2022/03/21

第6部 訪問者    20

  船を下りると、ケツァル少佐とギャラガ少尉は船長に教えてもらったバルへ行った。「小さなホアン」の紹介だと言うと、新鮮な魚介類のセビーチェを出してくれた。その後も地元の料理を次々と注文し、国境警備隊の食堂では決して味わえない美食を、2人は時間をかけて堪能した。

「建設会社が何を隠そうとしているのか、わかった様な気がします。」
「何ですか?」

 ギャラガの言葉に少佐が興味深げに彼を見た。ギャラガはクラッカーを4枚、箱の壁の様に四角く立てた。その上に器用に天井部分のクラッカーを重ねて置いた。さらにまた上に箱を積み上げた。彼は2階以上の部分を指した。

「カラコルです。」

 そして下の部分を指した。

「地下の貯水槽です。この壁を崩すと・・・」

彼はクラッカーの1枚を強引に押し倒した。クラッカーのカラコルは、3枚の壁に支えられて保たれた。

「壁の一角が崩れただけでは、街は保たれています。しかし、貯水槽の中の水が流れてしまって空になると、壁の外の海水の圧が残りの壁を崩してしまいます。」

 少佐が考え込んだ。

「壁の一角が崩れ、貯水槽の中の水が流れ出て貯水槽が空になる・・・どう言うことですか? 壁が崩れたら海水がすぐに流れ込んで来るでしょう?」
「最初に崩れた壁は、海に面した三方ではなく、陸と繋がっている面です。恐らく、貯水槽の水は本土の地下に流れて行ったのです。」

 ギャラガはクラッカーの積み木を片付けた。

「船長のホアンは、大昔のクエバ・ネグラは海のそばまで森林が迫っていたと言いました。今は低木と草が生えているだけです。塩気に強い植物ばかりですよ。もう少し南へ行けばマングローブがありますが、ここはありません。土に塩分が多いんじゃないですか。」
「そう言えば、船長が昔の水は売れるほど美味しかったが今はそのままでは飲めないと言ってましたね。」
「壁が崩れて貯水槽の真水が本土側に流れてしまい、海からの圧力に耐えきれなくなった壁が崩れてカラコルの街は陥没したのでしょう。そこにまた海水が流れ込んだ。本土へ流れる水路は崩落した地面で塞がれた筈ですが、海水はずっと少しずつ染み込んでいるのだと思います。」
「それにロカ・エテルナ社がどう絡んでいるか、ですね。」

 エビのペーストをクラッカーに載せてギャラガは口に入れた。それをもぐもぐと食べてしまってから、白ワインのグラスを見ている上官に考えを述べた。

「私は一族の歴史に詳しくありません。でも古代の神殿などの建築に携わった部族がいた訳でしょう? カラコルの町が築かれる頃にそうした技術集団が雇われて、密かに町の下にそんな仕組みを造ったとしたら、どうでしょう?」
「その仕組みを造った目的は?」
「海の交易で栄えていた町ですね? もし外国から侵略を受けて町を占領された場合を想定し、町ごと敵を海の底に沈めてしまう、と言う対策を取っていたとしたら?」

 少佐が彼を見た。

「侵略されなかったが、町は神を冒涜した。だから、神の怒りによって沈められた?」

 暫く2人は黙って口を動かしていた。不意に少佐が呟いた。

「地震は本当にあったのでしょうか?」
「山に登った時、断層を見ました。しかし・・・地面がずれた方角が違いましたね。あれなら、カラコルがあった岬は持ち上がってしまう・・・」
「岬は実在したのですか?」
「少佐・・・」

 ケツァル少佐は頭に浮かんだ突拍子もない考えに、自分で苦笑した。

「岬は存在しなかったけれど、カラコルの町は存在したのかもしれませんよ、アンドレ。」


第6部 訪問者    19

  街に下りて住民に船に乗って海を見たいと言うと、浜辺で漁師を雇えば良いと教えてくれた。仕掛けの手入れが終わっていれば、小遣い稼ぎに観光客や釣り人を乗せるのだと言う。そこで砂浜に下りると、丁度古い大型の船と中型の漁船を並べて数人の漁師が夕刻の出漁までの時間を潰していた。ギャラガが声を掛けると、彼等はちょっと相談して、ホアンと言う男が名乗り出た。時間と値段の交渉の後で、ケツァル少佐とギャラガ少尉は普通の観光客のふりをして中型の漁船に乗せてもらった。
 規則に従ってオレンジ色のライフジャケットを着用し、彼等は穏やかな海の上に出かけた。

「いつもこんな穏やかな海なのかな?」

とギャラガが話しかけると、船長のホアンが舵輪を回しながら頷いた。

「セルバの海は穏やかさ。ハリケーンさえ来なければ、いつでもご機嫌さね。」

 彼は速度を落とした。

「エンバルカシオンの縁は浅くなっているから、通り道を決めてあるんだ。」

 エンバルカシオンとは、海中に没した岬があると言われている海域の地元での呼び方だ。「器」と言う意味で、地元民は大きな縁高の皿に見立てているのだった。

「サメが多いんだって?」

 ギャラガが無難な話題から話を進めた。ホアンはパイプタバコを吸いながら、海面を見た。

「多いと言っても、この船ほどの大きさのヤツはいない。でも先日、俺の従兄弟のホアンが、俺と同じ名前なんで皆こんがらがるんだがね、そのホアンがもっと沖で馬鹿でかいのを釣り上げたんだよ。」
「腹から人が出て来たサメかい?」
「ああ、新聞に載ったから、あんたも読んだんだね。」

 ホアンはパイプを咥えたまま笑った。

「安心しなよ、エンバルカシオンは浅いから、そんなでかいのはいない。ほら、底が見えるぜ。」

 船の速度がさらに落ちて、ホアンは停止させた。ギャラガと少佐は甲板から下を見た。珊瑚や魚が見えた。水深は7〜8メートルか? 数分後、再び船が動き出し、エンバルカシオンの中心部へ進んだ。

「この辺りは底の岩が凸凹して、隠れ場所が多いから魚が多い。だからサメも住んでいる。」

 海面から見た限りでは、珊瑚や藻で海底が人工的に加工された岩なのか天然の岩なのか判別出来なかった。ケツァル少佐がホアンに尋ねた。

「平らな岩が並んでいる箇所があると、ホテルで出会った考古学者が言ってました。場所は分かりますか?」

 ああ、とホアンが頷いた。

「カラコルを見つけたって騒いでいる学者だな。場所は知っている。この先だ。」

 彼は船を進め、やがて停船した。 少佐とギャラガは覗いて見たが、波が光ってよくわからなかった。少佐がホアンに尋ねた。

「貴方はその平らな岩を見たことがありますか?」
「うん、道みたいに岩が並んでいる。所々にそう言う風になっている箇所があるんさ。でも不思議じゃない。カラコルが沈んでいるんなら、当然だろう。」

 地元民は古代の町が沈んでいることを疑っていない。しかし、学者が大騒ぎする理由がわからない、そんな雰囲気だった。ギャラガが観光客らしく質問した。

「宝を積んだ沈没船とか、古代の町の財宝とか、そんな伝説や噂はないのかい?」

 ホアンが大声で笑った。

「他所から来る人は皆そう訊くんだなぁ。確かにカリブ海には海賊や沈没船の伝説がわんさとある。だけど、残念ながら、クエバ・ネグラにはないんさ。ここはね、金は積み出していなかったんだ。オルガ・グランデの金はここへ来なかった。昔は北のルートを通って隣国へ運ばれていたからね。ここは、船の水を補給する港だったんだよ。クエバ・ネグラの水は旨かったそうだ。今じゃミネラルが多過ぎてそのままじゃ飲めないがな。」
「水で富を得ていたのですか?」
「そりゃ、水以外にも何か売っただろうけど・・・」

 ホアンは陸の方向を見た。

「大昔は、海岸近くまで森だったそうだ。だから動物を狩ることが出来た。綺麗な毛皮の獣や、美しい羽の鳥とかね。罰当たりだよ、ジャガーなんか狩って売ろうなんて考えてさ・・・」

 彼は少佐を振り返った。

「あんた達、都会から来ただろ? グラダ・シティでもやっぱりジャガーは神様だろ?」
「スィ。雨を呼ぶ大切な神様です。」
「カラコルの町はジャガーを外国に売ろうとして、”ヴェルデ・シエロ”の怒りを買ったんだ。地震が来て、町を支えていた柱が全部折れて、一晩で岬が海の底に沈んだって、婆ちゃんが語ってくれたっけ。この辺りの人間は皆そう言う言い伝えを聞かされて育ったんだよ。神様を冒涜して罰せられた恥ずかしい話だから、外の人間にはあまり話さないがね。だけど、俺は今話すべきだと思うんだ。だって森林伐採でどんどん森が減っているじゃないか。森がなくなると、海も痩せてくるって、テレビで偉い先生が言ってた。ジャガーが住めなくなるセルバはセルバじゃない。昔話に教訓が含まれているってことを、学校で教えるべきさ。」

 思いがけず漁師から深い地球環境問題に関わる意見を聞かされ、少佐は相槌を打つしかなかった。 ギャラガはホアンの話の最初の部分が気になった。

「町を支えていた柱が折れたって、どう言うことだろ?」
「だから、柱の上に町が築かれていたんさ。水を売っていた町だから、地面の下に水を溜めていたんだろ。地震で床が崩れて、柱が折れて、町がドシンと落っこちたのさ。」


2022/03/20

第6部 訪問者    18

  カミロ・トレントが立ち去ると、ギャラガ少尉は上官を振り返った。

「クエバ・ネグラ・エテルナ社の親会社は、ロカ・エテルナ社です。トレントに指図して海底の映像を奪わせたのは、ロカ・エテルナ社の人間ではありませんか?」

 少佐が目を閉じた。

「厄介な相手です。社長はムリリョ博士の長子、アブラーン・シメネス・デ・ムリリョです。」
「”砂の民”ですか?」
「知りません。私が明確に”砂の民”だと知っているのは、首領のムリリョ博士とセニョール・シショカだけです。」
「ケサダ教授は・・・」
「彼もそうではないかと思っていますが、本当のところ、確認出来ていません。」
「でも、教授がドクトル・アルストに”砂の民”はピューマだと教えてくれたでしょう?」
「教えてくれただけですよ、アンドレ。そして彼はムリリョ博士の養い子で娘婿でもあります。”砂の民”の知識を持っていても不思議ではありません。」
「でも、”砂の民”は家族にも秘密を打ち明けないんじゃないですか?」
「常識的に考えれば、その通りです。ですが・・・」

 少佐は目を開いた。

「ムリリョ博士とケサダ教授の関係は簡単ではありません。兎に角、今回の件はアブラーンにぶつかってみなければわかりません。8世紀に海の底に沈んだと言われる伝説の町と、現代の建設会社が発掘調査を妨害する理由がどう結びつくのか、訊いてみましょう。」
「グラダ・シティに帰るのですか?」

 心なしかギャラガが残念がっている様に聞こえた。彼女は滅多に遠出しない若い部下を見た。ギャラガが遠出しないのは、遠出に慣れていないだけだ。出張を命じれば躊躇なく何処へでも行く。だが自発的に休暇に遠出したりしない。子供の頃は貧しくてその日の糧を得るので精一杯だったし、生きる為に軍隊に入り、休暇をもらっても帰る家も遊ぶ友人も持たなかったから、官舎から近くの海岸へ行くだけだった。

「帰るのは明日にしましょう。」

と少佐は言った。

「これから自由時間にします。好きに過ごしなさい。明朝700にここに集合。」

 喜ぶかと思ったが、ギャラガはぽかんとして上官を見つめるだけだった。だから少佐も戸惑ってしまった。

「遊びに行って良いですよ。」

と言うと、逆に「貴女は?」と訊かれた。実を言うと少佐も午後の予定などなかった。カミロ・トレントが現れなければ彼を探しに行くつもりだったのだ。彼女は両手で髪をかき上げた。

「どうしましょう・・・」

 ギャラガが窓の外を見た。

「もし宜しければ・・・」

と彼が言った。

「船を雇って、カラコルを海の上から見てみませんか?」


第6部 訪問者    17

  共有スペースで言葉を交わした隊員が検問所の勤務に出るために、身支度をしに部屋へ戻って行った。装備を整え、隣の陸軍の食堂で食事を取ってから勤務に就くのだ。
 ”感応”で呼んだカミロ・トレントが現れないので、失敗したかとギャラガ少尉が不安になる頃になって、駐車場に一台の小型バンが入って来た。赤い車体に「クエバ・ネグラ・エテルナ 建築&解体」と白いペンキで書かれていた。窓から見ていると、車から中年のメスティーソの男性が降りて来た。繋ぎの作業服を着ているが、汚れていない。作業員ではなく監督をする立場の人間だろう。彼は2棟の宿舎を見比べ、やがて意を決して大統領警護隊の宿舎へ歩き出した。
 ケツァル少佐は座ったままだった。ギャラガ少尉が入り口まで行った。ノックの音が聞こえた。彼は静かにドアを開いた。応対に出て来たのが白人に見える若い男だったので、建設会社の男性は少し驚いた様子だった。

「クエバ・ネグラ・エテルナ社のカミロ・トレントと言います。こちらで私をお呼びになった方はおられますか?」

 用心深く問い掛けたのは、呼んだ相手の正体も位置も不明だったからだ。肉親や親しい仲間の呼びかけであれば、相手が誰だかわかるし、己と相手との距離も概ね推測出来る。居場所も見当がつく。しかし初めて呼びかけて来た人物を探すのは困難だ。トレントが来るのが遅れたのは、呼びかけた人物が誰だかわからずに戸惑い、相手の居場所を探していたからだ。トレントはこの町の”ヴェルデ・シエロ”を大方把握しているに違いない。そして心当たりの人から順番に探って周り、国境検問所まで行き、最後にこの国境警備隊の宿舎に行き着いた。
 ギャラガが頷いた。

「私が上官の命令で呼びました。中へお入り下さい。」

 トレントが用心深く中に入って来た。私服姿の白人の様な男と、私服姿の若い女性しかいない共有スペースに足を踏み入れ、彼の後ろでギャラガがドアを閉じたので、ちょっとだけ後ろを振り返る素振りを見せた。
 ケツァル少佐が立ち上がった。

「大統領警護隊文化保護担当部指揮官ミゲール少佐です。」

 彼女が自己紹介すると、トレントが溜め息をついた。諦めの溜め息だ。

「クエバ・ネグラ・エテルナ社のカミロ・トレントです。文化保護担当部が来られたと言うことは、サン・レオカディオ大学の件ですね。」
「スィ。」

 相手があっさり認めたので、少佐は少し拍子抜けした。

「モンタルボ教授から撮影機材を奪った男達を操ったのは、貴方ですか?」
「その通りです。リーダー格の男に”操心”をかけました。残りはリーダーが集めた手下です。」
「軽傷とは言え、市民に怪我をさせましたね。」
「申し訳ありません。私の能力では一人を操るのが限界でした。リーダーには調査隊に怪我をさせるなと命じたのですが、手下どもには伝わらなかったのです。処罰の対象となるでしょうか?」
「致命傷を負わせた訳ではないので、大統領警護隊は気に留めていません。調査隊の怪我の件は憲兵隊が捜査しています。」

 ギャラガはいつもながらのセルバ流「単刀直入に要件に入らない会話」に少しイラッとした。もしここにドクトル・アルストがいれば、必ずこの会話に割って入る筈だ。しかしギャラガは少佐の部下だ。彼は辛抱強く会話を聞いていた。
 少佐が遂に本題に入った。

「サン・レオカディオ大学から盗んだ物をどうするつもりですか?」

 トレントが肩をすくめた。

「撮影した映像をグラダ・シティに送りました。奪ったカメラやその他の機材は私が操ったリーダーの手下どもが故買屋に売った筈です。リーダーから連中への報酬です。」

 それなら憲兵隊が既にこの界隈の故買屋を片っ端から調べていることだろう。「リーダー」がどう言う立場の人間なのかトレントは言及しなかった。恐らく憲兵隊がその「リーダー」を突き止めても、「リーダー」とトレントとの繋がりは判明しない。「リーダー」には”操心”に掛けられた記憶がない。

「映像をグラダ・シティに送ったと言いましたか?」

 ギャラガ少尉は思わず口を挟んでしまったが、少佐は咎めなかった。ギャラガにも尋問の経験は必要だ。トレントが頷いたので、彼は更に尋ねた。

「グラダ・シティから貴方に映像を奪えと指図が来たと言うことですか?」

 トレントは少し沈黙してから、考えながら言った。

「指図は、考古学者が海の底で何を撮影したか調べろと言うものでした。ですから私は何とかして調査隊に近づこうとしたのですが、大学側はモンタルボの教室の学生ばかりでしたし、撮影隊の方はアメリカ人ばかりで、潜り込む隙がありませんでした。私は4分の1”シエロ”ですから、力が強くありません。”幻視”を使って潜入することは出来ても、長時間相手を騙す技を持っていませんので、力づくで奪う方法を選択しました。映像を記録した媒体が何かわからなかったので、撮影機材一切合切を奪わせたのです。」
「映像はどの様な方法でグラダ・シティに送ったのですか?」
「モンタルボはU S Bにデータを保存していたので、社員に運ばせました。郵送では紛失する恐れがありますし、何時向こうに着くかわかりませんから。」

 ケツァル少佐がそこで再び口を挟んだ。

「貴方のところの社員が知っている場所に運んだのですね?」

 トレントはまた溜め息をついた。大統領警護隊に嘘の証言をすると後で重罪に問われる。彼は法で罰せられるのと、部族内ルールを犯して族長から罰せられるのと、どちらがキツいだろうと天秤にかけた。

「申し訳ありません。これ以上話すことは部族を裏切ることになります。」

 ギャラガが少佐を見た。トレントの言葉は、今回の強奪事件が彼個人の目的があってしたことではなく、部族の上の方からの指示に従って行ったことを示唆していた。
 ケツァル少佐も少尉と同じ見解だった。これ以上トレントを問い詰めても彼は口を割らないだろう。彼女は言った。

「強奪犯と盗難品の行方は大体わかりました。指図を出した人の真意は不明ですが、ここで調べても拉致は明かない様です。お帰りください。」

 ギャラガはまだ不安要素が残っていた。

「モンタルボはまた調査をすると言っています。貴方はまた彼を妨害しますか?」

 するとトレントは心外なと言いたげな顔をした。

「私は彼を妨害していません。撮影したものを奪っただけです。」

 少し認識のずれがあるようだ。ギャラガはそう思ったが、それ以上突っ込むのを止めた。


2022/03/19

第6部 訪問者    16

  宿舎の共有スペースに入ると、男性隊員が一人ソファに座ってテレビを見ていた。恐らく先程のギャラガが失敗した気の波動で目が覚めてしまい、交代時間迄の時間を潰そうとしていたのだ。入って来た私服姿のケツァル少佐とギャラガ少尉に怪訝な表情で顔を向けたので、ギャラガが気を利かせて紹介した。

「大統領警護隊文化保護担当部指揮官ミゲール少佐であられる。私は同部のギャラガ少尉だ。」

 隊員が急いで立ち上がって敬礼した。敬礼を返したケツァル少佐は彼の上半身がまだTシャツ1枚だけなのを見て、寝起き間もないと判断した。

「我々が貴官の休息を妨げた様です。」
「そうではありません。間もなく交代時間ですので、目を覚ましておりました。」

 少佐は、そうではないだろうと突っ込まずに、彼に休憩の続きを、と指図した。そしてもう一つのソファにギャラガと並んで座った。隊員も腰を下ろしたので、彼女は言った。

「もしかするとカミロ・トレントと言う男性が来るかも知れません。我々が呼んだのですが、彼は誰に呼ばれたのか知らない筈です。彼が現れたら、教えて下さい。」
「承知しました。」

 一般人が聞けば奇妙な言葉だったが、”ヴェルデ・シエロ”は意味がわかる。隊員は少佐の言葉を理解した。彼はボリュームを落としてテレビのニュースを見ていた。大きな事件は起きていないが、今年の雨季は雨量が例年より多いだろうと気象学者が予想していると言うニュースが伝えられると、隊員は溜め息をついた。豪雨の中での検問を想像してうんざりしたのだろう。毎年のことではあるが、こんな時は東海岸ではなく西海岸で勤務したくなるに違いない。
 隊員がチラリとこちらを見た。国境警備隊でない人間がいるので気になるのだろうと少佐が思っていると、彼が話しかけて来た。

「失礼ですが、先程気の波動を発せられましたか?」
 
 少佐が彼の方へ顔を向けると、ギャラガが急いで言い訳した。

「私が少しヘマをやっただけだ。起こしてしまって悪かった。」

 隊員が彼に視線を向けた。一見”ヴェルデ・シエロ”に見えないギャラガに彼は問い掛けた。

「君が、あの、白いグラダか?」

 ギャラガは予想以上に己が有名なことを知って、ちょっとうんざりした。

「そうだ。白人の血が混ざっているので、まだ修行中だ。」
「気の波動に鋭い波があった。君が本気で爆裂波を放ったら戦車隊でも一撃で吹っ飛ぶんだろうな。」

 その声には羨望が混ざっていたので、ギャラガはびっくりした。そんな風に賞賛されたのは初めてだ。すると少佐が隊員に言った。

「ギャラガ少尉を煽てないように。彼はまだ20歳です。制御を完璧に習得する迄は爆弾の様な子です。」

 つまり、ギャラガ少尉は現在でも十分強大な爆裂波を使えると暗に言ったのだ。1年と半年前迄、”心話”すら使えない”出来損ない”として有名だったカベサ・ロハ(赤い頭)は、本当は能力がなかったのではなく、使い方を知らないだけの子供だった、と少佐は隊員に仄めかした。だから、ギャラガを舐めると痛い目に遭うぞ、あまりこの部下に構うな、と牽制したのだ。
 国境警備隊の隊員は聡い男だった。少佐が言いたいことを理解した。そしてさらに別のことも察した。修行中のグラダを見守っているこの上官も、グラダだ。

「ミゲール少佐、もしや、貴女はケツァル少佐であられますか?」

 ギャラガは笑いそうになって耐えた。ケツァル少佐は仕方なく無言で頷いた。隊員が再び跳ねるように立ち上がり、敬礼した。

第6部 訪問者    15

  ロカ・エテルナ社はセルバ共和国の3大建築業者の一つで、創業者のスペイン人がセルバ共和国独立直前に本国へ逃げ去った後を襲ったロカ・デ・ムリリョが成長させ、経営権を甥の息子のアブラーン・シメネス・デ・ムリリョに譲った会社だ。クエバ・ネグラの町で一番大きな建設会社クエバ・ネグラ・エテルナ社はその子会社で、経営者はマスケゴ系メスティーソの男性だった。つまり、まだ”ヴェルデ・シエロ”と呼ばれる能力者だ。
 国境警備隊の陸軍国境警備班所属エベラルド・ソロサバル曹長から会社の名前と社長のカミロ・トレントの名を聞き出したケツァル少佐は昼食後ギャラガを大統領警護隊側の駐車場へ連れて行った。クエバ・ネグラの丘ほどではないが、国境警備隊宿舎も小高い場所にある。街並みの屋根がすぐ目の前に並んでいた。

「”感応”を行った経験はありますか?」

 少佐に訊かれて、ギャラガは「ありません」と答えた。”感応”は呼び出したい人の名前や顔を脳裏に浮かべて精神を全集中させる。通常親が自分の子を呼ぶ時に用いる能力で、軍隊では上官が部下に集合をかけたり、戦闘時や緊急時に助けを求める時に使う。平時に友達を呼んだり目上の人に気軽に用いるものではない。純血種の”ヴェルデ・シエロ”は教えられなくてもこの能力を使えるが、親から厳しくマナーを躾けられる。異人種の血が入るミックスは少し練習が必要だ。一瞬のものなので、エネルギーの消耗はない。しかし気を発する瞬間だけ心が無防備になるので、使うタイミングを誤ると軍人は危険に曝される場合があった。
 ケツァル少佐はギャラガ少尉に命じた。

「やってごらんなさい。カミロ・トレントを呼ぶのです。」

 ギャラガは脳裏に、Camilo Torrent と文字を思い浮かべた。その名に思い切り念をぶつけてみた。
 ケツァル少佐は空気にビリッとした震動を感じた。失敗だ。ギャラガが出したのはテレパシーではなく気の波動、微弱な爆裂波だ。カミロ・トレントには届かないが、宿舎周辺の人間や動物には感じ取れる。果たして大統領警護隊の宿舎の窓が開き、指揮官のバレリア・グリン大尉が顔を出した。

「何事です、少佐?」

 ケツァル少佐は彼女を見上げ、2階の窓から顔を出している女性の目を見た。

ーー申し訳ない、部下に”感応”の使い方を教えようとしていました。

 グリン大尉は赤毛のギャラガの頭を見下ろした。そして少佐に視線を戻した。

ーー噂の白いグラダですね。失敗とは言え、かなりの威力の波動でした。
ーー貴官の休息を妨げたことをお詫びします。
ーーどこでもメスティーソの教育には苦労いたします。次は成功を祈っています。

 グリン大尉は微笑して顔を引っ込め、窓を閉じた。
 ケツァル少佐はギャラガを振り返った。ギャラガは失敗したことを悟っており、何が悪かったのか考えていた。少佐が彼の名を呼んだので、上官の目を見た。”心話”で少佐が彼の心の動きを悟った。

ーー名前に念をぶつけるのではなく、呼び寄せなさい。

 ギャラガは戸惑い、それからまた脳裏に文字を思い浮かべ、それを己に引き寄せるイメージを抱いた。文字が彼の脳裏からスッと消えた感じがした。彼は自信なさそうに言った。

「上手くいったでしょうか?」

 少佐がクスッと笑った。

「誰も成功したか失敗したかわからないものですよ、”感応”っていう力は。」
「えー・・・」

 狐に包まれた様な表情の部下を見て、また少佐は笑った。そして、トレントが来るまでシエスタにしましょうと言った。


第6部 訪問者    14

  ケツァル少佐とギャラガ少尉は国境警備隊の宿舎に戻った。クエバ・ネグラ検問所の大統領警護隊の隊員は全部で8人、一人ずつ3時間おきに宿舎に戻って一人ずつ勤務に出て行く。宿舎には常時3人が休憩している。少佐とギャラガは誰も浴室を使用していないことを確認してから、シャワーを使った。男女の別がないから、シャワールームも脱衣所も一つしかない。少佐が先に浴び、充てがわれた部屋に入った。ギャラガが昨晩置いた2人のリュックとアサルトライフルが質素なベッドの横に並べられていた。服を着替えて、濡れた髪を窓からの風に当てて乾かした。バレリア・グリン大尉はまだ休んでいるだろう。
 ギャラガが戻って来たので、彼の身支度を待ってから、2人で隣の陸軍国境警備班の食堂へ行った。食堂は賑わっていた。検問所の兵士達が順番に昼食に来ていた。彼等はゆっくり食べることはなく、簡単なスープとパンだけの食事を流し込み、すぐに出て行った。だから少佐とギャラガも冷めたスープをもらった。

「本部の警備班は警備についている間は水分補給しかしません。」

とギャラガが呟いた。少佐が頷いた。

「外での勤務は大統領府の警備より体力を使いますからね。」
「文化保護担当部の事務仕事も腹が減りますよ。頭を使うと恐ろしくエネルギーを消耗するんです。」

 少佐は思わず笑ってしまった。彼女は自分のパンを部下の皿に入れてやった。すると隣のテーブルにいた陸軍の兵士が声をかけて来た。

「グラダ・シティから来られた大統領警護隊の方ですね?」

 ギャラガが「スィ」と答えた。

「文化保護担当部だ。昨日私立大学の教授と発掘調査隊が強盗に遭ったと聞いたので、被害状況を調査に来た。」
「強盗事件にわざわざ来られたのですか。」

 そんな必要はないのに、と言う響きが兵士の声に含まれていた。ギャラガは言った。

「強盗犯の捜査は憲兵隊に任せる。我々は発掘調査隊が奪われたものの内容を調査するのだ。文化財を傷つけられては困るから。」

 恐らく検問所の兵士には、何を悠長な仕事をしているのだ、と思えただろう。 彼はちょっと失笑した。

「学者と言う人達は私の様な凡人にはわからない物を大事に調べますね。先月もグラダ大学から来た若い教授がトカゲを捕まえて帰られました。その後で別の教授が来て、そのトカゲをまた放しに洞窟まで登りました。そのまま飼えば良いのにと言ったら、生態系がどうのとか説明してくれましたが、自分にはさっぱりでした。」

 ギャラガは苦笑した。そして、

「最初に来たのはアルスト准教授だろう。」

と言うと、兵士が頷いた。

「そんな名前でした。学生を一人お供に連れていました。お知り合いですか?」
「まぁな。気さくな良い人だろう?」
「そうですね。2人目の教授より話し易かったです。」

 エベラルド・ソロサバル曹長はテオドール・アルストからチップをもらったのだが、同僚の手前それは言わなかった。彼は大統領警護隊の白い肌の隊員に窓から見える赤い看板を指差した。

「あの赤い看板の店は午後6時から営業します。もし地元の料理を味わいたければ、あの店が一押しです。漁師の身内が経営しているので、手頃な値段で美味い魚を食べさせてくれます。」

 ケツァル少佐がちょっと笑って彼に声をかけた。

「まるで貴官は観光ガイドですね。」

 曹長が頬を赤らめた。

「地元出身なもので、つい饒舌になってしまいました。」

 すると彼と同じテーブルの兵士が笑いながら大統領警護隊の隊員に教えた。

「このソロサバル曹長は実際に観光ガイドとしても駆り出されるのです。町役場がガイドを雇うと金がかかるので、こっちへ仕事を押し付けるんです。軍人をタダで使ってやがる。」

 少佐とギャラガも兵士達と一緒に笑った。笑い声が収る頃に少佐がソロサバル曹長に尋ねた。

「地元の出だと言うことは、この辺りで名前が知られた建築屋を知っていますね?」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...