸警備隊に潜れとは言いたくありません。」

 そして彼女はケツァル少佐に顔を近づけ、声を低めた。

「一月ほど前に、地元の漁師と観光客が釣り上げたサメから、人間の体の一部が出て来ました。」
「知っています。友人が偶然仕事でこちらを訪れていた時に、浜に揚げられたそうです。」
「そうでしたか。では、乗り捨てられた盗難車が同時期にあったことはご存知ですか?」
「それも聞きました。盗難車とサメの犠牲者に何か関連があるのですか?」
「物証はないのですが、犠牲者の身元が全く不明のままであることと、盗難車を乗り捨てた人物が見つからないことで、両者が同一人物ではないかと憲兵隊が憶測を立てているそうです。国境警備隊は盗難車は密出国者が乗り捨てたのではないかと考えていますが。」

 ケツァル少佐が、それが真っ当な考えだと言うと、大尉は頷いた。

「ただ、その盗難車を乗り捨てた人間と同一人物なのか、これも不明なのですが、車が発見場所に置かれた日に、浜辺で漁師のボートが一艘盗まれました。船外モーター付きの簡単な小型の釣り船です。それが2日後に国境の向こう側の浜辺で転覆した状態で打ち上げられたのです。隣国のオフィスと話し合った結果、密出国者が車を盗んで乗り捨て、ボートを盗んで海から越境しようとして波で転覆し、サメに襲われたのではないかと言うことになり、我々が盗難車を押収しました。」
「そして実際にサメから死体が出たのですね。」
「その通りです。でもこれは考古学者襲撃事件とは関連ないと思います。我々にとって完結した事案です。」

 少佐はグラシャスと言った。グリン大尉が、陸軍側の食堂で食事が取れることを教えてくれた。

「我が方では軽食を温める程度の厨房です。ハラールを気にしなければ、陸軍の食堂で十分ですから。」

 そこでふとケツァル少佐はパエス少尉を思い出した。彼がいた太平洋警備室の厨房ではきちんとハラールの儀式を毎回行ってから調理していたそうだ。それでさりげなく言った。

「先程案内してくれたパエス少尉が前に勤務していた太平洋警備室はハラールを行っていたそうですよ。」

 ああ、とグリン大尉がちょっと困惑した顔をした。

「それが些細な問題を引き起こしました。ここへ着任した当日に彼が陸軍の食堂の食事は食べられないと言い出し、他の隊員達の反発を招いてしまいました。我々は一族の文化を否定する気はありません。しかし国境警備は多忙です。クチナ基地では儀式を行って調理していますが、ここのオフィスは指揮官少佐の許可の元で省略しているのです。陸軍側に強制する権利を持っていませんし、”ティエラ”もハラールの文化を持っていますがクエバ・ネグラの陸軍国境警備班では儀式を行わないのです。理由は我々と同じです。」
「パエス少尉は孤立しているのですか?」
「勤務中は命令に従いますし、同僚とも協力し合っています。しかしプライベイトな時間は一人ですね。奥様を同伴されて部屋を近くに借りているようで、非番の日はそちらへ帰ってしまい、同僚と過ごすことはありません。」

 グリン大尉は若い。年齢的にはパエス少尉とあまり変わらないだろう。彼女はパエス少尉の転属の理由を知らされていた。だからパエス少尉がこのまま国境の町で退役まで暮らすのであれば、同僚と仲良くなって欲しいと願っていた。
 彼女の正直な気持ちを”心話”で伝えられたケツァル少佐は、彼女を励ました。

「貴女が良い指揮官となる試練ですよ。」


2022/03/16

第6部 訪問者    9

  宿舎の入り口を入ったところが隊員達の共有空間なのだろう、古いソファが2台と低いテーブルが置かれ、部屋の端のテレビだけが新しい大型液晶画面だった。パエス少尉が空き部屋がありますと言ったが、ケツァル少佐はギャラガ少尉だけをその部屋へ行かせた。彼女自身は共有スペースのソファに座り、ギャラガが彼女の携帯に転送したクエバ・ネグラ周辺の地図を画面に出して眺め始めた。パエス少尉が戻って来て、コーヒーは如何ですかと尋ねた。少佐が顔を上げて彼を見た。

「貴方は今夜の夜勤当番ですか?」
「ノ、当番はゲイトにいます。私はここで1番の新参者なので、電話や訪問者があれば夜中でも応対する役目になっています。」

 ケツァル少佐はその返答の内容が気に入らなかった。隊員の入れ替えがある迄パエス少尉はずっと夜中の電話番ではないか。

「北部国境警備隊の指揮官はレナト・オルテガ少佐でしたね?」
「スィ。少佐はクチナにいらっしゃいます。」

 クチナは北部の国境線の丁度中央に当たる位置で、道路はないのだが平坦な地面の谷になっており、ラバの様な動物なら歩き易い土地だ。隣国から時々越境して来る人間がいるので、国境警備隊はそこに基地を置いた。緩やかな谷間を挟んで反対側に隣国の国境警備隊が同様の基地を置いている。クエバ・ネグラや西側のオルガ・グランデ北部の様な隣国の兵士との交流はない。
 ケツァル少佐は新入り虐めの様なパエス少尉の待遇をオルテガ少佐に問い質してみようと思った。それともこれはクエバ・ネグラだけの行為なのだろうか。

「コーヒーは今は結構です。貴方は休みなさい。」
「グラシャス。」

 パエス少尉は敬礼して廊下に姿を消した。
 ケツァル少佐はもう一度地図を見た。ギャラガは数種類の地図をダウンロードしており、海底の地形図まであった。それを見ると、確かにクエバ・ネグラから沖に向かって岬の様に伸びている浅い部分が見て取れた。岸に近いところは幅1キロ程か。一番沖までが3キロ程、舌の様な形だ。岬全体がストンと落ちた様に見えた。地震があった時代のヴェルデ・シエロ全員が同時にカラコルの消滅を祈ったとして、こんなに綺麗に地面が沈下するだろうか。そもそもヴェルデ・シエロの呪いはそこまで強力なのだろうか。現代に生きているヴェルデ・シエロの中で最強と言われる純血のグラダ族ケツァル少佐は考え込んだ。建造物の破壊なら簡単だろう。しかし地面を陥没させるのはどうだろう。下に空洞があれば別だが、普通の地面なら物理的に矛盾が・・・。そこまで考えて彼女は、カラコルと言う単語の意味を思い出した。「筒の上」だ。カラコルの都市が建設された岬はどんな地形だったのだ?
 彼女はオルガ・グランデの地下を思い出してみた。金鉱石を掘り出す為に縦横無尽に坑道が掘られている。3本の大きな地下川が流れている。もし大きな地震が起きれば確実に致命的被害が出る。しかし、オルガ・グランデの街全体がストンと落ちることはないだろう。
 もしカラコルに最初に街を造った人々が、岬の地下が空洞だと知っていたのなら、物凄く愚かな行為をやってのけたことになる。地震と火山がある国だ。暴風雨も来る。災害の多い海岸、地下に空洞を抱える岬に大きな街を造った人々。建設したのは何者だ?

第6部 訪問者    8

  上官からの突然の呼び出しにすぐに応じられるのが優秀な軍人だ。アンドレ・ギャラガ少尉は必要最低限の宿泊装備等荷物を入れたリュックを常に持ち歩いている。指定された場所に現れた彼は、微かに中国料理の匂いを漂わせていたので、ケツァル少佐は思わず失笑した。彼と同行していたアスルはテオドール・アルストの家に帰って行った。
 ”心話”で司令部からの情報を伝えられたギャラガは、すぐにクエバ・ネグラの街と海域の地図を検索した。

「襲撃場所は陸上ですか、海上ですか?」
「事件発生は夜になってからですから、陸上だと思います。暗くなってから海の底を見たりしないでしょう。」

 ケツァル少佐はベンツの助手席に彼を乗せ、現地に到着する迄眠るようにと命じた。ギャラガはまだ上官のベンツの運転をさせてもらったことがない。

「ハイウェイ上を走る間は私が運転します、少佐。」
「では、お願いします。私は少し飲んでいるので。」

 ギャラガは運転を申し出て良かった、と内心安堵した。少佐が後部席に移り、ギャラガは初めて運転席に座った。そして座席やステアリングを調整すると、走り出した。少佐はすぐ眠ってしまった。月曜日の夜のセルバ東海岸縦貫ハイウェイは空いていた。ギャラガは快調にベンツを運転して、夜が明けきらぬうちに国境の町クエバ・ネグラの市街地に入った。彼はベンツを国境警備隊の宿舎がある小高い丘へ向けた。町と海岸を見下ろせる場所だ。
 低いフェンスに囲まれた建物が2棟あり、門から向かって左が大統領警護隊、右が陸軍国境警備班だ。ギャラガは声を発した。

「国境警備隊の宿舎前に来ました。これからどこへ行きますか?」

 少佐がむっくりと体を起こした。窓の外を見て言った。

「夜明けまでここで休憩しましょう。貴方は眠らなければいけません。」

 ギャラガは門迄車を進めた。門衛は陸軍兵で、大統領警護隊の徽章を見せるとすぐに宿舎に電話をかけた。そして返答をもらうと、ギャラガに「どうぞ」と言った。

「宿舎の中に入っていただいて良いそうです。」
「グラシャス。」

 ベンツは門の中に進み、軍用車両が並んでいる端に止まった。
 ケツァル少佐とギャラガ少尉が荷物を持って車外に出ると、左の宿舎から兵士が一人出てきた。ケツァル少佐は初対面だったが、彼がルカ・パエス少尉だとすぐわかった。キロス退役中佐やフレータ少尉の”心話”で顔を見たことがあった。

「文化保護担当部の指揮官ミゲール少佐とギャラガ少尉です。司令部の指示で発掘調査隊襲撃事件の捜査に来ました。」

 パエス少尉が敬礼した。

「国境警備隊パエス少尉です。ミゲール少佐とギャラガ少尉の出動に感謝します。」

 彼は建物の入り口を手で示した。

「中でお休み下さい。日が昇らないことには世間は動き出しませんから。」


第6部 訪問者    7

  その夜、テオは仕事を終えると大統領警護隊文化保護担当部の友人達を夕食に誘った。誘いに応じてくれたのはケツァル少佐、ロホ、そしてデネロス少尉だった。アスルとギャラガ少尉はサッカーの練習があると言って別行動だった。

「本当にサッカーに行ったのかどうか、わかったもんじゃありません。」

とデネロスが囁いた。

「最近、あの2人は中国の焼きそばにハマっていて、あちらこちらの店を食べ歩いているんです。」

 彼女の「密告」にテオ達は大笑いした。

「ラーメンじゃなくて、焼きそばかい?」
「スィ。麺の焦げた部分が美味しいそうです。」

 部下達に焼きそばの味を教えた張本人であるケツァル少佐が「責任を感じる」と発言したので、またテオ達は笑った。
 いつものようにバルの梯子をしながら、テオはカルロ・ステファン大尉が無事に3ヶ月の太平洋警備室厨房勤務を終えて首都に帰還したことを告げた。友人達と共にステファンが無事に任務を務め上げたことを喜び、太平洋警備室が新規一転で新しい指揮官と隊員達が地元民と上手くやっていくことを願って乾杯した。
 オルガ・グランデ近辺の遺跡に行くことがあれば、太平洋警備室を覗いて見ることも大事だろうとロホが提案した。本部やグラダ・シティ周辺の同胞から忘れられていると思わせてはならない。リモートの定時報告だけの接触では指揮官も孤独だろう。
 お腹が満たされる頃に、ケツァル少佐の電話に着信があった。少佐がポケットから電話を出し、かけてきた相手を見て、ギョッとなった。急いで店の外に出て行ったので、テオはロホを見た。デネロスもロホを見た。ロホは憶測を言葉に出す人ではないが、この時は少佐の電話の相手に見当がついた。

「司令部からでしょう。」

 彼はバルのスタッフに精算を依頼した。食事代をまとめて払い、それから仲間に店を出ようと合図した。
 テオ達が外に出ると、歩道の端で少佐が電話で話をしていた。意見を言うのではなく、ひたすら相槌を打ち、最後に「承知しました」と言って通話を終えた。デネロスが呟いた。

「深刻そう・・・」

 少佐が仲間のところへ戻って来た。ロホが代表して質問した。

「命令が出ましたか?」
「スィ。」

 少佐はテオをチラリと見た。民間人なのでテオが遠慮して距離を空けようとする前に彼女は言った。

「クエバ・ネグラのモンタルボ教授の調査隊が何者かに襲われたそうです。」

 一同は驚いた。モンタルボ教授はまだ本格的な発掘調査に取り掛かっていない。雨季明けに調査を始める前段階として、最初の発掘範囲を決めるために船の上からカメラを下ろして水中を撮影し、ダイバーが遺跡に触れることはしていない筈だった。トレジャーハンターが欲しがる物と言えば、撮影した画像だろうが、襲撃して奪う価値があるのだろうか。

「怪我人が出たのですか?」

 デネロスの質問に少佐は3人と答えた。

「教授は無事でしたが、助手が2名と撮影スタッフ1名が襲撃者に殴られて軽傷を負ったそうです。国境警備隊から本部への連絡でしたから、本部もその程度の情報しか得ていません。恐らく憲兵隊の方が詳しいでしょう。国境警備隊は遺跡発掘関係者の事件なので、文化保護担当部に知らせておくようにと本部に通報したのです。」
「それはつまり・・・」

 ロホが苦い顔をした。

「我々が発掘調査隊の警護を怠ったと言いたい訳ですね。」
「しかし、発掘はまだだろう? モンタルボは事前調査まで申請内容に含めていたのか?」

 テオの質問に、少佐が指を向けた。

「事前調査は申請内容に入っていません。地上遺跡と違って海面から下を覗くだけですから。我々の警護責任はまだ発生していません。」
「本部は何て言って来たんです?」

 デネロスが不安気に尋ねた。サン・レオカディオ大学発掘隊の警護で船に乗るのは御免被るとその顔が訴えていた。
 少佐が溜め息をついた。

「警護ではなく襲撃者の正体を突き止めよとエルドラン中佐が仰せです。もし我々が動かないのなら、遊撃班を送るそうです。」
「遊撃班は遺跡の知識がありません。カルロはまだ厨房勤務ですから、残りは考古学のど素人ばかりですよ。」

とロホ。

「行くしかないですね。」

と少佐がまた溜め息をついた。雨季前なので雨季明けの発掘申請が多い季節なのだ。

「私が行きます。ロホは指揮官代行をなさい。最終の署名は私がしますが、再検討が必要ないよう、しっかり予算検討を詰めておきなさい。」
「承知しました。」
「マハルダは近郊遺跡の巡回監視をしっかりとしておくこと。こそ泥は容赦しない。」
「承知しました。」
「アスルは申請受付です。今回はアンドレを連れて行きます。」
「アンドレをですか?」
「あの子は海で泳げます。」

 ああ、とロホとデネロスが納得した。
 テオは当然ではあるが蚊帳の外感が拭えなかった。こんな時は民間人であることが寂しい。

「遺伝子分析が必要な捜査はないのかなぁ・・・」

 しかし、デネロスが学生らしい意見を言った。

「アルスト先生は期末試験の準備で忙しいでしょ?」

 そうだ、その仕事がこれから始まるのだ。テオはがっくりときた。



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...