2024/05/13

第11部  紅い水晶     21

  アンドレ・ギャラガ少尉がケツァル少佐からの電話に出たのは、市民病院に到着して患者が院内に運び込まれた直後だった。

「ギャラガです。」
ーーケツァルです。今、どこですか?
「市民病院の救急搬入口です。患者は無事に病院内に入りました。」

 すると少佐はそんなことはどうでも良いと言う声音で尋ねた。

ーー救急隊員はまだそこにいますか?

 ギャラガは救急車の進入口を見た。既に空っぽだった。彼が患者の搬送に気を取られている間に、救急車は基地へ帰ったか、別の患者の元へ去ってしまったのだった。

「もういません。隊員に何か?」
ーートーレスが握っていた紅い石が紛失しました。廊下に落ちていたのは、サフラ少尉が放射線検知を行った時に見ました。それ以降誰も石を見ていないのです。

 あちゃーっとギャラガは心の中で叫んだ。救急隊員は職務には真面目だが、稀に、患者の持ち物をちょろまかす人間がいることも確かだった。

「紅い石ですか?」

 ギャラガはその石を見ていない。どんな赤なのか、どんな大きさなのか、どんな形なのか、知らなかった。少佐もそれを思い出したのだろう、説明してくれた。

ーー男性の手で握って隠せる大きさです。形は涙型、色は・・・新鮮な血が集まった様な色で、水晶に似た材質に思えました。

 ギャラガは”心話”が電話で使えないことを残念に思った。”ヴェルデ・シエロ”は距離が開いた場合にテレパシーによる情報交換を使えない種族だ。呼びかけは出来るが、画像や映像を送ることは出来ない。出来るのはママコナ様だけだ。

「その石が、今回の出来事に関係しているのでしょうか?」
ーーわかりません。でもトーレスの衰弱の原因がその石である可能性があります。
「わかりました。すぐにさっきの救急車を探します。」

 通話を終えたギャラガは近くを通りかかった病院スタッフに声をかけた。

「大統領警護隊だ。さっきここへ患者を運んで来た救急車は、どこに基地を持っている?」


2024/05/12

第11部  紅い水晶     20

  間も無く救急隊員が3名階段を昇ってきた。1人は医療キットを持ち、2人は折り畳みストレッチャーを運んでいた。医療キットを持つ隊員が倒れているディエゴ・トーレスを見た。

「貧血ですか?」
「そう見えますか?」
「失血が多くて出血性ショックを起こしている様に見えます。」
「彼は怪我をしていません。」
「そうですか、兎に角代用血液を注入します。」

 救急隊員達はストレッチャーの上にトーレスを移動させた。素早くバイタルチェックを行い、代用血液の点滴を始めた。ロホは液剤が緩やかにチューブに落ちて行く様を見た。トーレスは生きている。
 患者を救急車に乗せると言うので、ロホはストレッチャーを階段から下ろすのに手を貸した。ギャラガも走って来て手伝った。
 ケツァル少佐は家の中が薄暗くなっていることに気がついた。時刻はまだ午後3時になっていなかった。空が曇っているのだ。
 ストレッチャーが階下へ辿り着いた時、窓の外で稲妻が光り、突然滝のように雨が降り出した。セルバではスコールがよく来るので珍しくないが、この時はまだ季節的にそんなに多くない時期だった。開放されたままの玄関から雨が降り込んで来た。

「面倒だな。」

と救急隊員の一人が呟いた。患者を雨で濡らしてしまうのだ。しかし雨が止むの待って患者の治療を手遅れにしてしまう訳にいかない。点滴のパックを手にしていた隊員が近くにいたギャラガに声を掛けた。

「2階からシーツを取ってきます。それまでこれを持っていて下さい。」

 ギャラガに点滴パックを押し付けると、彼は階段を駆け上がった。ケツァル少佐は、彼女に頼めば良いのに、と思いつつ、廊下の突き当たりの窓から見える空を見ていた。真っ黒な雲の向こうの端が白く見え、スコールは10分もすれば小降りになるだろうと思われた。
 トーレスの寝室からシーツを掴んで救急隊員が走り出して来た。彼はシーツの端を踏んだのか、一瞬足を止め、ちょっと屈んだがすぐに体勢を整え、階段を駆け下りた。
 トーレスの体にシーツを掛けると、救急隊員達は門の外に停まっている救急車に向かって走った。一緒に走ったギャラガが搬送先となる病院の名を尋ね、ロホが彼に救急車に同乗して行って来いと命じた。救急隊員は大統領警護隊が同乗することに一切文句を言わず、トーレスとギャラガを乗せると扉を閉じて走り去った。
 慌ただしく去っていく救急車の音を聞きながら、ケツァル少佐は電話を出し、カサンドラ・シメネスに掛けた。ディエゴ・トーレスを保護して病院に搬送させたことを告げてから、彼女はふと廊下に視線をやった。そしてギクリとなった。

 紅い石がない!


2024/05/10

第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器を手にしていた。
 救急車の乗務員を門前で足止めしていたギャラガ少尉が2人に「2階だ」と告げた。リベロ少尉とサフラ少尉は彼に軽く敬礼して、家の中に入った。階段の下に来ると、階上からロホが声を掛けてきた。

「計測器を持つ者だけ上がって来い。もう一人はその場で待機。」

 サフラ少尉が一人で階段を上がった。そして倒れている男とそばに立っているケツァル少佐を見た。少佐に彼女が敬礼すると、少佐が頷き、

「放射線の有無を調べるだけだ。確認を取ったらすぐに下へ降りて待って欲しい。」

と言った。サフラ少尉は、少佐は部下達を放射線に曝したくないのだな、と理解した。電源を得てから、彼女は計測を開始した。しかし計器は電力を得てから一回「ポンッ」と音を立てただけだった。少尉が説明した。

「自然界にある放射線を感知しただけです。」

 ケツァル少佐が頷いた。サフラ少尉はトーレス技師の体を、頭から爪先まで端子で走査してみたが、計器は2、3回小さく音を立てただけだった。トーレスから放射線が出ている訳ではない。次に床に転がっている紅い石に端子を向けたが、やはり音はしなかった。
 ロホが彼女をトーレスの寝室に誘導し、トーレスが旅に持って行ったと思われる品々を測ってもらった。しかし放射線は検出されなかった。
 
「グラシャス。」

と少佐がサフラ少尉に言った。

「放射能の心配はありません。あなた方には無駄足を踏ませましたが、安全を確認するのに必要だったと理解して欲しい。」
「グラシャス、少佐。」

 サフラ少尉は敬礼した。

「では、本部に帰投します。」
「グラシャス、セプルベダ少佐によろしく。」

 ロホが彼女に伝言を頼んだ。

「救急隊にここへ来てくれるよう、伝えて欲しい。」
「承知しました!」

 サフラ少尉が軽々と階段を降りて行った。

2024/05/09

第11部  紅い水晶     18

  ディエゴ・トーレスの顔は蒼白で生気がなかった。ケツァル少佐とロホは暫く彼の手から転がり落ちた紅い水晶のような物を見ていたが、やがてどちらが先ともなく我に帰った。少佐がギャラガを呼んだ。アンドレ・ギャラガ少尉が階段を駆け上がって来た。

「アンドレ、階下に誰かいましたか?」
「ノ、誰もいません。台所の様子から見て、その男性の一人暮らしの様です。」

 ロホが思い出したように、二階の残りの部屋を素早く見て回った。その間に少佐はギャラガに命じた。

「救急車を手配しなさい。それから水を持って来て。この人に飲ませます。」
「承知!」

 ギャラガは携帯電話を出して、電話をかけながら階段を駆け降りて行った。
 少佐がトーレスに声をかけた。

「セニョール・トーレス! 聞こえますか?」

 トーレスの瞼がひくひくと動いた。しかし開く力はないようだ。殆ど命の火が消えかけている、と少佐は判断した。しかしトーレスが病気に罹っている気配はなく、怪我もしていない。毒を飲んだかと思ったが、それもなさそうに見えた。
 寝室に携帯電話はなかった。カサンドラ・シメネスに教えられた番号を少佐の電話からかけてみると、呼び出し音がベッド脇の椅子の下に落ちているズボンから聞こえた。トーレスはズボンのポケットの中の電話に出ることも出来ず、廊下に這い出して力尽きたのか。
 少佐はもう一度トーレスの爛れた手を見た。それから紅い石を見た。それが技師の生命を脅かしている原因に思えたが、何なのかわからない。放射能だろうか? 彼女はゾッとした。それならトーレスが遺跡から帰って来る間にそばにいた人々も大なり小なり被曝している。 ”ヴェルデ・シエロ”は普通の人間より耐性が強いが、放射線の強さにもよる。
 彼女は大統領警護隊遊撃班指揮官セプルベダ少佐に電話をかけた。

2024/05/08

第11部  紅い水晶     17

  ノックと呼びかけに反応がなかったので、ギャラガはドアノブを掴んだ。 ”ヴェルデ・シエロ”に鍵は効力を持たないが、ドアは施錠されていなかった。ギャラガはチラリとケツァル少佐を見て、入ります、と目で伝えた。少佐が頷いた。形だけでもアサルトライフルを構えて、ギャラガは屋内に足を踏み入れた。少佐が続き、ロホが最後にドアを開放したまま入った。
 屋内は静かだった。ディエゴ・トーレス技師は整理整頓する主義なのか、リビングは片付いていた。ただ旅行で使用したスーツケースだけ二階へ通じる階段の下にぽつんと放置されていた。ここまで運んで来たが、スーツケースを抱えて階段を登る気力がなかったのか?
 ギャラガが一階をチェックし始めた。トーレスの名を呼びながら、各部屋を用心深くドアを開いて見ていく。少佐とロホは慎重に階段を上がった。リビングは吹き抜けで階段を上がった先にバルコニー状の廊下があり、ドアが3つあった。右端のドアが開いたままで、廊下に半身を出した形で倒れている人間の姿があった。Tシャツと短パンだけの男性だ。首や腕に日焼け跡がくっきり残っている。
 少佐が男性のそばにかがみ込むと、ロホは彼の下半身が残っている室内を見た。ベッドが乱れたまま放置され、窓はブラインドが閉じられている。クローゼットなどは閉じられたままだ。
 少佐が男性の首を眺めた。生気がないが、死人の肌には見えなかった。彼女はポケットからシリコンの手袋を出して装着し、男性の首に触れてみた。脈を確認すると弱々しくはあるが、まだ生きていることがわかった。

「セニョール・トーレス?」

 声をかけると、微かに呻き声が答えた。少佐は男性の体をゆっくりと仰向けにした。トーレスはげっそりとやつれていた。全身から水分を失った様に見えた。
 ロホが寝室から出てきた。

「怪しい気配はありません。」

と言ってから、彼はあることに気がついた。

「彼は何を握っているのです?」

 ケツァル少佐もトーレスが右手で何かしっかり握りしめていることに気がついた。手を開かせようとしたが、物凄い力で握っているので指が開かない。ロホが交代を申し出たので、手袋装着を命じた。死にそうな姿なのに抵抗するので、少佐が手首をつかみ、ロホが指をこじ開けた。
 コトリっと音を立てて、赤い光る物が転がり落ちた。それを見て、少佐とロホは顔を見合わせた。

「ルビーですか?」
「ノ、この質感は水晶です・・・」

 ケツァル少佐の養母は宝飾品のデザイナーだ。少佐も幼少の頃から色々な石を見て育ってきた。しかし、目の前にある、ルビーの様に真っ赤な水晶は見たことがなかった。
 少々困惑して少佐はトーレスの手を見た。開かれた技師の手の内側を見て、彼女はギョッとした。黒く爛れていたからだ。まるで火傷をしたみたいに・・・。

2024/05/06

第11部  紅い水晶     16

  ロホとアンドレ・ギャラガが車から降りて来た。2人とも上半身はTシャツだが、下は迷彩柄のパンツと軍靴で、ギャラガはアサルトライフルを持っていた。悪霊に銃器は効力がないが、別の使い方がある。
 大統領警護隊のロゴ入りジープを見た通行人達が急いで遠ざかるのを、3人の”緑の鳥”達は気にせずに集合した。ケツァル少佐はロホ、ギャラガの順に”心話”でカサンドラ・シメネスからの情報を伝えた。
 ロホとギャラガは顔を見合わせた。彼等はラス・ラグナス遺跡に行った経験がある。ギャラガは2回行って、1回目は空間通路を初体験したし、2回目はロホとステファン大尉と共に盗まれたコンドルの神像を元に収める儀式を行った。何の時も不審な気配を感じなかった。

「セニョーラ・シメネスが目撃した拾い物が山の中に転がっていた物だとすると、その正体に見当がつきません。」

と祈祷師の資格を持つロホが言った。

「ラス・ラグナス遺跡と関係があった物なのか、別の村の物なのか、それ一つだけなのか、まだ同じ物があるのか・・・」

 少佐が手を挙げて彼の言葉を遮った。

「まだ実物を見ないうちからあれやこれや考えても埒が開きません。兎に角、ディエゴ・トーレスが無事なのかどうか、確認しましょう。」

 彼女は体の向きを変え、道に面して建っているクリーム色の壁の小さな2階建ての家を見た。小さいが高級住宅地に建つ家らしくスパニッシュ・コロニアル様式で、若い富裕層に人気の建築だった。低いフェンスで囲われた庭は芝生と草花が植えられている。ディエゴ・トーレスは独身だと言うことだが、一人暮らしでそんな庭の世話が出来るだろうか。
 門扉を開いて、ギャラガが上官達を振り返った。

「私は何も怪しい気を感じませんが・・・?」
「ノ、私もだ。」

とロホが同意し、ケツァル少佐も認めた。
 3人は狭い庭を横切り、ドアの前に立った。少佐が正面に立ち、ロホが脇に立ち、庭に面した掃き出し窓の方を見た。ギャラガがドアをノックした。
 返事はなかった。屋内に人がいる気配もなかった。ギャラガはそれでもノックを試み、声をかけた。

「セニョール・トーレス、大統領警護隊だ。」


2024/05/05

第11部  紅い水晶     15

 在野の”ヴェルデ・シエロ”が大巫女ママコナに直接テレパシーを送ることは不敬に当たる。しかしママコナが何か不穏な気を感じていたのなら、それを知っておかねばならない。ケツァル少佐は2秒程躊躇ってから、大統領警護隊副司令官トーコ中佐に電話をかけた。その日の昼間の当直はトーコ中佐だった。シエスタの時間だから、会議中ではないだろう、と思った。電話の向こうから男の声が聞こえた。

ーートーコだ。
「文化保護担当部のミゲールです。」

 軍部の連絡は形式的な挨拶を抜く。少佐はすぐに本題に入った。

「民間から悪霊の仕業かも知れない事案の通報を受けて出動しています。”名を秘めた女性”(ママコナのこと)から何かお言葉はありませんでしたか?」

 トーコ中佐がフッと息を吐く音が聞こえた。

ーー今、チュス・セプルベダ少佐が”彼女”から何かお言葉を頂いて、ステファン大尉とこの部屋へ来たところだ。

 ママコナはマスケゴ族では埒があかぬと判断して、大統領警護隊遊撃班の指揮官にメッセージを送ったのだ。だが、彼女の言葉はいつも曖昧だ。セプルベダ少佐は優秀だが、彼女が何を心配しているのか、まだ掴めていないだろう。
 ケツァル少佐はママコナがトーレス技師が直面している災難を承知していることに、少しだけ安堵した。セルバの人民を災難から守護する、それが大巫女の役割だ。まだ20代半ばで、生まれてから一度もピラミッドから出たことがないカイナ族の娘でも、しっかりと役目を果たしているのだ。

「詳細を説明することは後に致します。私が受けた通報は、正に”彼女”が憂いている内容と同じだと確信しますので、これから私の部署で対処します。」
ーー何が起きているのか、簡単に教えてくれないか。
「”ティエラ”(普通の人間)の男が、ラス・ラグナス遺跡の近くで何かを拾ったのです。彼はロカ・エテルナ社の社員で、副社長のカサンドラ・シメネスが彼と連絡がつかなくなったと心配して私に相談して来ました。彼女は彼が遺跡近くで何かを拾ったのを目撃していますが、それが何かはわからないと言っています。」

 少佐は現在地の住所を告げた。トーコ中佐は文化保護担当部が出動することを理解した。

ーー君達に任せる。だが、遊撃班を待機させておくから、何か問題が起きた場合は直ぐに連絡を寄越せ。
「承知しました。」

 少佐が通話を終えた時、大統領警護隊のロゴマークが入ったジープが彼女の車の後ろに停車した。

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...