2022/04/06

第6部  赤い川     1

  ”ヴェルデ・シエロ”は現代のセルバ人にとって複雑な存在である。伝説では、彼等は我々の祖先がセルバの地を踏むよりも遥か太古に、7つの部族が合同で一つの国家を築き、ママコナと呼ばれる巫女と大神官が神託によって統治していた国家であった。彼等には彼等独自の神がいたようだ。彼等が何時歴史から姿を消したのか、明確な記録はない。セルバ人の祖先がこの地に農耕と狩猟を生業とする社会を建設した時、”ヴェルデ・シエロ”は既に姿を消しつつあった。”ヴェルデ・ティエラ”と自らを呼んだ我々セルバ人の祖先は、当時の”ヴェルデ・シエロ”の神秘の力を見て、彼等と共存した時代、彼等を神と崇め、その姿を頭部に翼がある人として壁画や彫刻に残した。現存する最も古いセルバの遺跡はグラダ・シティの中心部に聳える”曙のピラミッド”とオルガ・グランデの地下で発見された”太陽神殿”であると言われているが、どちらも発掘調査を許されておらず、建設した者が”ヴェルデ・シエロ”であるか”ヴェルデ・ティエラ”であるか、不明である。それ以外の古い遺跡は全て崩壊した状態でジャングルや砂漠に放置されていた。これらは古い時代の”ヴェルデ・ティエラ”が建設した都市や神殿であり、近年、それらの遺跡で発見された壁画や彫刻、神代文字の解読から”ヴェルデ・シエロ”が実在していたのであろうと考えられている。
 考古学と歴史学では、”ヴェルデ・シエロ”は滅亡した民族であるが、民間信仰においては、彼等はまだ生きており、セルバ人の中に混じり込んで暮らしていると信じられている。その為、現代でもセルバ共和国では、”ヴェルデ・シエロ”の悪口やその名をみだりに口に出すことはタブーとされている。また、困った時に助けてくれる存在であるとの信仰もあり、バルで「雨を降らせる人を探している」と言えば、”ヴェルデ・シエロ”がやって来て力になってくれると信じられている。
 前置きが長くなったが、古い遺跡で”ヴェルデ・シエロ”を祀ったと考えられる場所の特定が出来ることを、最近グラダ大学の考古学部准教授ハイメ・ンゲマが記者に教えてくれた。これは決して新発見ではなく、以前からセルバの考古学者の間では常識だったらしい。20世紀以上昔の遺跡は殆どが風化して建造物の名残を見つけるのも難しいが、ある共通点があると言う。それは、神殿と思われる場所に、7つの柱の基礎があることだ。この7つの柱は一列に並んでいる所があれば、4対3の割合で向き合っていることもある。また円形に並んでいる場所もある。この7と言う数字が”ヴェルデ・シエロ”の7部族を表していると考えられている。何故なら、この7本の柱の跡は、直径が等しくないのだ。必ず同じ比率で大小があり、このことは各部族の順位、あるいは勢力の大きさ、もしくは人口を表現しているのだと推測される。何故”ヴェルデ・シエロ”は部族の順位を示す必要があったのだろうか。何故どの遺跡も神殿だけが跡形もなく破壊されているのか。それは”ヴェルデ・シエロ”が歴史から消えた謎と関係しているのか。
 考古学者達の関心は、今やセルバ共和国の密林に眠る遺跡達に注がれているのである。
                              ベアトリス・レンドイロ

 シエンシア・ディアリア誌の記事を声に出して読み上げたマハルダ・デネロス少尉は、最後の記者の署名を読むと、雑誌を閉じた。そして仲間を見た。読む前に「食べながら聞いて」と言ったので、仲間は各自好きな場所で皿を抱えて蒸した米と鶏肉の料理を食べていた。テーブルが4席しかない小さな物だったので、椅子に座ってテーブル前にいたのは、ケツァル少佐とロホだけだった。デネロスの席もそこにあった。アスルとギャラガはソファにいた。もう一人、若い兵士がソファの端っこにいて、遠慮がちに食事をしていた。制服は憲兵隊で、大統領警護隊ではない。肩章は少尉だった。
 デネロスは言った。

「この記事を読む限り、レンドイロが一族の誰かを怒らせた様には思えません。アスクラカンで何かの犯罪に巻き込まれたと考える方が妥当だと私は考えます。」

 ロホも頷いた。

「私もそう思う。行方不明の記者の捜索は、憲兵隊と警察に任せて構わないだろう。」

 憲兵が少佐を見た。

「遺跡まで行く必要はないのでありますか?」
「どの遺跡です?」

 ケツァル少佐は頭の中にアスクラカン周辺の地図を思い浮かべてみた。

「オルガ・グランデ行きのバスの乗車券を購入したのに、わざわざ途中下車して寄り道するような遺跡は、アスクラカンの近くにありません。どうしても行きたいのなら、デランテロ・オクタカス迄航空機で行った方が早いです。デランテロ・オクタカスからなら、4箇所の遺跡に行けます。オクタカス、カブラロカ、ケマ・ポンテ、イルクーカです。レンドイロは行方不明になる前にンゲマ准教授にカブラロカの場所を尋ねたそうです。本当にカブラロカに行くのでしたら、飛行機に乗ったでしょう。彼女は今回本当にオルガ・グランデを目指した筈です。アスクラカンで休憩の為に降車して、そこで何らかのトラブルがあったに違いありません。」

 憲兵が立ち上がり、皿をテーブルに置いた。

「わかりました。では、アスクラカン周辺の森や畑の捜索に力を入れます。身代金の要求はないので、ゲリラの誘拐の線は弱いですが、彼女が抵抗して殺害されてしまった可能性は捨てきれません。”砂の民”の仕事の可能性がないのなら、存分に働いてきます。ご協力、感謝します。」

 彼は敬礼した。大統領警護隊も全員が立ち上がり、憲兵隊で勤務する一族の若者に敬意を表した。
 憲兵が家から出て行った。大統領警護隊はリラックスモードに入った。アスルが憲兵が置いた皿を見て、

「あと2口で完食だったのに・・・」

と愚痴った。食べ残されて悔しいのだ。少佐が苦笑して彼を宥めた。

「少し残して、食べきれない程ご馳走してもらった、と言う感謝の印です。」
「承知していますが、私は全部食べて欲しかった。」

 気難しい先輩の主張に、ギャラガとデネロスも苦笑するしかない。ロホは綺麗に食べて、食器をシンクへ運んだ。

「しかし、留守中に自宅を会合の場所に使われたりして、テオが気を悪くしないか?」
「構わない。」

とアスル。

「俺の家でもあるから、自由に友達を連れて来て良いと彼は言った。」

 少佐が少し心配した。

「まさか、サッカーチームを連れて来たりしていないでしょうね?」
「それはありません。」

とアスルがムッとした。

「理性のある人間しかここへ入れませんから。」

 大統領警護隊文化保護担当部はドッと笑った。アスルのサッカーチームは、大統領警護隊の隊員で構成されているのだが・・・。

2022/04/05

第6部 七柱    30

  エル・ティティに戻ると、テオは警察署長アントニオ・ゴンザレスの息子として、署長の家の家事をして、会計士ホセ・カルロスの事務所の代書屋として、休暇を過ごした。夜になると近所の若者達がバルに誘ってくれる。グラダ・シティと違って小さな町だから、行く店は決まっていて、毎晩同じ順番で梯子だ。ゴンザレスが自宅で夕食をとる日は誘いを断って、養父と2人で夜を過ごした。ゴンザレスも恋人が出来たから、3人で一緒に食事を取ったこともあった。彼女はマリア・アドモ・レイバと言う役場の職員で、バツイチで子供はいなかった。役場の職員と聞いた時、テオは文化・教育省の入り口で毎日入庁者をチェックしている陸軍の女性軍曹を連想してしまった。つまり、融通の利かないお堅い女性だ。しかし会ってみるとマリアは陽気で面白い女性だった。マハルダ・デネロス少尉が現在の性格のまま歳を取った感じだ。よく喋り、よく笑った。テオはゴンザレスが幸せそうな顔をして彼女を見つめるのを見て、安心した。テオに恋人が出来ても、ゴンザレスに寂しい思いをさせなくて済む。
 恋人と言えば、ケツァル少佐は時々思い出した様に電話をかけてきてくれた。彼女のことだから、用事がない時にかけてこない。彼女の電話は大概エル・ティティ近辺に出没する反政府ゲリラの動向を伺う内容だった。どっちかと言えば、テオよりゴンザレスに用事があるのだ。しかし、ゴンザレスは言った。

「お前の方から彼女に電話してやれ、テオ。」
「用事がない時にかけても、彼女はすぐ切ってしまうんだ。」
「しかし用事がないのに彼女の方から掛けてくるじゃないか。」
「はぁ?」
「反政府ゲリラなんて、お前が誘拐された時に彼女がやっつけたカンパロの”赤い森”以来、この近辺に出てこないぞ。それぐらい大統領警護隊だったら承知している筈だ。彼女はお前の声が聞きたいんだよ。」
「・・・」

 本当にそうなんだろうか? テオはツンデレ少佐の本心を確認するのが怖かった。もしこちらの勘違いだったら、次に彼女と会う時、気まずいじゃないか。
 その夜、テオが早めにバルから戻って寝支度をしていると、少佐から電話がかかってきた。ゴンザレスが夜勤の夜だった。テオが「オーラ」と出ると、彼女も「オーラ」と答え、いきなり質問してきた。

ーーシエンシア・ディアリア誌のベアトリス・レンドイロ記者をご存じですね?
「ああ、スィ、彼女がどうかした?」
ーー貴方がエル・ティティに行く時に乗ったバスの乗車券を、彼女が購入したと言う証言があります。

 テオは一瞬考え込んだ。少佐の物言いは何だか妙だ。刑事が捜査しているみたいに聞こえた。

「ああ、彼女は確かに俺が乗ったバスに乗っていた。だが、アスクラカンでバスが休憩停車した時に降りて、それっきり戻って来なかった。バスの中で彼女と少しだけ話をしたが、オルガ・グランデに行くと言っていたんだ。だから戻って来なかった時、どうしたのかとちょっと気になった。それっきり彼女を見ていない。」

 1秒ほど空けてから、少佐が確認した。

ーー彼女はアスクラカンでバスを降りたのですね?
「スィ。飯でも食って乗り遅れたか、知り合いに出会ったか、何か理由があったんだろう。」

 すると少佐はやっと肝心なことを伝えた。

ーーレンドイロはグラダ・シティを出てから10日間行方不明です。

 テオはすぐに事態を飲み込めなかった。行方不明? 10日間? どうしてケツァル少佐が彼女を探しているんだ?

「誰かが君に彼女の捜索を依頼して来たのか?」

 すると少佐は意外な人物の名前を出した。

ーーンゲマ准教授から問い合わせがあったのです。彼が雨季明けから発掘予定のカブラロカ遺跡を見たいと言う女性記者がいるが、撮影を許可してやってくれないか、と。撮影だけならと許可しました。それが2週間前、貴方がまだこちらにいた時です。レンドイロの名前は最近何度か耳にしていましたし、真面目な雑誌を作っている会社の記者なので、問題はないだろうと思えたのです。
「彼女が行方不明だと分かったのは、何時のことだ?」
ーー彼女の会社が騒ぎ出したのは、8日前です。シエンシア・ディアリア誌がンゲマ准教授に、カブラロカ遺跡は何処にあるのかと問い合わせて来ました。ンゲマ准教授はレンドイロに地図を見せていたので、出版社が何故そんなことを訊くのかと不思議に思いました。そして記者が行方不明になっていることを知ったのです。ンゲマが最初に心配したのは、ゲリラによる誘拐、そして野盗の襲撃です。ンゲマは私にカブラロカ付近に最近不逞の輩が出没していないかと訊いて来ました。それが2日前でした。
「成る程、君としては、まず彼女の足取りを追って、バスに乗ったことを突き止めたって訳か。進展が遅いな。」

 少佐がムッとした声で言った。

ーー申請の季節なので忙しいのです。貴方が彼女の行方を知らないのなら、これ以上訊くことはありません。取り敢えず、アスクラカンまで彼女の消息を追跡出来ました。グラシャス。

 彼女は何時もの若く、いきなり電話を切った。


 

第6部 七柱    29

  テオが午後8時にバスターミナルでオルガ・グランデ行き長距離バスに乗り込み、出発を待っていると、最後の客達が慌ただしく車内に駆け込んで来た。早口のスペイン語が飛び交い、運転手が「出発!」と怒鳴った。平日だが座席は満席に近く、テオは座席と脚の隙間に無理矢理荷物を押し込んでいたので、ひどく窮屈だった。しかし、このバスはいつもこんな状況だ。バスが揺れながら動き出した。客はまだ蠢いていた。少しでも座れる余裕があれば体を押し込もうとする人や、荷物を網棚に押し上げる人、知り合いに出会って喋り出す人。窓は開いていた。押し出されないよう、気をつけなければならない。
 人間の波を掻き分ける様にして、一人の女性が通路を進み、テオのそばへ来た。甘い香りがツンと鼻に刺激を与え、周囲からクシャミの声が上がった。

「オーラ、ドクトル・アルスト!」

 聞き覚えのある声に呼びかけられ、テオは通路へ顔を向けた。シエンシア・ディアリア誌のベアトリス・レンドイロ記者が立っていた。

「オーラ、セニョリータ・・・」

 レンドイロと話すには、隣の席の老人越しになる。老人は女性に席を譲るつもりなどさらさらなく、テオもレンドイロに席を譲るつもりはなかった。意地悪ではなく、動けないのだ。老人も足元に大きな荷物を置いており、もしテオが彼より先に降車したければ、その荷物を乗り越えて行かなければならない。

「海に潜るんじゃなかったんですか?」

 テオが尋ねると、レンドイロは肩をすくめた。

「それは雨季明けになるでしょう。モンタルボ教授の動きは遅いです。私はオルガ・グランデに行きます。」

 ジャーナリストに取材予定を尋ねても正直に答えないだろう。小さなマイナー雑誌でも、情報源は貴重だ。他人に無闇に明かさない筈だ。

「ドクトルは研究旅行ですか?」

と彼女が訊いて来たので、テオは「ノ」と答えた。

「雨季休暇の帰省です。親の家に帰るんですよ。」
「あら・・・」

 レンドイロは白人のテオを眺めた。この人は元アメリカ人だった筈、と言う彼女の心の声が聞こえた気がした。
 その時、テオの隣の老人が大きなクシャミをした。レンドイロがつけている香水のせいだ。神様を見つける香水。テオは老人を見た。ひょっとしてこの人も”ヴェルデ・シエロ”を先祖に持つのか? 彼は老人に声をかけた。

「大丈夫ですか?」
「平気だ。」

 老人は手で鼻を擦った。そしてテオを見た。

「親のところに帰るのか?」
「スィ。親父がエル・ティティに住んでいるんです。」
「エル・ティティの警察署長が白人の養子を採ったと聞いたことがある。あんたのことか?」
「スィ。ゴンザレス署長は俺の親父です。」

 老人がニッコリ笑った。

「すると、会計士の代書屋をしているのも、あんたか?」
「スィ、スィ。」

 老人がテオの手を掴んで揺すった。

「儂は会計士のカルロスの親父の友人だ。あんたのお陰で仕事が捗って、連中は喜んでいるぞ。」
「そりゃどうも・・・」

 老人の世間話に引き込まれ、テオは雑誌記者の存在を忘れた。
 やがて早朝にアスクラカンに到着すると、大半の乗客が降りて行った。テオも一旦バスから降りて、トイレ休憩をして、朝食を売店で買った。バスに戻ると、乗客の数は6割程になっていた。新しい客もいたから、半数は降りたのだ。レンドイロ記者は発車時刻になっても戻らなかった。オルガ・グランデに行くと言っていたが、何か用事でも出来たのだろうか。バスが動き出した。


2022/04/04

第6部 七柱    28

  2日後、テオがエル・ティティに帰省する準備をして、昼食を買いに出かけた、ほんの半時間に、彼の自宅に侵入者がいた。テオは帰宅して、家の前の緑の鳥のロゴ入りの車を見て、玄関の鍵が掛かっていないドアを開けて入った。居間のソファの上で、カルロ・ステファンが瓶入りのコーラを飲みながらテレビを見ていた。

「勤務中じゃないのか?」

 テオはテーブルの上にテイクアウトのサンドウィッチを広げながら声をかけた。ステファンは顔だけ向けて答えた。

「食材の仕入れで出かけて、休憩しているだけです。」

 テオは笑った。大統領警護隊は一体何処で食材を仕入れるのだ? 

「実家で休憩しないのか?」
「またそんなことを言う・・・」

 ステファンが拗ねた表情を作って見せた。テオはまた笑った。カタリナ・ステファンが昔馴染みと再会して楽しいひと時を持ったことは、ステファンには内緒だった。フィデル・ケサダ教授の正体をまだステファンに明かすお許しが、ケツァル少佐からもケサダ教授からも出ていない。カタリナさえ息子に何も言わないのだ。

「本部の厨房勤務は楽しいかい?」
「楽しむ余裕はないですね。忙しいの一言です。専門で業務している隊員と違って、私は修行なので、下働きが多いですよ。太平洋警備室の厨房で自由に料理出来たことが嘘の様です。」

 テオは彼が太平洋警備室にいた隊員達のその後を知らされていないだろうと想像した。

「ガルソンとは出会ったかい? 彼は本部警備班車両部で中尉として働いているが?」
「スィ、彼とは食堂で出会いました。新しい仕事に慣れて、家族との時間を持てて、穏やかに働いています。貴方と出会えて、喜んでいました。」
「そうか。フレータ少尉のことは?」
「聞いていません。」
「彼女は南部国境警備隊の厨房勤務だ。向こうは厨房の仕事だけじゃなく、拘置所の検問破りや密輸で捕まった連中の世話もするので多忙らしいが、元気に勤務しているそうだよ。」
「それは良かった。」
「キロス中佐は退役した。グラダ・シティ郊外で、子供を対象にした体操教室を開いている。ガルソンの子供達はミックスで、母親は”ティエラ”だろ? だからガルソンの上官が彼女にガルソンの子供達の”シエロ”としての教育を依頼したそうだ。ガルソンが喜んでいた。もしかすると、キロス中佐はミックスの子供達の為の教室を開くかも知れないな。」
「それは、なんとまぁ・・・」

 ステファン大尉も嬉しそうだ。

「私は結局キロス中佐とまともに言葉を交わしたことがありませんでしたが、知性高い、優しい方だと感じました。過去の私の様に、能力の抑制に悩むミックスの子供達を教育して頂けるなら、一族としても喜ばしいことです。」

 テオも頷いた。そして、一番気がかりな人の話をした。

「パエスは少尉になって、北部国境警備隊に配属された。現在、クエバ・ネグラ検問所で勤務している。彼は人付き合いが上手くなくて、ハラールを施されていない食事を拒否し、同僚と気まずくなった。」

 すると、スレファンが片手を上げて、彼の話を遮る許可を求めた。テオは口を閉じた。ステファンが軽く頭を下げて感謝を示し、話し始めた。

「現在の私の上役の一人が、クエバ・ネグラへ派遣されました。現地の料理人、陸軍の食堂の業者だそうですが、彼等に儀式を教授しに行ったのです。初めは業者から作業手順が増えると文句が出たそうですが、陸軍が給金を上げることを約束したので、儀式を承諾しました。これから彼等がサボらないよう、陸軍兵が監視をします。」
「そうなのか・・・」
「パエスがどうするかは、彼の問題です。どうしても同僚と上手く行かないのであれば、退役すれば良い。彼の立場では転属願いを受けてもらえませんから。冷たい様ですが、彼は大統領警護隊の隊員です。隊則と掟は守らなければなりません。」

 テオは頷いた。パエスは子持ちの”ティエラ”の女性と結婚した。他の隊員達と条件が異なる。そして懲戒を受けた身だ。現状は厳しいだろう。しかしテオ達に彼を助けることは出来ないのだ。彼自身が選択して進んだ道だから。
 ステファンの携帯が鳴った。ステファン大尉は画面を見て、何か入力した。そして、瓶に残っていたコーラを一気に飲み干した。

「上官が呼んでいます。彼も休憩が終わったんです。迎えに行って来ます。」

 テオは吹き出した。ステファンは単独ではなく、上官と買い物に出て来て、上官がサボりたいから、彼も一緒にサボっていたのだ。こんな緩さが国境警備隊にもある筈だ。パエス少尉がそれに気が付けば良いのだが。
 テオはステファン大尉を軽くハグしてやった。ステファン大尉も最近はかなりハグに慣れてきた。逞しい腕でテオにハグを返して、「またそのうち」と言って、出て行った。


第6部 七柱    27

  グラダ・シティに向かって走る車を運転したのは、テオだった。大統領警護隊の車両なので本当なら民間人の彼が運転するのは隊則違反なのだが、ケツァル少佐は運転する気分でなかった。

「”操心”の尋問に対して嘘で答えられることは不可能だと、わかっています。でも、アンダーソンの答えは本当に信じ難いです。」

 少佐が愚痴ったので、テオは苦笑した。

「北米には、と言うか、この世には、常識で考えられない思考形態の人間がいるんだよ。他人が見てどんなに笑おうが、彼等は真剣なんだ。それが彼等だけの生活範囲で留まるなら、誰も文句を言わない。だが、他人に迷惑をかけると訴訟沙汰になる。他人を傷つけるのは問題外だ。アンダーソンもロイドも大人しく海に潜ってカメラを回しているだけなら、誰も文句言わないさ。喧嘩して相手を刺したから、大騒動になった。モンタルボもこの件で被害者だな。」

 そして彼はニヤッと笑った。

「本当に、古代のマスケゴ族は、カラコルの地下に核爆弾をセットしなかったのかい?」
「馬鹿なことを言わないで下さい。」

 少佐がうんざりした声で抗議した。

「マスケゴの技術者達は、地下の大空間に7本の巨大な柱を設置して、地面を支えたのです。」
「7本の柱?」
「スィ。グラダ、ブーカ、オクターリャ、サスコシ、マスケゴ、カイナ、グワマナ、各部族の能力の大きさに合わせた太さの柱です。」
「なんで君がそんなことを知っているんだ?」

 すると少佐がケロリとした顔で言った。

「”ヴェルデ・シエロ”の遺跡の特徴です。大なり小なり、何処の遺跡でも、7本の柱で神殿の中心部を支えています。」
「”曙のピラミッド”も”暗がりの神殿”も・・・?」

 テオは深い地下で見た神殿を思い出そうと試みた。だが、当時は仲間を守り、生き抜くことに夢中で柱の数など眼中になかった。
 少佐が頷いた。

「一族が共有する場所は全て7本の柱で支え、我等は一つなのだと言う象徴としています。」
「わかった。それで、カラコルの地下空洞も7本の柱で支えられていたんだな。」
「その筈です。そして8世紀、カラコルの町が神を冒涜した時、ママコナの怒りの声を聞いた当時の”ヴェルデ・シエロ”達が一斉に呪ったのです。それぞれの部族の柱が折れるように、と。」

 グラダ族はその時、絶滅していた。だから、”ヴェルデ・シエロ”全員でグラダの柱も破壊したのだろう。

「ジャングルなどで発掘される遺跡の神殿が崩れているのも、柱が折られたからかい?」
「恐らく。”ティエラ”の遺跡は様々な要因があるでしょうが、”シエロ”の遺跡は放棄される時に意図的に破壊されたのだろうと、ムリリョ博士はお考えです。」

 ロカ・エテルナ社は、カラコルの海底にその7本の柱の痕跡が露出していないかを心配したのだ。テオは2000年以上も昔の先祖の仕事の後を心配する民族を、ある意味気の毒に思った。出来るだけ自分達の生きた痕跡を隠さなければならない民族。普通は、残して後世に見せたいと思うだろうに。

「岬が崩れた本当の理由が7本の柱の崩壊だと知ったら、アンダーソンもロイドも気分が沈没しちまうだろうな。」

 少佐がやっと明るい顔になって、クスッと笑った。
 

第6部 七柱    26

  ケツァル少佐は車の運転席に座ると、これから病院へ行きます、と言った。テオは刺されたチャールズ・アンダーソンに面会に行くのだとわかった。

「だが、何処の病院かわかっているのか?」
「クエバ・ネグラに病院は1箇所しかありません。」

 単純な回答だった。テオは黙った。少佐はハイウェイを南下して、5分も経たぬうちに横道に入り、古い鉄筋コンクリートの3階建の建物がある敷地内に車を乗り入れた。やたらと大きな旧式の救急車が2台あり、1台はアメリカの、もう1台はドイツの車だった。外国の古い車を購入して使用しているのだ。
 車から降りると彼女はテオに頼んだ。

「これから”操心”を使って尋問します。その間、病室に人が近づかないよう、見張ってくれますか?」
「O K! 個室だと良いがな・・・」

 建物は古かったが、内部は明るかった。窓は海側ではなく山側を向いていた。ハリケーンを警戒して建ててあるのだろう。
 少佐は受付で大統領警護隊のI Dを提示して、チャールズ・アンダーソンの容態を尋ねた。受付の女性は医師に電話をかけた。大統領警護隊が来ていると伝えられたので、医師が数分後にはやって来た。アンダーソンは腹部を一回刺されたが、急所が外れたので一命を取り留めた、容態は安定しているが、面会はまだ無理だ、と言った。少佐が言った。

「顔だけ見せて下さい。」

 それだけで、医師は面会を許可した。テオは彼女が”操心”を使ったなと思ったが、黙っていた。
 彼等は医師について2階の術後観察室に行った。最新医療設備がある訳でなく、普通の病室だった。アンダーソンは点滴のチューブや酸素マスク、心電図のコードを装着されて寝ていた。意識があり、訪問者が医師と少佐とテオドール・アルストだと認識すると、目から警戒の色を解いたので、テオは素人ながら、彼が正常な思考が出来る状態だ、と判断した。
 医師が部屋から出て行った。ケツァル少佐がアンダーソンに近づいた。

「ブエノス・ディアス」

と声をかけると、アンダーソンが頷いた。彼は自分でマスクを外した。少佐が彼の目を見つめて囁いた。

「カラコルの海の底に、何を求めているのです?」

 アンダーソンがちょっと全身を震わせた。”操心”に抵抗する時の人間の反応だ。素直にかかる人はそんな反応を見せないが、抵抗する人がたまにいる。自分を保つ意志が強いのだ。テオは抵抗する人間の半分が拷問に耐える訓練を受けた者だと知っていた。
 アンダーソンは5秒程抵抗して、落ちた。

「古代のセルバ人は核を保有していたと考えられる。」

と彼は囁いた。テオはびっくりした。思わず彼に声をかけようとして、尋問中だと思い出し、口を閉じた。アンダーソンは続けた。

「岬の地下に核爆弾が仕掛けられていたと考える学者がいる。敵が攻めてきたら、それで岬ごと破壊して壊滅させるのだ。しかし実際に使われることなく、爆弾は忘れられていた。それが8世紀の地震で爆発し、岬が沈んだ・・・」

 彼は口を閉じた。大きく息を吸い、腹部の傷の痛みで少し顔を顰めた。鎮痛剤が効いていても痛いのだろう。そして痛みで彼は我に帰った。不安気に少佐を見上げた。自分が何を喋ったのか、ほんの数秒前の記憶がないのだ。
 少佐が優しく声をかけた。

「カラコルの海底は完全に陥没し、水と泥と石で埋まっています。何も残っていません。モンタルボは掘削の許可を得ていないし、セルバ政府はサンゴ礁の破壊を許可しません。貴方が撮影出来るのは、海の底で石材の欠片や壺の欠片を拾い集めるダイバーの姿だけです。」

 少佐が顔を向けたので、テオもベッドに近づいた。

「ロイドも同じ考えで、モンタルボに近づこうとしたんだね?」
「スィ。」
「古代の民族が核爆弾を持っていたとなれば、世界中に大きな衝撃が走るだろうな。考古学だけの話で済まなくなるもんな。だけど、それは夢物語だ。セルバにはウランも核燃料になり得る地下資源もない。核実験した遺跡もない。貴方やロイドにそんな戯言を吹き込んだ学者ってのは、誰だい?」

 アンダーソンが一人のアメリカ人の名前を口に出した。それを聞いたテオは脱力した。

「その男はインチキ予言や占いでテレビに出まくって、3年前に視聴者から訴えられて行方をくらませた詐欺師じゃないか! あんた、あいつの言葉を真に受けて会社の命運をカラコルの発掘撮影に賭けたのか?」

 馬鹿じゃないか、と言う思いがテオの頭に浮かんだ。もっと何か政府の思惑が絡んだ陰謀を想像したのだが、世の中にはテレビや本で得た知識を本気で信じ込んで常識を逸した行動を取る人間がいる。
 アンダーソンがベッドに横たわったまま涙を流し始めた。

「核を使用した痕跡だけでも見つけられたら、と・・・」
「ロイドも同じ目的だったんだな?」
「まさか同じことを信じてやって来る人間がいたなんて・・・」

 彼は苦痛で顔を歪めた。少佐がナースコールのボタンを押した。そしてテオの手を掴んだ。

「行きましょう。もうこの人達と関わりたくありません。」


 

2022/04/02

第6部 七柱    25

  通された部屋は、駐屯地の指揮官より上位の将官が訪問する時に使用する迎賓室だった。エアコンが快適な温度の空気を吐き出し、座り心地の良いソファと憲兵隊の歴史を語る写真や勲章などを飾る棚が設置されていた。まさかそんな場所に傷害事件の容疑者が連行されて来る訳でなく、出されたコーヒーを飲んで20分程休憩した後で、再び先ほどの取調室に案内された。
 アイヴァン・ロイドは、以前テオが出会った時よりくたびれて見えた。チャールズ・アンダーソンと口論し、取っ組み合いになり、ナイフで刺した後、逃亡を図ってホテルの客達に取り押さえられたのだ。髪がぐしゃぐしゃで、顔に青痣ができており、服は汚れたのか白いダブダブの囚人用の上下を着せられていた。彼はテオの顔を覚えていた。テオとケツァル少佐が入室すると、顔を向けて、不思議そうな表情をした。

「貴方は確か、グラダ大学で・・・」
「スィ、お会いしました。生物学部のドクトル・アルストです。」

 テオは少佐より先に自己紹介した。そして少佐に言った。

「ンゲマ准教授を訪問して大学に来たセニョール・ロイドだ。」

 少佐が冷ややかにロイドを見た。テオは彼女をロイドに紹介した。

「大統領警護隊のミゲール少佐です。」

 ロイドが溜め息をついた。念願の大統領警護隊に会えたのに、彼は罪人として囚われの身だった。少佐が質問した。

「貴方とアンダーソンの間で何があったのですか?」

 ロイドは無言のまま少佐を見て、テオを見て、カバン大尉に視線を移した。そして大尉に尋ねた。

「この女性が大統領警護隊の少佐なのですか?」

 少佐が私服姿なので疑っているのだ。大尉が頷いて言った。

「素直に答えないと、少佐は直ぐに本部へ帰られる。お前の取り調べは我々で十分だからな。」

 ロイドは再び少佐に視線を戻した。

「私は古代の幻の民族が実在した証明を探しているのです。セルバの方ならご存じですね? ”ヴェルデ・シエロ”と呼ばれた、頭に翼を持った神様です。」

 テオはもう少しで笑いそうになった。頭に生えた翼は、古代の”ヴェルデ・ティエラ”、つまり普通の人々が、神と崇めた”ヴェルデ・シエロ”の超能力を絵画で表現する為に描いたものだ。”ヴェルデ・シエロ”のケツァル少佐が「そんな人間がいたら化け物だ」と感想を述べた形状の絵だった。
 ケツァル少佐は真面目な顔で言った。

「遺跡の壁画で見たことがあります。それが傷害事件を起こす原因になるのですか?」
「幻の民族の遺跡を発見出来たら、世界中の考古学者の注目を浴びます。私の動画も売れる・・・。」
「ですから、それが何故他人を刺す理由になるのです?」
「アンビシャス・カンパニーは・・・」

 ロイドが手錠を嵌められた両手をグッと握り締めた。

「私が乗る予定だった航空機の座席を、ハッキングでキャンセルしたり、情報源の人に高額の謝礼を与えて私に嘘の情報を流させていたんです。私の妨害ばかりしていました。昨夜、私がモンタルボに近づこうとしたら、用心棒を使って力づくでホテルから追い出そうとしました。私に向かって、神に近づく値打ちもない男、などと侮辱したのです。」

 少佐は冷めた目で彼を眺め、くるりと背を向けた。

「帰りましょう、ドクトル。」
「待ってくれ!」

 ロイドが叫んだ。

「私はアンダーソンを殺すつもりはなかった。ただ謝らせたかっただけだ!」
「我が大統領警護隊には関係ない私闘です。」

 少佐はカバン大尉に声をかけた。

「お手数をおかけしました。憲兵隊の領分に口を出すつもりはありません。」

 彼女とカバン大尉は敬礼を交わし、少佐が部屋から出たので、テオも急いで追いかけた。足早に建物から出て、車に戻ると、少佐が言った。

「傷害を起こした理由がはっきりしません。誰がカラコルの遺跡の下に”ヴェルデ・シエロ”の遺跡があると、ロイドやアンダーソンに喋ったのでしょう?」
「誰が、と言う明解な回答はないのかも知れないぞ。」

とテオは呟いた。

「連中は言い伝えを聞いて、儲け話に繋がると思ったんだ。」



 

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...