2022/10/28

第8部 シュスとシショカ      7

  ムリリョ博士が突然囁いた。

「女は白人に嫁いだのか?」

 テオは博士を振り返り、ハッとした。ムリリョ博士は純血至上主義者だ。同じマスケゴ族の旧家の娘が白人と婚姻するのを良かれとは思わない。
 ケマ・シショカ・アラルコンが俯いた。

「スィ・・・彼女は一族の秘密を守ると家族に固い約束をして、白人の妻になりました。しかし、家族の半数は納得しなかったのです。」

 ムリリョ博士の顔に「当たり前だ」と書かれているのをテオは見た。ケマは辛そうな顔になった。

「彼女は身籠もり、出産直前に突然亡くなりました。お産の為に実家に帰れと家族は言ったのですが、夫が承知せず、彼女を病院に入れました。しかしそこで彼女は死んでしまったのです。そして・・・」

 ケマは声を震わせた。

「彼女の家族は、彼女の死を悲しまなかった・・・遺体を引き取ることもなく、彼女は夫の家族の墓地に葬られました。カスパル叔父は彼女を引き取るように家族に訴えたのですが・・・」

 テオは疑念を抱いた。彼女の死因は何だったのだろう。”砂の民”に粛清されたのか? それとも彼女は秘密を守れなくなることを恐れた家族の誰かに抹殺されたのか? 
 ケマはさらに恐ろしい話を始め、テオを驚かせた。

「白人の夫もそれから半年後に事故で亡くなりました。その時、彼の遺産が全て妻の母親に相続されるように遺言状に書かれていることが判明しました。」
「白人の親族は反対しただろう?」
「それが当然だと思われたのですが、誰からも異議が出なかったのです。だから遺産は全て私の母方の祖母の姉妹の子供達が相続しました。そして家族は破産から免れたのです。」

 テオは背筋が寒くなった。それって、”ヴェルデ・シエロ”の超能力を使った犯罪ではないのか? 彼はムリリョ博士を見た。そしてムリリョ家の繁栄の歴史を思い出した。ムリリョ博士の伯父になる人はセルバ共和国独立の時、白人の建設会社の経営権を白人から譲られたと言っていた。そこに何も超能力は使われなかったのだろうか。いや、この際ムリリョ家のことは置いておこう。シショカ・シュスの一家の話だ。

「カスパル叔父は、家族が娘を殺し、娘の夫を殺し、その親族を”操心”で動かして財産を乗っ取ったのだと考えました。だから、族長選挙で・・・」

 突然ムリリョ博士が咳払いして、ケマがハッとした表情で口を閉じた。部族の族長選挙の話は”ヴェルデ・シエロ”同士でも他部族に口外してはならないのだ。ましてやテオは白人だ。
 ケマは言葉を探し、何とか説明を続けた。

「叔父は死んだ恋人の家族を部族の政治から締め出そうと運動しました。しかし勢いを盛り返した家族には歯が立たなかった。叔父は禁断の手段を用いて復讐を果たそうとしたのです。」
「それで建設省にアーバル・スァットの神像を送りつけたのか?」

 酷く的外れな感じがした。恋人を死なせたのは母親の従兄弟の家族で、イグレシアス大臣もセニョール・シショカも関係ないだろう。

「叔父がどんな思考回路で動いているのか、私にはわかりません。」

 ケマが苦しそうに言った。

「私は、シショカの元締め様にお会いして、何が起きているのかを説明して、叔父を死刑から救って欲しい、それだけです。」

 するとムリリョ博士がテオに顔を向けた。

「チャクエクと会うことがあるか?」
「残念ながら3回しか会ったことがありません。どちらも彼は不機嫌でした。俺の仲介で人に会うとは思えません。」

 ムリリョ博士はまともにケマ・シショカ・アラルカンを見た。

「チャクエク・シショカは正しい処分しか行わぬ。彼は既に調査に入っているだろう。お前は何もしない方が身のためだ。」
「叔父は・・・」
「大罪を犯したかも知れません。」

とテオが言い、ケマは彼を振り返った、目に涙が溜まっていた。叔父が好きで心配で堪らないのだろう。

「どんな大罪です?」

 若者の質問に、ムリリョ博士が答えた。

「カスパルが殺したいと思っている人間達が白人の家族に対して行ったのと同じ罪だ。」


第8部 シュスとシショカ      6

 「つまり、大統領警護隊に捕まっているカスパル・シショカ・アラルコンは君の母方の叔父さんに当たる訳ですね?」

 テオは慎重に尋ねた。セルバ先住民にとって親戚関係の順位は重要だ。それは”ヴェルデ・シエロ”でも”ヴェルデ・ティエラ”でも同様だった。子供にとって母方の叔父は父親と同等の関係になる。ケマは頷いた。

「叔父は若い頃から一族の習慣に従わず、殆ど実家に帰らない人でした。しかし、私には時々会ってくれて、遊んでくれる優しい叔父だったのです。その叔父は実家とは疎遠になっていましたが、シュスの家族とは親しくしていました。つまり、私の母方の祖父の家ですが・・・」

 最後の説明はテオの為だろう。テオは頭の中に家系図を描かなければならなかった。そして妙なことに気がついた。

「君の両親は同母姉妹の子供で従兄妹同士だと言いましたね? それなら父方のお祖母さんはシショカの名前を継いでいる筈ですが、アラルコンを名乗っていたのは何故です?」

 するとムリリョ博士がぶっきらぼうに言った。

「アラルコンの養女になったからだ。尤も父親がアラルコンだからな。同母姉妹はどちらもシュスの男と結婚した。シショカの家の伝統だ。そしてペドロに姉妹がいれば、その姉妹がアラルコンを継ぐ。」
「スィ、仰せの通りです。」

 ケマはちょっと溜め息をついた。

「私には父方の叔母が3人いました。2人は子供の頃に亡くなっていますが、1人残っていて、その人がアラルコンを継いでいます。ああ、すみません、本題から逸れています。私が相談したいのは、母方の親族のことなのです。」
「シショカ・シュス?」
「スィ。母方の祖母には同母同父の姉がいて、その人に子供が4人います。男が3人、女が1人、母の従兄弟達です。彼等が10年以上前に、ある政府の事業に投資しました。森林の奥地を開墾して農場を造るプロジェクトで、軌道に乗ればそこにゴム園を造ることになっていました。ところがその企画が頓挫してしまいました。開墾地が泥に埋まって・・・」
「もしかして、アルボレス・ロホス村?」

 テオの言葉に、ケマが目を見開いた。

「ご存知なのですか?!」

 テオはムリリョ博士をチラリと見た。博士は無表情でケマを見ているだけだった。テオは言った。

「知っている。だけど説明は後でします。先に君の話を聞きましょう。」

 その方がムリリョ博士を苛つかせずに済む。ケマは頷いた。

「母の従兄弟達は開墾地が泥に埋まった原因を、川に建設された低いダムのせいだとして、訴えを起こしたのですが、裁判所は受け付けてくれず、一家は大損をしたまま、悔し涙を飲みました。私の叔父のカスパルは母の従兄弟の一家と懇意にしており、一家の娘の1人と婚約もしていました。しかし一家が没落すると、その彼女は家を出てしまい、白人の男と付き合うようになりました。彼女にとって家族を救うために金のある白人を夫に選ぶ方が、金のないカスパル叔父との結婚より大事だったのです。」

 なんだか聞いた話と違うぞ、と言うのがテオの正直な感想だった。カスパル・シショカ・シュスは族長選挙に絡んで何かを企んでいたのではないのか? だが”ヴェルデ・シエロ”を含めたセルバ人は結構周りくどい言い方で物事を説明する。彼は我慢して聴くことにした。

 

2022/10/26

第8部 シュスとシショカ      5

  ケマ・シショカ・アラルコンは、右手を左胸に当てて、もう一度挨拶した。

「ケマ・シショカ・アラルコン、父はペドロ・アラルコン・シュス、母はロセ・シショカ・シュス、グラダ・シティ西文化センターで職員をしています。」

 グラダ・シティの「文化センター」と言うのは、低所得者層対象のカルチャー教室や庶民のスポーツ団体などが安価で事務所や部屋を借りられる施設だ。大きな体育館か倉庫の様な建物で、内部に利用料金に合わせた広さのスペースがいくつか仕切られている。曜日によって仕切りの位置が変わることもあるので、入り口の事務所で利用者はその日自分達のグループの場所を確認する。そこの職員と言うことは、その事務所で働いていて、スペースの調整や料金の算定、徴収をしている市の職員と言う意味だ。

 ケマ・シショカ・アラルコンはゆっくりとデニムのポケットから財布を出し、身分証を出してテーブルの上に置いた。テオはそれを見たが、ムリリョ博士が見たかどうかはわからなかった。
 ややこしいが、ケマはシショカと名乗っているが、シュスの子孫だ。父系の先祖がシュスと言うべきか。
 テオはムリリョ博士に説明した。

「俺が博士をお呼びした要件はさっきの件でした。こちらの人は、俺に用事があって来たと言っていました。チャクエク・シショカに会いたいそうです。でも俺はセニョール・シショカの友人でも知人でもありません、と彼に告げたところでした。」

 ケマがムリリョ博士に頭を下げて言った。

「突然の訪問の無礼をお許し下さい。私はどうしてもチャクエク・シショカに会わなければならないのです。私の家族の命が掛かっています。」

 テオは思わずムリリョ博士を見た。ムリリョ博士も珍しくテオを見た。テオは博士から「お前に任せる」と言われた様な気がした。だからケマに質問した。

「君の家族は何か一族に反逆するようなことをしたのですか?」

 ケマがパッとテオを振り返った。明らかに驚愕していた。白人が一族に関する秘密を知っている様なことを言ったからだ。テオはさらに質問した。

「もしかすると、現在大統領警護隊に捕まっている3人と関係あるのでしょうか?」

 ケマ・シショカ・アラルコンの顔が気の毒な程白くなった。恐怖に襲われている。このまま倒れるのではないか、とテオは心配になった。彼は空いている椅子を指した。

「そこに座りなさい。落ち着いて説明して下さい。博士も俺も怒っていませんから。少なくとも、君に対して怒りを覚えることはまだ何も聞いていないし、君の家族の説明も何も聞いていません。」

 テオは自分の水のグラスをケマの前に置いた。ムリリョ博士が目で飲めと合図したので、ケマはそれを手に取り、グイッと水を仰ぎ飲んだ。
 飲み干すと深呼吸して、若者は2人の年長者を見た。

「申し訳ありません、緊張して・・・」

 彼はもう一度深呼吸した。

「私の両親は同じ女性を母に持つ異父姉妹から生まれた従兄妹同士です。」

 テオはムリリョ博士がムッとするのを感じた。異父姉妹と言うのは同母姉妹であるから、”ヴェルデ・シエロ”社会ではその子供同士も同母兄弟姉妹扱いされるのだ。つまり、近親婚と見做されるカップルの子供が、ケマと言うことになる。だが近親婚は”砂の民”の粛清の対象にならない。だからケマは恐縮する必要がないし、現代社会で蔑まれることもない。しかし、テオはケマの母親の名前を思い出した。

「君の母親は、今大統領警護隊に捕まっている男と近い血縁関係にあるのか?」

 ケマが目を伏せた。

「母と同母の弟です。」

 その時、ムリリョ博士がテオに囁いた。

「チャクエクは、シショカを名乗る全てのマスケゴの総元締めなのだ。シショカ達は祖先を辿ると全員がチャクエクの直系の祖先に行き着く。」



2022/10/23

第8部 シュスとシショカ      4

  目上の人の目の前で逃げ出すと言うのは、大変失礼なことだ。そしてそんな振る舞いを一度でもしてしまうと、以降の部族社会では決して尊重してもらえなくなる。ケマ・シショカ・アラルコンはその場に立ち竦んだまま、ムリリョ博士が近づいて来るのを待った。テオは口元を紙ナプキンで拭って立ち上がった。そして博士がテーブルに十分近づいた頃合いを測って、右手を左胸に当てて挨拶した。

「突然のお呼び出しと言う無礼をお許し下さい。」
「いつものことだろう。」

 ムリリョ博士は怒っている風に見えなかった。ケマ・シショカ・アラルコンを無視して、若者が直前迄座っていた席に腰を降ろした。まだケマ・シショカ・アラルコンが突っ立ったままだったので、テオは仕方なく紹介した。

「ご存知かも知れませんが、ケマ・シショカ・アラルコンです。俺とは今日が初対面です。」

 ムリリョ博士が目下の人間を無視するのはいつものことだ。若者に一瞥さえくれずに、テオを真っ直ぐに見た。

「要件は何だ?」
「この場所で話すべきではないと思うのですが・・・」
「構わぬ、誰も聞き耳など立てておらぬ。」

 ムリリョ博士はいつも強気だ。仕方なくテオは語り始めた。

「一昨日から昨夜にかけて、大統領警護隊文化保護担当部が、ピソム・カッカァ遺跡からアーバル・スァットの神像を盗み出したアラムとアウロラのチクチャン兄妹を本部へ保護しました。彼等の証言から、彼等を唆して神像を盗ませ、建設省に送りつけさせた男を遊撃班が確保して、これも本部に捕まえています。勿論、この話は全て貴方はご存知でしょう。遊撃班が捕まえた男は、貴方の部族の族長選挙に何らかの介入を試みたのだと思います。
 部外者が貴方の部族の中の政治に口出し出来ないことは知っています。しかし民間人が1人重傷を負わされています。他部族の人にも迷惑を掛けた様です。彼等に何らかの償いをしてもらえるのでしょうか? 遊撃班が捕まえた男は『大罪人』だと言われています。処罰は貴方方社会の中で行われ、迷惑を掛けられた民間人には何もないと言うのは、俺には納得いきません。それは文化保護担当部も、診療所の医師も同じだと思います。」

 ムリリョ博士が白く長い眉毛の下からテオを見ていた。

「爆裂波を喰らって頭を怪我した遺跡の警備員は、ブーカ族の長老の力で一命を取り留めたと聞きました。しかし完全に元の体に戻ることは難しいでしょう。彼には家族がいる筈です・・・」
「襲われた者は気の毒だった。」

と博士が囁くように言った。

「しかし、我々には白人社会の様な賠償責任や補償と言ったしきたりも慣習もない。だから罪人に襲われた男に償う機会を罪人に与えることはない。」
「それでは・・・」
「聞け。」

 ピシャリと言われて、テオは口を閉じた。長老の話を遮ってはいけないのだ。そしてこの場面では、テオの不作法を取りなしてくれるケツァル少佐はいないのだった。
 ムリリョ博士が続けた。

「襲われた男を雇ったのは、オルガ・グランデのアントニオ・バルデスだ。バルデスの会社は金を持っている。バルデスの会社は遺跡の警備員の安全に責任がある。だから、アンゲルス鉱石が男の面倒を見る。」

 アントニオ・バルデスの義務の話をしているのではない。ムリリョ博士は、バルデスに警備員のこれからの生活の補償をさせると言っているのだ。それが”ヴェルデ・シエロ”流の賠償責任の取り方だった。オルガ・グランデにはマスケゴ系のメスティーソが多い。彼等はグラダ・シティに移住した主流派のマスケゴ族達に現在でも忠誠を誓っている。一般人が”ヴェルデ・シエロ”に歯向かうなら、彼等が動くのだ。だからオルガ・グランデでは首都よりも”ヴェルデ・シエロ”を恐れる人が多い。どこで誰が耳をそば立てているかわからないから。
 テオは「グラシャス」と言った。族長が交代しても、今の族長の命令は生き続ける。それが彼等の掟だ。

「バスコ診療所がアラム・チクチャンの手当をした治療費は・・・」
「それはチクチャンが払うべきだ。」

 そう言ったのは、ケマ・シショカ・アラルコンだった。彼の存在を忘れていたテオはびっくりして、テーブルのそばに立っている若者を見上げた。ケマ・シショカ・アラルコンは頬を赤く染めた。

「不作法な真似をしました。申し訳ありません。」

 彼はムリリョ博士に謝罪した。博士が初めて彼に気がついたかの様に、上から下まで彼をジロリと見た。

「何者か?」

 そうだ、このケマ・シショカ・アラルコンは何者なのだ? テオも知らなかった。



第8部 シュスとシショカ      3

  テオがテーブルに着くと、男も対面に座った。テオは右手を己の左胸に当てて挨拶して見た。

「テオドール・アルスト・ゴンザレスです。貴方のお名前を伺ってもよろしいですか?」

 すると男も同じ動作をして、少しタバコで掠れた様な声で挨拶した。

「ケマ・シショカ・アラルコン、ここの学生ではありません。」

 しかし彼の手は綺麗で肉体労働者の手に見えなかった。何か事務系の仕事をしているのだろうか。テオはそっと尋ねてみた。

「シショカと言う名を名乗られていると言うことは、マスケゴ族ですね?」
「スィ。」

 ケマ・シショカ・アラルコンは頷いた。

「どんな御用件ですか?」

 テオは食べ始めた。出来るだけリラックスして応対していたかった。食べながら対応するのは相手に失礼だと思ったが、彼の方が年上だと思われたし、ここはテオのテリトリーだ。セルバ人の男性は見知らぬ相手と対峙する場合、出来るだけ己の方が優位に立っていると思わせたがる。シショカ・アラルコンも教室で彼を見つめて無言の圧を掛けたのだ。しかしテオにまともに目を見つめられ、思わず視線を逸らしてしまったことで、テオに優位に立たれてしまった。
 シショカ・アラルコンは1分程黙っていたが、やがて口を開いた。

「チャクエク・シショカに会わせてください。」

 テオはフォークを持つ手を止めた。思わず尋ねた。

「誰?」
「チャクエク・シショカ・・・」
「聞こえた。それは誰なんです?」

 ケマ・シショカ・アラルコンは彼の手元を見つめた。アメリカ人なら目を見つめたのかも知れない。若者が辛抱強く言った。

「貴方がご存知のシショカです。」
「俺が知っているシショカは建設大臣の私設秘書の・・・」

 言いかけて、テオは気がついた。セニョール・シショカの本名なのか? ケマ・シショカ・アラルコンはテオの言葉を否定せず、黙って見返しただけだった。テオはフォークを皿に置いた。

「参ったな・・・俺は彼が働いている場所を知っているが、彼個人とは知り合いじゃないんですよ。」

 恐らく、あのシショカの友人なんていないだろう。ムリリョ博士やケサダ教授ならセニョール・シショカの私生活を少しは知っているだろうが、彼等がこの若者の要求に応えると思えなかった。

「俺が建設省に行っても、貴方がそこに行くのと同じ対応しかしてもらえないでしょう。否、貴方なら会ってもらえるかも知れないが、俺は無理ですよ、行政上の用事がない限りは。」

 ケマ・シショカ・アラルコンが悲しそうな表情になったので、テオはちょっと考えた。

「俺は貴方の部族の族長に面会を求めていて、もしかするとこのシエスタの時間に彼から連絡が入るかも知れません。其れ迄ここで待ちますか?」

 すると、ケマ・シショカ・アラルコンは慌てて立ち上がった。

「否、それは・・・」

 彼はふと顔をカフェの入り口へ向けた。そして顔面蒼白になった。フリーズしてしまった若者を見て、テオはその視線を辿った。丁度カフェの中へファルゴ・デ・ムリリョ博士がゆっくりと入って来るところだった。



2022/10/22

第8部 シュスとシショカ      2

  テオはアパートのバルコニーでフェンスにもたれかかって夜風に当たっていた。グラダ・シティの夜は遅くまで賑わうと言っても、最近は電力事情もあって早く消灯される。明るい場所は少なくなっていた。尤も”ヴェルデ・シエロ”の血を持つ人々は夜目が利くので余り問題ないだろう。
 ケツァル少佐は遅く帰って来たが、夕食は一緒に取った。そして短く彼に捜査状況を話してくれた。

「神像を盗んだ連中は全員捕まりました。後は事件の背景を司令部が調査します。」
「それじゃ、君達はもうお役御免なのか?」
「そう言うことになるでしょう。」

 彼女がその状況に満足していないことを、雰囲気でテオは悟った。恐らく文化保護担当部の友人達全員が満足していない。だが彼等は軍人で、上から「ここで終わり」と言われれば従うしかない。それなら・・・
 テオは携帯電話を出した。彼からかけても決して出てくれない人物の番号にメッセージを送った。お会いしたい、と。
 その夜は何も返信がなかった。少佐が寝室に去ったので、彼も自室に戻り、ベッドに入った。族長選挙に絡む部族内の内輪揉めが彼の生活に影響すると思えない。しかしムリリョ家やケサダ家が無事に過ごせる確信がなければ、彼は安心出来なかった。ただのお節介だろうけど。
 翌朝、まるで何事もなかったかの様に、普通に起床したケツァル少佐は、普通に朝食を作ってテオを起こした。

「今朝は俺が朝食当番じゃなかったか?」

 テオが指摘すると、逆に朝寝坊を指摘されてしまった。彼が食べている間に身支度を済ませた彼女はいつもの時間に出勤して行った。
 テオは授業が始まる半時間前に大学に出た。研究室で素早く準備して、教室に行くと、学生達の中に見慣れぬ顔の男がいた。たまに医師や別の学校の研究者などが聴講生として来るので気にせずに講義をして、午前中のスケジュールを終えた。
 講義が終わると熱心な学生にいつもの如く取り囲まれ、質疑応答の時間を持った。テオにとって、少々煩わしいが楽しい時間だ。好きな遺伝子分析の話を思い切り出来るのだから。喋り疲れた頃に昼休みになった。学生達が去って行く後ろで、先刻の見知らぬ男がまだ座っているのが見えた。先住民だ。テオはドキリとした。マスケゴ族だろうか。
 男は学生といくらも変わらない年齢に見えた。ラフなTシャツにデニムのボトム姿だ。足にはスニーカー。学生だろうか? それにしてはノートもタブレットも持っていない。
 テオは敢えて相手の目を見た。セルバでは目を見るのは不作法とされている。だが本当は「神」である”ヴェルデ・シエロ”に心を支配されないための防衛策だと、テオは解釈していた。そして”ヴェルデ・シエロ”の立場から言えば、相手の目を見ることは攻撃を意味していた。
 果たして、男は一瞬ギョッとして目を逸らせた。テオは声を掛けた。

「何か御用ですか?」

 男は躊躇った。学生達がまだ数人教室の中にいたからだ。テオは書籍やノートを鞄に仕舞い、ラップトップも仕舞い込んだ。そして余裕を持っているふりをして言った。

「これから昼食です。話があればカフェで聞きますよ。」

 彼が出口に向かって歩き出すと、男はゆっくりと立ち上がった。そして少し距離を開けてついて来た。大学内のカフェは学生や職員で賑わっていた。テオはテラス席に空席を見つけ、椅子の上に職員証を置いた。これで学生達に席を横取りされずに済む。それから配膳カウンターへ行った。男は彼が確保したテーブルのそばに立っていた。
 テオが周辺を見たところ、考古学部の学生も職員も見当たらなかった。恐らくまだ講義が終わっていないか、外へ実習に出掛けているのだ。初対面の男とトラブルになった時は独力で対処しなければならない、と彼は覚悟を決めた。

 

2022/10/19

第8部 シュスとシショカ      1


  大統領警護隊遊撃班はグラダ東港で荷運び人夫の元締めをしていたカスパル・シショカ・シュスを囲い込んで生け捕った。”ヴェルデ・シエロ”を捕らえるのは”ヴェルデ・シエロ”にとっても危険行為だ。特に人間に対して爆裂波を使用した経験がある人間は用心しなければならない。遊撃班はカスパルを追い詰めると抑制タバコの吸引を強いた。ある種の植物から製造された抑制タバコは”ヴェルデ・シエロ”の脳波を鈍らせ、一時的に超能力を使えなくしてしまう。カスパルは逃げられないと悟るとタバコを一気に吸い込み、意識朦朧となった。そして大統領警護隊本部の地下にある「留め置き場」の一つに軟禁されていた。

 司令部ではカスパル・シショカ・シュスの犯行を、個人的なものか、組織的なものか、感情的なものか、政治的なものかと判断を話し合った。アラム・チクチャンとアウロラ・チクチャンの証言を照らし合わせると、チクチャン兄妹はただ感情的に、ダム建設で故郷を追われ肉親を失った悲しみで、「建設大臣」を恨んでいたと思って良さそうだ。そこにカスパルが付け入った訳だが、それが彼単独の考えなのか、それとも誰かと共謀したことなのか、尋問の必要があった。
 目下の問題は、抑制タバコの影響が消える迄、尋問側は何も出来ないと言うことだ。
 セプルベダ少佐は司令部に行って、戻って来ない。副指揮官のステファン大尉は部下達に夜の休憩を取るよう指示を与え、囚人の見張りを警備班に任せて彼も官舎へ戻った。大尉なので個室だ。入隊以来ずっと大部屋で暮らし、文化保護担当部に配属されて初めて隊の外に出て、アパートを借りた。お陰で1人部屋に慣れた。そしてふとつまらないことを思った。後輩達は昇級や退官後、1人で眠れるだろうか?と。
 カルロ・ステファンの後輩で同じく官舎に住んでいるマハルダ・デネロス少尉は眠らなければならない時刻になっても目が冴えてしまって、食堂へ行った。食事は無料だが、間食は有料で1日1回と制限がある。空腹でなく喉が渇いたのだ。水なら好きなだけ飲ませてもらえる。
 厨房の配膳カウンター横に給水器が設置されている。正しくは給水場で、地下水が絶えず小さな穴から流れ出ているのだ。だから水は無料なのだった。備え付けのアルミのカップに水を汲んで喉を潤した。今回の事件捜査の流れに彼女は満足していなかった。折角デランテロ・オクタカス迄行って調査したのに、神像窃盗犯は自らバスコ診療所に現れて、あっさり捕まった。彼女の活躍する場面はなく、男達だけが関わった感じで、彼女は置いてきぼりを食った思いだった。

 確かに私は力が弱いし、実戦経験もない。だけど物事が動く時はどうして除け者なの?

 空になったカップを食器返却棚に置いた時、後ろから声をかけられた。

「眠れないのか、少尉?」

 振り返ると、遊撃班のファビオ・キロス中尉が立っていた。普段顔を合わせることがない男だが、たまに通路などで出会うと優しい目で黙礼してくれたり、食堂の列で順番を譲ってくれたりする。彼女が兄の様に慕っているカルロ・ステファンとよく行動を共にしているそうだし、文化保護担当部に度々助っ人に来るエミリオ・デルガド少尉ともコンビを組むことも多いらしい。だが個人的に言葉を交わしたことはなかった。大統領警護隊の中では、”ヴェルデ・シエロ”の男女間の礼儀作法と言うものは殆ど簡略化されているか無視されているのだが、部署が異なれば同じ大部屋にいても言葉を交わさない。大統領警護隊に女性用の部屋はなく、大部屋で男女一緒に生活している。但し、女性は部屋の中の一角に固まって寝起きするスペースを与えられていた。
 相手が中尉なので、デネロスは丁寧に答えた。

「喉が渇いたのです。すぐに部屋に戻ります。」

 ところがキロス中尉は食堂の窓がある壁を顎で指した。

「今夜は月が綺麗だ。少し見ていかないか?」

 デネロスは時刻を考え、「10分ほどでしたら」と答えた。キロスが微かに苦笑した。
 2人は窓枠に少し間隔を空けて並びもたれかかった。確かに満月が明るく空に浮かんでいた。デネロスはキロスが誘った真意を計りかねて、無難な話題を出してみた。

「今日捕まえた男は、やっぱりピソム・カッカァ遺跡で警備員に爆裂波を食らわせた大罪人ですか?」
「先に捕まえた兄妹の『心』の中にあった顔と同じだから、間違いないだろう。」

 キロスはグラダ東港での捕物に参加したのだ。

「抵抗しました?」
「ノ、私達が取り囲んだら、観念してあっさり拘束された。腕力はありそうだが、爆裂波の強さでは我々の方が上だからな。」

 彼は純血のブーカ族だ。軍人を代々輩出している家系の出だった。だからデネロスには彼が常に自信に満ちている様に聞こえた。

「私の様なミックスでは敵わなかったでしょうね。」

 彼女が自嘲気味に呟くと、彼が振り返った。

「そうか? 力の使い方次第では、君だってあいつと互角に戦える筈だ。あいつは素人で、君はプロの軍人じゃないか。」

 デネロスは頬が熱くなるのを感じた。そんな風に言われたことは今までなかった。

「実戦経験がないのです。」
「ケツァル少佐は毎週軍事訓練を行なっておられるだろう?」
「そうですけど・・・私はまだ命懸けの場面を体験したことがありませんので。」

 大統領警護隊の訓練は実弾射撃を伴うのが常だが、”ヴェルデ・シエロ”にとって、それはまだ遊びのレベルなのだ。キロス中尉が声を立てずに笑った。

「命懸けの場面に遭遇せずに済めば、それに越したことはないさ。誰もそんな体験をしないまま退役年齢に達したいと思っている。」

 デネロスはちょっとびっくりした。そして軍人の家系の出の男を見た。

「キロス家の様な名門の方でもそうお考えなのですか?」
「デネロス家もキロス家も変わりないさ。」

 目が合った。彼女は頬が熱くなるどころか、全身がカッとなる程緊張を覚えた。この感覚は何だろう?
 食堂の入り口の向こうから人の話し声が聞こえてきた。当番が終了した警備班の隊員達がやって来るのだ。

「そろそろ撤収しようか?」

とキロス中尉が残念そうに提案した。デネロスも小さく頷いた。

「そうしましょう、中尉。」

 壁から離れてから、キロスが囁いた。

「またこんな風に話が出来たらいいな。」

 え? とデネロスが改めて彼を見ると、中尉が「おやすみ」と敬礼してくれた。



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...