2022/09/24

第8部 チクチャン     4

  ケツァル少佐とステファン大尉はアスクラカンの街の交通渋滞に捕まっていた。だからアスルが少佐の携帯に電話した時、彼等はまだ市街地から出られないでいた。

ーーアスクラカンの建設会社アゴースト兄弟社に行って頂けませんか?

とアスルが言った。

「アゴースト兄弟社?」
ーー例のダムを建設した会社です。

 少佐は2秒ほど考えて、すぐ部下の依頼の真意を悟った。ダム建設の指示を出した政治家に復讐する人間が建設会社に何もしないと言うことはないだろう。

「わかりました。行ってみます。」

 少佐は電話を切るとステファンを振り返った。

「アゴースト兄弟社と言う会社を検索しなさい。」

 ステファン大尉は何も言わずに己の携帯を出して検索を始めた。そして市街地の南側にある会社の情報を見つけた。

「道路や橋を造る会社です。ダムも造るでしょうね。」
「そこへ行ってみましょう。他にどんな情報があるのか調べて下さい。」

 ステファンが掲げた携帯画面で会社の位置を確認すると、少佐はいきなり急ハンドルを切って幹線道路から脇道に入った。通行人が多い狭い道路を強引に走って、別の大通りに出ると南に向かって進んだ。ステファンはお陰で検索する気分ではなくなり、事故を起こさないかと冷や汗をかきながら車窓からの風景を見ていた。一度勇敢な白バイが追いかけて来たが、ステファンが窓から緑の鳥のI Dを見せると遠去かっていった。

「自分で運転する時は平気ですが、他人の運転はやっぱり怖いです。」

 弟の苦情に、姉はフンと言っただけだった。
 アゴースト兄弟社は広い敷地に数台の重機や大型トラックを並べていた。全部が出動していないのは、少し暇なのだろう。数人の作業服の男達が機械の手入れをしていた。敷地内に入らずに、少佐は車を少し離れた場所に停めた。それで、ステファンはやっと会社の評判を調べることが出来た。

「従業員が荒い・・・仕事は報酬の額によって速かったり遅かったり・・・造る物はしっかり仕上げているようです。」
「それは会社の評判ですね。社内の情報はありませんか? 誰かが怪我をしたとか、病気になったとか?」
「そう言う情報はネットでは拾えません。」

 ステファンは車の外に出た。

「ちょっと中の人間を捕まえて情報を引き出してみます。」

 彼はブラブラと散歩する風に歩いてアゴースト兄弟社の門をくぐっていった。アスクラカンは全体的にメスティーソが多い。サスコシ族の純血至上主義者が多いと言っても、”ヴェルデ・シエロ”の人口は高が知れている。それに彼等の多くは市内を流れる”大川”の北側に住んでいるので、南側はミックスの”シエロ”にとって安全圏だった。だからステファン大尉は自然に住民に溶け込んで見えた。作業員に声をかけ、それから事務所の方へ案内されて行った。
 車に残ったケツァル少佐は、再び電話を受けた。今度はアスクラカンに住む、彼女の養父フェルナンド・フアン・ミゲール駐米大使の遠縁に当たるドロテオ・タムードからだった。形式通りの挨拶を交わしてから、タムードが要件を切り出した。

ーーアラゴから話を聞いた。マヤの名前を持つ家族を探しているそうだね?
「スィ。叔父様は誰か心当たりでもございますか?」
ーー直接は知らない。だが、息子の1人が言っていた。婚姻でマヤ族の中に加わった一族がいるのではないか、と。

 少佐はドキリとした。どうしてそんな簡単なことを思いつかなかったのだろう?

「マヤ族と結婚した一族の人間の子孫を探せと言うことですね?」
ーー恐らく1代か2代前に婚姻したのだろう。だから現在の長老達は思いつかないのだ。2世、3世の子孫なら、まだ力を使える。一族から認められなくても、”シエロ”としての自覚はあるかも知れない。
「3世なら十分ナワルを使えます。正式な成年式を要求出来ますし、”ツィンル”(人間と言う意味)として長老会は認めざるを得ないでしょう。」
ーーそれを認めたがらない会派がいるのだがね。

 異種族の女性を妻に娶ったドロテオ・タムードは忌々しげに呟いた。

ーー今日は1人か、シータ?
「弟が一緒です。」
ーーエル・ジャガー・ネグロか。あの男は十分に強い。変な奴に絡まれたら、遠慮なく気を発散させろと言ってやれ。純血種でもサスコシなら、彼にビビる筈だ。

 少佐は笑った。そして遠縁の叔父に礼を言って通話を終えた。

2022/09/23

第8部 チクチャン     3

  テオはその日授業がなかったので、研究室で医学部から依頼された遺伝子の分析をしていた。遺産相続に関係する親子関係の鑑定依頼が最近多くなった。依頼される度に彼は心の中で「どれだけ隠し子を作っているんだ?」と毒づいていた。
 遺伝子マップを読み疲れたので、休憩のためにカフェに行くと、偶然考古学部のケサダ教授を見つけた。ケサダ教授はテーブルの上にタブレットと書物を広げ、仕事をしている様に見えた。テオは隣のテーブルに席を取って、「ブエノス・ディアス」と声をかけた。教授が顔を上げ、振り返って微笑んでくれた。

「ブエノス・ディアス。休憩ですか?」
「スィ。顕微鏡と遺伝子マップで眼が疲れたので。」

 そして新しい家族が増えた教授に、「おうちが賑やかになりますね」と言うと、相手は苦笑した。

「初めての男の子なので、娘達が大はしゃぎで、五月蝿いんですよ。」

 テオは4人の活発な娘達を思い出した。伝統を重んじる先住民の家庭で育った少女達は、お淑やかに見えるが、親が見ていないところではやはり普通の女の子だ。ケサダ教授の家庭では娘達はのびのびと育っているのだろう。

「ムリリョ博士はまだご機嫌ななめですか?」

 心配事を尋ねると、教授は首を振った。

「生まれてしまった者は仕方がありません。マスケゴの男として育てることに力を入れてくださるでしょう。」

 彼は小さくニヤリと笑った。

「アブラーンが、私の家を増築してやろうと申し出てくれたのです。息子が生まれる前は、あんなに反対していたのに。」
「息子さんの部屋を造ってくれるのですか?」
「スィ。しかし、息子が自分の部屋を持つ頃には、娘達が成長して家を出て行くでしょう。妻も私も娘達が家から出たいと言えば、結婚しようがしまいが、彼女達の自由にさせるつもりです。娘が出ていけば部屋が空きます。」
「では、断ったのですか?」
「そんな無礼なことはしません。義兄の申し出は有り難くお受けしますよ。娘のピアノの練習室が欲しかったのでね。」

 教授が楽しそうに笑った。テオも笑いながら、ふと思った。アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは建設会社を経営している。所謂大手ゼネコンだ。ダムも造ったんじゃないか?

「教授、アブラーンの会社はダムを造ったことがありますか?」
「ダム?」

 教授はちょっと考え込んだ。義兄の会社とは仕事で接点がないので、テオの質問に直ぐに答えられなかったようだ。

「セルバでダムを必要とするのは西部の方ですね。ロカ・エテルナ社は主に東部でビルや港湾施設を建設していますから、西部のダムはオルガ・グランデの業者の縄張りではありませんか。」
「アスクラカンは・・・」
「アスクラカンはロカ・エテルナが入っていますが、市庁舎や教育施設が主だったと思います。アブラーンに訊いてみますか?」

 テオはマスケゴ族の主流家族を巻き込みたくなかった。家長は”砂の民”だ。ややこしくなりそうなことは避けるべきだ。

「ノ、教授がご存じないのでしたら、きっと大規模な工事でない小さなダムをロカ・エテルナ社が請け負うこともないでしょう。」

 ケサダ教授がじっとテオの額を見た。本当は目を見たいのだろうが、礼儀に反するし、テオは目を見つめられても”ヴェルデ・シエロ”に思考を読まれたりしない。だから教授は直接質問した。

「どこのダムのことをお訊きになりたいのです?」
「遺跡とかに関係ないダムです。」

とテオは言った。考古学者は遺跡がダムに水没することを心配すると思ったからだ。

「上水道とか、工業用水とか農業用水とは関係ないダムで、なんと言うか、土砂対策の砂防ダムです。」

 喋りながら、テオはある可能性を思い付いた。忘れぬうちに行動しなければ。彼は教授に「失礼」と断って携帯電話を出した。急いで押した短縮はアスルの電話のものだった。

ーークワコ中尉・・・

 アスルの声が聞こえたので、テオは早口で喋った。

「アルストだ。アスル、アスクラカン市役所でダムのことを調べただろ? 建設会社の名前を見たか?」

 アスルが数秒間沈黙した。そしてテオの言葉を確認するかの様に復唱した。

ーーダムの建設会社?
「スィ。ロカ・エテルナだったか?」
ーーそんな大手じゃない。アスクラカンの地元の・・・

 アスルが口を閉じた。彼も何かを思い付いたのだ。そして、「そうか」と呟いて、いきなり電話を切った。テオは電話を見つめた。言いたいことは伝わっただろうか。アスルは動いてくれるだろうか。
 気がつくと、ケサダ教授が書籍やタブレットを片付け始めていた。

「教授・・・」
「研究室に戻ります。」

 教授は鞄に書籍やタブレットを入れてしまうと立ち上がった。そしてテオを見下ろして囁いた。

「建設省のマスケゴが何かを嗅ぎ回っていましたが、貴方が追いかけているものと関係ありますか?」

 セニョール・シショカの動きを、考古学教授は知っていた。やはりこの先生はただの学者じゃない、とテオは緊張し、また感心した。

「彼の依頼でケツァル少佐が動いています。でも貴方を巻き込むつもりはありません。どうか無視してください。」

 

2022/09/21

第8部 チクチャン     2

  文化保護担当部の業務は全て副指揮官のロホに任せてある。だからケツァル少佐は余計な口出しをして彼の顔を潰すことを決してしない。彼女自身の任務が終了する迄、本業を全面的に部下に任せてしまった。文化・教育省に立ち寄らずに彼女はビルの前でカルロ・ステファン大尉を拾うと、そのままハイウェイをアスクラカンに向かって走り出した。”ヴェルデ・シエロ”各部族の長老達が集まる偶数月毎の新月会議は既に終わっており、次の会議まで長老達は首都に来ない。だから少佐はサスコシ族の長老に会いに、これからアスクラカンへ行くのだ。ステファンはあの内陸の商都が好きでない。純血至上主義者が多い土地柄だからだ。しかし、アルボレス・ロホス村は行政区分ではアスクラカン市役所の管轄だった。それはこのセルバ共和国を裏で支配する”ヴェルデ・シエロ”の都合から言えば、アスクラカンの主力部族であるサスコシ族の一員がアルボレス・ロホス村に住んでいた可能性を示していた。だから少佐はグラダ・シティのブーカ族ではなく、アスクラカンのサスコシ族に最初に当って見ることにした。
 昼過ぎにアスクラカンのバスターミナルに到着すると、少佐はステファンに昼食を買いに行かせた。そして彼女は車内からサスコシ族の族長シプリアーノ・アラゴに電話をかけた。アラゴは昼食の最中で、突然のグラダ族の族長からの電話に驚き、また喜んだ。長老会議は2ヶ月毎に開かれるが、族長会議は年に1度だけだ。滅多に出会えない仲間からの電話と言うことで、楽しげに時候の挨拶を始め、ケツァル少佐は礼儀を守って辛抱強くお喋りに付き合った。やがて、

ーーところでグラダの友よ、今日はどんなご用件かな?
「サスコシの尊敬する兄へ・・・」

と少佐は礼儀上の呼称を使った。

「教えて頂きたいことがあります。貴方の一族に蛇を名乗る家族はいますか?」
ーー蛇?

 少しの間沈黙があった。アラゴは考え込んだのだろう。そして50秒程してから、答えた。

ーーサスコシに蛇を名乗る家族はおりませんな。
「では、チクチャンと言う名に心当たりはございませんか?」
ーーチクチャン? どこの国の名前ですか?

 アラゴに外国の考古学の知識はなかった。それにセルバ共和国に居住していないマヤ族の言葉も知らなかった。マヤ族がどう言う民族かは知っていても、その文化に関心がなかったのだ。
 ケツァル少佐は質問の方向を変えた。

「では、アルボレス・ロホス村と言う所をご存じですか?」
ーーアルボレス・ロホス・・・ああ、ジャングルの中に政府が造った入植村ですな。確か、泥に埋まってしまったと聞きましたが?
「スィ、その村に住んでいた人々が現在どこにいるか調べています。」
ーー”ティエラ”のことは役場でお訊きなさい。
「あの村に一族の人が住んでいたと言うことはありませんか?」

 電話の向こうでアラゴがちょっと笑った。

ーーどうしてサスコシがわざわざジャングルの奥地へ畑を耕しに行かねばならんのです?

 そして、ああ、と声を出した。

ーーチクチャンとか言う人が、その村に住んでいたのですな。
「スィ。それは役所の台帳で確認が取れています。その家族が何処へ行ったのか、知りたいのです。」
ーー生憎、一族の者でなければ私にはわかりませんな。
「長老にお尋ねしても、わからないのでしょうか?」
ーーマヤの名前を使う一族の人間がいたら、長老から族長に何か言ったかも知れませんが。白人の名前ならともかくも、そんな大きな勢力を誇った部族の名前を使うのであれば、何か呪術的なことをする家系でしょうから。

 ケツァル少佐はアラゴ族長に丁寧に礼を述べて電話を切った。
 呪術的なことをする家系、とアラゴは言った。それなら長老達が把握している筈だ。サスコシ族が知らないと言うなら、他の部族を当たらねばならない。
 ブーカ族は人口が多いが、殆どグラダ・シティ周辺に集まって住んでいる。ある意味、”ヴェルデ・シエロ”の中では一番近代化されている部族で、呪術で憎い相手に復讐を考えるとは思えない。
 オクターリャ族は世俗の争いに背を向けている。彼等なら呪術で復讐するより、時間を少しだけ遡って歴史を変えると言う形のテロを思いつくだろう。
 グワマナ族は東海岸の漁民が多いし、海辺の土地で生活している。わざわざ内陸のジャングルを開墾して畑を作ろうなんて思わないだろう。
 マスケゴ族も考えにくい。同じマスケゴ族のシショカが働いている大臣のところへ呪いの神像を送りつけるなど、命知らずも良いところだ。
 カイナ族も大人しいし、彼等はオルガ・グランデ周辺の乾燥地帯で暮らしている。だが、もし新しい農地を手に入れたいと思ったら・・・
 車のドアが開いて、カルロ・ステファン大尉が良い匂いを漂わせた紙袋を2つ抱えて入ってきた。

「ぼんやりして、どうなさったんです? 貴女らしくもない。」

 差し出された紙袋を、「グラシャス」と言って少佐は受け取った。

「考え事をしていました。サスコシの族長はチクチャンと言う名前の一族はいないと仰いました。では、どの部族なのだろう、と・・・」
「偽名でしょ?」
「セニョール・アラゴの考えでは、マヤ語で蛇を意味する名前を使うなら、呪術的なことをする家系だろうと。それなら族長が長老から教えられていない筈はありません。」
「ロホの実家みたいに有名な呪術師の家系ならともかく、庶民相手の占いや祈祷をする人なら、長老もいちいち気に留めないでしょう。」

 ステファンはバスターミナルの向こうに伸びる道を顎で指した。

「オルガ・グランデ方面へ行ってみませんか? 向こうにはカイナ、オエステ・ブーカ、それにマスケゴの残党がいる。」



2022/09/20

第8部 チクチャン     1

  翌朝、テオが朝食を取りにケツァル少佐の区画へ行くと、彼女は既に着替えて出来上がった食事をテーブルの上に並べていた。部下達は全員昨夜のうちに帰った。おはようのキスの後、2人は席に着いて食事を始めた。

「マヤ語で空を名乗る家族が”ヴェルデ・シエロ”の可能性があるんだろ?」

とテオはパンにジャムを塗りながら尋ねた。

「どうしてそんな名前を使ったのかな?」
「それは当人に訊いてみなければわかりません。」

 少佐は憶測でものを言わない。テオは質問を変えた。

「シショカにその家族のことを教えるのか?」
「必要ありません。」

 と言ってから、少佐は言い換えた。

「まだ教える段階ではありません。彼等が何処にいて、本当に神像を盗んだのか、確認しなければなりません。」
「どうやって探すんだ? 呼ぶのか?」

 ”ヴェルデ・シエロ”は離れた場所にいる仲間をテレパシーで呼べる。但し、一方通行なので、呼ばれた方は返事をしないし、呼ばれたからと言って従う義務もない。下手をすれば、相手に「突き止めたぞ」と教えてしまうことにもなりかねない。
 少佐は溜め息をついた。

「追跡するしか方法はないでしょう。」

 昔、ロザナ・ロハスを追いかけてグラダ・シティからエル・ティティへ、エル・ティティからオルガ・グランデへと、彼女は移動し、途中でテオを拾ったのだ。あの時はテオが偶然ミカエル・アンゲルスの名刺を持っていたことから、ネズミの神様を見つけ出すことが出来た。テオはまだアメリカにいた時に、偶然未知の構造を持つ遺伝子を発見し、その持ち主がアンゲルス鉱石の従業員だと知って、オルガ・グランデに行こうとしていたのだ。
 尤も、その従業員が誰だったのか、今以って不明だし、今回のチクチャンと名乗る家族の行方は全く手がかりがなかった。

「取り敢えず、各部族の族長に順番に当たってみます。」

 少佐は文化保護担当部の業務を再開するよう、昨晩部下達に指示を出した。但し、カルロ・ステファン大尉はまだ遊撃班に帰らせてもらえず、アスルの家に預けられた。彼女は自分でチクチャンを探すつもりだ。そして助手に弟を選んだ。いずれ司令部に入りたいと野心を抱く彼に、族長達と交渉する経験を持たせるのも目的だった。ステファンの直属の上官であるセプルベダ少佐も、彼女がただ事務仕事の助っ人だけに大尉を使うと考えていない筈だ。文化保護担当部へ助っ人に出された彼の部下達は必ず何か新しいことを学んで戻って来る。セプルベダ少佐はケツァル少佐の教育の腕を見込んでいた。
 テオは溜め息をついた。

「俺も参加したいな・・・定職を持ってしまうと自由に動けんもんだ・・・」

 少佐がクスッと笑った。

「”ヴェルデ・シエロ”と他の部族との遺伝子の違いは直ぐわかるものなのですか?」
「直ぐ、とは行かないな。遺伝子の分析は俺がやっても最短2日は必要なんだ。」

 天才遺伝子学者がそう答えると、彼女はニヤリとした。

「蛇を捕まえたら、連中が本当は何者なのか分析して下さい。」

2022/09/19

第8部 探索      20

  アスルはビールで喉を潤してから続けた。

「市役所って人事異動が多いそうで、しかもダム工事当時の職員が退職していたので、名前を教えてもらって、自宅まで行きました。」
「あら・・・」
「アルボレス・ロホス村の住民のことを聞きたいと言うと、彼は渋ったんで、仕方なく”操心”を使いました。」
「その人しかいなかったのですか?」
「彼だけでした。一人暮らしで、退職後は公園の掃除をして暮らしているとかで。で、アルボレス・ロホス村にマヤ族が住んでいたのか、と尋ねると、マヤ族はいなかったと言う答えでした。」
「マヤ族はいなかった?」

 テオの復唱をアスルは無視した。

「マヤ語の名前だと言うことも知らなかったようです。それに住民16家族が何処に行ったのかも知らないとかで、支払った僅かな立退料だけ台帳に書いてあるって。」
「マヤ語を知らないが、マヤ族でないと言うのは知っていたのか?」

 テオの質問をまたアスルは無視した。

「チクチャン家は年老いた父親、その娘、その娘の子男女1人ずつの4人家族だったそうです。子供は恐らく今はどちらも20歳程、双子らしいです。母親は40過ぎ?」

 テオは他のメンバーがマヤ族にあまり拘っていないことに気がついた。少佐が考え、ステファンとロホの2人の大尉も考えていた。デネロスとギャラガはデネロスがスマホで何か検索して、ギャラガに見せていた。ほうっとギャラガが少し驚いた表情をしたので、テオは「なんだよ?」と訊いた。

「俺が知らないことを、君達だけで共有するなよ。」

 少佐が苦笑した。

「確信がないので、言わないだけです。よろしい、教えましょう。」

 彼女はビールをゴクリと飲んでから言った。

「チクチャンはマヤ語で蛇を意味しますが、マヤにとって蛇は空と繋がっていると考えられていました。つまり、チクチャンは『空』を意味する言葉でもあるのです。」
「ペグム村の雑貨店主は、彼に神像を訊いた人物が”ヴェルデ・シエロ”(空の緑)だったと伝えたかったのでしょう。」
「しかもその人物の名前が蛇だったと思い出した?」
「普通”操心”で消された記憶は戻らないものですが、素人で子供がかけた技なら時間の経過次第で解けてしまう可能性もあります。」
「その雑貨店主は用心深い人ですね。ウリベ教授にはわからなくても大統領警護隊にはわかる、と考えて、わざとスペイン語で連絡したのですよ。」

 口々に喋る仲間を眺め、テオは故郷を追われた人々が復讐心に燃える姿を想像した。安住の地を求めて入植した村を泥の下に沈められて、どんなに悔しかっただろう。


 

第8部 探索      19

  アパートに到着したのはテオが一番乗りだった。彼は自身の区画へ最初に戻って、シャワーを浴び、着替えた。そしてケツァル少佐の区画へ移った。カーラがテーブルセッティングするのを手伝っていると、少佐がマハルダ・デネロスとアンドレ・ギャラガ両少尉を連れて帰って来た。旅から戻ったその足で来たらしい2人に、少佐がシャワーと着替えを命じた。それでテオはギャラガを己の区画へ案内した。デネロスは女性だから少佐の部屋で着替えだ。
 再び食堂へ戻り、カーラの手伝いを続けていると、アスルが入って来た。彼は一旦自宅へ立ち寄ったのだろう、さっぱりとした私服に着替え、食堂を通り越して厨房へ入った。カーラが彼に最後の味のチェックを頼むと、喜んで引き受けた。
 ロホはステファンと一緒にやって来た。ステファンは朝と同じ服装だから、職場からそのまま来たのかも知れない。ロホの服装に変化があったのかどうか、テオにはわからなかった。
 テーブルの周囲に全員が集合すると、取り敢えず乾杯した。

「命拾いした建設大臣に乾杯!」
「泥に沈んだ村に乾杯!」
「監獄で悠々自適の余生を送るロハスに乾杯!」

 みんなそれぞれ心にもないことを言いながら乾杯した。
 テオはまず気になっていたことを尋ねた。

「怪我をした警備員の容体はどうだい?」
「危機を脱しました。」

とロホが答えた。

「大叔父が処置をしてくれました。」

 それ以上の説明はなかった。

「助かったのか?」
「命は取り留めました。もう警備員の仕事は無理でしょうが、簡単な仕事なら出来る程度に回復するでしょう。」

 脳の損傷を受けたのだ。回復出来るだけでも上等だろう。テオは「良かった」と呟いた。
それから暫くはカーラに聞かれても差し障りのない、オフィスの仕事の話になった。ステファン大尉に留守中どんな書類が送られて来たか、文化保護担当部は聞きたがった。ステファンも申請書類の話だけに集中した。
 メインの料理を出してから、カーラが帰宅した。いつも通りアスルが見送りに出て、戻って来る迄、みんなゆっくり食事を楽しんだ。アスルが戻って来た時に、テオはその日の帰り際の出来事を思い出した。

「さっき大学を出る直前にウリベ教授に呼び止められたんだ。」

 少佐が彼を見た。ロホもステファンも、デネロスもギャラガも彼を見た。アスルが座りながら尋ねた。

「教授は何て?」
「それが、よく意味が理解出来ないんだが、ペグム村のセニョール・サラスからの伝言で、『蛇の尻尾』と言えば、君達にはわかる、って・・・彼女も意味がわからないので、それだけだ。」
「蛇の尻尾?」

 サラス氏についての情報はデネロスによって”心話”で少佐に報告が行っている。だからデネロスはロホとステファンにそれぞれ情報を分けた。だが少佐も2人の大尉もキョトンとしただけだった。しかし、ペグム村で雑貨店主の話を聞いていたアスルは反応した。

「チクチャンか?」
「はぁ?」

 テオは彼を見た。ギャラガが説明した。

「マヤ語で蛇のことです。」
「マヤ語? セルバの言葉じゃなく?」
「スィ・・・」

 ギャラガも少し困ってアスルを見た。言葉は知っているが、それが今回の捜査と何か関係があるのか?と目で問いかけた。アスルが少佐に顔を向けて言った。

「アスクラカンの市役所で、アルボレス・ロホス村の元住民を調べました。」

 少佐が頷いた。アスルは続けた。

「役所では最後に住んでいた住民の家長の名前と家族の人数が住民台帳に残っていました。全部で16家族、その中にチクチャンと言うマヤ風の名前の一家がいました。」
「マヤ族がいたのですか?」

 少佐が意外そうな顔をした。テオも仲間達も驚いた。マヤ族はセルバに殆どいない。アスルは役所の係にマヤ族が住んでいたのかと訊いたそうだ。しかし、役人は知らなかった。

「その役人はアルボレス・ロホス村のことを何も知りませんでした。それでダム工事の頃を知っている職員を探してもらいました。それで時間を食ってしまって・・・」



2022/09/18

第8部 探索      18

  夕刻、テオは西サン・ペドロ通りのアパートに電話をかけて、家政婦のカーラに帰宅時刻を告げた。夕食の予定を伝えるためだ。するとカーラが言った。

「今夜は少佐と大尉がお2人、それに中尉と少尉がお2人、ドクトルで計7名ですね。」

 テオはざっと計算するまでもなく、全員が揃うのだと悟った。

「みんな帰って来たんだね! 全員で食事するんだ?」
「スィ、少佐からそう指示がございました。」

 嬉しくなってテオは真っ直ぐ帰ると彼女に告げた。大学の駐車場で車に乗り込み、エンジンをかけたところで、宗教学部のウリベ教授が彼に向かって手を振っているのが見えた。彼は窓を下ろした。教授が駆け寄って来た。

「オーラ、ドクトル・アルスト!」

 彼女が彼の車の窓枠に手をかけた。

「ペグム村のセニョール・サラスから電話がありましたよ、あなたか女性少尉に伝えて欲しいって・・・」
「何です?」

 テオはデランテロ・オクタカスから遺跡へ行く途中の小さいが賑わっていた集落を思い出した。サラス氏は雑貨店の店主で、オスタカン族の末裔だった。何者かに神像のことを質問されたのだが、相手の顔も質問内容も覚えていないと証言した男性だ。”操心”にかけられて記憶を消されたのだ、とデネロス少尉は結論づけた。そのサラスが今頃何だろう。
 ウリベ教授が囁いた。

「私には意味がイマイチわからないんですけど、”蛇の尻尾”って言えばわかってもらえる、と彼は言いました。」
「”蛇の尻尾”?」

 テオはキョトンとした。

「俺達がその言葉で何かわかると、サラスは言ったんですね?」
「スィ。」

 ウリベ教授は窓から離れた。

「あなた方は私にお呪いのことを訊いて来られたでしょう? きっとその言葉もお呪いに関係しているのよ。」

 テオは頷いた。

「その様ですね。文化保護担当部に伝えておきます。グラシャス!」
「グラシャス! また明日!」

 現れた時と同様に消える時もバタバタとウリベ教授は走って行った。まだ仕事が残っているのだろう。電話でも良かったのに、と思いつつ、テオは車を出した。



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...