2022/03/22

第6部 七柱    1

  テオドール・アルストは期末試験の問題を作り終えて主任教授に提出した。ひどく肩が凝った。早く終わらせようとパソコンの画面に集中し過ぎたせいだ。カフェでコーヒーでも飲んで、後は何もせずに夕方迄過ごそうと思いつつ、キャンパス内のカフェに行くと、考古学部のケサダ教授とンゲマ准教授、宗教学部のウリベ教授、それに文学部先住民言語学のオルベラ教授が、それぞれ別のテーブルなのに席だけは固まって座っているのが目に入った。一つのテーブルに1人ずつだ。
 こんな場合、俺は何処に座れば良いんだ?
 テオは戸惑いつつ、彼等に近づいた。「オーラ!」と声をかけると、多少の時間差はあったが全員が彼を見た。口々に「オーラ!」と返事が戻ってきた。唯一人の女性であるウリベ教授が彼女のテーブルを指した。

「どうぞ、お掛けになって。」

 椅子が3脚空いていたので、テオは取り敢えず彼女に近い椅子に座った。向かいに座るべきかと思ったが、それでは男性教授達と遠くなってしまう。オルベラ教授はあまり出会うことがない人だったが、テオの顔を見て笑いかけてきた。

「お疲れの様ですね。試験問題は完成しましたか?」
「スィ。なんとか作りました。主任教授から合格だと連絡が来れば、安心して眠れます。」

 試験はレポート重視の考古学部の教授達は優しく微笑んだだけだった。ウリベ教授は論文形式の試験問題を出すことで有名で、それがかなりの難関だと評判だ。普段の和やかな講義風景とは全く異なる地獄の試験だと学生の間で噂されていた。
 今期の学生達は勉学に真面目に取り組む者が多かったと、教授達は教え子達の評価を交わし合った。テオ以外は人文学系なので、テオが知っている学生の名前は出てこなかった。そのうちに、ンゲマ准教授がテオの興味を引く話を始めた。

「私の研究室の学生が2名、先週喧嘩をしましてね・・・」

 男子学生が恋愛問題で口論になったのだと言う。

「学生達の喧嘩に私が口出しすることでもなかったのですが、片方がどう言う訳か、相手の真の名を呼んでしまいまして、怒った相手と取っ組み合いとなり、引き離すのに苦労しました。」
「それは、呼ばれた方にとっては一大事でしょう。」

とウリベ教授が苦笑した。オルベラ教授もケサダ教授も首を振ってウリベ教授の言葉に同意した。テオは不思議に思った。インディヘナが真の名を持つことは知っている。彼等が普段使っている名前は書類上の本名で、名付け親や親からもらう真の名は決して他人に明かさないものだ。恐らく大統領警護隊の友人達も真の名を持っている筈だが、絶対に教えてくれないだろう。そう言う大事なものを、何故他人が知っているのだ?

「その学生の真の名を、どうして喧嘩相手が知っているのです?」

 彼が質問すると、「さあ?」とンゲマ准教授は肩をすくめた。

「それが呼ばれた方は全く心当たりがなかったのですな。家族でない人間に教える筈がないし、彼の家族も他人に彼の真の名を教えたりしないでしょう。」
「偶然罵った言葉が、真の名だったのではないですか?」

とオルベラ教授。ンゲマ准教授は首を振った。

「いや、罵り言葉になるような名前ではありませんでした。流石にここで彼の真の名を言ってしまうことは出来ませんが・・・」

 すると呪いなどの研究をしているウリベ教授が言った。

「もしかすると、その喧嘩相手の真の名を呼んでしまった学生は、相手の心を読んでしまったのかも知れませんね。」

 男性達は一斉に彼女を見つめてしまった。

「心を読んだ?」
「テレパシーですか?」

 ウリベ教授は肩をすくめた。

「さぁ・・・」

 するとケサダ教授がボソッと呟いた。

「恐らく、聞こえてしまったのでしょう。」

 一同は彼を見た。教授は紙コップのコーヒーを啜ってから言った。

「たまにあるでしょう、誰かの心の呟きが聞こえる、と言うか、聞こえたような気がすることが。意図して読んだのではなく、偶然聞こえてしまったのでしょう。」

 それはテオも経験があった。なんとなく隣に座っている友人が何か言ったようなので顔を見ても、向こうは知らん顔しており、何も喋った風でないことがある。実際、「何か言った?」と尋ねても、「何も言っていない」と言われるのだ。アメリカ時代でもそう言う経験があった。超能力者を研究している施設だったから、そう言うこともあるだろうと気にしなかった。セルバに来ても、”ヴェルデ・シエロ”の血を遠い祖先に持つ国民が多いので、気にしていない。だが、真の名を他人に知られるのは一大事だ。セルバ人は、他人に自分が支配されるのではないかと心配する。

「それで、喧嘩した学生達はどうしたのですか?」

 オルベラ教授の問いにンゲマ准教授は苦笑した。

「別の学生の仲裁でなんとか収まりました。彼等があの喧嘩をきっかけに親友同士になれば、問題は起こらないと思いますがね。」

 メスティーソの彼は、純血の先住民であるウリベ教授とケサダ教授を見た。

「先生方は、真の名をお持ちですか?」

 ウリベ教授もケサダ教授も当然だと言う顔で頷いた。

「スィ。持っていますよ。明かしませんが。」
「私も名付け親から貰いました。今では年寄りがいなくなって、私しか知りませんけれど。」

 彼等はオルベラ教授を見た。オルベラとンゲマはどちらもメスティーソだ。オルベラ教授は首を振り、ンゲマ准教授も「持っていません」と言った。そして彼等はテオを見た。テオは苦笑した。

「俺は、M3073 って言う名前をもらってました。」

 セルバ人の教授達が無言で見つめるので、彼は告白した。

「遺伝子の研究施設で生まれたので、シオドアって名前をもらう前は、試験管番号で呼ばれていたんですよ。勿論、物心つく前ですけどね。」
「それは真の名前じゃありませんわ。」

とウリベ教授が悲しそうな目で言った。

「貴方の真の名前はテオドール、それで良いじゃありませんか。」

 

2022/03/21

第6部 訪問者    21

 国境警備隊の宿舎に戻ると、丁度ルカ・パエス少尉も勤務を終えて戻って来たところだった。ケツァル少佐に気がついて彼が敬礼したので、少佐はギャラガ少尉を先に行かせ、ドアの外でパエス少尉に向き合った。

「これから自宅に戻って夕食ですか?」

 パエスが小さく溜め息をついた。

「グリン大尉からお聞きになられたのですね。」
「スィ。偶々ハラールの話題から、貴方の話になりました。昔からの伝統を破るのは気持ちが良くないでしょうが、貴方一人が同僚と違う生活を続けるのはどうでしょう。疲れませんか。」
「ハラールの問題もありますが・・・」

 パエスは顔を町の方へ向けた。

「妻の為でもあります。妻は不始末をしでかして転属になった私について来てくれました。子供達を実家に置いて、私を選んでくれたのです。しかし国境警備隊の休暇は半年毎に一月です。見知らぬ土地で妻は一人で半年暮らさなければなりません。ですから、私は1日に1度、食事の為に彼女の元に帰るのです。」

 少佐も溜め息をついた。

「貴方の気持ちはわかります。しかし、貴方は軍人で、彼女は軍人の妻です。貴方の同僚達も家族と会えない半年間を我慢して勤務しているのです。彼等の家族はクエバ・ネグラに住んでいないでしょう。電話をかけることさえ我慢している隊員もいるのです。奥さんと会うなとは言いませんが、軍人らしくケジメをつけなさい。」

 年下の上官から注意されて、パエス少尉はムッとした様子だった。太平洋警備室で勤務していた頃は毎日自宅から通勤していたのだ。 いきなり生活習慣を変えるのは難しいのだろう。ケツァル少佐はパエス少尉に思い入れはなかったが、同じ太平洋警備室から転属させられたガルソン中尉やフレータ少尉が新しい職場に馴染んで落ち着いていることを考えると、パエスにももっと気楽に働いて欲しかった。そうでなければ、太平洋警備室の問題を発見して事件の解決に奔走した彼女の弟カルロ・ステファン大尉や友人のテオドール・アルストが後々後悔することになってしまう。あの男達は他人の問題を見捨てておけないお人好しなのだから。

「国境警備隊の隊則がどの様なものか知りません。しかし家族が住む場所が勤務場所に近いのであれば、そこから通えないのですか? 本部の家族持ちの隊員達は自宅に帰る時間を十分もらっていますよ。一度グリン大尉に相談してみなさい。大尉は決して話のわからない人ではありません。クチナ基地のオルテガ少佐に話をしてくれるかも知れません。大統領警護隊は決して石頭ばかりでない筈です。」

 無言のままパエス少尉がもう一度敬礼した。ケツァル少佐はドアを開き、宿舎の中に入った。少し遅れてパエス少尉も入り、これから勤務に出て行く隊員と引き継ぎを行う為に共有スペースと廊下の角にある事務室に入った。
 少佐は真っ直ぐ寝室に割り当てられた部屋へ行った。ギャラガ少尉が簡易ベッドの上に座っていた。男女別ではなく、一部屋に男女2人だ。空き部屋が一部屋しかないので、仕方がない。しかも簡易ベッドを入れたので、かなり狭かった。最初に連絡を受けて部屋の準備をした隊員は「ミゲール少佐」が「有名なケツァル少佐」と同一人物であると知らなかったので、男性だと思っていたのだ。昨夜到着した時、この部屋を使ったのはギャラガだけだった。少佐は道中車の中で眠ったので使わなかった。昼間シャワーを使った時は交代で部屋を使ったので、一緒に部屋に入ったのはこれが初めてだ。

「共有スペースのソファで寝ます。」

とギャラガが言うと、少佐は首を振った。

「それではここの隊員達が気まずい思いをします。私は平気ですから、貴方も気にせずにお休みなさい。」

 彼女はさっさと装備していた拳銃を枕の下に置き、靴を脱ぐと着衣のままベッドに横になり、すぐに目を閉じた。
 ギャラガは簡易ベッドから下り、ドアへ行って取り敢えず施錠した。そして靴を脱ぐと、拳銃と財布を枕の下に置き、ベッドに横になった。ここは野宿と同じ、別々の木の上で寝ているんだ、と己に言い聞かせ、彼は目を閉じた。

第6部 訪問者    20

  船を下りると、ケツァル少佐とギャラガ少尉は船長に教えてもらったバルへ行った。「小さなホアン」の紹介だと言うと、新鮮な魚介類のセビーチェを出してくれた。その後も地元の料理を次々と注文し、国境警備隊の食堂では決して味わえない美食を、2人は時間をかけて堪能した。

「建設会社が何を隠そうとしているのか、わかった様な気がします。」
「何ですか?」

 ギャラガの言葉に少佐が興味深げに彼を見た。ギャラガはクラッカーを4枚、箱の壁の様に四角く立てた。その上に器用に天井部分のクラッカーを重ねて置いた。さらにまた上に箱を積み上げた。彼は2階以上の部分を指した。

「カラコルです。」

 そして下の部分を指した。

「地下の貯水槽です。この壁を崩すと・・・」

彼はクラッカーの1枚を強引に押し倒した。クラッカーのカラコルは、3枚の壁に支えられて保たれた。

「壁の一角が崩れただけでは、街は保たれています。しかし、貯水槽の中の水が流れてしまって空になると、壁の外の海水の圧が残りの壁を崩してしまいます。」

 少佐が考え込んだ。

「壁の一角が崩れ、貯水槽の中の水が流れ出て貯水槽が空になる・・・どう言うことですか? 壁が崩れたら海水がすぐに流れ込んで来るでしょう?」
「最初に崩れた壁は、海に面した三方ではなく、陸と繋がっている面です。恐らく、貯水槽の水は本土の地下に流れて行ったのです。」

 ギャラガはクラッカーの積み木を片付けた。

「船長のホアンは、大昔のクエバ・ネグラは海のそばまで森林が迫っていたと言いました。今は低木と草が生えているだけです。塩気に強い植物ばかりですよ。もう少し南へ行けばマングローブがありますが、ここはありません。土に塩分が多いんじゃないですか。」
「そう言えば、船長が昔の水は売れるほど美味しかったが今はそのままでは飲めないと言ってましたね。」
「壁が崩れて貯水槽の真水が本土側に流れてしまい、海からの圧力に耐えきれなくなった壁が崩れてカラコルの街は陥没したのでしょう。そこにまた海水が流れ込んだ。本土へ流れる水路は崩落した地面で塞がれた筈ですが、海水はずっと少しずつ染み込んでいるのだと思います。」
「それにロカ・エテルナ社がどう絡んでいるか、ですね。」

 エビのペーストをクラッカーに載せてギャラガは口に入れた。それをもぐもぐと食べてしまってから、白ワインのグラスを見ている上官に考えを述べた。

「私は一族の歴史に詳しくありません。でも古代の神殿などの建築に携わった部族がいた訳でしょう? カラコルの町が築かれる頃にそうした技術集団が雇われて、密かに町の下にそんな仕組みを造ったとしたら、どうでしょう?」
「その仕組みを造った目的は?」
「海の交易で栄えていた町ですね? もし外国から侵略を受けて町を占領された場合を想定し、町ごと敵を海の底に沈めてしまう、と言う対策を取っていたとしたら?」

 少佐が彼を見た。

「侵略されなかったが、町は神を冒涜した。だから、神の怒りによって沈められた?」

 暫く2人は黙って口を動かしていた。不意に少佐が呟いた。

「地震は本当にあったのでしょうか?」
「山に登った時、断層を見ました。しかし・・・地面がずれた方角が違いましたね。あれなら、カラコルがあった岬は持ち上がってしまう・・・」
「岬は実在したのですか?」
「少佐・・・」

 ケツァル少佐は頭に浮かんだ突拍子もない考えに、自分で苦笑した。

「岬は存在しなかったけれど、カラコルの町は存在したのかもしれませんよ、アンドレ。」


第6部 訪問者    19

  街に下りて住民に船に乗って海を見たいと言うと、浜辺で漁師を雇えば良いと教えてくれた。仕掛けの手入れが終わっていれば、小遣い稼ぎに観光客や釣り人を乗せるのだと言う。そこで砂浜に下りると、丁度古い大型の船と中型の漁船を並べて数人の漁師が夕刻の出漁までの時間を潰していた。ギャラガが声を掛けると、彼等はちょっと相談して、ホアンと言う男が名乗り出た。時間と値段の交渉の後で、ケツァル少佐とギャラガ少尉は普通の観光客のふりをして中型の漁船に乗せてもらった。
 規則に従ってオレンジ色のライフジャケットを着用し、彼等は穏やかな海の上に出かけた。

「いつもこんな穏やかな海なのかな?」

とギャラガが話しかけると、船長のホアンが舵輪を回しながら頷いた。

「セルバの海は穏やかさ。ハリケーンさえ来なければ、いつでもご機嫌さね。」

 彼は速度を落とした。

「エンバルカシオンの縁は浅くなっているから、通り道を決めてあるんだ。」

 エンバルカシオンとは、海中に没した岬があると言われている海域の地元での呼び方だ。「器」と言う意味で、地元民は大きな縁高の皿に見立てているのだった。

「サメが多いんだって?」

 ギャラガが無難な話題から話を進めた。ホアンはパイプタバコを吸いながら、海面を見た。

「多いと言っても、この船ほどの大きさのヤツはいない。でも先日、俺の従兄弟のホアンが、俺と同じ名前なんで皆こんがらがるんだがね、そのホアンがもっと沖で馬鹿でかいのを釣り上げたんだよ。」
「腹から人が出て来たサメかい?」
「ああ、新聞に載ったから、あんたも読んだんだね。」

 ホアンはパイプを咥えたまま笑った。

「安心しなよ、エンバルカシオンは浅いから、そんなでかいのはいない。ほら、底が見えるぜ。」

 船の速度がさらに落ちて、ホアンは停止させた。ギャラガと少佐は甲板から下を見た。珊瑚や魚が見えた。水深は7〜8メートルか? 数分後、再び船が動き出し、エンバルカシオンの中心部へ進んだ。

「この辺りは底の岩が凸凹して、隠れ場所が多いから魚が多い。だからサメも住んでいる。」

 海面から見た限りでは、珊瑚や藻で海底が人工的に加工された岩なのか天然の岩なのか判別出来なかった。ケツァル少佐がホアンに尋ねた。

「平らな岩が並んでいる箇所があると、ホテルで出会った考古学者が言ってました。場所は分かりますか?」

 ああ、とホアンが頷いた。

「カラコルを見つけたって騒いでいる学者だな。場所は知っている。この先だ。」

 彼は船を進め、やがて停船した。 少佐とギャラガは覗いて見たが、波が光ってよくわからなかった。少佐がホアンに尋ねた。

「貴方はその平らな岩を見たことがありますか?」
「うん、道みたいに岩が並んでいる。所々にそう言う風になっている箇所があるんさ。でも不思議じゃない。カラコルが沈んでいるんなら、当然だろう。」

 地元民は古代の町が沈んでいることを疑っていない。しかし、学者が大騒ぎする理由がわからない、そんな雰囲気だった。ギャラガが観光客らしく質問した。

「宝を積んだ沈没船とか、古代の町の財宝とか、そんな伝説や噂はないのかい?」

 ホアンが大声で笑った。

「他所から来る人は皆そう訊くんだなぁ。確かにカリブ海には海賊や沈没船の伝説がわんさとある。だけど、残念ながら、クエバ・ネグラにはないんさ。ここはね、金は積み出していなかったんだ。オルガ・グランデの金はここへ来なかった。昔は北のルートを通って隣国へ運ばれていたからね。ここは、船の水を補給する港だったんだよ。クエバ・ネグラの水は旨かったそうだ。今じゃミネラルが多過ぎてそのままじゃ飲めないがな。」
「水で富を得ていたのですか?」
「そりゃ、水以外にも何か売っただろうけど・・・」

 ホアンは陸の方向を見た。

「大昔は、海岸近くまで森だったそうだ。だから動物を狩ることが出来た。綺麗な毛皮の獣や、美しい羽の鳥とかね。罰当たりだよ、ジャガーなんか狩って売ろうなんて考えてさ・・・」

 彼は少佐を振り返った。

「あんた達、都会から来ただろ? グラダ・シティでもやっぱりジャガーは神様だろ?」
「スィ。雨を呼ぶ大切な神様です。」
「カラコルの町はジャガーを外国に売ろうとして、”ヴェルデ・シエロ”の怒りを買ったんだ。地震が来て、町を支えていた柱が全部折れて、一晩で岬が海の底に沈んだって、婆ちゃんが語ってくれたっけ。この辺りの人間は皆そう言う言い伝えを聞かされて育ったんだよ。神様を冒涜して罰せられた恥ずかしい話だから、外の人間にはあまり話さないがね。だけど、俺は今話すべきだと思うんだ。だって森林伐採でどんどん森が減っているじゃないか。森がなくなると、海も痩せてくるって、テレビで偉い先生が言ってた。ジャガーが住めなくなるセルバはセルバじゃない。昔話に教訓が含まれているってことを、学校で教えるべきさ。」

 思いがけず漁師から深い地球環境問題に関わる意見を聞かされ、少佐は相槌を打つしかなかった。 ギャラガはホアンの話の最初の部分が気になった。

「町を支えていた柱が折れたって、どう言うことだろ?」
「だから、柱の上に町が築かれていたんさ。水を売っていた町だから、地面の下に水を溜めていたんだろ。地震で床が崩れて、柱が折れて、町がドシンと落っこちたのさ。」


2022/03/20

第6部 訪問者    18

  カミロ・トレントが立ち去ると、ギャラガ少尉は上官を振り返った。

「クエバ・ネグラ・エテルナ社の親会社は、ロカ・エテルナ社です。トレントに指図して海底の映像を奪わせたのは、ロカ・エテルナ社の人間ではありませんか?」

 少佐が目を閉じた。

「厄介な相手です。社長はムリリョ博士の長子、アブラーン・シメネス・デ・ムリリョです。」
「”砂の民”ですか?」
「知りません。私が明確に”砂の民”だと知っているのは、首領のムリリョ博士とセニョール・シショカだけです。」
「ケサダ教授は・・・」
「彼もそうではないかと思っていますが、本当のところ、確認出来ていません。」
「でも、教授がドクトル・アルストに”砂の民”はピューマだと教えてくれたでしょう?」
「教えてくれただけですよ、アンドレ。そして彼はムリリョ博士の養い子で娘婿でもあります。”砂の民”の知識を持っていても不思議ではありません。」
「でも、”砂の民”は家族にも秘密を打ち明けないんじゃないですか?」
「常識的に考えれば、その通りです。ですが・・・」

 少佐は目を開いた。

「ムリリョ博士とケサダ教授の関係は簡単ではありません。兎に角、今回の件はアブラーンにぶつかってみなければわかりません。8世紀に海の底に沈んだと言われる伝説の町と、現代の建設会社が発掘調査を妨害する理由がどう結びつくのか、訊いてみましょう。」
「グラダ・シティに帰るのですか?」

 心なしかギャラガが残念がっている様に聞こえた。彼女は滅多に遠出しない若い部下を見た。ギャラガが遠出しないのは、遠出に慣れていないだけだ。出張を命じれば躊躇なく何処へでも行く。だが自発的に休暇に遠出したりしない。子供の頃は貧しくてその日の糧を得るので精一杯だったし、生きる為に軍隊に入り、休暇をもらっても帰る家も遊ぶ友人も持たなかったから、官舎から近くの海岸へ行くだけだった。

「帰るのは明日にしましょう。」

と少佐は言った。

「これから自由時間にします。好きに過ごしなさい。明朝700にここに集合。」

 喜ぶかと思ったが、ギャラガはぽかんとして上官を見つめるだけだった。だから少佐も戸惑ってしまった。

「遊びに行って良いですよ。」

と言うと、逆に「貴女は?」と訊かれた。実を言うと少佐も午後の予定などなかった。カミロ・トレントが現れなければ彼を探しに行くつもりだったのだ。彼女は両手で髪をかき上げた。

「どうしましょう・・・」

 ギャラガが窓の外を見た。

「もし宜しければ・・・」

と彼が言った。

「船を雇って、カラコルを海の上から見てみませんか?」


第6部 訪問者    17

  共有スペースで言葉を交わした隊員が検問所の勤務に出るために、身支度をしに部屋へ戻って行った。装備を整え、隣の陸軍の食堂で食事を取ってから勤務に就くのだ。
 ”感応”で呼んだカミロ・トレントが現れないので、失敗したかとギャラガ少尉が不安になる頃になって、駐車場に一台の小型バンが入って来た。赤い車体に「クエバ・ネグラ・エテルナ 建築&解体」と白いペンキで書かれていた。窓から見ていると、車から中年のメスティーソの男性が降りて来た。繋ぎの作業服を着ているが、汚れていない。作業員ではなく監督をする立場の人間だろう。彼は2棟の宿舎を見比べ、やがて意を決して大統領警護隊の宿舎へ歩き出した。
 ケツァル少佐は座ったままだった。ギャラガ少尉が入り口まで行った。ノックの音が聞こえた。彼は静かにドアを開いた。応対に出て来たのが白人に見える若い男だったので、建設会社の男性は少し驚いた様子だった。

「クエバ・ネグラ・エテルナ社のカミロ・トレントと言います。こちらで私をお呼びになった方はおられますか?」

 用心深く問い掛けたのは、呼んだ相手の正体も位置も不明だったからだ。肉親や親しい仲間の呼びかけであれば、相手が誰だかわかるし、己と相手との距離も概ね推測出来る。居場所も見当がつく。しかし初めて呼びかけて来た人物を探すのは困難だ。トレントが来るのが遅れたのは、呼びかけた人物が誰だかわからずに戸惑い、相手の居場所を探していたからだ。トレントはこの町の”ヴェルデ・シエロ”を大方把握しているに違いない。そして心当たりの人から順番に探って周り、国境検問所まで行き、最後にこの国境警備隊の宿舎に行き着いた。
 ギャラガが頷いた。

「私が上官の命令で呼びました。中へお入り下さい。」

 トレントが用心深く中に入って来た。私服姿の白人の様な男と、私服姿の若い女性しかいない共有スペースに足を踏み入れ、彼の後ろでギャラガがドアを閉じたので、ちょっとだけ後ろを振り返る素振りを見せた。
 ケツァル少佐が立ち上がった。

「大統領警護隊文化保護担当部指揮官ミゲール少佐です。」

 彼女が自己紹介すると、トレントが溜め息をついた。諦めの溜め息だ。

「クエバ・ネグラ・エテルナ社のカミロ・トレントです。文化保護担当部が来られたと言うことは、サン・レオカディオ大学の件ですね。」
「スィ。」

 相手があっさり認めたので、少佐は少し拍子抜けした。

「モンタルボ教授から撮影機材を奪った男達を操ったのは、貴方ですか?」
「その通りです。リーダー格の男に”操心”をかけました。残りはリーダーが集めた手下です。」
「軽傷とは言え、市民に怪我をさせましたね。」
「申し訳ありません。私の能力では一人を操るのが限界でした。リーダーには調査隊に怪我をさせるなと命じたのですが、手下どもには伝わらなかったのです。処罰の対象となるでしょうか?」
「致命傷を負わせた訳ではないので、大統領警護隊は気に留めていません。調査隊の怪我の件は憲兵隊が捜査しています。」

 ギャラガはいつもながらのセルバ流「単刀直入に要件に入らない会話」に少しイラッとした。もしここにドクトル・アルストがいれば、必ずこの会話に割って入る筈だ。しかしギャラガは少佐の部下だ。彼は辛抱強く会話を聞いていた。
 少佐が遂に本題に入った。

「サン・レオカディオ大学から盗んだ物をどうするつもりですか?」

 トレントが肩をすくめた。

「撮影した映像をグラダ・シティに送りました。奪ったカメラやその他の機材は私が操ったリーダーの手下どもが故買屋に売った筈です。リーダーから連中への報酬です。」

 それなら憲兵隊が既にこの界隈の故買屋を片っ端から調べていることだろう。「リーダー」がどう言う立場の人間なのかトレントは言及しなかった。恐らく憲兵隊がその「リーダー」を突き止めても、「リーダー」とトレントとの繋がりは判明しない。「リーダー」には”操心”に掛けられた記憶がない。

「映像をグラダ・シティに送ったと言いましたか?」

 ギャラガ少尉は思わず口を挟んでしまったが、少佐は咎めなかった。ギャラガにも尋問の経験は必要だ。トレントが頷いたので、彼は更に尋ねた。

「グラダ・シティから貴方に映像を奪えと指図が来たと言うことですか?」

 トレントは少し沈黙してから、考えながら言った。

「指図は、考古学者が海の底で何を撮影したか調べろと言うものでした。ですから私は何とかして調査隊に近づこうとしたのですが、大学側はモンタルボの教室の学生ばかりでしたし、撮影隊の方はアメリカ人ばかりで、潜り込む隙がありませんでした。私は4分の1”シエロ”ですから、力が強くありません。”幻視”を使って潜入することは出来ても、長時間相手を騙す技を持っていませんので、力づくで奪う方法を選択しました。映像を記録した媒体が何かわからなかったので、撮影機材一切合切を奪わせたのです。」
「映像はどの様な方法でグラダ・シティに送ったのですか?」
「モンタルボはU S Bにデータを保存していたので、社員に運ばせました。郵送では紛失する恐れがありますし、何時向こうに着くかわかりませんから。」

 ケツァル少佐がそこで再び口を挟んだ。

「貴方のところの社員が知っている場所に運んだのですね?」

 トレントはまた溜め息をついた。大統領警護隊に嘘の証言をすると後で重罪に問われる。彼は法で罰せられるのと、部族内ルールを犯して族長から罰せられるのと、どちらがキツいだろうと天秤にかけた。

「申し訳ありません。これ以上話すことは部族を裏切ることになります。」

 ギャラガが少佐を見た。トレントの言葉は、今回の強奪事件が彼個人の目的があってしたことではなく、部族の上の方からの指示に従って行ったことを示唆していた。
 ケツァル少佐も少尉と同じ見解だった。これ以上トレントを問い詰めても彼は口を割らないだろう。彼女は言った。

「強奪犯と盗難品の行方は大体わかりました。指図を出した人の真意は不明ですが、ここで調べても拉致は明かない様です。お帰りください。」

 ギャラガはまだ不安要素が残っていた。

「モンタルボはまた調査をすると言っています。貴方はまた彼を妨害しますか?」

 するとトレントは心外なと言いたげな顔をした。

「私は彼を妨害していません。撮影したものを奪っただけです。」

 少し認識のずれがあるようだ。ギャラガはそう思ったが、それ以上突っ込むのを止めた。


2022/03/19

第6部 訪問者    16

  宿舎の共有スペースに入ると、男性隊員が一人ソファに座ってテレビを見ていた。恐らく先程のギャラガが失敗した気の波動で目が覚めてしまい、交代時間迄の時間を潰そうとしていたのだ。入って来た私服姿のケツァル少佐とギャラガ少尉に怪訝な表情で顔を向けたので、ギャラガが気を利かせて紹介した。

「大統領警護隊文化保護担当部指揮官ミゲール少佐であられる。私は同部のギャラガ少尉だ。」

 隊員が急いで立ち上がって敬礼した。敬礼を返したケツァル少佐は彼の上半身がまだTシャツ1枚だけなのを見て、寝起き間もないと判断した。

「我々が貴官の休息を妨げた様です。」
「そうではありません。間もなく交代時間ですので、目を覚ましておりました。」

 少佐は、そうではないだろうと突っ込まずに、彼に休憩の続きを、と指図した。そしてもう一つのソファにギャラガと並んで座った。隊員も腰を下ろしたので、彼女は言った。

「もしかするとカミロ・トレントと言う男性が来るかも知れません。我々が呼んだのですが、彼は誰に呼ばれたのか知らない筈です。彼が現れたら、教えて下さい。」
「承知しました。」

 一般人が聞けば奇妙な言葉だったが、”ヴェルデ・シエロ”は意味がわかる。隊員は少佐の言葉を理解した。彼はボリュームを落としてテレビのニュースを見ていた。大きな事件は起きていないが、今年の雨季は雨量が例年より多いだろうと気象学者が予想していると言うニュースが伝えられると、隊員は溜め息をついた。豪雨の中での検問を想像してうんざりしたのだろう。毎年のことではあるが、こんな時は東海岸ではなく西海岸で勤務したくなるに違いない。
 隊員がチラリとこちらを見た。国境警備隊でない人間がいるので気になるのだろうと少佐が思っていると、彼が話しかけて来た。

「失礼ですが、先程気の波動を発せられましたか?」
 
 少佐が彼の方へ顔を向けると、ギャラガが急いで言い訳した。

「私が少しヘマをやっただけだ。起こしてしまって悪かった。」

 隊員が彼に視線を向けた。一見”ヴェルデ・シエロ”に見えないギャラガに彼は問い掛けた。

「君が、あの、白いグラダか?」

 ギャラガは予想以上に己が有名なことを知って、ちょっとうんざりした。

「そうだ。白人の血が混ざっているので、まだ修行中だ。」
「気の波動に鋭い波があった。君が本気で爆裂波を放ったら戦車隊でも一撃で吹っ飛ぶんだろうな。」

 その声には羨望が混ざっていたので、ギャラガはびっくりした。そんな風に賞賛されたのは初めてだ。すると少佐が隊員に言った。

「ギャラガ少尉を煽てないように。彼はまだ20歳です。制御を完璧に習得する迄は爆弾の様な子です。」

 つまり、ギャラガ少尉は現在でも十分強大な爆裂波を使えると暗に言ったのだ。1年と半年前迄、”心話”すら使えない”出来損ない”として有名だったカベサ・ロハ(赤い頭)は、本当は能力がなかったのではなく、使い方を知らないだけの子供だった、と少佐は隊員に仄めかした。だから、ギャラガを舐めると痛い目に遭うぞ、あまりこの部下に構うな、と牽制したのだ。
 国境警備隊の隊員は聡い男だった。少佐が言いたいことを理解した。そしてさらに別のことも察した。修行中のグラダを見守っているこの上官も、グラダだ。

「ミゲール少佐、もしや、貴女はケツァル少佐であられますか?」

 ギャラガは笑いそうになって耐えた。ケツァル少佐は仕方なく無言で頷いた。隊員が再び跳ねるように立ち上がり、敬礼した。

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...