2022/09/19

第8部 探索      19

  アパートに到着したのはテオが一番乗りだった。彼は自身の区画へ最初に戻って、シャワーを浴び、着替えた。そしてケツァル少佐の区画へ移った。カーラがテーブルセッティングするのを手伝っていると、少佐がマハルダ・デネロスとアンドレ・ギャラガ両少尉を連れて帰って来た。旅から戻ったその足で来たらしい2人に、少佐がシャワーと着替えを命じた。それでテオはギャラガを己の区画へ案内した。デネロスは女性だから少佐の部屋で着替えだ。
 再び食堂へ戻り、カーラの手伝いを続けていると、アスルが入って来た。彼は一旦自宅へ立ち寄ったのだろう、さっぱりとした私服に着替え、食堂を通り越して厨房へ入った。カーラが彼に最後の味のチェックを頼むと、喜んで引き受けた。
 ロホはステファンと一緒にやって来た。ステファンは朝と同じ服装だから、職場からそのまま来たのかも知れない。ロホの服装に変化があったのかどうか、テオにはわからなかった。
 テーブルの周囲に全員が集合すると、取り敢えず乾杯した。

「命拾いした建設大臣に乾杯!」
「泥に沈んだ村に乾杯!」
「監獄で悠々自適の余生を送るロハスに乾杯!」

 みんなそれぞれ心にもないことを言いながら乾杯した。
 テオはまず気になっていたことを尋ねた。

「怪我をした警備員の容体はどうだい?」
「危機を脱しました。」

とロホが答えた。

「大叔父が処置をしてくれました。」

 それ以上の説明はなかった。

「助かったのか?」
「命は取り留めました。もう警備員の仕事は無理でしょうが、簡単な仕事なら出来る程度に回復するでしょう。」

 脳の損傷を受けたのだ。回復出来るだけでも上等だろう。テオは「良かった」と呟いた。
それから暫くはカーラに聞かれても差し障りのない、オフィスの仕事の話になった。ステファン大尉に留守中どんな書類が送られて来たか、文化保護担当部は聞きたがった。ステファンも申請書類の話だけに集中した。
 メインの料理を出してから、カーラが帰宅した。いつも通りアスルが見送りに出て、戻って来る迄、みんなゆっくり食事を楽しんだ。アスルが戻って来た時に、テオはその日の帰り際の出来事を思い出した。

「さっき大学を出る直前にウリベ教授に呼び止められたんだ。」

 少佐が彼を見た。ロホもステファンも、デネロスもギャラガも彼を見た。アスルが座りながら尋ねた。

「教授は何て?」
「それが、よく意味が理解出来ないんだが、ペグム村のセニョール・サラスからの伝言で、『蛇の尻尾』と言えば、君達にはわかる、って・・・彼女も意味がわからないので、それだけだ。」
「蛇の尻尾?」

 サラス氏についての情報はデネロスによって”心話”で少佐に報告が行っている。だからデネロスはロホとステファンにそれぞれ情報を分けた。だが少佐も2人の大尉もキョトンとしただけだった。しかし、ペグム村で雑貨店主の話を聞いていたアスルは反応した。

「チクチャンか?」
「はぁ?」

 テオは彼を見た。ギャラガが説明した。

「マヤ語で蛇のことです。」
「マヤ語? セルバの言葉じゃなく?」
「スィ・・・」

 ギャラガも少し困ってアスルを見た。言葉は知っているが、それが今回の捜査と何か関係があるのか?と目で問いかけた。アスルが少佐に顔を向けて言った。

「アスクラカンの市役所で、アルボレス・ロホス村の元住民を調べました。」

 少佐が頷いた。アスルは続けた。

「役所では最後に住んでいた住民の家長の名前と家族の人数が住民台帳に残っていました。全部で16家族、その中にチクチャンと言うマヤ風の名前の一家がいました。」
「マヤ族がいたのですか?」

 少佐が意外そうな顔をした。テオも仲間達も驚いた。マヤ族はセルバに殆どいない。アスルは役所の係にマヤ族が住んでいたのかと訊いたそうだ。しかし、役人は知らなかった。

「その役人はアルボレス・ロホス村のことを何も知りませんでした。それでダム工事の頃を知っている職員を探してもらいました。それで時間を食ってしまって・・・」



2022/09/18

第8部 探索      18

  夕刻、テオは西サン・ペドロ通りのアパートに電話をかけて、家政婦のカーラに帰宅時刻を告げた。夕食の予定を伝えるためだ。するとカーラが言った。

「今夜は少佐と大尉がお2人、それに中尉と少尉がお2人、ドクトルで計7名ですね。」

 テオはざっと計算するまでもなく、全員が揃うのだと悟った。

「みんな帰って来たんだね! 全員で食事するんだ?」
「スィ、少佐からそう指示がございました。」

 嬉しくなってテオは真っ直ぐ帰ると彼女に告げた。大学の駐車場で車に乗り込み、エンジンをかけたところで、宗教学部のウリベ教授が彼に向かって手を振っているのが見えた。彼は窓を下ろした。教授が駆け寄って来た。

「オーラ、ドクトル・アルスト!」

 彼女が彼の車の窓枠に手をかけた。

「ペグム村のセニョール・サラスから電話がありましたよ、あなたか女性少尉に伝えて欲しいって・・・」
「何です?」

 テオはデランテロ・オクタカスから遺跡へ行く途中の小さいが賑わっていた集落を思い出した。サラス氏は雑貨店の店主で、オスタカン族の末裔だった。何者かに神像のことを質問されたのだが、相手の顔も質問内容も覚えていないと証言した男性だ。”操心”にかけられて記憶を消されたのだ、とデネロス少尉は結論づけた。そのサラスが今頃何だろう。
 ウリベ教授が囁いた。

「私には意味がイマイチわからないんですけど、”蛇の尻尾”って言えばわかってもらえる、と彼は言いました。」
「”蛇の尻尾”?」

 テオはキョトンとした。

「俺達がその言葉で何かわかると、サラスは言ったんですね?」
「スィ。」

 ウリベ教授は窓から離れた。

「あなた方は私にお呪いのことを訊いて来られたでしょう? きっとその言葉もお呪いに関係しているのよ。」

 テオは頷いた。

「その様ですね。文化保護担当部に伝えておきます。グラシャス!」
「グラシャス! また明日!」

 現れた時と同様に消える時もバタバタとウリベ教授は走って行った。まだ仕事が残っているのだろう。電話でも良かったのに、と思いつつ、テオは車を出した。



2022/09/14

第8部 探索      17

  次の日、テオは普段通り大学に出勤した。西サン・ペドロ通りの少佐と暮らしているアパートからの出勤だ。昨夜はカルロ・ステファンも彼の区画の方に泊めてやった。ステファンは何処に泊まっても平気な様だ。彼は文化・教育省へ出勤して行った。
 テオが休む時にいつも授業の代行をしてくれるアーロン・カタラーニ院生が、引き継ぎの時に「今度はどんな事件だったんですか」と訊いてきた。すっかりテオが大統領警護隊と行動する時のパターンを理解したと言う顔だった。テオは「なんでもないよ」と答えた。

「デネロス少尉がデランテロ・オクタカスへ出張するので、向こうの人と合流する迄用心棒をしただけさ。」

 本当は彼女の方が用心棒になれるんだけど、と心の中で呟いた。授業を終えて、研究室に戻ったのは昼前だった。カタラーニを始めとする院生3名と5人の学生と共に医学部から依頼された遺伝子の分析をしていると、内線電話がかかってきた。院生の1人が電話に出た。彼女は「スィ」を3回程呟いてから、テオを振り返った。

「先生、考古学部のケサダ教授がお昼にお会い出来ませんかって・・・」

 声にちょっと失望の響きがあったのは、学生達はテオと一緒にお昼を過ごしたかったからだ。テオは時計を見て、12時半に、と答えた。院生は電話で先方に伝え、通話を終えた。そして准教授をちょっと睨んだ。

「先生、考古学の教授と会われる時は、何だか嬉しそうですね。」
「妬いてるのかい?」

 テオはクスリと笑った。

「友人達が考古学関係の仕事をしているから、考古学部の人達と話すのが勉強になるんだよ。友人達の話題について行けるからね。なんなら、君達も来るか?」

 すると意外に彼等は遠慮した。

「結構です。」
「私達がケサダ教授に近づいたら、考古学部の連中が気に食わないみたいなんですよ。」
「そうか?」
「他の教授や准教授だったら構わない見たいだけど・・・」

 要するに、考古学部の女性達がハンサムな教授を生物学部に横取りされないかと気にしているのだ。テオはそう解釈して笑った。そして心の奥では、ケサダ教授の用事は何だろうと考えていた。
 12時前に研究室を閉めて、学生達と学内カフェに行った。食事を取る彼等に付き合ってお茶だけ飲むと、入口にケサダ教授が姿を現した。セルバ人らしくなく時間に正確な人だ。テオは学生達に「また夕方」と断って、教授の方へ向かった。教授は配膳カウンターまで行き、料理を選び始めた。テオもトレイを手にして、食べ物を取り、教授が選んだテーブルへついて行った。
 教授お気に入りのテラスのテーブルだ。パラソルの下でテオは彼と向き合うと、まず新しい赤ちゃんの誕生を祝福する言葉を述べた。教授は丁寧に感謝の言葉を返した。

「義父や義兄は私に息子が生まれることを喜ばなかったのですが、妻も私も男の子を持ちたかったので、やはり嬉しかったのです。」

と穏やかに微笑みながらケサダは言った。男の子は半分グラダの血を引いている。そのナワルは恐らく漆黒のジャガーだ。成年式でナワルを披露すれば、一族の長老達にその子の父親もグラダだったとバレるだろう。フィデル・ケサダの成年式で彼のナワルを目撃した長老達はもう年を取って鬼籍に入り、今は殆どこの世に残っていない。だから彼と息子がグラダだと知れば新しい長老達は腰を抜かす筈だ。それでも、黒いジャガーなら問題はない。しかし、フィデル・ケサダのナワルは黒くないのだ。
 ケサダ教授はそれ以上子供の話題に触れなかった。

「義父が不機嫌なのですが、新しい孫の誕生とは無関係の様です。貴方とデネロス少尉が義父と面会した時、どんな話をされたのです?」

 教授はムリリョ博士の機嫌の悪さを心配していた。ファルゴ・デ・ムリリョは”砂の民”の首領だ。怒らせると恐ろしい目に遭わされる。教授はテオの身を案じてくれていた。
 テオは周囲を見回した。そして小声で簡単に説明した。

「博士がどの程度事態を把握されているのか、俺には見当がつきませんが、不機嫌の理由はわかります。強い霊力を持つアーバル・スァットの石像が遺跡から盗掘され、建設大臣イグレシアスの元に送り付けられて来たのです。」

 ケサダ教授は無言だったが、眉をちょっと上げた。神像の盗難に驚いた様子だ。テオは説明を続けた。

「大臣の私設秘書が文化保護担当部にアドバイスを求めて来ました。ケツァル少佐と部下達は今盗掘犯を探して捜査中です。神像は例の秘書が保管しているので、目下のところは心配ないと考えられています。捜査の進展については現在進行形で俺の口から話せることはありません。ムリリョ博士は神像の祟りを利用しようとした人物の行為をお気に召さないのです。」

 まだ2人共料理に手をつけていなかった。ケサダ教授は冷めてしまった料理をぼんやり眺めながら囁いた。

「アーバル・スァットは一度盗まれましたが、あれは”ティエラ”の仕業でした。」
「スィ。しかし、今回の文化保護担当部の調査で、あなた方の一族の人間達がロザナ・ロハスを唆したのだと判明しました。その人間達が再び動いたのです。」
「一族の人間達・・・」

 教授が溜め息をついた。呪いを使って他人を害しようと図る者は、”砂の民”の粛清の標的だ。

「貴方は複数で言いましたね?」
「スィ。少なくとも2人以上が関わっていると思われます。」

 教授が皿から視線を上げてテオを見た。

「貴方は”ティエラ”です。これ以上、その件に関わってはいけません。例え友人でも義父は掟に従って知り過ぎた者を粛清します。貴方には特権が与えられていますが、謙虚でいて頂きたい。」

 純粋にテオを案じての忠告だ。テオは素直に頭を下げた。


2022/09/12

第8部 探索      16

  カルロ・ステファン大尉の携帯電話の着信音でテオは目が覚めた。 窓の外はまだ明るく、長屋の中庭で隣近所の奥さん達が小さな畑を前に喋っている声がガラス越しに聞こえた。懐かしくて挨拶しようかと思ったが、ステファン大尉の通話を邪魔してもいけないので、彼は我慢した。すると奥さんの1人が窓の際までやって来て、トマトとカボチャを置いてくれた。テオはグラシャスと手で合図を送り、彼女も笑顔で仲間の元へ戻って行った。
 ステファンは「スィ、スィ」と繰り返し、やがて電話を切った。

「少佐からでした。これからロホとロホの身内の長老の方と共にデランテロ・オクタカスの病院へ行かれるそうです。」
「病院?」

と聞き返してから、テオは理由を思い当たった。

「泥棒に頭を爆裂波でやられた警備員のところへ行くのか?」
「スィ。長老が対処法をご存じだと言うので、助けて頂くそうです。成功するか否かはやってみないとわからないそうですが、出来る限るのことはしてあげたい、とそのお年寄りが仰ったそうです。」
「有り難いなぁ・・・」

 テオは他人事ながら感謝を覚えた。ロホが実家へ帰った用事がそれだったのだと理解した。少佐もロホもステファンも爆裂波でダメージを受けた肉体の治療を行う指導師の修行をして資格を取っている。しかし、脳は並の指導師では対処出来ないのだとデネロス少尉が教えてくれた。恐らくロホは高度な技を習得した長老を探し出して、協力を仰いだのだろう。
 ステファンが時計を見た。

「少佐は今夜向こうで泊まりになるでしょうから、我々だけで飯を食いに行きましょう。それから、少佐は貴方は大学に戻って下さいと言ってました。私も明日から書類業務に戻ります。文化・教育省のオフィスで1人留守番ですよ。」

 デスクワークが苦手なステファンは苦笑した。彼としてはデネロス少尉に帰って来て欲しいのだが、少佐は彼女に帰還命令を出していない。デネロスはまだデランテロ・オクタカスや周辺の集落を廻って情報収集するのだ。聞き込み捜査は厳つい印象を与える髭面のステファンより、優しい女性のデネロスの方が有利だった。
 ギャラガ少尉はデネロスの助手だ。多分、用心棒の役割だろう。彼女は1人で十分強いのだが、見た目で威圧出来る男性が同行すれば余計な揉め事を避けられる。
 テオはアスルについてアスクラカンに行きたかったことをステファンに漏らした。

「あの街は、俺がエル・ティティに帰省する時の通過点だが、あそこでゆっくり街歩きした経験はないんだ。買い物はいつもグラダ・シティで済ませちまうし。アスルが市役所に行っている間、街中を見て歩きたかったな。」
「これからいつでも行けますよ。」

 ステファンは純血至上主義者が多いアスクラカンに余り長期滞在したくない。市街地はマシだが、郊外に行くとややこしい人が多いのだ。普通の人間なら問題ないのだが、”ヴェルデ・シエロ”ではそうはいかないのだった。”シエロ”は”シエロ”をすぐに嗅ぎ分ける。例え蔑み差別する対象のミックスでも、すぐ判別するのだ。
 可笑しな話だ、とテオは思う。”シエロ”だとわかるなら、同等の仲間と認めてやれば良いじゃないか、と。
 不思議なことに、ステファンはアスクラカンを好きになれないのに、彼より白人臭いギャラガはあの街をそんなに苦手としていない。その気になれば白人になりきってしまうのだろうか。
 それに、アスクラカンにはもう1人テオが忘れられないミックスの”シエロ”がいる。ピアニストのロレンシオ・サイスだ。プロ活動を辞めて個人と契約して教えるピアノの家庭教師をしているのだが、最近彼の過去を知るジャーナリストに見つかってしまった。シエンシア・ディアリア誌のベアトリス・レンドイロ記者だ。彼女はサイスのピアノの才能を忘れておらず、彼にインタビューを申し込み、断られても熱心にアプローチを続けていた。困ったサイスがテオに相談を持ちかけて来たのが先月のことだ。テオはレンドイロに彼をそっとしておいて下さいと頼んだ。一時人気が沸騰して彼は心身とも疲れたんですよ、だから今は家庭教師で十分満足しているのです、今騒がれたくないんです、と。レンドイロはテロ事件の時にテオに助けられた恩義があったので、なんとか退いてくれた。テオはそれからサイスと会っていなかったので、彼がどうしているか、ちょっと覗きたかったのだ。

「次の帰省の時に、ちょっと寄り道でもするかな・・・」



2022/09/11

第8部 探索      15

  アスクラカンの市役所へ向かったアスル、デランテロ・オクタカス周辺でもう少しアルボレス・ロホス村の住人の手がかりを探すと言うデネロス少尉とギャラガ少尉と別れて、テオはグラダ・シティに戻った。空港に到着したのは午後も3時を過ぎた頃で、街はシエスタの真っ最中だった。予定時刻より半時間遅れて到着した航空機の乗客のチェックを済ませると、空港のゲイトはさっさと閉じられてしまった。国際線でなければ、シエスタ優先なのだ。
 テオがロビーを歩いて出口に向かっていると、向かいから馴染みのある顔の男が近づいて来た。

「カルロ!」
「テオ、お帰りなさい。」

 遊撃班から文化保護担当部に助っ人として出向しているステファン大尉が、テオの手を両手でがっしりと掴んだ。

「成り行きで文化保護担当部の任務に付き合って下さったそうで、大統領警護隊の隊員としてお礼申し上げます。」

と堅苦しい挨拶をしてから、彼はニヤッと笑った。

「たまには首都から離れて仲間と働くのも良いでしょ?」
「確かに!」

 テオも苦笑した。久しぶりにアスルやギャラガ達と仕事が出来て嬉しかった。

「そっちはロハスに面会したんだってな?」
「スィ。強かな女ボスと言う印象を持っていましたが、会ってみると、普通の悪のオバはんでしたね。」
「まさか少佐と比較して言ってるんじゃないだろうな?」
「少佐は悪じゃありませんよ。」

 2人は笑いながら駐車場へ出た。ステファンはテオの車で空港へ来ていた。勝手に使用されても何故か腹が立たない。テオにとって大統領警護隊文化保護担当部の隊員達は兄弟同然だった。彼等は車に乗り込んだ。運転はステファンが引き受けた。

「ネズミの神様はまだ建設省に置いてあるのか?」
「スィ。あの秘書のおっさんが後生大事に守っているそうです。」

 ステファンはシショカの名前を口にすることを避けた。呼んでしまうと本人が実際に現れると言う迷信だろう。
 ロホが建設省を見守っているのかと思ったら、彼はもうその任を解かれたとステファンが説明した。

「ネズミのお守りは秘書がしているので、少佐はおっさんに任せています。ロホは別件で実家に帰りました。」
「実家?」
「お父上に頼み事があるのです。」

 それ以上ステファンは語らなかった。テオは深く追求しなかった。ロホの父親は”ヴェルデ・シエロ”の名家の当主で、ブーカ族の長老だ。ロホは滅多に家族の話を仲間にしないが、難しい術や儀式で質問がある時は実家に頼ることがあった。それは一族の最も重要なことは家長とその後継者のみが口伝で受け継がれる”ヴェルデ・シエロ”の慣習のせいで、6人兄弟の4番目の息子であるロホは、知らないことがあれば直接父親か長兄に訊かなければならないのだった。つまり、白人のテオには教えられないような、一族の秘密を聞きに行ったと言うことだ。
 ステファンが車を走らせた先は、ケツァル少佐のアパートではなく、マカレオ通りのテオの以前の家、現在はアスルが住んでいる長屋の家だった。ステファンは本部外勤務の時はいつも姉のアパートでも実家でもなく、そこに寝泊まりしていた。

「晩飯は後で食べに出かけます。暫くここで休憩して下さい。」

 テオの現在の自宅に行かないのは、少佐がまだアパートに戻っていないからだ。そして、恐らくこの日は家政婦のカーラが早く帰るのだ。ステファンとしては、姉の家(テオの家でもある)よりこちらの長屋の方が寛げるのだ。
 テオは久しぶりに前の自宅に入った。すっかりアスル好みの家になっているだろうと想像したが、中身は殆ど変わっていなかった。アスルはただ寝て食事をするだけに使っている様子で、調度品も置き場所もカーテンも何も変わらなかった。アスルらしいと言えばそれまでだ、とテオは思った。ここを終の住処にするつもりはないのだろう。
 リビングのソファに横になって少し昼寝をした。ステファンも床にクッションを置いて寝た。 

第8部 探索      14

  テオは恋人のケツァル少佐が人使いの荒い人間であることを承知していた。だからアスルに新しい命令が来て、「アルボレス・ロホス村の住民を探せ」と言う文言がペグム村の安宿に宿泊している4人全員に出された命令だと知った時も腹が立たなかった。
 翌朝、宿をチェックアウトして、村の通りの屋台でサンドイッチを買うと、彼等は小さな教会前の小さな広場で朝食を取った。アルボレス・ロホス村がどんな村だったのか知らなかったが、オクタカス遺跡の監視業務を行ったデネロス少尉も噂話で聞いたことがあると言った。

「泥に埋まってしまった気の毒な村、と言うのがオクタカス村の住民の認識ですよ。」

と彼女は言った。

「ダムを建設したのは、イグレシアス大臣なのか?」
「ノ、ダム建設を決めた政権は前の大統領の内閣です。建設大臣も別の人でした。でもダム建設が着工されたのは、現政権になってからで、イグレシアスは副大臣だった頃です。」
「それじゃ、イグレシアスに責任はないんじゃないか?」
「前大臣は途中で汚職問題で辞任しちゃったので、イグレシアスが跡を継いで、その後の選挙後もそのまま建設大臣なのです。それに前大臣は辞めた後で病気で死んじゃいましたから、アルボレス・ロホス村の元住民にしたら、恨みの対象は副大臣でも良かったんじゃないですか?」

 テオは思わずアスルを見た。アスルが肩をすくめた。

「結構いい加減な動機だな。」
「でも最初のアーバル・スァット様盗難の時は、前大臣は生きていたんですよ。でもロハスがアントニオ・バルデスの片棒を担いでアンゲルスに神像を送っちゃった。」
「バルデスはある意味とばっちりだ。ロハスは呪いが怖くて、早く神像を手放したかっただけさ。」

 ギャラガが口をもぐもぐさせながら村を見回した。

「このペグム・・・ごくん・・・すみません、このペグム村にその泥で埋まった村の住民がいるってことはないでしょうね?」
「いたら、アーバル・スァット様の話を村人に聞いて回った男女の情報をもっと用心深く消しただろう。」
「それに俺たちが連中の情報を嗅ぎ回っていることを犯人に教えただろうしな・・・」

デネロスが考え込んだ。

「アルボレス・ロホス村の住人はアーバル・スァット様を知らなかった。でも住人の中に紛れ込んでいた”シエロ”は言い伝えを覚えていた。粗末な扱いをすると恐ろしい呪いの力を発揮する神像が、オクタカス周辺の何処かに祀られていた、と。だから彼等はピソム・カッカァを探し、神像の扱い方をオスタンカ族に尋ねて回ったのです。ロハスが遺跡盗掘の常習だと知ると、彼女を操って神像を盗ませました。でもロハスは完全には支配されていなかったので、彼等の想定外の行動を取ってしまいました。呪いを恐れて神像をミカエル・アンゲルスの家に送りつけてしまったのです。連中はアーバル・スァット様の呪いが落ち着くまで辛抱強く待っていました。大統領警護隊に神像が回収され、元の遺跡に戻されて、世間が盗難を忘れるまで待っていたのです。」

 彼女が語り終えてテオやアスルを見た。アスルが頷いた。テオも彼女の考えに同意した。

「連中はアルボレス・ロホス村を終の住処として愛していたのでしょうね・・・」

とギャラガが囁いた。

「だからダムを造って村を泥に埋もれさせた政治家を憎んで・・・」
「逆恨みだ。」

とテオは言い切った。

「政府は下流の街を守る為にダムを造った。だが目測を誤って、上流の耕作地や村を破滅させてしまった。移転補償費用とかは出たのかな?」
「そんなの、出しませんよ、セルバ共和国政府は・・・」

 デネロスが溜め息をついた。

「引っ越せ、と一言言うだけです。村が一つにまとまって交渉すれば何とかしたでしょうけど、個々に訴えても駄目なんです。せいぜい引っ越し先を斡旋した程度だと思います。」
「それじゃ、役所にその記録があるのかな? 誰がどこへ引っ越したか?」
「課税の問題があるから、アルボレス・ロホス村から最初に引っ越した場所の記録はあるでしょうが、その後で別の所に移動したら、もうわかりません。」
「でも、調べてみることは出来るだろう。少なくとも、住民の名前はわかる。」

 テオの提案にアスルが珍しく賛成した。

「確かに、住民の数や家の代表者の名前はわかるな。俺はこれからアスクラカンの市役所へ行ってくる。」

 テオが同行を申し出ようとすると、彼は言った。

「ドクトルはグラダ・シティに帰れ。大学の仕事があるだろう。」
「しかし・・・」
「あんたが必要な時は、呼ぶ。」

 そう言われると、反論出来ない。テオは渋々承知した。



2022/09/09

第8部 探索      13

  アルボレス・ロホス村と聞いて、ロホは首を傾げた。国内の地名全部を覚えている訳ではないが、人間が居住している市町村の名前は学習している。小さな国だから行政的に登録されている村はほぼ記憶していたが、その名前の村は覚えがなかった。ケツァル少佐も脳内を検索してみた様子だったが、思い当たる節がなく、結局2人は少佐の車で少佐の自宅へ向かった。そこでは既にカルロ・ステファン大尉がいて、家政婦カーラの手伝いをしながら夕食準備にかかっていた。彼はシショカと相性が悪いので、少佐が彼女のアパートで待機を命じていたのだ。
  食卓に着くと、少佐はシショカからの僅かな情報をステファンにも分けた。ステファン大尉は村の名前を聞いて、暫く考え込んだ。何か聞いたことがある、そんな表情で食事の手を止め、空を睨んだ。その間に、少佐はアスルに電話をかけ、アスルとギャラガ少尉がデランテロ・オクタカス近郊の村でテオドール・アルストとマハルダ・デネロス少尉と合流したことを聞いた。電話を終えて、彼女は部下達に言った。

「デランテロ・オクタカス周辺で住民に神像のことを尋ねた若い男女がいたそうです。直接言葉を交わした人は記憶を抜かれていますが、目撃者が数人残っていました。」
「そいつらが犯人ですね。だが、素人だ。」

 ロホが溜め息をついた。一族の中で古代の呪法や持てる以上の能力を使おうとする人間が時々現れる。そう言う連中は、年配者からの正しい教育を受けていないか、受けることを拒んだ者だ。大統領警護隊の訓練を受けたこともないし、長老達の説教に耳を貸したこともない。だが”ヴェルデ・シエロ”である自覚は強く、己を過信している。そう言う連中が”砂の民”の粛清の対象になることが多いのだ。

 よりにもよって、一匹狼的”砂の民”セニョール・シショカの職場に神像を送りつけるとは。

 シショカの正体を知らないからこその暴挙だろうが、不運だ。シショカは恐らく彼独自のルートで犯人探しをしているだろうし、ケツァル少佐に知り得た情報の全てを分けた筈がない。犯人を見つけ出して捕まえる仕事を大統領警護隊に譲っても、最後の粛清は彼自身が行いたいと思っているに違いない。
 その時、まるで夢から覚めたかの様に、ステファンが声を上げた。

「思い出した!」

 少佐とロホが彼を見た。ステファンは少佐を振り返った。

「アルボレス・ロホス村は、現在のオクタカス村から北へ5キロほど行った森の中にあった村でした。」
「過去形ですか?」
「スィ。もうありません。私が遺跡の監視業務に就いていた時に、休憩時間に言葉を交わした村人から話を聞いたことがあります。アルボレス・ロホス村は10年以上前に地図から消えた村です。」

 彼はテーブルの上を指でなぞった。

「オクタカスとは谷が異なる川が流れていて、アルボレス・ロホス村はその川の流域にありました。細い川で、流れはアスクラカン方面へ向かっているので、オクタカス周辺の地図では記載されていません。」
「消えたと言うことは、その川が氾濫を起こしたのか?」
「氾濫ではない。」

 ロホの質問にステファンは首を振った。

「氾濫ではないが、この川は大雨が降ると土砂を大量に運ぶので、下流の町村が迷惑していた。それで、建設省がダムを造ったのだ。渓谷ではないので、浅い砂止め程度のダムだった。そのダムのせいで上流に泥がどんどん溜まっていき、アルボレス・ロホス村の耕作地は泥に埋まってしまう結果になった。」
「それは酷い・・・」
「だから、住民は村を捨てて散り散りに移住してしまい、村は消滅した。」

 少佐がステファンをじっと見た。

「その村の住民がどう言う部族だったのかは、聞いていないのでしょうね?」
「あまり歴史のない開拓村だとオクタカス村の住民は言っていましたから、共和国政府が先住民移住政策で建設した村だったのでしょう。住民は近隣の森林から集められた元狩猟民だったと思われます。土地に愛着が少なかったので、あっさり放棄出来たのですよ。」
「しかし、苦労して耕した畑を泥に埋められて納得出来なかった人もいただろう。」

とロホが呟いた。少佐が頷いた。

「セニョール・シショカはその線から当たれと私に言いたかったのでしょうね。」



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...