2022/04/07

第6部  赤い川     4

  オルガ・グランデへ出かけて来ると言ったら、ゴンザレス署長は遺伝子の研究の為だろうと思った。テオは本当のことを言うと止められると予想したので、ちょっと嘘をついたことを後ろめたく感じた。ケツァル少佐には、オルガ・グランデへ向かうバスの中からメールした。

ーーレンドイロとS N Sでやり取りをしていたベンハミン・カージョに会いに行く。

 少佐から返事はなかった。ないと言うことは、怒ったな、と彼女の性格を理解しつつあったテオは予想した。彼女は彼が一人で危険な場所へ行くことを好まない。グラダ・シティでも夜間の一人歩きを許してくれないのだ。しかしテオも男性としてプライドがある。何時までも子供扱いして欲しくない。”ティエラ”だってセルバ人だ。一人で行動出来る。
 バスがオルガ・グランデに到着したのは夕方だった。取り敢えず、今日は宿を見つけて休もう、と彼はバスから降りて歩き出した。歩き出してすぐに尾行に気がついた。バス停で数人の男達が固まって話をしていたのがチラリと見えたのだが、その中の一人が仲間から離れてついて来るのだ。テオはバックパッカーではないし、ビジネスマンの様な格好もしていない。荷物は小さなリュックサック一つ切りで、次の日にはエル・ティティに帰るつもりだから、荷物らしい物は持っていなかった。男は一定の距離を空けてついて来る。あまり気持ちの良いものではない。
 リオ・ブランカ通りのセラードホテルに行った。記憶を失って、初めてオルガ・グランデに来た時に泊まったホテルだ。ケツァル少佐が指定した宿だった。彼がホテルの入り口に立つと、尾行者が立ち止まった。テオは彼を見ないように心掛けながら、中に入った。
 フロント係は以前とは別の人間だった。幸い部屋が空いていて、テオはシングルを取ることが出来た。着替えしか入っていないリュックサックをベッドの下に置いて、彼は食事に出掛けた。尾行者はホテルの外で待っていた。テオが歩くと再び尾行を始めたので、盗賊ではなさそうだな、とテオは思った。
 手頃なバルを見つけ、そこで食事をした。ベンハミン・カージョが住んでいると思われる住所を訊くと、市内を走る路線バスで15分程の場所だと教えてもらえた。
 店を出ると、まだ尾行者はいた。テオはなんとなく相手の正体と言うか、役目に見当がついたので、そいつのそばへ歩いて行った。尾行者がびっくりして、狼狽するのがわかった。

「アンゲルス鉱石の人ですか?」

 テオが尋ねると、男は渋々頷いた。バルデスが妙に気を回して護衛をつけてくれていたのだ。だからテオは言った。

「今夜はホテルから出ません。だから、もう帰ってもらって良いです。明日はクーリア地区へ行きます。多分、バルデス社長は承知されているでしょう。余計なことはしません。お気遣い感謝しています、と社長に伝えてください。」

 そしてくるりと向きを変え、ホテルに向かって歩き出した。歩きながら、軍属のリコを呼んでも良かったな、と思った。

第6部  赤い川     3

  テレビの画面にレンドイロ家の人々が映っていた。母親が娘ベアトリスの顔写真を貼ったボードを掲げ、父親が涙ながらに娘の行方を知っている人がいたら連絡して欲しいと訴えた。ベアトリスの弟妹は無言で固い表情をカメラに向けていた。家族と共に出演したシエンシア・ディアリア社の社長もベアトリスがいかに優秀な記者で素晴らしい記事を書いてきたかを語り、彼女の無事を祈っていると言った。最後にテレビ局のスタッフが登場し、連絡先としてシエンシア・ディアリア社の電話番号とメールアドレスを告げた。
 テオは溜め息をついた。ベアトリスと最後に言葉を交わした人間として、憲兵隊から事情聴取を受けたが、彼とて何も情報を持っていなかった。そもそもレンドイロ記者がどんな要件でオルガ・グランデに向かっていたのかも知らなかった。彼女がアスクラカンでバスを降りてからの目撃情報が少し出て来たのは翌日だったが、彼女がバスターミナルの公共トイレを使用したことや、売店でコーラを買って飲んだ、と言う程度だった。彼女が何時バスターミナルを離れたのか、誰も知らなかった。
 アスクラカンから行ける遺跡は、どこもジャングルの中を数時間車で移動しなければならない。彼女が気を変えてカブラロカ遺跡に向かったとしても、車を雇うしか方法がない。憲兵隊は白タクも含めて運送業者を調べたが、女性を乗せて遺跡へ行った人間はいなかった。
 ベアトリス・レンドイロ記者の失踪が大きな話題になったのには、理由があった。シエンシア・ディアリア誌とは趣が異なるゴシップ誌が、この事件を取り上げ、こんなことを書いたのだ。

 シエンシア・ディアリア誌のベアトリス・レンドイロ編集長が失踪したのは、彼女が”ヴェルデ・シエロ”の遺跡の秘密に迫ったからである。

 ”ヴェルデ・シエロ”の名前を誌面に出すこと自体がタブーに近かったセルバ社会で、この記事は大きな衝撃を市民に与えた。噂話をタブーとするセルバ人達が、連日カフェやバルでこの話をネタにして語り始めた。ゴシップ誌”ティティオワの風”は一躍雑誌の売り上げが伸びた。田舎町でも販売されたので、テオも買って読んでみた。”ティティオワの風”はアスクラカン出身の経営者が運営する雑誌社と雑誌の名前で、本社はグラダ・シティにあった。雑誌は、レンドイロ記者が失踪する前の1ヶ月間、ある人物と頻繁にSNS上でやり取りしていたこと、その内容は、”ヴェルデ・シエロ”の遺跡の建築特性に関するものであったこと、やり取りの相手はオルガ・グランデに住んでいるとプロフィールに書かれているが、まだその身元の確認は取れていないこと等が書かれていた。
 オルガ・グランデは古代”ヴェルデ・シエロ”社会で建築に携わっていたマスケゴ族の子孫が多く住んでいた都市だ。セルバが植民地化された頃にマスケゴ族の主力はグラダ・シティへ移住したが、マスケゴ系の住民が鉱山地帯にまだ多く住んでいる。そうした人々は現代でも純血種のマスケゴ族がオルガ・グランデを訪れると、彼等を慕って集まったり、仕事の下請けを買って出たりすると、テオは聞いたことがあった。もしそうした人々の中で、純血種に不満を抱いていたり、或いは既に”ヴェルデ・シエロ”と認められない程血が薄くなった人がいたりして、先祖の文化や文明を調べて雑誌記者に情報を売っていたとしても、おかしくないだろう。
 レンドイロとS N S上でやり取りをしていた相手は、記者が行方不明になったと最初にシエンシア・ディアリア誌の社員がS N S上に書き込んで以来、沈黙してしまった。ゴシップ誌”ティティオワの風”は、その相手こそレンドイロ記者失踪の鍵を握るのではないか、と締め括っていた。
 テオは雑誌の記事を見つめ、暫く考え込んだ。レンドイロとやり取りをしていた人物は、彼女の味方だったのか、敵だったのか。会ってみなければわからない。彼がこの事件に首を突っ込むことに、ケツァル少佐は反対するだろう。しかし、レンドイロと最後に出会った人間の一人として、テオは何もしないでいることが歯痒かった。散々考え抜いてから、彼はある人物に電話をかけた。取り次いでもらえると期待していなかったが、先方の秘書は取り次いでくれた。
 見慣れた顔が画面に現れ、聞き覚えのある声が電話の向こうから聞こえてきた。

ーーアンゲルス鉱石取締役社長、アントニオ・バルデスです。
「テオドール・アルストです。」

 数秒黙ってから、バルデスが「お元気ですか?」と訊いてきた。テオは型通りの挨拶を手早く済ませ、すぐに要件に入った。

「貴社に迷惑をかけたくありません。ただコンピューターを使わせて欲しい。通信システムの解析が出来るコンピューターをお持ちですよね?」

 アンゲルス鉱石はセルバ共和国で1、2を争う大企業だ。最新技術のI T技術も持っている。そんな企業の頭脳と言うべき場所に、部外者を入れる筈がなかった。果たしてバルデスは言った。

ーーどんな要件です? 時間がかかるのですか?

 テオは正直に答えた。

「今、セルバ社会を賑わせている雑誌記者の失踪事件をご存知ですね?」
ーースィ。
「彼女がS N S上でやり取りをしていた相手を特定したいのです。氏名と住所が分かれば、それで十分ですが・・・」

 バルデスがちょっと考えてから確認してきた。

ーーベアトリス・レンドイロと言う女の、話相手ですか?
「スィ。その正体を知りたい・・・」
ーー調べさせます。結果は今お使いの電話にメールで送らせて宜しいですか?

 アントニオ・バルデスは決して善意の人ではないが、セルバ共和国を愛している。そして古代の神を信仰している。彼は決して大統領警護隊を怒らせたくない。ケツァル少佐の機嫌を損ねて遺跡が埋もれている地下の坑道採掘権を失いたくない。だから少佐と仲良しのテオの細やかな要求をあっさり受け容れてくれた。
 1時間後、テオの携帯にメッセージが入った。バルデスからだった。 男性の名前とオルガ・グランデ市内の住所が書かれていた。


2022/04/06

第6部  赤い川     2

  ムリリョ家の一階の庭園に設けられたプールの周囲はライトアップされていた。長いテーブルの上に料理や飲み物が並べられ、ポップな音楽が賑やかにその場を盛り立てた。踊ったり、歌ったり、食べたり飲んだりしているのは、若者達だ。現当主アブラーン・シメネス・デ・ムリリョの次男坊が留学先のフランスから帰国して、彼の兄弟姉妹、従兄弟姉妹、近所の幼馴染を集めてパーティーを開いているのだった。招待されているのは全員”ヴェルデ・シエロ”だ。純血至上主義者ファルゴ・デ・ムリリョの孫らしく、招待した友人は全員純血のマスケゴ族、或いはマスケゴ系のブーカ族や他の部族の若者達で、異人種の血が入った者はいない。だが流れている音楽は白人の音楽だし、アフリカ系の音楽もあった。若者達は異文化を一向に気にしない。楽しければ良いのだ。
 ファルゴ・デ・ムリリョは3階のテラス庭園、即ち2階の家の屋上庭園で椅子に座ってシエンシア・ディアリア誌に掲載された直近のベアトリス・レンドイロの記事を読んでいた。照明は薄暗かったが、”ヴェルデ・シエロ”の彼には十分だった。彼と屋外用テーブルを挟んで座っていたのは、末娘の夫フィデル・ケサダだった。雑誌は彼が持ち込んだもので、義父が記事を読み終えるのを静かに待っていた。
 ムリリョ博士は雑誌をテーブルの上にバサリと音を立てて置いた。

「見飽きた内容だな。」

と彼は呟いた。

「手下を動かす必要もない。遺跡を見て我々の祖先が実在したことを証明したがっている、それだけだ。我々がここで生きていることに触れてもいないのだからな。」
「スィ、その記者は放置しておいても害にならぬ存在でした。闇に動く者がわざわざ仕事をするとも思えません。」
「では、何故ンゲマが騒いでおる?」
「行方不明になった記者は、彼が雨季明けに発掘するカブラロカ遺跡を取材する予定でした。彼女の消息が途絶えたので、雑誌社が騒ぎ出しました。ンゲマは、もし彼女がゲリラに誘拐されたり野盗に襲われたりしたのであれば、遺跡発掘の開始が遅れるのではないかと心配しているのです。」
「ケツァルは発掘の中止を考えているのか?」
「まだです。彼女は憲兵隊に記者の捜索を任せました。遺跡とは関係ない事案だと考えている様です。」

 ムリリョ博士は雑誌をチラリと見た。

「その女は何処で消息を絶ったのだ?」
「彼女を最後に見た人間の証言では、アスクラカンで女はいなくなったそうです。」
「その証人は信用出来るのか?」
「ドクトル・アルストです、義父上。」

 ムリリョ博士が視線を養い子に移した。ケサダ教授は説明を追加した。

「アルストは雨季休暇をエル・ティティの養父の家で過ごします。そこへ向かうバスの中で、女記者と出会ったとケツァルに語りました。彼女は彼にオルガ・グランデへ行くと言ったそうです。バスはアスクラカンで長時間停車します。大半の乗客はバスから降りて休憩します。再びバスが動き出した時、彼女はバスに戻って来なかったとアルストは証言しました。」

 ムリリョ博士は彼等がいる庭園の縁から見えるプールの青い水の輝きを眺めた。

「アスクラカンか・・・」

と彼は呟いた。

「またパジェの家系が絡んでいるのではなかろうな?」

 ケサダが黙っていると、不意に博士が「フィデル」と彼の名を呼んだ。教授が「スィ」と答えると、ムリリョは言った。

「最近、お前はアスクラカンへ行ったか?」
「ノ。」

 ケサダは平然と答えた。最近、とはいつのことだ?と思いつつ。
 ムリリョは階下の大騒ぎしている若者達を見て、眉を顰めながら言った。

「お前はグラダ・シティから出てはならん。儂が良いと言う迄、ここに留まっておれ。」





第6部  赤い川     1

  ”ヴェルデ・シエロ”は現代のセルバ人にとって複雑な存在である。伝説では、彼等は我々の祖先がセルバの地を踏むよりも遥か太古に、7つの部族が合同で一つの国家を築き、ママコナと呼ばれる巫女と大神官が神託によって統治していた国家であった。彼等には彼等独自の神がいたようだ。彼等が何時歴史から姿を消したのか、明確な記録はない。セルバ人の祖先がこの地に農耕と狩猟を生業とする社会を建設した時、”ヴェルデ・シエロ”は既に姿を消しつつあった。”ヴェルデ・ティエラ”と自らを呼んだ我々セルバ人の祖先は、当時の”ヴェルデ・シエロ”の神秘の力を見て、彼等と共存した時代、彼等を神と崇め、その姿を頭部に翼がある人として壁画や彫刻に残した。現存する最も古いセルバの遺跡はグラダ・シティの中心部に聳える”曙のピラミッド”とオルガ・グランデの地下で発見された”太陽神殿”であると言われているが、どちらも発掘調査を許されておらず、建設した者が”ヴェルデ・シエロ”であるか”ヴェルデ・ティエラ”であるか、不明である。それ以外の古い遺跡は全て崩壊した状態でジャングルや砂漠に放置されていた。これらは古い時代の”ヴェルデ・ティエラ”が建設した都市や神殿であり、近年、それらの遺跡で発見された壁画や彫刻、神代文字の解読から”ヴェルデ・シエロ”が実在していたのであろうと考えられている。
 考古学と歴史学では、”ヴェルデ・シエロ”は滅亡した民族であるが、民間信仰においては、彼等はまだ生きており、セルバ人の中に混じり込んで暮らしていると信じられている。その為、現代でもセルバ共和国では、”ヴェルデ・シエロ”の悪口やその名をみだりに口に出すことはタブーとされている。また、困った時に助けてくれる存在であるとの信仰もあり、バルで「雨を降らせる人を探している」と言えば、”ヴェルデ・シエロ”がやって来て力になってくれると信じられている。
 前置きが長くなったが、古い遺跡で”ヴェルデ・シエロ”を祀ったと考えられる場所の特定が出来ることを、最近グラダ大学の考古学部准教授ハイメ・ンゲマが記者に教えてくれた。これは決して新発見ではなく、以前からセルバの考古学者の間では常識だったらしい。20世紀以上昔の遺跡は殆どが風化して建造物の名残を見つけるのも難しいが、ある共通点があると言う。それは、神殿と思われる場所に、7つの柱の基礎があることだ。この7つの柱は一列に並んでいる所があれば、4対3の割合で向き合っていることもある。また円形に並んでいる場所もある。この7と言う数字が”ヴェルデ・シエロ”の7部族を表していると考えられている。何故なら、この7本の柱の跡は、直径が等しくないのだ。必ず同じ比率で大小があり、このことは各部族の順位、あるいは勢力の大きさ、もしくは人口を表現しているのだと推測される。何故”ヴェルデ・シエロ”は部族の順位を示す必要があったのだろうか。何故どの遺跡も神殿だけが跡形もなく破壊されているのか。それは”ヴェルデ・シエロ”が歴史から消えた謎と関係しているのか。
 考古学者達の関心は、今やセルバ共和国の密林に眠る遺跡達に注がれているのである。
                              ベアトリス・レンドイロ

 シエンシア・ディアリア誌の記事を声に出して読み上げたマハルダ・デネロス少尉は、最後の記者の署名を読むと、雑誌を閉じた。そして仲間を見た。読む前に「食べながら聞いて」と言ったので、仲間は各自好きな場所で皿を抱えて蒸した米と鶏肉の料理を食べていた。テーブルが4席しかない小さな物だったので、椅子に座ってテーブル前にいたのは、ケツァル少佐とロホだけだった。デネロスの席もそこにあった。アスルとギャラガはソファにいた。もう一人、若い兵士がソファの端っこにいて、遠慮がちに食事をしていた。制服は憲兵隊で、大統領警護隊ではない。肩章は少尉だった。
 デネロスは言った。

「この記事を読む限り、レンドイロが一族の誰かを怒らせた様には思えません。アスクラカンで何かの犯罪に巻き込まれたと考える方が妥当だと私は考えます。」

 ロホも頷いた。

「私もそう思う。行方不明の記者の捜索は、憲兵隊と警察に任せて構わないだろう。」

 憲兵が少佐を見た。

「遺跡まで行く必要はないのでありますか?」
「どの遺跡です?」

 ケツァル少佐は頭の中にアスクラカン周辺の地図を思い浮かべてみた。

「オルガ・グランデ行きのバスの乗車券を購入したのに、わざわざ途中下車して寄り道するような遺跡は、アスクラカンの近くにありません。どうしても行きたいのなら、デランテロ・オクタカス迄航空機で行った方が早いです。デランテロ・オクタカスからなら、4箇所の遺跡に行けます。オクタカス、カブラロカ、ケマ・ポンテ、イルクーカです。レンドイロは行方不明になる前にンゲマ准教授にカブラロカの場所を尋ねたそうです。本当にカブラロカに行くのでしたら、飛行機に乗ったでしょう。彼女は今回本当にオルガ・グランデを目指した筈です。アスクラカンで休憩の為に降車して、そこで何らかのトラブルがあったに違いありません。」

 憲兵が立ち上がり、皿をテーブルに置いた。

「わかりました。では、アスクラカン周辺の森や畑の捜索に力を入れます。身代金の要求はないので、ゲリラの誘拐の線は弱いですが、彼女が抵抗して殺害されてしまった可能性は捨てきれません。”砂の民”の仕事の可能性がないのなら、存分に働いてきます。ご協力、感謝します。」

 彼は敬礼した。大統領警護隊も全員が立ち上がり、憲兵隊で勤務する一族の若者に敬意を表した。
 憲兵が家から出て行った。大統領警護隊はリラックスモードに入った。アスルが憲兵が置いた皿を見て、

「あと2口で完食だったのに・・・」

と愚痴った。食べ残されて悔しいのだ。少佐が苦笑して彼を宥めた。

「少し残して、食べきれない程ご馳走してもらった、と言う感謝の印です。」
「承知していますが、私は全部食べて欲しかった。」

 気難しい先輩の主張に、ギャラガとデネロスも苦笑するしかない。ロホは綺麗に食べて、食器をシンクへ運んだ。

「しかし、留守中に自宅を会合の場所に使われたりして、テオが気を悪くしないか?」
「構わない。」

とアスル。

「俺の家でもあるから、自由に友達を連れて来て良いと彼は言った。」

 少佐が少し心配した。

「まさか、サッカーチームを連れて来たりしていないでしょうね?」
「それはありません。」

とアスルがムッとした。

「理性のある人間しかここへ入れませんから。」

 大統領警護隊文化保護担当部はドッと笑った。アスルのサッカーチームは、大統領警護隊の隊員で構成されているのだが・・・。

2022/04/05

第6部 七柱    30

  エル・ティティに戻ると、テオは警察署長アントニオ・ゴンザレスの息子として、署長の家の家事をして、会計士ホセ・カルロスの事務所の代書屋として、休暇を過ごした。夜になると近所の若者達がバルに誘ってくれる。グラダ・シティと違って小さな町だから、行く店は決まっていて、毎晩同じ順番で梯子だ。ゴンザレスが自宅で夕食をとる日は誘いを断って、養父と2人で夜を過ごした。ゴンザレスも恋人が出来たから、3人で一緒に食事を取ったこともあった。彼女はマリア・アドモ・レイバと言う役場の職員で、バツイチで子供はいなかった。役場の職員と聞いた時、テオは文化・教育省の入り口で毎日入庁者をチェックしている陸軍の女性軍曹を連想してしまった。つまり、融通の利かないお堅い女性だ。しかし会ってみるとマリアは陽気で面白い女性だった。マハルダ・デネロス少尉が現在の性格のまま歳を取った感じだ。よく喋り、よく笑った。テオはゴンザレスが幸せそうな顔をして彼女を見つめるのを見て、安心した。テオに恋人が出来ても、ゴンザレスに寂しい思いをさせなくて済む。
 恋人と言えば、ケツァル少佐は時々思い出した様に電話をかけてきてくれた。彼女のことだから、用事がない時にかけてこない。彼女の電話は大概エル・ティティ近辺に出没する反政府ゲリラの動向を伺う内容だった。どっちかと言えば、テオよりゴンザレスに用事があるのだ。しかし、ゴンザレスは言った。

「お前の方から彼女に電話してやれ、テオ。」
「用事がない時にかけても、彼女はすぐ切ってしまうんだ。」
「しかし用事がないのに彼女の方から掛けてくるじゃないか。」
「はぁ?」
「反政府ゲリラなんて、お前が誘拐された時に彼女がやっつけたカンパロの”赤い森”以来、この近辺に出てこないぞ。それぐらい大統領警護隊だったら承知している筈だ。彼女はお前の声が聞きたいんだよ。」
「・・・」

 本当にそうなんだろうか? テオはツンデレ少佐の本心を確認するのが怖かった。もしこちらの勘違いだったら、次に彼女と会う時、気まずいじゃないか。
 その夜、テオが早めにバルから戻って寝支度をしていると、少佐から電話がかかってきた。ゴンザレスが夜勤の夜だった。テオが「オーラ」と出ると、彼女も「オーラ」と答え、いきなり質問してきた。

ーーシエンシア・ディアリア誌のベアトリス・レンドイロ記者をご存じですね?
「ああ、スィ、彼女がどうかした?」
ーー貴方がエル・ティティに行く時に乗ったバスの乗車券を、彼女が購入したと言う証言があります。

 テオは一瞬考え込んだ。少佐の物言いは何だか妙だ。刑事が捜査しているみたいに聞こえた。

「ああ、彼女は確かに俺が乗ったバスに乗っていた。だが、アスクラカンでバスが休憩停車した時に降りて、それっきり戻って来なかった。バスの中で彼女と少しだけ話をしたが、オルガ・グランデに行くと言っていたんだ。だから戻って来なかった時、どうしたのかとちょっと気になった。それっきり彼女を見ていない。」

 1秒ほど空けてから、少佐が確認した。

ーー彼女はアスクラカンでバスを降りたのですね?
「スィ。飯でも食って乗り遅れたか、知り合いに出会ったか、何か理由があったんだろう。」

 すると少佐はやっと肝心なことを伝えた。

ーーレンドイロはグラダ・シティを出てから10日間行方不明です。

 テオはすぐに事態を飲み込めなかった。行方不明? 10日間? どうしてケツァル少佐が彼女を探しているんだ?

「誰かが君に彼女の捜索を依頼して来たのか?」

 すると少佐は意外な人物の名前を出した。

ーーンゲマ准教授から問い合わせがあったのです。彼が雨季明けから発掘予定のカブラロカ遺跡を見たいと言う女性記者がいるが、撮影を許可してやってくれないか、と。撮影だけならと許可しました。それが2週間前、貴方がまだこちらにいた時です。レンドイロの名前は最近何度か耳にしていましたし、真面目な雑誌を作っている会社の記者なので、問題はないだろうと思えたのです。
「彼女が行方不明だと分かったのは、何時のことだ?」
ーー彼女の会社が騒ぎ出したのは、8日前です。シエンシア・ディアリア誌がンゲマ准教授に、カブラロカ遺跡は何処にあるのかと問い合わせて来ました。ンゲマ准教授はレンドイロに地図を見せていたので、出版社が何故そんなことを訊くのかと不思議に思いました。そして記者が行方不明になっていることを知ったのです。ンゲマが最初に心配したのは、ゲリラによる誘拐、そして野盗の襲撃です。ンゲマは私にカブラロカ付近に最近不逞の輩が出没していないかと訊いて来ました。それが2日前でした。
「成る程、君としては、まず彼女の足取りを追って、バスに乗ったことを突き止めたって訳か。進展が遅いな。」

 少佐がムッとした声で言った。

ーー申請の季節なので忙しいのです。貴方が彼女の行方を知らないのなら、これ以上訊くことはありません。取り敢えず、アスクラカンまで彼女の消息を追跡出来ました。グラシャス。

 彼女は何時もの若く、いきなり電話を切った。


 

第6部 七柱    29

  テオが午後8時にバスターミナルでオルガ・グランデ行き長距離バスに乗り込み、出発を待っていると、最後の客達が慌ただしく車内に駆け込んで来た。早口のスペイン語が飛び交い、運転手が「出発!」と怒鳴った。平日だが座席は満席に近く、テオは座席と脚の隙間に無理矢理荷物を押し込んでいたので、ひどく窮屈だった。しかし、このバスはいつもこんな状況だ。バスが揺れながら動き出した。客はまだ蠢いていた。少しでも座れる余裕があれば体を押し込もうとする人や、荷物を網棚に押し上げる人、知り合いに出会って喋り出す人。窓は開いていた。押し出されないよう、気をつけなければならない。
 人間の波を掻き分ける様にして、一人の女性が通路を進み、テオのそばへ来た。甘い香りがツンと鼻に刺激を与え、周囲からクシャミの声が上がった。

「オーラ、ドクトル・アルスト!」

 聞き覚えのある声に呼びかけられ、テオは通路へ顔を向けた。シエンシア・ディアリア誌のベアトリス・レンドイロ記者が立っていた。

「オーラ、セニョリータ・・・」

 レンドイロと話すには、隣の席の老人越しになる。老人は女性に席を譲るつもりなどさらさらなく、テオもレンドイロに席を譲るつもりはなかった。意地悪ではなく、動けないのだ。老人も足元に大きな荷物を置いており、もしテオが彼より先に降車したければ、その荷物を乗り越えて行かなければならない。

「海に潜るんじゃなかったんですか?」

 テオが尋ねると、レンドイロは肩をすくめた。

「それは雨季明けになるでしょう。モンタルボ教授の動きは遅いです。私はオルガ・グランデに行きます。」

 ジャーナリストに取材予定を尋ねても正直に答えないだろう。小さなマイナー雑誌でも、情報源は貴重だ。他人に無闇に明かさない筈だ。

「ドクトルは研究旅行ですか?」

と彼女が訊いて来たので、テオは「ノ」と答えた。

「雨季休暇の帰省です。親の家に帰るんですよ。」
「あら・・・」

 レンドイロは白人のテオを眺めた。この人は元アメリカ人だった筈、と言う彼女の心の声が聞こえた気がした。
 その時、テオの隣の老人が大きなクシャミをした。レンドイロがつけている香水のせいだ。神様を見つける香水。テオは老人を見た。ひょっとしてこの人も”ヴェルデ・シエロ”を先祖に持つのか? 彼は老人に声をかけた。

「大丈夫ですか?」
「平気だ。」

 老人は手で鼻を擦った。そしてテオを見た。

「親のところに帰るのか?」
「スィ。親父がエル・ティティに住んでいるんです。」
「エル・ティティの警察署長が白人の養子を採ったと聞いたことがある。あんたのことか?」
「スィ。ゴンザレス署長は俺の親父です。」

 老人がニッコリ笑った。

「すると、会計士の代書屋をしているのも、あんたか?」
「スィ、スィ。」

 老人がテオの手を掴んで揺すった。

「儂は会計士のカルロスの親父の友人だ。あんたのお陰で仕事が捗って、連中は喜んでいるぞ。」
「そりゃどうも・・・」

 老人の世間話に引き込まれ、テオは雑誌記者の存在を忘れた。
 やがて早朝にアスクラカンに到着すると、大半の乗客が降りて行った。テオも一旦バスから降りて、トイレ休憩をして、朝食を売店で買った。バスに戻ると、乗客の数は6割程になっていた。新しい客もいたから、半数は降りたのだ。レンドイロ記者は発車時刻になっても戻らなかった。オルガ・グランデに行くと言っていたが、何か用事でも出来たのだろうか。バスが動き出した。


2022/04/04

第6部 七柱    28

  2日後、テオがエル・ティティに帰省する準備をして、昼食を買いに出かけた、ほんの半時間に、彼の自宅に侵入者がいた。テオは帰宅して、家の前の緑の鳥のロゴ入りの車を見て、玄関の鍵が掛かっていないドアを開けて入った。居間のソファの上で、カルロ・ステファンが瓶入りのコーラを飲みながらテレビを見ていた。

「勤務中じゃないのか?」

 テオはテーブルの上にテイクアウトのサンドウィッチを広げながら声をかけた。ステファンは顔だけ向けて答えた。

「食材の仕入れで出かけて、休憩しているだけです。」

 テオは笑った。大統領警護隊は一体何処で食材を仕入れるのだ? 

「実家で休憩しないのか?」
「またそんなことを言う・・・」

 ステファンが拗ねた表情を作って見せた。テオはまた笑った。カタリナ・ステファンが昔馴染みと再会して楽しいひと時を持ったことは、ステファンには内緒だった。フィデル・ケサダ教授の正体をまだステファンに明かすお許しが、ケツァル少佐からもケサダ教授からも出ていない。カタリナさえ息子に何も言わないのだ。

「本部の厨房勤務は楽しいかい?」
「楽しむ余裕はないですね。忙しいの一言です。専門で業務している隊員と違って、私は修行なので、下働きが多いですよ。太平洋警備室の厨房で自由に料理出来たことが嘘の様です。」

 テオは彼が太平洋警備室にいた隊員達のその後を知らされていないだろうと想像した。

「ガルソンとは出会ったかい? 彼は本部警備班車両部で中尉として働いているが?」
「スィ、彼とは食堂で出会いました。新しい仕事に慣れて、家族との時間を持てて、穏やかに働いています。貴方と出会えて、喜んでいました。」
「そうか。フレータ少尉のことは?」
「聞いていません。」
「彼女は南部国境警備隊の厨房勤務だ。向こうは厨房の仕事だけじゃなく、拘置所の検問破りや密輸で捕まった連中の世話もするので多忙らしいが、元気に勤務しているそうだよ。」
「それは良かった。」
「キロス中佐は退役した。グラダ・シティ郊外で、子供を対象にした体操教室を開いている。ガルソンの子供達はミックスで、母親は”ティエラ”だろ? だからガルソンの上官が彼女にガルソンの子供達の”シエロ”としての教育を依頼したそうだ。ガルソンが喜んでいた。もしかすると、キロス中佐はミックスの子供達の為の教室を開くかも知れないな。」
「それは、なんとまぁ・・・」

 ステファン大尉も嬉しそうだ。

「私は結局キロス中佐とまともに言葉を交わしたことがありませんでしたが、知性高い、優しい方だと感じました。過去の私の様に、能力の抑制に悩むミックスの子供達を教育して頂けるなら、一族としても喜ばしいことです。」

 テオも頷いた。そして、一番気がかりな人の話をした。

「パエスは少尉になって、北部国境警備隊に配属された。現在、クエバ・ネグラ検問所で勤務している。彼は人付き合いが上手くなくて、ハラールを施されていない食事を拒否し、同僚と気まずくなった。」

 すると、スレファンが片手を上げて、彼の話を遮る許可を求めた。テオは口を閉じた。ステファンが軽く頭を下げて感謝を示し、話し始めた。

「現在の私の上役の一人が、クエバ・ネグラへ派遣されました。現地の料理人、陸軍の食堂の業者だそうですが、彼等に儀式を教授しに行ったのです。初めは業者から作業手順が増えると文句が出たそうですが、陸軍が給金を上げることを約束したので、儀式を承諾しました。これから彼等がサボらないよう、陸軍兵が監視をします。」
「そうなのか・・・」
「パエスがどうするかは、彼の問題です。どうしても同僚と上手く行かないのであれば、退役すれば良い。彼の立場では転属願いを受けてもらえませんから。冷たい様ですが、彼は大統領警護隊の隊員です。隊則と掟は守らなければなりません。」

 テオは頷いた。パエスは子持ちの”ティエラ”の女性と結婚した。他の隊員達と条件が異なる。そして懲戒を受けた身だ。現状は厳しいだろう。しかしテオ達に彼を助けることは出来ないのだ。彼自身が選択して進んだ道だから。
 ステファンの携帯が鳴った。ステファン大尉は画面を見て、何か入力した。そして、瓶に残っていたコーラを一気に飲み干した。

「上官が呼んでいます。彼も休憩が終わったんです。迎えに行って来ます。」

 テオは吹き出した。ステファンは単独ではなく、上官と買い物に出て来て、上官がサボりたいから、彼も一緒にサボっていたのだ。こんな緩さが国境警備隊にもある筈だ。パエス少尉がそれに気が付けば良いのだが。
 テオはステファン大尉を軽くハグしてやった。ステファン大尉も最近はかなりハグに慣れてきた。逞しい腕でテオにハグを返して、「またそのうち」と言って、出て行った。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...