2022/04/04

第6部 七柱    27

  グラダ・シティに向かって走る車を運転したのは、テオだった。大統領警護隊の車両なので本当なら民間人の彼が運転するのは隊則違反なのだが、ケツァル少佐は運転する気分でなかった。

「”操心”の尋問に対して嘘で答えられることは不可能だと、わかっています。でも、アンダーソンの答えは本当に信じ難いです。」

 少佐が愚痴ったので、テオは苦笑した。

「北米には、と言うか、この世には、常識で考えられない思考形態の人間がいるんだよ。他人が見てどんなに笑おうが、彼等は真剣なんだ。それが彼等だけの生活範囲で留まるなら、誰も文句を言わない。だが、他人に迷惑をかけると訴訟沙汰になる。他人を傷つけるのは問題外だ。アンダーソンもロイドも大人しく海に潜ってカメラを回しているだけなら、誰も文句言わないさ。喧嘩して相手を刺したから、大騒動になった。モンタルボもこの件で被害者だな。」

 そして彼はニヤッと笑った。

「本当に、古代のマスケゴ族は、カラコルの地下に核爆弾をセットしなかったのかい?」
「馬鹿なことを言わないで下さい。」

 少佐がうんざりした声で抗議した。

「マスケゴの技術者達は、地下の大空間に7本の巨大な柱を設置して、地面を支えたのです。」
「7本の柱?」
「スィ。グラダ、ブーカ、オクターリャ、サスコシ、マスケゴ、カイナ、グワマナ、各部族の能力の大きさに合わせた太さの柱です。」
「なんで君がそんなことを知っているんだ?」

 すると少佐がケロリとした顔で言った。

「”ヴェルデ・シエロ”の遺跡の特徴です。大なり小なり、何処の遺跡でも、7本の柱で神殿の中心部を支えています。」
「”曙のピラミッド”も”暗がりの神殿”も・・・?」

 テオは深い地下で見た神殿を思い出そうと試みた。だが、当時は仲間を守り、生き抜くことに夢中で柱の数など眼中になかった。
 少佐が頷いた。

「一族が共有する場所は全て7本の柱で支え、我等は一つなのだと言う象徴としています。」
「わかった。それで、カラコルの地下空洞も7本の柱で支えられていたんだな。」
「その筈です。そして8世紀、カラコルの町が神を冒涜した時、ママコナの怒りの声を聞いた当時の”ヴェルデ・シエロ”達が一斉に呪ったのです。それぞれの部族の柱が折れるように、と。」

 グラダ族はその時、絶滅していた。だから、”ヴェルデ・シエロ”全員でグラダの柱も破壊したのだろう。

「ジャングルなどで発掘される遺跡の神殿が崩れているのも、柱が折られたからかい?」
「恐らく。”ティエラ”の遺跡は様々な要因があるでしょうが、”シエロ”の遺跡は放棄される時に意図的に破壊されたのだろうと、ムリリョ博士はお考えです。」

 ロカ・エテルナ社は、カラコルの海底にその7本の柱の痕跡が露出していないかを心配したのだ。テオは2000年以上も昔の先祖の仕事の後を心配する民族を、ある意味気の毒に思った。出来るだけ自分達の生きた痕跡を隠さなければならない民族。普通は、残して後世に見せたいと思うだろうに。

「岬が崩れた本当の理由が7本の柱の崩壊だと知ったら、アンダーソンもロイドも気分が沈没しちまうだろうな。」

 少佐がやっと明るい顔になって、クスッと笑った。
 

第6部 七柱    26

  ケツァル少佐は車の運転席に座ると、これから病院へ行きます、と言った。テオは刺されたチャールズ・アンダーソンに面会に行くのだとわかった。

「だが、何処の病院かわかっているのか?」
「クエバ・ネグラに病院は1箇所しかありません。」

 単純な回答だった。テオは黙った。少佐はハイウェイを南下して、5分も経たぬうちに横道に入り、古い鉄筋コンクリートの3階建の建物がある敷地内に車を乗り入れた。やたらと大きな旧式の救急車が2台あり、1台はアメリカの、もう1台はドイツの車だった。外国の古い車を購入して使用しているのだ。
 車から降りると彼女はテオに頼んだ。

「これから”操心”を使って尋問します。その間、病室に人が近づかないよう、見張ってくれますか?」
「O K! 個室だと良いがな・・・」

 建物は古かったが、内部は明るかった。窓は海側ではなく山側を向いていた。ハリケーンを警戒して建ててあるのだろう。
 少佐は受付で大統領警護隊のI Dを提示して、チャールズ・アンダーソンの容態を尋ねた。受付の女性は医師に電話をかけた。大統領警護隊が来ていると伝えられたので、医師が数分後にはやって来た。アンダーソンは腹部を一回刺されたが、急所が外れたので一命を取り留めた、容態は安定しているが、面会はまだ無理だ、と言った。少佐が言った。

「顔だけ見せて下さい。」

 それだけで、医師は面会を許可した。テオは彼女が”操心”を使ったなと思ったが、黙っていた。
 彼等は医師について2階の術後観察室に行った。最新医療設備がある訳でなく、普通の病室だった。アンダーソンは点滴のチューブや酸素マスク、心電図のコードを装着されて寝ていた。意識があり、訪問者が医師と少佐とテオドール・アルストだと認識すると、目から警戒の色を解いたので、テオは素人ながら、彼が正常な思考が出来る状態だ、と判断した。
 医師が部屋から出て行った。ケツァル少佐がアンダーソンに近づいた。

「ブエノス・ディアス」

と声をかけると、アンダーソンが頷いた。彼は自分でマスクを外した。少佐が彼の目を見つめて囁いた。

「カラコルの海の底に、何を求めているのです?」

 アンダーソンがちょっと全身を震わせた。”操心”に抵抗する時の人間の反応だ。素直にかかる人はそんな反応を見せないが、抵抗する人がたまにいる。自分を保つ意志が強いのだ。テオは抵抗する人間の半分が拷問に耐える訓練を受けた者だと知っていた。
 アンダーソンは5秒程抵抗して、落ちた。

「古代のセルバ人は核を保有していたと考えられる。」

と彼は囁いた。テオはびっくりした。思わず彼に声をかけようとして、尋問中だと思い出し、口を閉じた。アンダーソンは続けた。

「岬の地下に核爆弾が仕掛けられていたと考える学者がいる。敵が攻めてきたら、それで岬ごと破壊して壊滅させるのだ。しかし実際に使われることなく、爆弾は忘れられていた。それが8世紀の地震で爆発し、岬が沈んだ・・・」

 彼は口を閉じた。大きく息を吸い、腹部の傷の痛みで少し顔を顰めた。鎮痛剤が効いていても痛いのだろう。そして痛みで彼は我に帰った。不安気に少佐を見上げた。自分が何を喋ったのか、ほんの数秒前の記憶がないのだ。
 少佐が優しく声をかけた。

「カラコルの海底は完全に陥没し、水と泥と石で埋まっています。何も残っていません。モンタルボは掘削の許可を得ていないし、セルバ政府はサンゴ礁の破壊を許可しません。貴方が撮影出来るのは、海の底で石材の欠片や壺の欠片を拾い集めるダイバーの姿だけです。」

 少佐が顔を向けたので、テオもベッドに近づいた。

「ロイドも同じ考えで、モンタルボに近づこうとしたんだね?」
「スィ。」
「古代の民族が核爆弾を持っていたとなれば、世界中に大きな衝撃が走るだろうな。考古学だけの話で済まなくなるもんな。だけど、それは夢物語だ。セルバにはウランも核燃料になり得る地下資源もない。核実験した遺跡もない。貴方やロイドにそんな戯言を吹き込んだ学者ってのは、誰だい?」

 アンダーソンが一人のアメリカ人の名前を口に出した。それを聞いたテオは脱力した。

「その男はインチキ予言や占いでテレビに出まくって、3年前に視聴者から訴えられて行方をくらませた詐欺師じゃないか! あんた、あいつの言葉を真に受けて会社の命運をカラコルの発掘撮影に賭けたのか?」

 馬鹿じゃないか、と言う思いがテオの頭に浮かんだ。もっと何か政府の思惑が絡んだ陰謀を想像したのだが、世の中にはテレビや本で得た知識を本気で信じ込んで常識を逸した行動を取る人間がいる。
 アンダーソンがベッドに横たわったまま涙を流し始めた。

「核を使用した痕跡だけでも見つけられたら、と・・・」
「ロイドも同じ目的だったんだな?」
「まさか同じことを信じてやって来る人間がいたなんて・・・」

 彼は苦痛で顔を歪めた。少佐がナースコールのボタンを押した。そしてテオの手を掴んだ。

「行きましょう。もうこの人達と関わりたくありません。」


 

2022/04/02

第6部 七柱    25

  通された部屋は、駐屯地の指揮官より上位の将官が訪問する時に使用する迎賓室だった。エアコンが快適な温度の空気を吐き出し、座り心地の良いソファと憲兵隊の歴史を語る写真や勲章などを飾る棚が設置されていた。まさかそんな場所に傷害事件の容疑者が連行されて来る訳でなく、出されたコーヒーを飲んで20分程休憩した後で、再び先ほどの取調室に案内された。
 アイヴァン・ロイドは、以前テオが出会った時よりくたびれて見えた。チャールズ・アンダーソンと口論し、取っ組み合いになり、ナイフで刺した後、逃亡を図ってホテルの客達に取り押さえられたのだ。髪がぐしゃぐしゃで、顔に青痣ができており、服は汚れたのか白いダブダブの囚人用の上下を着せられていた。彼はテオの顔を覚えていた。テオとケツァル少佐が入室すると、顔を向けて、不思議そうな表情をした。

「貴方は確か、グラダ大学で・・・」
「スィ、お会いしました。生物学部のドクトル・アルストです。」

 テオは少佐より先に自己紹介した。そして少佐に言った。

「ンゲマ准教授を訪問して大学に来たセニョール・ロイドだ。」

 少佐が冷ややかにロイドを見た。テオは彼女をロイドに紹介した。

「大統領警護隊のミゲール少佐です。」

 ロイドが溜め息をついた。念願の大統領警護隊に会えたのに、彼は罪人として囚われの身だった。少佐が質問した。

「貴方とアンダーソンの間で何があったのですか?」

 ロイドは無言のまま少佐を見て、テオを見て、カバン大尉に視線を移した。そして大尉に尋ねた。

「この女性が大統領警護隊の少佐なのですか?」

 少佐が私服姿なので疑っているのだ。大尉が頷いて言った。

「素直に答えないと、少佐は直ぐに本部へ帰られる。お前の取り調べは我々で十分だからな。」

 ロイドは再び少佐に視線を戻した。

「私は古代の幻の民族が実在した証明を探しているのです。セルバの方ならご存じですね? ”ヴェルデ・シエロ”と呼ばれた、頭に翼を持った神様です。」

 テオはもう少しで笑いそうになった。頭に生えた翼は、古代の”ヴェルデ・ティエラ”、つまり普通の人々が、神と崇めた”ヴェルデ・シエロ”の超能力を絵画で表現する為に描いたものだ。”ヴェルデ・シエロ”のケツァル少佐が「そんな人間がいたら化け物だ」と感想を述べた形状の絵だった。
 ケツァル少佐は真面目な顔で言った。

「遺跡の壁画で見たことがあります。それが傷害事件を起こす原因になるのですか?」
「幻の民族の遺跡を発見出来たら、世界中の考古学者の注目を浴びます。私の動画も売れる・・・。」
「ですから、それが何故他人を刺す理由になるのです?」
「アンビシャス・カンパニーは・・・」

 ロイドが手錠を嵌められた両手をグッと握り締めた。

「私が乗る予定だった航空機の座席を、ハッキングでキャンセルしたり、情報源の人に高額の謝礼を与えて私に嘘の情報を流させていたんです。私の妨害ばかりしていました。昨夜、私がモンタルボに近づこうとしたら、用心棒を使って力づくでホテルから追い出そうとしました。私に向かって、神に近づく値打ちもない男、などと侮辱したのです。」

 少佐は冷めた目で彼を眺め、くるりと背を向けた。

「帰りましょう、ドクトル。」
「待ってくれ!」

 ロイドが叫んだ。

「私はアンダーソンを殺すつもりはなかった。ただ謝らせたかっただけだ!」
「我が大統領警護隊には関係ない私闘です。」

 少佐はカバン大尉に声をかけた。

「お手数をおかけしました。憲兵隊の領分に口を出すつもりはありません。」

 彼女とカバン大尉は敬礼を交わし、少佐が部屋から出たので、テオも急いで追いかけた。足早に建物から出て、車に戻ると、少佐が言った。

「傷害を起こした理由がはっきりしません。誰がカラコルの遺跡の下に”ヴェルデ・シエロ”の遺跡があると、ロイドやアンダーソンに喋ったのでしょう?」
「誰が、と言う明解な回答はないのかも知れないぞ。」

とテオは呟いた。

「連中は言い伝えを聞いて、儲け話に繋がると思ったんだ。」



 

第6部 七柱    24

  取調室として使われている窓がない小部屋にケツァル少佐とテオが入ると、リカルド・モンタルボ教授が、弱々しい笑を浮かべて椅子から立ち上がった。

「グラシャス! 来ていただけて、感謝します。」

 無精髭に目の下の隈、憔悴していた。着ている物はよれよれのTシャツで、ホテルで休んでいる時に事件発生で起こされ、憲兵隊に引っ張られて来たのだ、と立ったまま早口で事情を説明した。連行された理由がわからない、と捲し立てた直後に、彼は急に声のトーンを落とした。

「しかし、アンダーソンとロイドと言う男が争った原因はわかります。」

 彼は憲兵隊長をチラリと見た。少佐はカバン大尉に妙な勘ぐりをされたくなかったので、教授に言った。

「どうぞ、話して下さい。」

 モンタルボ教授は少し躊躇ってから、囁くように言った。

「彼等は、”ヴェルデ・シエロ”の遺跡を探していたんです。」

 1分間、沈黙があった。テオはカバン大尉が顔を強張らせるのを感じた。”ヴェルデ・シエロ”の話を大っぴらにすることは、セルバ人にとってタブーだ。しかも、部屋の中に”ヴェルデ・シエロ”と話が出来ると信じられている大統領警護隊の少佐がいる。憲兵は「神罰」を心配したのだ。
 少佐はそれまで立っていたのだが、モンタルボ教授の向かいの椅子を引いて、そこに腰を下ろした。そして手でモンタルボに座れと合図した。教授が座ったが、テオは椅子がないので立ったままだ。カバン大尉も立ったままで、テオに椅子を運んで来る気はなさそうだった。

「アンダーソンとロイドは海の底に沈んでいる遺跡が”ヴェルデ・シエロ”のものだと考えているのですか?」
「正確に言えば、”ヴェルデ・シエロ”の遺跡の上に後世の人間が町を建設し、海に沈んだと考えている様です。”ヴェルデ・シエロ”の遺跡と正式に認められている建造物は、グラダ・シティの”曙のピラミッド”だけです。ああ、オルガ・グランデの地下深くにある”太陽神殿”(”暗がりの神殿”のこと)も”ヴェルデ・シエロ”の建造物だと考えられていますが、ピラミッドは宗教上の理由で現在も発掘研究を許可されていませんし、”太陽神殿”は鉱山会社の所有で一般人の立ち入りを許可してくれません。」
「落盤が多く、危険なので立ち入り禁止区域なのです。」

 テオはつい口を挟んだ。少佐は怒らなかった。モンタルボに続けてと表情で促した。

「もし海の底の遺跡が”ヴェルデ・シエロ”のものだったら、世紀の大発見です。中南米で最も古い遺跡と言うことになりますから。アンダーソンとロイドは、その歴史的な発見の当事者になりたいが為に、私の発掘調査の撮影をしたがっていたのです。」
「どっちが一番乗りをするかで、昨晩喧嘩したと言う訳ですか?」
「それもありますが、そもそも海の底に”ヴェルデ・シエロ”の遺跡があると言う情報が何処から出て来たのか、彼等はネタ素を明かせと口論したのです。私はカラコルの町の実在を証明出来る発掘を目的としており、その遺跡の地下にあるかも知れない幻の”ヴェルデ・シエロ”の遺跡は・・・勿論、見つけられればもっけモンですが、今はそんな余裕も技術もありません。珊瑚礁を傷つけてはならないと言う法律を守ると言う前提で、発掘許可を頂いているので、海底を掘るつもりなど毛頭ありません。私はアンダーソンとロイドにそう伝えて、自分の部屋に戻りました。彼等が刃傷沙汰になったなんて、私の知ったこっちゃないですよ!」

 モンタルボ教授はすがる様な目付きでケツァル少佐とテオを見比べた。少佐は彼に”操心”をかけていない。教授は全く彼自身の言葉で喋ったのだ。彼は白人だがセルバ人だ。この国独特のルールを熟知していた。古代の神様の遺跡と疑われる遺跡を発掘すること自体は禁止されていない。しかしその研究が売名行為や商業目的で使用されることは、この国の倫理観に反くことになる。ましてや、研究に直接関わっていない、考古学者でもない外国人が、名声や金銭目的で遺跡に手を付け、争って流血沙汰になるなど、神への冒涜以外何者でもない。モンタルボ教授は、昨晩の傷害事件に己は一切関わっていないのだと主張した。
 ケツァル少佐が憲兵を振り返った。

「モンタルボ教授を釈放して下さい。この人は昨晩の事件と無関係です。アンダーソンと雇用契約を結んでいましたが、アンダーソンとロイドの争いに関わっていません。」

 カバン大尉が敬礼して承諾を伝えた。少佐はもう一つ要請した。

「貴官達が拘束したアイヴァン・ロイドなる人物と面会させて下さい。」
「承知しました。準備が整う迄、あちらで休憩なさって下さい。」

 カバン大尉はモンタルボ教授にも言った。

「釈放です。どうぞ、お帰り下さい。」


2022/04/01

第6部 七柱    23

  テオはドキドキした。もしかして、ケツァル少佐の方からプロポーズしてきた? あり得るかも知れない。今迄彼が出会ってきた”ヴェルデ・シエロ”の女性達は積極的だった。彼女達の方から男性に求愛していた。だから、少佐も・・・?
 少佐がクールに言った。

「転属は各自行き先がバラバラですから、私が転属させられる時、ロホやデネロス達と別れなければなりません。私は一人ぼっちで新しい任地へ行くことになります。そんな場合、民間人の貴方なら、命令は関係ありませんから、来てくれるでしょう?」

 テオはがっくりきた。部下達を連れて行けないから、民間人の彼だけでも連れて行こうと言う我儘か? 彼はがっかりさせられたので、反論した。

「大学教授だって、学生に責任がある。研究を途中で放り出して女を追いかける訳にもいかない。」

 少佐が横目で彼を見上げた。

「何をムキになっているんです?」

 彼女は彼からスッと離れて宿のドアの取手を掴んだ。

「私はあるかも知れないことについて、貴方の考えを尋ねただけですよ。」

 そして建物の中に入った。テオは揶揄われた気分を拭えないまま、彼女の後に続いた。宿の主人に鍵をもらい、銘々の部屋に入った。上着を脱いでTシャツに短パンだけになり、ベッドに入った。目を閉じたが、やっぱり先刻の少佐との遣り取りが気になった。
 少佐は本当にプロポーズしてくれたのではないのか? 俺がすぐに返事をしなかったから、彼女はあんなことを言ったのかも知れない。彼女は話し相手に躊躇されるのを好まないのだ。俺は彼女の扱い方を誤った?
 結局まんじりともせずに朝を迎えてしまった。日が昇る前にシャワーを浴びようと浴室に行くと、既に少佐が中にいた。部屋に戻り、順番を待った。彼女が出てきた気配だったので、再び浴室に行き、まだ湯気と石鹸の香りが残る浴室で体を洗った。
 宿の朝食は主人夫婦と一緒だった。女将さんがテオの草臥れた顔を見て、眠れなかったのか、と心配した。テオは、大学の仕事の夢を見てうなされただけです、と答えて誤魔化した。朝食はあまり変わり映えのしない内容だったが、美味しかった。ケツァル少佐は卵料理の味付けが気に入って、お代わりして女将さんを喜ばせた。彼女は昨晩の会話を全く気にしていないようだ。やっぱり冗談だったのか? テオはちょっとがっかりした。
 チェックアウトして、グラダ・シティに帰ろうと車に乗り込んだところで、少佐の携帯にグリン大尉から電話がかかって来た。

ーーモンタルボ教授が少佐殿にお会いしたいと連絡して来ましたが、どうなさいますか? 

 少佐は眉を顰めた。

「昨夜の緊急車両のサイレンに関係あることですか?」
ーー恐らく。

とグリン大尉も詳細を知らない様子だ。

ーー教授は憲兵隊のクエバ・ネグラ駐屯地にいるそうです。責任者はアリリオ・カバン大尉です。

 少佐は溜め息をついた。

「なんだかわかりませんが、行ってみます。連絡ご苦労様です。」
ーーグラシャス。

 少佐が携帯をポケットに仕舞った。テオはやっぱりこちらに難儀が降りかかって来たな、と思った。少佐が緑の鳥の徽章が入ったパスケースを手に取り、テオに放り投げた。テオは慌てて受け取った。本来なら、大統領警護隊の身分証を持ち主以外が手に取ると、チクリと針で刺したような痛みを覚える。しかし、テオはパスケースの段階は平気だった。徽章そのものは触れないが。

「憲兵隊のゲートを通る時に、それを提示して下さい。」

 少佐が駐屯地のゲートでブレーキを踏むつもりがないことを悟ったのは、正にその時だった。彼女は緑の鳥のロゴが入った車を速度を落としたものの、停止せずに駐屯地の中へ乗り入れた。アサルトライフルを構えた兵士にテオは必死で少佐のパスケースを突き出しながら、助手席でヒヤヒヤしていた。駐屯地は宿から車で10分程の距離だったが、少佐はその間一言も口を利かなかった。昨夜のことを怒っているのか、それともモンタルボ教授の要請に機嫌を損ねたか、どちらかだ。
 事務所と思われる建物の前に車を停めると、すぐに将校が出て来た。口髭を生やした40代前半の男性だ。ケツァル少佐に敬礼して、カバン大尉だと名乗った。少佐は、ミゲールと名乗り、テオを見ずに手だけで示して、ゴンザレス博士、と正式名称だけ紹介した。

「リカルド・モンタルボが私を呼んだ理由は何です?」

 くだらない用件だったら帰るわよ、と言う顔で彼女が尋ねた。カバン大尉は国境警備隊の大統領警護隊とは格が違う相手だ、と感じたのか、無駄話をせずに事情を語り出した。

「昨晩、レオン・マリノ・ホテルの支配人から通報がありました。宿泊客に会いに来た訪問者が、客を刺したと言う内容です。刺された客と刺した男がどちらもアメリカ人だったので、支配人は警察と憲兵隊に通報を入れました。刺された客は、昼間、別の宿泊客、それがセニョール・モンタルボでして、彼とも激しい口論をしており、何か事件と関係があるのではないかと支配人が訴えるので、こちらへ連行しました。」
「刺した男と刺された男はどうなりました?」
「刺した男は逃走を図りましたが、ホテルの従業員と刺された男の用心棒に取り押さえられました。現在こちらの拘置所に勾留しています。刺された男は病院へ運びました。生きていると思われますが、まだ病院から連絡が来ていません。」
「モンタルボは事件に関して何か言っていましたか?」

 カバン大尉は肩をすくめた。

「何も・・・ただ少佐をお呼びして欲しいの一点張りで・・・」

2022/03/31

第6部 七柱    22

  宿の前迄来た時、少佐が足を止めた。

「今、呼ばれました。」

 テオは彼女を見た。”ヴェルデ・シエロ”特有の、一方通行的テレパシーを感応したと言うことだ。

「誰に?」
「これは・・・」

 少佐はちょっと考え、国境警備隊の宿舎を見た。

「指揮官のグリン大尉です。パエスから私がここにいると聞いたのでしょう。」
「行くのかい?」
「呼ばれましたから。貴方も来ますか?」
「俺が行っても良いのかい?」
「スィ。恐らく、パエスの件ですよ。」

 孤独な知人の問題に関することなら、テオも無関心でいられなかった。これはモンタルボの事件とはレベルが違う。少なくとも、彼の中で比重が重いのはモンタルボではなくパエスだ。
 2人は国境警備隊の官舎へ行った。テオは双子の様な官舎が2棟並んでいるのを見て、大統領警護隊と陸軍が生活の場所を分けていることを知った。命令系統も異なるのだから、仕方がないだろう。しかし食事の場所は陸軍側にあると聞いて、セルバ人同士の交流はあるのだな、と少し安心した。
 大統領警護隊の官舎の共有スペースで、バレリア・グリン大尉がソファに座っていた。ケツァル少佐が入室すると微笑んで立ち上がったが、テオに気がつくと、怪訝な顔をした。少佐がテオを紹介した。 テオが「”暗がりの神殿”の調査」に参加して、反逆者ニシト・メナク捕縛に協力した白人の英雄であると言う評価を、大尉は聞いていたので、彼に会えて光栄だと言った。

「太平洋警備室の問題解決にも大きな貢献をされたそうで・・・」
「俺は何もしていません。大統領警護隊の隊員達が過ちに気づいて冷静な判断をしてくれただけです。」

 大尉は事務室を振り返った。パエス少尉が共有スペースに出て来た。彼は再びケツァル少佐とテオに敬礼した。

「大統領警護隊は陸軍と同じく、隊員個人の問題で隊則を変えることは出来ません。」

とグリン大尉が言った。

「しかし、宗教の問題は簡単ではなく、信仰するものを捨てよと言うことは出来ません。ですから、パエス少尉が官舎の食事を口にすることを拒否した時、已む無く自宅で食べることを許可しました。しかし、他の隊員達から不満の声が聞こえたのは事実です。」

 テオはパエス少尉が固い表情で空を見つめているのを見た。グリン大尉は続けた。

「クチナ基地のオルテガ少佐に私は相談しました。すると少佐は陸軍国境警備班と話をして下さいました。陸軍国境警備班北部方面隊は、兵士達にアンケートを取ったそうです。」

 え? とテオは思った。何だか意外な展開だ。ケツァル少佐もパエス少尉も驚いていた。グリン大尉が、「してやったり」と言いたげな顔をした。

「アンケートの結果、出身地や出身部族で食材にハラールを行うことが習慣になっていた兵士が60パーセントを越えることがわかりました。どの兵士も、軍隊では我儘を許されないと諦めて、ハラールなしの食材で作った食事を摂っていたのです。陸軍はそれをグラダ・シティの本隊に報告し、軍隊の厨房でのハラールの省略は禁止すると通達を出しました。」

 パエス少尉がぽかんと口を開けてグリン大尉を見た。

「明日の朝からここクエバ・ネグラの陸軍官舎の食堂でも、ハラール食材を使った食事が出されます。新しい料理人が来る迄は、ハラール食材を扱う業者から納入される物ですが、儀式の知識を持つ人間を雇用するそうです。」

 彼女はやっと部下の顔を見た。

「貴方が今のままの生活を続けるか、同僚と同じ生活を始めるか、選択の自由はありません。」
「わかりました・・・」

 パエス少尉は、もう奥さんが待つ家に毎日帰ることが出来ないのだ。だが・・・。

「クチナ基地では、家族持ちの隊員には、本部と同じ隊則を適用しています。ですから、クエバ・ネグラでもそれに習うことにしました。」
「?」

 パエス少尉がグリン大尉の言葉を解せないで戸惑う表情になった。しかしテオは大尉が言おうとしていることが分かった。彼は、いつもの癖で、口を挟んでしまった。

「本部勤務の家族持ちの隊員は、2週間に1日、休日をもらえるんだ!」

 ケツァル少佐が横目で彼を見たが、怒ってはいなかった。彼女もその規則は承知していた。
 グリン大尉は、テオのフライングに苦笑した。そしてパエス少尉に言った。

「明日、全隊員に告知します。家族を前の任地に残して来た隊員も数名いますから、彼等が家族を呼び寄せることも出来ます。貴方が同僚と気まずくなった1番の原因となった人達です。貴方は逆に奥さんのところに帰る時間が減りますが、承知出来ますね?」

 パエス少尉が無言のまま、敬礼して承諾を示した。テオはまた言葉を追加した。

「奥さんは家に閉じこもっている訳じゃないですね? 仕事をしているのですか? 兎に角、検問所と町は殆ど一体化している町だから、勤務中に奥さんが貴方の近くに来ることだって出来るでしょう? 2週間全く奥さんに会えない訳じゃないんですよ、少尉。」

 パエス少尉が顰めっ面した。そんなことはわかっている、と言われた気がして、テオは笑いそうになり、耐えた。
 ケツァル少佐がパエス少尉に言った。

「貴官は良い上官に恵まれていますね。」

 少尉が彼女に向き直り、再び敬礼した。

「私は幸せ者です。」

とやっと彼は言った。少佐と大尉の女性達が”心話”で何か話をした様子だったが、テオは訊かないことにした。
 宿舎を出て、テオとケツァル少佐は今度こそ本当に宿に向かって歩き出した。

「グリン大尉がわざわざ君を呼んだと言うことは、君が大尉に何かアドバイスしたんだな?」

 テオが指摘すると、少佐が微笑んだ。

「家族と離れて暮らしているのは、あの大尉も同じでした。でも彼女はパエスに意地悪はしていません。彼が奥さんの料理を食べに帰るのを許していたのですからね。意地悪する部下と自己流を貫き通そうとする部下の板挟みで、彼女も悩んでいたのです。本部と同じ隊則を適用するのは簡単です。でも、彼女がクチナ基地の指揮官少佐を動かして、陸軍まで動かしたのは驚きでした。」
「大統領警護隊の女は強いなぁ・・・いて!」

 少佐が彼の腕をつねって、それから彼に身を寄せた。

「私が転属になったら、ついて来てくれます?」

 テオはドキッとした。それって、もしかして・・・もしかする?


第6部 七柱    21

  食事を終えて宿に向かって歩いていると、国境警備隊の車が後ろから走って来た。テオとケツァル少佐が道端に体を寄せて車をやり過ごすと、車は40メートルほど進んでから停止した。少佐が囁いた。

「パエス少尉と陸軍の兵隊です。」

 日中の勤務を終えて宿舎へ戻るところだろう。テオ達がそのまま進んで車に近づくと、助手席からパエス少尉が降り立った。ケツァル少佐に敬礼したので、少佐も返礼した。

「まだ大学教授の事件を調査されているのですか?」

と質問して来た。少佐が答えた。

「解決したので、教授に奪われた物を返しに来ただけです。」
「貴女がわざわざ?」

 部下にやらせれば良いのに、と言う響きが声にあった。少佐は彼に話すことは何もないと思ったのか、話題の方向を変えた。

「勤務交代の時間ですね。早く行きなさい。」

 パエス少尉は敬礼し、車に戻った。国境警備隊の車は直ぐに走り去った。テオは独り言を呟いた。

「少なくとも、勤務中は同僚達と上手くやっている様だな。」
「気持ちの切り替えが出来なければ、大統領警護隊は務まりませんから。」

と少佐が言った。
 真っ直ぐ宿に戻るのも早過ぎる様な気がして、2人は丘陵地を散歩した。雨季直前の湿った風が吹いていた。日が沈み、丘の下のハイウェイに沿った街並みの灯りが細長く見えた。この町は細長いんだな、とテオはどうでも良いことを思った。民家が少し高い場所に固まっているのも見えた。あれは津波や高潮を避けて暮らしているのだ、とも思った。

「アブラーンが隠したかった建築の秘密ってどんなものだったのかな。」

と彼は呟いた。

「現代人に知られたからって、大問題になる様なものだったんだろうか? ”ヴェルデ・シエロ”は残酷だ、とか、役立たずだ、とか、信用できない、とか批判される様なものだったのか? それとも、その技術を求めて現代の国々が押しかけて来るとか?」

 少佐が、ふふふ、と笑った。

「恐らく、アブラーンも知らないのだと思います。ロカ・ムリリョも、その親もさらにその親も・・・”ティエラ”にも他部族にも教えるなと言われて、何代も秘密を守っている間に、忘れ去られたのだと思った方が気が楽ですよ。家族にさえ黙っていたのですから。”心話”で伝えると言うことは、情報を持っている人の主観も入る訳ですから、代を重ねて伝わると情報は少しずつ歪んで来る物です。」

 彼女は真っ暗な海の方角を見た。テオには見えない器状の海底がある方を指差した。

「アンドレが想像した様に、柱の上に台を置いて、そこに町を築いたのではないかと、私も思います。そんな技術を古代の人々は持っていたのです。ムリリョ家に伝わっていたのは、その技術だったのでしょう。そんな技術を他人に知られたくなかったのであれば、”ヴェルデ・シエロ”が町を放棄した時に、町を破壊しておけば良かったのです。だけど、何らかの理由でしなかった。そして”ティエラ”がやって来て、住み着いた。カラコルの町が神を冒涜した時、ママコナの怒りを感応した”ヴェルデ・シエロ”達は、町の土台を支えていた柱を破壊したのではないですか。」
「それで町が水没したのか?」
「スィ。調べてみましたが、カラコルが水没したと言われる年代は、大きな地震の記録がありません。津波の記録も残っていません。伝聞も伝承もないのです。どの地方にもありませんでした。岬が沈下するほどの地震があったら、他の地方でも被害が出ていた筈です。でも考古学的調査でも、地質学調査でも、そんな痕跡は国中どこにもないのです。」
「”ヴェルデ・シエロ”は地震を起こしたのではなく、町の地下にあった柱をへし折っただけだったのか。」
「かなりの大きさの柱だったのでしょうね。そんな柱を造る技術が、アブラーンが守りたかった秘密だったのだと、私は思います。」
「だが、町一つ沈んだんだ。このクエバ・ネグラの近郊は津波に襲われただろうな。」
「その記録もないので、そこは、それ・・・」
「”ヴェルデ・シエロ”の守護の力の見せ所か。」

 テオはやっと笑う気分になった。

「アブラーンは、巨大な柱の痕跡が海底から露出していないか、心配だったんだな。」

 またサイレンの音が聞こえた。例のホテルの前に、緊急車両の赤色灯が見えた。少佐が車種を見定めた。

「憲兵隊の車両です。外国人か先住民がトラブルに関係した様です。」

 外国人と聞いて、テオはチャールズ・アンダーソンを思い浮かべた。モンタルボと暴力沙汰になったのだろうか。



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...