2022/07/14

第7部 ミーヤ      6

  帰りはハイウェイを快調に飛ばし、バスがグラダ・シティに入ったのは午後4時頃だった。途中、道端の売店で昼食を購入して、あとはトイレ休憩に2回停車しただけだ。アンドレ・ギャラガ、フィデル・ケサダ教授、コックのダニエル・パストル、3人の”ヴェルデ・シエロ”は本当に疲れたのだろう、車中にいる間は殆ど眠っていた。テオも眠たかったが、気絶して十分睡眠を取ったアーロン・カタラーニが運転手と喋っていたので、ぼんやりとその会話を聞いていた。運転手のドミンゴ・イゲラスは陸軍の兵隊とカタラーニが喧嘩したと聞かされたので、これ以降の己の運転手業務で隣国に行くのは拙いかな、と心配していた。

「国内路線のバスに転向すれば?」

とカタラーニが呑気に提案すると、彼は「馬鹿言え」と否定した。

「国境を跨ぐ長距離の方が給金が良いに決まってるだろ。」

 尤も乗客が他国で喧嘩したからと言って運転手にお咎めがある筈がない。イゲラスは軍隊に近づかない様に用心するさ、と笑った。

「だが、一体何が原因で喧嘩したんだ?」
「それが僕もよく思い出せなくて・・・」
「飲酒したんだろ?」
「それも思い出せなくて・・・」

 カタラーニはテオを振り返った。

「記憶喪失ってこんな感じですか?先生?」
「こんな感じとは?」

 テオはいきなり話を振られたので、一瞬ビクッとしてしまった。カタラーニは気づかずに両方の眉を下げて情けない顔をした。

「なんと言うか、頼りない、足が地につかない・・・」
「ああ・・・そうだな・・・」

 テオは「元記憶喪失の先生」として大学で知られている。仕方なく同意してやった。本当はもっと不安で落ち着かないんだ、と思ったが。
 バスは一番最初にグラダ大学に到着した。テオとカタラーニはそこで隣国で採取した検体を降ろし、自分達の荷物も降ろした。ケサダ教授と学生として参加したギャラガも大学で降りた。彼等はあまり物を収集した訳でなく、殆ど写真を撮影しただけなので、個人の荷物だけだった。だからバスが外務省に向かって走り去ると、考古学部の2人はテオ達が検体を生物学部の研究室に搬送するのを手伝ってくれた。
 セルバ流に分析を始めるのは翌日からと言うことにして、検体を冷蔵庫に収納した。そしてテオは打撲を受けたカタラーニを先に帰宅させた。大統領警護隊本部で手当を受けたので、カタラーニがすぐに医者に行く必要はないが、無理をしないよう言い含めた。カタラーニが素直に研究室を出て行くと、テオはやっと肩の荷が降りた感じがした。手伝ってくれたケサダ教授とギャラガにコーヒーを淹れた。

「ハエノキ村の住民に”シエロ”の末裔はいないと思いますが・・・」

と彼は言った。

「アランバルリと2人の側近は怪しいです。彼等の親族を調べたいと思います。」
「その必要はないでしょう。」

と教授が言った。テオが彼を見ると、教授はコーヒーの表面をぼんやり眺めながら続けた。

「今まで彼等は表立った行動を取って来ませんでした。恐らく、何らかのタイミングで彼等は偶然互いに似通った能力を持っていると気づき集まったのだ、と私は考えます。自分達の力がどう言う物なのか調べるうちに”ヴェルデ・シエロ”の伝説に辿り着いたのでしょう。彼等の親族が力の因子を持っていたとしても、力の発露には訓練が必要となるレベルの筈です。あの3人の肉親が団結して力を誇示すると思えません。問題とすべきは、彼等が3人だけなのか、彼等が同じ力の人間を集めて何をするつもりだったのか、と言うことです。」
「アランバルリは今大統領警護隊本部にいます。」

とギャラガが言った。

「多分、上官達が尋問した筈です。国境の検問所に側近の2人もいました。恐らくアランバルリの尋問が終わる迄足止めされたでしょう。尋問で得られた情報の結果で彼等の処分が決まります。」

 教授が彼に視線を向けた。

「その処分の内容を我々は教えられないのだろう? 彼等はいつもそうだ。」

 そうだ、大統領警護隊司令部は敵や違反者に対する処分を決して下位の隊員や部外者に教えてくれない。それは長老会も同じだ。最長老の1人であるムリリョ博士は絶対に長老会の決定を他の一族、家族に教えない。ケサダ教授はその秘密主義に不満なのだ。
 大統領警護隊で一番下位の少尉であるギャラガはショボンとして教授の言葉を認めた。

「私が先生やドクトルにお伝え出来ることはありません。私も教えてもらえないのです。」

 テオは仕方なくその場を収めた。

「それじゃ、今日は各自帰りましょう。お疲れ様でした。」

2022/07/13

第7部 ミーヤ      5

  テオがゲートに近づくと、大統領警護隊国境警備隊の隊員が1人ついて来た。近づくなとは言わない。ただ見守っているだけだ。テオがバスが近づくのを見ていると、ナカイ少佐が窓から声をかけて来た。

「中に入って下さい。」

 検問所オフィスだ。民間人も身体検査が必要な人間は呼び込まれる。テオは肩をすくめて中に入った。意外なことに、中は両国共通のスペースだった。セルバから隣国へ出国する人間の身体検査を隣国の審査官が見守り、隣国からセルバに入る人間の身体検査をセルバの役人が見ている。テオはそこでアランバルリの側近2人が部屋の隅に立っているのを見た。まるで汚れた軍服を見たマネキン人形みたいだ。ボケーっと立っているだけなので、テオはナカイ少佐を振り返った。少佐がニヤリと笑った。恐らく2人の兵士は役人に”操心”を掛けて、セルバ政府のバスを出国させまいとのつもりで、オフィスに入ったに違いない。しかし、そこで待ち構えていたのは、彼等より遥かに強い”操心”を使える本物の”ヴェルデ・シエロ”達だったのだ。
 隣国の役人達は2人の兵士の存在に気がつかないかの様に業務を続けていた。そして緑色のバスがゲートに到着した。運転手のドミンゴ・イゲラスが書類を提出し、外務省事務官のアリエル・ボッシも全員のパスポートと政府の書類を出した。隣国側は持ち出していけない物を持っていないか、それだけ調べた。セルバ側は書類にさっと目を通しただけで、記載されている人数が3人足りないことに言及しなかった。テオは隣国の役人も大統領警護隊の”操心”に掛けられて人数が合わないことに気がついていない、と知った。
 やがて書類の何枚かに許可のスタンプが押され、イゲラスとボッシがバスに戻った。彼等もテオがそこにいることに気がつかなかった。ケサダ教授とコックのダニエル・パストルが連携して仲間に”幻視”と”操心”をかけているのだ。テオはバスから姿を現さない2人に感謝した。
 ナカイ少佐がテオに囁いた。

「バスがゲートから100メートル程入ったところで、お仲間と合流なさい。トーコ中佐によろしく。」
「グラシャス!」

 少佐が目を細めてバスを見た。

「マスケゴとブーカが連携すると、結構な仕事が出来るものですな。」

 テオは笑顔で応えただけだった。
 休憩所に戻る途中で、厨房を覗くと、フレータ少尉と仲間2人が昼食の支度をしていた。

「俺達、バスが戻って来たから、グラダ・シティに戻るよ。」

と声をかけると、少尉は調理の手を止めずに顔だけ向けて、笑顔で「またいつか!」と挨拶してくれた。テオはちょと敬礼を真似て、その場を後にした。
 ギャラガとカタラーニを連れてバスを追いかけ、ナカイ少佐が言った地点で乗り込んだ。ケサダ教授は往路と同じ座席で、コックのパストルも最後尾のシートで少し疲れた表情で座っていた。ギャラガが順番に2人に”心話”で報告を行い、カタラーニとバスの”ティエラ”2人に与える説明の打ち合わせを行った。そして教授が軽く咳払いして、ボッシ事務官と運転手イゲラスに掛けた”操心”と”幻視”を解いた。ボッシ事務官がカタラーニを見て微笑みかけた。

「怪我の具合はどうだね?」
「グラシャス、大したことありませんでした。」

 打撲の跡が生々しいにも関わらず、カタラーニは強がって見せた。
 テオはケサダ教授の隣に座った。

「貴方に多くの負担をかけてしまいました。」

と言うと、教授が肩をすくめた。

「私には負担ではありませんが、アブラーンならどの程度までやるだろうかと、そればかり考えていました。」

 アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは生粋のマスケゴ族だ。ケサダ教授は妻の兄の能力の限界がどの程度かと考えながら、マスケゴ族のふりをして能力を使っていた。だから、今彼は疲れているふりをしているのだ。ブーカ族のダニエル・パストルに正体を見破られない様に。マスケゴ族はブーカ族より力が弱いことになっている。もし彼が本当に疲れているのだとしたら、それは気疲れだ。
 
「アランバルリ達は何者なんでしょう?」

とテオが呟くと、教授はさぁねと言った。

「少なくとも、一族ではありません。」


第7部 ミーヤ      4

  昔の勤務地の仲間達がそれぞれ新しい生活に馴染んでいることを聞いて、ブリサ・フレータ少尉は安心した様子だった。特に彼女と上官達が地位を捨ててまで守ったキロス中佐がすっかり健康を取り戻し、引退後の新生活に希望を持って臨んでいることを知り、喜んだ。
 フレータが昼食と検問所の雑事の為に休憩室を出ていくと、アーロン・カタラーニがテオを見た。”ティエラ”の彼が同席していたので、テオは太平洋警備室の元将校達の話を多少ぼかして説明したのだが、それがカタラーニにはちょっと不思議に聞こえたのだろう。しかしフレータにはちゃんと伝わったし、複雑な説明はギャラガが”心話”で補ってくれた。テオはカタラーニの問いかけるような視線を無視して、窓の外を見た。道路に列を作る車が少しずつ進んでいくのが見えた。検問を通ってセルバと隣国を往来しているのだ。
 カタラーニが溜め息をついた。

「僕等が西海岸へ行った時は、アカチャ族とアケチャ族の遺伝的共通性を調べるのが目的でしたね。今回は二つの国にカブラ族の末裔がいるかどうかを調べる目的です。地理的に末裔が共通して分布していて不思議じゃないと思います。どうして遺伝子を調べる必要があるのでしょう。狩猟民に限り、って条件をつけて行き来させれば良いと思いますけどね。」

 それが正論だろうとテオは思った。しかしセルバ共和国を裏で統治している”ヴェルデ・シエロ”達はカブラ族ではなく古代の”シエロ”の末裔の有無を調査したいのだ。それを表立って言うことは出来ない。だから彼は誤魔化した。

「政治家の考えていることなんて、俺達に理解出来る筈ないじゃないか。」

 カタラーニが何となくセルバ人らしく納得したので、ギャラガがホッとした表情をした。テオはちょっと可笑しくなって、外の空気を吸いに外へ出た。ミーヤの街は賑やかだ。大きな建物はないが、国境の街らしく商店が多く、貿易会社の支店もいくつか看板を出していた。隣国はセルバ共和国と農業と言う点ではあまり産物に違いがなく、農産物の取引はそんなに多くない。地下資源も似たり寄ったりだが、セルバは金鉱があるので金製品を扱う店がいくつか見られた。どちらかと言えば南の隣国の方が店が少なく、日用雑貨を仕入れに隣国から商人がやって来る。
 テオはミーヤ遺跡は現在どうなっているのだろう、と思った。小さな遺跡で年代も古いと言えないが、日本人の考古学者が調査している。どうやら古代の歴史や文化を記した石板や粘土板が出た様で、それを研究しているのだとギャラガが教えてくれた。盗むような美術品がないので、警護は大統領警護隊ではなく陸軍だけに任せていた。ミーヤから少しジャングルに入ったとこにあるアンティオワカ遺跡は今年度まだ閉鎖中だ。麻薬密輸組織に倉庫代わりに使われてしまった曰く付きなので、ケツァル少佐はまだ考古学者に開放していない。憲兵隊がのらりくらりと麻薬の残りがないか捜査中とのことだ。
 テオが数軒の店を冷やかして検問所に戻って来た時、ギャラガが戸口に姿を現した。ドクトル、と呼ばれてそばに行くと、彼は囁いた。

「ケサダ教授の気を感じます。バスが近づいている様です。」

 テオは検問所に並ぶ隣国側の車の列を見た。まだバスは見えなかった。

「視界に入っていないが、確かか?」
「スィ。バスを結界で包んでいるのでしょう。凄いパワーです。」

 グラダはグラダを見分ける。テオは検問所で勤務についている大統領警護隊の隊員達を見た。みな平素の表情で車をチェックしている。書類審査を行っているのは、陸軍国境警備班の”ティエラ”達だ。大統領警護隊の隊員達はギャラガが感じ取っているケサダ教授の気の大きさを感じていない。部族が異なると察知出来ない気もあるのだ、とテオは思った。結界にまともに突っ込むと、”ヴェルデ・シエロ”は脳にダメージを受ける。だからグラダ以外の部族はグラダ族の能力を恐れる。逆に言えば、他部族には察知出来ないから、教授は己が本当はグラダ族であることを一族に知られずに済んでいる。
 白人を含め色々な部族の血が混ざり合っていると言っても、ギャラガはケサダ教授の気を感じられる。やはりアンドレはグラダ族だ、とテオは確信した。恐らく微妙にグラダの因子を持った人々が婚姻の繰り返しによって知らぬうちにグラダの割合を高めてしまったのだ。
 大先輩の気を感じてギャラガが興奮しかけていたので、テオは落ち着けと声をかけた。

「バスが無事に国境を越える迄、油断出来ないぞ。」

 そうこうしているうちに、隣国の家並みの向こうから緑色のバスが姿を現した。普通に走って、検問所の列の最後尾についた。護衛でついている筈の陸軍の車両は見えなかった。1台だけジープが後ろについていたが、バスが検問所の列に並ぶと、離れて隣国側検問所オフィスの前に停まった。

「やばい」

とギャラガが囁いた。

「アランバルリの側近の2人です。恐らく書類不備とかでバスの出国を妨害するつもりでしょう。」
「何とか出来ないか?」

 するとギャラガはセルバ側のオフィスに走って行った。責任者のナカイ少佐に協力を要請に行ったのだ。テオはバスを眺めた。見た限り、バスの車体は傷がなく、無事に走って来たと見えた。



2022/07/11

第7部 ミーヤ      3

  逃げて来た時と同じく、戻るのも一瞬だった。アンドレ・ギャラガはケツァル少佐より”着陸”が上手な様で、ミーヤの国境検問所の裏手の、警備隊員駐車場の中に出た。彼はテオが背中に背負ったカタラーニを押さえつけずに”着地”したことを目視で確認してから、検問所に向かって声を上げた。

「オーラ!」

 遊撃班のセプルベダ少佐が事前に検問所に連絡を入れておいたと言っていたので、彼は一番近い検問所オフィスの裏窓に向かって声をかけたのだ。
 テオはカタラーニを見た。まだ眠ったままの大学院生は、アランバルリから受けた拷問の痕が痛々しい。あまり長い時間眠らせるのも気の毒なので、この後自然に目覚めたら聞かせる言い訳をテオとギャラガは打ち合わせていた。
 検問所のオフィスの裏口が開いて兵士が出て来た。女性だ。その顔に見覚えがあったので、テオは思わず駆け寄ってしまった。

「ブリサ・フレータ少尉!」

 女性少尉が立ち止まった。信じられないと言う顔で彼を見て、すぐに満面の笑顔になった。

「ドクトル・アルスト!」

 軍人らしからず、”ヴェルデ・シエロ”らしからず、彼女はテオに駆け寄り、2人は一瞬ハグし合った。そしてすぐにフレータ少尉がパッと離れた。立場を思い出したのだ。

「本部から連絡を受けてお待ちしておりました。でも・・・ドクトルが来られるなんて!」

 かつて大統領警護隊太平洋警備室で勤務していた将校だ。ある事件に関わってしまい、懲戒処分として故郷に近かった前任地から遠い東海岸の南の端、ミーヤの国境検問所に飛ばされた。しかしそこで彼女は新しい人生を歩み始めた。閉塞的だった前任地より明るく刺激的な職場に入ったのだ。仕事仲間が多く、毎日何かが起きる。ひたすら同僚の食事の世話をして厨房と村の市場の往復だけの数年間とはまるっきり異なる環境で、懲罰として転属させられたにも関わらず、彼女は楽しい新生活を送っているのだった。

「元気そうで何よりだ。君の顔を見てホッとしたよ!」

 テオもつい昔話に引き込まれそうになった。 アンドレ・ギャラガが後ろで咳払いして、彼を現実に戻した。慌てて振り返り、仲間を紹介した。

「文化保護担当部のアンドレ・ギャラガ少尉だ。」

 ギャラガとフレータが敬礼で挨拶を交わした。テオはギャラガが肩を支えて立たせたカタラーニを彼女に見せた。

「アーロンは覚えているよな?」
「スィ。事情は上官から聞いています。建物の中に入って下さい。ここは結構人目につきます。」

 検問所の奥の休憩室は涼しくて、テオとギャラガは長椅子にカタラーニを座らせた。そこでギャラガがカタラーニの催眠を解いた。

「アーロン、おはよう!」

 カタラーニがうーんと唸って目を開いた。目の前にいるギャラガを見て、後ろに立っているテオを見た。

「おはよう・・・あれ? 僕・・・?」

 体を動かして、彼は殴られた箇所が痛んだのか、「いてて・・・」と呟いた。そして周囲を見回した。フレータ少尉と検問所の責任者、大統領警護隊国境警備隊南方面隊指揮官のナカイ少佐が立っていた。制服を見てカタラーニはドキリとした様子だったが、すぐにフレータを見分けた。

「フレータ少尉!? え? ここは一体・・・?」

 混乱している彼に、ナカイ少佐が言った。

「君は隣国の兵士の酔っぱらいに絡まれて喧嘩に巻き込まれ、負傷した。それでギャラガ少尉とドクトル・アルストが君をミーヤの診療所に運んだのだ。」

 テオは少佐がカタラーニの前に屈み込み、目を見ながら語っているのを見て、”操心”をかけていることに気がついた。ナカイ少佐はカタラーニから誘拐されて拷問された記憶を削除したのだ。アランバルリの一味がカタラーニから何を聞き出そうとしたのか、カタラーニの口から証言してもらう必要はない。アランバルリ本人を本部に捕えてあるのだから、当人から聞けば済むことだ。だから、カタラーニから”ヴェルデ・シエロ”やその他の超能力者に関する記憶を全て消し去った。
 カタラーニは自身の腕などに残る打撲痕を見て、「そうなんですね」と納得した。フレータ少尉が優しく尋ねた。

「気分はいかが? 冷たい物でも持って来ましょうか?」
「グラシャス、水をお願いします。」

 立ち上がったナカイ少佐はテオとギャラガに言った。

「残りの調査団のバスが到着する迄ここで待っているとよろしい。テレビを見ても構わない。」

 ギャラガが敬礼し、テオも感謝の言葉を言った。少佐は頷き、業務に戻るために部屋を出て行った。
 少佐と入れ替わりに、フレータが水の瓶を数本トレイに載せて戻って来た。

「昼食の支度が始まるので、半時間程度しかお相手出来ませんけど、退屈凌ぎのお喋りには付き合えますよ。」

 太平洋警備室にいた頃よりずっと明朗な女性に変身しているフレータにテオは安心した。

「それじゃ、キロス中佐やガルソン中尉、パエス少尉の現在を語ってあげようか?」

 フレータ少尉は空いている椅子に座った。目が輝いた。

「スィ! お願いします!」


2022/07/10

第7部 ミーヤ      2

  呼び出されたのは昨夜逃げて来た”出口”があった体育館だった。そこでテオとギャラガは遊撃班のセプルベダ少佐と会い、アーロン・カタラーニが担架に乗せられて運ばれて来た。

「意識がない人間を伴って”跳ぶ”のは難しいが、昨夜君はやってのけた。」

とセプルベダ少佐に言われ、ギャラガは赤面した。

「無我夢中で”跳んだ”のです。吹き矢とライフルで狙われていましたから、自身とドクトルを守る為に、考える余裕なく目に入った”入り口”に跳び込んだだけです。」

 フンっとセプルベダ少佐が鼻先で笑った。

「余裕があれば跳ばずに吹き矢と弾丸を爆裂波で破壊出来ただろうな。」

 そう言われればそうだ、とテオは今更ながら気がついた。毎週土曜日にケツァル少佐が部下達にさせている軍事訓練は、飛来する弾丸の破壊がメインなのだ。
 ギャラガが萎縮した。

「私は未熟です。」
「卑下するな。」

とセプルベダ少佐が言った。

「こちらの手の内を敵に披露してやる必要はない。寧ろ目の前で4人の人間が一瞬で消えたのだ、敵は腰を抜かしただろうよ。」

 ずんぐりした純血種の少佐がカラカラと笑った。

「意識がない男と”操心”で意思を失っている男を伴って跳んだのだ。誰にでも出来ることではないぞ。」

 そう言えば、以前意識がない人間を伴って”跳んだ”経験がない若い隊員が、ケツァル少佐に呆れられていたな、とテオは思い出した。思考しない物体を運ぶのと違って人間を運ぶのは難しいのだろう。
 少佐は体育館の中を見回した。”出口”があったのだから、”入り口”も近くに生じている可能性があった。

「ミーヤ迄その学生を背負うのはどちらかな?」

 訊かれてテオが手を挙げた。

「俺が運びます。先導者に負担をかけたくありませんから。」

 セプルベダ少佐が微笑んだ。

「貴方は本当に我々のことをよく理解しておられる。」
「グラシャス。ところで、アランバルリの尋問は誰方がされるのですか?」
「あの男の能力の強さが不明なので佐官級の者が行います。」
「彼のDNAも調べたいので、頬の内側の細胞を採取しておいて欲しいのですが・・・」

 テオの要求に少佐が笑って頷いた。

「担当者に言っておきましょう。貴方もとことん科学者ですな。」

 その時、ギャラガが部屋の南側を指差した。

「少佐、あそこに”入り口”があります!」
「うむ。ミーヤの国境検問所を目的地に”跳べ”。」



第7部 ミーヤ      1

  テオにあてがわれた部屋には窓があった。だから夜が明けて太陽が顔を出す頃になると、窓から光が差し込んで来た。睡眠時間は3、4時間だけだったが、テオは目覚めた。ホテルではないので部屋に洗面所もトイレもない。彼は廊下に出てみた。殺風景な廊下だった。そこに警備班の兵士が1人立っていた。テオの為の立番だと理解した。

「ブエノス・ディアス。」

 挨拶すると向こうも返事をくれた。テオがトイレの場所を尋ねると案内してくれ、用事を終えて出て来ると、まだ待っていた。そして食堂へ連れて行ってくれた。テオが本部内を彷徨かないように監視の意味もあるのだろう。
 カウンターで食事を受け取って適当に空席に場所を取ると、間もなく知った顔が現れた。マハルダ・デネロス少尉だ。彼女はテオに気がつくと、びっくりして目を見張った。そして食事を受け取ると彼の隣に来た。

「ブエノス・ディアス、どうしてここにいらっしゃるんですか?」
「ブエノス・ディアス、アンドレが来たら聞いてくれないか?」

 そこへアンドレ・ギャラガも現れた。着替えてさっぱりした顔をしていたので、昨日の服装のままのテオはちょっと羨ましかった。彼がデネロスと反対側に座ったので、テオは文句を言ってみた。

「君だけシャワーを使えたのか?」
「済みません、つい習慣で・・・」

 デネロスがクスクス笑った。

「汗臭いと怒る先輩が部屋にいるんですよ。」

 そして彼女はギャラガの顔を見た。それでギャラガは彼女に”心話”で状況を説明した。そう言うことね、と彼女が呟いた。

「少佐と大尉にも伝えて良いかしら?」
「大丈夫。中尉はまだカブラロカ?」

 中尉は勿論アスルのことだ。デネロスが頷いた。

「ンゲマ准教授は遂に洞窟に入って、サラの完璧な遺跡を確認したそうよ。」
「そいつはおめでとうって言わなきゃ。」

とテオが言ったので、彼等は静かにコーヒーで祝杯を上げた。

「それで、まだ調査の方は終わっていないんですか?」

 デネロスの質問にテオはまだと答えた。

「今日、これからアンドレと俺はアーロン・カタラーニを連れてミーヤの国境検問所へ行く。そこで調査団が帰国するのを待つんだ。」
「相手が向こうの政府軍だとややこしいですね。」

 ギャラガが囁いた。

「攻撃を受けない限り、調査団のバスが国境の向こうにいる間は絶対に手を出すなと副司令に言われています。」
「貴方の力が大きいからよ。」

とデネロスが言った。

「ちょっと加勢する目的で気を放ったつもりでも、グラダ族の攻撃力は大きいの。爆裂波を迫撃砲の攻撃と間違えられては国際問題になりますからね。」
「そんな軽はずみなことはしないぞ。」

 デネロス相手だとギャラガもお気楽に対等の口を利いた。オフィスでの勤務中は先輩として彼女を立てているが、同じ少尉同士だし、軍歴はギャラガの方が長い。能力の使い方も理解してくると教わることも減って来ているのだ。テオは2人が軽い諍いを始める前にまとめにかかった。

「ケサダ教授とダニエル・パストルが上手く相手を出し抜いてくれることを祈ろう。敵がオレ達が出会った3人だけだと良いが・・・」
「アランバルリはこちらで尋問されるようです。」

とギャラガが言った。

「私達が隣国の将校を誘拐してしまったことになるので、情報を引き出した後は記憶を抜いて戻すでしょうが。」
「”シエロ”にそんなことが出来るの?」

とデネロスが心配そうに眉を顰めた。

「どの程度”シエロ”の能力があるのか、まだはっきりしないんだ。」

とテオは言った。

「それをこれから尋問するんだろう。」

 尋問担当者は誰だろう、と彼は思った。恐らく指導師の資格を持てる上級将校だろうが。


第7部 誘拐      10

  テオが己の身体の無事を確認して衣服を身につけたすぐ後に、救護室にトーコ中佐が現れた。真夜中なのに出動か、と思ったが、以前ケツァル少佐から副司令官は2人いて交代で24時間業務に能っていると聞いたことを思い出した。テオが「こんばんは」と挨拶すると、中佐は頷いた。

「意外な展開になって驚いています。」

と彼は言った。テオも同意した。

「俺もです。ハエノキ村の住民の遺伝子を調査しに行ったのに、護衛の政府軍に”シエロ”の末裔がいるとは予想だにしませんでした。」
「本当に一族の末裔なのか確認がまだですが、ギャラガ少尉の報告では”操心”と夜目が使えると言うことですから、恐らく末裔なのでしょう。しかし”心話”を使わないと言うのは意外です。我々の能力で血が薄まっても最後まで残るのが”心話”と”夜目”です。”心話”なしで”操心”が使えるとは聞いたことがない。」

 トーコ中佐はカーテンの向こうのカタラーニをチラリと見た。カタラーニはまだギャラガの”操心”にかけられて眠ったままだった。それでも中佐はテオに場所を替えましょうと提案した。
 2人は救護室を出て、廊下を歩いていった。深夜だった。静まり返っているが、それが時間の故か普段からそうなのかテオにはわからなかった。

「訓練の邪魔をしてしまいましたね。」

と彼が話しかけると、トーコ中佐がちょっと微笑した。

「彼等は勤務が終わって少し遊んでいたのです。遊びと言っても、民間人が見れば訓練に見えるでしょうが・・・」

 つまり、文化保護担当部の「鬼ごっこ」や「隠れん坊」みたいなものか、とテオは想像した。
 トーコ中佐がテオを案内したのは、意外にも食堂だった。広い部屋に長いテーブルがいくつか置かれ、微かにチキンスープに似た匂いが空中に残っていた。交代時間ではなかったので、誰もいない。テオは夕食がまだだったことを思い出した。途端に腹がグーっと鳴った。中佐がクスリと笑い、奥の厨房と思しき方向へ声をかけた。

「誰かいるか?」
「スィ。」

 若い男性がカウンターの向こうで顔を出した。中佐が彼に命じた。

「こちらの客人に何かお出ししてくれ。」

 テオは慌てて口を出してしまった。

「アンドレ・ギャラガもまだ食べていないんです。」
「では2人前用意します。」

 若者が奥へ引っ込んだ。中佐がまた笑った。

「貴方が友達思いの方だとよく噂をお聞きします。」
「彼のお陰で命拾いしました。」
「彼も貴方に助けられたと言っています。」

 中佐がポケットから毒矢を出した。タオルで巻いてあったのを広げ、矢を眺めた。

「1世紀前まで狩猟民が使っていたものです。近代になって狩猟が禁止されたり制限されると使われなくなりました。セルバだけでなく中米地域全体の傾向です。銃が広がりましたからね。しかし都会から離れた場所で密猟者が使うことはあります。」
「カブラロカ近くで俺を射たペドロ・コボスは猟師でした。彼が吹き矢を使っていたのは納得いきます。しかし政府の正規軍の兵士が使っていたことは奇妙です。」
「兵士が吹き矢を所持していたことは奇妙ですが、一介の猟師が貴方を狙ったことも奇妙です。」

 そこへアンドレ・ギャラガが入って来た。

「お呼びでしょうか?」

 中佐に”感応”で呼ばれたのだ。トーコ中佐はカウンターを顎で指した。

「ドクトルと君の夕食だ。こちらへ持って来い。」

 ギャラガはハッとして厨房へ目を遣った。丁度先刻の厨房係が二つのトレイにパンとスープを載せてカウンターに置くところだった。ギャラガは少し頬を赤くして、カウンターに足速に近づき、二つのトレイを受け取った。
 テーブルに来たギャラガに、トーコ中佐が座れ、と命じた。そして食べるように2人を促した。
 パンとスープだけの質素な食事だが、スープの中は野菜や肉がたっぷり入った具沢山だったので、テオは満足した。味付けも良かった。

「アランバルリ少佐は助かりそうですか?」

 テオが尋ねると、中佐とギャラガは頷いた。ギャラガが説明した。

「指導師が毒を消しました。今は眠らせて空き部屋に寝かせてあります。」
「ことの詳細をあの男から聞き出すことにしよう。」

 トーコ中佐が呟いた。テオは隣国に残して来た調査団の仲間の安否が気になった。

「ケサダ教授やボッシ事務官、コックと運転手の身が心配です。」
「外務省のロペス少佐にボッシ事務官と大至急連絡を取るように言ってあります。ミーヤの国境を越えれば問題ないでしょう。国境警備隊には既に連絡済みです。」
「コックのパストルは”シエロ”ですね? 教授も・・・」
「承知しています。」

 トーコ中佐がフィデル・ケサダの正体を知っているかどうか不明だったが、テオはそれ以上は言えなかった。ギャラガを見ると、少尉も食べ物に視線を向けていた。

「2人共民間人ですが、ケサダはマスケゴ族の族長の身内です。パストルはロペスの推薦で調査団に入りました。どちらも戦い方は知っている筈です。」

 トーコ中佐は立ち上がった。

「ドクトルにはお部屋を用意させましょう。明日、ミーヤへ行かれますか?」
「スィ、行きたいです。仲間が無事にセルバに戻って来るのを迎えたい。」
「では、学生君も一緒にお連れします。ミーヤに到着する迄は彼に眠っていてもらいますが。」
「わかりました。」

 中佐は頷き、それからギャラガに視線を向けた。

「ギャラガ少尉・・・」
「はい!」

 ギャラガが慌てて立ち上がった。中佐が言った。

「能力の使い方がかなり上達したな。ドクトルと学生をよく守った。」
「グラシャス・・・」

 ギャラガが耳まで赤くなった。

「ケツァル少佐と先輩方の導きのお陰です。」
「どんなに指導者が優れていても、実践で能力を発揮出来るのは本人の才能次第だ。君は立派なグラダだ。もっと胸を張って良いぞ。」

 ギャラガは敬礼で応えた。中佐も敬礼し、それからテオに「おやすみ」と言って食堂から出て行った。
 椅子に戻ったギャラガにテオは感想を言った。

「凄く貫禄あるのに優しい上官だな。」
「副司令官はお2人共素晴らしい方々です。」
「司令官はどうなんだ?」

 するとギャラガは困った表情になった。

「私はまだお会いしたことがありません。司令官に直接面会出来るのは司令部のごく一部の将校だけなのです。」




第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...