2022/03/19

第6部 訪問者    16

  宿舎の共有スペースに入ると、男性隊員が一人ソファに座ってテレビを見ていた。恐らく先程のギャラガが失敗した気の波動で目が覚めてしまい、交代時間迄の時間を潰そうとしていたのだ。入って来た私服姿のケツァル少佐とギャラガ少尉に怪訝な表情で顔を向けたので、ギャラガが気を利かせて紹介した。

「大統領警護隊文化保護担当部指揮官ミゲール少佐であられる。私は同部のギャラガ少尉だ。」

 隊員が急いで立ち上がって敬礼した。敬礼を返したケツァル少佐は彼の上半身がまだTシャツ1枚だけなのを見て、寝起き間もないと判断した。

「我々が貴官の休息を妨げた様です。」
「そうではありません。間もなく交代時間ですので、目を覚ましておりました。」

 少佐は、そうではないだろうと突っ込まずに、彼に休憩の続きを、と指図した。そしてもう一つのソファにギャラガと並んで座った。隊員も腰を下ろしたので、彼女は言った。

「もしかするとカミロ・トレントと言う男性が来るかも知れません。我々が呼んだのですが、彼は誰に呼ばれたのか知らない筈です。彼が現れたら、教えて下さい。」
「承知しました。」

 一般人が聞けば奇妙な言葉だったが、”ヴェルデ・シエロ”は意味がわかる。隊員は少佐の言葉を理解した。彼はボリュームを落としてテレビのニュースを見ていた。大きな事件は起きていないが、今年の雨季は雨量が例年より多いだろうと気象学者が予想していると言うニュースが伝えられると、隊員は溜め息をついた。豪雨の中での検問を想像してうんざりしたのだろう。毎年のことではあるが、こんな時は東海岸ではなく西海岸で勤務したくなるに違いない。
 隊員がチラリとこちらを見た。国境警備隊でない人間がいるので気になるのだろうと少佐が思っていると、彼が話しかけて来た。

「失礼ですが、先程気の波動を発せられましたか?」
 
 少佐が彼の方へ顔を向けると、ギャラガが急いで言い訳した。

「私が少しヘマをやっただけだ。起こしてしまって悪かった。」

 隊員が彼に視線を向けた。一見”ヴェルデ・シエロ”に見えないギャラガに彼は問い掛けた。

「君が、あの、白いグラダか?」

 ギャラガは予想以上に己が有名なことを知って、ちょっとうんざりした。

「そうだ。白人の血が混ざっているので、まだ修行中だ。」
「気の波動に鋭い波があった。君が本気で爆裂波を放ったら戦車隊でも一撃で吹っ飛ぶんだろうな。」

 その声には羨望が混ざっていたので、ギャラガはびっくりした。そんな風に賞賛されたのは初めてだ。すると少佐が隊員に言った。

「ギャラガ少尉を煽てないように。彼はまだ20歳です。制御を完璧に習得する迄は爆弾の様な子です。」

 つまり、ギャラガ少尉は現在でも十分強大な爆裂波を使えると暗に言ったのだ。1年と半年前迄、”心話”すら使えない”出来損ない”として有名だったカベサ・ロハ(赤い頭)は、本当は能力がなかったのではなく、使い方を知らないだけの子供だった、と少佐は隊員に仄めかした。だから、ギャラガを舐めると痛い目に遭うぞ、あまりこの部下に構うな、と牽制したのだ。
 国境警備隊の隊員は聡い男だった。少佐が言いたいことを理解した。そしてさらに別のことも察した。修行中のグラダを見守っているこの上官も、グラダだ。

「ミゲール少佐、もしや、貴女はケツァル少佐であられますか?」

 ギャラガは笑いそうになって耐えた。ケツァル少佐は仕方なく無言で頷いた。隊員が再び跳ねるように立ち上がり、敬礼した。

第6部 訪問者    15

  ロカ・エテルナ社はセルバ共和国の3大建築業者の一つで、創業者のスペイン人がセルバ共和国独立直前に本国へ逃げ去った後を襲ったロカ・デ・ムリリョが成長させ、経営権を甥の息子のアブラーン・シメネス・デ・ムリリョに譲った会社だ。クエバ・ネグラの町で一番大きな建設会社クエバ・ネグラ・エテルナ社はその子会社で、経営者はマスケゴ系メスティーソの男性だった。つまり、まだ”ヴェルデ・シエロ”と呼ばれる能力者だ。
 国境警備隊の陸軍国境警備班所属エベラルド・ソロサバル曹長から会社の名前と社長のカミロ・トレントの名を聞き出したケツァル少佐は昼食後ギャラガを大統領警護隊側の駐車場へ連れて行った。クエバ・ネグラの丘ほどではないが、国境警備隊宿舎も小高い場所にある。街並みの屋根がすぐ目の前に並んでいた。

「”感応”を行った経験はありますか?」

 少佐に訊かれて、ギャラガは「ありません」と答えた。”感応”は呼び出したい人の名前や顔を脳裏に浮かべて精神を全集中させる。通常親が自分の子を呼ぶ時に用いる能力で、軍隊では上官が部下に集合をかけたり、戦闘時や緊急時に助けを求める時に使う。平時に友達を呼んだり目上の人に気軽に用いるものではない。純血種の”ヴェルデ・シエロ”は教えられなくてもこの能力を使えるが、親から厳しくマナーを躾けられる。異人種の血が入るミックスは少し練習が必要だ。一瞬のものなので、エネルギーの消耗はない。しかし気を発する瞬間だけ心が無防備になるので、使うタイミングを誤ると軍人は危険に曝される場合があった。
 ケツァル少佐はギャラガ少尉に命じた。

「やってごらんなさい。カミロ・トレントを呼ぶのです。」

 ギャラガは脳裏に、Camilo Torrent と文字を思い浮かべた。その名に思い切り念をぶつけてみた。
 ケツァル少佐は空気にビリッとした震動を感じた。失敗だ。ギャラガが出したのはテレパシーではなく気の波動、微弱な爆裂波だ。カミロ・トレントには届かないが、宿舎周辺の人間や動物には感じ取れる。果たして大統領警護隊の宿舎の窓が開き、指揮官のバレリア・グリン大尉が顔を出した。

「何事です、少佐?」

 ケツァル少佐は彼女を見上げ、2階の窓から顔を出している女性の目を見た。

ーー申し訳ない、部下に”感応”の使い方を教えようとしていました。

 グリン大尉は赤毛のギャラガの頭を見下ろした。そして少佐に視線を戻した。

ーー噂の白いグラダですね。失敗とは言え、かなりの威力の波動でした。
ーー貴官の休息を妨げたことをお詫びします。
ーーどこでもメスティーソの教育には苦労いたします。次は成功を祈っています。

 グリン大尉は微笑して顔を引っ込め、窓を閉じた。
 ケツァル少佐はギャラガを振り返った。ギャラガは失敗したことを悟っており、何が悪かったのか考えていた。少佐が彼の名を呼んだので、上官の目を見た。”心話”で少佐が彼の心の動きを悟った。

ーー名前に念をぶつけるのではなく、呼び寄せなさい。

 ギャラガは戸惑い、それからまた脳裏に文字を思い浮かべ、それを己に引き寄せるイメージを抱いた。文字が彼の脳裏からスッと消えた感じがした。彼は自信なさそうに言った。

「上手くいったでしょうか?」

 少佐がクスッと笑った。

「誰も成功したか失敗したかわからないものですよ、”感応”っていう力は。」
「えー・・・」

 狐に包まれた様な表情の部下を見て、また少佐は笑った。そして、トレントが来るまでシエスタにしましょうと言った。


第6部 訪問者    14

  ケツァル少佐とギャラガ少尉は国境警備隊の宿舎に戻った。クエバ・ネグラ検問所の大統領警護隊の隊員は全部で8人、一人ずつ3時間おきに宿舎に戻って一人ずつ勤務に出て行く。宿舎には常時3人が休憩している。少佐とギャラガは誰も浴室を使用していないことを確認してから、シャワーを使った。男女の別がないから、シャワールームも脱衣所も一つしかない。少佐が先に浴び、充てがわれた部屋に入った。ギャラガが昨晩置いた2人のリュックとアサルトライフルが質素なベッドの横に並べられていた。服を着替えて、濡れた髪を窓からの風に当てて乾かした。バレリア・グリン大尉はまだ休んでいるだろう。
 ギャラガが戻って来たので、彼の身支度を待ってから、2人で隣の陸軍国境警備班の食堂へ行った。食堂は賑わっていた。検問所の兵士達が順番に昼食に来ていた。彼等はゆっくり食べることはなく、簡単なスープとパンだけの食事を流し込み、すぐに出て行った。だから少佐とギャラガも冷めたスープをもらった。

「本部の警備班は警備についている間は水分補給しかしません。」

とギャラガが呟いた。少佐が頷いた。

「外での勤務は大統領府の警備より体力を使いますからね。」
「文化保護担当部の事務仕事も腹が減りますよ。頭を使うと恐ろしくエネルギーを消耗するんです。」

 少佐は思わず笑ってしまった。彼女は自分のパンを部下の皿に入れてやった。すると隣のテーブルにいた陸軍の兵士が声をかけて来た。

「グラダ・シティから来られた大統領警護隊の方ですね?」

 ギャラガが「スィ」と答えた。

「文化保護担当部だ。昨日私立大学の教授と発掘調査隊が強盗に遭ったと聞いたので、被害状況を調査に来た。」
「強盗事件にわざわざ来られたのですか。」

 そんな必要はないのに、と言う響きが兵士の声に含まれていた。ギャラガは言った。

「強盗犯の捜査は憲兵隊に任せる。我々は発掘調査隊が奪われたものの内容を調査するのだ。文化財を傷つけられては困るから。」

 恐らく検問所の兵士には、何を悠長な仕事をしているのだ、と思えただろう。 彼はちょっと失笑した。

「学者と言う人達は私の様な凡人にはわからない物を大事に調べますね。先月もグラダ大学から来た若い教授がトカゲを捕まえて帰られました。その後で別の教授が来て、そのトカゲをまた放しに洞窟まで登りました。そのまま飼えば良いのにと言ったら、生態系がどうのとか説明してくれましたが、自分にはさっぱりでした。」

 ギャラガは苦笑した。そして、

「最初に来たのはアルスト准教授だろう。」

と言うと、兵士が頷いた。

「そんな名前でした。学生を一人お供に連れていました。お知り合いですか?」
「まぁな。気さくな良い人だろう?」
「そうですね。2人目の教授より話し易かったです。」

 エベラルド・ソロサバル曹長はテオドール・アルストからチップをもらったのだが、同僚の手前それは言わなかった。彼は大統領警護隊の白い肌の隊員に窓から見える赤い看板を指差した。

「あの赤い看板の店は午後6時から営業します。もし地元の料理を味わいたければ、あの店が一押しです。漁師の身内が経営しているので、手頃な値段で美味い魚を食べさせてくれます。」

 ケツァル少佐がちょっと笑って彼に声をかけた。

「まるで貴官は観光ガイドですね。」

 曹長が頬を赤らめた。

「地元出身なもので、つい饒舌になってしまいました。」

 すると彼と同じテーブルの兵士が笑いながら大統領警護隊の隊員に教えた。

「このソロサバル曹長は実際に観光ガイドとしても駆り出されるのです。町役場がガイドを雇うと金がかかるので、こっちへ仕事を押し付けるんです。軍人をタダで使ってやがる。」

 少佐とギャラガも兵士達と一緒に笑った。笑い声が収る頃に少佐がソロサバル曹長に尋ねた。

「地元の出だと言うことは、この辺りで名前が知られた建築屋を知っていますね?」


第6部 訪問者    13

  ケツァル少佐とギャラガ少尉は町の名前の由来となった「黒い洞窟」クエバ・ネグラがある黒い岩だらけの丘の頂上へ登った。徒歩だったので、てっぺんに着いた時は既にお昼になっていた。2人共汗ぐっしょりだったが、気にせずに岩の上に上って海を見下ろした。
 海中遺跡があると言われているポイントは、楕円形のお盆をそのまま水中に沈めたような形に見えた。岬の形に海底が盛り上がってお盆の縁を形成している。内側が深くなって丘の上から見ると真っ青な池が海の中にあるかの様に見えた。昨日モンタルボ教授の一行があの中で潜って海底を撮影したのだ。

「凹んじゃってますね。」

とギャラガが素直な感想を述べた。環礁の様にも見えるが盆の縁の外側もそれほど深くなさそうだ。礁の部分は浅いのだろう。だからあまり漁師が近づかない。船底を引っかけそうな水深なのかも知れない。

「自然現象だと思いますか? それとも誰かが力を加えて凹ませたと思いますか?」

 少佐の問いかけに、ギャラガは額に手を翳して海面を見つめた。

「自然現象でしたら、あんな風にシンメトリーに凹んだりしないでしょう。」

 彼は指で空中に線を描いた。

「珊瑚礁が成長しているので近くで見るとわからないと思います。しかしここから見ると、窪んだ部分は縦長の八角形です。真ん中に線を引けば綺麗に左右対称になります。」

 少佐も目を細めて陽光に煌めく海面を見つめた。そしてギャラガが見て取った海底の形状を彼女も見た。確かに、と彼女は彼の発見を認めた。

「人工的に形成された場所に見えます。すると一つ疑問が浮かびます。地震であんなに綺麗に壊れるでしょうか。或いは、気の爆裂を用いて、あの様な形に町を沈めることが出来たでしょうか。」
「カラコルの元の意味を考えると、町の建設段階で何か地下に大きな空洞を造ったか、それとも故意に空洞の上に町を築いたと推測されます。モンタルボも古代の言語の意味を研究している筈ですし、この丘の上から海を見て、あの不自然に綺麗な海底の形状に気がついてカラコルの実在を確信したのでしょう。カラコルは”ティエラ”の町だったそうですが、一番最初にあの位置に町を築いたのは何者でしょうか。」

 ギャラガの言葉にケツァル少佐は視線を海から部下に向けた。

「今回の強奪事件は宝探しの争いではなく、もっと古い時代に原因がありそうですね。」

 ギャラガが頭を掻いた。

「それを調べるのは難しそうですね。グラダ大学の考古学部は海の遺跡に興味を持たないし、もしかすると海の遺跡を禁忌の場所にしているのかも知れません。」

 少佐が溜め息をついた。

「またムリリョ博士が何か隠していると言うことですか・・・」
「あの方はセルバの生き字引です。でも決して全てを教えて下さることはありません。」
「禁忌なら、決して教えて頂けないでしょうね。」

 少佐は街並みを見下ろした。ギャラガが尋ねた。

「銃弾を呼ぶように、撮影機材を呼べませんか?」

 彼女が吹き出した。

「そんなことをしたら、住民が腰を抜かします。」

 でも、と彼女は笑い顔を消して、また町を見た。

「”操心”を使った者を呼び出せるかも知れません。」


2022/03/18

第6部 訪問者    12

  リカルド・モンタルボ教授の居場所を突き止めるのは造作無かった。ギャラガ少尉が申請書を何度も審査したので教授の携帯電話の番号を暗記していたのだ。彼が電話を掛けると、教授は宿泊しているホテルを教えてくれた。港から見えている2階建ての小さな宿だった。
 ケツァル少佐とギャラガ少尉が訪問すると、モンタルボ教授はロビーで出迎えた。気の毒なことに顔に殴打された跡が青黒く残っていた。

「アンビシャス・カンパニーのチャールズ・アンダーソンも間もなく来ます。」

と教授は言い、ホテルが営業しているカフェの屋外席に少佐と少尉を案内した。
 テーブルを囲んで座ると、少佐が見舞いの言葉を言った。教授はグラシャスと答え、それから腹立たしげに襲撃者を罵った。ギャラガが彼を遮った。

「犯人に心当たりはありませんか?」
「ありません。」

 モンタルボ教授は憮然とした声で言った。

「アンダーソンはアイヴァン・ロイドが差し向けた連中だろうと言ってましたが、私はそんな連中のことなど知りません。」
「アイヴァン・ロイド?」

 少佐がその人物のことを訊こうとした時、教授が道の向こうからやって来る人物に気がついて、手を大きく振った。早く来いと合図したのだ。ギャラガがその方角を見たが、少佐は無視した。ギャラガは背が高い白人が歩いて来るのを見た。その後ろの連れらしい男もやはり背が高く、そちらはアフリカ系だった。アメリカ人だな、とギャラガは思った。
 アンダーソンとブラッド・ジェファーソンと言う2人の男がテーブルのそばに来た。モンタルボ教授が彼等を大統領警護隊に紹介した。

「アンビシャス・カンパニーのアンダーソン氏とジェファーソン氏です。アンダーソン氏は会社の代表で今回の撮影の監督、ジェファーソン氏はソナー係です。」

 教授は大統領警護隊の2人を紹介しようとした。ケツァル少佐が自己紹介した。

「大統領警護隊のミゲール少佐とギャラガ少尉です。今回の襲撃事件の捜査を担当しています。」

 所属部署について言及しなかった。モンタルボ教授が何か言いかけたので、ギャラガが咳払いして教授の視線を己に向けさせた。

ーー黙っていろ。

 ”操心”を使ってみると、教授はあっさり術に掛かった。ケツァル少佐はギャラガが微かに気を発したことに気がついたが、彼が何も言わないので無視することにした。
 アンダーソンとジェファーソンも額に絆創膏を貼ったり、顔面に部分的青痣を作っていた。少佐は彼等を隣のテーブルに着かせ、襲撃当時の様子を聞き取った。
 モンタルボ教授と助手達5名、そしてアンビシャス・カンパニーの社員達10名はチャーターしたクルーズ船で水中遺跡がある海面へ出かけた。ジェファーソンがソナーで海底の地形を調べ、建造物らしきものと思われる地形の上でカメラを水中に入れた。アンダーソンはカメラマンと共に潜った。モンタルボ教授とジェファーソンが船上から指示を出し、潜水チームは大学の助手達も含めて約5名から7名、交代で潜って海底の様子を撮影した。船上のサポート班はサメの警戒をして、ボートを1艘出して海面で待機する者とクルーザーに残る者に分かれた。
 モンタルボ教授が船上のモニターで見た海底の様子を説明しようとしたが、ケツァル少佐は断った。事件の詳細に直接関係ないからだ。
 港に戻ったのは午後4時を少し過ぎた頃だった。クルーザーを係留して、機材を下ろし終えた時、突堤の入り口にワゴン車が2台止まっていることにアンダーソンが気がついた。いつからその車がそこにいたのか覚えていない、と彼はケツァル少佐に言った。彼等自身の車はワゴン車の向こう側で駐車していたので、荷物を運ぶのに邪魔だと思い、ワゴン車を移動してもらうよう社員を頼みに行かせた。ところがその社員が相手の車に十分な距離まで近づかないうちに、ワゴン車から目出し帽にバットや棍棒を持った男達がパラパラと降りてきて、いきなり社員を殴った。そしてクルーザーに向かって走って来た。アンダーソンは銃を持っていたが、その時は手元ではなく手荷物の中に入れたままだった。取り出す暇もなくバットか何かで殴られた。モンタルボ教授が抗議の声を上げたが、暴漢達は無言のまま調査スタッフを殴り、機材を奪うとワゴン車に乗り込んで走り去った。

「警察に電話をする暇もありませんでした。」

とアンダーソンが見事なスペイン語で語った。ギャラガが暴漢の特徴を尋ねると、彼等は互いに顔を見合って考え込んだ。

「服装はバラバラで・・・その辺の男達が目出し帽を被って強盗に変身したとしか思えない。」
「魚の臭いがする男がいました。でも全員じゃない。」
「車のオイルの臭いがする男もいたなぁ。」
「年寄りもいたような気がします。若いのもいたし・・・」

 ギャラガが少佐に言った。

「金を与えて急拵えの強盗団を結成した感じですね。」

 少佐は直ぐには同意を示さなかったが、数秒おいて頷いた。ギャラガは彼女が別の意見を持ったな、と察した。

「襲撃者の心当たりはありますか?」

 モンタルボ教授は首を傾げたが、アンダーソンが答えた。

「アイヴァン・ロイドじゃないかと思うのです。」
「誰?」
「我が社と競合している動画サイトを運営する男です。伝説や物語の実証と言うテーマで秘境や危険な場所へ行って動画を撮影し、配信する仕事をしています。我が社の動向を見張っていて、先回りして映像を配信するので、こちらの商売の邪魔なのです。」
「その人物があなた方が撮影した映像を盗み、配信しようとしていると、貴方は考えるのですね?」
「いや、きっと宝が写っていないか確認したいのでしょう。沈没船らしきものや古代の宝物らしき物が写っていたら、自分で潜るんですよ。だが、金を使い危険を冒して前調査はしたくない、そんなヤツです。」

 アンダーソンは怒りを声に滲ませた。

「憲兵隊にも言ったんですがね、ロイドの顔も居場所もわからないんじゃ探しようがないと言うんです。」
「アイヴァン・ロイドが本名だと言う証明もないでしょう。」

 少佐は腰を浮かしかけた。当事者から集められる証言はこれ以上出て来ないと判断した。
 ギャラガがモンタルボ教授に尋ねた。

「発掘調査を続けますか?」
「勿論です。」

 モンタルボ教授が憮然とした態度で言った。

「船上モニターで見た海の底の様子は私の頭の中に残っています。スポンサーのビエントデルスール社と相談して援助をまだしてもらえるか交渉します。」

 それ以上のことは大統領警護隊の関知しないことだ。ケツァル少佐とギャラガ少尉は聞き取りの協力に対する感謝の言葉を告げ、カフェから出た。
 
「襲撃者は金で雇われた者でないとお考えですか?」

とギャラガが歩きながら質問した。少佐が囁いた。

「”操心”で動かされた可能性も考えられます。」
「では、襲撃を指図したのは一族の人間?」

 ギャラガは驚いた。少佐が難しい顔をして道の向こうを見つめた。

「貴方が昨夜ダウンロードしてくれた海底の地形図を見て、奇妙な印象を受けました。8世紀の祖先達がどんな方法であの岬を沈めたのか、調べてみる必要があるかも知れません。もしかすると、それを知られたくない一族の人々がいる可能性もあります。」


2022/03/17

第6部 訪問者    11

  アンドレ・ギャラガ少尉が目を覚まして共有スペースに出て来ると、ケツァル少佐は彼を同伴して陸軍国境警備班の宿舎へ行き、そこの食堂で朝食を取った。陸軍側では既に真夜中にグラダ・シティから美人と白人に見える大統領警護隊の隊員が2名やって来たと情報が拡散されていたので、私服姿の彼等を素直に迎え入れた。ギャラガは食事中兵士達の視線を集めていることを感じていた。きっと彼の容姿を見て、本当に大統領警護隊なのか? と疑っているのだろうと推測した。大統領警護隊本部においては、彼の容貌は皆見慣れてしまい珍しいものでないので、最近は揶揄われることもなくなった。カベサ・ロハ(赤い頭)と言う渾名は聞かれなくなり、新たに「エル・パハロ・ブランコ」(白い鳥)と呼ばれるようになった。アスルなどは「正確には白い緑の鳥だろう」とややこしいことを言う始末だ。実際、昨年国境警備隊に配属されたギャラガの同期生が1人いて、出かける前に共有スペースで出会した時、そいつは同僚に彼を紹介した。

「こいつ、エル・パハロ・ブランコって呼ばれているんだ。だけど、エル・ジャガー・ネグロなんだぜ。」

 白人の姿をしたグラダ族だって?と同僚が驚いていた。ギャラガは面倒臭かったので、よろしく、とだけ挨拶して少佐を追いかけた。
 陸軍の食堂のご飯は特に美味と言うほどでなく、雇われコックが大雑把に作っているのだろうと窺われた。もしかするとパエス少尉はこの味付けが気に入らないのかも知れない。フレータ少尉の料理が懐かしいに違いない。
 食事が終わるとケツァル少佐とギャラガ少尉は港へ出かけた。小さな国境の町は徒歩でも半日あれば一周してしまえそうだ。
 グリン大尉の情報にあった風景を探すとすぐに見つかった。ビーチから少し南に行った海岸で水深があるので大型クルーザーでも着岸出来る突堤が2本海に突き出していた。港とビーチの間に岩礁があり、ギャラガが岩礁と水没した岬の盛り上がりが砂を溜めてビーチを形成したのでしょうと言った。ビーチの中央辺りに小さな川が海に流れ込んでいた。川と言うより町の余剰水を海に流している溝みたいな役割の水路だ。

「不自然にここだけ深いのですね。」

と少佐が感想を述べると、ギャラガは綺麗な海水の底を眺めた。

「人工的に掘ったようにも見えます。カラコルが沈んでしまったので、新しく港を造ろうとしたのではないですか。しかし結局往年の繁栄は取り戻せなかった。」

 沖も深いので、自然の海底地形を利用して急拵えの港を造ったのだろう、と彼等は思った。
 突堤はハイウェイから数本の枝道を使ってアプローチ出来たので、襲撃者がどこから来たのか現場を見ただけでは特定出来なかった。ギャラガがコンクリートの地面をじっくりと観察した。

「見たところ血痕が落ちている様子はありません。怪我人が出たと言っていましたが、出血するような傷でなさそうです。」
「打撲ですから、痛いのは変わらないでしょう。」

 少佐は海に面して並んでいる宿屋や小さなホテルを眺めた。モンタルボ教授はまだクエバ・ネグラに滞在している筈だ。アンビシャス・カンパニーの人間もいるだろうか。
 心地よい風が海から吹いていた。ギャラガが沖を眺めていたので、泳ぎたいですか、と訊くと、彼は肩をすくめた。

「グラダ・シティから南のビーチとここはちょっと雰囲気が違います。変なことを言うようですが、私はここの海が気持ち悪いです。」

 ケツァル少佐は思わず少尉の顔を見た。海が好きなギャラガが気持ち悪いと言う。ヴェルデ・シエロは同胞の感じたことを無視しない。誰か一人でも「悪い予感がする」と言えば、全員が警戒する。少佐は気持ちを引き締めた。
 

第6部 訪問者    10

  東の水平線の向こうが微かに明るくなった頃合いに、一人の女性隊員が検問所から戻って来た。階級は大尉で、ケツァル少佐は彼女がクエバ・ネグラの国境警備隊の指揮官だとわかった。少佐は私服だったので、故意に気を発して己が何者かアピールして彼女を迎えた。大尉が彼女の前で直立して挨拶した。

「クエバ・ネグラ国境警備隊を指揮しておりますバレリア・グリン大尉です。グラダ・シティからの出動、感謝します。」
「文化保護担当部のシータ・ケツァル・ミゲール少佐です。司令部の指示により、サン・レオカディオ大学発掘隊襲撃事件を調査に来ました。暫くこの宿舎を宿泊に使用させてもらいますが、貴官達の業務に口を出すことはしませんので、我々の行動にも世話や口出しは無用です。」

 グリン大尉は微笑し、”心話”を求めた。少佐が応じると、大尉は昨夕に起きた事件のあらましを報告してくれた。
 サン・レオカディオ大学発掘隊はモンタルボ教授と5名の助手、それにアンビシャス・カンパニーと言うP R動画制作会社のスタッフ10名が昨日の昼間、船をチャーターして、8世紀頃に岬が水没したと伝えられる海域を数往復して水中カメラで海の底を撮影した。午後4時過ぎに彼等はクエバ・ネグラ港に戻り、ホテルで映像編集を行おうと機材などを運ぶ為に車を突堤に置いて、荷物を船から下ろしていた。そこへ2台のワゴン車が来て、停車するなりワゴン車から数人の男達(目出し帽を被っていたらしい)が降りて来て、撮影機材を奪おうとした。教授と仲間達は相手が銃を持っていないと判断して抵抗したが、相手はバットや棍棒を持っており、殴打され、結局撮影機材を奪われ、人も怪我をした。
 モンタルボ教授は警察に連絡を入れ、ついでに大統領警護隊にも通報した。彼が使った大統領警護隊の番号は国境警備隊オフィスのものだったので、グリン大尉は管轄外の犯罪の通報にちょっと困惑した。通報者は考古学者で発掘作業の事前調査だと言った。それで大尉は本部に連絡を入れ、文化保護担当部に任せようと思った。
 事情を理解したケツァル少佐も、彼女に情報を分けた。モンタルボ教授には発掘申請を出す段階で数件の奇妙な協力の申し出や問合せ電話があったことだ。
 グリン大尉が苦笑した。

「ここの海で宝を積んだ船が沈んでいると言う噂があれば、とっくの昔にトレジャーハンターが集まっていたでしょう。カラコルがあったと言われる海域はサメが多く、ここのビーチは綺麗ですが、浅瀬で水遊びをする程度で深度があるところで泳ぐ人間はいません。水中の宝物や沈没船を見たり聞いたりした人はいません。」
「そうでしょう。文化・教育省の文化財遺跡担当課にもその様な記録はないそうですし、建設省交通部に沈没船のマップがありますが、そこにもここの海域は何もマークされていません。」
「私は仕事柄麻薬か密輸関係の品物を誰かが海底に隠したか落としたのではないかと考えています。しかしサメが多く出没する海に部下や陸軍水上部隊や沿岸警備隊に潜れとは言いたくありません。」

 そして彼女はケツァル少佐に顔を近づけ、声を低めた。

「一月ほど前に、地元の漁師と観光客が釣り上げたサメから、人間の体の一部が出て来ました。」
「知っています。友人が偶然仕事でこちらを訪れていた時に、浜に揚げられたそうです。」
「そうでしたか。では、乗り捨てられた盗難車が同時期にあったことはご存知ですか?」
「それも聞きました。盗難車とサメの犠牲者に何か関連があるのですか?」
「物証はないのですが、犠牲者の身元が全く不明のままであることと、盗難車を乗り捨てた人物が見つからないことで、両者が同一人物ではないかと憲兵隊が憶測を立てているそうです。国境警備隊は盗難車は密出国者が乗り捨てたのではないかと考えていますが。」

 ケツァル少佐が、それが真っ当な考えだと言うと、大尉は頷いた。

「ただ、その盗難車を乗り捨てた人間と同一人物なのか、これも不明なのですが、車が発見場所に置かれた日に、浜辺で漁師のボートが一艘盗まれました。船外モーター付きの簡単な小型の釣り船です。それが2日後に国境の向こう側の浜辺で転覆した状態で打ち上げられたのです。隣国のオフィスと話し合った結果、密出国者が車を盗んで乗り捨て、ボートを盗んで海から越境しようとして波で転覆し、サメに襲われたのではないかと言うことになり、我々が盗難車を押収しました。」
「そして実際にサメから死体が出たのですね。」
「その通りです。でもこれは考古学者襲撃事件とは関連ないと思います。我々にとって完結した事案です。」

 少佐はグラシャスと言った。グリン大尉が、陸軍側の食堂で食事が取れることを教えてくれた。

「我が方では軽食を温める程度の厨房です。ハラールを気にしなければ、陸軍の食堂で十分ですから。」

 そこでふとケツァル少佐はパエス少尉を思い出した。彼がいた太平洋警備室の厨房ではきちんとハラールの儀式を毎回行ってから調理していたそうだ。それでさりげなく言った。

「先程案内してくれたパエス少尉が前に勤務していた太平洋警備室はハラールを行っていたそうですよ。」

 ああ、とグリン大尉がちょっと困惑した顔をした。

「それが些細な問題を引き起こしました。ここへ着任した当日に彼が陸軍の食堂の食事は食べられないと言い出し、他の隊員達の反発を招いてしまいました。我々は一族の文化を否定する気はありません。しかし国境警備は多忙です。クチナ基地では儀式を行って調理していますが、ここのオフィスは指揮官少佐の許可の元で省略しているのです。陸軍側に強制する権利を持っていませんし、”ティエラ”もハラールの文化を持っていますがクエバ・ネグラの陸軍国境警備班では儀式を行わないのです。理由は我々と同じです。」
「パエス少尉は孤立しているのですか?」
「勤務中は命令に従いますし、同僚とも協力し合っています。しかしプライベイトな時間は一人ですね。奥様を同伴されて部屋を近くに借りているようで、非番の日はそちらへ帰ってしまい、同僚と過ごすことはありません。」

 グリン大尉は若い。年齢的にはパエス少尉とあまり変わらないだろう。彼女はパエス少尉の転属の理由を知らされていた。だからパエス少尉がこのまま国境の町で退役まで暮らすのであれば、同僚と仲良くなって欲しいと願っていた。
 彼女の正直な気持ちを”心話”で伝えられたケツァル少佐は、彼女を励ました。

「貴女が良い指揮官となる試練ですよ。」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...