2024/01/28

第10部  追跡       8

  ミーヤ・カソリック教会は大きくない。祭具室を抜けると司祭の居住区画で、廊下を通るとすぐに裏口から外に出た。町の住人が住む質素な家々が並び、すぐ向こうは森だ。アンドレ・ギャラガ少尉は教会から嗅いでいた人間の匂いがその森の方向へ向かっていることに気がついた。司祭は教会内のバザーにいたから、これは別の人間だ、と彼は思った。司祭の家族ではないだろう。司祭は妻帯しない。司祭館の家事を取り仕切る人間がいるとしたら、その人自身の住居か商店街に向かう筈だが、その匂いは森に真っ直ぐ向かっていた。
 先輩中尉を振り返ると、アスルも不機嫌な顔をして森を睨んでいた。

「森に隠れたのでしょうか。」

 ギャラガが尋ねると、彼は首を振った。

「この付近の森は国境破りを警戒して監視カメラを設置してある。密猟をする連中なら承知している。敢えてそんな場所に隠れるとは思えない。」

 突然彼が森の方角へ走り出したので、ギャラガも急いで追いかけた。行く手を塞ぐように畑の柵があったが、2人は軽々と跳び越えた。野菜の列を跨ぎ越し、再び柵を越えて森に走り込んだ。畑を荒らす動物を遠ざけるために、柵から森の最初の植生迄の間は樹木が伐採され、土と下草の空間だ。アスルとギャラガは人間が通った痕跡を追跡した。匂いの主は走っていた。何かから逃げたのだ、きっと。ギャラガは柵を越える時に、柵の上に張られた有刺鉄線に血が付着しているのを目撃していた。怪我をしてまで逃げたかったのか? 何から?
 森に入って500メートルも行かないうちにアスルが立ち止まった。ギャラガも足を止めた。酷く不快な感覚が襲ってきた。

ーー死の穢れだ・・・

 虫の羽音、まだ新しい死体の臭い。
 このあたりではしっかりした幹を持つ樹木が見えた。一番太い枝から大きな物がぶら下がっていた。
 アスルが溜め息をついた。そしてギャラガに囁いた。

「憲兵隊に電話しろ。手配書の一人だ。」

 まだ電波が届く距離だったので、ギャラガは言われた通り、電話を出した。位置確認を緯度と経度で行い、それから憲兵隊ミーヤ基地に掛けた。彼が通報している間にアスルが死体に近づいた。グルリと周囲を回って検分し、ギャラガのそばに戻った。

「物理的に誰かに強要された痕跡はない。首に締められた跡もなさそうだ。本当に首を吊っている。」
「自殺ですか?」
「見た限りではそうなる。しかし、走って行っていきなり首を吊ったりするか?」

 ギャラガは少し考えてから、言った。

「”砂の民”に幻影でも見せられましたかね?」
「多分・・・殺したサバンかコロンの幽霊に追っかけられたのだろう。」

 アスルは小さく「けっ」と言った。

2024/01/27

第10部  追跡       7

  憲兵隊にも配布するとかで手配書のコピーがたくさん置かれていたので、アスルとギャラガは2枚もらって、検問所の食堂を出た。そしてミーヤの街中を歩いて行った。隣国との往来に利用される大通りを中心に広がる細長い街だ。それに大きくない。セルバ共和国南部では観光都市プンタ・マナに次ぐ都市だが、どうしても田舎の印象は拭えない。首都グラダ・シティで育ったギャラガも、子供時代どこで過ごしたのか不明だが入隊以来ずっと首都を寝ぐらにしているアスルも、この街が洗練されていると思えなかった。しかし賑わっている。隣国の商人や買い出しの一般人が普通に検問所を出入りしている。セルバ側からも出かける人間が少なくない。物資はそれなりに豊かで雰囲気は陽気で活気に満ちていた。凶悪な殺人犯が隠れていなさそうに見えた。しかし密輸は行われるし、密入国もある。犯罪は普通に存在するのだ。
 ミーヤのカソリック教会はグラダ大聖堂に比べると小じんまりした田舎の教会に見えた。日曜の朝のミサが終わり、昼間は開放されていた。グラダ大聖堂と違って観光客は来ないが、地元民がいて、バザーの様な催し物をしているのが見えた。見たところ女性ばかりだ。

「殺人犯が隠れている様に見えません。」

とギャラガが囁いた。アスルは首を振った。

「いないだろうが、ちょっと俺たちの存在をアピールしておこう。」

 2人はジャングルから来たので、野戦服のままだった。アサルトライフルも持っていた。背中のリュックサックは遺跡発掘隊の監視業務で背負っているのを街の人々が何度も見ていたので、彼等が大統領警護隊であることは、胸の緑の鳥の徽章を見なくてもすぐにわかった。彼等が教会の中に入って行くと、洋服や小物の品定めをしていた女性達がチラリと彼等に視線をやったが、すぐに商品籠の方に顔を向けた。
 アスルは左回りに、ギャラガは右回りに壁に沿って歩いて行き、祭壇の前で合流した。

ーーここにはいません。
ーー奥の部屋を見てみよう。

 ”心話”で言葉を交わすと、2人はその場にいた人々に自分達はいないと思わせる幻視をかけた。恐らく女性達は、彼等は何時の間にか教会から出て行ったと思うだろう。
 2人は祭壇の横にあるドアを開き、司祭が使用する祭具室へ入って行った。

2024/01/26

第10部  追跡       6

  仮に「アキレスの一味」と密猟者グループを呼ぶことにしよう。クレトと言う一味のメンバーが半月前、バルに現れた時蒼白な顔でグラスをまともに持てないほど震えていたと言う。幽霊でも見たかと揶揄われても返事をしなかった。それから彼等は人前に現れていない。

「恐らく、クレトとか言うヤツは、オラシオ・サバンが殺されてジャガーから人間に戻るところを目撃したに違いない。」

 とアスルはギャラガに囁いた。

「連中は自分達が神を殺したと知った。恐怖でサバンの遺体を穴に入れ、焼いて痕跡を消そうとしたんだ。土で埋めた後も、連中は不安で恐ろしかった。」
「それで神から逃れようと姿を消した・・・?」

 ギャラガの質問と言うより確認の問いかけに、アスルは頷いた。

「だがセルバ国内にいる限り、必ず神に見つけ出される、と連中は思っている。それなら、どこに隠れる?」
「”ヴェルデ・シエロ”はキリスト教にとっては異教の神です。だから”シエロ”から隠れるなら、教会では?」
「もし連中がそう考えたなら、短絡的だな。俺達はキリスト教会を怖いと思っていない。用がないから近づかないだけだ。」

 アスルは食堂内の警備兵達を見回した。大統領警護隊は警察組織ではないから、犯罪者を追いかけたりしない。少なくとも、命令がなければ検問所から出て捜索したりしない。それは陸軍の国境警備兵も同じだ。彼等の仕事は国境を守ることで、出国者に注意して目を見張らせるだけだ。

「ミーヤの教会に行ってみますか?」

とギャラガが提案した。アスルは頷き、2人は空になった食器を返却口に運んだ。ブリサ・フレータ少尉がカウンターの向こうで彼等の顔を見て微笑んだ。

「何か手がかりを掴んだと言いたそうな顔ですね。」
「手がかりではないが、探す場所のヒントを陸軍からもらった。」

 アスルは料理をする人間が好きだ。彼自身も料理をするのが好きだからだ。彼が珍しくフレータ少尉に向かって微笑みかけたので、ギャラガはびっくりした。彼女が小さな紙袋を出して、アスルに差し出した。

「お料理をされるとステファン大尉から以前お聞きしていたので、よろしければこれを使ってみて下さい。隣国から来る行商人から買った混合スパイスです。怪しい物は入っていませんよ。多分、中尉なら成分や割合をすぐに当てられると思います。魚のシチューに丁度良い味を作ってくれます。」

 アスルは素直に有り難く頂戴した。ギャラガは新しい料理のレパートリーが増えるんだな、と期待した。


2024/01/24

第10部  追跡       5

 国境検問所の食堂は、大統領警護隊だけの場所ではなく、陸軍国境警備隊も一緒に食事をするのだ。だから料理はたっぷりあったし、アスルとギャラガも気兼ねなくテーブルに着けた。ブリサ・フレータ少尉は2人の皿に大きめの肉を載せてくれた。
 食事を始めようとした時、大統領警護隊警備班の隊長ナカイ少佐と先刻の警備兵が食堂に入って来た。ここの検問所の最高司令官に当たる人物だから、全員が立ち上がった。少佐は敬礼を兵士達と交わしてから、着席するようにと言った。

「食べながらで良いから、聞いて欲しいことがある。」

 彼がそう言うと、先刻の警備兵が一枚の大きな紙を広げ、後ろの壁に貼った。男の顔写真が3人分、コピーされていた。ナカイ少佐が言った。

「これは密猟者の手配書だ。連中は国境検問所を通らずに船で他国に動物の毛皮などを密輸していたが、最近、どうやら動物だけでなく人を殺したらしい。」

 兵士達が食事の手を止めて写真に見入った。

「殺害されたのは、セルバ野生生物保護協会の職員2名。間もなく首都でも手配書が発布されるだろう。密輸でなく国外逃亡を図る恐れがあるので、検問所でも注意して欲しい。犯人グループはもう少し人数が多い様だが、現在判明しているのはこの3人だ。」

 アスルが警備兵に伝えたのは6人だったが、写真が手に入ったのは3人だけだったのだろう。大統領警護隊の間では”心話”で6人全員の顔の情報が行き渡っている筈だ。陸軍には心で伝えられないから、手に入るだけの写真で手配を伝えた。
 陸軍兵から質問が出た。

「手配書の男だけでなく、一緒にいる連中も捕まえてよろしいですか?」

 少し乱暴だが、殺人犯の連れも一蓮托生だ、と言いたいのだ。犯罪に無関係かどうかは、捕まえてから調べる。それがこの国のやり方だ。
 ナカイ少佐は頷き、そしてアスルを見た。アスルは目で「ご協力感謝します」と伝えた。少佐は再び頷き、食堂から出て行った。

「アキレスの一味だな。」

と陸軍の方から囁きが聞こえた。

「前から怪しいと思っていたんだ。行商をしていると言いながら、妙に森へ出掛けていたからな。」
「だが、最近見かけない。以前はよくバルで見かけたんだが。」
「そう云や、半月前当たりだったか、クレトの奴が真っ青な顔でバルに来たことがあった。手が震えて酒のグラスを満足につかめていなかった。誰かが幽霊でも見たのかと揶揄っていたが、一切答えなかったな。」
「それじゃ、その時に、人を殺したんじゃないか?」

 大統領警護隊の隊員達は互いの目を見合った。その証言だけで十分だった。

第10部  追跡       4

 「アンドレ・ギャラガ少尉!」

 不意に女性の声に呼ばれて、ギャラガは驚いて声がした方へ顔を向けた。アスルも振り返った。女性の士官が入り口に立っていた。日焼けした彼女の顔を見て、ギャラガは顔を綻ばせた。

「ブリサ・フレータ少尉!」

 敬礼を交わす2人の少尉を見て、アスルが尋ねた。

「知り合いか?」

 すると先刻まで話をしていた警備兵が説明した。

「隣国の超能力者騒動の時に、ギャラガ少尉がここへ来た。遺伝子学者の白人と大学生と3人だったかな。」

 アスルはその事件に直接関わらなかったので、話には聞いていたが関係者がどの範囲なのか知らなかった。それにフレータ少尉が太平洋警備室からミーヤ国境検問所へ異動になった件も知ってはいたが、あまり記憶に留めていなかった。本部の隊員のほとんどを知っていると自負している彼は、外の組織に勤務している隊員の知識が乏しいことを自覚した。
 フレータ少尉は休憩中の隊員に昼食の準備が出来たことを知らせて、それからギャラガとアスルに改めて向き合った。

「こちらへは、遺跡関係の密輸摘発か何かで?」
「ノ、もっと悪質だ。」

 アスルは彼女の上官の顔を立てて、この場では説明しなかった。

「恐らく隊長から後で説明があると思う。」

と警備兵を見て言った。警備兵が頷き、

「隊長に報告してから、食事に行く。」

と言い、部屋から出て行った。
 フレータ少尉が客を見た。

「あなた方もお食事されますか?」

 料理に興味があるアスルは、大きく頷いた。


2024/01/21

第10部  追跡       3

  憲兵と名前を交換し合ってから、アスルとギャラガは国境検問所へ行った。カフェから徒歩で行ける距離だ。当番の警備兵達は忙しいだろうから、休憩中の兵士がいる裏の事務所へ行った。首都かジャングルの遺跡にいる筈の文化保護担当部がやって来たので、休憩中の大統領警護隊の隊員は訝しげに応対した。敬礼を交わしてから、アスルは応対した隊員に密猟者の情報を”心話”で与えた。

「密猟は隣国でも問題になっている。」

と警備兵は言った。

「検問で通せない品だから、恐らく海に出て運んでいるだろう。憲兵隊から沿岸警備隊に手配書を回してもらおう。」
「殺人犯だ。」
「一族の者を殺害するなんて、質が悪い。」

 警備兵は検問ゲイトの方をチラリと見た。

「だが、その被害者は何故ナワルを使ったと思うんだ?」
「服を焼いた跡がなかったからな。死体をわざわざ裸にして焼くなんて、密猟者はやらないだろう。身元隠しなど、森の奥では意味がない。」
「そうだな・・・」

 警備兵は片手を顎に当てた。

「ことによると大事かも知れないぞ。ナワルの状態で殺されたら、人間に戻ってしまうところを目撃される。」
「十分その恐れはある。だから”砂の民”が動いている。」

 警備兵が溜め息をついた。

「あの連中は秘密裏に動くから、全て片付いても、我々にはわからない。我々はいつまでも犯人を探すことになる。」
「それに見せしめにならない。」

 アスルは国境警備班が自分達と同じ意見であることに安心した。

「隊長と相談して、この近辺の一族に警戒を促そう。」
「しかし、ピューマにも知られるぞ。」
「知られても構わんさ。」

と警備兵は言った。

「逆に連中は動きにくくなる。」

 先輩達の会話を聞いていたギャラガは思った。

ーー密猟者は”ヴェルデ・シエロ”全体を敵に回したな・・・

2024/01/20

第10部  追跡       2

  ミーヤの憲兵隊支部は国境検問所の近くにあった。警察署と隣接して建っている2階建ての小さなビルで、入り口に歩哨が立っていた。アスルとギャラガは一度その前を通り過ぎ、検問所の出国審査を待つ人々が時間を潰す野外カフェに席を取った。水を注文してから、アスルはギャラガに命じた。

「憲兵隊で一族の者がいるか、呼んでみてくれ。」

 ”感応”と呼ばれる一方通行的なテレパシーだ。特定の個人向けでテレパシーを送ることがあれば、不特定多数に向けて呼びかけることもある。”ヴェルデ・シエロ”に取っては難しくない能力だが、残念なことにこの呼びかけに返信する能力を”ヴェルデ・シエロ”は持たない。会話をする為の能力ではないので、相手を「呼ぶ」だけなのだ。話があれば呼ばれた者が呼びかけた者を特定して接触しなければならない。便利なようで不便な中途半端な超能力だ。
 アスルは”砂の民”がオラシオ・サバンを殺害した連中を探していることを知っていた。不特定多数の一族の人間に呼びかけると、その”砂の民”にも呼びかけることになってしまう。それではサバン殺害犯に法律の下で罰を与えたい大統領警護隊文化保護担当部としては拙いのだ。犯人は普通の人間、イスマエル・コロンも殺している。動物達を密猟している。だから連中を公に告発して罰を与え、新たな密猟者が現れるのを防ぎたかった。”砂の民”は標的を殺されたと思わせない方法で殺してしまうから。
 アンドレ・ギャラガはちょっと息を整えてから、目を憲兵隊ビルに向けた。

ーー憲兵隊の一族の者

 呼びかけの内容はそれだけだった。”感応”は長い文章を送れない。文章を送れるのは、首都に聳える聖なるピラミッドに住まう大巫女ママコナ様だけだ。返信が出来ない能力だから、相手が聞き取ったかどうかわからない。受信した方は誰から送られて来たのかわからないから、特定の相手に「聞いた」と言えないのだった。
 アスルとギャラガは暫く往来を眺めていた。もしさっきの呼びかけに誰も応えなければ、国境検問所に行って、大統領警護隊国境警備班の仲間に憲兵隊の中に一族の者がいないか訊く方法があったので、焦らずに構えていた。
 半時間経って、店から離れようかと思い始めた時に、一台の憲兵隊の車が店前に停車した。野外テーブルの目と鼻の先だ。窓から先住民の血が優った顔のメスティーソの男が顔を出した。

「呼びましたか?」

 相手はアスルとギャラガが胸に緑の鳥の徽章を付けて迷彩色の服を着た大統領警護隊だったので、戸惑っていた。彼を呼んだロス・パハロス・ヴェルデスはどちらもまだ少年の様な若い隊員で、憲兵より10は年下に見えたのだ。
 アスルが立ち上がり、車のそばに行った。瞬時に”心話”で事件を伝えた。憲兵がギョッとした目で、アスルが差し出した潰れた銃弾を見た。

「埋められていた遺体の灰に混ざっていた。恐らく殺された一族の男は、これで射殺されたんだ。」
「失礼・・・」

 憲兵は彼から銃弾を受け取り、目を閉じた。アスルもギャラガもこの憲兵のことを何も知らなかったが、憲兵は目を開くと、アスルに”心話”を要求した。アスルが相手の目を見ると、脳裏に潰れる前の銃弾のイメージが浮かんだ。「ほう!」とアスルが感嘆の声を出した。

「貴方は復元した銃弾をイメージ出来るのか!」
「私の唯一の特技ですがね。」

と憲兵が囁いた。

「同僚に説明出来ないのが難点で・・・」

 アスルと彼は苦笑し合った。普通の人間の世界で暮らす古代人類の子孫の悩みだ。

「中尉から頂いた犯人のイメージは、憲兵隊が追っている密猟者グループの中にいる数人と合致します。殺人を立証するのは難しいですが、密猟で捕まえるのは簡単です。居場所を探しましょう。」

 彼はニヤリと笑った。

「抵抗すれば射殺しますが、構いませんね?」
「問題ない。」

とアスルは言った。

「少なくとも犯罪者として罰せられる訳だから。」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...