2022/08/22

第8部 探索      3

  シエスタの時間は博物館も昼休みだ。そんな時に訪問すれば職員や学芸員は迷惑だろうが、見学者の邪魔をせずに済む。テオは午後の授業がないのでマハルダ・デネロス少尉を車に乗せてセルバ国立博物館へ行った。
 デネロスの緑の鳥の徽章を見せると、入館料なしで中に入れてもらえた。2人は真っ直ぐ事務室へ行き、ドアを開いた。職員達は昼食に出かけており、残っているのは3人だけだった。デネロスは一番近くにいた初老の男性学芸員に徽章を見せて、

「呪術に詳しい人がいると館長から聞いて来ました。面会を希望します。」

と要請した。すると男性学芸員は一番奥の机でお手製と思えるサンドウィッチを食べている中年のメスティーソの女性学芸員を指した。

「マリア・アバスカルのことを館長が仰ったのなら、そうです、彼女が呪術の研究をしています。」
「グラシャス。」

 テオとデネロスは部屋の奥へ進んだ。アバスカルはカップのコーヒーを飲みかけていたが、近づいてきた客に気がついて手をおろした。「こんにちは」とデネロスとテオは挨拶した。

「私は大統領警護隊文化保護担当部のデネロス少尉です。」
「俺はグラダ大学生物学部准教授のアルストです。」

 アバスカルが微笑した。

「少尉も准教授も存じ上げています。時々ここを訪問されましたよね?」
「スィ。」

 個別に紹介されたことはなかったが、何度か用事があって博物館に来ていたので、テオもデネロスも職員達に顔を覚えられていた。なにしろ気難しい館長を訪ねて来る人だ。誰も忘れたりしなかった。

「今日は館長から貴女を紹介されました。呪術の研究をされているとか・・・」
「スィ。呪術と言っても色々ありますが、どんな要件でしょう?」

 テオは彼女の机の上の弁当を見た。

「先に食事を続けて下さい。俺達も外で食べて来ます。何時頃にお伺いするとよろしいですか?」

 アバスカルは大きな茶色の目をくるりと回し、ちょっと考えた。

「この近所で食事が出来るお店は3軒だけです。食べ終わったら、私からお店へ伺います。お食事なさりながらで良ければですが?」

 出来ればあまり部外者に聞かれたくない話だ。デネロスがテオを見た。テオは時計を見た。そして脅かすつもりはなかったが、声を低くして言った。

「館長の紹介と言う意味をお考えくださると嬉しいです。」

 アバスカルがハッと目を見開いた。そして1日の予定表をめくった。

「午後2時迄でしたら、空いています。」
「では、出来るだけ早く戻って来ます。この場所でよろしいですか?」
「展示室の一番奥に客の休憩スペースがあります。そちらへお越し下さい。戻られたら、誰かが私に教えてくれますから。」

 再会を約束して、テオとデネロスは博物館を一旦出た。


 

2022/08/21

第8部 探索      2

  12時になると、学生達も職員達もキャンパス内のカフェや学外の食堂へ向かって移動する。テオは考古学部へ向かった。午前中どこかで時間を潰していたマハルダ・デネロス少尉と建物の入り口で出会った。考古学部は特に変わった場所ではない。博物館のように遺跡からの出土物やミイラが廊下に並んでいるなんてこともない。ファルゴ・デ・ムリリョ博士の研究室はケサダ教授の部屋の隣だった。ドアには「主任教授」と書かれているだけで、博士の名前はなかった。テオがノックするとドアが勝手に開いた。こんな些細なことで能力を使うなんて博士らしくないと思いつつ、テオとデネロスは挨拶をしながら中に入った。
 ムリリョ博士は机に向かって何やら書類仕事をしており、2人が入室しても振り返らなかった。デネロスが声をかけた。

「面会許可、有り難うございます。」

 博士は黙ってゆっくり椅子を回転させ、振り返った。テオはいきなり話題に入ると礼儀がどうのと言われそうな気がしたので、デネロスに任せることにした。ムリリョ博士は2人のどちらが主導権を持つのか見極めようとしているのだ、と思った。

「ピソム・カッカァからアーバル・スァットの神像が盗み出され、昨日それが建設大臣マリオ・イグレシアスの所へ送られて来ました。」

 デネロスは彼女が知っていることを喋り出した。

「幸い私設秘書のセニョール・シショカがその箱を受け取り、中の異様な気配を知って検めました。彼は神像を見て、大統領警護隊文化保護担当部に連絡して来ました。文化保護担当部は現在、盗掘者と大臣に神像を送りつけた人物を特定するために捜査に取り掛かっております。」

 するとムリリョ博士がジロリとテオを見て、それから視線をデネロスに戻した。

「アーバル・スァットは今どこにある?」
「建設省のセニョール・シショカの部屋だそうです。」

 博士は小さく頷いた。シショカは彼の配下ではないが、同業者で同族だ。信頼を置ける男なのだろう。博士は窓の外を見た。庭の植え込みが見えるだけだ。

「数日前から少し気が乱れていた。だから妊婦が不安定になる。この2、3日は出産が増えるだろう。」

 え? とテオは驚いた。あのネズミの神様は子供の誕生にも影響を及ぼすのか? コディア・シメネスが一月早く産気づいたのも、そのせいなのか? だがここで個人的な話を持ち出すのは拙いとテオは知っていた。ムリリョ博士は公私をはっきり分けて考える。
 デネロスが面会の目的を出した。

「博士にお尋ねします。ここ最近、古い呪術のことを調べている人はいませんでしたか? 一族の者でも”ティエラ”でも構いません、古代の神像と呪術の関係を研究している人をご存知ないでしょうか? 恐らくウリベ教授が研究されている民間信仰よりずっと古い時代のものを、調べていた人間がいる筈です。」

 すると博士はちょっと考えた。真剣に捜査に協力してくれているんだ、とテオは別のところで感動を覚えた。

「呪術は儂の分野ではない。」

と博士は言った。

「しかし博物館の学芸員の中に呪術研究をしている者がいる。彼女に訊くと良い。」

 その人の名前は、と尋ねる前に博士はクルリと椅子を回転させて机に向き直った。テオがデネロスを見ると、彼女はそれ以上質問してはいけないと思ったのか、「グラシャス」と声をかけた。それで、テオは博士の背中に声をかけてみた。

「コディアさんの出産が無事に済むことを祈っています。」

 デネロスはさっさと部屋から出て行った。長居無用と言わんばかりだ。テオも博士の返事を期待していなかったので、「グラシャス」と囁いて出ようとした。博士が呟いた。

「男の子だ。フィデルは後継者を作りおった。」

 半分だけのグラダ族の男、しかし純血種の”ヴェルデ・シエロ”が生まれたのだ。テオは

「おめでとうございます。」

と挨拶して、部屋から出た。微かだが、興奮していた。

2022/08/19

第8部 探索      1

  テオドール・アルストがグラダ大学に出勤すると、マハルダ・デネロス少尉も来ていた。彼女はすぐに考古学部へ行きたかったのだが、男子学生達が美人を放置しておく筈がなく、早速何人かに声をかけられ、なかなか前へ進めずに困っていた。

「ナンパしていないで、勉強なさい!」

 彼女が緑の鳥の徽章を出して見せる迄、若者達のアタックは続いた。テオは彼女を援護してやりたかったが、見当違いの噂が流れても困るので、近くを通りながら軽く、

「ブエノス・ディアス、デネロス少尉!」

と声をかけた。デネロスはすかさずその救いの手に縋りついた。

「ブエノス・ディアス、ドクトル・アルスト!」

 彼女は学生達を振り切って彼に駆け寄った。

「今朝は考古学部の先生達にお会いになりましたか?」
「ノ、まだ来たばかりだから、誰にも会っていない。」

 テオは理系学舎に向かって歩いていた。デネロスは方向違いでもついて来た。

「ムリリョ博士が来られていると言うことは・・・?」
「予想がつかないなぁ。」

 テオもわかりきったことを喋り続けた。

「業務関連で面会を希望かい?」
「スィ、出来れば大至急お会いしたいのですけどぉ・・・」

 建物の中に入って学生達をまいてから、2人は立ち止まった。テオは携帯を出して、ムリリョ博士の番号にかけてみた。しかし博士はいつもの如く彼の電話には出てくれなかった。5分程粘ってから、テオは一旦切って、次にケサダ教授の番号にかけてみた。

ーーケサダ・・・

 聞き慣れた穏やかな教授の声が聞こえた。テオは急いで名乗った。

「テオドール・アルストです。今日は大学に来られますか?」

 すると思いがけない返答が聞こえた。

ーー今、病院にいます。コディアが出産するので・・・
「あっ!」

としか言いようがなかった。ケサダ教授の愛妻コディア・シメネスが5人目の赤ちゃんを孕っていることは知っていた。まだ予定日は先だな、と思っていたのだが、早く産気づいた様だ。

「出産がご無事に済むことをお祈りしています。」
ーーグラシャス。 ところで何用ですか?

 尋ねられて冷や汗が出た。

「あ、ムリリョ博士に面会を取り付けたくて・・・俺ではなくデネロス少尉が博士に用があるのです。」

 ムリリョ博士はコディア・シメネスの父親だが、娘の出産に立ち会うとは想像出来なかった。ケサダ教授は親切だ。

ーー博士に伝えておきます。デネロスの電話にかけて貰えば良いのですね?
「スィ、グラシャス!」

 ムリリョ家は伝統を重んじる家系だが、自宅や部族の出産のしきたりに従った施設ではなく、病院で産むのだな、とテオはぼんやりと思った。
 デネロスがテオを見つめていた。

「教授の奥様が出産ですか?」
「スィ、予定日より早いよう気がするが・・・」

 デネロスも指を折って数えてみた。

「一月早いと思います。コディアさんは産んでしまうのですね?」

 予定日迄安静にしているのではなさそうだ。もしかすると危険な状態なのだろうか。テオとデネロスは不安を覚えた。

「マスケゴ族も病院で出産するのが普通なのかな?」

 デネロスが苦笑した。

「勿論です。伝統的な産屋を使うのは田舎の人ですよ。それにグラダ大学附属病院の産科には一族の医者がいますから、出産に伴う儀式なども行います。」

 この国の最先端医療を誇る大学病院で、出産の儀式か、とテオはちょっと驚いた。だが”ヴェルデ・シエロ”の親達には重要なのだ。

「アリアナも出産の時は儀式を行うのかな?」
「当然です。」

とデネロスは微笑みながら答えた。

「ロペスの家系はブーカ族の重鎮ですから、必ず行います。そしてシーロの血を引く子供を産むことで、アリアナは白人であっても一族の一員として正式に迎え入れられるのですよ。」

 その時、デネロスの携帯電話が振動して、彼女は慌ててポケットから電話を取り出した。非通知だが、彼女は相手が誰だか想像出来た。

「ワッ! きっと博士からですぅ・・・」

 緊張しながら彼女は通話ボタンを押した。そして相手の声を暫く聞いてから、「わかりました、グラシャス!」とだけ言って電話を終えた。
 テオを見て、彼女は告げた。

「1200に考古学部の博士の研究室へ来るようにと言われました。ドクトルも一緒に来て下さい。」
「え? 俺も行って良いの?」
「ご指名です。」

 それって、めっちゃ緊張ものじゃん、とテオは内心思った。

 

2022/08/18

第8部 贈り物     23

 「例え幸運をもたらしてくれるとしても、神様を贈られるなんて、真平ごめんです。」

とカルロ・ステファン大尉は言った。彼はケツァル少佐と共に陸軍オルガ・グランデ基地の、大統領警護隊が利用する「控室」にいた。携帯電話のメールを読んでいた少佐が、顔を上げずに言った。

「そんな奇特な友人など持っていないでしょう。」

 彼女はロホからのメールを見つけた。建設省の警備室に入り込めたとあった。彼が警備員のふりをして仮眠室で休んでいても、誰も気がつかないだろう。ロホはその気になれば大臣執務室にも入れるのだ。
 アスルはネズミの神様が本来祀られているべき遺跡ピソム・カッカァにギャラガと共に行くとメールして来た。但し、夜が明けてからだ。その夜は病院で重体の警備員の様子を見守るのだと書かれていた。ギャラガからのメールはなかった。報告はアスルが引き受けた様だ。警備員が”ヴェルデ・シエロ”の爆裂波に襲われたらしいと言う文に、少佐は不快を覚えた。一族が関わっていることは明白だ。ネズミの神様は”ヴェルデ・シエロ”の能力で抑えることが出来るが、同じ”ヴェルデ・シエロ”を敵として戦うのは厄介だ。
 マリオ・イグレシアス大臣が誰からどんな恨みを買ったのか、調べる必要があった。シショカが調べている筈だが、あの男がそれを突き止めたとして、素直に情報を渡してくれる保障はない。”砂の民”として、さっさと仕事をしてしまうかも知れない。
 少佐はマハルダ・デネロス少尉がムリリョ博士と上手く接触出来ることを願った。博士はメスティーソの”ヴェルデ・シエロ”を嫌っているが、デネロスのことは気に入っているのだ。物怖じしない勇敢な娘、と誉めていた。
 ステファンが毛布を被って寝転んだ。

「明日はグラダ・シティですか?」
「そのつもりですが、何か?」

 オルガ・グランデはステファンの生まれ故郷だ。しかし彼は故郷にあまり良い思い出を持っておらず、懐かしいとも感じない。任務で帰郷しても、仕事が終わるとさっさとグラダ・シティに帰ってしまうのだ。
 ステファンは、「別に」と呟いたが、すぐ言い訳した。

「ネズミの神像の石を切り出した川は、あの川ですよね?」

 あの川というのは、”暗がりの神殿”のそばを流れる聖なる地下川だ。少佐は「スィ」と答えた。

「言い伝えでは、川の石を切り出して、神像を作ったそうです。旱魃に苦しむ農民を救う為に。」
「昔の人々はそう言うことが出来たんですね。」
「今でもママコナなら出来るでしょう。」
「グラダ族でもないのに?」
「グラダ族でもママコナの修行をしなければ出来ませんよ。ママコナは最長老達に幼い頃に仕込まれるのです。」
「では最長老は神像を作れるのですか?」
「念を込める資格を持つのはママコナだけです。」

 ケツァル少佐はママコナではないし、最長老でもない。ステファンの質問に全部答えられる訳でなかったから、だんだん面倒臭くなってきた。

「明日は早いですよ、早く寝なさい。」


2022/08/14

第8部 贈り物     22

 「教えて頂きたいのです。」

とケツァル少佐がパソコンの机にもたれかかって言った。

「前回、貴方がネズミを手に入れた時、どこであの呪いの使い方を教わりましたか?」

 バルデスが一瞬固まった。彼女の顔を見て、それからタブーを思い出して慌てて目を逸らした。

「貴女がネズミを回収された時に話すべきでした。」

とセルバ共和国の経済界の実力者である男が小さな声で言った。

「あの時、私はネズミの威力の恐ろしさと強さに恐怖し、あなた方の偉大な力に畏敬の念を感じる余り、救いを求めていたことを正直に語れませんでした。そして部下達の手前、弱みを見せられなかった。」
「そんなことはこの際どうでも良い。誰からアーバル・スァット様のことを教えられたのです?」
「私は、ロハスから聞きました。」

 少佐が顔を顰めた。ステファンも不機嫌に鼻を鳴らした。バルデスは彼等を怒らせまいと、慌てて説明した。

「当時、私はアンゲルス社長の従業員達に対する冷たい扱いに憤っていました。見かねて諌めようとしたのですが、逆に忠誠心を疑われ、危うくクビになるところだったのです。モヤモヤした気分でバルで飲んでいた時に、隣にやって来た女が声をかけて来ました。私も余り綺麗な経歴の男ではありません。裏社会の有力者の顔や噂は知っています。彼女が盗掘や麻薬密売を生業にしているロザナ・ロハスであることは、すぐわかりました。
 彼女は私に、何か不満を抱えているのですね、と話しかけて来たのです。勿論、私は彼女に胸の内を明かすつもりはありませんでした。適当に曖昧な返答をしていると、彼女がこう持ちかけて来たのです。
『先住民が大昔憎い相手を懲らしめるのに用いていた呪いの石像があります。呪いをかけるのは簡単です。懲らしめたい相手のそばにその石像を置いておくだけです。但し、貴方は決してその石像に近づいてはいけません。』
 私は彼女に尋ねました。
『近づけない物をどうやって憎い相手のそばに置くのか?』と。
 彼女は言いました。
『相手の住所を教えてくれたら、私が手配してその人の家に送りつけます。』と。」

 ステファン大尉が少佐を見た。少佐は宙を眺めていた。
 バルデスがウィスキーをちびりと口に入れて続けた。

「俄に信じられない話です。私は黙っていました。すると彼女はこんなことを言いました。
『私は偶然呪いの力が強い神様の石像を手に入れましたが、その力の大きさを持て余しています。神様を鎮めるには生贄が必要で、適当な人間を探しています。』
 私は尋ねました。生贄は処女でなければいけないのではないか、と。彼女は何でも良いと答えました。
『私が手に入れた神様は老若男女誰でも構わないのです。満腹にさえなれば、静かになります。』」

 少佐がバルデスをジロリと見た。

「貴方がその呪いの神像を譲り受けた見返りは何だったのです?」
「何も・・・」

とバルデスが肩をすくめた。

「信じて頂けないでしょうが、ロハスは私に何も求めませんでした。何故なら、私はそのバルで彼女に、神像は要らない、と答えたからです。」
「貴方は断ったのですか?」
「断りました。呪いの神像など、信じられなかったし、万が一本物だったら、それは恐ろしい罪です。神様が私を無事に解放すると思えません。私が憎む相手を呪い殺して、私にも祟りが降りかかるでしょう、他人を呪うとはそう言う危険な行為です。」

 アントニオ・バルデスは、神の祟りを本気で信じていた。だから、丘の上の豪邸を引き払ったのだ。ステファン大尉が質問した。

「貴方が断ったのにロハスはアンゲルスに神像を送りつけたと言うことですか?」
「スィ。」

 バルデスは頷いた。

「あの女は社長の屋敷に荷物が届いた日に私に電話を掛けて来ました。
『神様が貴方の社長の家に到着しましたよ。貴方はあの社長と仲違いしていたでしょう? 神様が貴方に代わってあの社長を始末してくれます。貴方は呪いが鎮まった時に、神像を元の場所に返して下されば良いのです。』」

 彼は残った酒をクイっと飲み干した。

「要するに、あの女は、盗んだ神像を持て余して、私がアンゲルス社長との間に問題を起こしたことを聞きつけ、私に神像を押し付けたんですよ。自分では処分の方法がわからないから。」

 彼はお代わりを注いだ。

「案の定、彼女は呪いを受けて、あなた方に逮捕された。噂で聞いています。神像をアンゲルスの屋敷に送りつけた後、あの女は仕事で失敗続きだったんです。あの方面のビジネスは、失敗すると組織全体に危険が及ぶ。だからどんな幹部でも、しくじれば組織の誰かに消される。ロハスは孤立しかけていました。実際、政府軍に包囲された時、組織の誰も彼女を助けようとしなかったでしょう? 刑務所でも彼女は厳重な警備下に置かれている。殺し屋が近づけないようにね。それでもあの女は怯えて暮らしているそうですよ。ネズミの祟りを恐れてね。」

 ケツァル少佐は水をそばの植木鉢に注ぎ入れ、グラスを彼に差し出した。

「少し頂けます?」
「どうぞ。」

 バルデスはウィスキーを少し入れてやった。少佐はグラシャスと言って、お酒を口に含んだ。

「すると、ロハスがネズミの祟りのことをどこで学んだか、を知らなければなりません。」
「そう言うことですな。」

 バルデスはステファン大尉を見た。目で「貴方も如何です?」と問うたが、ステファンは無視した。

「ロハスは本業が麻薬で、盗掘は趣味と言った方が良いでしょう。どこで金目の物が手に入るか、巷の噂や民間伝承などを調べていたと思われます。麻薬で稼いでいるのに、何故危険を冒して割に合わない盗掘をするのか、私には理解できかねますが。」
「彼女がどこから貴方と社長が上手くいっていないと聞きつけたか、見当がつきますか?」
「それは・・・」

 バルデスが苦笑した。

「鉱山で大声を上げて言い合いをしましたからな・・・周囲にいた従業員はみんな聞いていた筈です。ロハスの子分でなくても、又聞きでロハスの配下の耳に入ったことでしょう。」

 そして彼は自身が気にしていた質問を思い出した。

「ところで、ネズミはまだ見つかりませんか?」
「見つかりましたよ。」

と少佐はあっさり答えた。

「今のところ、ただの石像です。」



第8部 贈り物     21

  ケツァル少佐とカルロ・ステファン大尉が”着地”したのは、4階建てのビルの屋上だった。排気の為に設けられた煙突の様な物が数基並んでいた。空気は乾いており、ひんやりとしていた。寒いと言った方が近い気温だ。夜の高原地帯の気候だった。市街地の外れと言っても辺鄙な場所ではなく、コンドミニアムが並んでいる。間を通る道も狭くない。オルガ・グランデの富裕層が住む地域だ。
 少佐は街中であるとわかると、携帯で位置情報を探った。

「この建物の中に、バルデスの自宅があります。」

 ステファンが眉を上げた。ちょっと意外だ、と言いたげな表情だった。

「アンゲルスの邸に住んでいるんじゃないんですか?」
「呪殺した元主人の家に住みたいですか、貴方は?」
「・・・ノ・・・」

 郊外の丘の上にあった豪邸は、恐らく売却してしまったのだろう。アントニオ・バルデスはマフィアの首領の様に豪胆で無慈悲な面を持っているが、反面迷信深く、古い信仰も持っていた。
 少佐は屋上から建物の中に入る入り口を探した。ドアが施錠されていたが、”ヴェルデ・シエロ”にはないのも同然だ。彼等は屋内に入り、狭い階段を降りて行った。住民が利用すると言うより、メンテナンス用の階段の様だ。踊り場に来る度に少佐はそこにあるドアに手を置いて、バルデスの部屋を探った。ステファンには、彼女がどんな能力を使っているのか、よくわからなかった。”ヴェルデ・シエロ”には透視能力などなかった筈だが。
 3階と4階の間の中二階のドアを通り過ぎ、3階のドアの前に来ると、彼女はドアを押し開いた。通路の右側は薄い壁で、大きな窓が並んでいる。バルコニー形式の廊下だ。オルガ・グランデ市街地の夜景が見えた。左側はドアが4つ。どれも廊下との間に鉄柵のフェンスがあり、少し入ってからまたドアがある、用心深い造りだ。その鉄柵に飾り付けがされていたり、柵の中に鉢植えが並んでいたり、それぞれの住民のセンスが出ていた。
 バルデスの家はメンテナンス階段から2つ目で、花の蕾がいっぱい付いた鉢植えが前庭に並んでいた。富豪にしては質素な住まいだ、とステファンは思った。
 少佐がドアの前でバルデスに電話を掛けた。画面に出たバルデスは、ベッドの中だった。

ーーバルデス・・・
「ケツァルです。」

 バルデスがガバッと起き上がった。画面が暗くなったのは、手で覆ったからだ。隣に妻が寝ているのだろう。彼は小声で囁いた。

ーーこの時間に何の用です?
「今、貴方の家の前に立っています。」

 それ以上は無用だった。バルデスは、「すぐ行きます」と答えて、電話を切った。2分間待たされた。ステファンは廊下の左右を警戒したが、誰もいなかった。外ではまだ活動している人間が少なくなかったが、この高級コンドミニアムの住民は、夜になると寝るのだ。
 ガチャリと音がして、バルデスがドアを少し開けて外を覗いた。ケツァル少佐が徽章を出して見せた。そっくりさんではなく、本物だ、と言うパフォーマンスだ。勿論バルデスは”ヴェルデ・シエロ”が”幻視”を使う種族だと知っているだろうが、疑いもなくドアを開いた。そして手招きした。

「中へ・・・」

 少佐がステファンに「ついて来い」と合図して、2人はバルデスの自宅内に入った。
 広い居間を突っ切り、バルデスは書斎と思しき部屋へ2人を招き入れた。ドアを閉め、施錠したが、それは2人を閉じ込めるのではなく、家族や使用人が入ってくるのを防ぐ目的だった。
 書斎は彼の仕事部屋なのだろう、IT機器が数台あり、モニターもあった。書物も書棚に並んでいた。バルデスは照明を点け、サイドボードに歩み寄った。

「何か飲まれますか?」
「水を。」

 少佐が答えると、ステファンも頷いた。バルデスは2人の客に水を、彼自身にはウィスキーを注いだ。そしてグラスを差し出して、尋ねた。

「で、ご用件は?」


2022/08/10

第8部 贈り物     20

  ケツァル少佐とカルロ・ステファン大尉は路地の屋台で適当に簡単な夕食を済ませた。そして”入り口”を探して歩き続けた。空間通路の入り口を探すのはブーカ族の得意分野だが、グラダ族はそれほどでもない。万能の部族と呼ばれる割に、少佐も大尉も空間通路の使用は苦手だった。

「これは家系でしょうか?」

とステファンが呟いた。実際の仕事に取り掛かる前に歩き疲れたくなかった。

「そうではなくて、適当な”入り口”が今夜は少ないだけです。」

 少佐はいくつか空間の歪みを見つけたが、通路になるような大きさのものはなかったし、オルガ・グランデに通じていそうなものもなかった。ロホは”入り口”探しが得意だが、彼には彼の任務がある。それにアスルも空間の歪みを探しているところだろう。

「せめてデネロスを連れて来れば良かった・・・」

 弟のぼやきを少佐は聞き流した。カルロ・ステファンは任務遂行中は黙って働けるが、彼女と2人でいる時は、どう言う訳か、昔から愚痴が多かった。彼女との血縁関係が判明する以前からだ。上官に愚痴るなんて生意気だ、と少佐は時々注意したが効き目がないのだった。恐らくどこかで姉だと本能的にわかっていて、甘えているのだ。そう言えば、テオも「カルロが愚痴って・・・」と彼女に訴えることがある。ステファンはテオにも甘えているのだ。

「でかいなりして、グチグチ言うんじゃありません。」

と言った時、路地の角に酔っぱらいが座り込んでいるのが見えた。酒瓶を片手に歌を歌っている、その男の横に手頃な空間の歪みが生じていた。 
 少佐は足を止め、ステファンに顎でその歪みを指した。

「あの酔っぱらいをなんとかしなさい。」

 ステファン大尉は酔っぱらいを見た。50絡みの日焼けした顔で、服装は悪くない、普通の庶民の普段着だ。顔も無精髭が生えているが、今朝剃った髭が伸びた程度だ。まだ無事な財布がズボンの尻ポケットに入っているのが見えた。それにしても不用心だ。
 ステファン大尉は男の前に立ち、声をかけた。

「おっさん、家はどこだ? こんな所で座ってちゃ駄目だ。」
「家はそこ・・・」

 男は酒瓶を持っていない方の手で、路地の奥を指した。

「帰るとカアちゃんに酒を取り上げられるから、ここで飲むんだい!」
「それじゃ、反対側に移動してくれないか?」
「なんで?」
「そこは俺の場所なんだ。」

 ステファンは緑の鳥の徽章を出して見せた。男は暫くそれを眺めてから、ああ、と呟いた。

「これは、これは、兵隊さん、失礼しました。」

 男は立ち上がろうとした。足元がふらついたので、ステファンは片手で男の腕を支えた。

「家はそこだって?」
「スィ、そこ・・・」

 2人の男はゆっくりと路地を20メートル程歩いて行った。その間に少佐は歪みの大きさと繋がり先を確認した。これなら国内だったらどこでも行ける。
 振り返ると、一軒の家のドアの前に男が座り込む所だった。ステファンが「ここで良いか?」と尋ね、男は「スィ、スィ」と答えた。
 酔っぱらいを放置してステファンが戻って来た。

「お待たせしました。」
「グラシャス、では、行きましょう。」

 2人が手を繋いだ時、路地の向こうで女性の怒鳴り声が響いた。

「あんた! また飲んだくれて! さっさと家に入んな!」
「ごめん、カアちゃん、ごめん、マリア・・・」

 ステファンは男が女に引き摺られるように家に入って行くのを視野の片隅で見た。少なくとも、あのおっさんは財布を辻強盗に取られずに済んだようだ。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...