2022/11/15

第8部 シュスとシショカ      12

  帰宅して、ケツァル少佐の帰宅を待ってから2人は夕食を共にした。少佐がムリリョ博士の自宅訪問が明日の午後8時になったと告げた。

「夕食への招待と言う名目です。」
「じゃ、手土産が要るな。博士はワインなんて飲みそうに見えないけど・・・」
「博士は飲まれなくても、アブラーンは飲みますよ。」

 ムリリョ博士は長男アブラーンとその家族と同居しているのだ。テオはマスケゴ族の家庭に招待されたことがなかったので、ちょっと緊張を覚えた。だがよく考えると、親友のロホやアスルの家族が住む家にも招待されたことがないのだ。

「俺が招待されたことがあるのは、ロペス少佐の家とカルロの実家だけだ。君達の一族はどんな客のもてなしをするんだい?」

 少佐が肩をすくめた。

「特別な儀式などしませんよ。普通のセルバ人の家庭に招かれた時のことを思い出して下さい。料理も特別な物ではないでしょう。」

 それでテオはワインを、少佐は女性の家族の為に菓子を持って行くことにした。食事の準備をしてくれるアブラーンの妻や娘達へのお礼だ。アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは娘2人と息子が2人いると言う話だった。全員ティーンエイジャーで一番上の娘は大学生だ。但し、グラダ大学でなく私立の医学系大学だった。
 おやすみのキスをする時、テオはそっと少佐の手を包み込んだ。一瞬少佐が怪訝そうな表情をしたが、テオは、

「銃を扱っているにしては可愛い優しい手だ。」

と言って誤魔化した。彼女の指のサイズを感覚で測ったとは言わなかった。
 翌日、2人は普段通りに仕事に行った。テオはちょっとウキウキしていた。ムリリョ博士から聞かされるのは物騒な話題だと承知していたが、少佐とお出かけはデートだ。目的がどんなに危険なことでも、彼には楽しみだった。
 シエスタの時間に、カフェでケサダ教授を見かけた。弟子のンゲマ准教授と数人の学生と一緒だった。教授はいつもと変わらず、今夜の食事に彼は呼ばれているのだろうか、とテオはふと思った。政治の話や犯罪の話に、博士は娘婿を巻き込みたくないだろう。それに息子のアブラーンも食事に同席してもその後の話し合いに加わると思えなかった。
 待ち遠しい夕方になると、テオはさっさと仕事を片付け、アパートに帰って着替えた。ケツァル少佐も帰って来て、お呼ばれにふさわしい服装に着替えた。家政婦のカーラは夕食を作る仕事がなかったが、主人カップルが脱いだ服を洗濯すると言ってアパートに残った。

「明日は息子の学校へ出かけるので、出勤が遅くなります。ですから、その分、今夜働きます。」

 仕事熱心な家政婦に、少佐はキスで応えた。
 午後7時にテオは自分の車に少佐を乗せて出かけた。マスケゴ族が多く住む区域は白人の金持ちも住んでいるから、きちんと交差点などには標識があったし信号が設置されているところもある。この斜面に住める人々は裕福なのだ。途中で少佐が窓越しに一軒の階段状の家を指差した。

「あの家は白人の住居です。マスケゴ風の家の形が気に入って真似ているのです。」
「へぇ、見ただけでわかるんだ?!」
「ノ、金持ちの住宅を紹介する雑誌に載っていました。」

 少佐がケロリと言い放ち、舌をペロリと出した。

「自宅を公開したがる人の気持ちがわかりません。強盗においでと言っているような物です。」

 階段状の家は各階に出入り口がある。警備が大変だ。マスケゴ族なら結界を張っているのだろうが、白人や普通のメスティーソは無理だ。セキュリティ会社と契約しているのだろう。
 やがてテオにも見覚えのある大きな家が見えてきた。

2022/11/13

第8部 シュスとシショカ      11

  それから木曜日迄、テオにも大統領警護隊文化保護担当部にも事件の真相解明において何の進展もなかった。退屈な書類審査と近場の遺跡の見回り程度でケツァル少佐と部下達は過ごし、テオは教室で学生達に講義を行った。彼は学部長にヨーロッパでの学会出席を断った。

「学会で発表するような研究も発見もしていないのに、国の金を使って旅行するなんて図々しいことは出来ませんよ。」

と彼は笑った。学部長は、それならアルストが熱心に分析している遺伝子は一体何なのかと疑問に思ったが、言葉に出さないでおいた。この亡命学者は、大統領警護隊と親密な関係にある。そして彼の亡命には大統領警護隊が深く関与している。だから、余計な追求をしてはいけない。
 テオが学部長に言った言い訳は本当だ。テオには世界中の同業者の前で発表するような研究成果を何一つ上げていない。彼が情熱を注いでいる遺伝子の分析は”ヴェルデ・シエロ”のものだ。これは絶対にセルバ国外に持ち出せない。そして、もう一つ理由があった。
 水曜日の夕方、行きつけのバルで偶然シーロ・ロペス少佐と出会ったのだ。少佐は部下と仕事を終えて帰宅前の一杯を楽しみに来ていた。そしてテオを見つけて彼の方から声をかけてくれた。

「学会出席を断られたそうですね?」

と話題を振ってきた。彼は外務省に勤めている亡命・移民審査官だ。テオとアリアナが亡命する時に審査して、本国に「亡命を受け入れて良ろしいかと思われる」と意見書を提出した。そして亡命した後のテオ達の安全を管理する役目も負った。当然、テオがヨーロッパに行くかも知れないと言う話を文化・教育省から聞かされた。そしてテオが学会出席を蹴ったことも知らされた。
 テオは苦笑した。

「学会で偉そうに講義出来ることなんて何もしてませんからね。それに、俺が国外に出る時は護衛が付くでしょう? 人件費とか考えたら、税金の無駄使いです。実績のない学者を守るのに国民の血税を使うことは許されません。」

 ロペス少佐も苦笑した。

「そんなお気遣いは無用です、と言いたいところですが、実際のところ助かりました。貴方を貴方の母国から守るのに何人の護衛が必要かと考えていましたのでね。」
「俺はセルバから出るのが不安なんです。臆病者です。この国で十分です。」

 テオはもう学会のことを考えたくなかった。これ以上喋ると未練がましいと思われると感じたので、話題を変えた。

「アリアナの調子はどうです? 彼女はそろそろ仕事を控えた方が良いと思いますが・・・」
「ご心配なく、来週からリモートで仕事をするそうです。患者のカルテを電子化して自宅で画像診断するそうですよ。私は彼女にもう少し出産準備のことに集中して欲しいのですが。」

 テオは苦笑いした。

「彼女も言い出したら聞かない性格ですから・・・でも子供のことを大切に考えていることは間違いないでしょうから、信じてやって下さい。」
「勿論です。」

 ロペス少佐が部下達の方へ視線を向けたので、テオは彼を仲間に返してやらねば、と思った。

「俺はもう少ししたら帰ります。貴方をお仲間のところへ返さないと・・・」
「では、おやすみなさい。」

とあっさり少佐は退いてくれたが、別れ際にこう言った。

「貴方も早く子供を持ちなさい。ケツァルもそんなに若くないですから。」

 ケツァル少佐が聞いたらアサルトライフルでロペス少佐を撃つんじゃないか、とテオは思い、心の中で苦笑した。


2022/11/12

第8部 シュスとシショカ      10

 「白人と結婚して亡くなった一族の女性ってわかるか?」

 テオが尋ねると、ケツァル少佐はちょっと考えてから、図書館へ行こうと提案した。それで2人で大学内の図書館へ行った。10年近く前の新聞を探した。データ化される前の新聞だから、何年の何月の記事なのかわからない。女性の実家がシショカ・シュスと名乗っていたことはわかっていたから、死亡記事だけを見ていった。
 半時間後に、少佐が一件の記事を見つけた。フェルナンド・ロヴァト・ゴンザレスと言う男性の妻のマリア・シショカ・シュスが亡くなったと言う短い記事で、葬儀日時の告知と共に数行だけ書かれているものだった。テオはタブレットでフェルナンド・ロヴァト・ゴンザレスを検索し、マリアの死後1年のうちにその男性の家が相次ぐ不審死で断絶してしまったことを知った。フェルナンドの遺産は妻の母親が相続し、それに異を唱えたロヴァト・ゴンザレス家が全員死んでしまったのだ。遺産を相続したシショカ・シュス家のことはデータでは追えなかった。恐らくシショカ・シュス家の人間達が記録に残されることを嫌ったのだ。

「シショカ・シュス家って、有名なのか?」

 テオの問いに、少佐は肩をすくめた。

「煉瓦工場を経営していました。煉瓦はあまり使われなくなったので、最近は装飾用タイルを作っています。」
「マスケゴ族だな?」
「スィ。古い家系です。」

 そして、皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「ムリリョ博士達が住んでいらっしゃる同じ谷に住居を構えていますよ。」

 テオは以前ロホ達に連れられて見学に行った斜面の住宅地を思い出した。樹木が多い、日当たりの良い斜面に階段状に造られた風変わりな住居が点在する区画だ。マスケゴ族のグラダ・シティでの集落だ。
 斜面が多い都市では低い位置に金持ちが住み、貧しくなると坂の上に住む傾向にある。坂の上は不便で交通の便も良くないからだ。しかしセルバでは、金持ちが坂の上に住む。低地は暴風雨の時に水没しやすく、敵は低い海岸から攻めてくるからだ。テオや少佐達が住んでいる東西サン・ペドロ通りやマカレオ通りも坂の上に行くほど高級住宅になる。マスケゴの集落も似ていた。少佐はグラダ・シティの地図をタブレットに出して、テオにムリリョ博士の自宅周辺を示した。

「ここが博士のお宅です。シショカ・シュス達はもう少し低い場所に住んでいます。財力の差ですね。でも族長選挙は人望がどれだけあるかを競う訳ですから、財産は関係ありません。」
「金のばら撒きはしないのか?」

 少佐がニヤリと笑った。

「一族は金では票を入れません。撒く人間も受け取る人間も軽蔑されますから。どれだけ一族の役に立てるかが争点です。勿論、お金を一族のために使うのであれば、それは得点を稼ぐことになります。」

 テオは煉瓦工場の経営者達と族長の座を争う人々は何を生業にしているのだろう、と思った。ムリリョ家とシメネス家は建設業者だが、今回候補を出していないと言う。
 ”ヴェルデ・シエロ”は人口が多いと言えない。その一部のマスケゴ族の中の選挙だ。有権者はメスティーソを入れてもそんなに多くない筈だ。

「少佐・・・もしかすると、マスケゴ族の選挙は、シショカ・シュス同士の対決になっているんじゃないか?」

 テオの考えに、少佐がビクッとした。それを思いつかなかったと言う表情だった。彼女は僅か数名しかいないグラダ族の族長で、選挙ではなく、彼女しか純血種がいないからだ。(この際フィデル・ケサダは数えない。)また、彼女が普段接する一族の多くは人口が多いブーカ族で、家系がたくさんある(らしい)。だから少佐も「選挙」と聞いて一般のセルバ社会の選挙の様に考えていたのだ。

「同族の相討ち選挙なのですね・・・」

 カスパル・シショカ・シュスは恋人の仇を討つ目的で神像を盗み、建設大臣を呪い殺そうと企んだ。そして恋人を死に追いやった恋人の実家にも復讐を果たそうとしていた。恋人の実家は彼の同族だ。しかしシショカ・シュス、或いはシュス・シショカの家は他にもあって、カスパルの恋人の実家から出る族長候補と対立しているのではないか。もしカスパルが大罪を犯したとわかれば、恋人の実家は大打撃を受ける。

「カスパル・シショカ・シュスは彼の独断で神像の呪いを利用しようと考えたのだろうか? 族長選挙で彼自身の家系のライバルとなる別の家が、彼を唆して復讐劇を行わせ、彼の家系を貶めようとしているんじゃないだろうか? それなら選挙が絡んでくると言う話に俺は納得出来る。こう言っちゃなんだが、君達の一族は周りくどい形で戦略を考える。自分達が大罪を犯す掟違反をしないよう、他人を動かすんだ。カスパルはチクチャン兄妹を唆して利用したが、カスパル自身も誰かに操られているんじゃないか?」

 テオが考えを打ち明けると、少佐は小さく頷いた。

「大統領警護隊司令部がカスパルに直ぐに裁定を下さないのは、彼の背後関係を調べているからですね・・・」



2022/11/05

第8部 シュスとシショカ      9

  テオはケツァル少佐に電話を掛けた。電話では言えない火急の要件があると言って、彼女に大学へ来てもらった。昼休みの大学は学生たちが自由に歩き回っている。自主的に研究している学生やボランティア活動に勤しむ学生、ただ休憩しているだけの学生。その中を普通の服装で、少佐は学生のふりをしてやって来た。彼女が研究室に入ると、テオはドアを施錠して、彼女にコーヒーを飲むかと尋ねた。彼女は要らない、と答えた。

「それで、要件とは?」

 テオは彼女を学生たちが座る椅子に座らせ、己の机の前に座った。そして、昼休みに現れたマスケゴ族の若者、ケマ・シショカ・アラルコンと、ムリリョ博士との3人の会話を語って聞かせた。
 少佐は話を黙って聞き、そして暫く考えた。

「要約して言えば・・・カスパル・シショカ・シュスの恋人が彼を裏切って白人と結婚して、お産に失敗して死んだ、カスパルはそれを恋人の家族と恋人の夫に責任があると逆恨みした。さらに恋人が彼を裏切った原因は生家の没落であり、その没落の原因はアルボレス・ロホス村が泥に埋もれてしまったから。だから彼はダム建設を推進した建設大臣も恨んだ。」
「スィ。」
「白人の家族は謎の死を遂げ、カスパルは恋人の家族と大臣にも復讐を企んでいる。そのために、アーバル・スァット様の石像をアルボレス・ロホス村の住人だったアラムとアウロラのチクチャン兄妹に盗ませ、建設省に送りつけようとした。しかし、1回目は盗みに利用したロザナ・ロハスが思った通りに動かず、ミカエル・アンゲルス暗殺に使ってしまい、石像は大統領警護隊に回収されてしまった。」
「スィ。」
「もう一度彼はチクチャン兄妹に改めて石像の呪いの使い方を学習させ、2度目の盗みを行った。その際、遺跡の警備員を爆裂波で傷つけてしまった。チクチャン兄妹は建設省に石像を届けたが、何も起こらない。そこでカスパルに利用されたと悟り、仲違いして、カスパルに殺されかけた・・・」
「概ね、そんなところだ。ムリリョ博士が何も言わないので、マスケゴ族の族長選挙とどう関わっているのかは、俺にはわからない。」
「私にもわかりません。」
「だが博士はカスパルの親戚、つまり恋人の実家に問題ありと睨んだようだ。それが選挙に影響するのか、それとも”砂の民”が動くのか、わからないが・・・」
「”砂の民”の粛清は個人に行なわれることが主です。一つの家族を対象とすると、長老会の審議に掛けられるでしょう。それより・・・」

 少佐が憂い顔で天井を見上げた。

「セニョール・シショカがどこまでこの件を掘り下げて調べたか、です。彼はフリーの”砂の民”です。掟の範囲で自由に行動します。カスパルの恋人の家族全員を粛清してしまう可能性もあります。」
「長老会の審議なしで、そんなことが出来るのか?」
「それをするから、一匹狼にならざるを得なかったのだと思いますよ。そして彼が一族の人々から恐れられる存在になった原因でもあります。長老会も彼が掟の範囲内で行動するので罰することが出来ないのです。」

 テオは溜め息をついた。

「ケマ・シショカ・アラルコンは、セニョール・シショカをシショカ一族の総元締程度にしか認識していないんだ。シショカに”砂の民”への仲介を頼もうとしている。あの若者は叔父のカスパルを死なせたくないと言っていた。父親同然の存在だったから。」
「シショカは・・・と言うより、良識ある我が一族の大人達は、大罪を犯した人間を温情で助けるなど、生やさしい扱いをしません。大罪は大罪です。減刑はありません。ただ、カスパルに襲われた警備員は命を取り留めました。その点は考慮してもらえるかも知れませんね。」

と言いはしたが、ケツァル少佐は、その「考慮」が生きたままワニの池に放り込まれるのではない、別の処刑方法になる、とは言わなかった。テオを悲しませたくなかった。


2022/10/29

第8部 シュスとシショカ      8

  ファルゴ・デ・ムリリョ博士はテオに向かって言った。

「神像を盗み汚そうとした男は、今大統領警護隊の手の中にいる。誰も彼に手を出せないし、彼に裁きを与えるのは大統領警護隊と長老会だけだ。
 しかし、彼が結婚を望んでいた女の家族が実際に何をしたのか、そこまで大統領警護隊はまだ解明させていない。」

 それ以上博士は言及しなかったが、テオにはその先が分かった。”砂の民”の調査が早ければ、そしてカスパル・シショカ・シュスの考えが正しければ、早晩その家族は粛清を受ける。大統領警護隊の手が届く前に。ケマ・シショカ・アラルカンはセニョール・シショカの裏の顔を知らない。シショカ一族の長だと言う認識しかない。セニョール・シショカに頼んで”砂の民”に叔父カスパルの命乞いをしようと思っているのだ。セニョール・シショカが大統領警護隊の間では有名な”砂の民”であることも、目の前にいるムリリョ博士が”砂の民”の首領であることも知らないのだった。
 テオにはムリリョ博士が実際はどこまで事実を掴んでいるのか分からなかった。訊いても答えてくれないだろう。
 テオはケマにこう言うしかなかった。

「残念ながら、俺達は君の叔父さんを助ける手助けになりません。一般の法律が及ばないところの出来事に、俺達は手を出せないし、恐らくセニョール・シショカも動けないでしょう。」

 ケマ・シショカ・アラルコンは黙って立ち上がった。そして両手を組んで顔の高さに上げ、顔をやや俯き加減にして別れの挨拶をすると、くるりと向きを変え、カフェから出て行った。
 テオはその後ろ姿が人混みの中に消えるのを見送り、それから博士に向き直った。博士が言った。

「またお前は我々の厄介ごとに首を突っ込んでおるようだな。」

 テオは肩をすくめた。

「大統領警護隊の少佐と同居しているんですよ。友人も大統領警護隊です。嫌でも何かしらの情報が聞こえてきます。」
「ケツァルとその子分どもは結果を知らされずに事が済まされることに不満だろうな。」
「ある程度割り切っているようですが・・・俺の方が不満かも知れません。」

 博士が時計を見た。カフェの天井に近い位置に設置された大時計はまだ午後の休憩時間であることを示していた。

「先刻の会話は、儂の結界内で行われた。外の人間には聞こえておらぬ。もし何か知りたい事があれば、木曜日の夜に儂の家に来ると良い。但し、お前とケツァルだけだ。」

 思いがけない自宅への招待だ。テオはびっくりした。

「では、彼女と相談してから、お電話します。」

 木曜日まで2日だ。その間に”砂の民”は何らかの結論を出すのだろう、とテオは予想した。

2022/10/28

第8部 シュスとシショカ      7

  ムリリョ博士が突然囁いた。

「女は白人に嫁いだのか?」

 テオは博士を振り返り、ハッとした。ムリリョ博士は純血至上主義者だ。同じマスケゴ族の旧家の娘が白人と婚姻するのを良かれとは思わない。
 ケマ・シショカ・アラルコンが俯いた。

「スィ・・・彼女は一族の秘密を守ると家族に固い約束をして、白人の妻になりました。しかし、家族の半数は納得しなかったのです。」

 ムリリョ博士の顔に「当たり前だ」と書かれているのをテオは見た。ケマは辛そうな顔になった。

「彼女は身籠もり、出産直前に突然亡くなりました。お産の為に実家に帰れと家族は言ったのですが、夫が承知せず、彼女を病院に入れました。しかしそこで彼女は死んでしまったのです。そして・・・」

 ケマは声を震わせた。

「彼女の家族は、彼女の死を悲しまなかった・・・遺体を引き取ることもなく、彼女は夫の家族の墓地に葬られました。カスパル叔父は彼女を引き取るように家族に訴えたのですが・・・」

 テオは疑念を抱いた。彼女の死因は何だったのだろう。”砂の民”に粛清されたのか? それとも彼女は秘密を守れなくなることを恐れた家族の誰かに抹殺されたのか? 
 ケマはさらに恐ろしい話を始め、テオを驚かせた。

「白人の夫もそれから半年後に事故で亡くなりました。その時、彼の遺産が全て妻の母親に相続されるように遺言状に書かれていることが判明しました。」
「白人の親族は反対しただろう?」
「それが当然だと思われたのですが、誰からも異議が出なかったのです。だから遺産は全て私の母方の祖母の姉妹の子供達が相続しました。そして家族は破産から免れたのです。」

 テオは背筋が寒くなった。それって、”ヴェルデ・シエロ”の超能力を使った犯罪ではないのか? 彼はムリリョ博士を見た。そしてムリリョ家の繁栄の歴史を思い出した。ムリリョ博士の伯父になる人はセルバ共和国独立の時、白人の建設会社の経営権を白人から譲られたと言っていた。そこに何も超能力は使われなかったのだろうか。いや、この際ムリリョ家のことは置いておこう。シショカ・シュスの一家の話だ。

「カスパル叔父は、家族が娘を殺し、娘の夫を殺し、その親族を”操心”で動かして財産を乗っ取ったのだと考えました。だから、族長選挙で・・・」

 突然ムリリョ博士が咳払いして、ケマがハッとした表情で口を閉じた。部族の族長選挙の話は”ヴェルデ・シエロ”同士でも他部族に口外してはならないのだ。ましてやテオは白人だ。
 ケマは言葉を探し、何とか説明を続けた。

「叔父は死んだ恋人の家族を部族の政治から締め出そうと運動しました。しかし勢いを盛り返した家族には歯が立たなかった。叔父は禁断の手段を用いて復讐を果たそうとしたのです。」
「それで建設省にアーバル・スァットの神像を送りつけたのか?」

 酷く的外れな感じがした。恋人を死なせたのは母親の従兄弟の家族で、イグレシアス大臣もセニョール・シショカも関係ないだろう。

「叔父がどんな思考回路で動いているのか、私にはわかりません。」

 ケマが苦しそうに言った。

「私は、シショカの元締め様にお会いして、何が起きているのかを説明して、叔父を死刑から救って欲しい、それだけです。」

 するとムリリョ博士がテオに顔を向けた。

「チャクエクと会うことがあるか?」
「残念ながら3回しか会ったことがありません。どちらも彼は不機嫌でした。俺の仲介で人に会うとは思えません。」

 ムリリョ博士はまともにケマ・シショカ・アラルカンを見た。

「チャクエク・シショカは正しい処分しか行わぬ。彼は既に調査に入っているだろう。お前は何もしない方が身のためだ。」
「叔父は・・・」
「大罪を犯したかも知れません。」

とテオが言い、ケマは彼を振り返った、目に涙が溜まっていた。叔父が好きで心配で堪らないのだろう。

「どんな大罪です?」

 若者の質問に、ムリリョ博士が答えた。

「カスパルが殺したいと思っている人間達が白人の家族に対して行ったのと同じ罪だ。」


第8部 シュスとシショカ      6

 「つまり、大統領警護隊に捕まっているカスパル・シショカ・アラルコンは君の母方の叔父さんに当たる訳ですね?」

 テオは慎重に尋ねた。セルバ先住民にとって親戚関係の順位は重要だ。それは”ヴェルデ・シエロ”でも”ヴェルデ・ティエラ”でも同様だった。子供にとって母方の叔父は父親と同等の関係になる。ケマは頷いた。

「叔父は若い頃から一族の習慣に従わず、殆ど実家に帰らない人でした。しかし、私には時々会ってくれて、遊んでくれる優しい叔父だったのです。その叔父は実家とは疎遠になっていましたが、シュスの家族とは親しくしていました。つまり、私の母方の祖父の家ですが・・・」

 最後の説明はテオの為だろう。テオは頭の中に家系図を描かなければならなかった。そして妙なことに気がついた。

「君の両親は同母姉妹の子供で従兄妹同士だと言いましたね? それなら父方のお祖母さんはシショカの名前を継いでいる筈ですが、アラルコンを名乗っていたのは何故です?」

 するとムリリョ博士がぶっきらぼうに言った。

「アラルコンの養女になったからだ。尤も父親がアラルコンだからな。同母姉妹はどちらもシュスの男と結婚した。シショカの家の伝統だ。そしてペドロに姉妹がいれば、その姉妹がアラルコンを継ぐ。」
「スィ、仰せの通りです。」

 ケマはちょっと溜め息をついた。

「私には父方の叔母が3人いました。2人は子供の頃に亡くなっていますが、1人残っていて、その人がアラルコンを継いでいます。ああ、すみません、本題から逸れています。私が相談したいのは、母方の親族のことなのです。」
「シショカ・シュス?」
「スィ。母方の祖母には同母同父の姉がいて、その人に子供が4人います。男が3人、女が1人、母の従兄弟達です。彼等が10年以上前に、ある政府の事業に投資しました。森林の奥地を開墾して農場を造るプロジェクトで、軌道に乗ればそこにゴム園を造ることになっていました。ところがその企画が頓挫してしまいました。開墾地が泥に埋まって・・・」
「もしかして、アルボレス・ロホス村?」

 テオの言葉に、ケマが目を見開いた。

「ご存知なのですか?!」

 テオはムリリョ博士をチラリと見た。博士は無表情でケマを見ているだけだった。テオは言った。

「知っている。だけど説明は後でします。先に君の話を聞きましょう。」

 その方がムリリョ博士を苛つかせずに済む。ケマは頷いた。

「母の従兄弟達は開墾地が泥に埋まった原因を、川に建設された低いダムのせいだとして、訴えを起こしたのですが、裁判所は受け付けてくれず、一家は大損をしたまま、悔し涙を飲みました。私の叔父のカスパルは母の従兄弟の一家と懇意にしており、一家の娘の1人と婚約もしていました。しかし一家が没落すると、その彼女は家を出てしまい、白人の男と付き合うようになりました。彼女にとって家族を救うために金のある白人を夫に選ぶ方が、金のないカスパル叔父との結婚より大事だったのです。」

 なんだか聞いた話と違うぞ、と言うのがテオの正直な感想だった。カスパル・シショカ・シュスは族長選挙に絡んで何かを企んでいたのではないのか? だが”ヴェルデ・シエロ”を含めたセルバ人は結構周りくどい言い方で物事を説明する。彼は我慢して聴くことにした。

 

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...